第一話 デス・ヴァルハラール、大地に立つ
「9300……23億……6738万……82……いや、85……?」
薄暗い洞窟の中、水滴が滴り落ちる音しか聞こえない。
目線の先には一本の鍾乳洞。
水滴が落ちるたびにカウントし、もうこんな数まで来てしまった。
はるか昔に手にした黒装束は所々破れ、ただのボロ布と変わらない。手入れを怠ったツノも無茶苦茶に捻れ、片方は途中で折れてしまったままだ。
洞窟の隅で山のように積まれた財宝は、風化して見る影もない。昔はあれをあれらを集めるために、いろんな国や場所を駆け回った。もっといい暮らしがしたい。そんな願いを込めて集めて回った。
今やもう朽ちてしまって、 ベッドとしての役割すら果たさなくなった魔導書を一撫でする。自分で書いたり、他人から奪ったりで散々苦労した。もっと強くなりたいという一心は、いずれ世界の全てを置き去りにしてしまった。
この世界は脆く、非常に狭かった。全ての命は絶え、全ての文明は消え去った。全て俺のせいだ。
俺は自分の手を見る。手の先が黒く変色し、まるで手袋をしているように見える。それをゆっくりと自分の胸に持ってきて、強く力を込める。しかし、何も起こらない。【触れたら即死】の効果は、自分には適応されない。
もう水滴を数えるのも飽きてしまった。それにいくつ数えたかも忘れてしまった。
ベッド代わりの魔術書の山に、数世紀ぶりにダイブする。触れた側から本は崩れ去り、塵になっていく。
何だか虚しくなり無性に手足をばたつかせてみる。すると、お尻の部分に硬い感触が当たった。
「なんだ……? なんだなんだなんだ!?」
久方ぶりの岩と小石以外の感触に期待と驚愕を覚えつつ、お尻の下にある物体を取り出す。
「……? あぁ、文字か。えぇっと……『異世界召喚魔術』……?」
本の中をパラパラとめくりながら、内容を読み込んでいく。
「はん。俺を殺すための研究……っぽいな。強い存在を別の世界から呼び、俺にぶつける予定だった……と」
本の最後のページに手記の様に殴り書きされた一言。
『もっと』
その一言に、俺は何故だか心が惹かれた。
本をもう一度開き、記述されている通りに異世界召喚魔術の手順を踏んでいく。
「いや、待てよ……呼ぶより俺が行った方が楽しいな……!」
その事に気付いた俺は、異世界召喚魔術の発動手順を逆から進めていく。理論上はこうする事で俺が異世界に飛べるはずだ。
完成した魔法陣に魔力を注ぎ込むと、すぐさま光り出す。
「うおぉぉぉぉぉ!!」
魔法陣の中心に飛び込み、まばゆい光が俺の視界を遮る。体が小さな粒になって、霧散していくのがわかる。視界を塞いだ光は一瞬で暗闇に変貌し、やがて水滴の音すら聞こえなくなった。
代わりに聞こえてきたのは鳥のさざめき。
体が耳の部分から再構築されていくのがわかる。
やがて目が見えるようになり、周囲の状況がわかる。懐かしの緑。自然、自然というものだ。
「〜〜〜……!」
歓喜の叫びをあげようとしたが、まだ口の部分が小さな粒のままだった。
ゆっくりと頭の上から順番に、体が再構築されているようだ。
「わぁ〜〜〜〜〜!!」
口が再構築されると同時に、新鮮な空気が口の中に広がる。あまりの美味しさに涙すら出そうだ。
両手が再構築され、やがて足も再構築される。
体の関節をぐりぐりと動かし、過不足なく動く事を確認する。
「誰だ!」
背後から急に声をかけられる。
首だけで振り返ると、そこには銀の長髪を携えた耳長の女が立っていた。
どこかで見覚えがあるような気がする。少しの思慮の後、答えが出た。
「……そうだ、エルフだ! 懐かしい!」
「な、なんだお前! 急に叫ぶな!」
「いやぁすまんすまん。エルフなんて見るのも何十世紀ぶりだったからか、ついはしゃいでしまった」
「せいき……? いやそれよりも、お前は誰だ! 名を名乗れ!」
弓矢を素早く構え、エルフの女は戦闘体制を取る。他人とのまともなコミュニケーションすら数世紀ぶりだと言うのに、このエルフの女は殺気まで浴びせてくれるサービスっぷりだ。
俺は感激し、その心意気に応えなければ。と気を引き締めた。
「俺の名前はデス・ヴァルハラール! この世の全てを滅ぼし、死に導く死神なり!」
「そうか。それでヴァルル、お前はこんなところで何をしているのだ」
俺は大きく天を仰いだ決めポーズのまま、化石のように固まった。
「俺の……名乗りを聞いて無視だと……?」
「いや、聞いていた。その上でここで何をしているかを聞いているんだ」
「……まぁいい。俺はより強き者を求めて異世界よりやってきた……! そんな俺の名前は」
「あぁ、聞いた聞いた。名前な。それでヴァルルは」
「なぁそのヴァルルってなに!? なんなんだよ!」
あまりのスルーされっぷりに、思わずキレてしまった。
前の世界ではキレてしまったがために世界の半分を滅ぼしてしまったんだ、今回は自重して心穏やかに。より長くこの世界を楽しまなくては。
「ヴァルルは嫌か?」
「だからそのヴァルルの説明をだな」
「あぁ、渾名だ。相手の名前を聞いたらすぐにあだ名で呼び合う、常識だろう?」
「……どうやら俺は来る世界を間違えたようだな。こんなお友達時空に来るはずじゃあなかったのだが……」
「ヴァルルは強い奴を求めているんだろう? それならこの先の街で闘技大会が開かれる。そこに行くといい」
エルフの女は弓を下ろしながら、馴れ馴れしく俺に話し続ける。
だが闘技大会、少しは骨のある奴がいるかもしれない。
「おいエルフの女。その街に案内しろ」
「あ? 私の名前はセン・ディレッセ・プゥ。センプウちゃんと呼ばれている」
「……えぇと?」
「センプウちゃんと呼べ。異世界から来たって言うのに適応力もクソもないな」
エルフの女ことセンプウちゃんはブツクサと文句を言いながら、俺の数歩先を歩き始める。
このままでは俺のメンツが保たれん。少しばかり驚かせてやろう。
そう思った俺は、近くの木に手を押し当てる。
「おいセンプウちゃん」
「なんだ。……なっ!」
「ふふふ。どうだ驚いたか……! 俺の手に触れた命あるものは、全て等しく即死するのだ!」
「その木めちゃくちゃかぶれるから、あんまり長く触るなよ!」
俺は木に押し当てた手の平を見てみる。手の平は真っ赤になり、強烈な痒みを発していた。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!?!?」
「それにしても触れたら即死か……確かに、ヤブレカブレの木がこんな枯れ方するのは見た事がないな」
「なんだこの木はぁぁぁぁぁ!? ありとあらゆる攻撃、状態異常、魔法魔術にも耐性のある俺の体をぉぉぉぉ!」
「ヤブレカブレの木だからな。生命力が強いんだ」
「クソォォォォォォォ!!! 広がってくるぅぅぅぅぅ!!!」
転げ回る様に全身を掻きむしり、数分経った頃にはやっと痒みが引いた。
俺は枯れ果てて塵になったヤブレカブレの木を睨みつけながら、ゆっくりと距離を取る。
「もう治ったのか? 普通なら数日は苦しむのに、ヴァルルはすごいな」
「なんなんだ……本当になんなんだ……」
「ヴァルルなら闘技大会でもいい成績を残せそうだな。せっかくだ、街まで案内しよう」
「それは……助かる」
警戒しつつセンプウちゃんの後を着いていく。また変な動植物に酷い目に遭わされないかと、周囲にも目を光らせる。
「ヴァルルはツノが生えて紫の表皮だが、なんの種族なんだ?」
「俺は……死神だ!」
「ふーん。聞いた事ない種族だな」
「そういうお前は」
「センプウちゃん」
「……センプウちゃんはエルフなんだよな?」
「あぁ」
センプウちゃんは銀髪をかき上げ、長く尖った耳を見せた。
「ゲリラ戦を得意とし、どんな動植物の住む環境でも適応し生存することのできる種族。それがエルフだ」
「うーん……俺の知っているエルフの特徴にしては物騒な単語が多いが、おおよそ俺の知っているエルフと同じだな」
「みんなこんなものだろう」
「それじゃあもう一つ。センプウちゃんはなんで俺を案内してくれるんだ?」
「それは当然。私も闘技大会に出るからだ」
それを聞いて俺は内心がっかりした。エルフは真正面から戦うと、拍子抜けするほどに弱い。そんなエルフが出る様な闘技大会に、俺と戦える者なんているわけがない。
そう思った俺は、大きなため息をついた。
「なんだ、今から闘技大会に出るのが怖くなったのか?」
「違う。俺を楽しませる者がいないんだろうと、落胆しているんだ」
「ほう。じゃあ少し手合わせしてみるか?」
「……俺の闘争に手加減の概念はないぞ」
それを聞くと、センプウちゃんは両腕をぐるぐると回し準備運動をし始めた。
「私もそんな概念持ち合わせていないとも。ただ弓を使うとつまらなくなってしまうから、今回は使わないだけだ」
「……後悔するなよ」
「あぁ、くれぐれも善戦しておくれよ」
俺はその言葉を聞くと同時に、黒装束の下から大きな翼を伸ばす。たった一度の羽ばたきで遥か上空まで飛び上がり、センプウちゃんを見下ろす。
「俺は音をも置き去りにする速さで飛ぶ事ができる。俺がこのまま地上に最高速度で落ちれば、それだけで高威力の質量爆弾となれるのだ」
「ふ〜ん。私は流石に飛べないなぁ」
肩越しに声が聞こえる。
振り返ると、翼の付け根にセンプウちゃんがしがみついている。
「いつの間に!?」
「私は空を飛ぶ事はできないけど、ジャンプくらいならできるかな」
「放せ! 降りろ!」
センプウちゃんを振り払おうと、手を乱雑に振り回す。何かを掴んだ瞬間に、俺はハッとした。こうやって考えなしに力を振るってきたから、俺と戦える強者も、俺と戦える強者を生み出すかもしれない文明たちを滅ぼしてきたんだと。
まるで走馬灯の様に今までの絶望がフラッシュバックする。
「おいおい、何を泣きそうな顔をしているんだ?」
センプウちゃんの声が聞こえる。
俺の手で触れれば即死、声を出す暇さえないはずだ。俺は声のした方を見る。そこには、薄い木の板で俺の手を受け止めるセンプウちゃんがいた。
「その手、あんまりいい思い出がなさそうだな」
「そんな、確かに触れたはず」
「一枚何か別の生命を挟めば、別に効かないようだな」
「そんな薄っぺらい木の板一枚……生命が宿っているわけ」
「こんな木の板一枚からでも、この植物は成長するんだよ。エルフの知識を舐めるなよ」
センプウちゃんはそう言って、俺に向かってニヤリと笑った。
それを見た俺はなぜだか心の底から安心し、体の力がゆっくりと抜けていくのを感じた。
地上に向けて真っ直ぐと落下しながら、木の板越しながらも初めて触れる人の感触に俺は温もりを感じていた。温もりというには、いささか熱い気もする。
「ちなみにこの木はヤブレカブレの木だ」
「またかぁぁぁぁぁぁぁ!!」
手の平から湧き出る熱さにも似た痒みに身を捩りながら、まだ見ぬ未知数の世界に心を躍らせる俺がいた。
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