しろつえのきみ
電車が大きくカーブすると、窓からは海と空が飛び込んでくる。
山の斜面に綺麗に並んだ桜並木はすっかり葉桜になったけど、春の景色は気持ちいい。
「亜美は部活、何に入るの?」
「まだ決めてないんだ。正直入らないかも」
「ええ~っ! 一度きりの高校生活で、帰宅部なんてもったいないよ~。……分かった! 亜美は私と同じ吹奏楽部に入るべき。普通科の人も入部受け付けているもん。うん、それがいい!」
「理沙ったら、もう……。私は正直あんまり部活に興味ないんだ。それに音楽の才能なんて無いし」
理沙は入学そうそう吹奏楽部への入部を決めた。母親が音楽教室の先生をしていることもあって、中学時代も吹奏楽部だった。典型的なサラリーマン家庭で育った私とは違って、幼いころから音楽の英才教育を受けてきた理沙が、高校でも音楽科にすすんだのはごく自然なことだと思う。そして私もごく自然に普通科を受験した。
中学校で部長まで務めた理沙は、音楽の先生になるのが子どものころからの夢だ。
学校の先生は大変だって聞くけど、理沙ならきっと自分の夢を叶えそう。なんとなくそんな気がする。
そんな親友の前で吊革につかまっている私は、自分の将来に対して何の展望も持ち合わせていない。
子どもたちのお世話が好きだから、将来は保育士を目指そうかな。
なんてぼんやりと考えることもあるけど、具体的なことまで深く考えている訳じゃないし。
「でもウチの学校、駅の近くで良かったよね。景色もきれいだし」
そう言って軽く髪をかきあげる理沙。サラサラのショートカットがキラキラしている。
なのに普段ほとんど手入れなんてしていないという。
それに比べて、私はロングの黒髪をどうにか保ってはいるけれども、どちらかといえば暗くくすんだ感じ。
明るい理沙と地味な私。
それは髪の毛だけじゃなくて、顔立ちも性格もそう。
幼いころから親友なのに、自分は理沙にとっての引き立て役かも。
なんて思って闇落ちしそうになることもある。
私は今まで男の子と付き合ったことも無ければ、告白されたこともない。
だけど、理沙は入学してまだ二週間しか経ってないのに、先輩から告白されたらしい。
私に相談するまでもなく、あっさり振ったという。後から聞いた。
そのとき、正直複雑な気持ちになったことは内緒だ。
親友同士なのに、なんて違いなんだろう。
「そういやさ、もうすぐ宿泊研修あるよね! 亜美と同じ班になれたらいいな」
「そ、そうだよね」
気付けば理沙の話に適当に合わせている自分がいる。
だけどこのすぐあと、私の中で革命が起こるほんのささいなきっかけがあった。
駅に着き、先を歩き出す理沙の後から電車を降りた私の目に、ひとりの男の子の姿が映った。
確かにその子は、背が高くてカッコよかったけれど……。
私の印象に残ったのは別の理由。
知らない高校の制服に身を包んだ彼は、母親とおぼしき女の人の肘をちょこんと掴んで、おぼろげな足取りで、ゆっくりとホームの階段をのぼっていたのだから。
◆
何事もなく平穏な四月が過ぎ、ゴールデンウイークが明けた頃、私は寝過ごして一本遅い電車に乗った。
何とか滑り込んだ最後尾の車両。駅について程なく、あの男の子をもう一度見た。
今日の彼は、駅員さんの肘を遠慮がちに持ちつつ、シルバーの杖で自分の足元をコツコツ探るようにしながらゆっくりと歩いていた。
翌日から私は、この一本遅い電車に乗るようになった。
理沙は朝練だし、同じ学校の子たちはもう一本早い電車に乗る。この電車に乗る人も少しはいるけど、みんな改札口に近い先頭車両付近に乗っている。
あの男の子は最後尾だから、私のことは誰にもバレてないはず。
◆
そして、六月にさしかかったある日。この日も私はいつもと同じ電車に乗り込んだ。そして、彼のことを見ていたのだが……。
電車を降りた彼の様子がおかしい。いつもなら、駅員さんが彼のサポートをしてくれるはずだけど、この日に限って誰も来ない。
ど、どうしよう……。
次の瞬間、私の胸の中で何かが弾けた。
「あの、すいません。お困りでしょうか?」
私は彼に駆け寄ると、駅員さんがしていたように彼の斜め前に立ち、肘を少し曲げる。
「ありがとうございます」
「ど、どうぞ」
男子と言葉を交わしたのはいつ以来だろうか。
彼はいつも、母親や駅員にしているように、私の肘を遠慮がちに掴む。遠慮がちな彼の指の感覚が伝わった瞬間、心臓が跳ね上がった。
「私、初めてですので、よろしくお願いします」
「はい、こちらこそ、お願いします。ふふふ……」
白杖を持った彼は、小さく返事すると何故か含み笑いを漏らした。
「あの、言葉かけはどのタイミングでしたらいいですか?」
「階段があるとき、なんか、はじめと終わりを教えていただけるとありがたいです。それから段差があるときも。あとは、なるだけ点字ブロックの上を歩かせてもらえれば」
改札まで案内すると、彼はペコリとお辞儀をして、白杖を頼りに、私の学校と反対側の道をたどたどしく歩いていった。
本当ならこんな背が高くてかっこいい人に声なんてかけられない。
だけど、困っている人がいて、尚且つその人からは地味な私の姿が見えないんだと思うと、自分でもびっくりするくらい積極的になれた。
家に帰ると、自分の部屋に籠り、通学電車の最後尾の車両から改札までの道のりを頭の中で思い描いてみたのだが。
(あ、いけない。階段が何段あったのかとか、点字ブロックのこととか、全然覚えてないや……)
この日から、ホームから改札までのひとりシュミレーションが、私の帰宅後の密かなルーティーンになった。
◆
「おはようございます」
「いつもありがとうございます」
その後も私は、毎朝一本遅れの最後尾車両に乗り込み、彼をサポートし続ける日々が続いた。
「お客様、大丈夫でしょうか?」
「はい、こちらの方に、手引きしていただいてますので」
駅員さんが丁寧に声をかけてくださるときもあるけれど、彼はきまって丁重に断ってくれた。
こんな自分でも人の役に立てている。私は、そんな充足感に包まれて幸せな気持ちになった。
「あの……帰りは大丈夫なんですか?」
「はい。帰りはいつも車なんです」
彼の話によると、帰りは近くで働いている母親がいつも迎えに来るので、電車には乗らないのだという。
母親という言葉を聞いて、なぜか私の心の奥がチクリとした。
◆
七月はあっという間に過ぎていった。
終業式の日、改札をくぐった後に彼から改めてお礼を言われた。
「一学期の間、いつもありがとうございました」
「いえ、そんな。たまたま電車に乗り合わせただけですから」
「え? 駅員さんじゃなかったのですか?」
「は、はい。すいません……」
「いえそんな。こちらこそ、失礼なことを」
どうやら、彼は私のことをずっと誤解していたようだ。
そして私は随分年上に思われていたようで、少しショックだった。
明日からは夏休み。みんなウキウキしている。私たち女子高生にとって、終業式を終えた帰り道は、この世で一番楽しいひとときに違いない。
ところが、私の心は皆とは裏腹にどんよりしている。
彼は夏休み中は、手術とリハビリがあるという。私は、とっさのことに緊張して、病院名を聞けなかった。それどころか、彼の名も聞いていなかったことに今更気付いた。
◆
ぽっかり空いた膨大な時間をSNSで埋めただけの夏休みが終わり、二学期の始業式の朝を迎えた。
「おはようございます」
「いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いします」
いつもの電車に彼がいた。
肘を曲げて手引きする私に、彼は今までになく沢山しゃべってくれた。
手術は成功して、リハビリも順調なこと。
病院に併設された学校に通っていること。
今着ている見慣れない制服は、着替える練習のため学校から借りていること。
などなど……。
久しぶりに会った彼は、いつもより明るく輝いて見えた。
そして、私はようやく彼の名前を聞くことが出来た。
『アキラ』くん……。
夢見心地の私に、アキラくんは衝撃的な言葉を告げた。
「実は、来月から学校に復学するんだ」
「え……」
思いがけない言葉。このとき、私の中で地球が止まった。
「そ、そうなんだ。良かったね」
作り笑顔の私の頬に涙が一筋流れた。
「亜美さんどうしたの?」
「へ?」
あまりのことに、自分でも相当間抜けな返事してしまった。
「そういや、コンタクトしてるって言ってたけど、目にゴミでも入ったのかな?」
「アキラくんの方こそ、何言ってんの?!」
「……あ!」
◆
この日、いつも別れる駅の改札横ではじめて二人で立ち話をした。
「黙っていてゴメン。実はリハビリが思ってた以上に順調なんだ。病院の先生も白杖は要らないだろって言ってくれてる。だけど急には不安だったから……ってのは半分は本当のことなんだけど……。今まで優しくしてくれた亜美さんと、このままずっと仲良くしたくて、そ、その……」
「え、そんな……。私はアキラくんが見えてないと思ってたから……」
「……だよね。今までゴメン」
そういって、頭を下げるアキラくん。顔を真っ赤にしてホントに申し訳なさそう。
そんな誠実な姿に、私の胸がキュッと締め付けられる。
「そんな、ずるいのは私の方なのに。……っていうか、アキラくんこんなにカッコよくて優しいのに……。ええっ! 私なんかでホントにいいの?!」
このときはあまりの衝撃で、全然気付かなかったけど、家に帰って頭を冷ましてよくよく考えてみると……。
九月に入ってから、私の電車の中の様子とかもバッチリ見られてたの?
思わず私は自分の部屋に鍵をかけると、密かに『アキラくん』と名付けたばかりの抱き枕を抱えてベッドの上を盛大に転げまわったのだった。
◆
「ねえねえ、亜美聞いた?」
「何~?」
昼休み、いつものようにお弁当を広げていると理沙が珍しく興奮気味に話しかけてきた。
「明日クラスに転校生が来るんだって! しかも背が高くて優しそうで……。狙ってる子、多いみたいだよ」
「転校生か? ふううん……」
「何だか興味無さそう。職員室でちらっと見たんだけど、亜美の好みのタイプだったんだけどなあ」
そう言って残念そうな顔をする理沙。
そして翌日……。
「初めまして。今日から復学する山本明です。よろしくお願いします」
女子たちの無言の歓声に包まれながらアキラ君はペコリ頭を下げると、私にだけに視線を合わせ、にっこりと微笑んでくれたのだった。
◆
「あっ、明くん!」
「亜美さんお待たせ」
お付き合いすることになった私たちは、毎日待ち合わせて登下校するようになった。
たわいないおしゃべりをするだけなのに、どうしてこんなに楽しく幸せなんだろう。
なのに……。
「なんだか最近の亜美さん元気ないよね」
「えっ、そ、そんなことないよ。明くん気のせいだって」
中学時代サッカー部のキャプテンだった明くんは運動神経抜群。体育祭でもリレーのアンカーを務め、先頭でゴールテープをきった。
女子たちのキャーキャーという大歓声に笑顔で手を振る明くん。
私も全力で声援を送ったが、胸が締め付けられる気持ちになった。
そしていつしか私の耳にこんな声がはいってくるようになった。というより、故意に私に聞こえるように話しているみたいだ。
「山本君、なんで部活に入んないのかな」
「何でも間違ってボールとか目に当たったらヤバいから帰宅部なんだって聞いたよ」
「ええ~っ、私は彼女のせいとか聞いたけど」
「あの『地味子』が? まぐれで彼氏ができたからって調子乗ってんじゃないの」
「ほんと、あの子ムカつくよね」
「リレーでも、陸上部の先輩に競り勝ってたじゃない。せっかく才能あるのにずっと『地味子』と一緒なんて、山本君がかわいそうだよ」
こうして体育祭が終わってから、私は一部のクラスの女子たちから陰湿ないじめを受けるようになった。
◆
「まただ。亜美さんやっぱり浮かない顔してる」
「……」
ここ最近、明くんから頻繁に聞かれるようになった。私ももう限界で、正直に打ち明けようと思ったとき、言葉より先に涙が流れた。
親友の理沙には、大丈夫だと伝えている。誰にも打ち明けられず私の心はパンクしそうだったのだ。
「ごめんね、明くん。私がこんな地味な子で」
明くんはだまって私の話を最後まで聞いてくれた。そして……。
「俺、覚悟を決めたから」
「覚悟? どういうこと?」
◆
翌週、総合学習の時間を使って文化祭の出し物についての話し合いが行われた。
私たちのクラスは劇をすることが決まっており、今日は配役についての話し合いである。
「やっぱ主役は山本君しかないよね」
「そうそう舞台で映えるのは背が高くて華のある男子がいいよね」
クラスの女子たちは、何日も前からこんな話で盛り上がっている。しかも、山本君がいないときを見計らって私に聞こえるように話すのだ。
「ねえねえ、主人公が山本君なら、ヒロインは由香子が良くない?」
「そうそう。由香子は美人だしスタイルもいいし」
「ええ~っ、彼女に悪いじゃない」
「そんなことないって。由香子ならいけるよ」
「大体、あんな地味子に山本君はもったいなさすぎるって」
「なんの権利があって山本君を独占してるのよ」
「この際、山本君のこと奪っちゃえば?」
「きゃーっ」
「賛成~‼」
私の教科書を隠したりノートを破ったり。
証拠はないけど散々嫌がらせをしてきたのはこの由香子たちだと思う。
この前も偶然をよそおって階段でわざとぶつかってきたし。
教科書は隣の明くんが机を寄せて見せてくれたし、ノートも明くんが見せてくれた。階段でもとっさによろける私の手を取って助けてくれた。いじめのことを告白してから明くんは以前にもまして私の傍から離れなくなったのだ。
にもかかわらず、嫌がらせが裏目に出た由香子たちは、明くんを奪うつもりらしい。
◆
劇の主役は由香子たちが明くんを推薦し、圧倒的多数の賛同を得た。
「では、主役のロディオは山本明君、ヒロインのフミは一条由香子さんでよろしいですね」
「ちょっと一言よろしいでしょうか」
クラス委員の言葉を遮るように明くんが声をあげた。
「この度の文化祭のクラスのテーマは友情・笑顔・団結です。ところが最近、クラスの一部の人たちによって、これに反することが行われています。自分はこのままなら文化祭を辞退するべきだと考えます」
教室がざわついた。
「辞退なんて言う以上、山本君には詳しく説明して欲しいと思います」
「はい……。具体的に説明しますと、体育祭が終わってから、クラスに陰湿ないじめが発生しています。ここ一週間で自分が確認した事実ですと、クラスのある人に対して、教科書がゴミ箱に捨てられていたこと、ノートが破られていたこと、階段から突き飛ばされたことなどを確認しています」
明くんの言葉にざわついていた教室は水を打ったようになった。
そのまま、重苦しい沈黙がいつまで続くのだろうと、みんながじれじれしていたとき、由香子がおもむろに立ち上がって口を開いた。
「私には、ヒロインの資格はありません」
◆
文化祭では、私たちの劇は大盛況に終わった。その笑顔の中心にいるのはもちろん明くん。
いつものことだけど、照明係だった私とは対照的だ。
「よし、劇の大成功を祝して胴上げしようぜ」
「おっ、いいね!」
「まずは主役からだろ。山本来いよ」
皆から胴上げされる明くん。その後も舞台に立った人たちが次々と胴上げされていった。
そのとき。
「きゃっ!」
私は不意に肩を押され、前によろけると、そのまま腕を引っ張られた。
「亜美ったらこんな時、何遠慮してるのよ」
「そうそう、彼氏の活躍を彼女が祝わなくてどうするの」
「皆さん、次は裏方で頑張った人たちも胴上げしましょう」
もじもじしていた私の背中を押してくれたのは由香子たち。
私はそのまま明くんの前まで連れてこられた。
「あ、明くん。お疲れ様」
「何言ってんの、お疲れ様なのはお互い様だろ」
「そうそう、亜美ったら山本君へのスポットライト完璧だったよ」
そう言ってヒロインの理沙はいたずらっぽく笑った。
「ロディオ役の山本君がかっこよすぎて、このまま奪っちゃおうかな~。なんて」
「そんなの、絶対にダメ~っ‼」
「…………」
「…え? え? 私ったら……」
理沙の言葉を聞いて自分でも信じられないくらい大声で叫んでしまった。
冷静に考えれば冗談に決まってるのに、私ったらなんて恥ずかしいことを……。
「ヒューヒュー、お熱いことで」
「裏方さんの胴上げ第一号は決まりだな!」
「山本も照れてないでこっち来いよ。お前の大切な彼女を胴上げするぞ」
「わかったよ。だけど男は亜美に触れることを禁止する!」
「Boo~‼」
こうして男子たちに囃された私は、クラスの女子たちの手で何度も宙を舞ったのだった。
◆
「いやあ、今日は本当に楽しかったよな」
「うん。明くん、本当にありがとう」
「いや、俺の方こそ嬉しかったよ」
「え? 何のこと?」
「だってさ。普段大人しい亜美があんな大声で……」
「は、はうう……」
思い出すだけで顔から火が出そう。
思わず背を向ける私の背中を明くんの腕が優しく包んでくれた。
明くんの胸がくっついている。
あたたかい。
……え?
背中越しに、かすかに脈を打っているような感じ。
これって明くんの心臓の鼓動なのかな?
「亜美」
明くんは私を前に向かせると、顎に手を指し伸ばした。
真剣な目つき。
いつもより何だか少し強引な明君に私の心臓は、今にもはち切れそう。
「好きだ。これからもずっと俺の傍にいてくれないか」
「うん。私は絶対に離れな……っ」
明くんの唇にふさがれて最後まで言えなかったけど、私の思いはちゃんと伝わったみたいだ。
おわり
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