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猿の章

   フェイズ1


   ☆1☆


 気がつくと、ぼくは暗闇の原っぱに放り出されていた。

 空を仰ぐと、糸のように細い月が、微かに光を投げている。

 月が二つ有るから、完璧に異世界だ。周囲にゲートのような物は…ない。

「行きは、よいよい…帰りは、なんとやら…って事か…」

 暗闇に目が慣れた頃、夜空で派手な轟音が炸裂。

 空間がひび割れ、裂け目から雷華が降ってくる。

 猫の俊敏さで体を捻り、ドロップキックよろしく、ぼくに体当たりをかます。

 ゴロゴロ。原っぱを転がるぼく。

「って!? 何で雷華がここに?」

「〈門〉が閉まる前に〈豪雷〉で無理やり血路を開いたのだ! まったく君は! 一人でなんとかしよう…とか思う前に! 二度と勝手に何処かに消えない! と…わたしと約束した事を思い出して欲しいな!」

「そういえば、そんな約束もしたっけ。でも、緊急事態だし、まわりを見ればわかると思うけど、帰り道はなさそうだよ、ここって。そんな所に女の子を一人で行かせるわけにはいかないな、男としてはさ」

 むぅ とか雷華が唸る。

「にしても、ここって…なんか…」

「なんか? なんだ?」

 似ている…と、言いかけて、ぼくは言葉を飲み込む。

 雷華の斜め後方に、音もなく少女が現れたからだ。

 少女がゆっくりとこちらに近づく。

 ぼくの動揺を感じ取り、雷華も後ろを振り向く。

 少女との距離は約五メートル。

 雷華が少女に声をかける。

「わたしは猿風雷華。うしろにいるのはオマケの星図。〈大聖〉の称号を得る為に、この世界へとやってきた。恐らくお前は、この世界の案内人か何かだろう? なら、これからわたし達がどうすればいいか、教えて欲しいな」

 少女の服装は、香港のカンフー映画でしか見ないような、宮廷女官風のゆったりした服だ。

 裾の広がった袖から、紙と筆を取り出し、サラサラと走り書きをする。

 漢字で書かれた文章を雷華が読み上げる。

「『我が名は蛾雅(ガガ)…案内人にして、第一の関門。我は猴皇(こうおう)様…百八の分身が一つ。貴殿らは猴皇様の創造されたこの世界、〈猴仙界(こうせんかい)〉において、先ずは我を倒し、さらに、残った百七の分身、全てを倒すべし。全ての分身を倒した暁には、猴皇様への御目通りが適おう。称号を与えるか否か…それは全て、猴皇様の御意思次第。他に質問は? 在りや無しや?』」

 雷華にこっそり問いかける。

「猴皇って? 何?」

 雷華が眉を顰め、小声で解説。

「アジア一有名なお猿さんの別の呼び名だ」

 雷華が蛾雅に、

「わたしは百八匹もの猿と、じゃれあっているほど暇じゃない。刀火と蘭花が首を長くして、わたしの帰りを待っているのだ。早いとこ称号をもらって、二人を助けに行く」

 蛾雅がさらに書く。

「『問題無し。〈猴仙界〉の時間の流れは、元の世界の二十四分の一。二十四年修行しても、元の世界では一年しか経たない』」

 雷華が、

「というか、半年…いや、三か月。出来れば一か月。うむ、そんなところだ。お猿さんと戯れる時間はな、それ以上時間をかける必要はあるまい」

〈猴仙界〉の時間の流れは、元の世界の二十四分の一。

 ぼくはこの世界の時間の流れに、引っかかるモノを感じた。

 それって、もしかして…。

 蛾雅が、さらに紙を突き付ける。

「『他に質問は?』」

 ぼくの疑問を遮るように、雷華が蛾雅に詰問、

「桜夏母さんについて知りたいな。わたしが来る前に、この〈猴仙界〉を訪れた者だ。何でもいい。知っている事が有れば、教えて欲しい」

「『桜夏は我を倒し、この世界の先へと進んだ。さらに知りたくば、我を倒し、自身の目で確かめるがよい』」

 雷華の瞳が獣じみた輝きを放つ、

「望むところだ!」

 好戦的な肉食獣の瞳。

 対する蛾雅は虚空を静かに見つめ、無表情に筆を走らせる。

「『貴殿らの光は弱々しく、我と戦うには不十分』」

 バサリ! 蛾雅の足元に巨大な紙が敷かれる。

 ほっそりとした指先が、突然出現した巨大な筆を両手で握り、巨大な文字を書きつける。

「『猿』?」 

 読み上げる雷華も疑問符付き。

 ただ一文字〈猿〉としか書かれていないからだ。

 パンッ! 蛾雅が両手を合わせ、柏手を打つ、

「起きよ!」

 蛾雅が初めて声を震わす。

 鈴のように凛とした声音が、草原に響き渡る。

 同時に巨大な紙が、いや、文字そのものが震え、音もなく文字が起き上がる。

 ノソノソと動きまわる。その動きは、まぎれもなく〈猿〉そのものの動きだった。

 蛾雅が普通サイズの紙に書く。

「『貴殿らの相手は、この〈猿〉の一字で十分』」

 雷華の顔が怒りに震える。

「この、わたしに…文字の〈猿〉を相手に、戦え…と?」

「『(そう)』」

 雷華が動く。

 蛾雅が後方へ姿をかき消す。

 かわりに〈猿〉が雷華の前に立塞がる。

「文字〈猿〉の分際で!」

 雷華の手刀が青白くスパーク。

「〈雷刃〉!」 

 手刀を振り抜く。

 雷を纏った刃を〈猿〉目がけて解き放つ。

 しかし、〈猿〉は、飛来する〈雷刃〉を避けず、〈猿〉も手刀らしき部分から青白い光を放つと、バギンッ! 〈猿〉の〈雷刃〉が、雷華の〈雷刃〉を粉砕。

 あきらかに威力が上だ。

 逆に〈猿〉の作った〈雷刃〉が雷華に迫る。

「このっ! 猿真似〈猿〉が!」

 危うく回避。

 すかさず雷華の両手から青く輝く双剣が伸びる。

「〈雷刃剣〉!」

 ヴォンッ! 双剣が閃き、雷華が突進。

〈猿〉が超・乱舞気味な雷華の双剣を読んで字のごとく紙一重でかわす。

「ぬう、デカ文字のクセにちょこまかと!」

「雷華! あれ!」

 ぼくが声をあげる。

「!」

 雷華の瞳が驚きに見開かれる。

〈猿〉の広げた両手から、青く輝く双剣〈雷刃剣〉が伸びる。

「ちっ! どこから、どこまでも、わたしのマネをして! よかろう! 二度も猿真似が通じるか、試してやる!」

 結果、ことごとく技を真似され、しかも威力では〈猿〉の方が勝り、雷華の打つ手がなくなる。

 ジリ貧の雷華に〈猿〉がトドメとばかりに襲いかかる、

 パンッ! 草原に再び柏手が鳴り響き、

「戻れ!」

 蛾雅の鈴のように稟とした声が、再び草原に響く。

〈猿〉の体? が、グニャリと歪み、紙の中へと吸い込まれる。

 今は、ただの文字だ。巨大な紙をクルクルと巻き、脇へ挟んだ蛾雅が、別の紙に書きつける。

「『今日はここまで、続きは明日』」

 最初に現れた時と同じように蛾雅が音もなく姿を消す。

 ドガッ! 雷華が拳を草原に叩きつけ、

「くそっ!」

 と、激しく罵る。

 慰めの言葉もなく、ぼくは夜空を見上げた。

 二つあった月の片方が、微かだけど、ほんの少し、輝きを増した気がする。


     ☆2☆


 蛾雅が去ると、夜空が白み始め、周囲が見渡せるようになる。

 ぼくと雷華、二人で草原を調べる。

 少し歩くと小さな小屋があった。

 中を覗くと、狭いながらも仕切りがあり、二人が寝起きするには十分なスペースがある。

 しかも、生活必需品が一式、揃っている。

 雷華が皮肉めいた口調で、

「まさに、至れり、尽くせり、だな」

 迷いも、躊躇もなく、ベッドに倒れ込む雷華。

「わたしは夜まで、一眠りする。恐らく、奴が再び現れるのは、夜になってからだ…」

 そう言い残し雷華が眠りにつく。

 二つの月が夜空に浮かぶ頃、雷華の言った通り、蛾雅が音も無く現れ、〈猿〉を再び呼び出す。

 雷華と〈猿〉の激しい戦いが始まる。

 けど、その夜も〈猿〉の方が、少しだけ雷華の力を上回り、始終〈猿〉に押されっぱなしだ。

 幾日かそんな日々が続く。

 蛾雅は毎晩、夜になると現れ、雷華が〈猿〉と戦う。

 常に〈猿〉の方が一枚上手で、一歩リードされる。

 完全に不完全燃焼気味な戦いだ。

 ある晩、ぼくは二つの疑問を雷華に尋ねた。

 一つは戦いとは全然関係ない素朴な疑問。

「ぼくたちって〈猴仙界〉に来てから、飲まず食わずで、もう一週間ぐらい経つけど、何で、お腹が減らないんだろう?」

 雷華いわく。

「仙人は霞を喰う…というからな。というのは冗談だが、ちゃんと説明するとだな、ここの大気は微妙に仙気が混じっている。仙気の成分には、体を維持するのに必要な水分と栄養素が含まれている。つまり、〈猴仙界〉にいる限り、わたし達に飲み食いする必要はない。という事だ。しかし、小屋には釜戸もある。井戸もある。ちょっとした食材もある。料理を作ろうと思えば、簡単に作れる。それは、恐らく、精神的な面での、食事という行為を必要とする者の為に用意してあるのだろう。わたしは、ここにハイキングに来たわけではない。なので、食べる必要がないなら、あえて食べない。わたしは戦いに専念する。ただ、睡眠だけは、そうもいかないらしい」

「それで、ぼくが料理を作ろうとすると、いつも止めてたんだ。あと、もう一つ、一週間ぐらい経って、雷華の力が上がっている気がするけど、〈猿〉も強くなっている。蛾雅が〈猿〉を強化している感じはないし、何で〈猿〉の力が常に力が上なんだろう?」

「それは…わたしにもわからない。戦い続ければ、そのうち、わかるんじゃないかな? たぶん」

「たぶんって…〈猿〉が強くなる秘密がわからないと、ずっと、このまま平行線かもしれないのに」

 雷華が眠たそうに答える。

「わたしは理論派じゃない。実践派だ。戦いながら考える。奴がまた来る頃になったら、おこしてくれ…星図…」

 そのまま眠りに落ちる雷華。

 ぼくは、〈猿〉の強さの秘密が気になって、どうにも寝つけなかった。

 カサリ…外から草を?き分ける音がする。

 雷華を起こさないように、ぼくは静かに小屋を出た。

 小屋の外に蛾雅が立ち、唇に人差し指を当てる。

 声を立てるな、という意味だ。

『雷華は寝たのか?』

 という意味に取れる漢文を、ぼくに見せる蛾雅。

 ぼくが首を縦に振ると、さらに筆を振るい、

『〈猿〉の強さの秘密、その答えを貴殿に教える事は出来ない。何故ならそれは、猴皇様が編み出した〈猴仙術(こうせんじゅつ)〉の秘密でもあるから、けど…』

「〈猴仙術〉?」

 ぼくが呟くと、蛾雅が首肯。

『答えは、自身で見つけなければ意味かない。他者に教えられて身に付く程〈猴仙術〉は甘くない。焦って先に進もうにも、付け焼刃では、始めの一歩すら踏み出せない。驕り、昂り、自尊心。驕慢、怠惰、誤った誇り。これら全てを一切捨て去り、地道に努力する以外〈猴仙術〉を極める術はない。けど…』

 夜空を見上げる蛾雅、二つある月のうち、一つはすでに満月だ。

『桜夏の目に狂いなし。雷華は、それらの資質、才能、全てを備えている。雷華の放つ光り、輝きは、日々、着実に増し、今は充分に満ちている。ゆえに、答えを教える事は出来ない…けど…』

 蛾雅が小屋に静かに歩み寄る。

『ヒントは必要』


     ☆3☆


 わたしの視界一杯に乳白色の霧が広がっている。

 草を?き分け、踏み入る際に、足元ぐらいは視認出来るが、それより先は全く見通しが利かない。

 何故かわたしは、濃霧の中をフラフラと彷徨っている。

 朝露をたっぷりと含んだ草葉の中を歩いたせいで、太モモから下は、靴の中から靴下まで見事にびしょ濡れだ。

 スカートまで濡れていないのは、唯一の救いか…と、少し安堵する。

 下半身ズブ濡れの美少女わたしを星図が見たら、さぞかし欲情するのは大いに間違いない…というか、肝心の星図はどこだ? わたしは確か、小屋の中で寝ていたはずではないのか? そもそも、わたしはどこに向かって歩いている? 何故、こんな場所をフラフラ彷徨っているのだ? 記憶を探るが一向に思い出せない。

 濃霧の草原を目的も無しに徘徊する。

 など絶対あり得ないはずなのだが。

 わたしが思案に耽ると、目の前を横切る物がある。

「何だ?」

 濡れた草にペタリと、それが張り付く。

 くっ付いたそれを手に取り調べると、

「桜…か?」

 それは桜の花弁だった。

「今は秋のはずだが…〈猿仙界〉に季節は関係ない…という事か?」

 わたしの視界の先に再び桜の花弁がヒラリと舞い落ちる。

「誰かが、わたしを呼んでいるのか? それなら迷う必要はない。道案内してくれるなら、助かるというものだ。なにしろ、わたしは急いでいるのだから」

 わたしは桜の花弁の舞う方向へ向かい歩き出した。


     ☆4☆


 ほどなくして、わたしは桜吹雪という言葉がピッタリ当てはまる場所に出くわす。

 ゆるやかに傾斜した小高い丘。

 その頂上付近に、見上げるような巨大な桜が根を張っている。

 ゴツゴツしながら、うねる様に伸びる幹の太さは、優に十メートルはありそうだ。

 高さに至っては…、

「霧に霞んで、良く見えないが、三十メートル以上はあるか?」

 桜吹雪と霧に視界を奪われながら、巨大な桜の全容を見渡すべく、わたしが首を廻らすと、

「まったく、まだまだ勉強が足りないな、雷華。桜といえば春。春といえば春霞。春に生じる霧の事は、霞と呼ぶのが正しい呼び名で、それこそ古式ゆかしい、日本古来の美しい呼び方だ。ちなみに、秋の霧は、普通に霧と呼ぶ。とはいえ、現代においては、春も秋も、霧と呼ぶから、情緒に欠ける、まったく嘆かわしい、言葉の単細胞化と言えよう」

 とか言いながら、一人の少女が、桜の枝に寄りかかり、といっても、地上十メートルぐらいの高さで、だが、腕組みしつつ、ウムウム頷いている。

 少女は黒地のセーラー服を着ていた。

 襟にはピンクのラインが入り、胸元のリボンもピンク色。

 スカートは標準的なひざ丈サイズ。

 渋いのか可愛いのか、いまいち、判然としない微妙なデザイン。

 少女の容姿について述べると、目鼻立ちは、まあまあ整っている。

 眠たげな、猫みたいに細められた瞳。

 ツルスベの、赤ちゃんみたいに柔らかそうな頬。

 艶と潤いのある、淡い桜色の唇。

 同じ桜色のフワッフワの髪。

 小柄でほっそりとした手足。

 そのくせ、出ている所は出ている。

 というベビー・フェイスに釣り合わない、抜群のスタイル。

 うぬぅ、なんかこう、ムカつくな。

 何か言ってやろう、

「わたしと年齢はそう変わらないのに、妙に理屈っぽい女だな。というか、貴様は誰だ? 何故、わたしの名前を知っている? ここはどこだ? ついでに、星図はどこだ?」

「ドゥッ!」

 えっ!? 少女が奇声を発し、地上十メートル近い枝から飛び降りた。

 普通死ぬぞ。

 が、空中で猫みたいに器用に三回転、体を捻りつつ、わたしめがけてキック! え!? ドガッ! 地を割る音とともに巻き上がる土煙り。

 わたしはかろうじて少女のキックをかわした。

「な! な?」

 何て女だ! 滅茶苦茶だ! 土煙りの中から少女が立ちあがる。

 やはり死んでなかった。

 こちらへ向かって来る。

「にゃぎゃっ! うぅっ!」

 わたしは思わず悲鳴を漏らした。

「どうした雷華? 珍妙な奇声を発して?」

「いや、おまえも発しただろ! わたしは悲鳴だし! というかっ! そうじゃなくて! な、何だお前! そ、その姿は! 一体どうして? 地面に激突したせいか? それとも…これは、何か、の、悪夢、か?」

「まるで私が変な生き物か何かになった、みたいに言ってるな。変に誤解を招く、おかしな事を言う奴だ。私は何も変わってないぞ。いつも通りセクシーで抜群のスタイルじゃないか。よく見てみろ。うむ、自分で言うのもなんだが、うっとりする程ナイスバディだ」

 少女が自分の体を繁々と見回す。

 自身の変化に気づいていない? 無自覚? それとも無神経? どっちにしろ、

「だって…桜の枝にいた時は、もっとこう…スラッとして、手足もほっそりとして、そもそも八等身あって…」

「一体何を言っているのだ? 私は元から二等身! じゃないか! あれだな、下から見上げたせいで、つまりは、広角…いわゆる、パースが付いたせいだな。それで変に見えたのだ。ようするに、目の錯覚だ。あまり気にするな。それに手足だって…充分、ほっそりしてるじゃないか! まるで…針金みたいに!」

「ほっそりしすぎだろ! それにパースって…そういう物じゃあないはずじゃ…」

「雷華。お前はあれか。いわゆる、見た目で人を判断するという、最低なタイプの奴か? 私が急に綺麗になって、もう相手をしたくないって奴か!」

「ちげぇーよ! 二等身は綺麗とか、そういうレベルじゃないよ!」

 もはや人間ですら…。

「神のごとき美しさか、ふふ、美しさも罪だな。猿風 桜夏とは本当に罪な女だ」

「はああああっ!? い、今なんて言った!?」

「だから、罪作りな物だな! 神クラスの美しさは!」

「そこじゃなくってえっ! 名前! 名前だよ! お前の、な・ま・え!」

「あきれた娘だな。名乗るとか以前の問題じゃないか。自分の母親の顔を忘れてしまうなんて…あきれたものだ。最後に会ったのが十五年前だから忘れるのも無理はないか。ああ、そうか、そうだった。すっかり忘れていたが、今の私は、十七歳…という設定だった。昔の私を雷華が知らないのも無理はない。どういうわけか、当時の写真をことごとく水薙が破棄したからな。一番可愛い時代の写真なのに、まったく勿体無い」

「母親の顔ぐらいは、少しだけ覚えている。写真だって少しはある! けど、ありえないから! こんな二等身の妖怪少女じゃなかったから! しいて言えば、桜の枝の上にいた時は…ちょっとだけ…母さんに似ていた…かも…」

「失礼な! 『かも』とは何だ! 『かも』とは! 実の母親に向かって! まったく、久しぶりに再会したというのに、酷い言い草じゃないか。だが、私は正真正銘、混じりけ無しに、おまえの母親、猿風 桜夏なのだ。そうだ雷華、なんなら写メでも撮って、水薙に送ってみるがいい、懐かしさの余り、号泣する事間違いなしだ!」

「認めない…お前が、わたしの母さんだなんて、絶対認めない! わたしの母を騙り、愚弄する…お前を、わたしは絶対許さない! これが悪夢なら、お前を千万回でも八つ裂きにしてやる!」

 バヂッ! バヂヂッ! わたしの体内を怒涛の如く雷が駆け巡る。

 まだ〈猿〉におくれを取っているとはいえ、日々成長しているのだ。

 こんな二等身の、ギャグ漫画じみたデフォルメキャラに…ふざけた妖怪少女に、負けるわけがない。

「ほ~う、その様子だと、どうやら水薙は、おまえたちに、キッチリ修業を施したようだな。感心、感心。それじゃ、ちょっとだけ遊んであげようか? なんなら、会えなかった十五年分、まとめて遊んであげてもいいぞ」

「…ぶっ飛ばす…」


     ☆5☆


 格好よく啖呵を切ったはよかったが、結果は惨敗だった。

 自称桜夏も〈猿〉と同じように、わたしの技をほんの少しだけ上回る力で簡単にいなし、結局、力尽きたわたしは、巨桜の下で大の字になって、ただ横たわっていた。

 まったくもって不甲斐無い。

 周囲の草原には、クレーターのように巨大な大穴が幾つも穿たれ、焼け野原みたいに、根こそぎ草葉がなぎ倒されている。

 桜夏が針金みたいな腕を組みニヤニヤしている。

 悔しいが返す言葉も無い。

「筋は悪くないが、小技に頼りすぎているな。それじゃあ宝の持ち腐れだぞ。雷華」

「筋が良くても、負けは負けだ」

 わたしは負けを認めた。

「私はお前と勝負する為にここへ来たわけじゃない。お前の力になる為にここへ来たのだ。あっさり負けを認めて、あっさり諦めてもらっては、困るな」

 チンチクリンが何か言っている。

「その様子では、お前は私の言う事が信じられないようだが…まあいい。ちょっとした悪夢だと思って、黙って聞け」

「悪夢である事に違いはない」

 わたしが言い返すと、ちんちくりんがニヤリと笑みを浮かべ、うんちくを語りだした。

「そもそも…仙術とは何だ? 雷華?」

「東洋においては、いわゆる〈気〉を用いて〈丹〉を練る事、西洋においては〈霊性〉を高め、〈霊力〉を駆る事、その力で、洋の東西を問わず、術式を展開、超常現象、物質化現象を起こす術の事を…」

「それは、仙術・魔術の概念的な理論だな。私が聞いているのは、もっと、根源的な事だ。質問を変えよう、〈気〉や〈丹〉を練るのは、〈霊性〉を高め、〈霊力〉を駆るのは、何故だ?」

「原子や原子核は、現代において最小の単位とされる存在だが、実は、さらに最小の構成要素である〈波〉が存在する。〈気〉や〈丹〉を練る。〈霊性〉を高め、〈霊力〉を駆る、事で人はその〈波〉を操る事が出来るようになる。さらに、〈波〉に似た要素〈疑似波〉を創り出し、実際の物質と同じように…」

「正解だ。ところで、人は〈気〉や〈丹〉を練らなくとも、自身の〈波〉を操っている。それは何だ?」

「それは、つまり、〈心〉と〈体〉の事だな…」

「その通り。生き物は全て〈心〉を持ち〈体〉という自身の〈波〉を操つる。しかし〈体〉という制限がある以上〈波〉を操る力〈心〉にも限界が生じる。スポーツ選手や武道家は〈体〉という制限の中で、限界まで〈波〉を操る力、〈心〉を鍛える。仙術や魔術は、術式を展開する事で〈心〉をさらに開放。〈体〉の限界を超え、〈波〉および〈疑似波〉を操るわけだ。が…それに限界は無いだろうか?」

「修行と鍛練を続ければ…限りは、無いはず…」

「ブ―。当たりだけど、外れだな」

「どっちだっ!?」

「術者には〈心〉という制限がある。たとえ、どんなに優れた術式を展開しようと〈心〉という制限を超えて〈波〉および〈疑似波〉を操る事は出来ない。より正確に言うなら〈心〉を開放する能力に限りが有る。という事だ。〈疑似波〉を一度に創り出す際の質・量にしても、やはり術者の〈心〉という制限が働く…つまり、限界がある」

「だから、その〈心〉を鍛えれば、いずれは…」

「いずれは強くなる。確かにその通りだ。だからこそ、当たりだけど、外れ…と言った。〈心〉を強くするには、何年も…いや、何十年もの修行が必要になる。だが、お前が生きているうちに、どんなに鍛錬を積もうと、〈猿〉に勝つ事はおろか、〈幻龍族〉に勝つ事すら不可能だ。肉体的にも精神構造自体にも大きな違いがある。という事だな。つまり、普通のやり方で追い付くのは、夢のまた夢…という事だ」

「うぐ…ならば、どうすればいい?」

「雷華…〈雷刃剣〉を一振り出してみろ」

 わたしは言われた通りに〈雷刃剣〉を造り出す。

「振ってみろ」

 言われた通りに振ってみる。

「それが、今のお前の限界だ」

「何が言いたい!?」

「〈雷刃剣〉!」

 ちんちくりんが〈雷刃剣〉と、そっくり同じ物を創る。

〈猿〉真似か?

「つまりは、こういう事だ」

「む!?」

 言うなり、ちんちくりんが自身の〈雷刃剣〉を、わたしの〈雷刃剣〉と重ねる。

 わたしの〈雷刃剣〉の輝きが増し、刀身が倍になる。

「な…だけど…これを、振るう事が? 出来るのか?」

「振ってみれば、わかるさ」

 わたしは新たな〈雷刃剣〉を振ってみる。

 先程とは段違いの扱いやすさ。

 剣が自ら切っ先を求めるような、体との一体感。

 呼吸をするように剣を振る事が出来た。

 恐らく、威力のほうも…。

 「今は私が半分制御している。が、制御だけなら〈紙鬼神〉にも十分出来る。制御を〈紙鬼神〉に任せれば、今のお前でも、この剣を操る事が出来る。この剣は今、刀身も威力もさっきの倍になっている。組み合わせ次第では、さらに強力な剣になる。〈猴皇〉が〈猴仙界〉なんていう、とんでもない世界を、どうやって創造したのか? なんで百八もの分身がいるのか? その理由が、少しはわかったか?」

 わたしは驚きながらも、素直に頷いた。

 ちんちくりんが笑った。

「お前は、よくやってるよ、雷華。純粋な力では刀火に及ばず。技の繊細さでは蘭花に及ばず。何事も器用にこなすが、いまいち方向性がはっきりしない。器用貧乏とでもいう奴か。だがな、雷華…もしも、お前の、その力が…ただ一つに、ただ一点に、収束したならば、お前は誰よりも強くなる。小さな才能が…か細い糸屑の寄り合わせに過ぎないとしても…全ての糸屑が、一つにまとまり、一糸乱れず、ただ一筋に収束したならば…その糸は、数十トンの鉄塊でさえ持ち上げる、鋼糸(ワイヤー)のように強靭な…鋼の綱となるだろう。たとえ、天賦の〈才〉があろうとも、磨かぬ〈才〉なら、やせ細り、いつしか枯れ、朽ち果てる…が、雷華。磨き抜かれたお前の〈才〉…見事、開花したならば、それは決して枯れる事なき、永遠に湧き出る泉のごとき〈才〉となろう! その日が来るのが楽しみだ! また、いつか会おう! 雷華! その日まで…息災でな!」

 ザアッ! と、旋風が桜の花弁を舞い上げる。

 猛烈な桜吹雪の中、霞むように桜夏の姿が掻き消える。

 最後に見た少女の姿は…まぎれもなく…あの巨桜の枝の上にいた時と同じ、美しい少女の姿で…。


     ☆6☆


「…という、夢を見た」

「えっ! 夢落ちなのっ!」

 雷華が目を覚ますなり、ぼくに食ってかかるように喋った内容は、すべて夢のあらましだった。

「夢でも何でも構わない。とにかく〈猿〉に勝つヒントを教わったのだから、今すぐにでも奴と戦うぞ! そして、〈猿〉に勝ったら、次は蛾雅と戦うのだ!」

 小屋を飛び出そうとする雷華の背後から、ぼくが呼びかける。

「ちょっと待って、雷華!」

「何だ? 星図? 人がやる気になっているのに!」

「あのね、戦いに行く前に、顔を洗った方がいいと思うよ…その…」

「何を言うのだ! 星図! 顔を洗って出直して来いとでも言うのか!」

「いや、そうじゃなくて」

 ぼくは、自身の額を指さすと、次に雷華の額を指さした。

「わたしの額が…何だ?」

 雷華が手鏡を取り出し、自身の額を確認する。

 その額には、

 猿風 桜夏、

 の四文字が墨で書かれていた。

 文字を見た途端、雷華が全てを悟り、体を震わす。

 青白い顔をぼくに向ける。

「つまりは…あの夢は、全て蛾雅の仕業…というわけだな…星図…」

「いや、蛾雅がね、雷華にもヒントが必要だって…」

「それで、わたしの寝込みを襲い、額に悪戯書きをしたわけだ? それを君は、黙って見過ごしたわけだ?」

「それは、その…でも、せっかくヒントをくれるって言うしさ…」

「蛾雅の奴め! 敵に塩を送ったつもりか! いい気になるなよ! ヒントは貰っておくが、だからといって、わたしは一切、手加減するつもりは無いからな。ただ…ちょっと、だけだが…蛾雅に…感謝している…」

「そうでしょ、せっかく向こうから〈猴仙術〉のヒントをくれたんだから、素直にありがとうって言えば…」

「〈猴仙術〉? それが〈猿〉の使っている仙術の名か? まあいい、わたしが言っているのは、その事じゃないよ、星図」

「え? じゃあ何の事?」

「それは、決まっているよ…」

 雷華が自然な笑みを浮かべる。

 十代の少女が浮かべる、普通の、女の子らしい自然な笑みだ。

「久し振りに…お母さんに会えたんだ。だから…嬉しくないはずがないよ! 星図!」


フェイズ2


   ☆1☆


 アルカディナ中央砂漠地帯から北へ寄った場所にある大草原。

 以前来た事のある場所で、ぼくは再びサークと会った。

「亜人街の調度このあたりのゲートに…」と、ぼく。

「大陸中央の草原か…悪くない」と、サーク。

「何故か昼でも、仙気を帯びた霧があるけど…」

「ゲートを隠す仕掛けか…その程度のトラップ、オレなら問題ない」

 以前、ぼくが大陸を彷徨っていた時、偶然見つけた隠しゲートの周辺。

 その場所をサークと話し合う場所に選んだ。

 あくまで話し合いをする場所。

 のつもり、話し合いで…済ませたい。

 出来れば…可能な限り…自信は無いけど。

「リアルタイムで二日後に、その場所で落ち合おう、ホシズ」

 ぼくが頷く。

 と、突然、アイナがヒョコっと顔を出す。

「男同士で秘密の相談ですか? わたくしも混ぜてください。男同士にはなりませんが」

「「ぬわっ!?」」

 ぼくとサークが同時に奇声をあげる。

「そんな…モンスターが現れたみたいに、過剰な反応をしないでください。こう見えても可憐な乙女なんですから。傷付くじゃないですか。まったくもう。プンプン」

 アイナがプンプン言いながら近づく。

「一体、いつのまに?」と、サーク。

「ってか、どうやって、ここまで来たの? アイナ?」

「二人でコソコソ密談しているので、わたくしもヒッソリ、コッソリ…ストーカー行為に走りました!」

 薄い胸を張るアイナ…なんか、得意げだ。

「走るな! 胸張るな! 犯罪行為だよ、それって!」

「よいではないか、よいではないか。わたくしとサーク、ホシズの仲ならば、フ、フ、フ」アイナが不気味に笑う「わたくしに隠し事をしても無駄です! 全ては筒抜けになる運命と書いてディスティニー! です! 諦めてお縄につきなさい!」

「犯罪者に犯罪者呼ばわりされた」

「落ち込んでいる場合ではありませんよ! ホシズ! サーク!」

 なんか、上機嫌なアイナ。

「オレは落ち込んでいない」

 サークが冷静に返す。

「なにしろ…わたくしたち、三人をつけ狙う、第四の刺客が! 今まさにストーカー中! なのですから!」

「「まだいるのかっ!?」」


     ☆2☆


「チッ! バレチマッタンジャ、ショウガネェナ。マア、病ミ上ガリダカラ、コンナモンカ、入院中暇ダッタカラ、レべル上ゲヲ随分ヤリ込ンダンダケドヨ」

「ツキハミか…」

 サークが呟く。

「元気そうで良かったね! 黒姫! 安心したよ! あっ、つい、リアルの名前を…」

「ケッ! ホシズ、誰ノセイデ、入院シタト思ッテヤガンダ! テメーノセイダロウガ! トボケンジャネェ! コノ、スットコドッコイガ!」

 ツキハミから形の定まらない、触手のような魔方陣がウネウネと伸びる。

 周囲に拡がり、さらに展開。

「〈(じゃく)裂異斬(れついざん)〉!」

 無数の異界の刃が大気を切り裂く。

「〈黒流砂(こくりゅうさ)〉!」

 ぼくも呪文を詠唱。

 黒くて細かい、大量の土砂が空間に出現。

〈裂異斬〉の進行を阻む。

〈雪月花〉を真似て、ぼくなりにアレンジした対〈裂異斬〉用の魔法だ。

 でも、確か〈弱〉って言ってたような? サークが動きの鈍った〈裂異斬〉をすり抜け、ツキハミに接近。

「気を付けて、サーク! 何か変だよ!」

「ハッ! 遅ェッテンダッ! 〈裂異鎌(れついがま)〉!」

 ツキハミが異界の刃で出来た、巨大な黒鎌をブン回す。

 サークが〈紅王剣〉をかざすも、真っ二つに切断される。

 が、間一髪で回避。

 サークは無事だ。

「〈弱・裂異斬〉ハ、MPヲホトンド消費シネェ! ソノ分、残ッタ魔力ヲ別ノ魔法ニ使エルッテワケダ! ドウセ〈裂異斬〉対策ヲ練ッテイルダロウカラ! コッチモ改良型ノ魔法ヲ用意シテオイタンダヨ!」 

 大鎌を振るいながら〈紅王剣〉を失ったサークに肉薄するツキハミ。

 傷付くサークをアイナが回復。

 するも、じりじりと追い詰められるサーク。

 ぼくは〈弱・裂異斬〉対策で手一杯、打つ手が無い。

「死ニヤガレッ! サーク! ツイデニ、ホシズ、アイナ、オ前ラモ、マトメテ、ブッ殺ス!」

「そうはさせません…〈炎爆〉!」

「ナニ!?」

 炎の飛礫(つぶて)がツキハミに飛来。

 同時に炸裂。

 一瞬にして周囲が炎と爆煙に包まれる。

 炎系・爆炎魔法〈炎爆〉…シラノだ!

「遅くなってすみません。なにぶん、わたしも病み上がりでして…ホシズにも、リアルで随分迷惑をかけましたが、もう大丈夫です。加島三兄弟も以前のように、わたしに関わろうとはしません。何かを恐れている様子です。あの時の事は、わたしも漠然としか覚えていないけど。ただ、自分が酷い暴走状態だった事だけは覚えている。怒りに我を忘れた。と言うか、何と言うか…とにかく、わたしはもう大丈夫です、ホシズ!」

「チッ! 四対一トハ卑怯ナ奴ラダ! 仕方ネェ、退却ダ! 覚エトケヨ、ホシズ!」

 捨て台詞を残し、ツキハミが退却。

 シラノの痩せこけた頬に微笑が浮かぶ。

 ローブも白に戻っている。

 全てが元に戻った。とは言えないけど、それでも、少しずつ、ゆっくりと、きっと良くなる…はず! それは、ぼくの勝手な思い込みかもしれないけど。

 戦いが終わって、ぼくとサーク、アイナ、シラノは、アルカディナでの再会を誓い、別れた。

 ぼくとサークは当然、例の草原で再会だ!

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