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火の章

フェイズ1

  

   ☆1☆


 目指す中央〈大華(ダイカ)〉連合国は目前に迫っていた。

 砂漠の彼方、地平線を埋め尽くすように、長大な、

 壁・壁・壁。

 巨大な城塞都市として名高いダイカ。

 けど、左右の城壁が地平線の彼方に消える。

 というのは…ちょっと反則な気がする。

 もう一つ反則なのが、この暑さ。

 ダイカの城壁の手前ぐらいから、ポツポツと草木が生えていて、多分、壁の向こう側は温暖湿潤な気候のはず。

 ところが、城壁のこちら側ときたら、草一本生えない不毛の地。

 広大無辺な砂漠地帯だ。

 なにが言いたいか。というと、

 暑・暑・暑。

 とにかく、いやになるぐらい、暑い。

 熱砂を踏みしめるたびに、皮靴越しに熱が伝わり、熱風が顔をなぶり、灼熱の太陽は情け容赦なく、ぼくの体力を削っていく。

 正直、戦う前に死にそうだ。

 これなら戦死のほうがまだマシ。

 とばかりに、汗を滴らせながら、ぼくはアイナのテントへ向かう。


    ☆2☆


 薄暗いテント内を覗き込むと(ちゃんと二、三回、外から声をかけた)案の定、室内は滅茶苦茶だった。

 机、椅子はもちろんのこと、他の家具、あらゆるアイナテムが散乱し、まるで黄砂の巨大竜巻か何かが通り過ぎた跡のようだ。

 事件現場じみた中央に、うつ伏せに倒れている少女は、なんというか、完全に変死体みたいだ。

「相変わらず死んでるな~。この暑さじゃ、しょうがないけど」

 蒸・蒸・蒸。

 日差しは遮られているものの、蒸し暑さも尋常じゃない。

 いくぶん、ぼくも死にかけている。

 が、気力を振り絞り、倒れた机と椅子を直し、抱えてきた包みから中身を取り出す。

 うつ伏せに倒れている少女――アイナが、包みのガサゴソという音に反応し、いかにもダルそうに顔だけこちらに向ける。

「わたくしは…暑さの為に倒れたわけじゃありません。昼間の対応で…あまりの忙しさに、ちょっと目を回しただけです…」

 実際、アイナの焦点は合っていない。

 というより、グルグル回っている。

 暑さによる疲れもあると思うけど。

 陽は傾き、夕刻といってよい頃合いだ。

 が、アイナは、朝からこの時間まで、かなりの数の反ダイカ派の代表と同盟の約束を取り交わし、一人、孤軍奮闘していた。

「じゃあ〈愛素栗井夢(アイスクリイム)〉(一応、ギースの特産品・冷たくて甘い氷果子・超美味)はいらないね」

「いります! 死んでも食べます! 食べなきゃ死にます!」

 息を吹き返したアイナが、素早く隣の席に着くと、目を輝かせ〈愛素栗井夢〉を手に取り噛り付く。

 唇のまわりやホッペにクリームが付くのも構わず、食べ続ける姿は、見た目通り、まるっきりお子様だ。

 とはいえ、ダイカからシンに寝返ろうとしている小・中、約三十カ国の代表を相手に、姫として見事に説き伏せ、一つにまとめあげたのは、アイナの高度な政治的手腕のおかげだ。

 アイナがいなければ、これ程多くの国々が、ダイカに反旗を翻し、同盟を決意する事はなかっただろう。


    ☆3☆


 問題が一つある。

 代表の中に、どうも気に入らない人物が一人いるのだ。

「ふぁーふるふぉふふぉ、ふぉおふぁんふぇふは? んぐ、ごくん。彼なら大丈夫です。信頼出来る人物です。安心して下さい」

 アイナが食べながら話す。

 会話の前半を訳すと、

『パープル国のフォウさんですか?』

 になる。食べるか話すか、どっちかにしてほしいね。

「そうかな~? 全然、そうは見えなかったけど…」

 フォウとアイナの会見中、何故か呼び出されたぼくは、フォウの値踏みするような視線に晒され、こんな事を言われた。

「クゥ~クックッ。あなたがシン国最強の魔法使いホシズ殿ですか? ククッ。とても高レベルの魔法使いには見えませんね~。まるで、低レベルのヒヨっ子魔法使いですよ。まあ、人は見かけによらないと言いますから、見た目だけで判断するわけにはいきませんが。それにしても、少々地味すぎやしませんか?」

 カッチーン! いきなりド! 失礼な野郎だ! 地味で悪かったな! なんだ? こいつは? 

「申し遅れました。ワタクシ、パープル国で武器商人を営んでいるフォウと申します。本日はアイナ姫と武器の商談。及び、パープル国とシン国の同盟の協議で参りました。以後、お見知りおきください。クウゥ~クックッ」

 なんとも不気味に笑うフォウ。

 口許以外は薄紫色のターバンとマントに隠されて、顔付きはさっぱりわからない。

 上背があり、大男といっていい体格だ。

「アイナ姫、実を申しますと、ワタクシも少々魔法を心得ております。アイナ姫の許可さえ頂ければ、彼に代わって、ワタクシがガラージュの発動を引き受けますが? いかが?」

「それには及びません、フォウ殿。ホシズはシン国の切り札。彼以外にガラージュの使用を任せる気はありません」

 フォウが大袈裟に両手を広げると、

「これはこれは、少々出すぎた真似を致しました。ワタクシからガラージュの行使者である、ホシズ殿にお会いしたい。と、申し出ておきながら、まったくもって、不躾な真似を致しました。ご容赦願います。クウゥ~クックッ」

 ご容赦出来ん! 思わず〈獄殺〉の魔法陣を展開するぼくをアイナが一喝。

「お止めなさい! ホシズ! お客人ですよ!」こういう時のアイナは本当に迫力がある。本物の王侯貴族のような威厳だ。アイナが謝罪。「失礼致しました、フォウ殿。ホシズ、あなたはさがりなさい」

 フォウが追い打ちをかける。

「おやおや、すみませんね~、ホシズ殿。ですが、ワタクシも商人でして。商売相手の実情、情勢を知る事は、非常に大切な事でして、しかしながら、まずは安心致しました。先程の高位魔法の並々ならぬ展開速度! なるほど、まさしく高レベルに相応しい実力とお見受けしました。シン国の切り札という、アイナ姫のお話も伊達ではない。という事ですな。クウゥ~クックッ」

 うんぬん。

 その後もアイナとなにやら話し込んでいたけど、はっきりいって、超ムカつく! 絶対信用出来ん! と、アイナに力説した。

 アイナが困った顔でカミングアウトする。

「実を言うと…わたくし、以前、フォウと一緒にパーティーを組んでいた事があるんです」

「マジっ!? うっそおぉ~ん!」

「当時のフォウは、とっても素直で心根の優しい人でした。それが、いったい何故? どうして? あれほど変わってしまったのか? きっと…戦乱に明け暮れるアルカディナの荒んだ世界が、デリケートな彼の心を荒廃させてしまったんです!」

 断言して、アイナが遠い目をする。ぼくが割り込む、

「それって、昔の話でしょ! 今は〈死の商人〉なんだから! アイナ! 遠い目をしても誤魔化されないよ! 言っとくけど、ぼくは奴とは組まないからね! 奴を仲間に入れるなら、ぼくじゃなくて、奴にガラージュを使わせなよ! 随分と、自信ありげだったし!」

「そう…あれは、まだ…わたくしがヒヨっ子僧侶として、各地を転々と放浪していた頃の話です…」

「えっ!? そういう展開!?」

 ぼくの話を全然、聞いちゃいねえ! 以後、アイナの昔話が延々続く。

 グスン。


    ☆4☆


 それは、西部辺境地区での事でした。

 ダイカの遥か西。

 ダイカによる長大な城壁が築かれる以前の話です。

 わたくしは、人づてに広大な墓所がある。

 との噂を聞き、その墓所と思われる場所に、やっとの思いで辿りつきました。

 起伏の激しい荒涼とした土地です。

 陽は傾き、空一面が血を塗りたくったように、真赤に染まっています。

 無数の枯れ木は触手のように枝を伸ばします。

 剥き出しの奇岩は、大地から凶暴なアギトを覗かせます。

 崩れかけた古びたお墓が、当然のように地平線の果てまで、いくつもいくつも並んでいます。

 胆の冷えるような景色が延々と続くなか…突然! グギャアッ! グギャアッ!

「はわっ! はわわっ!」

 カラスです! カラスが鳴いてます! バサッ! バササッ! 「ひぐっ! ううっ!」コウモリです! コウモリが飛んでます!

 「あう、あう…」

 超・不気味な場所を、わたくしは勇気を奮い起して歩き続けました。


    ☆5☆


〈神聖魔法〉系〈(かい)(じゅ)〉不死生物の呪縛を解き放ち土へと還す。

 この呪文は、より高位な職種、

司祭(ビショップ)〉へと転職する際、決して欠かせない呪文の一つです。

 ヒヨっ子僧侶としては、絶対マスターしなければならない、難易度〈中〉のスキルなのです…が…わたくし…ダメなんです! ホラーがダメなんです! つまり、不死生物が! アンデッド・モンスターが! 要するに、ゾンビがダメなんで・す~! 戦争とか戦闘行為に流血沙汰、ホラー要素あるじゃん。

 とか言いますけど…違うんです。そうじゃないんです! 恐怖です! 怖いのがダメなんです! もう無理です! 背筋の凍るようなシーンで絶叫! 絶対無理です! 心臓が破裂します! そういうのが大の苦手なわたくしは、不死生物というホラー要素満載のモンスターを徹底して避けてきました。

 当然、〈解呪〉もマスターしてません。

 そのせいで、以前組んでいたパーティーが不死生物に囲まれ、全滅寸前!なんとか危機を脱したものの、わたくしは即! 解雇(クビ)です。

 それじゃダメじゃん! というわけで、一念発起、勇気を奮い起して、わたくしはホラー満載な墓所を絶好の修行場所として選んだのです! (涙!)


    ☆6☆


 肌にまとわりつく生暖かい空気が、頬を伝い、流れる中、 もそり… と、何かが動きました。

 わたくしはその場に硬直し、激しく脈打つ心臓の鼓動を必死に抑えようと無駄な努力をします。

 願はくば、子猫かウサギの不死生物でありますように! そう願うも、その何かは、ゆっくりと、ぎこちなく、体を揺らしながら立ち上がります。

 もう! 間違い、あうっ…ありません! 生ける屍! 人型・不死生物! ゾンビです! ひぃいいい~! 呪文を唱えようとするけど、怖くて思うように唇が動きません。

 わたくしは死を覚悟しました。するとゾンビが、

「このあたりには時折ゾンビが出現しますから、僧侶の方がお一人で旅をされるのは少々危険ですよ」

 え?

「ゾ…ゾンビが、ゾンビが出ると言っています。な、仲間を呼ぶつもりでしょうか? わ、わたくしは、た、食べても美味しくありませんよ! ほ、本当ですよ!」

「いえ、ワタクシはゾンビではありません。冒険を辞めた、ただの墓守りですよ。よく見て下さい。僧侶の方」

「え? ゾンビじゃない? ほ、ほんとですか?」

 わたくしはゾンビをジッと見つめ直しました。

 薄暗くてよく見えなかったのですが、目を凝らしてよく見ると…確かに人間です。

 わたくしがホッと一息つくと、その墓守りが、わたくしに話しかけます。

「ようやく落ち着かれたようですね。ワタクシは墓守りのフォウと申します。わけあって墓所の墓守りをしておりますが、ちょっと前までは、冒険者でした」

 相手が人間とわかり、ようやくまともに唇が動きます。

「わたくしは僧侶のアイナです。〈解呪〉修行の為に、この墓所を訪れたのですが…情けない話で、恐怖で麻痺していました。あなたがゾンビだったら、とっくに食べられてますね」

 フォウが微笑を浮かべ、

「その時は自分が亡骸を寺院へ運びましょう」

 と、請け負います。

「出来れば殺される前に助けてほしいのですが? 以前は冒険者だったのでしょう?」

 フォウが困ったように微笑を浮かべ、

「いまはただの墓守りですよ」

 と、言いながら歩き出します。

 わたくしが一緒についてゆくと、お墓が三つあります。

 手入れの行き届いた真新しいお墓です。

「今のワタクシには、この三つの墓を守る事ぐらいしか出来ません」

 興味を覚え、わたくしはフォウに尋ねます。

「よろしかったら、理由を聞かせて下さい。何故、お墓が三つあるのか? 何故、フォウさんは冒険を辞めて、墓守りをなさっているのか?」

 フォウが淡々とした口調で、

「いいでしょう。特別、面白い話、という事でもないのですが…ワタクシが冒険を始めて、まだ間もない頃の話です」

 フォウの話が始まります。


    ☆7


 ワタクシが目を覚ますと、目の前に雄牛のような大男がいました。

 そこそこの好男子といえましょう。

 丸い瞳。

 少々上向きの特徴的な鼻。

 分厚い唇。

 肩まで伸ばした黒髪。

 黒の棘付き皮鎧。

 腰に巻いたチェーンがジャラジャラと鳴っています。

 大男がワタクシに向かって吠えました。

「いいか! 俺様の名前はスリー! そして、お前はフォウ! わかったな!」

 いきなりワタクシの名前が決まりました。

 フォウ…だそうです。ワタクシはスリーに訊ねました。

「あなたがスリーでワタクシがフォウだとすると…ワンとツウはどこでしょうか?」

 すると、下顎から脳天にかけて、ガツン! と、衝撃が走ります。

 スリーのアッパーカットが見事に決まりました。

「ナンバー・ワンは、まだいねぇ! これから探す! それが俺達の存在意義だからな! っていうか! ゴチャゴチャ言ってねぇで俺様についてこい!」

 いきなりブン殴られたにもかかわらず、何故か逆らう気がしないワタクシは、おとなしくスリーについて行きました。

 ちなみにここは〈訓練場〉らしく、立派な鎧兜に身を固めたベテランの冒険者たちが、布の服に身を包んだ新人冒険者を伴い、大勢行き来しています。

 ワタクシも布の服を着ていることから、新人の冒険者なのでしょうか? ぼんやり考えながら歩いていると、武器や防具の立ち並ぶ〈ボッタクリ商店街〉に辿り着きました。

 店内を覗くと、ベテランの冒険者たちが、新人の武器や防具、主な装備を整え、冒険の身支度をしています。

 ワタクシも店内へ入ろうとすると、

「バカっ! そっちじゃねぇ! こっちだ、こっち! さっさと来やがれ!」

 スリーが怒声を発します。

 城外に出て、ついて行くと、欝蒼とした森に入ります。

 さらに必死について行くと、険しい断崖と、洞窟の入り口に到着。

 左右に巨大なガーゴイルの彫像が、いくつも立ち並ぶ、恐ろしげな場所です。


    ☆8☆


「この辺りじゃ、超・最高・難易度を誇る、激ムズ・ダンジョン! 〈(きょう)(おう)死闘場(しとうじょう)〉! だっ! これからここに入る! とりあえずフォウ! お前が先に入れ!」

「えっ! ワ、ワタクシが? ですか? でも、まだ、何も装備もしていないし…というか、試練の〈試〉の字が、何故〈死〉…〈デス〉なんですか?」

 ドカッ! ワタクシは背中を蹴られ、洞窟の階段を転げ落ちました。

「さっさと入らねぇと…蹴る!」

「蹴ってから言わないで下さい」

 スリーが慎重に階段を下りながら、

「装備はこのダンジョンで手に入れる!」

「現地調達!? それは、あまりに無謀すぎるのでは?」

「いいから、とっとと歩け! とりあえず盾は有る!」

「まさか…ワタクシを盾にするつもりでは?」

 一瞬スリーの瞳が大きく見開き、『その通り!』と、明らかに語っていましたが…それには触れない事にして、

「と、とにかく進むぞ! まずは雑魚を倒し、持っているアイテムを奪い、装備を整える。レベルが上がったらボス戦だ!」

「雑魚からいきなりボスですか!? それは、ちょっと、無謀を通り越して…計画性が無さ過ぎるのでは…」

 ドカッ! 再び蹴られ、

「冒険者に必要なのはケイカクじゃねぇ! 勇気だ! 勇気のねぇ奴は…蹴る!」

「蹴ってから言わないで下さい!」

 ワタクシの訴えが聞き届けられる事は一度もありませんでした。


    ☆9☆


 当初、スライムにすら手古摺って死にかける。

 という、ワタクシたちでしたが、徐々に力をつけ、各種スライム(ゼリー、バブリー、他諸々)を打ち倒し、やがて、ゴブリン、オーク、コボルト、といった序盤の敵と戦えるようになりました。

 スリーは〈戦士〉として、ワタクシは〈魔法使い〉として、そこそこ成長し、といっても、洞窟の階層でいえば、地下三階までを、なんとか無事に探索出来る…といった程度の成長です。

 それでも、当初に比べれば遙かにマシ…といえましょう。少々、力がついて調子に乗ると、油断や隙が生じる。

 というのは、冒険者たちの常なのでしょうか? ワタクシとスリーもこの例に漏れず、余裕で敵を倒した後、うっかり軽はずみな行動に出て、全滅寸前の危機に陥りました。


    ☆10☆


「どうぅっ! っせぇっ! りゃああっ!」

 袈裟掛けに斬り下ろしたスリーの剣が、ミノタウロスの肩から骨盤辺りまで一気に斬り裂きます。

 ですが、恐るべき生命力を誇るこの魔物は、フシャァアッ! と、鼻息のような、叫び声のような、異音を放ち、残る半身、まだ動く拳を握り締め、スリーを叩き潰そうとします。

 人の頭ほどもある巨大な拳を振り降ろされれば、スリーも瞬殺(クリティカルヒット)です。

「〈紫煙(パープルヘッズ)〉!」

 ワタクシが素早く呪文を詠唱。

 ミノタウロスの拳に紫色の煙が絡みつき、紫色に変色――ボロボロと、腐って崩れ落ちます。

「シャアッ! グッジョブ! フォウ!」

 スリーがミノタウロスを蹴り剣を引き抜きます。

 魔物の巨体は蹴られたぐらいではビクともしませんが、次の瞬間、首が跳ね飛ばされ、勝負がつきました。

 切り離された首と胴体が大量の鮮血を噴水のように噴き上げ、ミノタウロスが冷たい床に倒れます。


    ☆11☆


 洞窟内に血の臭いが充満します。

 錆びた鉄の臭いです。

 薄暗い洞窟の先に目を凝らすと、広々とした広間が見えます。

 スリーがミノタウロスの屍から金目の装飾品を漁り、今度はその広間へと向かって歩き出します。

 ワタクシは嫌な予感がして、スリーに警告します。

「もしかしたら、ミノタウロスは、あの広間の番人かもしれません。広間を守っているとしたら…あそこには、何かがある…かもしれません」

「お宝がザックザックあるって事だな!」

「いえ、その逆です。間違いなく(トラップ)が張ってあるかと思います」

「罠なんざ、イチイチ気にしてたらキリがねぇ! それに、俺様は〈盗賊〉のスキルがある! チャチな罠ぐらい簡単に解除してやらあっ! つ~か、むしろ罠に飛び込んでスキルアップ! 憧れの〈忍者〉に近づくぜ!」

 上級職である〈忍者〉を目指すスリーにとって、〈盗賊〉の各種スキルは必須です。

「罠だけでなく、他にも…何かが、あるかもしれません」

「けっ! 気にしすぎだっつーの!」

 話しながら歩いたせいでしょうか? いつの間にか二人とも広間の中へ入っていました。

「うげっ! 床に妙なワープが仕掛けてある!?」

 罠に気付いたスリーが叫びます。

 広間に入ったのではなく、その前に仕掛けてあった罠、ワープで広間に飛ばされたのです。


    ☆12☆


 背後で金属の絡み合う機械音が鳴り響きます。

 振り返ると、玩具のパズルじみた、複雑なパーツがいくつも組み合わさり、広間の入り口が次々に閉じてゆきます。

「閉じ込められましたね」

「るっせぇっ! 今こそ、スキルアップのチャンス! 絶対解除してやる!」

「いえ…そうも言ってられないようです」

 ワタクシが広間の中央を指差すと、床が燃えています。

 正確に言うと、中央の石造りの床が、赤々と輝き、マグマのように溶けていきます。

 広間の中央は、一瞬にして溶鉱炉じみた灼熱地獄に変わりました。

「ぐおっ! 焼き殺す気か!?」

「それも違うようです…何かが、近づいて来ます」

「何がだ!?」

 ワタクシが答えるまでもなく、何かは、その姿を現しました。

 焼け落ちた床の底から、大量の熱気を撒き散らしながら、紅蓮の炎に包まれた、その巨躯を、惜しげもなく晒します。

 うねる身体は十メートル以上もあり、広間の天井にまで達します。

 怒りに燃える瞳が、ワタクシとスリーを見下ろします。

「サッ、サラマンダー! だとおおっ!」

 サラマンダーは二種類あります。

 このサラマンダーは明らかに、低レベルな〈火蜥蜴(ひとかげ)〉の類いではなく、〈火精竜(かせいりゅう)〉アルカディナ最強の〈ドラゴン族〉に属し、しかも、実体を持たない〈精霊〉であり、恐らく、通常攻撃は一切通じない、遭遇した時点で大概のパーティーが全滅する、伝説級のモンスターでしょう。


    ☆13☆


 運悪く、燃える瞳と目が合い、ユラユラした巨躯からは想像もつかない突進力で、サラマンダーがワタクシに接近します。

「ボーっとしてんじゃねえっ!」

 ドカッ! スリーに蹴られ、間一髪、助かります。

 目の前をサラマンダーが通り過ぎ、火の粉が撒き散らされます。

「熱っ!」

 ワタクシも我に返りました。

 凍結(フリーズ)している場合ではありません。

 なんとかしないと犬死にです。

「ゥオラアッ!」

 壁を折り返したサラマンダーの頭蓋目掛け、スリーが剣を振り下ろします。

 一瞬、頭部が霧散しますが、瞬時に炎が集まり、頭部が再構成されます。

 実体を持たないサラマンダーは半ば不死…という事でしょうか? スリーは後退しつつ剣を振るいます。

 が、有効なダメージは与えられません。

 切っても、切っても、再生します。

 スリーを援護しようと〈紫煙〉を唱えるも、炎の鱗がことごとく魔法を掻き消します。

 アンチマジック、〈精霊〉に魔法は効かないのでしょうか?

 打つ手なしです。

 ワタクシが途方に暮れていると ドカッ! 再びスリーに蹴られます。

「フォウ! てめっ! 諦めてんじゃねえっ!」

 ワタクシは涙ながらに訴えます。

「ですが、剣も魔法も効かないとなると、戦いようが無いじゃありませんか!」

 スリーが怒鳴り返します。

「それがどうしたっ!? ああっ!?」

 それがどうしたっ!? って?

「戦いようなんざ! 有ろうが、無かろうが…関係ねぇっ!」

 関係ねぇっ! とか言い放ち、目前に迫ったサラマンダーの顎を切り落とします。

 顎は即座に再生。

 鼻、額、両目、サラマンダーを滅多やたらと切りつけます。

 が、すべて無駄。

 すぐに再生します。

 悪夢でも見るかのようです。

 スリーがワタクシの首根っこを掴み後退。

 そのままワタクシの耳元で鼓膜が破れんばかりに叫びます。

「格好つけてんじゃねぇぞ! フォウ! 『戦いよう』なんてのはな! 敵が同レベルだった時の話よ! 目の前の敵は完全に格上なんだよ! 格上相手に『戦いよう』もクソもねぇっ! 無様だろうと、惨めだろうと、格好悪かろうと! 必死に戦うしかねぇんだよ!」

 スリーがワタクシを突き飛ばします。

 再び、目の前をサラマンダーが通過。

 サラマンダー越しにスリーに問いかけます。

「必死に戦っても結局、全滅するんじゃないですか?」

 スリーが不敵な笑みを浮かべ、

「同じ全滅でもな! 戦って全滅するのと、戦わないで全滅するんじゃ! 全然、意味が違うんだよっ! つーか! 戦って全滅した方が、格好良いだろうが!」

 いや…さっきアナタ『格好つけるな』とかナントカ言ってたじゃないですか? 完璧に矛盾してますよ。でも、

「スリーらしいというか、なんというか…」

「ああっ!? なんだって!?」

「いえ! なんでもありません!」

 別の意味で諦めたワタクシは、再びスリーを援護すべく〈紫煙〉を連発しました。


    ☆14☆


 半ば無意味な戦闘が延々続くかと思われましたが、サラマンダーの動きにワタクシは妙な癖を発見しました。

 その癖の原因は何か? 隙を見て確認した所、原因らしき物を発見しました。

 疲れきって、足元のおぼつかないスリーにその事を告げます。

「サラマンダーは、ワタクシたちを穴に近づけさせまい――として、動いているようです!」

「穴ぁっ!? 奴が出てきた穴か!?」

「隙をみて覗き込んだ所、穴の奥に赤く光る何かが、ありました。サラマンダーは、それを守っているようです!」

「なら話は早ぇっ! 飛び込むぞ! フォウ!」

「えっ!?」

 スリーがそう言い、ワタクシの首根っこを掴み、穴に飛び込みます。

 叫び声をあげる暇もありません。

 奈落へ落ちていくワタクシたちに、急降下してきたサラマンダーが追いつき、まるで逆鱗に触れでもしたかのように怒り狂い、容赦なく攻撃します。

 スリーの剣が二度、三度と振り抜かれ、かろうじてサラマンダーの攻撃をかわすも、今度は穴の底が迫ります。

「フォウ! 霧だっ! 霧をクッション代わりにして放てっ!」

「そ、そんな使い方は一度も――」

「死にたくなかったら、やれっ!」

 ワタクシは無我夢中で大量の霧を爆発的に発生させました。

 腐食性の無い無害な白い霧です。

 スリーの言う通りになりました。

 霧がクッション代わりになり、地面に叩き付けられる寸前、助かりました。

 九死に一生を得たわけです。


    ☆15☆


 穴の底は一面の霧で、視界が全く効きません。

 サラマンダーも同様らしく、今のところ攻撃してきません。

 霧の中を二、三歩行くと、うっすらと人影が見えたので、小声で話しかけます。

「スリー。大丈夫ですか? ケガはないですか?」

「オレノ名前ハ、ツキハミ! ダ! 間違エンジャネェッ!」

「ツ、ツキハミさん!? 失礼しました。ワタクシはフォウと申します。仲間のスリーを探しているのですが、霧のせいで見失いました。どこかで見なかったでしょうか? 黒い皮鎧を着て」

「テメェニ見エネェモンガ! オレニ見エルカ! ボケッ!」

「は、はい、その通りですね。すみません」

「ケッ! 使エネェ野郎ダ!」

 ツキハミと名乗った人物は、とても怒りっぽい性格で、言葉遣いも乱暴でした。

「ツキハミさんに一つ忠告しておきます。すぐそばに、サラマンダーという恐ろしいモンスターが潜んでいます。ですから少々、声を小さくして、話された方がいいかと思います」

「ナメンジャネェゾ! タコッ! ココガ、サラマンダーノ〈巣〉ダッテ事ハ、先刻承知ナンダヨ! 言ッテオクケドナ! 〈巣〉ニアル、サラマンダーノ本体、〈紅王石(こうおうせき)〉ハ、オレ達ノ獲物ダカラナ! 勝手ニ手ェ出スンジャネェゾ!」

「はい、わかりました」

 どうやらここは、サラマンダーの〈巣〉らしいです。

 そして、〈巣〉には〈紅王石〉というサラマンダーの本体があるそうです。

 では、それを壊せば、サラマンダーを倒せるのでは? と、ワタクシは考えました。

 先ほど見えた、赤く光る何か、が、それでしょうか?

 『オレ達』

 と言っていた事から、ツキハミには別に仲間がいるようです。

 霧が晴れてきました。

 ツキハミの姿もハッキリ見えます。

 少年でした。

 年は十四、五歳。

 幼い顔立ちに華奢な体つき。

 肩まで伸びたサラサラの黒髪。

 大きく、黒々と輝く黒瞳は美しくも妖しげな光を放っています。

 一見、少女のように見える少年です。

 霧が晴れ、サラマンダーもワタクシたちに気付いたようです。

 が、襲ってきません。

〈巣〉の中央に台座があり、その上に赤い光を放つ巨大な水晶が浮かんでいます。

 あれが、〈紅王石〉でしょうか。

〈紅王石〉を中心に、サラマンダーが、グルグルとトグロを巻きつつ、周囲を旋回しています。

 明らかに〈紅王石〉を護っています。


    ☆16☆


 台座の周囲に崩れ落ちた天井や倒壊した壁の残骸が土砂のように、うず高く積もり、中には人が隠れられる大きな残骸もあります。

土遁(どとん)成功おっ! その(タマ)もらったああっ!」

 スリーが叫びながら残骸の中から飛び出し、避けようのない抜群のタイミングで〈紅王石〉に斬りかかります。

 が、中空に突如現れた人影が、スリーの剣を剣で弾き返します。

 人影は〈剣士〉のようです。

 そのままスリーを蹴りつけ、自らも台座から距離をとります。

〈剣士〉の見た目は、十七、八歳の青年。

 西方の異国の民を彷彿させる豪奢な金髪。

 物静かな灰の瞳。

 顔立ちは優美で繊細なガラス細工のよう。

 真一文字に引きしめられた意志の強そうな唇。

 上背のある引き締まった細身の体。

 鎧は銀をベースにブルーの縁取りがなされたシンプルなデザイン。

「サ、サーク! 助カッタゼ! 危ナク〈紅王石〉ヲ、破壊サレル所ダッタ!」

 名前はサークらしいです。

 ツキハミの仲間でしょうか。

 サラマンダーがサークとスリー目掛けて、猛烈な突進を開始。

 ですが、サークの恐るべき剣さばき、高速剣技の前に、炎を撒き散らしながら、ただの火の粉と化し、周囲に四散します。

「クソがっ! そいつをいくら攻撃したって! すぐに再生しちまうんだよっ!」

 蹴っ飛ばされて床を這うスリーが毒づきます。

 スリーの言う通り、サラマンダーが即、再生を開始。ですが、

「〈烈異斬〉!」

 ツキハミが呪文を詠唱。

 漆黒の刃が一振り出現し、再生中のサラマンダーを切り刻み…いえ、その光景は、まるで…黒い刃が炎を飲み尽くす…かのようです。

 瞬く間に炎も、火の粉も、黒い刃の中に消え去りました。

 あとに残ったのは、赤い光を放つ、〈紅王石〉だけです。


    ☆17☆


 ツキハミが、

「ゼェッ! ゼェッ! ハァッ! ハァッ! クソッ! ヒト振リ出スダケデモ…息ガ上ガルゼッ! 消耗ガ酷スギルッ! ケド! 〈紅王石〉ガ手ニ入ッタゼッ!」

「〈紅王石〉だとっ!? あの水晶の事か! ざっけんな! お宝は俺達のモンだっ! テメェらなんかにゃ、渡さねぇっ!」

 スリーが吠えます。

「テメェッ! 横取リスル気カッ! ソッチコソ、フザケンナッ!」

「るっせぇっ! 急にシャシャリ出てきやがって! 勝手な事抜かすんじゃねぇ!」

 サークが〈紅王石〉を手にし、

「街で高く売り払って、四人で山分けするとしよう」

 スリーとツキハミが、サークを口汚く罵ります。

 スリーが剣を高く掲げ、〈紅王石〉に突き立てると、

「今、この場で山分けするか? 砕けて無くなるだろうが」

「「ちょっと! 待ったあっ!」」

 スリーとツキハミがハモリます。

 サークの剣技だと山分けでは済みません。

 言った通りに、ガラスのように粉々に砕け散るでしょう。

「ワカッタ! サーク! 山分ケニシヨウ! ダカラ壊スンジャネェ! 剣ヲ仕舞エ!」

 サークが剣を仕舞います。

「ダガナ、サーク! 山分ケハ、コノ二人ガ生キテ地上ニ帰レタラ…ノ、話ダゼ。オレハ一切、手ヲ貸スツモリハ無イカラナ!」

 サークが頷きます。

 ワタクシとスリーは顔を見合わせ、今頃になって自分達のレベルでは、生還不可能な程、深い階層に落ちた事に気づきます。

「足手纏いにならない程度について来い」

 気の強いスリーも、この時ばかりは、おとなしく従わざるを得ません。


    ☆18☆


 今思えば、地下迷宮でツキハミが言った事も、もっともな話で、サークの後ろについて、明らかにレベルの高い格上モンスターを相手に、右往左往しながら、どうにか戦い抜き、普通なら九死に九死するような状況下で、生きて地上に戻れたのは…まさしく奇跡といえましょう。

 蛇足になりますが、強敵との激闘が続いたおかげで、ワタクシとスリーのレベルは、通常では考えられない程、急速に上がりました。

 無論、ワタクシとしては、こんな戦いは二度と御免ですが。

 街へ帰る途中、例の深い森の中で、先頭を歩くツキハミが突然立ち止まり、こんな事を言い出します。

「サーク…オ前ハ、男ノ割ニハ…マア、イイ奴ナ方ダ。ソレニ…ツイデニ言ウト、ソコノ二人モ…ナ」

「ああっ!? んだとぉっ! くおらっ! どういうモゴモガ!」

「落ち着いて、話を聞きましょう」

 ワタクシはスリーの口を塞ぎました。

「ツマリダ。要スルニ…オ前達ヲ…コノママ死ナセタク無イ…ッテ事ダ」

「上等だぁ! こらっ! モゴモガ!」

 再び口を塞ぎました。

「〈紅王石〉を渡せ…という事か? ツキハミ」

「ソウイウ事…ニナルナ…サーク」

「フォウ、〈紅王石〉をちょっと持っていろ」

「はい」

 サークが〈紅王石〉をワタクシに渡し、剣を構えます。

 ツキハミの顔が曇ります。

「サーク。オレハナ、オ前ト戦ウ気ハ、ハナカラ無イゼ…タダナ、オレノ依頼主ハ、ソウモイカナイ様ダ」

 すると、いったい今まで、どこに隠れていたのでしょうか? 森の中から次々に、重装備の装甲兵が現れます。

 後方には魔法使いの姿もチラホラ見えます。

〈幻姿〉の魔法を使い、姿を隠していたのでしょう。

 あわせて百人あまりの兵士が、ワタクシ達を完全に包囲しています。

「依頼主は、大華大帝…か? ツキハミ?」

 サークが聞きます。

 兵士の鎧や衣服に〈大華〉の紋章が見えます。

「ソウダ。大華大帝…イズレハ、アルカディナ全土ヲ支配スル、コノ世界ノ覇者。超大物ダ。ソノ大帝ガ、〈聖剣〉ヲ欲シガッテイテナ。〈紅王石〉ハ、ソノ材料ニナルンダトサ…オレハ別ニ、オ前達ノ命ガ欲シイッテ訳ジャネェ…〈紅王石〉サエ渡セバ、ソレデ見逃サナイ事モ…」

「ナメんなあっ! クソ餓鬼っ! 『タイテー』だか『サイテー』だか知らねぇけど! テメェ自身で、お宝を探しもしねぇチキン野郎に、死ぬような目にあって手に入れたお宝を! 俺様がホイホイ渡すと思ったら大間違いなんだよっ!」

 スリーがワタクシの制止を振り切り大音声で吠えます。

 一瞬ツキハミが怯みますが、すぐ冷静な声音で、

「サーク…コレガ、最後ノチャンスダ。〈紅王石〉ヲ渡セ――」

「くでぇえっ! 俺様にとって命より大事なお宝を! 万が一にも分けるっていうんならっ! そいつぁ! 俺様が認めた野郎だけだっ! 『タイテー』だか『サイテー』だか知らねぇクソ野郎にはっ! お宝どころか! ビタ一文やる気はねぇっ!」

 ちょっと待って下さい。

 今の話。

 聞き様によっては、ワタクシ、サーク、ツキハミを一応、認めていた…という事になるのでしょうか? なにしろ、渋々ながら、お宝を分ける事に賛成していたわけですから。サークが、

「と、いう事だ。ツキハミ、諦めろ」

 交渉決裂!? しかも、すごいあっさりと! いいんでしょうか? 八方塞がり、絶望的なこの状況で、簡単に断って、ですが、一瞬、サークが嬉しそうな顔をした気が、したような、しないような? それはともかく、ツキハミが慎重に後退を開始します。

 本当に戦う気は無いようです。

「よっしゃっ! ちゅう事でフォウ! 一発カマせっ!」

「え? な? 何をですか?」

「お前の得意技だ! 霧っ! 霧だっ! 例の白い霧をブッ放してやれっ!」

 スリーに言われ、ワタクシは大量の霧を発生しました。


    ☆19☆


 サークが最後に言い残した言葉は、

『俺が囮になる』でした。

 霧で視界が利かない中、装甲兵相手にサークは派手な立ち回りを演じ、敵を一手に引き受けます。

 ワタクシとスリーは出来るだけ戦闘を避け、撤退に専念しました。

 霧が晴れる頃には、完全に追っ手を振り切り、森を抜けました。

「街道からはだいぶ離れていますが、ここまでくれば、もう安心ですね。スリー」

「……」

 スリーが何やら浮かない顔をしています。

「フォウ。お宝は、テメェが売るなり、隠すなり、好きにしろ。俺様は…」

「?」

「俺様は、ちょっとばかし、やり残した事がある」

「ま、まさか、戻る気ですか? せっかくサークが囮になって――」

 ズドンッ! ワタクシの鳩尾にスリーのパンチが決まります。

 視界が霞み、意識が闇に落ちるなか、スリーの声だけが、微かに聞こえます。

 その声は、ワタクシに話すというより、自分自身に言い聞かせる感じです。

「サークの野郎は…もしかしたら、俺様にとって、ナンバー・ワン…なのかもしれねぇ。そいつを確かめる」

 スリーが言い終え、同時にワタクシは気絶しました。


    ☆20☆


「しばらくしてから意識が戻ったワタクシは、森の奥へと引き返しました。が、スリーの姿も、サークの姿も、ついに見つかりませんでした。あるのはただ、死屍累々、延々と続く、〈大華〉兵士の無残な屍です。後日、大華大帝が、この地を墓所と定め、広大な墓所としました…ワタクシは、ほとぼりが冷めた頃、再びこの地に戻り、三つの墓をこしらえました。以来、ずっと、ワタクシはこの墓を守り続けています」

 フォウの長い話が終わり、わたくしは疑問を口にします。

「その三つの墓は…どれもカラですね。スリーの遺体も、サークの遺体も、無かったわけですから」

 フォウが頷きます。

「遺体が無くとも…ワタクシにとっては…死んだも同然。二人には二度とお会い出来ないでしょうから」

 フォウが墓を一つ指差し、

「一つ目の墓は…傍若無人にして、口も悪く、手癖も悪い。おまけに、性格が恐ろしくねじ曲がっていますが…不思議と憎む事の出来ない〈戦士〉…スリーの墓」

 二つ目の墓を指差し、

「二つ目は…出会いは一瞬ですが、今でも、その姿が鮮やかに蘇る。強烈な印象をワタクシに残した…誇り高き孤高の〈剣士〉…サークの墓」

 最後の墓を指差し、

「三つ目は…ワタクシが、いつか死んだ日に…ワタクシ自身が入る…ワタクシ自身の墓です」


    ☆21☆


「サークは勿論、〈聖騎士〉サークの事です。サークにフォウの事を聞くと、彼の事をとてもよく覚えていました。話の内容も一致します。フォウの話は事実です。その話のあと、わたくしは辛気臭い墓守りなんか辞めて、一緒に冒険をしましょう! と、フォウに迫り、無理矢理パーティーに組み込みました。冒険の旅は〈(きょう)(おう)死闘場(しとうじょう)〉をも遙かに超える、恐るべき大冒険です。途中、何故かフォウは、〈商人〉になります。と言い残し、去りましたが…ですが! 運命の女神は、わたくしを見捨てはしません! 何故なら、フォウの代わりに、ホシズやサークと運命的な出会いを果たしたのですから!」

 アイナの話が終わったけど、フォウが変わってしまった理由は、ちょっと分からなかった。


    ☆22☆


「フォウは〈商人〉になったあと、サークに会ってるよね。サークの聖剣〈紅王剣〉は、錬成する為の素材がいくつか必要だけど、メインは〈紅王石〉だもんね。それって、フォウがサークに〈紅王石〉を譲ったって事でしょ」

 アイナが頷く。

 ぼくが苦虫を噛み潰したような顔で、

「フォウを信じたほうがいいのかな? でもムカつくし。う~ん。どうしよう?」

「信じる者は救われます。信じましょう。というか、是非、信じて下さい!」

「まあ、いいや。フォウと一緒に戦うよ。昔はいい人だった…らしいし。今は少しでも戦力が必要だし」

 煮え切らない態度で、不承不承同意するぼくに、アイナがニッコリ微笑み、

「では早速出撃です。今回は攻城戦になります。奇策は一切使えません。正面突破あるのみです。正攻法のガチバトルを…ガチッ! と決めましょう!」

 ぼくが適当に返事を返し、部屋を出ようとすると、

「もう一つ言っておきます。サークは別動隊として別の任務に就いています。なので、今回の攻城戦には参加しません」

「別ルートからの奇襲? それとも伏兵? でも、奇策は使わないって、言ったよね?」

 そういえば、ずっとサークの姿を見ていない。

 話したい事は山ほどあるのに…。

「それに、もう一つ。サークからホシズに言伝てがあります」

「?」

「『歌の件には、俺は一切関係していない。三龍の独走だ』だ、そうです」

「!」

 アイナがぼくを見つめる。

 リアル側の話だろう。

 と、推測しているようだ。

 アイナから目をそらし、

「そう…うん。わかった。ありがとう、アイナ」

 と、言い残し、ぼくは足早に部屋を出る。

「さぶっ!」

 思わず呟いた。

 いつの間にか夜だ。

 夜の砂漠は、地表の熱を大気中に放射するため、氷点下近くまで気温が下がる。

 寒さに震えながら夜空を見上げた。

 三百六十度、視界一杯、数えきれないほどの星が広がり、キラキラと、眩しいぐらいに輝き…その輝きに、そっと手を伸ばす。

 手のひらで掬い取れそうな…掴めそうな…そんな気がしたから、

「星が…掴めるわけないよね…」

 馬鹿みたいな考えを捨て、ぼくは出撃準備を進めた。

 サークの事も、今は後回しだ。


    ☆23☆


 現在の戦力を比較してみる。

 ダイカが四十万人。

 対する同盟軍は二十万人。

 敵の数はざっと二倍。

 今まで三倍以上の敵と渡り合ってきたから、今回は楽か…というと、そうでもない。

 侮れない理由がいくつもある。

 第一に城塞内を守る精鋭中の精鋭が猛者ぞろい。

 しかも、アルカディナ最強と噂される大華大帝が本陣に控えている。

 地形も城塞の外側に広大な砂漠が広がり、遮蔽物が無い為、同盟軍に不利な事この上ない。

 ならば竜騎士隊による空からの攻撃――と言いたい所だけど…城塞内は尖塔が無数に並び、対空用の〈大弩弓(バリスタ)〉が無数に設置してある。

 巨大な矢が、上空からの侵入を阻止すべく、不気味に尖った先端を覗かせている。

 完全に針ネズミ状態だ。

 個定式のバリスタは、移動式とは矢の飛距離、威力、命中精度、ともに上だ。

 竜騎士隊も、おいそれとは近づけない。

 それに、竜騎士隊の指導者――レリア王子が、とある理由で不在なのだ。

 大幅な戦力ダウンである。


    ☆24☆


「ホシズ。攻城戦に必要な兵士は、どれぐらい必要だと思いますか?」

 アイナが、ぼくに問いかけてくる。

 ぼくとアイナは、馬に騎乗して進軍している。

「城の中に四十万。攻めるとすると、味方の二十万じゃ足りないんじゃないかな? そうすると、敵の二倍で八十万! ぐらい?」

「ブウ~! ハズレです」

「じゃあ、敵の三倍で百二十万!」

「全然! 足りませんね」

「…いったい、何人必要なのさ?」

 アイナが耳元で囁く。

 数を聞いて驚く。

 なんと、十倍の四百万人必要だそうだ。

「兵法の常識です」

 アイナが舌を出し、ケロリとしゃべる。

「でも、それって今の人数じゃ――」

「まるで足りないどころか、勝ち目のない絶望的な戦い…と、言わざるを得ません」

「なのに正面突破って…」

「攻城戦においては、城側が圧倒的に有利です。なので、他に方法はありません」

「でも、それじゃ、犬死にじゃ…」

「そうはなりません。一泡吹かせてやります。急ごしらえ…とはいえ、同盟軍を一つにまとめたんです。士気も今が最高潮。戦争(ヤル)なら今をおいて、他に機会はありません」

 絶望的にもかかわらず、戦争をするなら今しか無い。

 アイナの詭弁に、ぼくが混乱していると、

「後方は任せました。ホシズ。頼りにしていますよ」

 アイナがそう言い残し、前方に馬を走らす。

 アイナが何を考えているのか、さっぱり分からない。


    ☆25☆


 同盟を結んだとはいえ、一枚岩とはとてもいえない烏合の衆を、まとめあげ、全体を指揮するアイナは、全部隊の中央前方に張り付いている。

 ぼくは、やや後方に位置し、最後尾をフォウが固めている。

 後ろを振り向くと、暗闇の中、フォウが不敵に笑うのが見える。

 夜間の進軍だ。

 イヤ~な予感がする。

 突然、城壁中央の巨大な城門が開き、数百騎の騎馬隊が踊り出る。

 間髪いれずに騎馬で応戦するアイナ。

 ところが、味方の騎馬が敵と激突する寸前に左右に分かれ一目散に逃げ出す。

 それだけじゃない、同盟軍全体が左右に分かれ、戦線を離脱し始めた。

「撤退するのかよ! アイナの奴! 一言、言ってくれよ!」

 あまりの素早い逃げっぷりに、左右どちらに逃げるべきか? 迷う。が、迷う暇は無かった。

 後方から魔法で攻撃されたのだ。

 紫色の霧が、ぼくの体を覆い尽くす。

 途端に体中が痺れ、指一本動かなくなる。

 舌も麻痺し、声一つ出ない。

 当然魔法も使えない。

 ぼくは馬上から無様に転げ落ちた。

 味方は全て逃げ去ったのに、ぼくだけが一人戦場に取り残された。


    ☆26☆


「クウゥ~クックッ。シン国最強の魔法使い。ホシズ殿も不意打ちには、ひとたまりもありませんね~。クウゥ~クックッ」

 ぼくを不意打ちした張本人。

 フォウがニヤニヤ笑いながら、ぼくを見下ろす。

 先ほど城から出撃したダイカ騎馬隊が、ぼくを取り囲む。

 リーダーらしき人物が一言告げる。

「殺せ」

 フォウが、

「焦る必要はありませんよ、隊長殿。ホシズはガラージュの使い手です。シン国にも、まだ残っているガラージュの情報が、少しは聞けると思いますよ。それに、ホシズは同盟軍の指導者、アイナの右腕です。人質としても高い価値があります」

「うむ、うむ」

「それと、情報を聞き出すのはワタクシの得意技です。こうみえてワタクシ、拷問のプロフェッショナルでもあります。商人として各地を旅しながら、この世界のバグを利用した、拷問方法を少々学びましたから、それはアルカディナにおいても痛覚の制御を完全に戻す事が出来、思う存分苦しめる事が出来るという恐ろしい拷問で、おっと! バグの事は他言無用に願います」

「う、うむ、むむむ」

 隊長の顔が恐怖に歪む。

「拷問で地を這う芋虫のようにして、アイナ姫の元に送り届けて差しあげましょう。クウゥ~クックッ! あの美しい少女の輝く瞳が、涙に濡れそぼり、光輝を纏う白い肌が、より一層引き立つでしょうな! 炎のような深紅の唇は、深い悲しみに、嗚咽の声を絞り出し、咽び泣く様は、天上の神々の歌声のように響く事でしょう! 最高です! 期待で鳥肌が立ちます! ほら! 立っているでしょう! 鳥肌!」

 フォウの鳥肌が立つのがよく見えた。

 隊長が蒼ざめきった表情で、

「わ、わかった! フォウ殿! 貴殿に全てお任せする! す、好きにせよ!」

 変態・拷問野郎から逃げ出すように隊長が城に帰る。

 いーやーだー! 死ぬのも嫌だけど、拷問はもっと、いーやーだー! 叫ぼうにも声が出ない。

 為す術も無く、ぼくはフォウに拉致された。


    ☆27☆


 ダイカ城塞内。

 その地下牢は、恐ろしく深い階層にあり、奥深い階段をさらにくだると、暗い、ジメジメした、イヤ~な雰囲気の拷問部屋がある。

 壁・床・天井、辺り一面、洗っても、洗っても、落とせない、細かい肉片や、赤黒い血糊がベッタリと染み付き、凄惨極まりない、吐き気を催すような部屋だ。

 ぼくは両手、両足を頑丈な鎖と鉄環で拘束され、身動き一つ取れない。

 口もテープで塞がれ、魔法を唱える事も出来ない。

 看守が鉄格子越しに部屋を覗く。

 不気味な薄笑いを浮かべ、拷問が始まるのを楽しみにしている。

 目の前には、フォウが足を組み、悠然と椅子に腰掛けている。

 胸元から緋色の巻物を取り出す。

 神秘的な赤い光を放ち、美しく輝いている。

「ホシズ。この巻物が、何かご存じですね。ワタクシが、アイナ姫の元で会談を終え、辺りを物色していたら、この巻物を偶然見つけたんです。神秘的な巻物ですね。まるで、炎――その物…みたいな美しさです。勿論…この巻物の呪文が発動したら、そんな事は言ってられないでしょうが…アルカディナ大陸でも、空前絶後の破壊力を誇る。恐るべき大量殺人破壊魔法! ですからね。誰が? いったい何の目的で? こんな物を作ったのでしょうか? それは、わかりませんが、まあ、人殺しの道具…と、言ってしまえば、それまでですがね。〈死の商人〉であるワタクシには、物は何であれ、高く売れれば、それで結構。クウゥ~クックッ。大華大帝は、さぞや高値で買ってくれるでしょうねえ! この…火のガラージュを!」

 この裏切り者はシン国、最後の切り札、火のガラージュを、くすねていやがった! なんという卑怯者! 同盟を結ぶとか言いながら、ダイカにガラージュを売る! ただの悪党だった! いや…それとも…とてつもない〈商人〉なのか? 人殺しの道具。

 それも生半可な代物じゃない。

 虫けらのように、何百万人という人を殺す。

 大量殺人破壊魔法を、自分の利益の為に、平気で他人に売るのだから。


    ☆28☆


 鋼鉄製の鉄格子に真紅の光が閃き、玩具の積み木細工のように、バラバラと床に崩れ落ちる。

 金属的な甲高い音が拷問部屋に響き渡る。

 看守が白目を剥き床に倒れる。

 聖剣〈紅王剣〉を握るサークが、音も立てずに部屋に入る。

 フォウが椅子から立ち上がると、うやうやしく頭を下げ、サークを迎え入れる。

 え? ど、どういうこと? 〈紅王剣〉が、ぼくを縛る鉄環を全て切り裂く。

 ぼくは口のテープを引き剥がし、フォウに詰め寄る。すると、

「あれは全部演技ですよ。ワタクシが、そんな悪党に見えますか?」

「見えたよ! 悪漢以外の、何物でもなかったよ!」

「敵を欺くには…まず味方から――アイナがそう仰っていました」

「アイナの奴! わけが分からないと思ったら! そういう事か!」

「全部芝居だ。行くぞ! ホシズ。それにフォウ。まだ、仕事が残っている」

 サーク、フォウ、ぼく、の順に地下牢から脱出する。

 サークは絵に描いたように冷静沈着だ。

 ぼくは悔し涙を流しながら走り続けた。


    ☆29☆


 サークが向かった先は城塞都市の中央部だ。

 ガラージュを発動した際、最も効果をあげる場所。

 驚いた事に、ここへ来る途中、ほとんど敵に会わなかった。

 安全なルートを事前に調べあげていたのだ。

 ぼくとフォウに、万が一にも危険が迫った場合、速やかに両者を救い出す。

 サークは別動隊としての任務を完璧にやり遂げた。

 アイナに踊らされたとはいえ、ぼくも、いい所を見せないと格好が悪い。

 今頃になって城内の警報が鳴り響いた。

 周囲が騒がしくなる。

 兵士が必死にぼくらを探す。

 今更慌てても、あとの祭りだけど。

 フォウが〈帰還〉の呪文を唱え、サークを連れ安全な場所にテレポートする。

 二人が魔方陣に包まれ、消え去る寸前。

 フォウが、こんな事を言い残した。

「ガラージュを人殺しの道具…と言いましたが、時には、こんな物でも必要な時があります。泥沼の戦いを終わらす為。敵を威嚇し戦いを回避する為。理由は様々、色々とあります。ですが、これだけは忘れないで下さい。巨大な力を持つ者は…力を持った瞬間から…嫌でも、大いなる責任が生じます。そして、責任を果たす義務を負う事になります。果たすべき義務とは…つまり、子供でも分かる簡単な事です。それは…この世界を平和にする事…ただ、それだけです」

 言い終わると同時に二人の姿が掻き消えた。

 フォウから渡されたガラージュを取り出し、ぼくは最後の仕事に取りかかる。

 ダイカ兵の騒々しさも増してきた。

 この場所もいずれ見つかるだろう。

 その前に決着(ケリ)をつける。


    ☆30☆


 ぼくは緋色の巻物を広げる。

 紙の端から〈暗号化(エンコード)〉された〈魔法文字(マジック・スペル)〉を〈復号化(デコード)〉する。

〈魔法文字〉が、ぼくの周囲を取り囲む。

 光輝く無数の文字列が、巨大な魔方陣を形成。

 巨大な唸りをあげ、夜空一面に展開。

 ぼくは最終式、〈発動禁止(デス)呪文(スペル)〉を厳かに詠唱する。

「焼き尽くす劫火、滅び尽くす業火! 汝、光の柱、光球をもち、世界を殲滅せん!

〈ニュウ・ライジング・サン〉!」

 火のガラージュが爆裂した。

 蒼白い光が世界を覆う。

 閃光に夜空が真昼のように明るく輝く。

 上空に太陽のような火球が膨れ上がり、凄まじい熱線を放射。

 鋼鉄製の剣や盾が、熱に耐えきれず、原型が分からないほど歪む。

 兵士、建物、植物、万物が真っ黒な消し炭へと変わる。

 城塞都市は瞬時に燃え上がり、一瞬にして焦土と化す。

 膨張を続ける火球の周囲が歪み、衝撃波が発生。

 火球の歪みの正体は衝撃波だ。

 衝撃波が爆心地へと襲い掛かる。

 熱線を浴びた建物が衝撃波に曝され、硝子細工のように砕け散る。

 砕けた破片、粉塵が、踊るように空を舞い、第二波、第三波が、地の果てまで吹き飛ばす。

 衝撃波は地表へ到達すると地面で反射し、第二、第三の反射波を生む――秒速百メートルを超すマッハ波だ。

 超々・衝撃波が、世界を一掃する。

 まるで…最初から何も無かったかのように。

 世界は消え去る。高熱の火球は、上昇を止めない。

 激しい上昇気流を発生しつつ、破壊し尽された細かい破片、粉塵を、その気流で巻き込みながら、天高く舞い上がる。

 大空を覆い尽くす、ドス黒い巨大な黒煙。

 黒い入道雲。

 傘のように広がる禍々しい、その姿、形状から、それが何であるかは…すぐに分かる。

 視界を覆わんばかりに、今も拡がり続ける、想像を絶する巨大なそれは、

 悪夢のようなキノコ雲だ。


フェイズ2


   ☆1☆


 激しい動悸が治まらない。

 目の前の爆発は、仮想現実――アルカディナの…ゲームの世界の出来事だ。

 頭では分かる。

 なのに、ぼくの息は乱れ、脂汗にまみれ、手の震えが止まらない。

 あの爆発は、まるで本物みたいだった。

 あまりにも現実感がありすぎる。

 まるで…本物の原子力爆弾じゃないか! ぼくは乱暴に〈VG〉を取り外す。

 現実世界に戻ったというのに、あの光、熱、音、匂い…そして、なにより…恐ろしい現実感が、ぼくを支配し続け、いまだに解放してくれなかった。


    ☆2☆


 上海~香港間行きの、九龍鉄道。

 その車内、食堂車の一角にぼくはいる。

 食事を取ると言い、雷華と蘭花のいる車両から出たのだ。

 実は食事は口実で、こっそりアルカディナをプレイする為だった。

〈VG〉をリュックにしまい、食堂車をあとにする。

 眩暈が続く。足元がフラフラする。

 それでも、なんとか、雷華たちの乗り合わせている車両に辿り着いた。


    ☆3☆


 雷華と蘭花はトランプの〈ババ抜き〉を続けていた。

 ぼくも途中まで一緒に遊んでいたけど、いち早くあがり、アルカディナをプレイする事にした。

 最強のゲーマーにとって〈ババ抜き〉は退屈すぎる。

 ぼくが抜け出し一時間ほど経つだろうか。

 にもかかわらず、二人の〈ババ抜き〉はいまだに終わってなかった。

 一度目は終わって、二度目、あるいは三度目? なのか? でも…二人だけで〈ババ抜き〉を何度もするだろうか?

「わたしの! タアーン!」

 雷華が叫ぶ。

 妙に気合いが入っている。

 雷華は目の下にクマを浮かべ、ギラギラした瞳で、向かいに座る蘭花を睨む。

 なんか…ただならぬ雰囲気だ。

 雷華が蘭花に告げる。

「蘭花…わたしたちの…一時間以上にも渡る長き戦いも…いよいよ、終わりを迎える時がきた!」

 決着ついてなかったんだ! 一時間以上も! 

「このターン…わたしは…わたしのすべてを、この引きに賭ける! 今こそ! 泥沼の戦いに終止符を打つ! いくぞ蘭花! わたしにババは似合わない!」

 雷華の手が蘭花の手札に伸びる。

 迷いのない引きだ。

 が! ババというキーワードに蘭花が鋭く反応する。

「ババが似合わないのは…アタシも同じです! むしろ! 雷華姉様のほうが! ちょっぴり、ババに近いような! そんな気がします!」

「ババ! ババカな! わたしを動揺させる気だな! その手には乗らんぞ! 今までの、わたしとは違うのだ! 今度こそあがってみせる!」

「それはどうでしょう? ババはババに、より相応しい方に、行きたがっているようですよ? 雷華姉様」

 二人とも…ババを引きたくないらしい。

 ゲームだから…という理由だけでは、ないような…何故? ぼくの位置からは、蘭花の手札が丸見えで、手持ちの手札は、

 ハートのエースにジョーカー。

 雷華が持っている手札は、

 ダイヤのエース。

 気合の入った引きは、まさしく、この戦いに終止符を打つべく的確にハートのエースを狙っていた。

 引きにすべてを賭けただけの事はある。

 が! 蘭花の言葉に、雷華に迷いが生じる。

 手がピタリと止まる。

 二枚ある内のどちらを引くか、ウロウロしだす。

 完全に蘭花の術中に落ちた。

「こ、こっち! か? いや、こっちか! あう? どっちだ? こ、これ! こっちだ!」

 結局ババを引く。

「ぐはあっ!」

 雷華が悲鳴をあげる。

 蘭花が勝ち誇ったように満面の笑みを浮かべ、

「どうやらババはアタシを嫌っているようです」

「うぐうっ!」

 雷華が呻く。

「アタシのっ! タアーンッ!」

 今度は蘭花が叫ぶ。

「すべては神の思し召しです。残念ながら、雷華姉様が勝者になる事を、神様はお認めになりませんでした。アタシも本気でいきます! この引きにすべてを賭けます! どうか神のご加護がありますように!」

 蘭花の通う〈護国聖常(ごこくせいじょう)学園〉は、厳格なカトリック系の神学校だ。

 蘭花の手が伸びる。

 その先には、雷華の持つダイヤのエースが待ち構えている。

 ぼくは雷華の手札が見える位置に移動していた。雷華が叫ぶ、

「甘い! 甘いな蘭花! 己の全てを賭ける! とか言いながら! 結局は神頼み! そういうのを他力本願と言うのだ! それで、わたしに勝てると思うのか!」

 雷華の言葉を聞き、蘭花に迷いが生じた。

 手がピタリと止まる。二枚ある内のどちらを引くか、ウロウロしだす。

 完全に雷華の策略に落ちた。

「こ、こっちでしょうか? でも、こっちかも? うう~! ど、どっち? こ! これです!」

 結局ババを引いた。

 蘭花の口元から魂が抜けていく。

 勝負がついたのは三十分後だった。


    ☆4☆


 ぼくの目の前に雷華と蘭花が座っている。

 二人とも妙に目つきが鋭い。雷華が口を開く。

「星図。君は妙に早くババ抜きをあがって、食事にいったな? しかも、一時間以上かかっている。普段はもっと早く食べ終えるはずだが? 何か、理由でもあるのかな?」

 検事のような口調で雷華がぼくに問う。ぼくは、

「中国の列車って初めてだから、内部をいろいろと見たり、食事を取る時も、つい景色に見とれたりして、いつの間にか時間がたったんだよね。その、遅くなって御免」

 雷華が深い溜め息を吐き、蘭花に顔を向ける。

「星図被告が以下のアリバイを述べたが、とりあえず有罪でいいか? 蘭花裁判長?」

「いえ、まだ有罪は早いかと思います。検事、雷華姉様」いきなり被告扱い、弁護士抜き、しかも判決は有罪!

「い、異議あり! そもそも何の罪か説明が無いじゃん! 何それ!」

「君の罪は! わたしが禁止したにもかかわらず! またしてもゲームで遊んでいた事だ! よって星図を有罪にする! 蘭花裁判長! 星図は〈豪雷〉の刑で決まりだな!」

 バリッ! 雷華の身体が青白い雷を帯びる。

「ちょっとまってー!」

「検事、雷華姉様、もう少し説明が必要ではないでしょうか?」蘭花裁判長が割り込み、雷が一時的に治まる。

「星図…君は、わたしと蘭花がババ抜きに夢中になっているのをいい事に、わたしとの約束を破り、ヴイジーとやらを無断で使用! ゲームで遊んでいたのだ!」

「い、異議あり! 蘭花裁判長! すべて検事、雷華の推測です! ぼくは約束を破った事はありません! 本当に食堂で食事をしていただけです!」

「異議を認めます。〈VG〉を使用した件は確かに推測です」

「確かに、わたしの想像になるか。証拠も無いし」

 やった! 蘭花がぼくの異議を認めてくれた。

 この調子で逆転だ!

「だが星図被告! 君は致命的なミスを犯した!」

「な! 何を?」

「君が抜けたあとも、わたしと蘭花は二人で〈ババ抜き〉を続け、一時間が経過した。おかしい? 何か変だ? いつまでたっても勝負がつかない。不審に思ったわたしと蘭花は、神聖な〈ババ抜き〉を一時中断し、お互いの手札を公開しあい、カードを確認した」

 まさかっ!

「どうした星図被告。何か言いたそうな顔つきだな。何か思い当たる事でもあるのか?」

「いえ! 何も!」

 この場はシラを切るしかない! 蘭花が神妙な顔つきで告げる。

「〈ババ抜き〉――それは、最後にババを持つ者を…通常の三倍、早くお婆さんにする…という恐るべき伝説のカード・ゲーム!」

「何それ! 聞いた事ないよ! そんな伝説!」

 雷華がキレる寸前の声音で告げる。

「君の不正の数々! もはや万死に値する!」

「えっ!」

 まさか! あれが見つかったのか! 雷華がトランプの束を取り出す。

 座席の上に問題の札を次々に並べる。

 最初に広げたのは4のカード。

 何故か五枚ある。

 ハートの4が二枚ダブっている。

 他にも五枚組のカードが次々に並ぶ。

 どれも同じカードが一枚ずつ余計に入っている。

「つまり、本来のカードとは別に、予備のカードを使い。早くあがった…というわけだ。残ったカードが三枚。当然、勝負がつくはずがない! 一枚余るのだから!」

「完全なイカサマです! 星図さんとはいえ、絶対! 許せません!」

「ちょ、ちょっと待って! たまたまカードがダブってたんじゃないの! そう! このトランプは不良品だよ! だいたい予備のカードって、どこにあるのさ?」

 雷華がぼくを睨む。

「君がいま手を突っ込んだポケットの中にあるんじゃないのかな? ほ・し・ず!」

 ギクリッ!

 言い逃れは出来なかった。

 ぼくはポケットの中から予備のカードを取り出した。

「さすがは、名探偵、雷華! こうも鮮やかに推理されたんじゃ! 言い逃れのしようがないよ! 煮るなり! 焼くなり! 氷漬けにするなり! 落雷するなり! 好きにしてよ!」

 雷華と蘭花が顔を見合わせ、

「逆切れか…」

「逆切れですね…」

 と声を合わせる。

 雷華が再びぼくを睨む。

 心なしか、青白い顔がさらに青さを増したような気がする。

 やつれた…とも言うのか。


    ☆5☆


 開き直ったぼくに向かい、雷撃、氷撃が飛び交うかと思ったけど、

「とりあえず…ブイジーを渡してもらおうか、星図。ゲームで遊んでいた。という、確たる証拠は無いが、イカサマ野郎の言う事を素直に信じるほど、わたしも甘くない」 

 雷華の全身からドス黒いオーラが立ち昇る。

 かなり怖い。

 蘭花を見ると、素直に従うべきです。

 と、言わんばかりにコクコク頷く。

 ぼくはカバンの中から〈VG〉を取り出し、雷華に渡した。

 しばらく、しげしげと〈VG〉を眺めていた雷華が、

 バギュンッ!

 ボンッ!

 パラパラパラ………。

 雷撃に、ぼくの〈VG〉は瞬時に黒こげ、爆発音とともに部品が周囲に弾け飛んだ。

 突然の出来事に、ぼくと蘭花が絶句。

「ふ、ふふっ…うふふっ…あはっ! あーはははっ!」

 雷華の狂ったような笑い声が、車内に響き渡る。

 いびつな笑顔で〈VG〉を床に叩きつけ、憎々しげに踏み砕く。

〈VG〉は完全にオシャカになった。

 発作のような笑いが治まり、肩で息をする雷華が、

「ふう…これで…いい。最初から、こうすべき、だった…のだ」

「ひ…」

 酷い! と、ぼくが言おうとすると、

「酷くない! 酷いのは…この! ブイジーだっ!」

 雷華が涙目で訴える。

「君のニッポン出発を手伝い! 香港行きまで付き合っているのに! 挙句の果てがこれか! わたしの純情をもてあそび! 妹の蘭花にまで悪さを働く! ちょっと目を離せば…即! ゲーム! ゲーム! ゲームだ! 君をいくら罰しても無駄とわたしは悟った! 諸悪の根源はこいつだ! ブイジーだっ! だ・か・ら! 元から断つ! 最初からそうすれば良かった!」

 ダンッ!

 ダンッ!

 雷華が壊れた〈VG〉をさらに踏みつける。

「ふっ、ふふっ…あーはははっ! これで君はゲームを出来ない! わたしが…わたしと蘭花が、寂しい思いをする事もない! ゲームごときに君を取られてたまるか! 乙女の純情を思い知ったか! この! 機械の分際で! 女をナメるな!」

 狂人じみた泣き笑いが続いたかと思うと、唐突に雷華の動きが止まった。

 ゼンマイの切れた人形のように、パタリとその場に倒れる。

 全身から脂汗を滴らせ、全身が青く変色する。

 蘭花が乗務員を呼ぶ。

 駆け付けた乗務員が軽いチアノーゼと診断した。

 雷華の口元を酸素マスクで覆う。

 医務室へ運ぼうとするが、雷華が拒むので、渡された毛布で体を包み、座席にそのまま横たわらせた。

 容体が回復するまで、ぼくと蘭花が交替で雷華に付き添った。

 しだいに顔色が良くなり、寝顔も安らかになってきた。

 ぼくは、雷華の寝ている座席からちょっと離れ、通路に蘭花を呼び出した。


    ☆6☆


 夜明けまであと少し。

 けど、夜明け前が一番暗い。

 車窓の外は、そんな薄曇りの暗い空だ。

 通路の照明も、いまは明度を落としている。

 薄暗い中、蘭花の白金色の髪。

 透き通るような白い肌が、月のように輝く。

 真紅の瞳が不安そうにぼくを見つめる。

「あの…雷華姉様は、わ、悪気があって、あんな事をしたんじゃなくて。その、雷華姉様の代わりにアタシが謝ります! 雷華姉様を許して下さい! お願いします!」

「いや…その、悪いのは、ぼくの方だし。蘭花に謝られても…顔をあげてよ、蘭花」

 腰を折らんばかりの蘭花が、ようやく顔をあげる。

「雷華が目を覚ましたら、ぼくが謝っていたって…ゲームで遊んでいた事を後悔していたって、伝えてよ」

「え? それって、その…どういう意味ですか? まさか、列車を降りるとか、そういう事じゃ、ないですよね?」

 ぼくが頷くと、蘭花がブンブンと首を振る。

「だ、駄目です! こんな大陸の真ん中で、どうするつもりです? 死んじゃいますよ! やめて下さい! いくらなんでも無茶です! 無茶すぎます!」

「もう決めたんだ。これ以上、雷華と一緒に旅は出来ない。雷華はいつも正しくて、ぼくはいつも馬鹿ばっかり。上手くいくはずがないよ」

「そ、そんな事は無いです! きっと、雷華姉様もわかってくれるはずです! いつか――」

「待つわけにはいかないんだ。御免、蘭花。もういかなきゃ、馬鹿は馬鹿なりに、やるだけやってみるよ」

「そんな! 星図さん。雷華姉様に…何て言えば…」

「『ありがとう』って、言っといて。それで充分だよ」

 列車がぼくの知らない駅に到着。

 列車を降りた。

 扉が閉まる寸前、蘭花がぼくに今のぼくには必要のないモノをくれた。

「いつか役に立つかもしれません。とっておいてください。せめてものお詫びです」

 ぼくが頷き、それを受け取る。

 ドアが閉まり、列車が動き出した。

 蘭花が不安顔を通り越し、涙顔でぼくを見つめる。

 けど、その姿もあっというまに遠のいた。

「さて、と」

 リュックを背負い、ぼくは一人でホームを歩き出した。


    ☆7☆


 漢字に感謝しないといけない。

 駅周辺の繁華街を抜けると、大陸特有の広大な世界が目の前に広がる。

 道標の〈香港〉の文字と矢印だけを頼りに歩き出す。

 あとは、地平の彼方まで続く一本道。

 いざとなったらヒッチハイクでもなんでもしよう。

 漠然とそう考えながら道を歩く。

 なんとなく歩きたい気分だ。

 せっかく中国まで来たというのに、今までろくに景色を楽しむ暇も無かった。

 自分を見つめ直すいい機会かもしれない。

 でも、無限といってよいほどの時間を与えられながら、頭に浮かぶのは、しょうもない雑念ばかり。

 そして、今のぼくに出来る事といえば、右足を上げて前に出す。

 左足を上げて…以下同文。

 足の動きに合わせて両腕を振る。

 これだけだ。

 単純な規則正しい動きを、無限に繰り返す。


    ☆8☆


 周囲の景色は無情にも、まったく変化しない。

 すでに見飽きた風景を、延々と眺める羽目に陥る。

 時折、鉄道が通り過ぎるけど、山間部に入り、路線がトンネルに入ると、鉄道の姿も見えなくなる。

 歩き始めて半日。

 それだけでもう、すっかり、うんざりしてしまった。

 にもかかわらず、ぼくは歩みを止めない。

 なかば意地になっているのかもしれない。

 歩き続ければ、きっと何かあるはずだ。

 と、思う。

 何かあるに違いない。

 と、自分に言い聞かせる。

 きっと、違うモノが見えてくる。

 そうに違いない。

 と、自分に信じ込ませる。

 すべては、何の根拠もない…泡のように儚い…夢と希望――嘘だ。

 ぼくが勝手に作りあげた嘘っぱちだ。

 本当は夢も希望も無いってわかってる。

 この現実世界には、何も有るわけが無い。

 何も起きないし、起きるわけもない。

 夢や希望というものが、もしもこの世に有るとするならば、それは、たぶん…虚構の世界。

 夢物語の中だけだ。

 中国大陸という、目の前に広がる広大な世界には、山間に茂る草花と、一本の道と、それに、一人で黙々と歩き続けるぼく――少なくとも、それ以外の何一つ無い。

 ぼくは果ての無い世界を歩きまわり、果てのない世界を見ているつもりで、実は、何も見ていない。

 何も考えていない。

 歩いてさえいないのかも。

 ここは本当に何も無い。

 ぼく自身――絶望的に何も無いけれど。


    ☆9☆


 たしか、朝、いや、深夜か――から、歩き続け、昼になり、夜になり、また朝になって、今また、空を見上げると、いつの間にか、月が天高く昇っていた。

 かなり歩いたらしい。

 もしかしたら道を間違ったかもしれない。

 とても喉が渇くし、おなかが減る。

 飲まず食わずで歩いたせいか? 食料と水をもっと買っておけばよかった。

 今さら後悔する。

 それにしても、ちょっと、疲れた。

 さっきまで規則正しく、正確に繰り返せた動作が、今は、なんだかぎこちない。

 どこかフラつく。

 体の調子がちょっとおかしい。

 焦点が上手く合わない。

 景色が微妙に歪んで見える。

 それに、もっと気になる事がある。

 心臓のちょっと左側が、シクシクと痛む。

 痛みに耐えかね、ぼくは道の端で横になった。

 これじゃまるで浮浪者だな――と、心の隅で考える。

 けど、どうにも、体が動かない。

 瞼が重くなってきた。

 ぼくは目を瞑る。

 パソコンならフリーズ。

 いや、システム・ダウンか…とにかく…猛烈に眠かった。

 まるで、魔法にかけられたみたいに、ぼくは一瞬にして意識を暗闇に乗っ取られた。


    ☆10☆


 どれぐらい眠っただろう。

 時計を見るが、壊れて止まっている。

 ゆっくりと立ち上がった。

 踵と膝が悲鳴を上げている。

 ズキズキと痛む。

 歩けないほどじゃない。

 ぼくは半ば足を引きずりながら歩きはじめる。

 さっきから妙な音が聞こえる。

 けど、音がしているわけじゃなかった。

 キンキンと耳元で鳴り響くのは、どうも耳鳴りらしい。

 耳まで変になってきた。

 ぼくは夢遊病者かゾンビのように、それでも歩き続ける。

 重苦しい厚い雲が、空を覆い尽くし、いくら眺めた所で今が何時頃なのか、さっぱりわからない。

 時間の感覚も麻痺しつつある。

 たった数秒が無限に感じられる。

 ぼくはちゃんと前に進んでいるのだろうか?再び暗闇に落ちる。


    ☆11☆


 両手の指先と左足が麻痺して動かない。

 寒さのせいか? 完全に足を引きずって、ぼくは懸命に前に進んだ。

 途中、何度転んだかわからない。

 幸い、頭を打つ事は無かった。

 これ以上頭が悪くなったら困る。

 とにかく、前に進む。

 いや、進んでいるつもりだ。再び暗闇。


    ☆12☆


 視力がガタ落ちする。

 霞んで目の前が全く見えない。

 道らしき感覚だけを頼りに、ぼくは這うように進んだ。

 また暗闇。


    ☆13☆


 前に進む力も尽きた。

 たぶん…道に横たわってから二、三日たつ。

 回復する兆しもない。

 どうやら、ぼくもこれで終わりみたいだ。

 闇が広がる。


    ☆14☆


 闇………。


    ☆15☆


 や…み…。


    ☆16☆


 ……………。


「死ぬつもりですか? ホシズ?」

 え? …な? …ん?

「まだ死ぬには早いんじゃないですか? ホシズ。いえ、こちら側の世界では、そう、星図でしたね、ホシズ」

 気力を振り絞って瞳を開ける。

 霞む景色が、少しずつ、はっきりと見えてくる。

 聞き覚えのある声。

 その主は、まぎれもなく――

「ようやく生き返ったようですね、ホシズ。じゃなくて…星図。ああ、そうそう、こっちでは初めてお会いするのでしたね。では…あらためて、ご挨拶しましょうか。わたくしはアルカディナ大陸。シン国の指導者にして、〈HIME〉の――」

「「アイナ」」

 ぼくとアイナの声がハモる。

 目の前に立つ少女は…まぎれまなく…アルカディナ世界の住人。

 アイナだ。


    ☆17☆


「体の調子はどうですか? もう回復しているはずですけど。ちょっと動かしてみてください」

 アイナに言われるまでもなく、ぼくは起き上がろうとする。

 指先、踵、膝、目、耳、他全部。

 おかしくなっていた身体が、今は完全に、スッキリと治っている。

 多少フラつきながら、なんとか立ち上がる。

「こ、これって…」

「わたくしが治してあげました。感謝なさい。特別大サービスですよ」

「そ、そう。ありがとう」

「どういたしまして」

 目の前の少女は、姿、格好、雰囲気、冗談めいた軽口に至るまで、全てが仮想現実世界アルカディナのアイナそのものだ。

 というか、いったい、これは、どういう事だ? 周囲には車も、それらしい乗り物も無い。

 街からは数百キロ離れてるし。

 なのに、忽然と地の果てにアイナが現れた。

 こんなことが…現実に起きるはずが…。

「不思議そうですね。でも…〈HIME〉といえば、アルカディナ世界において、上級職を遙かに超える、超、幻の職業。ゆえに…」

「…」

「現実世界に忽然と現われても、まったく不思議はありません」

「…」

 アイナが頬を桜色に染める。

 ついでに頬を膨らませ、

「『説明になってないよ!』とか、『不思議すぎるよ!』とか、『ゲームの話でしょ!』とか! 突っ込んでもらわないと、わたくしが馬鹿みたいじゃあないですか! ホシズ! じゃなくて、星図!」

「…」

「あう。今日はとことん乗りが悪いですね~。まあ、無理もないですが。色々とあり過ぎたようですから。でも、過ぎた事を悔やんでも仕方ありません。過ぎたるは及ばざるがごとし。というか、そろそろ口を聞いてください。いい加減、わたくしの存在を認めてください。てゆーか、堂々と無視しないでください!」

「わ、わかったよ…アイナ」

 自らを励ますように、元気よく言ったつもりだけど、実際は呻くように、弱々しいガラガラ声。

「わかってくれましたか!」

「これは夢で! 幻に違いない!」

 アイナがコケた。

「きっと幻覚か、何かに違いない」

「何で!? そうなるんですかあああ!?」

 ぼくは幻覚アイナを無視して歩きだす。

 体の調子は戻ったけど、オツムの方は…ちょっとヤバイ感じらしい。

 いや、かなり重症みたいだ。


    ☆18☆


 アイナが小走りに駆けつけ、ぼくの横に並ぶ。

 しばらく一緒に歩いた。

「だいたい、今までさんざん不思議な事件に遭遇しているというのに。今更、一つや二つ、不思議な少女が増えた所で、たいして変わらないはずです。そう思いませんか?」

「…」

 と、幻覚アイナが言う。

 はふぅ。

 と、幻覚アイナがため息をつく。

「星図も頑固ですね~。一応、わたくし、星図の命の恩人なんですけどね~。さっきは素直に『ありがとう』って言ったのに。もう信じられません! 酷い仕打ちです! 恩知らずです! 恥知らずです! ついでに親の敵です!」

「なに親のカタキって! …」

「はい?」

 アイナがニッコリ笑う。

 うぐ、危うく突っ込みそうになった。

 その手に乗るか。

 幻覚アイナめ。

「冗談はこれぐらいにして。現状、どれぐらい危険な状況か分かっていますか?」

 そんな事は、幻覚アイナに言われなくても、分かっている…つもりだ。

「大陸を甘く見ると、本当に命を落としますよ。見るに見かねて、今回だけは特別に助けましたが、本来ならとっくに死んでますよ。餓死ですよ。餓死」

 今は、そんなに、お腹は減ってないけど。

「食料も水も、ろくに持たずに、しかも徒歩で旅をするなんて、言語道断です。街からは数百キロ離れています。そのうえ、香港まで数百キロ以上ある。一番近い街でも、ここから百キロ以上先。しかも、地図があるわけでもなく。その体では、引き返す事も進む事も出来ません。助けを呼ぼうにも、携帯の電波は圏外。まさに絶体絶命。犬死に寸前。無茶をするにも程があります。そもそも、何で鉄道なんです? 飛行機なら、こんな危険は無かったでしょうに。そんなにゲームをやる時間が欲しかったんですか? 鉄道なら時間はたっぷりありますからね…いえ、ゲームを否定する気はありません。仮想世界と現実世界。二つの世界に、さしたる違いはありませんから」

 アイナがぼくの目の前に立つ。

 もうじき夜明けだ。

 空はオレンジ色に染まり、幾重にも重なる重厚な雲が金色に輝く。

 心地よい風が流れ、青草が絹のようになびく。

 幻想的な世界を背にして少女が低く呟く。

「星図…わたくしはね、怒っているんですよ。猛烈に腹を立てているんです。ハラワタが煮えくり返っているんです。これは…冗談ではありませんよ」

 幻覚アイナ、の…はずなのに、凄い迫力だ。

「星図…あなたは、例えてみれば」

 み、みれば、

「怒ったアメリカ・ザリガニッ! みたいな物です!」

「ワケわかんないよ!? その例えっ!?」

 堪え切れずに突っ込んだ。

 が、アイナは怯まなかった。

 目がマジだった。

 きっと…ぼくは、悪い夢を見ているに違いない。


    ☆19☆


「ある所に小さな池があり、そこに一匹のアメリカ・ザリガニが住んでいました」

 アイナのアメリカ・ザリガニ物語が始まった。

「その池の中でアメザリは…アメリカ・ザリガニの略ですが――は、最強・無敵を誇っていました。アメザリは小魚を蹴散らしては、毎日、王様気分を満喫していました。まさしく、池帝国の帝王です。やりたい放題です。ところが!」

 アイナが拳を固めて力説する。

「ある日、大洪水がその池を襲います。小さな池など、ひとたまりもありません。アメザリも溢れかえった水に流され、アスファルトの路上に投げ出されました。幸い、道路に人通りはありません。なにしろ、道路も水浸しで歩ける状態ではないからです。アメザリは道路のど真ん中に立ちつくします。さあ大変。池帝国では最強・無敵のアメザリも、今は無力でちっぽけな一匹のアメリカ・ザリガニに過ぎません。やがて、雨が止みます。道路の水も引きます。少しずつ、人通りが戻ってきます」

 アイナが、ビシッ! と、人差し指をぼくに突きつけ、

「問題です! このあとアメザリはどんな行動に出るでしょうか? 十文字以内で簡潔に答えなさい!」

 いきなり問題を突き付けられた!

「え? ええと…その…」

「あと十秒!」

「い、池に逃げた!」

「ブ―! ハズレです!」

 アイナが勝ち誇り、腰に手を当て、胸を逸らす。

「アメザリは逃げません。人が通っても、アメザリは二本のハサミを振り上げ、無意味に威嚇を繰り返すだけです」

 全然、十文字以内じゃないじゃん。

「アメザリは気づきもしないんです。道路に放り出されても、まだ、自分は王様だと思っているんです」

 アイナの瞳が冷たく光る。

「とんでもない思い上がりです。ちっぽけなアメザリなど、悪ガキに捕まれば、自慢のハサミごと引き裂かれるでしょう。野良犬の格好の餌にもなるでしょう。心ない大人が蹴っ飛ばすかもしれません。車や自転車に轢かれる恐れもあります。危険のど真ん中です。一瞬で命を落としかねない状況です。にもかかわらず、アメザリは二本のハサミを振りかざし、馬鹿みたいに無意味な威嚇を続けます。自分がちっぽけな存在だと、死ぬまで気づく事もなく…」

「なんか、その話って『井の中の蛙』に、似てるね…」

「日本の〈コトワザ〉ですね。だいたい内容は同じです。が、愚かという点において、アメザリは蛙よりも遙かに愚かといえましょう」


    ☆20☆


 アイナの瞳に涙が浮かぶ。

 口許がわななく。

 唐突にアイナが右手を差し出した。

「?」

 ぼくが戸惑った顔をすると、

「握手しましょうか? 星図」

 幻覚のアイナの手が、握れるのだろうか? ぼくは疑問を抱きつつも、アイナの手を握った。

「!?」

 アイナの手は小さく、握り締めれば壊れてしまいそうなほど柔らかい。

 それより何より…その小さな手は…とても温かった。

 冷え切ったぼくの右手を…アイナの右手が温める。

 風が吹き、雲間から光が差し込む。

 目の前の少女もまた黄金色に染まっていた。

 心なしか、アイナの瞳も金色に輝いて見えた。

「わたくしの手は…温かいですか? 星図?」

「うん…温かいね…」

「この温もりを…忘れてはいけません…星図」

「…」

「この温もりを…人の温かさを…忘れた瞬間から、人と人との間に争いがおこります。人は誰でも、この温かい血が流れている…その事を忘れてはなりません」

「…」

「この温もりを忘れた瞬間に…人は、他人だけではなく、自らも傷つけます。星図。あなたの手も…こんなに…温かいじゃないですか…自分を傷付けてどうするん…です…」

 アイナが再び涙目になる。

「こんなに…温かいのに……」

「…」

「あなたの体の中に流れる血は、決して冷たくはない! 温かいじゃないですか! 命を粗末にしないでください! そんな事は! わたくしが許しません! 絶対に許しません!」

 ぼくの負けだ。

 アイナは幻覚でもなんでもない。

 本当に、現実に、存在している。

 まるで、お伽話の主人公か、架空のヒーロー。

 いや、ヒロイン? みたいに、ぼくを助けに来てくれた。

 でも、何もかも認めざるをえない。

 完敗だ。

 それに…さっきアイナがこう言っていた。

 仮想世界と現実世界…両者にさしたる違いはないって。

「ごめん。アイナ。ぼくの負けだよ。ヤケになって、無茶をしすぎた。ごめんなさい」

 ぼくはアイナに謝った。

 アイナの怒りが完全に解けたわけではない。

 けれど、それでも、とりあえず、怒りの矛先は降ろした。

 アイナがちょっとだけ頬を膨らませ、

「星図が反省しているのなら、許します。けど、今回だけですからね! 二度と、こんな…超・特別・大サービスは…ありませんよ!」

 ぼくが深々と反省の意味を込めて頷く。

 ようやくアイナも納得したのか、

「それでは最後にオマケも付けましょうか。この先をちょっと歩くと、深い霧があります。道から少々外れますけど、霧に向かって歩きなさい。霧の中にこそ、星図が助かる道があります」

 アイナが満面の笑みを浮かべた。

 ような気がする。


    ☆21☆


 随分と長い事、夢を見ていた気がする。

 ぼくはノソリと体を動かす。

 不思議な事に、体の調子は悪くない。

 というより、むしろ良い。

 両手、両足、小指、薬指、中指、順に動かす。

 指先は問題なし。

 肘、膝、肩。

 関節も問題なし。

 左右を見回し、耳を澄ます。

 すべて正常。

 問題なし。

 眠りにつく前は死にかけていたというのに、今は嘘のように回復している。

「なんか…すごい、いい夢を見ていたような…いないような…気がするけど…」

 ぼくは、ゆっくりと体を起こし、伸びをした。

 朝陽が目にしみる。

 目を細めて、ぼくは歩きだした。


    ☆22☆


 道からちょっと逸れた方向に、霧が立ち込めていた。

「霧?」

 別に霧があっても不思議じゃない。

 けど、妙に気になった。

 そこへ向かって歩かないと、いけない。気がした。

「行ってみよう…かな…」

 一言呟き、ぼくは歩き出した。

 霧に近づくと、それがただの霧じゃない事に気がつく。

「何だこれ? 疑似波で作った霧か? ただの霧じゃないな。誰が何の目的で作ったんだろう? でも、どうしようかな? 前に進むべきか? それとも、退くべきか? う~ん、困ったね」

 霧の合間に金色に輝く呪文めいた文字が煌き浮かんでいる。

 ユラユラと揺れるその文字を見つめながら、

「ここで野垂れ死にってわけにも、いかない…よね」

 言い終えるなり、ぼくは霧の中に飛び込んだ。


    ☆23☆


 霧の中に入るや否や、背後から無理矢理押し出される、奇妙な感覚に襲われる。

 飛行機が離陸する寸前の逆、そんな感覚だ。

 霧の中では一切の視界が利かないのに、先ほどまでユラユラと浮遊していた光の文字群が、まるで本物の光のように、ぼくの周囲をすり抜けていく。

 星空に向かって加速したらこんな感じか――と思ったら、再び元の霧に戻る。

 不思議な加速感は一瞬だけで、あっ! という間に終わった。

 直後、

「うっ、げっ…」

 まるで船酔いのような、猛烈な吐き気と眩暈に襲われる。

 お酒を飲んだ事は無いけれど、二日酔いと悪酔いを足して2で割ると、こんな感じかもしれない。

 とてつもなく苦しい。

 けど、しだいに意識がはっきりする。

 そして、それは、ぼくの目の前に忽然と姿を現わした。

 実際には、ぼくがその場に現れた――と言った方が正しいのだろう。

 フラフラしながら、ぼくはそれらを見まわした。


    ☆24☆


 しとしと、しとしと。

 小雨が降っていた。

 じとじと、じとじと。

 重苦しい湿気が、冷えきったぼくの肌に纏わりついた。

 暗い鉛色の空を背景に、灰と黒に統一した、地味で古めかしい高層ビル群が立ち並んでいる。

 色褪せた褐色の古いカワラが、高層ビルの所々を覆い、ビルの谷間を縫うように、無数の看板が極彩色に空を覆う。

 古色蒼然とした街並みと、煌びやかな、異様に派手な、毒々しいネオン看板。

「ここって、もしかして…雷華と蘭花が言っていた〈香港、特零区――亜人街〉かな? なんか、そんな気が…するけど…」

 亜人街という響きに相応しい、混沌とした禍々しい空気感、眩暈を覚えるような、違和感に満ち溢れていた。


    ☆25☆


 昼なお暗い。

 露地の暗がりに立ち尽くし、ぼくは、しばらく辺りを観察する事にした。

 背後に鳥居のような物があり、その周囲に霧と呪文が、うっすらと纏わり付く。

 鳥居の中央に、霧と呪文が集まり、急速に収束。

 霧の中に巨大な人影が浮かびあがった。

 瞬間、ズシンッ! 大地を震わす重々しい響きと共に、身長2メートルを超す巨人が出現。

 漆黒の鎧で隙無く全身を固めている。

 しかし、鎧の表面には無数のヒビが入り、いまにも壊れそうな感じだ。

 自ら流した大量の赤黒い血が、やはり、あちこちにこびり付いている。

 激しい戦闘の直後みたいだ。

 血にまみれた巨大な曲刀を片手に提げ、負傷をものともせず、巨躯に似合わない素早さで、巨人はぼくの横を通り過ぎた。

 ぼくとそいつの目が合う。

 巨人は一瞬、瞳孔を動かすが、すぐに興味を失い、目を逸らした。

 ぼくの存在など路傍の石でしかないようだ。

 けど、ぼくにとっての、その一瞬は、永遠に感じられる程、精神を消耗し、激しく疲弊する、緊張しきった長い、長い時間だった。

 亜人街――その名の通り、そいつは、人間じゃなかったからだ。


    ☆26☆


 エメラルド・グリーンに輝く瞳は、まるで闇夜の猫…というより、黒豹。

 そいつの頭部は漆黒の獣毛に覆われ、太い顎、強靭な牙を備えている。

 体つきこそ人間だが、全身は頭部と同じように、やはり漆黒の獣毛が覆っている。

 人でも無く。獣でも無い。

 まさに…亜人…だ。


    ☆27☆


「なに♪ なに♪ なに~♪ その子、見逃しちゃうんだ~♪ 黒猫ちゃんは、やっさしい~な~♪」

 この場の雰囲気にそぐわない、妙に軽いノリの、それでいて、強気にさえ感じられる、ハイ・トーン・ボイスが響く。

「ただの雑魚だ。それに…俺は一仕事終えてきた所だ。あとは、一杯引っ掛けて寝るだけさ」

 驚いた事に、豹頭の亜人が、声優の堀海賢宇じみた渋い声で答える。

「だったら、その子はあたしがもらっちゃうよ♪ 黒猫ちゃんは、さっさと帰って♪ ネンネしな♪」

 豹頭の亜人は、それには答えず、煙る雨に吸い込まれるように走り去った。

 入れ違いに少女のシルエットが浮かぶ。

 街中のショッピングでも楽しむかのように、スタスタと軽快にぼくに近づいて来る。

 驚いた事に、少女の服装は日本の秋詩原(あきしはら)高校の制服と同じ物だった。

 秋詩原高校は、秋葉原駅にほど近い場所にあり、ワイン色のセーラー服が、超・可愛い、と女子高生の間で有名な学校だ。

 少女の容姿は、垂れ気味のパッチリした子猫のような瞳に桃色の唇。

 フックラした頬に日焼けした小麦色の肌。

 髪は膝まで届く、超・ロング・ツインテール。

 色はショッキング・ピンクに染めている。

 よく見ると仙術の擬似波で染めている。

 と、いう事は…この少女も仙術使い? なのか? その割には、剣士のように巨大な大剣を背負っている。

 少女が大剣を構えた。

 体を開き、切っ先をダランと垂らす。

 柄を握る細い両腕は伸びきっている。

 バス停で重い鞄をダルそうに持つ女子高生みたいだ。

 緊張感の欠片も無い。

 顔と剣先だけが、こちらを向いている。

 奇妙に歪んだ大剣はオレンジ色をした深紅の派手なファイヤー・パターンが施されている。

 本物の剣というより、装飾品みたいだ。

 全てが派手で目立つ少女だけど、気になるのは、ただ一点。

 雷華に瓜二つの――逆八の字の眉毛。


    ☆28☆


「おしかったわね~。賞金首さん♪ 黒猫ちゃんが来なかったら、ゲートから逃げ出せたのにね、一足遅かったわね」

「あ、あの…賞金首って、ぼくの事? ですか?」

「ちっがうよ~! ゲートの鳥居に擬態した、そこの男の事だよ!」

 擬態? 思わず鳥居を見る。

 けど、男の姿なんて何処にもない。

 でも、いつのまにか、赤いスーツにタイト・スカートの女性が…しかも、身震いする程の美貌の美女が、鳥居に寄り添っている。

「い、いつのまに?」

「だ・か・ら・擬態を解いたんだよ!」

 少女が逆八の字の眉根を寄せる。

 うにゅっ! とか、小声で唸る。

「なんか変だな~って、思ってたけど! 君、亜人街の人間じゃないでしょ! たまたま、迷い込んだ、一般人でしょ!」

「たまたま、というか、なんというか、はい。その通りです。ただの一般人です」

「この街は危ないから、早く逃げた方がいいよ! その男も、三百人近い人間を殺した、手配中の暗殺者なんだから!」

 少女が大剣の切っ先で、絶世の美女を指す。

 絹のように艶やかな黒髪をかきあげ、絶世の美女が赤い唇を開く。

「ったく、ツイてねぇなあ! 黒豹の旦那はやり過ごしたってのに! こんな、駆け出しの〈狩人(ハンター)〉に捕まるなんてよ! けど、まあいい、丁度いい人質がいるし、おっと! 動くなよ、お譲ちゃん! ちょっとでも動いたら、こいつの首が飛ぶぜ!」

 凄いダミ声だった! 絶世の美女じゃなかった! オカマだった! 奇麗にマニキュアを施したオカマの爪が伸び、五本の刃と化す。

 爪刃だ。

 これも擬態か? 爪刃がぼくの喉元に突き付けられ、冷やりとした刃物の感触が伝わる。

 危険な状態だ。

 軽く引くだけで、頸動脈が裂け、大量の鮮血が吹き出る事になる。

 少女が、うにゃあ、もうっ! とか言って地団太踏む。

「ったく! 足手まといなパンピーね!」

 オカマが刃で、ぼくを突つき、鳥居を示す。

 仕方なく鳥居に向かい歩くと途端に、

「「何じゃこりゃあ!」」

 ぼくとオカマが同時に叫んだ。

 オカマの爪刃に紫色の淡い霧が発生。

 強酸を浴びたように、爪刃が溶ける。

 ぼくの髪と衣服もシュウシュウと音を立て溶ける。

 って、アチッ! オカマは無事な腕を振り上げ顔をかばう。

「チャアーンス!」

 少女の瞳が、キラーン! /☆ と星型に輝く。

 刹那、大気が揺らぎ、炎のような残像を残しつつ、少女がオカマに突進。

 大剣は振り子の要領で右手後方に大きく引かれ、突進と同時に、切っ先が地面スレスレを走る。

 ショベルを掬いあげるような感じで、オカマの股間から頭頂部まで一気に切り裂く。

 かと思いきや、オカマが超反応をみせ、この一撃を紙一重で避ける。

 攻撃をかわされ、少女に隙が生じた。

 機を逃さず、オカマが反撃。

 溶けていない爪刃で少女の顔を――小麦色の肌を抉る。

 ドンッ! 少女は攻撃を避けずに、逆に踏み込む、と同時に、地面スレスレまで体が深く沈む。

 オカマの咄嗟の反撃は空を切った。

 攻防一体――少女の大剣は滑らかに流麗な弧を描く。

 巨大な大剣が、音速の鞭のようにオカマに襲いかかる。

 が、超・至近距離から放った高速の切り込みを、オカマは本能か直感か、とにかくバックダッシュでかわす。

 ものの、オカマのハイ・ヒールが負荷に耐えきれず根元から折れた。

 オカマの体勢が崩れる。

 少女が大剣を翻し、さらに攻撃。

 大剣の握りが変化。左手を柄の端に添え、右手を柄の底に当て、押し出すように突く。

 少女のしなやかな体が伸びる。

 大剣と一体化した鮮やかな突きだ。

 オカマもこれはかわせない。

 剣が途中で止まった。

 オカマの顔面――寸前だ。

「残念して! お縄につきなさい!」

「わっ! わかった! わかったから傷つけないでくれ! 顔は大事な商売道具なんだ! 頼む!」

 少女が、ムフン! とか言い首肯する。

 ぼくが残念を訂正、

「残念…じゃなくて観念じゃ…」

 すると、少女が顔を赤らめ、

「わっ! わざとよっ! わざと間違ったのよ! あたしが、物を知らないお馬鹿女だと思ったら大間違いなんだからねっ! ほんとだからねっ!」

「…と、刀火が言っているので、そういう事にしてあげてください。ホシズ…ですよね?」

「え? アルカディナでは、そうだけど。ここでは星図って名前で…も、もしかして…」

 目の前にいる青年は、アルカディナのフォウそっくりだった。

「フォウ? なの?」

「はい。その通り。フォウです。アルカディナのフォウです。だけど…やっぱりホシズでしたか。そっくりなので、すぐに分かりました。おっと、リアルでの名前は…星図ですか。ちなみにワタクシは、紫龍(しりゅう)…と、名乗っています」

「よ、よろしく、フォウ…じゃなくて…し、紫龍…」

「では、星図。今後とも、よろしくお願い致します」

 紫龍がお辞儀する。

 オカマの爪刃を溶かした紫の霧。

 あれは紫龍の仙術か。

 誰から教わったんだろう?

 そういえば、アルカディナでも同じような術を使っていたっけ。

 紫龍は長身ながら物腰は極めて柔らかい好男子だ。

 丸い瞳。

 少々、上向きの整った鼻。

 肉付きの良い唇。

 肩まで伸ばした黒髪。

 黒のスーツに黒のシャツ。

 細見のネクタイは紫色。

 服装こそアルカディナとは違うけど、間違いなくアルカディナのフォウだった。


    ☆29☆


 オカマは黒ずくめの怪しい集団に連行された。

 報酬は紫龍が受け取り、刀火と山分けする。

 かなりの額だ。

 紫龍がぼくに説明。

 亜人の力は人間を遥かに陵駕する。

 亜人が人間に対し罪を犯しても、人間が亜人を捕らえるのは難しい。

 亜人を捕縛するには、同じ亜人か術者しかいない。

 人間は遥かな昔から、亜人犯罪者を捕縛する為に高額の賞金を掛けてきた。

 紫龍と刀火は賞金首を捕縛し賞金を手に入れる、狩人――ハンターだった。

 捕縛条件は(デッド オア アライブ)命懸けの仕事だ。


    ☆30☆


 報酬にほくそ笑んでいた刀火が、ハッ! と、ぼくと紫龍を見る。

 急に口を開き、

「何よ、何よ! 二人は知り合いなの!? あたしにも教えてよ! 二人だけで盛り上がってないでさ!」

 刀火の剣幕に押され、ぼくがこれまでの経緯。

 アルカディナにおける紫龍との関係などを説明した。

「つまり…二人は、あるかでぃな。っていうゲームの世界で、一緒に戦った戦友。んで、ホシズは心変わりして悪事を働いている…サーク、こと円龍を追って、日本から上海、上海から香港特零区――亜人街まで来た。って事だね! スゴイネ♪ ホシズ! ホシズって結構アレだね! ヒョロっとして、ナヨっとして、一見、ヘタレな感じに見えるけど…本当はアレだね! アレ!」

 褒め言葉かと思いきや、

「ガンコモノ! なんだね!」

 毎度、毎度、女の子に会うたびに、キツイ事を言われるな!

「友達思いな良い人ですよ、星図は」

 紫龍がフォローを入れてくれた。

「あたしは、猿風(さるかぜ)刀火(けんか)! 刀火って呼んでね! 得物は、この大剣! 炎みたいな剣だから〈炎剣(えんけん)〉ね。カッコいいでしょ! 今後ともヨロシク! ホ・シ・ズ♪」

 気になっていた雷華そっくりの逆八の字の眉から想像した通り。

 名前は猿風刀火。

 雷華の姉にしか思えないので、思い切って、雷華と蘭花の事を話した。

 包み隠さず、今までの事、その結果を、ギクシャクして喧嘩別れした事…なんかも、すべて話した。


    ☆31☆


 話すと、やっぱり刀火は猿風三姉妹の長女で、

「ムヒョオ~♪」とか「ウナ~♪」とか「ニャニ~♪」

 とか、意味不明な言葉を発し、

「世の中、不思議な縁って物があるもんだね♪ ホッシーが…ホッシーはホシズの愛称ね♪ 豪チンや蘭ちゃんと…豪チンは雷華の、蘭ちゃんは蘭花の、愛称ね♪ えっと、知り合いだったなんてね! ビックリ逆転だよ!」

「ビックリ仰天ですね」

 紫龍が訂正。

「ちょっと間違えただけだよ!」

 と刀火が逆切れ、

「とにかく、まずはアレだ! 豪チンと蘭ちゃんの居場所を、情報屋に行って聞こうか! 二人とも亜人街に着いてるだろうし」

「情報屋?」

 ぼくが尋ねる。

「亜人街の情報に長けた人物がいるんです。賞金首の手配もしています。なので、ワタクシと刀火も、その人物によく会っています」紫龍が補足説明。店はそれ程、遠くないそうだ。「これも、星の巡り合わせ…という事でしょう…」

 紫龍が小声で呟く。

「何の巡り合わせ?」ぼくが尋ねると、

「いえ、何でもありません。ただの独り言です」

「そう…」

 小雨の降りしきる中、奇妙な組み合わせの三人が、情報屋目指して歩き出す。


    ☆32☆


 しばらく歩くと、懐かしい街並みに出くわす。

 秋葉原の電気街じみた街だ。

 大量の電気製品が、店内、路上に溢れかえり、商品が所狭しと積み重なっている。

 時折見かける半身半獣の亜人がいなければ、本当にただの電気街だ。

 雨除けの為に天幕が張られた薄暗い路地を、刀火と紫龍が迷う事なく突き進む。

 大勢の客でごった返す中、ぼくも二人に遅れまいと、必死に追いかけるが、迷路のような路地を進む二人のスピードについていけない。

 結果、ぼくは置き去りにされてしまった。

 でも…何だろう? この安心感? この懐かしさ? 外国の…全然知らない街で…しかも亜人街で…迷子になったのに、ぼくの心は落ち着いていた。

 というか、心躍っていた。

 刀火と紫龍が捜しに来るのを待つ。

 というのが正しい選択肢だが、ぼくは辺りをフラフラと彷徨い、あちこちを物色しながら、つい、その場を離れてしまう。

「ぬおっ! モンキーハン9だよっ! それにスト9! 激9! 日本で発売されたばかりのソフトが何故こんな所に!? パッケージが安っぽいコピーだから、あきらかにコピー商品だけど! 値段が安いっ! 他にも新作コピーソフトが一杯だ! 凄いぞコピー天国! 日本じゃ違法だけど! 郷に入っては郷に従え! 中古のレアソフトも含めて、大量に大人買いしよう!」

 この時点でかなり自分を見失っていた。

 という考えがチラッと頭の片隅をよぎるけど、ぼくの探索…そう! RPGのダンジョンさながら、巨大電気街という、大迷宮の探索を始めたばかりのぼくには、探索を途中で放棄出来るわけがない!巨大電気街・大迷宮を、隅から隅まで、労苦を厭わず、隈なく探索した。

 探索すること五時間半。

 ぼくは電気街の端と思われる、人気のない暗い路地で、寂びれた風情の中古パソコンショップを発見した。

 妙に派手なネオンの看板。

 奇妙な店名。

 ぼくは、店の名を口にする。

「〈古物・電脳店☆龍姫・侍女喫茶〉?」

〈古物・電脳店〉は、中古・パソコンショップの事だろう。

〈龍姫〉は、店主の名前か。

 龍姫って…どこかで聞いたような? 問題はそのあと。

〈侍女喫茶〉とは? メイド喫茶か何かか? パソコンショップなのに? 店の外観を見る限り、他のパソコンショップと変わらない。

 むしろ地味なぐらい。

 派手な看板だけが取って付けたように新しい。

 この店はいったいどんな店なのか? 好奇心が抑えきれず、ぼくは開け放たれた扉の外から店内を覗いた。


    ☆33☆


 照明は決して暗くない。

 はずなのに、山と積まれた中古パソコンやパーツ類が光源を邪魔して不必要に暗い感じ。

 店内に入る。

 雑然と積まれた段ボール箱を崩さないよう、慎重に足を運ぶ。

 棚の配置が複雑で、迷路みたいになってる。

 店の中央あたりで、山と積まれた商品の隙間から、レジカウンターが見える。

 商品の隙間からレジ内部を覗く。

 椅子に一人の少女が腰かけている。

 見た目、十五、六歳の少女。

 輝く大きな黒い瞳。

 光輝を纏う白い肌。

 炎のような深紅の唇。

 亜麻色の髪は自然に肩まで垂れて…って、つまり…要するに…少女はアイナみたいだった。

 って、ちょっとまって、いや、そんなはずは、アイナは仮想現実世界――アルカディナの住人で…もう一度少女をよく見る。

 よく見ると、いや、やっぱり微妙に違う。

 目尻は少し垂れてタレ目がち。

 全体的にアイナより幼い印象。

 よく似ているけど、たぶん別人だ。

 少女は、黒を基調としたメイド服を着ている。

 ヘッドドレスにフリル満載のエプロンドレス。

〈侍女喫茶〉は、やはりメイド喫茶の事だろう。

 レジ・カウンターの後ろには、カップコーヒーの自販機が、ひっそりと設置してある。

 ちょっと侘しいけど、メイド喫茶の証か。

 ガラガラガッシャン!

「うわっち!」

「うひゃうっ!」

 ぼくと少女の悲鳴があがる。

 うっかり商品を崩してしまった。

「す、すみません!」

 ぼくが言いながら、慌てて床に落ちた商品を拾い上げる。

「あ、いぅえっ! おぅ、ぐっ!」

 動転した少女が舌を噛む。

「はぅっ、お、お帰りなさいませ…ご、ご主人さま。商品は、わたくしが拾います!」

 散らばった部品を段ボールに入れて持ち上げようとする。

 が、微動だにしない。

 すかさず手を貸して積み上げた。

「えぅ、ち、力仕事は三ちゃんと…紙鬼神(しきがみ)に任せてばかりで…お、お役に立てなくて、ゴメンなさい、です。ご、ご主人さま」少女がブツブツ呟く。

「いいよ。倒したのは、ぼくだし。それより、ご主人さまって?」

「あぅ、えぅと、こ、このお店の、お客さまは、ご、ごしゅじゅ、っぅぐっ!」

 また噛んだ。

「ご、ご主人さまと呼ぶようにしています。日本の電気街では、侍女喫茶が、だ、大人気と聞きましたので…実は以前、経営していた、電脳店は売り上げ不振で潰れまして、深い悔恨と苦悩の末、しばらく情報屋…の、バイト…で、生活をしのぎ…」

「えっ? 情報の? 何?」

 少女の声は、時折、聞き取りずらい。

「バイト…で、苦難の数々を乗り越え、ようやく古物…とはいえ、電脳店を再び立ち上げたのです…が、またしても売り上げ不振…シクシク(少女涙目)。心機一転…売り上げ回復を果たすべく…に、日本で、大人気の侍女喫茶を参考に真似して…店に貢献すべく、我が身をささっぅぐ!」

 また噛んだ。

「さ、捧げ…看板を〈古物・電脳店☆龍姫・侍女喫茶〉と、変え、再起を図ったのです…今はこの通り、メイドの姿、メイドの話し方…に四苦八苦する毎日、ですが…」

 龍姫が立ち上がりスカートの裾をつまむと、クルリと一回転。

 ぎごちない笑みを浮かべる。

 四苦八苦と言う割にはコスプレを楽しんでいるようだ。

 身の上話が済んだ所で、次の疑問を口にする。

「龍姫っていうのは? 君の名前?」

「わたくしの名前でございます。ご主人さま」

「どこかで聞いたような気がするけど…」

「中国の女性にはよくある名前です。ご主人さま」

 どこかで耳にしたのも、そのせいか。

「話は変わるけど、アルカディナのアイナって知ってる?」

「…」

 龍姫が一瞬沈黙。するけど、

「アイナ姫は世界中で大人気のオンラインRPG〈レジェンド・オブ・大アルカディナ大陸の伝説〉において、仮想現実世界の東方に位置する小国、〈(シン)〉国の指導者です。今は小国とはいえまぜんが。なにしろ、中央〈大華(ダイカ)〉連合国を打ち破る寸前ですから、わたくしも電脳店を営む身です、掌机遊戯(ケータイゲーム)は大好きです。〈VG〉のアルカディナもプレイしています。わたくしはオリジナル・データでプレイしていますが、そのたびに、シン国のアイナ姫と間違われるので、アイナ姫に相当似ているのかもしれません」

「似ているけど、アイナは、そんなに舌を噛まないかな」

「ひ、ひどいですぅ~。ご主人さま! わ、わたくしは、そんなに噛っぅぐっ!」

 龍姫が懲りずに舌を噛む。


     ☆34☆


 龍姫は、ちょっと変わっているけど、信用出来そうな気がして、ぼくは簡単な自己紹介をする。

 ついでに刀火、紫龍とはぐれた事や、二人の少女――雷華、蘭花を探している事、などを話す。

 情報屋について、知っている事があれば、教えて欲しいとも言ってみた。

「それと…『ご主人さま』は、やめてくれないかな。ぼくは、星図でいいよ」

「そ、そのぅ。ほ、星図…様。じょ、情報屋は…あくまで、バイトです、よぅ…」

「えっ? 情報の? バイト?」

 龍姫の物言いは時折不鮮明になる。

「でっ、ですが、仕方ありません! 星図様、の忠実なメイド、として…一肌脱いでさしあげましょう!」

 いつからぼくの『忠実なメイド』になったんだろう? それに『星図』と呼ぶようになったけど、『様』が付いているし。

 龍姫がエプロンドレスのポケットから黒い折り畳み式の携帯ゲーム機みたいな物を取り出す。

 何度も展開するうちに、巨大なノートパソコンになった。

 龍姫が得意げに、

「星図様。わたくしも、亜人街の住人です。から、術者として…仙術を心得ております」

 仙術の擬似波で作ったノートパソコンだった。

 それはともかく、『様』はやめてくれと龍姫に訴える。

「そ、それでは…星図、サマ、の探していらっしゃる…四人の方々を調べて、みましょう」

 あっさり無視された。

 龍姫が左手にノートパソコンを抱え、空いた右手で器用にタッチタイピング。

 ノートパソコンの画面から上空にホログラムみたいな立体映像が浮かびあがる。

 緋色のラインで精緻に描かれた亜人街の立体地図だ。

「緋色の表示は見ての通り、亜人街を立体で捉えた地図です。これを拡大、回転しますと、電気街、さらには…現在地点まで表示されます。表示の中にピンク色の光点とブルーの光点があります。ピンクはわたくしを示し、ブルーは星図様を示します。注意深く見ると、光点の下に細かい文字があります。そこには判別出来る範囲で個人名が表記されます。当然、いま表記されているのは、わたくしと星図様の名前です。特定の情報をインプットすると、任意の人物の現在地を、かなり正確に特定します。わたくしの情報は勿論、星図様の情報も先程入力しました。このパソコンには亜人街の、いえ…世界中の、ありとあらゆる情報が、常に収集され続けています。亜人街に設置された監視カメラ、数千台の映像は勿論、無数の盗聴器、テレビ・ラジオ、長・短波の電波。インターネット。携帯電話の通話からメールのやり取りまで、企業の個人情報から裏世界の裏情報まで…調べられる事は全てハッキングしています。あとは膨大な情報を比較、検討、解析、予測するだけで、目的の人物の情報を自動的に検索します」

 龍姫って、こういう説明になると、全然噛まないな。

「まるで情報屋みたいだね」

「あっ、あくまで、バイっぐっ! バイトです、けど。なにしろ…わ、わたくしの存在意義は…このお店の繁盛にあります。から…」

 噛みながら何かを強調。

 肝心の単語がよく聞こえない。

「さて…それでは、お名前だけになりますが、刀火、紫龍、雷華、蘭花、の四名様の名前をインプットします」

 緋色の地図にピンクとブルーの光点が無数に表示される。

「時間を一時間以内に絞って検索します」

 光点の数が一気に減少。

「ふ~む。刀火、紫龍さんのお二人はこちらに向かっていますね」

 龍姫が言い終わると同時に刀火の声が店内に響き渡る。


    ☆35☆


「いたいた! ホッシー! やっと見つけたよ! んっもおっ! (牛?)あたしと紫龍で、さんざん捜したんだからね! ほんとに! んっもおおっ! (牛?)」

 マジギレ寸前の刀火が、鬼のような形相で超ロング・ツインテールを振り乱し、怒涛の如くぼくに詰め寄る。

 ひいいっ!

「ちょ~っ! 心配したんだからね! んっもおおおっ! (牛?)」

「いや…あの、いなくなった、というか…二人に追い付けなくなった、というか…」

「だったらその場で待ってなさいよ! 何でこんな、電気街の端の端…そのまた端っこにいるのよっ!」

 龍姫が哀しげにうなだれる。

 立地条件の失敗に気づいたようだ。

「落ち着いてください刀火。ワタクシの〈紫雲糸(しうんし)〉を手繰って、星図の元まで来れたんですから、捜しまわった。という程の事でも無いでしょう」

 紫龍がフォロー。

「〈紫雲糸〉?」

 ぼくが尋ねる。

「仙術で作った、蜘蛛の糸みたいな物です。細くて長い、探索用の糸で、迷子にならないよう、あらかじめ星図に付けておいたんです」

「ウソ! どこにそんな糸がっ!?」

 あちこち探ると、背中に微かに糸の感触。

 手繰り寄せると確かに細い糸がある。

 糸は本当の蜘蛛の糸とは違い、簡単には切れない。

 雷華が使う〈雷糸〉の一種みたいな物か。

「と・に・か・く! 二度とあたしに心配かけないでよね! 勝利しないぞっ!」

「勝利ではなく、承知ですね。刀火」

 紫龍が訂正。

「わにゃう! わかってるわよっ! ショウチよ! ショウチ!」


    ☆36☆


 龍姫がおずおずと、

「あぅ、のぉ~。け、刀火さん。そ、それに紫龍さん。お、お久しぶりです」

 刀火と紫龍の視線が龍姫に注がれる。

 龍姫を前に口火を切る刀火、

「あんた誰? 紫龍知ってる?」

 紫龍が肩をすくめた。

「知ってるもなにも…しょっちゅう会っていたじゃないですか」

「そ、そうだっけ?」

 刀火が思案する。

 紫龍が、

「情報屋の龍姫ですよ」

「えぇ! ウッソォオ~ン! だってメイド服じゃん! どゆことっ? 龍姫! あんたいつメイドさんに転職したの? 前に着ていた人民服はどうなったの?」

 人民服着て電気店やってたんだ! お客さん引くよ…メイド服でも引くか?

「ち、違いますよぅ!」

 龍姫が、さっきと同じ説明を、噛みつつ刀火に説明。

 刀火がようやく納得。

「龍姫といったら人民服! のイメージがあって、全然気が付かなかったよ! でも、メイド服も結構似合ってるじゃん! 可愛い可愛い! イメチェン大成功だよ!」

 龍姫が頬を赤らめる。

「やっぱり、龍姫は情報屋だったんだ」

 と、ぼくが口にする。

 それを聞いた龍姫が、

「い、いえ、星図様。情報屋は、あ、あくまで、バイトです、よぅ」

 刀火が、

「なんだか無駄に時間を喰ったわね。まあいいけど! ホッシーも見つかったし! あとは妹の豪チンと蘭ちゃんを捜すだけだよ! 龍姫! 豪チンと蘭ちゃんの居場所を教えてちょうだい! 今頃、二人はホッシーを心配していると思うんだ! だから、超特急でお願い!」

 龍姫が頷き、検索開始、瞬時に結果が出る。

「雷華さんと蘭花さんは、亜人街の南。海に面した…南海公園にいるようです」

「ありがと龍姫! 居場所がわかれば捜しに行くだけだよ! さっそく豪チンと蘭ちゃんに会いに行こう!」

 刀火を先頭に、ぼく、紫龍の順に店を出る。

 店を出る前に、一人の黒人少年とすれ違った。

 一瞬、少年の瞳がエメラルド・グリーンに輝く。

 少年は店に入るなり、龍姫にホット・ミルクを注文した。

「さあて、あとは一杯引っかけて寝るだけだ」

 少年がそう呟いた。


     ☆37☆


 店を出ると、すぐに龍姫がぼくらを追いかけて来る。

 ぼくが心配しながら、

「どうしたの龍姫? 店は大丈夫なの? さっき、お客さんが一人入ったみたいだけど」

「店は〈紙鬼神〉に任せます。ですから大丈夫です」

 紫龍が、

「紙の鬼の神…と書いて〈紙鬼神〉です。依り代に紙を使う〈ペーパー・ゴーレム〉日本の陰陽師が使役する〈式神〉とほぼ同じものです。西欧の魔法は依り代に泥を使う〈ゴーレム〉と呼びますね」と説明。

 龍姫が例の巨大ノートパソコンを開くと、すかさずエンター。

 空中に緋色の光点が浮かぶ。

 光点の間に緋色のラインが走り人のような形になる。

「はぅ、うっかり〈ポイント・エッジ〉表示のまま出してしまいました。〈ポリゴン〉表示に切り替えます」

 再びエンター。

 今度は、はっきり人の形になる。

 でも、全体的にカクカクしていて、一昔前のローポリ・ゲームみたいだ。

「えぅ、〈スムース〉処理と〈テクスチャー・マッピング〉を忘れていました」

 またまたエンター。

 姿をあらわした〈紙鬼神〉は、龍姫そっくりの少女だった。

 龍姫が店番を命じると、〈紙鬼神〉=龍姫は、メイド服のスカートを軽く摘まみ、その場で一礼。

 すぐさま店の中に姿を消す。

「これでお店は大丈夫です。情報屋として…それに、星図様のメイドとして! わたくしもご一緒します!」

 いつからぼくのメイドになったんだ!? 誤魔化す為、咄嗟に質問。

「あれ? 今の〈紙鬼神〉って、依り代に紙を使ってないね?」

「はい、それは、経費削減と、えころじー、を兼ねておりまして、わたくしの店も、ぺーぱーれす、を推進しております…〈紙鬼神〉の電子化は、その一環でして…けっして紙代をケチっているわけでは…ありません」

 龍姫がぎごちなく笑う。

「一石二丁拳銃だね! 龍姫!」

 刀火が元気に答える…拳銃?

「二羽の鳥で二鳥ですよ刀火」

 紫龍が訂正。

「ニチョッチョー! と、鳥さんよね! あたしが知らないと思ったら、大間違いよ! ノリで言っただけだからね!」

「「「…」」」

 全員ノーコメント。

 が、一瞬ぼくと刀火の目が合う。

「ホッシー! 今、あたしの事を莫迦にしたでしょ! ホッシーの目が、今そう言っていたよ! 酷いよホッシー! 何で、そんな冷たい目であたしを見るの! あたしが物を知らないおバカさんだと思ったの!? そうなんでしょ! でも、そうが問屋が卸さないわよ! あたしは何でも知ってるんだから! ホッシーの恥ずかしい秘密だって知ってるんだから! どれぐらい恥ずかしいか! というと! もう、龍姫が真っ赤になってホッシーを呼ぶ時に『様』って付けないぐらい! 超・軽蔑しちゃうぐらい! 恥ずかしい秘密なんだから! 覚悟なさいホッシー!」

 刀火が切れた。

 何か…変な風向きになってきた。

 ビシィ! 刀火の指先が、ぼくのカバンを指差す。

「証拠はホッシーのカバンの中よ!」

 ぼくは思わず心の中で、

「ぐはあっ!」

 と断末魔の声をあげる。

 厭な汗が全身を伝う。

 何故? 刀火がぼくのカバンの中身を知っているんだ? 

「さあっ! とっとと出しなさい! 大人買いした、エッチな品々の数々を! 全部出すのよ! ホッシーが、いかがわしい店に出入りして! いかがわしいエッチな品々を買った事は! 全部お見通しなんだから! 店員さんにも聞いたんだから!」

 紫龍が申し訳なさそうに、

「〈紫雲糸〉をたどる途中、そういった店にも立ち寄りまして…入るな、と刀火には言ったんですが、素直に聞くわけもなく…」

「入っちゃったんだ! しかも、店員さんに確認しちゃったんだ!」

 ぼくが茫然とする。

 刀火が容赦なく、

「とにかく出しなさい! あたしが綺麗サッパリ始末するから! 残念…じゃなくて、観念して! お縄につきなさい!」ぼくがグズグズしていると、業を煮やした刀火が物凄い形相でとどめを刺す。「雷華にバラされたくなかったら、素直に出しなさいっ!」

 ぼくは我に返る。

 こんな物が雷華にバレたら…殺される。

 間違いなく殺される。

 瞬殺間違いなし。

 慌ててカバンの中から戦利品…エッチな品々の数々を取り出す。

 龍姫が赤面して背を向ける。

 刀火も顔を赤らめる。が、

「と、とりあえず! 全部地面に置きなさい!」

 ぼくが指示に従う。

 刀火の指先が、緋色の魔方陣を中空に描く。

 高速で指先を動かし、同時に力強い言葉を紡ぐ。

「燃える乙女の底力っ――焼き尽くせっ!」

 刀火の全身が深紅に染まる。

「〈火炎陣(かえんじん)〉!」

 ゴッ! オォッ! オオオオッッ!

 ぼくの戦利品は、半径三メートル、高さ五メートルぐらいの、巨大な火柱に焼き尽くされた。

 あとには…ケシズミと化した。

 たぶん、ぼくの、青春の一ページが、真っ白な灰となって残っただけだ。

 刀火が晴れやかな顔つきで、

「あたしの仙術は、魔術・呪術混じりの、超・邪道だけど、さ…威力は大きいでしょ!」

 楽しそうに語る。

 紫龍がポンとぼくの肩を叩く。龍姫が真っ赤な顔をしながら、ぼくに向かい、

「ご、ごしゅ、ご主人様、だって、お、男の子、ですから、わ、わたくし、は、ぜ、うぐっ!」

 久しぶりに龍姫が舌を噛む。

「全然、気にしませんよぅ! ほ、星図様が、エッチ! でも、ス、スケベ! でも、へ、ヘンタイさん! でも、き、気にしませんよう! ご、ご安心召されい!」

 何故か最後は古語? だった。


     ☆38☆


 亜人街の南。

 南海公園に着く頃には、太陽は半ば海に沈み夕刻になっていた。

 朝から降り続いた雨も、若干、雨足が遠のき、燃えるように美しい夕焼けが、海と空全体を赤く染めている。

 不夜城・亜人街に、無数の街灯。

 派手なネオン。

 雑多な家庭の灯り。

 灯りという灯りに、一斉に灯が点る。

 地上に生まれた無数の星々。

〈香港・百万ドルの夜景〉に匹敵する美しさだ。

 湿った暖かな空気が頬を優しく撫でる。

 そんな中、二人の少女とぼくは再会する。

 蘭花は不安そうな面持ちだけど、微かにほほ笑みを浮かべる。

 少し疲れたような雰囲気だけど、以前通り元気だ。

 雷華は…雷華は、青白い顔が、さらに青白く、唇は完全に紫色。

 落ち窪んだ瞳の下にクマがクッキリと浮かんでいる。

 頬はゲッソリとコケ、元々細い手足がさらに細くなった気がする。

 猫のように真ん丸で可愛いい瞳も、いまは真赤に充血して野良猫みたいに険しい光を放っている。

 鼻の頭が赤い。

 口元を震わせながら、幽鬼のように、一歩、また一歩、ぼくに近付いて来る。

 雷華が目の前で立ち止まった。

 怒りか、哀しみか、両の拳を固く握りしめ、瞳を涙で潤ませ、全身を震わせる。

 言葉にならない言葉を紡ぐ雷華。

 ぼくはそれに答え、誰もが口にする、ありふれた、あの約束。

 二度と、突然いなくなったりしない、と――約束する。

 憔悴した雷華の表情は、まだ険しい。けど、少しだけ緊張が解けた。

 そんな気がする。


     ☆39☆


「これで一都六県落着だね!」

 と、刀火。

「一都六県? 一見落着ですね! 刀火姉様! やっと安心しました。さすがは星図さんです!」

 蘭花が訂正しつつ、前向きな発言をする。

「蘭花の言う通り。星図は仲直りの才能があるようですね」

 紫龍が率直な感想を述べる。

「ちっがうよー! ホッシーは生まれつき〈女だらしなく〉♪ で、〈スゲーコマシ〉♪ なんだよ!」

 …刀火。

 言いたい事は、色々あるけど…。

「〈女たらし〉と〈スケコマシ〉ですね! 刀火姉様!」

 蘭花が訂正。

「ら、蘭花さん。それは、違いますよぅ! ごしゅ…ほ、星図様は…エッチで、スケベな、ヘンタイさん! ですけど、〈女たらし〉でも〈スケコマシ〉でもないですよぅ!」

 龍姫、フォローになってないよ! 紫龍と龍姫が、雷華と蘭花に軽く挨拶を交わす。

「と、とにかく! これで一都…一見落着だよ!」

 刀火が強引に締める。

 問題山積みだろ! と、思いつつ、雷華が微かに頷くのを見て、仕方なく納得。

「はふぅ、アルバイトの仕事も、これで完了です。ようやく、ご主人様のメイドとして…御奉仕出来ます! 青ビョウタンには…負けませんよう!」

 青ビョウタンって? 雷華の事か? 龍姫…店に戻らないつもりだろうか?

『龍姫! テメェ! いい加減にしろよ! な~にが、メイドさん! だ! そいつらは、全員! 俺らの敵だろうが! メイドになってどうするんだっ!』

 龍姫のノートパソコンから聞こえる声は、まぎれもない、三龍の耳障りなダミ声だ。

 龍姫がノートパソコンを開くと、三龍の立体映像が展開される。

『テメェから送られたメールに〈星図〉だの〈雷華〉だの…気になる名前があるから、ハッキングして盗聴していたら、このザマだ! 』

 三龍のダミ声が響く。

「三ちゃんハッキング出来るんですか!」

『いいから奴ら全員、ブッ倒せ! こいつらは、日本と上海で、俺と円龍様の邪魔をしやがった極悪人だ! 香港でも邪魔する気だ! 早めに潰しておくっきゃねぇ!』

「そ…そう、だったんですか…三ちゃんと、円龍、兄様の邪魔を…」

 言いつつ龍姫が、ぼくらから離れ、距離を取る。

 「わかりました!」

 龍姫が雷華をビシィ! と指差す。

「星図様は、あの青ビョウタンに、騙され、利用されているのですね! わたくしが、青ビョウタンを倒し、星図様を救ってみせます! これもまた…星図様のメイドとしての…わたくしの宿命!」

 なんか、最後の龍姫の台詞。

 妙に芝居がかっている。

『ちょ! 龍姫! 全員倒せって、言って――』

 ブツッ! 龍姫がネット回線を遮断。

「勝負です! 青ビョウタン!」

「…望む所…だな…」

 無表情な顔付きに、雷華が凄愴な雰囲気を漂わせ一歩踏み出す。

「ご、雷華!」

 ぼくが声を掛ける。

 雷華が微笑を浮かべ、

「ちゃんと…手加減するよ」

 小声で呟く。

 雷華の方が心配なんだけど…


     ☆40☆


 龍姫が叫ぶ。

「〈メイド戦隊☆百人メイド・レンジャー〉!」

 ノートパソコンのキーを叩く。

 すると空中に、〈メイド戦隊☆百人メイド・レンジャー〉の巨大なロゴが、映画館のスクリーンさながらに浮かび上がり、いきなり大爆発、閃光の中から次から次へと…メイドが出現、しかも、全員、龍姫に瓜二つ。

 瞬く間に、たぶん百人ぐらいの、メイドが南海公園を埋め尽くす。

「わたくしのご主人さまと、なんか…いい雰囲気になって! なんか…いい気になって! なんか…許せません! 青ビョウタン! 泣いて謝るなら今の内です! わたくしの〈紙鬼神〉=〈メイド戦隊☆百人メイド・レンジャー〉は、絶対無敵! 向かう所、敵なし! 千人力の一騎当千! 猛者メイド揃いですからね! 二度と、星図様に…ついでに、三ちゃんと円龍兄様に…ちょっかいを出さないと誓いなさい!」

 龍姫の掛け声とともに、手に手に様々な武器を持つ〈紙鬼神〉メイドが、一斉に身構える。

 対する雷華は、その場でトントン。

 と、二、三回、軽くジャンプ。

 手足を簡単にほぐし、頭を左右に振る。

 右手を龍姫に差し出し、挑発するようにクイクイ、と手招き。

 さっさと掛かって来い――といった態度だ。

「いいどっ…っうぐっ!」

 噛む龍姫。

「つ…いい度胸です。青ビョウタン! やるからには、容赦しませんよ! 覚悟なさい!」

 龍姫が言い終わるや、百人のメイドが一斉に武器を振り回し雷華に走り出す。

 一対百。

 にもかかわらず、雷華は無人の荒野を行くがごとく、リラックスした足取りで、ゆっくりと歩を進める。

 雷華の両手から雷を纏った青い光の刃が伸びる。

〈雷刃〉? かと思ったけど、敵に向かって投げない。

 双刃の端を握ると、軽く二、三回振る。

 ヴォンッ! ウォン! 大気が焦げるような、振動と音。

「〈雷刃(らいじん)(けん)〉…」

 百人のメイドが雷華を飲み込む。

 周囲三百六十度、あらゆる角度からの無差別攻撃。

 剣、槍、棍、他、種々雑多な武器が一閃。

 襲いくる中〈雷刃剣〉が、それらを薙ぎ、払い、受け流す。

 流れるような動作。

 雷華は出会い頭、五体の〈紙鬼神〉を瞬殺。

 切り裂かれた〈紙鬼神〉が、三角ポリゴンをバラバラ撒き散らし、赤く光るライン、光点を煌めかせ爆散。

 正面から来る〈紙鬼神〉の攻撃を蹴散らす雷華。

 対し、死角、死角へと周る〈紙鬼神〉が、乾坤一擲、雷華の隙を突く。

 直前、雷華の体が青白く帯電、明滅、発光。

「〈豪雷〉!」

 ドガッ! シャアッ! 耳をつんざく轟音。

 死角に居た〈紙鬼神〉が吹っ飛ぶ。

 雷を帯びた爆風は、まるで絨毯爆撃だ。

 正面の敵を〈雷刃剣〉で切り刻み、背後、死角からの攻撃を〈豪雷〉で一掃。

 という手順を繰り返し、瞬く間に半数近い〈紙鬼神〉を倒す。

「ひうっ! そんな、莫迦な! わたくしの、絶対無敵! 向かう所、(以下略)の〈メイド戦隊☆百人メイド・レンジャー〉が、こんなに…あっさり倒されるなんて! 信じられません! 仕方ありません! 今日の所は、撤退です! 星図様! ご免なさい!」

 龍姫が残ったメイドに撤退戦を命じ、自分は脱兎の如く逃げ出す。

「整形逆転! 蘭花! 雷華に加勢するわよ!」

「はい! 刀火姉様! 形勢逆転ですね!」

 刀火、蘭花、それに、紫龍も加わり、残った〈紙鬼神〉を一気に殲滅する。


     ☆41☆


「…楽勝…」

 激しい戦闘にもかかわらず、汗一つかかず、雷華が呟く。

「〈紙鬼神〉相手だから、久し振りに思いっきり戦えました」

 朗らかに笑う蘭花。

 蘭花の仙術は防御がメインだから、援護に徹していたけど。

「でも、残念です。あと一歩という所で、龍姫さんに逃げられちゃいました」

 心から悔しそうだ。

「ニャハッハ! それは、お姉さんに任せなさい! あたしに抜け毛は無いのよ!」

 胸を張る刀火…抜け毛?

「抜け目はない! ですね! 刀火姉様!」

 蘭花が訂正。

「ニャゥ~。とにかく! 紫龍! 例のヤツは、勿論くっ付けたんでしょうね! 抜け毛…抜け目ない紫龍なら、当然くっ付けているわよね!」

 自分に任せろとか言いながら、紫龍に振る刀火。

「ええ〈紫雲糸〉なら、龍姫が逃げる寸前に――」

「ああ~! 雷華! 大丈夫なの! その傷!」

 紫龍の台詞の途中で思わず叫ぶぼく。

 雷華の頬に五ミリぐらいの引っ掻き傷を発見。

 紫龍の話は一時中断。

 蘭花が手鏡を雷華に渡す。

「ああ。これぐらいなら、なんでも――」

 指先で触るのを、

「駄目だよ雷華! 消毒して、それからっ、と…」

 カバンの中からスプレー式の小さな消毒液を取り出す。

 引っ掻き傷にシュッ! と一噴き。

「あとは絆創膏だね。ちょっと、待ってて、雷華。すぐ終わるから」

 絆創膏をペタリと貼り付ける。

「女の子の顔に傷が残ったら、大変だよ」

 絆創膏を貼る為に近付き過ぎた。

 ぼくと雷華の目が合う。

 吸い込まれそうな、澄んだ黒い瞳。

「と、とりあえず、終わったから!」

「あ、ああ!」

 お互い照れ気味に目を逸らす。

「その…ありがとう…星図。星図は、用意がいいな」

「え…いや、そんな事ないよ、これぐらい…」

 刀火が割り込む。

「なに♪ なに♪ なに~♪ ふたりは恋人同士なのに、なんで照れるの?」

「「ちっ! 違います!」」

 ぼくと雷華が顔を真っ赤にしてハモる。

「ウニュ? 豪チンとホッシーは、付き合ってんじゃないの?」

「「付き合ってません!」」

 再びハモる。

「そうなんだ。あたしは、てっきり…豪チンとホッシーは、付き合ってるのかと、思ったよ! ゴメンナさ~い! ニャハッハ!」

 笑って誤魔化す刀火。

「ちょ、ちょっと、ビックリしました。けど…安心です」

 蘭花が胸をなでおろす。

「ニャ? 何で蘭花が安心なの?」

 刀火の瞳が、キラーン! /☆ とか、星型に輝く。

「え!? な、なんでもありませんっ! ただ…ホッペにバンソーコーをペッタリ貼ったり、とか…思わず、見つめ合う、とか…羨ましいなって…一体何を!? ほんとに何でも無いんです! 刀火姉様! ほんとです!」

「ウミュ。あたしも、これ以上深く突っ込まないよ。それより紫龍! さっきの質問! 例のヤツは当然! くっ付けたんでしょうね!」

「はい。〈紫雲糸〉は、龍姫に取り付けてあります。糸を辿れば、龍姫を追えます」

「よし! それじゃみんな! 龍姫を追うわよ! ふんづかまえて、ギャフン! って、言わせましょう!」

 ギャフン=死語。

 蘭花だけが素直に、

「ギャフン! って、言わせましょう!」

 と、相槌を打つ。


     ☆42☆


「ウザッ! っとに、ウザッってぇ連中だぜ! チョーアッタマくる! お前らはサカリのついた犬か!? こんなトコまで追い掛けて来やがって!」

 三龍が毒づく。

〈紫雲糸〉を頼りに、ぼくらが辿り着いた場所は、三十階建てぐらいの高層オフィスビルだ。

 表玄関の円形ドアのすぐ側に通用口があって、インターホンを鳴らしたら龍姫が応答。

 ビル内にあっさり入れた。

 口頭の案内に従い、通用口から大ホールまで来た。

 その大ホール中央に三人が待ち受けていた。

 円龍、三龍、龍姫の三人だ。

 会って開口一番、三龍が先ほどの毒舌を浴びせた。

 ぼくが怯まず話しかける、

「サーク…というか、現実世界では、円龍…だね」

「てめっ! 円龍様の事を気安く呼び捨てにすんじゃ…」

「よせ! 三龍! 構わない」

 三龍の怒声を円龍が遮る。

 見た目十七、八歳の青年。

 豪奢な金髪。

 物静かな灰の瞳。

 顔立ちは優美で繊細なガラス細工のよう。

 真一文字に引き締められた意志の強そうな唇。

 ぼくより一回り大きな細身の体。

 服装こそ、灰色のスーツだけど、アルカディナのサークと寸分違わない姿。

「円龍…なんか、その、変なオフ会…みたいに、なっちゃった、けど…ぼくは――」

「星図…だな、ホシズ。三龍から聞いている。服装以外は、アルカディナのホシズと同じ、だな…」

 サーク…いや、円龍も、ぼくに対し同じ印象を持ったようだ。

「あれから、ぼくなりに色々と考えてみたんだ…アルカディナで…白野の事を話したよね。考え、行動して、ぼくにも色々な事が起きて…混乱しているけど…円龍に話したい事がある…」

「オレに、今の仕事を辞めろ…という事か?」

 ぼくは首を振って否定。

「辞めろ…とは言わないよ」

「なら…どうしろと?」

「以前、円龍は自分の存在意義の話をしたよね」

「オレの存在意義は、善と悪の調和だ。そして、それを可能にするには――」

「力が必要って事…だよね。物理的な力だけじゃなく、金銭的な力も含めて、確かに、円龍の理想…というか、存在意義を成し遂げるには、途方もない力が必要だろうね。とても、大きな力が――」

「ったりめぇだ! バカ! テメェは、んなコトもわかんねぇ犬頭か!?」

「黙れ! 三龍! すまない。星図…話の続きだ」

 三龍が口汚く罵るのを、円龍が制止。ぼくの話を即す。

「え、え~と…ぼくが言いたいのは…つまり、力が必要なのはわかるし、力そのものを否定もしないよ、ただ…」

「ただ…何だ?」

「やり方が間違っている。力を得る為に、たくさんの人が泣いている」

 円龍がウンザリした顔付きをする。

 アルカディナと同じ言い争いを、現実世界に持ち越すのか? という顔付きだ。

「前にも言ったはずだ――」

「ぼくは例外とか、多少の犠牲とか、そういうのは…認めない」

 言い切る。自信を持って言い切った。

 なぜなら、この一点だけは、絶対譲れないから。

 その為に、ぼくはここまで来たのだ。

 いや、たどり着いた。

 と言った方が正しいのか。

 ぼくの自信に満ちた表情に面食らう円龍。

 「一人も泣かせる事なく、存在意義をまっとうしてよ…円龍」

 すかさず三龍が、

「バカか、テメェは! 不可能だ! ンナこたぁ! 夢のまた夢! お伽話か、夢物語だ! 奇麗事で、世の中が動くと思ってんのか! オタンコナス!」

「……」

 円龍も三龍の暴言を否定出来ない。

「不可能じゃない! ぼくは、ただの、アニメ、ゲーム、ファンで、何の取り柄もない。頑固で我がままで、自分勝手で、どうしようもなく、無力な存在だ。けど…日本から上海、亜人街まで、滅茶苦茶な事件を乗り越えながら…ここまで辿り着いた。力なんて必要ない。必要な力は自然に付くはずだよ。無理にレベルを上げても、結局は使いこなせないし、力に振り回されて、他人まで不幸にするだけだ!」

「ってぇ!? 何言ってやがる! テメェは自分の力じゃなく! 雷華とかいう、スケの力で、ここまで来たんじゃねぇか! つーか! 円龍様に使いこなせねぇ力はねぇ! みくびんな! 円龍様は無限にレベルアップしようと、きっちり力を使いこなす!」

 三龍のダミ声が響く。

 円龍が、

「ここまで辿り着いた事は、オレも認める。だが、ここから先はどうする? 力を持たないお前は、一歩たりとも先に進む事は出来ない。お前が考えている以上に…オレはお前の、遥か先を歩いている。その道は、ただの道じゃない。修羅の道…だ。それでも、お前がオレに辿り着き、追い越す力が在るならば、オレはお前の言葉に従おう。オレとの間に存在する…彼我の差を、乗り越える事が出来るならば、そして…」

 円龍が三龍に目配せする。

 三龍が巨体を躍らせる。

「やっちゃってイイって事っスね! 円龍様! 自分はもう我慢の限界っスから。世間知らずで、わからず屋のガキンチョどもを、ギッタン、ギッタンのケッチョン、ケチョンにするっスよ!」

 ウヒヒ! とか不気味な声を漏らす三龍。

 正直いって足が震える。

 龍姫の〈紙鬼神〉にすらぼくはかなわない。

 三龍は本当に言った通りに事を実行する力を、禍々しい力を持っている。

 その先には、三龍以上の力を秘めた難敵、円龍がいる。

 無力なぼくに何が出来るのか? ボロ雑巾のようになるだけだ! 雷華、蘭花、刀火! それにフォウの力を、また借りなきゃいけないのか? 争いに巻き込まなきゃならないのか! 逃げ出すなら今しかない! 全員で逃げるべきだ! 脳内を目まぐるしく負の感情が、浮かびは消える。

 けど…最後にぼくの脳裏に浮かんだ光景は――、


 風が吹き、雲間から黄金の光が差し込む。

 目の前の少女もまた黄金色に染まる。

 心なしか、アイナの瞳も金色に輝いて見える。


 ??? 疑問符の羅列が無数に浮かぶ。

 何故、アイナの映像が浮かんだ? さっぱりわからない。

 ただ、その映像は、まるで現実のように感じられ、何か大事な事を…教わった気がする。

 はっきりとは、思い出せ無い…けど…不思議と心が落ち着く。

 足の震えが止まる。

「どうするか…決めたな、星図…」

 雷華が囁く。

「三龍とやら…お前は少し、誤解をしているな。星図は…わたしの力でここまで来たんじゃない。むしろ…力を与えられたのは…わたしのほうだな」

「雷華姉様の言う通りです! アタシも星図さんがいなかったら、売れない貧乏芸人です! お笑いに走ったかもしれません! お笑いを馬鹿にするわけじゃないですけど!」

 と、蘭花。

「まったく! くだらない事をいつまでもグダグダ言ってんじゃねぇっ! 始めるぜっ!」

 三龍が躍り掛かる、寸前、


     ☆43☆


「チョ―――ット! マッたあっ!」

 刀火が飛び出す。

 三龍が一瞬怯む。

「あたしを忘れてもらっちゃあ! 困るね! 雷華、蘭花! 例のヤツをやるわよ!」

「はい! 刀火姉様!」

 蘭花が元気に応じ、刀火の右手に並ぶ。

 妙なポーズを取っている。

 ヒーローが決めそうな…決めポーズ? のたぐいか? 雷華が明後日の方向を向く。

 青白い顔が一層、青さを増したような…変な汗も浮かんでいる。

 病気か? しびれを切らしたように、刀火が雷華を呼ぶ。

「早く来てよ! 豪チンっ! 豪チンが来ないと、始まらないでしょ!」

「そうですよ、雷華姉様! 早く、ふぉーめーしょん、を組まないと!」

「は…はは。いやだな…剣姉。それに蘭花。一体何の事かな? わたしには、さっぱり、わからないな。は…はは」

 あくまで知らを切る雷華に、刀火の瞳が、キラーン! /☆ とか星型に光り、

「究極! お姉ちゃん命令ええっ!」

 刀火の怒声に、無視を決め込んだ雷華が、弾かれたように横に並ぶ。

 変なポーズを、やはり取っている。

「うぐ…か、体が勝手に、反応して、く…屈辱だ…」

 反応したのか? パブロフの犬みたいに?

 雷華の顔が真赤に染まる。

「いつまでもブツクサ言わない! やるわよ! 二人とも!」

「はい! 刀火姉様!」

 蘭花が再び元気よく応じる。

 雷華はブツクサ言いながら、体はしっかり動く。

 刀火を中心に、雷華が左、蘭花が右に並び刀火が三龍に向かい一歩踏み出す。

 ビュン!

〈炎剣〉を勢いよく振り回し、剣先を三龍に向けながら、

「燃える乙女の底力! 焼き尽くすは火炎陣! 炎の美少女剣士!」

 ビュン! ビュビュン! さらに〈炎剣〉を振り回し、

「猿風 刀火!」

 刀火が一歩さがり、蘭花が一歩前へ出る。

「冴える乙女の氷の刃! 舞い上がるは雪月下! 氷の守護天使!」

 その場で軽やかにターン。スカートの裾を摘み優雅に礼、

「猿風 蘭花!」

 蘭花が一歩さがり、雷華が一歩前へ。

「痺れる乙女の神鳴る一撃! 爆ぜるは豪雷! (いかづち)の青き魔女!」

 ヴォンッ! ウォン!

 両手から伸びる青く光る双剣〈雷刃剣〉を軽く二振り、

「猿風 雷華!」

 雷華が一歩下がる。

 最後に三人が同時に叫ぶ、

「「「われら! 絶対無敵! 猿風三姉妹!!!」」」

 ビシイィッッ!!! と、ポーズを決める。

 何だこりゃ? 刀火が得意げに、

「うんうん♪ やっぱり三人揃ったら、これをやらなきゃね! にゃはは!」

 にゃははって…蘭花が満足げに、

「久し振りなので、息が合うかどうか、心配しましたが…バッチリ決まりました! 大成功です!」

 雷華は終始無言。

「…」

 呆けたように口を開けて見ていた三龍が我に返る。

「テ、テメェら…バ、バカにしてんのか…俺様を…黒社会の頂点…〈龍尾(りゅうび)〉の俺様を…」

「ナメてませんよ、三龍…ワタクシにとって…あなたは、アルカディナのスリーですがね…」

 紫龍が三龍の前に立つ。

「ち…似ているとは、思ったが…やっぱりテメェ、フォウか…誰が…テメェを実体化しやがった? テメェはアルカディナ専用の――」

「ワタクシにも…それはわかりません。気がついたら、この世界に存在していました。神の思し召し…というやつでしょうか?」

「けっ! 何が神だ! テメェにとっての神は! テメェの造物主! それは――」

「あるいは神の如き力を持つ、何者かが…ワタクシを実体化したのでしょう。その何者かの目的は…スリー、あなたの暴虐を止める事…かもしれません」

 三龍が薄笑いを浮かべる。

「フォウ、テメェじゃ無理だな。俺様は止められねぇ。テメェは昔のまんまだ。昔の…弱い頃の俺様のまんまだ。俺様はあれからさらに強くなった。いや俺様にとってナンバーワンである、円龍様の為に強くなった。どんな汚い手を使ってでも勝つ。どんな卑怯な手を使ってでも勝つ。どんな手を使おうと、勝てばソイツが正義だ。そして、ナンバーワンを守る。それこそが、俺様の本当の、存在意義、だからな。昔の甘っちょろい考えの俺。昔の俺じゃあ、今の俺…に勝つ事は不可能だぜ!」

「スリー、あなたはサークを守る…そして、ワタクシはホシズを守る」

 紫龍の声がホールに響く。

「…だけど、たぶん、あなたはサークを守れない。どんなに卑怯な手を使おうとも…守る事は出来ない。何故なら、力に頼る者は…必ずいつか、力によって倒されるからです。今のあなたでは、サークを守る事はおろか、自分自身さえ守る事は出来ません。今のあなたは、自ら滅びへ向かっているだけです!」

「へっ! せいぜい、それを証明してみせるんだな! フォウ!」


     ☆44☆


 三龍の両手が腰に巻いたチェーンに伸びる、

「〈鎖蛇(くさりへび)〉!」

 ジャラッ! 振り上げたチェーンが、獲物を狙う蛇のように鎌首をもたげ、生き物のように紫龍を襲う。

 チェーン自体が、仙術で作った武器だ。

〈鎖蛇〉の攻撃をかわす紫龍。

 だが、無限に伸びる仙術チェーンに成す術はない。

第二、第三のチェーンが加わり、三方向から紫龍を絡め取る。

 寸前、ジャガッ! ガッ! チェーンが粉雪に阻まれ、行く手を遮られる。

「一度退いて下さい! 紫龍さん!」

 蘭花の雪の盾〈雪月花〉だ。

 ジャラッ! ジャラランッ!二振りの剣が左右からチェーンを叩き落とす。

 右は刀火、左は雷華だ。

「いっくわよぉ! 雷ちゃん!」

「いわれなくても!」

 雷華、刀火が、挟み討ちの要領で左右から三龍に迫る。

「はっ! 真打ち登場か!」

 三龍の口が裂け、舌舐めずりする。

「けりゃっ!」

 三龍の手許がブルン、と震え、

「〈鎖鎌蛇(くさりかまへび)〉!」

 チェーンに強力な捻りが加わる。

 五月雨式に無数の鋭角が発生。

 無数の鎖の鎌と化し、雷華、刀火に襲いかかる。

「つあっ!」

 双刀の雷華ですら捌き切れない波状攻撃。

「こんの卑怯者!」

 大剣の刀火では為す術がない。

 かわすのが精一杯だ。

「まだまだ!」

 三龍の指先が素早く術式を展開――鎖の一つ一つに小さな刃が生じる。

 三龍が巨腕を振り回す、

「〈蛇刃乱舞(じゃじんらんぶ)〉!」

 無数の刃が生えた大竜巻。

〈蛇刃乱舞〉が躍り狂う。

 三龍が雷華一人に的を絞り、三方向から猛追。

 雷華の全身が青白く発光〉、

「〈豪雷〉!」

「〈雪月花〉!」

 雷華の放った(いかづち)の爆風〈豪雷〉、雪の盾〈雪月花〉が、二方向の〈蛇刃乱舞〉を食い止める。

 が、最後の一撃がどうにもならない。

 三龍が叫ぶ。

「終わりだ!」


     ☆45☆


 紫色の影が雷華を突き飛ばす。

〈蛇刃乱舞〉が、影の胴体を喰い破る。

 一瞬、三龍が瞳を見開き、彷徨いがちに閉じる。

「バカが…よう…」

 語尾は消え入るように弱々しい。

「紫龍!」

 刀火が叫ぶ。 

 雷華を突き飛ばした影は紫龍だった。

 半身を吹き飛ばされた。にもかかわらず、血、肉、骨の一片も見えない。

「紫龍…さん!?」

 蘭花の驚き。

「まさか…〈紙鬼神〉!? なのか!?」

 雷華が呻く。

「〈紙鬼神〉…にしては、まるで…いや、本物の人間にしか…見えなかった…」

 と、ぼく。

 紫龍の半身から、三角ポリゴンがバラバラと崩れ落ち、全身に赤く光るラインと光点が浮かびあがる。

 それら全てが、やがて崩壊。

 虚空に消え去る。

 まるで、初めから誰もいなかったかのように。

 三龍が、

「甘っちょろい奴…だからよ。いつかは、こうなると思ったんだ…ちょっと、早すぎたかもしれねぇけど…よ…」

「ざっけんなっ! こんの人殺し! 人殺し! 人殺し!」

 刀火がキレる。

「人殺しじゃねぇ! 奴は俺様の〈紙鬼神〉…だ! 俺様が造りあげた…俺様の分身…だ…」

「るっさい! るっさい! るっさい! お前は! 絶対! 許さないっ!」

 ゴッ! オォッ! オオオッ! 刀火の全身から炎が噴きあがる。

〈炎剣〉を逆手に握り、床に突き立てる。

 切っ先を中心に炎の魔方陣が床に広がる。

「あちっ!」

 思わず悲鳴をあげるぼく。

 敵味方関係なく振りかかる火の粉。

「雷華姉様! 星図さん! こちらへ!」 

 ぼくと雷華が蘭花の〈雪の結界〉へ避難。

 雷華が、

「剣姉がキレたら、もう誰にも手がつけられん」

 全身から紅蓮の炎を吹き上げ、刀火が震える声音で呪い(まじない)を囁く。

「冥界の(つるぎ)! 闇の軍勢、最強の鎧! 亡者を鎮める獄界の番人! 来たれ! 火の〈冥装機(めいそうき)〉――〈ゲヘナス〉!」

 床が裂ける。

 深淵へ続く暗い穴が開き、暗闇から巨大な手が伸びる。

 漆黒の鉄板を無理矢理〈人型〉に押し込めた無骨なシルエット。

 獄界の番人に相応しい巨躯。

 巨人が、地獄の亡者さながら、暗闇から這いずりあがる。

 全長6メートル。

 ぼくは巨人を見上げる、

〈ゲヘナス〉。

 体の隅々に朱のファイヤー・パターンが施され実際に炎をあげている箇所もある。

 胸元? らしき装甲が開き刀火が〈ゲヘナス〉内部に飲み込まれる。

 指先を不気味に開き、また握る。

 機体が床に突き立てた〈炎剣〉を握る。

 刀火の大剣も〈ゲヘナス〉が握ると、丁度良いサイズの剣だ。

 床の裂け目が元に戻る。

 三龍が、

「おもしれぇ! おもしれぇじゃねぇか! 姉ちゃん! フォウの弔い合戦にゃ! もってこいだっ!」

 三龍のチェーンが、剣のようにグルグルと捻じれ、不気味に巻かれる。

 やがてそれは、三龍の巨体をも上回る、ねじれ、曲がりくねった…剣? のような槍? になる。

「〈鎖蛇槍刀(くさりへびそうとう)〉!」

 三龍が吠える。

 槍のような、刀のような物を手にし、

「っつ! おぅりゃあっ!」

 三龍が渾身の力を込め〈鎖蛇槍刀〉をブン回す。

 対する〈ゲヘナス〉が〈炎剣〉で軽く刃を合わせたか、に見えたが、バギッン! 耳をつんざく轟音が発生。

〈鎖蛇槍刀〉が一瞬で爆散。

 三龍の巨体が吹っ飛ぶ。

「三ちゃん!」

 龍姫が悲鳴をあげ〈紙鬼神〉五体を召喚。

 五人がかりで宙を舞う三龍の巨体を捕まえる。

「邪魔するな!」

 刀火が怒声を発し、三龍、龍姫に向かい〈ゲヘナス〉を駆る。

 三龍を守るように龍姫〈紙鬼神〉が立ちはだがる。

 が、さらに、その前に、円龍が進み出る。

 右手には、仙術で生成した、赤く光る聖剣〈紅王剣(こうおうけん)〉を握り、

「…来い…。力こそ、全て…」

 傲然と〈ゲヘナス〉を見上げ〈紅王剣〉を振るう。

 ドッカンッ! 〈ゲヘナス〉が〈炎剣〉を振り抜き、床をぶち抜く。

 クレーターじみた大穴、爆煙が発生。

〈炎剣〉は円龍の頭頂部から股間まで真っ二つに切り裂く。

 かに見えた。

 が、円龍の姿は幻のように消え去り、

「残像!?」

 刀火が吠える。

 次の瞬間〈ゲヘナス〉の全身から赤い光が溢れ出る。

 それが〈紅王剣〉による斬撃だと気づいた瞬間に勝負が決まる。

〈ゲヘナス〉の巨体な手足が根元から切断。

 胸部のみ残しバラバラに床に崩れ落ちる。

 が、刀火は諦めない、

「まだまだ!」

〈ゲヘナス〉が閃光に包まれる。

「伏せろ!」

「伏せてください!」

 雷華と蘭花が叫び、ぼくを床に押し倒す。

 龍姫の〈紙鬼神〉が龍姫、円龍を守るべく盾になる。

 視界が真っ白に染まる。

 凄まじい爆風が襲う。

 ビルの外壁が紙屑のように吹っ飛び、天井も五階まで吹き飛ばされる。

 ビル全体にヒビが入り、メキメキと、鉄筋コンクリートが軋む。

 異様な大音響が辺り一体に木魂する。

 三十階建ての高層ビルが一瞬で倒壊寸前となる。

 瓦礫の山と炎に包まれながら、刀火が〈ゲヘナス〉の胸部から這い出る。

 あれだけの爆発にもかかわらず、刀火自身は無傷だ。

 けど目が虚ろでフラフラしている。

「刀火姉様!」

 蘭花が刀火を救うべく走り寄る。

 が、突然円龍が現れ、その拳が蘭花の鳩尾に決まる。うっ! と呻き倒れる蘭花を円龍が肩に担ぐ。

 意識の朦朧としている刀火も肩に担ぐ。

「剣姉! 蘭花!」

 出遅れた雷華が飛び出そうとするけど、ぼくが取り押さえる。

 ビルはすでに崩れ始めている。

「はなせ星図!」

「上を見てっ! 雷華!」

 見上げる雷華。

 ドドドドッ! 天井が崩れ落ちて来る。

 ビルが崩壊を始め、瓦礫と化した数十トンのコンクリートが降ってくる。

 刀火と蘭花の二人を担ぎ、円龍は軽々と背後に飛び退いて行く。

「〈雷刃〉! 〈雷刃〉! 〈雷刃〉!!!」 

 円龍を狙い、〈雷刃〉を次々に打つ雷華。

 けど、コンクリートを穿つだけで、円龍の姿は煙りの中に消え去る。

「ここにいたら、ぼくらもヤバイよ! 逃げよう雷華! 雷華ってば!」

 大声で叫ぶが通じない。

 猫が獲物を狙うように、瓦礫の隙間を見つめ、今にも飛び出しそうだ。

 ダダッ! 飛び出した! でも、雷華の背後から白いロープが伸び、彼女の腕に絡まり、カプッ! ロープが噛みついた? よく見るとロープは白蛇だ。

 仙術で造られた白蛇だ。

 雷華が止まり、白蛇が脇の下から胴体にスルスルとまわり込みながら、雷華を担ぐ。

 落下する瓦礫を避けながら、白蛇が雷華を連れて戻る。

「ったく。バカ娘が! 手間かけさせやがって! 星図! お前も逃げないと、潰れちまうぞ!」

「み、水薙!」

「先生! だろっ! 安心しろ! 雷華には、ちょっとばかし眠ってもらった! 崩れる前に脱出するぞ!」

 いつの間にか背後に立ち白蛇を操つる水薙…先生。

 水薙に言われるまでもない。

 ぼくは外へ逃げ出す。

 脱出と同時にビルが崩壊。

 周囲が瓦礫の山と化す。

 水薙の指示で地下道に逃げた。

 怪しげな扉をいくつも開き、中を進み下水道に出る。

 鼻を突く臭気を我慢し突き進む。

 やがて河川に出た。

 河岸沿いにしばらく進み、やがて、この街で最初に目にしたゲートと同じ鳥居に着く。

 水薙の白蛇がぼくに絡みつく。

 水薙が、キラリ! と、眼鏡のフレームを光らせ、ぼくを凝視。

「絶対離れんなよ。ちょっとばかし、遠くにジャンプするからな!」

「え? 何? 遠くって!?」

「行くぜっ!」

 水薙が勢いよくゲートに飛び込む。

 雷華とぼくも引きずられるように、ゲートに入った。

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