雷の章
フェイズ1
☆1☆
つけられている――と、気付いたぼくは、索敵魔法を展開した。
虚空に青白い魔方陣が浮かびあがり、周囲の地形と敵のおおまかな位置が表示される。
ぼくはグリーン、敵はレッド。緑を中心に五つの赤い光点が、後方で扇状に広がっている。
索敵魔法の発動と同時に敵が距離を縮めてきた。
魔法を感知する強力な魔法使いか魔法戦士、魔法騎士がいるようだ。
☆2☆
話をちょっと戻す。
夜更けの街にたむろしていたぼくに、城から便りが届いたのが、およそ三十分前。
差出人は、ぼくの馴染みの人物で、内容はいたって簡単。
《城へ戻れ》だけ。
城まで数十分にすぎないので、移動魔法を使うことなく徒歩を選んだ。
まさか森の途中で敵に襲撃されるとは思わなかった。
城は険しい山岳地帯に囲まれた天然の要塞で、山あり谷あり強力モンスターあり――という、たかが数十分とはいえ、実力がなければ、一歩だって踏み入ることは出来ない、危険極まりない道筋なのだ。
にもかかわらず、敵はイエローで表示される強力モンスターを、軽く蹴散らし、ぼくに追ってくる。
レベルの高そうな敵だ。
☆3☆
ぼくは、ぱっと見、十五、六歳の少年で、ごくありきたりな魔法使いの恰好をしている。
親切な人から親切に装備や魔法や魔法屋について説明されて、気まずい思いをする事も度々だけど、いまだに平凡な魔法使いの恰好をしている。じゃあ、ぼくの本当の実力は、といえば
――複数の攻撃魔法を瞬時に展開、敵の足元に紅い魔方陣が五つ浮かびあがる。死を呼ぶ暗黒の魔法――
「〈獄殺〉!」
目視できる距離まで迫っていた敵の周囲にドス黒い霧が発生。
敵がもんどりうって地面に倒れていく。
地味だけど、超強力な魔法。
〈暗黒魔法〉系〈獄殺〉。
地味で良い魔法だ。
最近の魔法は派手、派手、ド派手のオンパレードで、ぼくのポリシーにまったく反している。
使おうと思えば一応一通りは使えるんだけど。あまりそういった派手な魔法は使わないけれど、ぼくは、それなりに高レベルの魔法使いだ。
地に伏せて倒れている敵がヨロヨロと立ち上がるなり、一目散に逃げ出した。
HPでいえばまあ1ポイントぐらいは残っているってとこだろう。
殺すと寝覚めが悪いし、多少の手加減はしておいた。
〈片眼鏡〉に、ぼくは軽く手を添える。
ぼくの唯一のレア・アイナテムが、この〈片眼鏡〉だ。
複数の魔法制御を可能にする。
ぼく好みの地味なレア・アイナテムだ。
「高レベルの魔法使いにしては、随分と敵にお優しいことだな、ホシズ。使っている魔法は、あいかわらず地味な〈暗黒魔法〉だが…いつ見ても地味な魔法だ」
「…サーク、ほめるかけなすか、どちらかにしてほしいね。それから、暗かろうと地味だろうと…どんなに地味だろうと、ぼくは暗黒魔法使い派だから…なにしろこの魔法は、ぼくのポリシーにピッタリ合う魔法だからね」
「地味だからな」
「地味地味ゆーな!」
ぼくの馴染みの人物は、物事を斟酌するという、優しい気持ちなど絶無な人だったりする。
城の方角から現れ、ぼくを地味地味言う人物こそ、ぼくを呼び出した張本人、サークだ。
サークは見た目、十七、八歳の青年。
金髪。
灰の瞳。
世間一般では美形で通る顔立ちだ。
体格は中肉中背のぼくより一回り大きな体。
鎧は、銀をベースにブルーの縁取りがなされたシンプルなデザイン。
右手には、闇夜に輝く赤い聖剣。
〈紅王剣〉が握られている。
サークも、高レベルの〈聖騎士〉だ。
「城の周囲に怪しげな敵が潜んでいたから、全員屠っておいた。城に通じるこの道も怪しいと睨んで、足を運んだが――とんだ無駄足だった」
城に戻るサークを追いながら、
「どこの敵だろうね? 結構レベルが高いのに、斥候として使うなんて…よっぽど高レベルの兵士が、たくさんいる国なのかな? 並の兵士じゃ、この辺りに来るだけでも、手こずるはずだもんね」
「アイナには、口止めされていたが、この場ではっきり言ったほうがいいだろう。高レベルの兵士を平気で捨て駒に使う。そんな国との戦争が、まもなく始まる」
また、戦争が始まるんだ。アルカディナ大陸――東の果て、東方〈真〉国まで、戦火が広がるとは思はなかった。中央から戦火を逃れ、シン国まで来たというのに、
「戦争か…相手は西方〈彩〉国? それとも北の〈ギース〉――」
「西でも北でもない…」
「極東の島国〈和〉国か?」
「ワ国でもない。敵はな…アルカディナ大陸中央で覇を唱える。最も巨大な国。中央〈大華〉連合国だ…ダイカが、我がシン国に宣戦布告をした。アイナによる正式な発表はこれからだ」
「それって! 戦争っていうより、殲滅戦じゃん! どこが戦争なんだか!」
「殲滅戦か…なるほど、ホシズの言う通りだ。ダイカが相手では、戦力差は覆しようがない。だがな、ホシズ。戦争とは、本来そういう理不尽なものだ。圧倒的な戦力を持つ〈善の大国〉が、ちっぽけで非力な〈悪の小国〉を蹂躙する。それも、どうでもいいような、くだらない理由でな…話がそれた。オレの戦争観は、どうでもいい。それより、お前は、どうするつもりだ? ホシズ?」
「どうするって言われてもな~。う~ん。それは…その~」
人が悩んでいるというのに、サークの瞳は相変わらず穏やかで、なんか、ぼくだけ悩んでいるのが、馬鹿らしくなってきた。
「サーク。君さ、ぼくが今、もんのすごい混乱状態に陥っているってコト、わかるかな?」
「ホシズ。それは、答えじゃないな。もっと、わかりやすく質問しようか? お前は、戦うのか? それとも…逃げるのか? どっちだ?」
「うぐ。問いかけが、わかりやすくなったって、答えやすいって、ことじゃないぞ。う~」
「戦わず。かといって、逃げもしない。そんな、優柔不断な者は、アルカディナでは、愚にもつかない愚か者〈死人〉と言うのだ」
カカシね。ふーん。よく言ったもんだ。
アルカディナにおけるカカシは死人と同義。ぼくはちょっとひきつる。
「ふっふっふっ。いいよ、サーク。やってやろうじゃん。ぼくも戦うよ、ダイカと一戦……いや、何戦でもしようじゃないか。でもね…ぼくもって、言ったのは、当然! サークも戦うんだろっ! てことだからね!」
「無論だ。なぜならオレの存在意義は、善と悪の調和だからな。もとより、逃げるつもりなど毛頭ない。存在意義をまっとうして、最後まで戦う」
サークが自らの存在意義だか何だかを口にする。
ダイカは高レベルの兵士を星の数ほど抱えている、絶対無敵の超大国だ。
戦いが始まれば、サークの存在意義なんて瞬時に消し飛んじゃうだろう。
サークの口車に乗った事を、今更ながら後悔する。
「戦いたくなさそうだな。ホシズ」
「そ…そんな事ないよ。お、男に、ニゴンはない! 最後までつきあうよ」
「そうか…闘ってくれるか…なら良い。アイナも喜ぶだろう」
サークの口元に笑みが浮かぶ。
アイナも、ぼくにとって馴染みの人物だ。
「アイナは…オレとホシズがともに戦うなら、たとえ相手が中央〈大華〉連合国であろうと、必ず勝つ…と、言っていた」
一瞬、本当にダイカを倒せる気になった。
一瞬だけど。
いくらアイナでも、物理的に不可能だよ…なんだけど……アイナって奴は、不可能を可能にする…可能性がある…アイナって、そういう奴だ。
シン国の建国者にして、指導者。
アルカディナにおける、最・上級職。無数の転職と神秘のアイナテムの助力を得て、初めて成し得る職業、
〈HIME〉に就いた大陸唯一の人物だ。
彼女なら本当に奇跡という名の勝利を、ぼくたちにもたらすかもしれない。
☆4☆
シン国。マキス城。
城内の会議室に集まった高レベルの精鋭達は、好戦派と反戦派にわかれ、猛烈な激論をかわしていた。
見苦しい口論に、苛立ったサークが席を立つのを押しとどめ、ぼくは会議室前方、大階段を指差した。
折好く、アイナが大階段を下りてくるところだ。アイナの登場に、争っていた精鋭達が、水を打ったように黙り込む。
アイナは、見た目、十五、六歳の少女。
輝く大きな黒い瞳。
光輝を纏う白い肌。
炎のような深紅の唇。
亜麻色の髪は自然に肩まで垂れ、和服風のドレスを着ている。
☆5
☆
「シン国の総兵力は、三万。対して、ダイカの総兵力は、少なくとも八十万――と、いわれます。敵にまわせば、これほど恐ろしい国は、ほかにないでしょう」 アイナの第一声に室内の空気が冷えてゆく。
「兵力差は、七十七万――ですが、それでも、わたくし達は、この恐るべき敵と戦わなければなりません」
反戦派の代表ともいえる魔法使いシラノが話に割り込む。
白のローブを着た長身痩躯の老人だ。
「アイナ姫様。それはダイカが、我がシン国に対して、宣戦布告をした――と、そういう事で、よろしいのですな?」
アイナが頷く。
兵達に動揺が走る。
好戦派、反戦派ともに、噂は本当だった。と、口走る。
「姫様は、この宣戦布告を受け、ダイカと戦うという事ですな」
アイナが首肯する。
「それはあまりに無謀です。勝ち目はありません。いかに、戦争の芸術家…といわれた、アイナ姫様でも」
シラノが真っ先に反対する。
対してアイナは、
「無謀である事は百も承知です。それでも、わたくし達は、戦う他ないのです。いえ、戦わざるを得ません。その理由が、この書状にあります」
アイナがダイカから送られた、宣戦布告の書状を広げる。
「宣戦布告の理由として、ダイカはシン国が保有する〈大量殺人魔導兵法書〉十三巻の奪取をあげています。我がシン国が、ガラージュを使用し、ダイカへの侵攻を計画している――彼らは、そう主張しています」
兵士達から憤りの声があがる。
当然だ。ガラージュ十三巻 なんて嘘っぱちもいいところだから。
「我が国は、たしかにガラージュを保有しています。ですが、それは、ほんの一月前に、山中の洞窟から相次いで発見された、三巻のガラージュにすぎません。 ガラージュ十三巻などという、ダイカの出鱈目な要求は、無茶を通り越して非道とさえ言えます。彼らの真意は、たとえ我が国が、素直にガラージュ三巻を渡したとしても、決して、満足せず。侵略を止める事などしません。さらに、彼らは、第四、第五のガラージュを求め、血に飢えた野良犬のごとく、我が国の隅々まで、蹂躙し尽くすでしょう」
兵士達が頷く。
「そもそも、ことの始まりは、彼ら自身が、半年前に発見した一巻目のガラージュです。彼らは、ガラージュを発見するやいなや、ワ国に対し海を越え、大船団でもって侵攻を開始しました。理由は――領海侵犯に対する報復措置――ですが、でっちあげもいいところです。真の狙いは、ガラージュの実験にありました。実験に最も適した安全な土地として、ワ国の南方に位置する〈火色島〉を選んだのです。ヒイロ島に侵攻した彼らは、ガラージュを発動、見事な成果を納めます。当時、ヒイロ島に駐屯するワ国の兵士一万二千は、ガラージュの発動により全滅しました。ダイカは、この実験の成功に狂喜乱舞です。が、同時に彼らは恐怖も感じました。もし、ダイカでガラージュが発動したら、どれ程の被害が出るだろうか? と。結果、ダイカは、血眼になってガラージュを探し求めるようになりました。そして、我が国がガラージュを発見した――との噂を聞きつけ、早々と宣戦布告をしてきたのです」
アイナが言いたいのは、要するに、ダイカの軍隊は超・外道な奴らって事だ。アイナが続ける。
「敵は二十倍以上の戦力をもって、シン国に攻め寄せます。巨象と蟻の戦いです。逃げ出す者を臆病者とは呼びません。それは、賢い選択です。我らは小さな蟻で、虫けらの如く、巨象に踏み潰される運命です。救い、希望など、欠片もありません。ですが、本当にそうでしょうか? 答えは…否。断じて否です。この、小さな蟻は、その身に恐るべき力を秘めています。その力は、巨象ですら一撃で倒す猛毒〈大量殺人魔導兵法書〉という名の猛毒です!」
おおっ! 兵士達から歓声が上がる。
「自らは、ガラージュを実戦で使用しながら、他国に対しては、その保有すら認めず、疑わしきは罰せよ。と、他国へ侵攻する。自分たちこそ正義。自分たちこそ法の守護者。アルカディナの王として振舞うダイカに、ちっぽけですが、小さな傷を負わせましょう。指の先に載った、塩粒ほどの小さな猛毒は、やがて全身へとまわり、敵を必ず倒します!」
どよめきが兵の間に広がる。興奮が場内に満ちた。そんな中、シラノが思いっきり水を差す。
「たとえ、ガラージュ三巻を使ったとしても、倒せるダイカ兵は、せいぜい三十万かそこら。状況によっては、それ以下…という事もあるでしょう。その程度のダメージではダイカは蚊に刺されたほどの痛みも感じません。ガラージュをアテにダイカと戦うのは、戦争の芸術家、とまでいわれた姫様にしては、浅はか過ぎる愚策としか思えません」
盛り上がる兵達も戸惑いの表情を浮かべる。
「シラノの言う通り、わたくしの策は馬鹿げています。ダイカと戦うなど、愚かしいにもほどがあります」
シラノが釘を刺すように、
「では、ダイカとは戦わず、和平の工作を進め――」
「それはなりません」
アイナが静かに、けど、毅然とした揺るぎない声音で、シラノに告げる。
「たとえ、どんなに愚かであろうとも、浅はかであろうとも、人は戦わなければ…ならない時があります。そして、今が、その時です」
「…姫様。今は、勇気と蛮勇を、取り違える時ではありませんぞ」
「勇気でも蛮勇でもありません。戦争の芸術家と渾名される、わたくしの最大にして最強の――そして、唯一の武器――理智の光が戦いに勝てる――と、そう告げています」
「…策を、お聞かせ願いますか…」
シラノが根負けしたような、困った顔つきでアイナに問う。
「偵察の兵の報告から、ダイカは、三つの欠点を抱えている。と、推測出来ます」
アイナが華奢な腕をあげ、人差し指を立てる。
「第一に、戦力の分散。ダイカは名ばかりの連合国であり、国同士の絆は極めて薄い。強大な軍を擁するダイカに周辺国は連合を強要されていますが、いつ反旗を翻すかわかりません。それを警戒しダイカは常に本国に総兵力の半分を温存しています。シン国へ向かう兵力は半分。四十万。しかも、うち三十万は、我が国周辺の険しい山岳地帯を避け、大陸中央。平原地帯に待機しています。実際に我が国へ向かっている兵は十万に過ぎません。平原での騎馬戦を得意とするダイカが苦手な山岳戦を嫌って戦力を分散したのです。単にガラージュを恐れている。だけかもしれませんが、どっちにせよ、我が国にとって、極めて有利な状況にあります。それでも、シン国三万の兵に対し、三倍以上の戦力ですから、楽観は出来ませんが」
でも、まったく希望が無いってわけでもない。
「第二に、力の過信。ダイカは強大な軍事力を保有していますが、巨大な力、絶大な力――を、盲信しています。我が国へ向かう戦力を分析したところ、実際の彼らの戦力は、せいぜい二倍か、それ以下と考えられます。これは、高レベルの兵の数を比較すると容易に想像出来ます。十万の兵の内、高レベルの兵は、わずか一割に過ぎません。たった一万です。対する、我が国の高レベル兵は、総兵力の三分の一。つまり、ダイカとほぼ同じ一万です。さらに、ダイカ兵の経験、熟練度、を考慮すると、山岳戦における実力は、我が国より遥かに劣る。と結論出来ます。いくら数を揃えたところで、質が伴わなければ、無意味です。ダイカは、我が国をナメてかかっています。それこそ、愚かな力の過信と言えます」
シラノの反論に悲愴な顔つきをしていた兵士達の間に再び活気が蘇る。
アイナの説明に気力が湧き、士気が高揚する。
「第三に、ダイカ兵は戦いに倦み疲れている事。大陸中央の戦いに勝利した彼らは、長びく戦争で士気を失っています。彼らにとって戦争は飽き飽きする単純な仕事、作業でしかありません。連戦連勝――といえば聞こえは良くとも、闘志、判断力、緊張感。といった、戦いに欠かせない、精神作用、働きは、勝利するたびに確実に削ぎ、萎え、衰え、麻痺しています。結果、彼らは極めて怠慢な戦い方へと堕落しました。無駄に散漫で無意味な戦い。力押しの単純な戦法。無駄に多くの兵士が死にます。けれど彼らは一向に気にしません。へっちゃらです。なにしろ無駄に兵が多いのですから。彼らは敵を注意深く観察しません。危険を見抜くだけの集中力が無いのです。戦いとは一瞬の気の緩みが致命的なダメージに?がります。彼らのユルミきった濁った瞳では目前に迫った危険すら映る事はありません。要するに隙だらけです。我々は、この大きな隙を大いに突こうではありませんか! シン国の勇敢な兵士達よ!」
うおおっ! 再び兵士が歓喜の声を上げる。
さらに、アイナが詳しい作戦を説明したけど、とりあえず割愛。
☆6☆
左右から突き出された鋼鉄の長槍が、ぼくの目の前で交差し、耳障りな金属音を、広い廊下に響かせる。
無骨な甲冑を纏った重装備の兵二人が、アイナの部屋の前に立ち、兜の僅かな隙間から、疑い深い瞳で、ぼくを覗いて値踏みする。
いつもの兵士は、ダイカの戦いに駆り出され、新人と変わったらしい。
一見、ぼくは、低レベルの初心者みたいな恰好で、しかも、両手一杯に紙袋(安っぽいお店の、安っぽい袋)を抱え込んでいるから、余計、怪しい奴め! と、疑うのも仕方ない。
アイナから渡された名刺を見せて、ようやく、驚いた顔つきをしながらも、ぼくを通してくれた。
☆7☆
アイナの部屋は円天井と天蓋付きのベッドがあり、床はフカフカの絨毯が敷き詰められた、広々とした大きな部屋だ。
壁には、所狭しと、大小様々なヌイグルミが飾られている…はずなんだけど、今は、あちこちに散乱して、ヌイグルミだけじゃなく、布団や枕、他多数が、床に放り出されている。
テーブル、椅子も、乱暴に倒され、押し込み強盗でも入ったのか? という、惨憺たる様相だ。
ベッドの横に、うつ伏せでアイナが倒れている。
ぼくはアイナの横を素通りして、倒れたテーブル、椅子を元に戻す。
紙袋の中身をテーブルに広げた。
「…思いっきり、スルーしないでください」
地の底から響くような低い声が、ベッドの横、床の辺りから聞こえる。
「でも…いつもの事だし」
ぼくがアイナに向かって言う。
うつ伏せ状態で、首だけをこちらに向けるアイナ。
恨めしそうな半眼でぼくを睨む。
頬を膨らませ口を尖らせる。
「うぅ~。わたくし、あの方は、大嫌いなのです」
「シラノのこと?」
「毎回、毎回、わたくしの作戦に反対して、そのたびに、返答に窮するのです。毎回、毎回、冷や汗ものなのです。うぅ~」
毎回、毎回、アイナは会議のあとで、必ず、癇癪を起こし、部屋を滅茶苦茶にする。
「シラノってさ、本当は結構いい奴なんだけどね」
「ホシズは! シラノの味方なんですか!」アイナが噛み付かんばかりに怒鳴る。
「味方っつうか、友達だよね」
アイナが驚いたように目をパチクリし、どうやら、コトを理解したようだ。
「ど、どうせ、わたくしは、ホシズのお友達じゃない! ですよ~だ! う! うぅ~う!」
ふてくされたアイナが、うつ伏せモードに入るのを、
「機嫌直して〈割浮麺〉でも食べない?」
アイナが床に座りなおし、瞳を輝かせる。
「新メニューですか?」
「そうだよ。ええとね、上味・激辛!豚骨味・旨味油入り!」
「カップメンを持ってきているのなら、早く言ってください!」
アイナがダッシュで暖炉に走る。湯気を上げるヤカン、割り箸を持ってきて、
「早く蓋を取ってください。お湯を注ぎますから」
早口でまくしたてる。
アイナはカップメンが大好物だ。
冒険者の簡易食として、ワ国で開発されたカップメンは、保存が効くうえ、お湯を注ぐだけ。
という調理の手軽さ、種類の豊富さ、味の良さで、今や冒険者に欠かせないアイナテムになっている。
「ずるっ。ずずっ、ずず~。ずるずるっ、ずっ、ずずず~」
激しく麺をすするアイナ。
お行儀が良くない。
という理由で、城内でカップメンを食す事は厳しく禁じられている。
というか、アイナのこんな姿を兵士に絶対見せられない。
イメージぶち壊しだ。
ただ、ぼくはたまに、こっそりと持ち込んでいる。
頬一杯に麺をかき込むアイナ。
その姿は年相応の少女に見える。
見た目通りの年齢なら、だけど。
「サークも来ると思ったけど、来てないね」
「あの方は、わたくしより兵の訓練が大事なのです」
「いまさら訓練しても遅いんじゃないかな」
「勝つためなら、やるべき事は全てやる。遅いとか、早いとかの問題ではない」
サークが扉の前で会話に割り込む。
両手一杯に紙袋(安っぽい店の安っぽい袋)を抱えている。
サークも考えることは一緒らしい。
サークが紙袋を棚に置いて席に着く。
「サーク、あれの中身ってさ、やっぱカップメン?」
「保存食だからな、何食か増えても問題ないだろう。しかし、考える事は、お互い一緒だな」
言うなりサークもカップメンの蓋を開け、お湯を注ぎ、三分待ってから麺を啜る。
「辛いな!」
サークが顔をしかめる。
それを見たアイナが笑う。
「激辛ですから」
「そうか」
渋い顔をしながら食べるサーク。
「なんだか、昔に戻ったみたいです」
アイナが懐かしげに呟く。
「そうだね」
と、ぼく。
サークも無言で首肯。
駆け出しの冒険者にすぎない頃、ぼくとサーク、アイナは、山中のキャンプで激安カップメンを啜り、お腹を満たした。
あれから随分、時が経つ。
ぼくらの立場も状況も激変して今では三人揃うという事も滅多に無い。
「出来れば、あの頃に戻りたいです」
「いや! 絶対! それって無理だから!」
「歌にもこうあります」
って、全然聞いてない、
「時よ、戻ってよ~♪ 時よ、戻ってよ~♪ 時よ、戻ってよ~♪ わたくし~の、ため~に~♪」
ご機嫌な調子で歌うアイナ。
3コーラス歌いきり、ぼくは同じ事をもう一度繰り返した。
「だから昔には戻れないって! 戦争が始まるんだよ!」
「そうとも言い切れないな」
サークが真顔で反論。
「要は、戦争に勝てばいい」
「勝てばって…そんな、簡単に…」ぼくは絶句する。
「ダイカに勝利したら、また、昔のように、一介の冒険者に戻るもよし。これまで通り、今の生活を続けるもよし。自分の好きなように、自由に生きればいい」
「あのね、もし、勝っても、色々とこう、戦後処理とか、治安の維持とか、テロ対策とか、面倒な事が山ほどあるんじゃないかな?」
「ウザイ事は全部、他の連中に任せる」
「任せるって…また、そんな、無責任な…」
「文句がある奴は、オレみずから説得する」
説得じゃなくて力ずくだ。
アイナがクスクス笑う。
その時、城内に戦いを告げる鐘の音が高々と鳴り響いた。
☆8☆
山岳に位置するマキス城から、大陸中央の平原地帯にかけて、広大な森林地帯が扇状に広がっている。
森の中は、街や村が点々と点在し、ダイカと戦うなら、敵を森の中に誘い込み、ゲリラ戦に持ち込むのが、最も効果的な戦法だと、ぼくは思うけど。
アイナはまったく逆で、平原と森のちょうど境目、平原側に兵士を集めた。
丁度、V字型の陣形になる。
左右に広がる両翼は平原を向いてV字の底は森側。
兵士は森を背に布陣する事になる。
〈背水の陣〉? と言えなくもないけど、力負けして中央突破されたら一貫の終わりだ。
点在する村や街は勿論、城まで一気に制圧されかねない。
平原の彼方を見ると、夜明け前だというのに、地平線の彼方から敵が徐々に近付いてくる。
海岸に敷き詰めた砂粒のようにダイカの軍勢が怒涛のごとく押し寄せてくる。
前衛のダイカ兵は低レベルの兵士。
先頭が矢尻のような形を作り突っ込んでくる。
中央を中級レベルの兵が占める。
戦線が伸びきり弓矢の棒みたいだ。
後衛、高レベルの兵がガラージュを警戒し矢羽根のように慎重に近付く。
全体を見渡すと飛来する弓矢みたいな陣形。
☆9☆
大地が震え、木々がざわめく。
無数の鳥が驚き、羽ばたくと同時に両陣営は激突した。
矢尻のような陣形のダイカ前衛がシン国V字陣形を崩そうと突撃を繰り返す。
が、V陣形は想像以上に堅い。
徹底的に守りを固めてあるのだ。
高レベルの上級装備を譲り、守備力を限界まで上げてある。
使いこなせなくとも壁になればいい。
その上、回復アイナテムも目一杯、持たせてある。
ダイカ兵の多くが簡単に潰れる。
と、予想したV陣形は一転、彼らの想像を超える強固でしぶとい壁と化した。
結果、前衛の兵は、しだいに潰れた矢尻のようにV字の底部に停滞。
ダイカ中央。
中級レベルの兵も突入を試みるが半数は前衛に進路を妨害され右往左往するばかり。
ただ、後続部隊は、前方の混乱を避け、V陣形の側面を狙ってくる。
素早く攻撃対象を切り替え、左右から突破を試みる。
が、右翼に展開したダイカ兵に向かい、いきなり無数の爆炎が飛来、目を覆うような閃光、耳をつんざく轟音。
爆炎、爆風に煽られ、枯れ葉のように宙を舞うダイカ兵。
爆煙が荒れ狂う中、ゆらり――と、長身痩躯の老人が現れる。
漆黒のローブで全身を覆った――シラノだ。
でも何で? 黒のローブ? イメチェンしたのかな? いつもは白いローブなのに。
にしてもシラノの〈爆炎魔法〉系〈炎爆〉は相変わらず凄まじい。
でも、感心する間もなく今度はV陣形、左翼で凄い事になっている。
森に潜んでいたサークが姿を現し竜神、鬼神のごとく、斬るわ、斬るわ、サークの勢いに押され、後退するダイカ兵。
一騎当千、獅子奮迅の活躍だ。
シラノとサーク、二人の奇襲が成功し混乱するダイカ兵。
けど最後衛、高レベルのダイカ兵が戦線に投入されるに従い戦線が回復。
乱れた陣形が立ち直る。
シラノとサークも高レベルの後衛に手古摺り後退を余儀なくされる。
主装備、主なアイナテムをレベルの低い者に与えた二人は圧倒的に不利だ。
一進一退の攻防を維持したシン国もダイカの一糸乱れぬ攻撃にV陣形が崩れ始める。
ダイカも気づいた頃だろう。
シン国の兵士が低レベルながら持ちこたえたのは、強力な装備、アイナテムのおかげで、攻撃は、まるっきり駄目だ。
という致命的欠点に。
☆10☆
崩れかけたシン国の兵士に聖歌じみた旋律を伴い〈神聖魔法〉系〈聖・呪文〉が、どこからともなく詠唱される。
巨大な光の魔法陣が兵士の頭上に展開し溢れる光が降りそそぐ。
激戦に疲弊した兵士の気力が蘇る。
体力が一気に回復。
深手を負った兵も、瞬く間に傷が癒える。
シン国、三万の兵、全てを回復する。
超・広範囲・回復魔法。
とてつもない魔法を扱える人間は〈HIME〉と呼ばれる、アイナ姫以外ありえない。
森の斜面。
小高い丘にアイナが姿を現す。
立て続けに攻撃、守備の補助魔法を展開。
アイナの支援を受け、シン国の兵士が再び勢いを盛り返す。
反撃、攻勢に出る。
崩れかけた陣形が立ち直る。
だが、アイナの登場に色めき立ったのはシン国の兵だけではない。
ダイカもざわめく。
〈HIME〉を倒せば莫大な〈経験値〉と〈技術〉が手に入る。
絶好の機会だ。ガラージュを恐れ、後方に控えていたダイカの高レベル兵がアイナを狙い次々に動き出す。
同じように後方で戦線を見守っていたダイカ〈大弩弓〉大隊も動く。
バリスタが放つ矢は…矢というよりも、でっかい丸太の先っぽを少し削って尖らせた。
という感じの矢で、超・遠距離から攻撃可能、当たればドラゴン、ゴーレムすら一撃で倒せる極悪、非道な武器だ。
数百機のバリスタがアイナ目掛け一斉に巨矢を放つ。
耳障りな風切音が戦場に響き、空を覆い尽くすように拡がる巨矢。
広がった矢は一点を目指し収束。
その先にはアイナが待ち受けている。
巨矢が四方八方からアイナを串刺しにすべく飛来。
が、舞うようにアイナがこれを避ける。
襲いくる巨矢を、当たる寸前にかわすアイナ。
アイナのスキル発動――〈見切り〉だ。
上級職〈侍〉や〈忍者〉が身に付けるスキルで、〈HIME〉も同じスキルを身に付けている。
アイナの〈見切り〉は優雅で歌舞、舞踏を連想させる。
と考えていると、避け切れない巨矢がアイナの着物を引き裂く。
〈見切り〉も絶対ではない。
さらに致命的な最悪のタイミングで巨矢がアイナを襲う。
巨矢が刺さる寸前。
小高い丘が巨大な炎に包まれる。
すべての巨矢が炎の壁に阻まれ、燃え尽き、地に落ちる。
シラノの防御系・魔法〈炎壁〉だ。
アイナが無事な姿を現す。
さらに〈炎陣〉を発動。
バリスタ大隊が真紅の炎に舐め尽くされる。
あっという間に灰燼と化す。
なんかおかしい。
〈炎壁〉と〈炎陣〉って、ここまで効果範囲が広かったっけ? あの黒いローブのおかげか? 今日のシラノは凄すぎる。
戦況は混乱状態に陥り、V陣形も円状に広がり、突破は時間の問題。
だけど、おかげですっかり、ぼくの準備は整った。
アイナに合図を送る。
「〈獄殺〉!」
ぼくの周囲の敵が倒れる。
今回は手加減なし。
んで、これがアイナへの合図だ。
敵陣のド真ん中でいきなり姿を現し、暗黒魔法で派手に敵を倒す。
アイナがぼくに気づき、
〈帰還〉を素早く詠唱。
三万の味方兵士が一気に城へ〈瞬間移動〉する。
☆11☆
戦闘の始めから暗黒魔法〈幻姿〉で、姿を消し、敵陣中央まで潜り込み、ダイカ兵がガラージュの効果範囲に収まるまで潜伏。
機を見て、これを展開、発動。
ぼくの出現とシン国、全軍の帰還。
すべてが突然で、すっかり機能不全・状態に陥ったダイカに対し、ぼくは最終式〈発動禁止・呪文〉を厳かに詠唱する。
「黄砂を貫く蒼き紫電、神鳴る雷鳴。来たれ、吹き荒ぶ嵐、〈嵐の使者〉!」
視界が真っ青に染まる。
轟音は凄すぎて全然、気づかないほど。
ぼくの眼前では、ダイカ兵十万人が一瞬にして水蒸気を盛大に噴き上げ、かと思うと、次々に倒れる。
見た目、損傷や破壊された形跡はない。
これは、雷、による、誘電加熱が原因だ。
誘電により、水分が瞬時に高速運動、人体、その物が過熱される。
一見、燃えているように見えないけど、内部は芯から焦げている。
焦げ臭い匂いが、辺り一面に漂う。
ダイカ兵の体内は石のようにカチカチに焦げ、焼き尽くされている…はずだ。
フェイズ2
☆1☆
ドンッ! ドンッ!
「郷太、早く起きなさい! 遅刻するわよ!」
ぼくの部屋の扉を連打する母。
「もう、こんな時間っ!?」
ぼくは、ダイカの死体が死屍累々と積み重なる戦場でコマンド・パネルを開きプレイ・データを保存する。
ゲームの電源をオフ。
ゴーグルじみたゲーム機を頭から外す。
「また…やっちゃったよ…徹夜で…ゲーム。ぐはっ」
机に額をくっつけ、五秒間だけ寝る。
☆2☆
(アルカディナ)というMMORPGゲームソフトがある。
もちろんフルダイブ型のVRゲームだ。
世界的なゲームメーカー〈ライト・キング・ドラゴン〉社。
略して(LKD)社が開発したゲームで、ゴーグルじみたハード〈仮想現実眼鏡〉略して(VG)を装着する事で、仮想現実世界を体験出来る次世代ゲームだ。
〈ⅤG〉が、どれぐらいリアルか? というと〈VG〉が発する特殊な電磁パルスにより、人間の五感――視覚、聴覚は当然として、さらに嗅覚、味覚、触覚、痛覚は制限されている――を、ほぼ、完全に再現している。
ほとんどのプレイヤーが、現実と仮想現実の区別がつかないほどリアルだという。
三年前に発売されるや、爆発的ヒットを記録。全世界七千万人のプレイヤーが参加する怪物ソフトと化した。
ぼくは中学二年の頃から〈アルカディナ〉で遊び始めた。
これほどハマって、飽きのこないゲームも珍しい。ただ、このゲームで遊び始めた頃から、ちょっと変わった事が、ぼくの身に起きた。まあ、些細な事だけど。
母の怒声が階下から響く。
「ヤッバ、急がないと、遅刻だ!」
学生鞄に教科書、ノート、プリントを詰め込む。
学ランに袖を通し、鏡を覗く。
ぼく――星図郷太が、そこに写っている。
平凡な普通の高校一年生だ。
アルカディナのホシズは、ぼくのアバター(化身)で、現実のぼくを基本にしている。
初めにオリジナル・データをスキャンし、その後、修正が可能だけど、ぼくはそのままオリジナル・データを使用している。
そのほうが動作に違和感が無く、扱かい易いからだ。
☆3☆
ぼくは家を飛び出した。
「バスに上手く乗れればいいけど」
ぼくが住んでいる街は、神奈川県、横須賀市にほど近い、〈三須賀・特二区〉。
JRや私鉄の駅は横須賀方面にあるため、わが街、三須賀・特二区は、完全に陸の孤島だ。
唯一の交通手段はバス。
でも恐ろしい事に、三十分に一本しか通らない。
ぼくは必死にバス停を目指した。
バス停自体が家から遠いのだ。
いきなり、どしゃぶりの雨が振り出す。
昨日の天気予報では、『晴れ』って言ってたのに、
「天気予報当たらね~」
とか言いつつバス停に辿り着く。
結果。
走り去るバスのうしろ姿を、哀しく見送るぼく。
バス停には一応、屋根とベンチがあるけど、次のバスが来るまで、雨宿りして待つしかない。
「使うか?」
「えっ!」
思わず身を引く。
ベンチの端に座っていたのでアスファルトにひっくり返った。
いつの間にか少女が一人、立っている。
さっきまで誰もいなかったはずだ。
音も気配もなく、その場に現われた。
それって、
「幽霊?」
「はあっ? 何だ、それは?」
少女が眉をひそめ、怪訝そうな顔つきでぼくを見る。
よく見ると幽霊じゃない。
ぼくが通う三須賀特二高校のセーラー服を着ている。
少女が学生鞄からタオルを取り出し、ぼくに渡す。
〈三須賀特二高校・体育祭記念〉と、プリントされていた。
十月初めの体育祭における記念品だ。
ぼくも同じタオルを貰った。
「ご、ごめん。急に声をかけられて、その…」
口ごもる。
「人の事をユーレイとか言わなかったか?」
「ビックリして、ついその、ごめん」
「そうか」
あまり納得していない顔つきだけど、
「とにかく使え。びしょ濡れじゃないか」
ぼくはタオルを受け取った。
「あ、ありがとう」
濡れた頭や顔を拭く。
ぼくが彼女の事を幽霊と間違えたのは本心からで、実はアルカディナと関係がある。
☆4☆
中学二年の頃。
アルカディナを遊び始めて一週間たった、ある日。
ぼくは普通の人には見えない、あるモノが、見えるようになった。
それはつまり、〈霊の類〉の事だ。
ありえねぇ! とか、思わないでほしい。
実際、見えたのだから。
霊といっても様々で、生前の姿と変わらない〈幽霊〉や、異形の化け物と化した〈悪霊〉。
〈妖精・妖怪〉っぽい物や〈悪魔〉じみた奴。
様々だ。
でも、霊のほとんどは悪霊だった。
この世に未練を残して死んだ悪党が、人にとり憑いて、悪い事を引き起こす。
とり憑かれた人間は、病気や事故に遭う。最悪、死ぬ事もある。
ぼくの友達は目の前で悪霊にとり憑かれ、交通量の多い道路で突然眩暈に襲われ事故に遭った。
ぼく自身、悪霊にとり憑かれ病気にかかった事もある。
悪霊は大なり小なり世界に干渉する力も持つ。
〈騒霊現象〉とかいう力だ。
この力で大事件を起こす悪霊もいる。
始めはそれが、アルカディナのせいとは思わなかった。
けど、受験勉強のために、アルカディナを一時中断すると、霊の類が見えなくなり、しばらくすると完全に見えなくなった。
高校受験を無事に合格したぼくは、アルカディナを再びプレイした。
するとどうだ、また以前のように、霊が見えだしたのだ。
その時はじめて、アルカディナが関係している? と疑った。
試しにぼくは実験した。
アルカディナをプレイしたり、止めたり、数週ごとに繰り返した。
結果。
やはりアルカディナは間違いなく関係している。
という結論に達した。
といっても、すべてのアルカディナ・プレイヤーが、ぼくのように霊が見えるわけではない。
少なくとも、アルカディナの知りあいで、同じ心霊体験を持つ人は一人もいない。
不思議な現象はあるけど、ぼくは、その後もアルカディナをプレイした。
アルカディナは――最高に面白いゲームだからだ。
最初はともかく、最近は、悪霊にもだいぶ慣れてきた。
対処法も自分なりに研究した。
悪霊を祓う方法もわかってきた。
今となっては、日常生活の些細な事柄の一つに過ぎない。
怖いけど。
☆5☆
「拭き終わったら、タオルを返してくれ」
「え、ああ、タオルね。はい、どうぞ」
ぼくはタオルを彼女に返した。
あらためて見直すと。
なんか、クラそ~な感じの女の子だ。
逆八ノ字形の眉。
青白い肌。
ショート・ボブの黒髪はボサボサ。
胸は…、
「どこを見ているのかな? どこを? 何か、面白い物があるのか?」
「いえっ! なにもありません!」
以外と鋭い。
ぼくの視線に気づき、瞬時に反応した。
一瞬だけ見た感じでは、ごく普通の胸だった。
「おおっ!」
いきなり彼女が嬌声を上げる。
「猫だ! 猫ちゃんがいる!」
彼女の視線の先に、一匹の野良猫がいた。
「猫が好きなんだ」
「この世に猫が嫌いな女はいない! はず! いたら女じゃない! はず!」
この猫は、ぼくもよく知っている。
〈黒帽〉だ。
ぼくが勝手に名前をつけた。
宅急便の赤とは違う。
全身の毛並みは白。
なのに、頭だけ帽子を被ったように、黒毛なのだ。
野良猫のくせに特定の縄張りを持たない変わり者で、三須賀特二区のあちこちでよく見かける。
その黒帽が、どしゃ降りの雨にもかかわらず、うろついている…という事は――ぼくは周囲に目を凝らす。
真っ黒な雨雲で、夜のように暗い。
遠くの空に、蛇の舌先のような、稲光りがチラつく。
黒帽が全身の毛を逆立て、滝のように降る暗い雨に向かい、威嚇の呼気を吐く。
彼の瞳に映るものが、ぼくの瞳にも映る――悪霊だ。
☆6☆
その空間だけ、ぽっかりと、雨が降っていなかった。
まるで、雨が避けているかのようだ。
距離はバス停から十メートル。
高さ三メートル。
幅一メートル。
悪霊としては小物だ。
普通の人間には風が吹いているか、たまたま、そこに雨が降っていないだけ――としか見えないはずだが、ぼくと黒帽の眼は誤魔化せない。
黒帽は悪霊を見る事が出来る。
そして、黒帽は頻繁にそういった場所に姿を現し、理由は分からないけど悪霊と戦う。
街を守っているつもりか? 悪霊は〈工事〉だの〈道路〉だの〈賄賂〉だの呻きながら近づいて来る。
悪霊が着用している高価そうな背広は、その身に詰め込まれた鉄骨やコンクリで風船のように膨れあがり、無数の道路標識が、その体に突き刺さっている。
胸元には〈国土建設官僚〉の名刺が付いてる。
生前は道路族の官僚か? ぼくは学生鞄を開け、対・悪霊用の護符(手作り)を取り出す。
ぼくが見えるのは、悪霊だけではなく、いわゆる〈聖水〉と、呼ばれるような、神憑った、神聖な物質も判別出来る。
教会、神社、お寺などで、聖水を水筒に汲んでは家へ持ち帰り、墨汁と混ぜて、手製の護符を作る。
もっとも、最近の教会、神社、お寺の水は、ほとんど水道水で、本物を手に入れるのは難しい。
黒帽が果敢に悪霊に襲いかかる。
けど、小物とはいえ、悪霊。
腕の一振りで、あっさり黒帽は、はじき飛ばされる。
寸前、黒帽の体が何かに引っ張られ悪霊の一撃から逃れる。
「汚職にまみれ! 賄賂で私腹を肥やす! 税金を湯水のように使い込み! マスコミに暴露されれば! 仲間から自殺に見せかけ殺される! 馬鹿官僚が! 可愛く可憐! 天使のごとき猫ちゃんに手をあげるとは! たとえ神が許しても、このわたし! 猿風雷華が! 断じて許さん!」
彼女の凄まじい迫力に、ぼくは護符を地面に落っことす。
「〈雷糸〉!」
彼女の右手から青白く光る糸? が、悪霊に素早く伸び、グルグル巻きつく。
先程、黒帽を引っ張ったのも、この変な糸か?
「青き閃光! 神鳴る一撃!」
彼女の全身が青白く発光、帯電開始。
人間版・ゴジ○(ピー)のようだ。
「〈豪雷〉!」
どっかんっ! 眼前で落雷! 閃光と轟音が炸裂。
悪霊は粉微塵に吹っ飛ばされ、衝撃波に煽られ、ぼくもあっさり気絶した。
☆7☆
気づいたら教室の中だった。
うしろの席に座る白野が指先でぼくを突っ付き起こす。
焦点が合ってきた。
と思ったら目の前に担任の水薙が立ち、出席簿の角で、ぼくの頭を叩く。
「出席取ってる最中から居眠りとは、いい度胸だな、星図。なんなら欠席扱いでも構わないが、どうする? まだ寝足りないか?」
「いえっ! バッチリ! 目が覚めました!」
「よろしい」
水薙が教卓に戻る。
奴はいわゆるイケメンで女子人気ナンバーワン。
ぼくにとってはムカつく教師ナンバーワンだ。
あくびを噛み殺しながら退屈な授業を受けつつ、あのバス停から、猿風雷華という少女が、いつの間に? どうやって? 教室まで運んだのか? と考える。けど、答えは出ない。
ぼ~としていたら、いつのまにか昼休みになった。
☆8☆
一年D組・出席番号32番。
これが現実世界における、ぼくの管理番号だ。
管理番号11番。
うしろに座る男子、白野はアルカディナのシラノだ。
現実の白野はアルカディナのシラノみたいに老人ではなく、れっきとした高校生だ。
白野はオリジナル・データを相当変えている。
白野がシラノだと気づいたのは、長身痩躯、痩せこけた頬が、なんとなく似ていたから聞いてみたら、たまたま当たったのだ。
白野に今朝のぼくの様子を尋ねてみた。
「今朝の星図が、どんな様子だったかって? 自分の事を僕に聞くのは変じゃないかな? そう? 変じゃない? だから教えてくれって? しょうがないな~。どんなだったかな? いつも通りだったような気がするな~」
いやいや、白野君。
そんな事はないでしょ。
絶対いつもと違うって、気絶してたんだから。
「ああ! そういえば、なんかこう、動きが、ギクシャクしていた気がするな。それに、話しかけても全然、返事がなかったな」
そこ! そこですよ、白野君。
どんな風にギクシャクしてたのかな? 具体的に言ってほしいな。
「そうだな~。人形じみていた、というか。例えると、糸で操つられたマリオネットみたいだったな」
ありがとう白野! 現実世界でも君は頼もしい友達だよ! 猿風雷華は雷糸とかいう変な糸を使っていた。
それでぼくを人形みたいに操つって教室まで運んだのだ。
もう一つ気になるのは、
「昨日、というか、今日の深夜。シラノ凄かったね。あの黒いローブに秘密があるのかな? イメチェンして白いローブはやめたの? でも、白くないとシラノっていうよりクロノだよね」
「ああ、あれはね、その」
「何だよ? 隠さないで、教えてよ」
「その…今、秋葉原の闇店舗で、中国製だけど、性能が良い〈VG〉が、日本に輸入されてるんだ」ほうほう、「その〈VG〉は、本体の色が黒い事から、〈B・VG〉とか言われて、しかも値段は半値なんだ。実際に購入して使ってみたら、やっぱりレスポンスがよくて、いつもより夢中になってアルカディナで遊んだら、いつのまにか、ローブの色が黒く変わっていて、シラノの性能も鬼みたいに上がっていたんだ」
ぼくと白野が話していると、白野の背後から三人の生徒が近付く。
野加島三兄弟だ。
長男、陸(ゾウのようにデカイ体躯の持主)が、
「なんだよ白野君。〈VG〉買う金があるなら、なんで俺らに一言相談しないんだよ、な~。海」
次男、海(ヒグマのようにデカイ体躯の持主)が、
「そうだよ白野君、いつも言ってるじゃん。俺ら、なんでも君の相談に乗ってあげるって、そうだろ、空」
三男、空(ゴリラのようにデカイ体躯の持主)が、
「ほんとだよ、白野君は冷たいな~。俺らに一言も相談しないで、勝手にそんな大事な事を決めちゃってさ~。本当、勝手してんじゃねぇぞっ! 白野ぉおっ!」
ドスの利いた声で喋るや白野の腕を掴み思いっきり握り絞める。
健診で馬鹿ゴリラの握力は百キロあると知られている。
白野の顔が苦悶に歪む。
「はっ、離してあげなよ、空君!」
ぼくが叫んで空の腕をつかみ放そうとするが、馬鹿ゴリラ! 今度は、ぼくの腕を掴みやがった! 途端に、握力百キロの締め付けがぼくを襲う、気を失いかける。
日に二度も気絶するのも珍しい。
みかねた白野が嘆願する。
「く、空君! やめてください! ぼ、僕が悪いんです! 全部、僕のせいです! 二度とこんな真似はしません! だから星図を離してやってください! お願いです!」
空が、ぼくの腕をようやく離す。
「最初から勝手な真似さえしなきゃ、こんな事には、ならねぇ~んだよ、白野ぉ、よくわかったろ。なっ!」
白野が首肯する。
陸と海が、ニヤニヤしながら様子を見る。
実のところ、この三人は、兄弟でもなんでもない。
偶然、苗字が同じ。
同じアメフト部で、なにより、自分より弱い者をイジメるのが大好き――という。
三つの共通点から、生徒の間で、野加島三兄弟と呼ばれていた。
「それより白野、今日の放課後、ちょっと俺らに顔貸せや」
と、陸。
「そうそう、そろそろ、俺ら懐が淋しくなってきてよ、お前のカンパが必要なんだ」
と、海。カツアゲだ。
「テメェ、逃げんじゃねぇぞ、白野ぉ」
と、空。
ドスの利いた声で会話を締める。
野加島三兄弟がゲタゲタ笑いながら教室を出る。
「先生に相談したほうがいいんじゃない? 白野?」
「無駄だよ。何度も相談したけど、駄目だった。奴らは先生の前では、いつも大真面目で、絶対に尻尾をつかませない。それに、アメフト部は奴らのおかげで、今年は大会に優勝出来そうなんだ。練習試合も連戦連勝らしい。生徒だけだよ。奴らの本性を知っているのは」
為す術なし…か。
「じゃあ放課後、ぼくも一緒に行こうか?」
白野が、おもいっきり首を振る。
「星図まで巻き込みたくない。これは…僕の問題だから」
白野がシラノのように、瞳に強い光を宿す。
☆9☆
放課後、ぼくは校内を駆けずりまわる。
白野の事が心配で探していたのだ。
「くそ~。こんな事なら、掃除当番なんかサボればよかった。どこに行ったんだ? 白野と三馬鹿兄弟は?」
渡り廊下に差し掛かった所で、背後から声をかけられる。
「そんなに急いでどこへ行く? 星図郷太」
「ええっ!?」
今朝会った少女。
猿風雷華だ。
ぼくの生徒手帳を見たのか? 名前をフルネームで呼んだ。
「猿風さん!?」
「雷華でいい」
「ご、雷華さん」
「同じ一年だ。呼び捨てでいいぞ」
「え、えと、ご、雷華…」
「何だ?」
「聞きたい事は山ほどあるけど、今はとりあえず一つだけ…」
「だから何だ? 言ってみろ」
「野加島三兄弟を見かけなかった?」
「あの三馬鹿兄弟か? 奴らなら、痩せて背の高い男を連行して、男子運動部・専用トイレに入って行ったぞ。この時期に、新入部員イジメでもなかろうに」
そのトイレは、生意気な新入部員にヤキを入れる危ない場所として有名だ。
「ありがとう! 雷華!」
雷華をその場に置き去りにして、ぼくはトイレへ急ぐ。
☆10☆
数分後。
ぼくは校舎裏からトイレに辿り着く。
外から中を覗くと――瞬間、ぼくの体が恐怖に凍りつき、身動き一つとれなくなる。
そこには、あまりにも酷い、凄惨な暴力の嵐が、吹き荒れていた。
白野はパンツ一丁でトイレの冷たい床に倒れていた。
体中に殴られた痕がある。
無数の火傷の痕もある。
間違いなくタバコの火だ。
陸が白野の学生鞄を物色している。
「金が無いなんて言わなきゃ、こんな目にゃ遭わねぇのに、おりょ~。なんだ? こりゃ?」
陸が〈VG〉を取り出した。
〈B・VG〉ではない。
白の正規品だ。
海が、それに答える。
「こりゃ、〈VG〉だ陸。ゲーム・ショップに持っていきゃあ、高く売れるぜ。なにしろ、どの店にいっても品切れ続出の超人気ゲームだからな!」
「へ~」
陸が面白半分に〈ⅤG〉を装着する。
〈VG〉と聞いた白野が、かすかに声を絞り出す。
「や…め…それ、だけは…」
ぐしっ!
「ごっ、びゅぶっ!」
空が白野の背中をゴリラのようにデカイ足で踏みつける。
白野の口から呼気とも、苦鳴ともつかない、嫌な音が漏れる。
ミシミシと背骨の軋む音がトイレの外まで聞こえる。
空が地獄の獄卒めいた真っ赤な形相で白野を睨みつけ絶叫。
「野郎! 声出すんじゃねぇっ! 息すんじゃねぇっ! つぅか死ね! このまま死にやがれ!」
再び空が白野を踏みつけるが、何故か足を上げたままピクリとも動かない。
普通の人間には見えない糸が、空の足に絡んでいる。
空が、その場にひっくり返った。
雷華が空の足を、その糸で思いっきり引っ張ったのだ。
☆11☆
いつのまにか雷華がトイレの中にいる。
その手には携帯電話が握られ、液晶画面を野加島三兄弟に見せ付ける。
画面には動画が――彼らが、白野に行った下劣な行為の数々が映っている。
ぼくが、この場所に辿り着くまでの、ほんの数分の映像だった。
雷華はイジメの証拠として充分すぎる映像を撮ったのだ。
雷華が冷めた口調で三兄弟に告げる。
「さて、この映像だが、いったい、どうしたらよいかな?」
野加島三兄弟は、度肝を抜かれたように、しばらく呆然としていた。
が、少しずつ状況を理解。
このトイレは生意気な新入部員にヤキをいれる場所で、それは、全運動部、暗黙のルールだ。
そして今日は、アメフト部の日なのだ。
今日は何があろうと、何が起ころうと、絶対、他の運動部は干渉しない。
口外もしない。
現在、この場にいるのは、瀕死の男と、屈強なアメフト部員三人。
それに、ほっそりとした無防備な少女が一人だけ。
野加島三兄弟が下卑た嗤いを口元に浮かべる。
ジリジリと慎重に雷華に近づく。
「さかりのついた犬みたいに、アタシに近寄らないでほしいわ。そうだ、この携帯をアナタ達にアゲル。だから、アタシを許してちょうだい。襲っちゃイヤ。ウフッ」
急に精一杯、か弱い女の子らしく振る舞う雷華。
わざとらしい仕草に一瞬、野加島三兄弟の動きが止まる。が、
「やっぱ駄目?」
三人が一せいに雷華に襲いかかる。
☆12☆
〈電光石火の早業〉という奴だ。
目の前の窓を突き破ってブッ飛んでいく陸。
トイレの扉を突き破って廊下の壁にブチ当たる海。
個室の便座に頭から突き刺さる空。
野加島三兄弟が一瞬にして三人仲良く白目を剥いて気絶した。
☆13☆
ぼくは、壊れた窓からトイレに入った。
「白野! 大丈夫か!」
白野が目を覚ます、
「服を……」
白野の服を手に取り、着るのを手伝う。
白野がフラフラと立ち上がる。
手を貸すと、
「いいんだ、星図…これは、僕の問題だから…」
歩く白野が倒れそうになる。
ぼくがまた手を出そうとすると、雷華が遮る。
白野が踏み止まり、また歩き出す。
「だ、大丈夫…だから、気にしないで、くれ」
フラフラしながら歩き続け、やがて白野の姿が見えなくなる。
「やっぱり、肩ぐらい貸したほうが、よかったんじゃ…」
ぼくが行こうとすると、
「やめておけ」
「何で? ぼくと白野は友達で…」
「友達なら、なおさらだ」
「邪魔しないでよ!」
「するっ!」
雷華の怒声が響く。
逆八ノ字の眉根にシワがより、真剣な目でぼくを睨む。
本気で怒っている。
「男が無様な姿を他人に見せたいと思うか! 友達に見せたいと思うか!」
「そ、それは」
「当事者にしか分からない痛み! 苦しみ! 悲しみ! お前に本当に分かるのか! 理解出来るのか! 分かりもしないくせに! 簡単に人を憐れむな!」
返す言葉がない。
雷華の言う通り、ぼくは、なんの痛みも苦しみも受けていない。
何も、分かるはずがない。
「で、でも…」
「わたしも言いすぎた。すまない…」
雷華が制服のポケットから紙切れを取り出す。
「これは君が作った物か?」
ぼくは、首肯する。
今朝、ぼくが取り落とした手製の護符だ。
「今朝、悪霊が現れた時、君には悪霊が見えていたようだし、この護符は十分効き目がある。君には…いろいろと聞いた方が良さそうだな」
☆14☆
「青春の一ページ。って奴か? にしても、これはちょっと、やり過ぎじゃないか? 雷華?」
水薙がいつのまにか現れ、現場の惨状に溜息をつく。
「派手にやりやがって」
雷華が呻くように、
「水薙」
「先生…だろ。今は」
歯を食いしばる雷華。
「先生」
「よく言いました。と、言いたいが、この状況じゃ、そうも言えない」
水薙がクルリ、と、背を向け歩き出す。
ぼくと雷華が、その場に立ち尽くしていると、
「わかってんだろうな? 雷華? この状況が?」
雷華が顔を真っ赤にしながら、しぶしぶ、といった感じで、水薙の背後からついてゆく。
「わかっている!」
「よろしい」
☆15☆
な! 何だ! 何なんだ? どういう関係なんだ? 白野の事も気がかりだけど。
今は水薙と雷華だ。
水薙は女生徒人気ナンバーワンを誇っているが、同時に悪い噂もあとを絶たない。
自分に近寄る女生徒を弄び、あっさり捨てた――とか。
女生徒を妊娠させたうえ、中絶騒ぎになった――とか。
隠し子がいる――とか。
急に雷華が心配になってきた。
二人のあとを追う。
その前に陸が面白半分に装着した〈VG〉を取り戻す。
あとで白野に返さないと。
☆16☆
気づかれないよう、二人のあとをつける。
一年D組の教室へ入るようだ。
こっそり近づき、少しだけ扉を開けて、中の様子を窺う。
隙間から、二人の様子が見える。
教室内は真っ赤な夕日に照らされ幻想的な茜色に染まっている。
吹奏楽部の奏でるファゴットの低音と、その音に絡むようにトランペットの音色が重なる。
何かムード満点だ! 神聖な教室で何をするつもりだ! この二人は!?
「これで何度目だ雷華? 暴力沙汰もいい加減にしないと、この学校も追い出されるぞ。俺のコネも何度も使えるわけじゃないし。それと、もう俺のマンションに戻ったらどうだ? 半年も何処をほっつき歩いている?」
「あんたのマンションなんか! 戻る気はサラサラないから! わたしは一生! 一人で生きてくって、もう決めたんだから! 今までもそうだし…これからだって! 考えを変える気はない!」
って! 同居ですか! 一つ屋根の下で何をしてたんだ!? それが問題だ!
「刀火と蘭花も、別れたっきり、何の音沙汰もないしよ…」
「あんたのせいだ! あんたが二人の人生を滅茶苦茶にしたんだ! あんたのせいで、どれだけ多くの女が傷ついたか! わかってんの? みんな、あんたのせいだ!」
同居したのは、雷華だけじゃないの? 二人の女の子が一緒? う、羨ましい…じゃなくて! なんて破廉恥なエロ教師だ! 教師失格だよ!
「まあ、ちょっと、やり過ぎたな…とは思ってるよ。反省してる。この通り謝る」
「い、いまさら、そんな、ことしても、お、遅い。てか、遅すぎる」
ヤ、ヤリスギ!?
「とにかく、今の俺には、お前しかいない! 雷華! 戻ってくれ! また一緒に――」
水薙が雷華の両肩をつかむ。
イケメン顔を雷華に近づける。
思わず顔をそむける雷華。
「あんたは、いつだって、そう。いつだって、そうやって、わたしを苦しめるのよ!」
許せん水薙!
「ちょっと待ったあっ!」
怒声と共に、ぼくは教室に乱入。
二人の間に割り込み引き剥がす。
「教師と生徒で、何してんですか! いったいナニを!?」
「い…いや…」
「何って…言われても…」
「神聖な教室で…だ、抱き合うなんて! 二人とも! いったい、何考えてんですか!?」
二人が顔を同時に見合わせる。
「何を考えるっても…俺はただ…娘の心配をしてただけで、父として…」
「わたしは不敬な父親、水薙の事を考えていた。不本意ながら…」
「うっそぉおおんっ!?」
ムード満点の教室に、ぼくの絶叫がこだました。
☆17☆
「星図! 君という男は本当に…何でそんな、H! な想像をするのかな! 前後の会話を聞けば、H! な所は、何も無いぞ! ようするに君は…Hで! H! なんだ!」
雷華が怒鳴る。
青白い顔をほんのり赤らめる。
返す言葉も無い。
二人の関係と経緯を要約する。
〈猿風〉は、雷華の母方の名字で、雷華は母方の名字を勝手に名乗っている。
刀火は姉。
蘭花は妹。
現在二人とも家出中。
水薙の数々の悪い噂は、水薙にフラレた少女達が、腹いせに流した根も葉もない嘘だそうだ。
水薙がやり過ぎ、と言って謝っていた事は、ある修行についての事で…普通は誰も信じない話だ。
けど、ぼくは、霊は見えるし、雷糸とか豪雷とか、凄い技を目の当たりにしたし…話は今朝の悪霊との戦いにも繋がっていて、信じるしかなかった。
つまり、その修行とは、〈仙術修行〉の事だ。
二人は仙術使いだ。
最新の科学では原子自体があるモノで成り立っていると証明されている。
動物磁気、またはエーテルに通じる、そのあるモノとは〈波〉の事で、仙術、魔術、陰陽術、武闘術の使い手は、この〈波〉の事を〈霊波〉と呼んでいる。
古今東西、厳しい修行を積んだ達人レベルの人間は、この〈霊波〉に似た、擬似的な〈波〉〈擬似波〉を創り出し、何もない空間に物質を実体化、あるいは破壊を行なった。
自由自在に〈擬似波〉を創るには、死んだほうがマシ! という修行が必要で、水薙の修行は、本当に殺される一歩手前だったらしい。
三姉妹は高校生になるまで一日、十八時間。
いつ寝てるんだ? 修行を叩き込まれ、結果。
姉と妹は修行で殺される寸前に逃げ去ったという。
☆18☆
すっかり暗くなった街並みを、ぼくと雷華が一緒に歩く。
学校の帰り道だ。
水薙は、そのまま学校に残った。
雷華が、
「これは絶対、水薙に内緒にしないと、わたしが凄く困る話なのだが、内緒にすると約束できるか?」
「うん、約束する」
「よし! それじゃあ、しょうがない。わたしの大事な秘密を星図にだけ教えてやろう! ぜひ! 聞きたいか?」
「う、う~ん。ぜひ………聞きたい、かな」
「そうか、そんなに聞きたいか! よしっ! それでは仕方ない! 期待に応えて、特別に、星図にだけ教えてやろう! ありがたく思え!」
「はいはい、ありがとうございます」
「ハイは一回でいい! 実はな――」
雷華には、春香という叔母がいて、雷華は春香のマンションに居候している。
それは、水薙には絶対内緒だそうだ。
雷華の母、桜夏は、雷華が子供の時に行方不明になり、以来、春香が桜夏にかわって三姉妹の母親がわりになった。
春香のおかげで、雷華は水薙の厳しい修行にも耐え、姉や妹のように、国外に逃げる事もなかった。
姉の刀火は香港に、妹の蘭花は上海に、それぞれ逃げ出した。
雷華の祖母、玉華は中国人で、三姉妹は全員、中国語がペラペラで親戚も多いという。
雷華は水薙といがみ合いながらも、日本の高校に通い、今に至る――と、三十分以上かけて、なんか楽しげに話してくれた。
☆19☆
ぼくは白野に〈VG〉を返すために彼の家に寄った。
家族がいれば誰でもいいから渡すつもりだ。
白野の家は学校からバス停二つ分ぐらいの距離で、ちょっと遠いけど歩いた。
やがて白野家が見えてくる。
家の周囲には広い畑や森が広がっている。
一戸建ての家が、まばらに、建ち、遠くの方に高層マンションが見える。
白野家の前に一匹の猫が佇んでいる。
何故か一緒に付いて来た雷華が、
「猫ちゃん! 猫ちゃん!」
とか言いながら近づく。
が、猫は気にしないで、玄関扉を一心に見つめている――黒帽だ。
暗がりの中、全身の毛を逆立て、戦闘態勢に入る黒帽。
その様子を見た、ぼくと雷華が異変に気づく。
白野家から漂う禍々しい気配。
ギッ、ギギッ、ギイイッ…
突然、目の前の扉が音を立てて開く。
白野が扉の影に隠れるように、顔を半分だけ覗かせる。
「…やあ…星図。よく来て、くれたね…それは? 〈VG〉だね。取り返して、くれたんだ…うれしいなあ。ありがとう、星図」
妙な抑揚を付け白野が喋る。
シャッ! 黒帽が呼気を吐く。
そのままジリジリ後退する。
ぼくは扉に近づき、白野に〈VG〉を渡す。
が、扉の内側から伸ばした白野の手に愕然とする。
ぼくの表情、視線に気づいた白野が、
「…いけない、いけない…大事な〈VG〉を汚すところだった。ぼくの手が、こんなに汚れていることに、よく、気がついたね…星図…」
白野が汚れた手を、扉の内側に戻し、衣服で拭く。
ゴシゴシ…ゴシゴシ…。
丹念に血に汚れた手を拭く白野。
ぼくの声が震える。
「白野…その手はどうしたの? その血は…何なの?」
「母を刺した――返り血…だよ。困ったな…こんなに汚れて、〈VG〉まで汚すとこだよ…」
罪の意識を微塵も感じさせずに、事も無げに言う白野。
「な…何、言ってんだよ、白野! びょっ、病院! いや救急車! 救急車を呼ばなきゃ!」
白野が不思議そうにぼくを見つめる。
「…何を言ってるんだい? 星図? あんな分からず屋は…ほっとけば、いいんだよ…」
苦虫を噛み潰したように言い捨てる白野。
「どうしたんだよ? 白野? いったい?」
雷華がぼくを遮る。
「もういい! 星図! こいつは、お前の知っている白野じゃない! 危険だ! そいつから離れろ!」
ぼくの肩を掴み、うしろに引っぱる雷華。
白野が雷華を訝しげに眺め、
「…君は? ああ、あの時の…確か…運動部のトイレにいた…」
白野が不気味に嗤う。
「君のおかげで助かったよ…奴らに殺されなくてすんだ。というか…もう一度、〈B・VG〉で遊べたんだから…本当に感謝しないと、ね…あのまま、処刑が続いて、いたら…いまごろ僕は…この世にいないはず…だからね…」
クツ、クツ、クツ、嫌な笑い声をあげる白野。
「瀕死の僕が、やっと家まで辿り着き…ようやく〈B・VG〉を遊び始めたのに…あの母親ときたら! 『喧嘩でもしたの?』とか『病院に行きなさい!』とか…くだらない事ばかりベラベラ喋って…挙句の果てに『このゲームが悪いのね!』とか『このゲームのせいだ!』とか言い出して…一番、癇に障ったのは『ゲームなんて、くだらないモノのせいで、この子がおかしくなった!』なんて言ってね…ワーワー泣き喚いて、ヒステリー状態さ…僕は…『お前こそくだらない存在だ! お前の価値観を僕に押し付けるな』って怒鳴ったんだ。そして…ぼくも切れて、とうとう刺した…」
不気味な嗤いは止まらない。
「言いたい事は…それだけか?」
雷華の全身が蒼く光る。
「〈豪雷〉!」
閃光と轟音。爆風で扉が吹っ飛ぶ。
問答無用で雷華が室内に飛び込む。
白野は? 白野はどうなった? ぼくは白野の姿を探す。
が、どこにも居ない。
「雷華!」
ぼくも二人のあとを追う。
雷華が二階へ上がり、ぼくもそれに続く。
白野の言った通り、刺された母親が倒れている。
雷華が素早く傷口の状態を確認、
「〈雷糸〉!」
ギリギリまで細めた〈雷糸〉で、パックリと開いた傷口を縫合し、塞ぐ。
「命に別状はない。星図は救急車を呼んでくれ、わたしは…」
言うなり、二階の窓を飛び出し、屋根にあがる。
携帯で119番に通報すると、屋根の上から轟音が響く。
覗くと、雷の蒼白い光と、劫火じみた赤い光が周囲を埋め尽くしている。
森や畑に爆炎が飛び散り、激しく四散する。
雷華が屋根から下りてくる。
「取り逃がした。くそっ!」
雷華が〈B・VG〉を見つけ、
「こいつが元凶か」
と言い、叩き壊すのを、ぼくが止める。
「待って雷華! これを調べれば、何か、わかるかも知れない…」
雷華が複雑な表情を浮かべたあと頷く。
「母親を刺すような鬼畜は、死んでも許さん。絶対に、逃がすものか」
雷華が呟く。
☆20☆
ぼくと雷華が、白野の母親を一階に運ぶ。
「星図、奴は術者か何かか? 〈エンバク〉とかいう、炎の術を使っていたぞ」
「〈炎爆〉はゲームの世界――アルカディナで白野が使っている魔法だよ。でも、現実世界で、魔法が使えるわけがない」
「いや、奴は確かに術を使っていた。わたしは咄嗟にかわしたが、周囲の森や畑は黒焦げだ」
そんな事は有り得ない。と言いかけ、ぼくは口をつぐむ。
有り得ない事が次々に起きている。
「〈B・VG〉のせい、かも…」
何の確信もない。
けど、他の原因は今のところ無い。
〈B・VG〉は唯一の手掛りとして、ぼくの鞄の中に入れてある。
その〈B・VG〉から、禍々しい強烈な気配が発せられる。
雷華も、その気配に気づいたのか、
「他に心当たりは、なさそうだな…」
ぼくは首肯する。
雷華が、
「恐らく…奴の次の狙いは野加島三兄弟だろうな。妙な力を身に付けた人間が、やる事といったら――相場は決まっている」
「復讐…だね…」
ぼくが呟くと、雷華が首肯。
「あの三馬鹿どもが、気絶から目覚めて、学校を離れていれば、白野に捕まる可能性は低いが…」
雷華が携帯電話をかける。
繋がった相手と話し通話を切る。
「学校に残っている水薙に確認した。三馬鹿は、すでに学校を出たそうだ」
思わず、ホッ、と溜息を漏らす。
野加島三兄弟がどうなろうと構わない。
けど、白野が三馬鹿の為に罪を犯すのは我慢出来ない。
「三馬鹿どもは今、首の皮一枚で命が繋がっている。あとは白野と三馬鹿、どっちかの居場所を捜すだけだが…」
遠くの方からサイレンが響き、だんだん近づいてくる。
ぼくと雷華が道路に出る。
路上に、黒帽が居座っていた。
道路の真ん中に、ちょこんと座る。
ぼくらを見上げ、立ち上がると、トコトコ歩き出す。
途中で止まると、振り返り、ぼくらを見つめる。
まるで、ついて来い、とでも言いたそうな様子だ。
「走り出した!」
「あの猫は、わたしより先に、白野の異変に気づいていたな。もしかしたら、白野の居場所が分かるのか?」
雷華の説明を待たず、ぼくは駈け出す。
他に手掛かりはない。
今は黒帽に頼る以外ない。
雷華もぼくに並んで走る。
黒帽は、ちょこちょこぼくらを振り返りながら、ゆっくりと走る。
「あの猫ちゃん。道案内のつもりか? いいだろう! 他に当てもない! 可愛く、可憐、大好きな猫ちゃんを! わたしは信じる!」
「ぼくもだ!」
当てなど何もない。
なら、黒帽を信じる他ないじゃないか!
☆21☆
野加島三兄弟は素っ裸にされたうえ、体中の傷痕から血を流し、地面に倒れていた。
三須賀・特二区・北公園。
やたらと樹木の多い夜ともなれば人っ子一人いない、廃墟のように静かな場所だ。
今、ここに居るのは、白野。
野加島三兄弟。
ぼくと雷華の、たった六人だ。
野加島三兄弟はまだ生きていた。
息も絶え絶えに呻き続ける。
「だぅひゅうる、けぇで、」
意味不明な言葉を繰り返す三人。
やがて仲良く気絶した。
空が白野に捕まる。
気絶から覚めても抵抗出来ない。
全身の関節を外され、操り人形のように、なすがままだ。
空の右手を白野が思いっきり踏みつける。
怪鳥のような悲鳴が夜の公園に響き渡る。
ぼくが、もうやめてくれ! と白野に頼むと、
「うん、分かった。やめるよ、星図」
素直に足を上げ――下ろす! ゴギュッ! 骨のへし折れる異音がこだまする。
空は右太腿を骨ごと踏み潰され、泡を噴いて気絶した。
白野が執拗に蹴ろうとする――その足に、雷華の〈雷糸〉が絡む。
白野が不満げに、
「これじゃあ蹴れないよ」
「子供が〈玩具〉で遊ぶ時間は終わりだ。家に帰って、おとなしく寝るんだな」
「今度は、君で遊ぼうかな?」
白野の周囲に魔法陣が展開。
間違いなく、あれは…アルカディナでシラノが使う〈爆炎魔法〉、
「〈炎陣〉!」
「術者もどきが! わたしに勝てると思うか!」
雷華の全身が帯電、凄まじい放電を開始。
細腕が手刀を作り高々と上がり、
「〈雷刃〉!」
一気に振りぬく。
ずじゃっ! 地獄の劫火が、大気を切り裂く。
っざっじゃあっ! 雷の刃が、大地を薙ぎ走る。
両者の放った術が真っ向からぶつかる。
灼熱の炎が大気を焦がすが、蒼白い死神の鎌、巨大な刃が、紫電を大量に撒き散らし、真紅の炎を切り裂く。
炎を真っ二つに割られ、白野が絶叫。
咄嗟に〈炎壁〉を張り防御、直撃を免れる。
それでも帯電した白野が地面に倒れ、その体からユラリ…と、長身痩躯の老人、シラノが幻のように出現する。
ローブが漆黒に見えるのは、本来の白地に深い影が射し、濃い闇色に染まったためだ。
幻のシラノが音も立てずに、ぼくの目の前に現れ、
「星図!」
雷華が叫ぶ。
が、シラノの目的は、学生鞄の中身――〈B・VG〉だった。
シラノの姿が淡い影と化し、〈B・VG〉に吸い込まれる。
激しく鳴動する〈B・VG〉。
ぼくは鞄から〈B・VG〉を掴み、思いっきり放り投げようとする。
が、時すでに遅し、シラノの、いや、白野の記憶が、〈B・VG〉を介し、ぼくに侵入する。
――薄暗い教室。
煙草の火が、いくつも浮かぶ。
野加島三兄弟が、その火をぼくの体に押し付ける。
治りかけた火傷の上から、執拗に火を押し付ける。
生涯消えないケロイド。火傷の痕が出来上がる。
――寒風吹き荒ぶ屋上。
素っ裸にされたぼくは、カッター・ナイフで体中を切り刻まれる。
治りかけた切り傷をなでるように、何度も何度も切りつけられる。
生涯消えない切り傷が出来上がる。
――工作教室。
ぼくの踵を万力で挟み、ギリギリと締め付ける。
海と陸が、ぼくの関節を捻りあげる。
数週間、体中がバラバラになる激しい痛みが続く。
想像を絶する、悪夢のような、忌わしい、おぞましい、地獄絵図。
ぼくは白野の記憶を追体験し、〈B・VG〉は、この禍々しい地獄の記憶を〈B・VG〉専用回線を通じ、ぼくの意思に関係なく、ぼく以外の、全世界、七千万人のアルカディナ・プレイヤーへと発信した。
地獄絵図は、全アルカディナ・プレイヤーに急速に感染、拡大していく。
不思議な事に、ぼくには、世界中を走る、〈光輝く情報網〉を侵食する〈白野の漆黒の記憶〉が、遥かな高みから、はっきりと見てとれた。
☆22☆
人間は屑だ。
同胞を喰らうゴキブリ同様の屑。
否、ゴキブリ以下の屑だ。
ゴキブリ以下の畜生。
それが人間の正体だ。
屑どうしで傷つけあい、殺し合い、苦しもうが、許しを乞おうが、情け容赦なく、徹底的に、残虐に、とことん虐め抜く。
死んでも、気味の悪い薄笑いを浮かべるだけだ。
自分さえよければ、傷つきさえしなければ、痛い思いをしなければ、他者に対し、拷問でも、殺人でも、虐殺でも、何でもする――それが地上の全生物! 全歴史! 史上最低の腐り果てた、最悪の生き物、人間だ!!! 人間は、殺しあい、滅びても、全然へっちゃらだ。
なにしろゴキブリ以上の生命力を持っている。
たとえ地上の生物が全て滅びても、ゴキブリが生き残るように、人間もまた生き残るだろう。
だが、真に生き残るのはゴキブリではなく。
間違いなく人間だ。
白野の怒り、憎しみ、悲しみ、全ては限界を超え、いつ爆発しても、おかしくない状態だった。
母親の言葉は、爆発のきっかけの一つにすぎない。相手は誰でもよかった。
何時、誰を刺しても、おかしくはない状態だった。
たまたま標的が母親だった。
そして、ぼくの精神状態も、白野の記憶の追体験により、まったく同じ状態――爆発寸前の状態になっていた。
誰でもいいから感情を爆発させたかった。
目の前に少女がいる。
ぼくはその少女に荒ぶる感情をぶつけた。
少女にいきなり殴りかかった。
ずんっ!
ぼくの鳩尾に少女の――雷華のパンチが綺麗にめり込んだ。
「かはっ!」
肺の空気が全て絞り出される。
「〈弱・豪雷〉!」
紫電が〈白野の漆黒の記憶〉を焼き尽くす。
衝撃的な痺れが、ぼくの体中を駆け巡り、けど、おかげで、ぼくは意識を――星図郷太の意識を取り戻した。
☆23☆
ぼくは腰が抜けたように、地面にへたり込んだ。
「やはり、こいつが元凶だったか!」
雷華が〈B・VG〉を壊そうとする。
が、その腕を掴み、
「い、今、壊しちゃ、駄目だ。雷華…」
雷華が、ぼくに問いかける。
「それは、どういう事だ?」
「〈B・VG〉から、白野の記憶――〈ウィルス〉が世界中に拡がった」
「ヤバイ気配が拡がったのは、わたしも感じたが…」
「〈ウィルス〉が、世界中のアルカディナ・プレイヤーに拡がったとすると、世界中のプレイヤーが、ぼくと同じ状態になっている可能性がある。要するに、さっきのぼくみたいに、破壊衝動を抑え切れない状態になっている。下手をすると、白野のように魔法まで使うかもしれない…」
雷華が、ぼくの次の言葉を待つ。
はっきり言って、ぼくは雷華に、かなり無茶な要求をしようとしている。
けど、他にどうしようもない。
雷華の仙術なら、きっと、ぼくの要求を可能にするはずだ。
「雷華、無茶かもしれないけど…〈雷糸〉でウィルスを追って――これを破壊してくれないか? 〈雷糸〉なら、〈B・VG〉の回線にも浸入出来るはず…」
雷華の逆八ノ字の眉がピクピク震える。
目を見開き、ぼくを睨む。
「星図…君は、わたしをアニメのヒーローか、何かと…勘違いしてないか?」
「感染したプレイヤーだけじゃない…〈ⅤG〉本体も破壊してほしい。〈VG〉内に〈ウィルス〉が残っている可能性があるから…」
「って! 人の話を聞いているのか! わたしは…仙術がちょっと使える、ただの普通の女子高生だ! そんな、世界中に散った〈ウィルス〉退治なんか、出来るわけがない! だいたい、ネット上に何万人いると思っているんだ! その…ゲームのプレイヤーが!」
「七千万人…ぐらい…かな。いや、実際にプレイしているのは、たぶん、その半分…だと思う」
「あきらめろ、星図。どうにもならん。どだい無理な話だ」
無理は承知で頼んでいる。
次の台詞に賭けるしかない。
これで雷華の心が動かないなら、絶望するしかない。
「この〈ウィルス〉が真犯人なんだ。白野の母親を刺し、殺そうとした、本当の犯人がこいつだ。その犯人が、世界中に逃げ出して、同じ悲劇を繰り返そうとしている。止める事が出来るのは…雷華、君の他いない…」
雷華が瞳を閉じる。
ぼくが続ける。
「星の数ほどいる人間を、全部救えとは言わない。一人でも、いや二人でもいい。救えるだけ、救う事が出来れば、それでいいんだ。雷華」
雷華が笑う。
「君は…ズルいな、星図…」
雷華が瞳を開く。
爛爛と輝くその瞳は、まるで虎のようだ。
可愛らしい猫が肉食獣に豹変した。
「犯人は絶対逃がさない。確かに、わたしはそう言った。諦めたら、まるで、わたしが嘘吐きみたいじゃないか」
ぼくも、ぎこちなく笑う。
「なにもしないで諦めるよりは、やるだけやってから、諦めたほうがいい。と思う」
雷華の体が、今までにないほど、蒼く輝く。
雷華が〈B・VG〉の前で両手をかざす。
精神集中の決まり文句を静かに唱える。
「青き閃光! 神鳴る一撃!」
次の瞬間。両手から無数の雷糸がほとばしる。
「〈雷糸・無限〉!」
どっっっ!!!
と、ばかりに、無数の〈雷糸〉が〈B・VG〉へ侵入。
凄まじい勢いで〈雷糸〉がネット上に拡がる。
一瞬で三須賀・特二区、全ての〈ウィルス〉を焼き尽くす。
神奈川を中心に、関東一帯、日本全土、電話回線、衛星通信、海底ケーブル、あらゆるネットを伝い、世界中へと拡がる。
回線上の〈ウィルス〉を焼き、浸食されたプレイヤーを目覚めさせる。
汚染された〈VG〉、〈B・VG〉も次々に破壊する。
宇宙から〈雷糸〉が見えたなら、地球はすっぽりと、光輝く蒼い線に装飾され、手毬のように見えただろう。
不思議な事に、ぼくにはそのイメージがはっきりと見えた。
無限に枝分かれし、千万本に届こうかという〈雷糸〉が、しかし、ふっつりと、次々に消える。
〈B・VG〉の前で、雷華が膝をつき、蒼白い顔をさらに蒼くする。
顔中に脂汗をべったりと浮かべ、肩で息をし、完全に消耗しきっている。
すべての〈ウィルス〉を破壊したわけではない。
けど、ほとんど、焼き尽くしたはずだ。
☆24☆
「やっちまったよ! あの女! 俺様の〈B・VG〉を、みんなブッ壊しやがった!」
野太いガラガラ声が、夜の公園に響き渡る。
中国語か? 何を話しているのかわからない。
翻訳は、あとで雷華に聞いた話を再構成した。
二メートル近い雄牛のような巨体。
肩まで伸ばした黒髪。
黒い棘付き皮ジャン。
腰に巻いたチェーンがジャラジャラと音を鳴らすヘビメタ・ファッション。
「俺様だけじゃねえっ! 円龍様の〈VG〉もオシャカにしやがって!」
男の携帯が鳴り、誰かと話し込む。
携帯を切り、烈火の如く怒る。
「ココに来る前に、ネット監視の龍姫から聞いた通りだぜ! オシャカになった〈VG〉の山から、クレームが発生した順に事件を追うと事件の中心は! ココだってな! 来てみりゃ案の定だ! あのアマと〈B・VG〉の周囲に! 擬似波の残滓が残ってやがる! 犯人は、あのアマで間違いねぇ! 間違いなく、あの術者だ! トコトンやりやがって! 八分! たったの八分だ! 一千万近い〈VG〉、〈B・VG〉を…たった八分でブッ壊しやがった! ネット上は大量のクレームとカキコの嵐だ! どうしてくれんだ! ウチの商売を台無しにしやがって! オトシマエはキッチリつけてもらうぜ!」
男が雷華に近づく。
ぼくは、その前に立ちはだかる。
「何だ、兄ちゃん? 術者でも無い、テメェにゃ関係ない話だ! 引っ込んでな!」
何を言ってるか、わからない。
ただ、悪い事を言っている気がする。
「もういい、三龍…その少年と少女は放っておけ…余計な手出しは無用だ…」
なっ! この声は!? まさか!?
「〈B・VG〉を全部壊されたんですぜ! ウチの商売を台無しに――」
「余計な手出しはするな…そう言ったはずだ。三龍。二度言わせるな」
男の背後から、背筋が凍るような重圧がかかる。
物静かで穏やかな口調、にもかかわらず、相手を圧倒する声。
聞き違えようもない。
間違いなく、この声は――サークだ。
「〈B・VG〉は切り捨てる。うちは〈LKD〉社と違い弱小だ。大手のような保証も交換も出来ない。それに、日本の警察も馬鹿ではない。龍姫と同じように、いずれは、事件の原因が〈B・VG〉だと気づく。その前に闇市場を閉鎖して、日本から撤退する。上海へ戻るぞ、三龍」
聞き取れたのはシャンハイだけだ。
男がサークのあとを追い、二人が立ち去る。
後姿だけが、わずかに見えた。
服装こそ灰のスーツだけど、豪奢な金髪、ぼくより一回り大きな細身の体は、アルカディナのサークそのものだ。
彼はオリジナル・データを使用している。
「サーク!」
ぼくの叫びに一瞬、サークが、ぎごちなく止まる。
それも一瞬で、すぐにサークと男は、闇に溶け込み見えなくなる。
「知り合いか?」
少し回復した雷華がフラつきながら、ぼくのそばに立つ。
それでも、ぼくは、うわ言のように呟く。
「シャンハイ…シャンハイに、サークが…シャンハイに……」
その後、雷華から男は三龍、サークは円龍、と名乗っていた事を聞かされる。
二人の会話から〈B・VG〉を製作、販売をしていた事。
上海に撤退した事などが、わかった。
☆25☆
夜明け前の自宅にて、ぼくは旅の準備を終えると、リュックを背負い、我が家を出る。
両親と妹は、まだグッスリ眠っている。
昨日の事件から一夜考え、思い悩んだすえ、ぼくは上海に行く事にした。
あの時、確かめる事が出来たのは、後ろ姿と声。
それに、呼び掛けに応じた時の、反応だけだ。
それだけを頼りに、ぼくはサークを捜すと決めた。
ゲームと現実世界を混同している。
学校はどうする。
もっと現実的になれ。
と、普通の人は言うだろう。
確かに、その通りだ。
と、ぼくも思う。現実的で、まともな考えだ。
けど…不思議な事に、ぼくには…あの後姿の人物が、サークに間違いない――という確信がある。
それだけを頼りに、ぼくは旅に出る事にした。
かなり無謀かもしれないけど。
☆26☆
午前四時五十分。
十月半ばを過ぎた夜は、少しずつ長くなり、街は薄暗い闇に包まれている。
バス停に向かい歩き出すぼくの背後から、不意に少女の声がかかる。
気配も何も無い不意打ち――雷華だ。
昨日と同じ制服姿で、
「一人で行くつもりか? 星図?」
「…ぼくの家が、よくわかったね、雷華」
「目当ては、あの金髪の男か?」
「…白野も、サークも…友達なんだ」
「わたしには二人とも敵だがな」
「…ぼくは馬鹿な事をしている…のかな?」
「さて、それは、どうかな?」
雷華は肯定も否定もしない。
ぼくは夜空を見上げた。
陽が昇る寸前。
東の空が紅い、茜色に染まる。
薄れゆく闇の中、星が微かに瞬く。
結局ぼくは、野加島三兄弟の暴走も、白野の暴走も、止める事は出来なかった。
白野にとって、ぼくは、星の瞬きと同じように、太陽という眩しい光に紛れ、消え去る、儚い光でしかないのか。
サークに対してぼくは、どんな光になるのだろう?