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王の剣士4「かりそめの宴」  作者: 雅
第一章「変わる季節」
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第一章「変わる季節」(七)

「こんにちは」


 色硝子を張った扉を押し開けると軽やかな鈴の音が響き、明るい店内で二十代半ばほどの若い女が顔を上げた。元気のいい、気持ち良い声がイリヤを迎える。


「いらっしゃい」


 イリヤは店番の女に笑いかけて、被ったままの(かず)きの奥から店内を見回した。なかなかに広い店内には様々な商品が並んでいる。


 デント商会。王都の商業地区に店を構えてまだ二年目だが、幅広く商売の手を広げている。常に全国へ商隊を送り、土地土地のものを仕入れては王都に持ち込んで売っていた。

 右手の壁に様々な布地を置いた棚やその奥に採寸台があるのは、仕立てまでやってくれるのだろうか。反対側には雑貨、書物、砂糖煮や酢漬け、葡萄酒などの食料品まである。

 女性向きのこまごました日用品は、この店番の女の見立てかもしれない。


 ふと目を止めた先にあった小物類の棚に惹かれ、イリヤは何とはなしに棚に近寄った。

 硝子細工の装飾品や陶器の小皿、刺繍が施された巾着など、色とりどり可愛らしい小物の並んだ白塗りの商品棚は、花が咲いたようだ。


 ラナエが欲しがりそうだ、とちらりと思った。街でもこんな店の前に立ち止まって、あれが可愛い、これが素敵、と硝子の向こうを覗き込んでいた。

 子爵家の娘なのだから買えない訳でもないし、イリヤもたまになら買ってやる事もできたが、そもそも眺める事が好きなのだ。

 いい加減呆れてイリヤが歩き出すまで、ずっと店の前に立ち止まっていたりする。


(そうだな――)


 どうせ何かしら買おうと思っていたのだ、その方が話しかけ易い。

 イリヤは並べられている品を覗き込み、目を引いた物を一つ手に取った。

 小さな手鏡で、丸い鏡の背は陶器で作られ、白い陶器の表面に薄紫の萩の花が彩色されている。二人でよく歩いた小道に咲いていた花だ。

 イリヤの頬に自然と笑みが浮かぶ。


 それを持ってまた店内を見回すと、女の方から声を掛けてきた。人懐こい笑みと、話好きそうな明るい声が零れる。


「今の一押しはその香木よ、大人気」


 そう言って、店番の女は店の中央の卓を差した。

 丸い卓の上の籠に盛られているのは、幾つもの短く切った、少し黒っぽい表皮の艶やかな木の枝で、すがすがしい香りを立てている。


「北方から仕入れたばかりで、品質は折り紙付き。砕いて小さな巾着に入れておけば持ち運べるし、女の子にも喜ばれるわよ。その手鏡に添えてみたらどう?」

「ついでに巾着も買えってことかな」


 目ざとい女の視線に笑って、イリヤは手鏡を会計卓の上に置いた。その正面に、香木が置かれている。


「いい薫りだね。……北方のって」

「驚くわよぉ」


 女は気持ち良い態度を崩さないまま、片手を口元に当てそっと打ち明けるように告げた。


「黒森の香木」


 黒森――辺境の大森林ヴィジャのものと聞いて、イリヤは瞳を丸くした。被きの陰で瞳の色までは気付かなかっただろうが、女の期待通りの驚きだっただろう。


「ヴィジャの……?」


 黒森など、そう簡単に入れる場所ではない。普通慣れた土地の者でも黒森に入るのは注意と慎重な準備が必要だ。イリヤはそこまで詳しく知らないが、それでも黒森の恐ろしさは伝え聞いている。

 迷い込んだら二度と出られない、森に喰われるのだ、と。


「そうよ。今年はぎりぎり間に合ったものね。もうこの時期黒森までは通れないから。道が雪で閉ざされちゃうのよ」


 女はまるで問題はそれだけだと言うように、にこやかに説明している。


「――すごい貴重品だね……」


 一つつまみ上げ顔を近付けると、香木の爽やかな香りはますます強くなった。

 すっきりと清々しい、澄んだ大気のような香り。

 北の黒森――北の地の雪の香りだろうか。


「じゃあこれも、幾つかもらおうかな。二つか、三つ」

「まいどー!」


 イリヤは手鏡と香木を包む女の手元に視線を落しながら、改めて首をかしげてみせた。


「それにしても黒森の物なんて良く手に入ったね。黒森に入れるの?」


 女は意外そうな瞳を上げる。


「あら、知らないで来たの? 最近珍しいわ」

「……何を?」


 注意深く問い返すイリヤに、女は可笑しそうに笑った。


「うちもまだまだねぇ。――北方には強いのよ、我がデント商会。ちょっと有名なんだけど、っていうか、有名にしてもらったって感じかしら。何をしたって訳じゃないけど、噂が広まって、この一月であっという間にお客様倍増よ」


 女は一人で自問自答するように喋っていたが、イリヤの様子に気付いて笑った。


「あ、ごめんなさい、私いつも一人で喋り過ぎなのよね。何だったかしら」

「全然問題ないよ。それで、北に強いって」

「強いっていうのは、知り合いが北の出身だから。その子の村がね、黒森の傍にあって香木を出してくれるのよ」


 その子、という言い方には親しみが籠もっている。

 イリヤはそっと息を吸った。


「まさか、――王の剣士?」

「そうそう! あっはは、やっぱり王の剣士とか呼ばれると、すごい人みたいねー」

「すごいよ」


 イリヤが頷くと女は嬉しそうに頬を緩めた。


「――うん、そうね」


 あの子がねぇ、と懐かしそうに瞳を細める。


「知り合いなんだ」

「王都に来る前にね。まだ近衛師団の大将でも、剣士でもなかった頃よ」

「へぇ、それこそすごいじゃない」

「すごいって事もないわ。ちょっと一緒に旅をしたくらい。次に会った時は、もう近衛師団に入って暫く経ってたんだけど、覚えててくれたのねぇ。うちが王都に店を出してから、連絡したら来てくれて」


 女は尚も感慨深そうに卓の上に頬杖をついた。そうするとイリヤの顔を下から覗き込める位置に、女の瞳が下りる。


「今じゃ近衛師団大将で、王の剣士だもの、驚きよ」


 イリヤは瞳が見えない位置に一歩退いて、さりげなく尋ねた。


「……変わった?」

「ぜぇんぜん!」

「へえ」

「昔のまんま。あ、背は伸びたわね」


 女の口調からは全く、話の中心にいるのが近衛師団大将などという、高い地位にある相手とは伺えない。


「昔はどんなだったの?」


 余り聞くと怪しまれるかと思ったが、イリヤの年齢のせいか穏やかそうな印象のせいか、はたまた聞かれ慣れているのか、女は気にした様子もなく可笑しそうに口元に手を当てた。


「あの子、面白かったわよー、値切りっぷりが最高。山羊だか羊だかをすっごい勢いで値切ってね」


 笑い声は軽やかだ。空気に零れてより一層、店内が華やいだ気がした。


「時々未だに父さんと値切り合戦やってるの、もう十分高い地位にいるのに変わらなくて、おっかしくって。そうそう、ちょうど今日、注文の品引き取りに来るわよ。そろそろじゃないかしら」

「へぇ……」


 女が通りへ覗き込むような視線を投げた横で、イリヤも素早く通りを見渡した。色の違う二つの瞳にはくっきりとした緊張が浮かんでいる。

 通りは至って静かなもので、王の剣士が来たと騒ぎだすような、そんな様子はない。


 店を出ようかどうしようか……激しく迷った一瞬ののち、イリヤは止まる方を選んだ。


「――もうちょっと見させてもらうね」


 包み終わった品物を取り上げ支払いを済ませると、扉から離れるように、店の奥へと足を運ぶ。

 通りの硝子戸に背を向けて、壁の棚にあった商品を眺める振りをしながら、素早く思考を巡らせた。


 イリヤの冷静な部分の意思は、すぐこの店を出るべきだと訴えてくる。

 今日この店に来る時には、ここで出会う事は想定していなかった。

 まだ会うべき状況でもない。もし姿を覚えられたら後々上手くない。レオアリスだけではなく当然近衛師団の隊士も付き従っているだろうし、こんな行き当たりばったりの段階で相手の記憶に残るような軽率な行為は避けるべきだ。


 にもかかわらず、少しだけ姿を眺めておく位はいいじゃないかと、そんな思いが持ち上がり、抑えられなかった。


 目深に被った被きを更に用心深く引っ張って下げ、扉に背中を向ける位置をさりげなく選ぶ。

 通りに馬車か何か着けばすぐ判るように耳を澄ませていたが、窓の外が騒がしくなる事は無かった。


 カラン、と扉の鈴が鳴っては、新しい客が入ってくる。

 初老の婦人、若い夫婦、中年の男、店内はいっとき賑やかになり、女はその対応にくるくると忙しそうだ。

 やがてその客達もいなくなり、またイリヤ一人になる。


 これ以上いたら怪しまれるだろう。ただでさえ、被きを目深に被ったままだ。気のいい店番の女も、そろそろ不審に思い始めたのだろう、時々そっとイリヤへ視線を向けている。

 イリヤは諦めて溜息をついた。


(すぐには来ないか。まあ、その方が本当は都合いい――)


 カラン、と鈴が鳴った。

 入って来たのは一人、イリヤと同じ年頃の少年だ。

 すぐに判った。


 ぎゅっと心臓が掴まれ、どくりと一度脈打った。

 相手はイリヤには視線を向ける事はなく、扉に向かいかけていたイリヤの斜め前を横切って女へ近付き片手を上げた。


「こんにちは、マリーン」


 明るく、人懐こい声。

 黒髪に――近衛師団を表す、黒に銀糸をあしらった軍服。

 意思の強そうな、翳りの無い漆黒の瞳。


 想像どおり――いや、全く想像などついていなかった。


「いらっしゃい! 早かったわね、一人?」

「ああ。デントさんは?」

「しょうがないわねぇ、相っ変わらず一人でふらふらして。父さんは商談で出てるわよ。残念ね、値引き合戦ができなくて」


 女――マリーンは可笑しそうに笑って、目の前の客を見つめた。

 イリヤは心臓が音を立てて鳴るのを、極力押さえようとそっと深呼吸をし、マリーンと話している後ろ姿に視線を投げた。


 まさか本当に、こんなに唐突に来るとは思わなかった。近衛師団大将だ。隊士数人が常に付き従うものだと思っていて、だから着けば表が騒がしくなるだろうと踏んでいたのだ。

 たった一人――


 指先が震えた。


(落ち着け)


 もっと周到に準備して踏み入らなければ出会えないと思っていた相手が、目の前にいる。

 何をすべきか、一瞬、イリヤは混乱した。


「あれ?」


 ふいにレオアリスがイリヤへ近付いて、イリヤは息を呑み身を固めた。

 手を伸ばせば触れられそうなほど、二人の距離が縮まり――、すれ違う。


 イリヤは視線を逸らしていて気付かなかったが、レオアリスの視線は自然イリヤの上を通り過ぎ、ふと、漆黒の瞳に不思議そうな光が灯った。

 そのままイリヤを追おうとした瞳が、マリーンの声に引き戻される。


「気が付いた? それ、懐かしいでしょ」

「ああ――、うん」


 レオアリスは香木を積んだ卓に近付き、瞳を輝かせて身を屈めた。


「黒森の香木だ、ホント懐かしいな」

「でしょー。ギリギリ、貴方の村に辿り着けてね」


 一つを取り上げ、手の中で放る。


「そりゃ良かったけど、こんなの商売になるのかよ。黒森に入りゃそこら中にあるぜ」

「なるわよ、疎いわねぇ。物がいいし、なんたって黒森産だもの。あ、ちゃんと正当な代金を支払ってますから」

「判ってるって。そうか、じゃあいい収入元ができたって事だ」

「まだね、色々あるわよぉあの辺りなら。私達も色々試すから。王都で売ってみて、手応えがあったらきちんと取り引きして、そういうのを増やしていくわ」


 だから貴方はもっと名を売って注目高めてね、とマリーンが片目を瞑り、レオアリスは呆れたように笑った。


「ありがとう。――じいちゃん達、元気かな」


 声には懐かしさと思慕が滲んでいる。見も知らぬ彼の家族が元気だったらいいな、と、聞いた者がそんな気持ちにさせられる響きだ。


 その響きに、背を向けていたイリヤの脳裏に一つの声が重なった。

 懐かしく、思い出す事を避けている声。

 忘れたくて、忘れられない声。


『――ヤ』


「そうだ、香木、あなたも買っていったら? 家族に協力しなさいよ」

「俺の家族から買って俺に売るのかよ。堂々巡りじゃねえか」


 益々呆れたレオアリスの声にも、マリーンはあっけらかんと笑って手を振った。


「いいじゃない、ほら、アスタロト様に贈れば」

「何で? 第一アスタロトは食い物じゃないと喜ばねぇよ」

「そんな事ないわよ、女心が判ってないわねぇ」

「女心……?」


 何の? と首を捻るレオアリスに呆れた顔を見せてから、マリーンはくるりと話題を変えた。


「そうそう、仕立て出来上がってるわよ。向こうの部屋。今日持ってくでしょ」

「ああ。三日後だから」

「もう、急に言いだすから徹夜よ徹夜」

「悪い、ぱっと思い付いたのがここしかなくてさ。とにかく聞かされたのが五日前だぜ」


 申し訳なさそうに頭を下げたレオアリスに、マリーンは逆に笑った。


「冗談よ。ホントはお祝いにって思って、前から仕立ててたからちょうど良かったわ」

「祝い?」


 きょとんと見返す肩を、マリーンが勢い良く叩く。


「今回のよー、やあねぇ! 王の剣士さん」

「王のって――別にそれ、正式な辞令とかあった訳じゃなくて、単にあだ名」

「何言ってるの、変わんないわよ。それよりも大丈夫? ゴドフリー侯爵だっけ、そんな偉いひとの園遊会だなんて、出られるの? 作法とかしきたりとか、面倒くさいんじゃない?」


 あなたそんなの出来るの? とマリーンのからかう口調に対して、肩を竦める仕草が閉口した様子を伺わせる。


「任せろ。ここ数日特訓続きだったんだ」

「特訓」

「招待への礼の言い方とか、食器の使い方とか、空で言えるくらいやった」


 少し自棄気味に笑って、レオアリスは一礼してみせた。普段の軍の敬礼とは違うが中々様になっている。


「御愁傷様。じゃあ合わせてみましょ」


 レオアリスを手招いて奥の寸法室へ歩きかけ、あ、とマリーンが首を巡らせる。


「お客さん」


 マリーンが振り返った先には、もうイリヤの姿は無かった。


「ついさっき出てったぜ」


 レオアリスが視線で示した先で、扉がまだ微かに揺れている。


「あら」

「忘れ物? 追いかけて渡してこようか?」

「ううん、違うんだけど。――さっきの子、多分貴方に会いたかったと思うのよね」

「俺に? 何で?」


 何で、と聞かれるとマリーンにも明確な答えは無いようだ。


「まあ会いたかったっていうか、見てみたかったんじゃない? 来るかもって言ったらずっと残ってたから」

「見てどうするんだ?」


 重ねて問いかける瞳に、マリーンも軽く首を傾げてみせる。


「それを言われるとねえ、どうってどうしようも無いんだけど……。でもほら、あなた名前は知られててもまだ顔知らない人も多いから、見たいのよ」

「見たいって」

「まあいいからほら、着てみて着てみて」


 マリーンは上手い答えが見つからず、さっとその話題を打ち切ると、レオアリスの肩を軽く押して奥にある採寸室に向かった。

 彼女の後を追いながら、レオアリスは扉へと首を巡らせた。


「――」


 その客は、自分の何を見たかったのだろう。

 そう言えば、先ほどすれ違った時、少しばかり注意を引かれたのをレオアリスは思い出した。

 それが何の故なのかは判らない。


 ただ何となく意識をつつかれるような、そんな引っ掛かりを覚えて通りに瞳を向けたが、もうその姿は見当たらなかった。



 

 

 さりげなく店を出たイリヤは、そのまま振り返らず、足早に通りを歩いていく。


(――王の、剣士)


 王の剣士――

 イリヤは彼に会ってみたかった。


 同じ年頃の少年。

 王が自らの剣士と呼び、名付け子と呼んだ、その相手。

 王が名を与えた、特別な存在。

 それを聞いた時からずっと、イリヤは彼に、会ってみたかった。


 本当にイリヤと変わりない年、背格好で、だが近衛師団の黒い軍服を纏った姿には、ある種の風格が感じられた。

 それから、剣士としての噂やその地位からは想像していなかった、明るく屈託ない様子。

 喩えるなら、あの香木と同じような、澄んですがすがしい空気を纏わせていた。

 ずいぶんと、人好きのする印象だ。


「――良くないな」


 ぐっと手を握り締め、心の中に浮かんだものを押し込める。

 思い出して、イリヤは先ほど買ったばかりの鏡を取出し、じっと見つめた。


 何故買ったのか、ラナエにこれを渡して、何を言うつもりだったのだろう。

 もう言う事など無いと決めてここに来たのに。

 その資格は自分には無い。


「こんなの、意味はない」


 イリヤはそれを、歩きながら道の側溝に落とした。


 落ちた先は見なかったが、指先を離れて水の無い乾いた側溝の底にかつんと当たり、多分、割れた。




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