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王の剣士4「かりそめの宴」  作者: 雅
終章
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終章(二)

 どおん、と身体を打つ音が冷え込んだ大気を震わせた。冬の夜空に大輪の華が咲く。

 一年を締めくくる夜の、恒例の行事だ。次々と打ち上がる火の華は、束の間の光と闇をくるくると入れ替える。

「寒いですね、やっぱり。お酒でも入れなきゃ凍えちゃうわ。上将、それだけで本当に大丈夫ですか」

 フレイザーは革の手袋の上から両手に息を吐きかけ、前を歩くレオアリスに声をかけた。

 フレイザー達は軍服の上から外套を着ているが、レオアリスは軍服と背中に長布を纏っただけの普段の格好だ。この時期にそれだけでは昼間でも寒いだろう。

「この程度じゃ寒い内に入らない」

「さすが」

「って言いたいところなんだけどな、寒いもんは寒いんだが、何となく悔しいっつーか……」

「悔しいって、何が?」

 レオアリスは少し複雑な顔をして振り向いた。

「だってなぁ、俺つい四年前までは北の辺境で暮らしてたんだぜ。この程度、夏服だって充分だとか言ってもよさそうなモンじゃねぇか。だんだん(なま)ってきたみたいで、これじゃ辺境出身とか言ってられねぇ、と」

 レオアリスの言い分を聞いていたロットバルトが、呆れた口調で肩を竦める。

「馬鹿な意地を張ってると風邪をひきますよ」

「馬鹿……。お前とはいつかきっちり話を着けたいと思ってんだが……まあいいや。一応それだけが理由じゃなくてさ。隊士がこんな吹きっ晒しの場所で警備に当たってんのに、上官が着込んでる訳にゃいかないだろうが」

「その心意気は尊重すべきですが、常識的な範囲で判断してください。先ほどから全員に気を使われていたでしょう。酒で身体を温めるならまだしも」

「……うーん」

 何となく自覚していたがやっぱり少し馬鹿だったかと、レオアリスは腕を組んで唸った。

 王城の警備状況の見回りと、年の最後の華やかな晩に警備に当たってしまった不運な隊士達を労う目的で、レオアリスは王城を囲む城壁の上にいた。

 この晩は、部隊の指揮官達が葡萄酒の瓶を持って当番の隊士達の間を歩いて回り、ほんの一口程度だが、隊士達に葡萄酒を振る舞うのだ。

 通常は指揮官も共に盃を鳴らす為、隊士達の間を回りきる頃にはかなり深酒をしてしまう場合も毎年一件くらいはある。

 だからクライフは、グランスレイと組んで回っている。

 レオアリスはロットバルトとフレイザーとの三人で、グランスレイ達とは反対側から陣中見舞いをしているところだった。そろそろ半分が終わっただろうか。日付も、そろそろ変わる。

「お貸ししましょうか?」

 自分の外套の襟元を外しかけたロットバルトの手を、レオアリスは断固たる意思を以って止めた。

「お前のはでかいから」

 頭半分近く身長差があれば袖やら裾やらが余って情けないし、そもそも借りるのが情けない。

 フレイザーはレオアリスの顔を見てくすりと笑った。

「じゃあ、後でクライフの外套を借りたらいいですわ」

「いや、そーゆー問題じゃ――。それに……、いいんだ。少しくらい寒い方が気持ちが引き締まる」

 レオアリスの声には、今の彼の心情が表れている。ロットバルトもフレイザーも黙ってその横顔を見つめた。

 一瞬、強い風が城の方から吹き下ろした。レオアリスの纏う長布と城壁に掲げられた王旗を煽り、城壁を越えて王都の街へと流れる。

 レオアリスは足を止め、過ぎ去った風を追うように、城壁の向こうに広がる街を見渡した。

 遠くまで広がる街並みは、灯された街灯や家々の窓の灯りで、道の筋が夜の中に幻想的に浮かび上がっている。

 しゅる、と布を擦るような音が離れた場所から聞こえた。

 どおん! と大気を震わせて新たな花火が打ち上がり、王城の上空一面に華開く。

 火花で作られた花弁が空気を焦がし、屋根を叩く雨垂れの音を立て、絹のような濃紺の空を地上へと滑り落ちてくる。

 レオアリスは空へ首を巡らせた。歩哨の歩く城壁は、花火見物には実は絶好の場所のようだ。丸く開く花火を、ほとんど欠ける事無く眺められる。

「毎年思うけど、本当にすごいな、これは」

 低い塀に背中を預けて顔を空と平行にして少し喉を反らせ、次々と上がり続ける花火を見つめる。漆黒の瞳の中にも花火が映り込み、そこにもう一つの夜空があるようだ。

「花火師になったら面白そうだ」

 のんびりした声に、傍らに立って空を見上げていたロットバルトは、空の花火からレオアリスの瞳の中に沈んでいくそれに視線を落とした。

 そこに映る光は、だが華やかなものだけではないだろう。

 レオアリスは光の強さに比例して落ちる影も知っている。

 この一年で多くの事を否応なく目にし、それは様々な感情や疑問も生んできた。

 ただ、王都にあって、近衛師団大将という立場にあれば、その感情や疑問を調整し、納得する能力が求められる。

 炸裂音とともに、ぱっと夜空が照らし出され、足元に濃い影が生まれる。

 一瞬の華やかな光が生み出す、一瞬の影。光が消えれば形を失って夜に溶ける。

 掬い取り、形に留める事は不可能だ。

 だがあの華やかな美しさに対して、感嘆の裏側に深い哀惜を感じるのは、一瞬の光に浮かび上がる影があるからかもしれない。

 レオアリスはじっと、光の花が咲き誇っては散る夜空を見上げている。

 二つ同時に空を染めた花火が消えていく合間に、三人を呼ぶ声がかかった。

「上将、フレイザー! と、ロットバルトも」

 城壁の細い通路をクライフが片手の酒瓶を掲げて呼び掛け、三人の方へとやってくる。その後ろにはグランスレイの姿も見えた。

「ちょうど半分っすね」

 クライフはそう言って、三人の顔を見回した。

「いいなあ右回り班、華があって。副将と俺じゃ回られる方も無味乾燥過ぎていけませんよ。顔見る奴ら揃いも揃って上将達はまだ来ないのかってそればっか聞きやがるし、せめてこっちにフレイザー入れて欲しかったなぁ」

 グランスレイとクライフは二人で城壁を左回りに回っていたのだ。確かに渋い取り合わせではある。あと一人、ヴィルトールは家族と共に過ごすため、今日は休暇を取っていた。

「上将への返杯を代わりに受ける為の要員なんだから、二人は要るのよ。大体、去年貴方が調子に乗って朝までどんちゃん騒ぎしたからでしょ。可哀想に貴方の部下まで巻き込んで謹慎食らったのを忘れたの?」

 要するにグランスレイはある意味、クライフが酒を飲み過ぎない為のお目付け役という訳だ。

「いいじゃない、副将と親睦が深められて。一緒に踊った仲ですものね」

 いたずらっぽく笑うフレイザーの言葉に顔をしかめたのはクライフだけではなく、その隣のグランスレイも眉根に深い皺を寄せた。

「フレイザー、その件は」

「あら、相当お気になさってます? すみません」

 グランスレイの渋い顔を見てフレイザーは唇に笑みを閃かせ、ついでにもう一言付け加えた。

「でも明日は新年の祝賀会ですから、特訓の成果が披露できますよ。どうですか、二人で持ち芸にしてみたら。きっといい余興になるんじゃないかしら」

「あのねぇ、他に相手が沢山いるでしょ、他に。大体フレイザーが踊ってくれりゃそれでいいんじゃねーか」

「その通りだ」

 グランスレイは釣られて頷いてから、不意に瞳を泳がせた。目ざとく気付いたクライフがにやりと笑う。

「何だ副将、照れなくても。フレイザーと踊りたいなら踊りたいって素直に言いましょうよ」

「な、何言ってるのよ、バカね! そんなはず無いでしょ!」

 さっと顔を染めたのはフレイザーの方だ。その上、慌てた様子を今さら隠そうというように、意味もなく髪の毛やら軍服の裾やらを直している。

「え、ちょっと、何なに?」

 夜目にも判るその反応に、クライフは暗ーい予感を覚え、少し、いや、かなり頬を引きつらせた。

「墓穴を掘ったな」

 ロットバルトの呟きに気付いて、レオアリスが傍らの顔を見上げる。

「何が?」

「いえ、少し興味深いと……来年は事態が動くのかどうかね」

「事態?」

 深刻な事なのかとレオアリスは眉を寄せたが、ロットバルトは口元に意味深な笑みを刷いただけで、それに関して説明しようとする様子は無い。

「何の話だか……クライ」

 レオアリスが手っ取り早くクライフに聞こうとしたのを見て、さすがのロットバルトも焦って素早くレオアリスの口を覆った。

「本人に聞いてどうするんです、本人に」

 気付いていないというのはかなり恐ろしい。

「何で」

「せめて年越し位、穏やかに過ごさせてあげるべきでしょう」

「何か良く判らねぇな……。お前、後でちゃんと説明しろよ」

「いや、改めてご説明するほどの事では……」

 ごほん、とグランスレイが咳払いを一つしてその場に漂う微妙な空気を払い、ロットバルトに視線を移した。

「それよりロットバルト、侯爵のお考えはどうだったのだ」

 明らかに話を逸らそうとしての話題転換ではあったが、それは何より今一番重要な事だ。少し浮かれた雰囲気だった五人の上に、ぴり、と張り詰めた空気が戻る。

 既にこの件は近衛師団にとって決着を見ているが、一つだけまだ終わっていない事があった。

 今はイリヤをヴェルナー侯爵家で預かっているが、侯爵が良しとしなければ、今度は預かった行為自体が大きな問題を孕んでくる。

 ロットバルトは今朝南方から戻り、その足で侯爵家へ戻っていたが、まだグランスレイ達は結果を聞いていなかった。

 ロットバルトはグランスレイ達へ、安心させるように笑った。

「問題ありません。表面的には、我々は何一つ知っているものはない。お互いに腹の底は見えていても、口に出さなければ無かった事と同じですからね」

 クライフが眉を寄せる。暗にイリヤの過去を指しているのは判るが、含みが有りすぎる。

「それは、許可が出たって事か?」

「まあ、有り体に言えば」

「めんどくせえ、すぱっと言え」

「こうした言い方でしか保てないものはあるんですよ」

 レオアリスは結果を既に聞いていて、その時の複雑な感情が再び湧き上がるのを感じながら、視線を街へ投げた。

 言葉では隠す事ができる。

 知っていても知らない振りをして通す事ができる。いや、レオアリス達は確実に、全く知らない振りを通さなければいけない。

 そうして、全て無かった事にしながら――

 それでも、イリヤの過去に刻み込まれたものを、消し去る事はできないのだ。

「――」

 けれどそれは、王の意思でもある。

 イリヤを自らの子として認めれば、彼は過去の罪により裁かれる。王家とは(ゆかり)もない存在として、遠ざける事でしか守れないものもある。

 そう考えて納得するしか、レオアリスには――、他の誰も(すべ)がない。

 いつかイリヤが言ったように、レオアリスとイリヤの立場は良く似ている。

 だから、もしも、と考えるのは、ただレオアリスの感傷だ。

 ロットバルトはふと、唐突とも思える事を訪ねた。

「上将、新年の休暇のご予定は」

「休暇? ああ」

 四六時中休む暇なく任務に当たっているように見える彼等にも、通常の公休と、それとは別に、新年にそれぞれ五日、公休が与えられている。

 レオアリスは毎年この新年の公休を利用して故郷に帰っていた。

「今はまだハヤテを飛ばせられないからな。帰るのは延期した」

 祖父達の顔を見れないのは残念だが、馬ではとても五日の内に北の辺境まで行って帰るのは困難、というより半分の行程も行き着けない。かといってハヤテ以外の飛竜に乗る気も余り無かった。

「では、南方に行かれますか? そのついでに別邸に立ち寄る事もできますが」

 レオアリスは少し驚いてロットバルトを振り返った。瞳にあるのは、そこに自分が行っても問題はないのか、と問う色だ。

「状況監察の名目で立ち寄られる事は可能です。おそらく、彼等の様子を知れるのはこれが最後の機会でしょう。数日もすれば彼に対する処遇が決まるはずです」

 ここまでが自分達にできる事の限界だ、とロットバルトの瞳が物語っている。

「――殿下が、気にされていた。ほんの少しでも、様子をお伝えできるなら、そうしたい」

 ロットバルトの言うとおり、イリヤと関わるのはそれで最後になるだろう。

 どれほど知らない振りを通したとしても、それ以上の行為は王の意志を妨げる事になる。

 ぐっと口元を引き締めたレオアリスの傍らで、クライフは彼等の話題が単なる旅行の予定だと言うように、明るい声を上げた。

「そういや、お前んとこの別邸って、イル・ファレスの辺りだっつったろ? 俺の村すぐ近くなんだ。俺も里帰りするついでに寄らせてもらおうかな」

 ロットバルトも何も問題はないと言うように頷いた。そうして日常の中に紛れ込ませ、流していくべきものだ。

「構いませんよ。二日に発ちますが」

「二日ね、了解。時間が決まったら教えてくれ。そうだ、上将、良かったら俺んとこも来ますか。今は農園も葉が落ちて寂しいし、うるせぇガキ共がいるけど」

「兄弟か、面白そうだな」

「王の剣士が来たら喜びますよ、奴ら」

 話がまとまったのを見て、フレイザーが全員の顔を見回す。

「そろそろ次に行きましょうか。でもその前に」

 フレイザーは手にしていた籠から、小さな木彫りの杯を五つ取り出して城壁の石の手摺りに置き、葡萄酒の瓶を傾けてそれぞれに赤く澄んだ液体を注いだ。

「どうぞ。上将も、こういう時は」

 持ち歩きやすい為と隊士達が飲み過ぎないように、杯はほんの一口ほどの量で満たされる大きさだ。余り酒が得意ではないレオアリスも、一口程度なら付き合える。

「ヴィルトールがいないのが残念ですが」

 フレイザーは各自が杯を手に取ったのを確認して、手摺りに一つ残った杯を見つめた。ヴィルトールの分だ。クライフの手が伸びて、ひょい、とその杯を取る。

「奴は家族でのんびり幸せにやってるさ。……そろそろだな」

 クライフが夜の陰になっている城下の街に眼を凝らす。今いる城壁の傍、王城の西外門を真っ直ぐ街へと降りていく道の先に広場があり、広場の中央に時計塔があるのだ。

 昼間ならば遠くからでも良く見える大きな時計の針は、そろそろ頂上で重なりそうな様子だ。

 クライフは今度は反対側の手摺りに寄って、王城の広場に置かれているだろう花火の打ち上げ台を見透かした。そこに火花が光る。

「……さーん、にーい……、一ィ!」

 掛け声に違わず、しゅるしゅると光の帯を引いて花火が打ち上がり、どおん、という音と共に王城の姿を照らし出した。

 これまでで最大の、新年を告げる火の花だ。

 夜空に開いた華と同時に、街の時計塔が一斉に鐘を打ち鳴らす。

 城下の街のあちこちが、わっと騒めきを上げる。

「上将、一言」

 クライフは杯を持つ手を軽く上げて、レオアリスを促した。

 レオアリスが寄りかかっていた城壁の欄から身を起こし、同じように杯を軽く持ち上げて部下達を見回す。

 グランスレイ、フレイザー、クライフ、ロットバルトと、今頃は家族で空を眺めているだろうヴィルトール。

「色々あった年だったけど」

 特に秋からこの冬にかけては、目まぐるしく自分の状況が動いた。

 それ等を経て今レオアリスがここにいるのは、彼等のおかげだ。

「感謝してる」

 短い言葉に込められた多くの想いを受け止め、グランスレイ達が目礼を返す。

「王と、師団に――乾杯」

 五人は細い城壁の通路で向かい合い、中心に差し出した木彫りの杯の縁をかつん、と当てた。

 鐘は既に鳴り終わり、新年を祝う街の賑やかな声が風に乗って届いてくる。

 クライフは杯の底に一滴残った葡萄酒を舌に落としてから、杯をフレイザーに返した。

「さて、寒ィし、早いとこ首長くして酒を待ってる奴等を見舞ってやるか。行きましょ、副将。たった一口じゃ全員と酒を酌み交わさなきゃ飲み足りないっすよねぇ」

 クライフはグランスレイの肩を叩き、先ほどレオアリス達が回ってきた方へと歩き出した。

「お前と一緒にするなよ」

 そう言いつつも、グランスレイも苦笑を浮かべ、クライフの後から歩き出す。

 レオアリスも笑って、また城壁を歩き始めた。

「お、新作じゃないすか?」

 歩きながら夜空を見上げるクライフの声が届く。

「珍しい青ですね」

 夜空に広がったのは、小さな青い光を幾つも束ねて散らしたような、どこか密やかさを漂わせた光だ。――花束のような。

 王もこの光を見つめているだろうかと、レオアリスは灯りを灯した居城の窓を見渡した。

 青い光の花束は夜空に散りばめられた星と重なり、やがて消えた。


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