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王の剣士4「かりそめの宴」  作者: 雅
第四章「生者達の舞踏」
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第四章「生者達の舞踏」(十一)

 月の光を弾く噴水の水の幕に、イリヤ達の姿が消える。レオアリスは噴水の池の中に駆け込んだ。

「イリヤ!」

 噴水はまだ水を吐き出し、レオアリスの上にも遠慮のない雨を降らせていたが、求める姿はもうどこにもなかった。

「――殿下!」

 呼び掛ける叫びにも、答えは帰らない。

 降り注ぐ激しい水の中で、レオアリスは彼等が消えた場所に立ち尽くした。

 服を濡らす水の冷たさがじわりと肌に伝わるのと比例するように、身体の奥から凍るような感覚が沸き上がる。

「――馬鹿な……」

 イリヤが居城を襲撃し、ファルシオンを連れ去った、と――。目の前にしてもまだ現実味がない。

 レオアリスがここに来たのは偶然に近い。あの橋の襲撃の跡から、万が一にもイリヤが居城へ行く可能性を考え、居城の様子を確認に来ただけだった。そこで異変を報せる伝令に行き合ったのだ。

 イリヤがファルシオンを攫うなど、考えてもいなかった。

 茫然と、イリヤ達が消えた場所に視線を落とし、心を落ち着かせようと深呼吸しながら――、抑えきれない憤りに、レオアリスは噴水の彫像に拳を打ち付けた。

 固い石が跳ね返す痛みも、頭の中の光景を薄れさせる役には立たない。伸ばされかけたファルシオンの手が、はっきりと眼に焼き付いている。レオアリスの手は、掠りもしなかった。

 何故、考えつかなかったのか。全ての条件を想定し、防がないで、何の為の近衛師団大将なのか。

 再び拳を打ち付ける。

 レオアリスは、全てに、一歩及ばなかった。

 ぎり、と噛み締めた奥歯が鳴る。

「――俺は」

 零れかけた言葉を、無理矢理飲み込み、レオアリスは顔を上げた。

 後悔の言葉を吐く時間はない。一刻も早くイリヤの行く先を見つけ、ファルシオンを無事連れ戻すのが先決だ。

「カイ」

 低く呼ばわり、再び現れた黒い鳥の丸い眼を覗き込む。

「ファルシオン殿下だ。判るな? 捜すんだ」

 カイは力強く翼を羽ばたかせ、空に翔け上がった。カイはファルシオンの気配を良く知っている。ファルシオンの気配から、彼等を追う事は可能だ。

 カイがファルシオンを見つけたらすぐに追うつもりだった。すぐに、追えるつもりでいた。

 だが、レオアリスの視線の先で、カイはいつもと違った動きをしている。一直線に飛んでいくはずの翼が、ぐるぐると庭園の上を回っていた。

「どうした……カイ!」

 すう、と胃の辺りが冷えていく。それは今までに感じた事のない、恐怖とも言うべきものだった。

 カイは、ファルシオンの気配を辿れないでいるのだ。

「どんな小さなものでもいい、見つけてくれ。殿下が判らなければ、イリヤからでも――」

 レオアリスの声は懇願の響きすらあり、カイは主の要求に答えようと四方に翼を向けたが、とうとう困り果てて一声鳴いた。

 静まり返った庭園にその声が長く尾を引いて落ち、冷えた空気を更に凍りつかせるように思えた。レオアリスの喉から、擦れた呻きが洩れる。

「――そんな」

 少し、眩暈がする。

 いや、身体の芯から力が失われるような、そんな感覚だ。

 ファルシオンを追う術が無い――。

 傍らの彫像に背を預けて寄りかかり、微かに震える手を額に当てる。噴水の水はいつの間にか吹き出すのを止めていた。

 レオアリスは束の間言葉を失って立ち尽くしていたが、倒れている警護官達の姿と、まだ何が起こったのかも、近寄っていいかどうかすら判らずにいる侍従達の姿に気付き、頭を振った。

「――救護を、お願いします。とにかく全員、館に運んでください」

 救護とは言わないかもしれない。あの橋の上では、見ただけでもほぼ全員が事切れていた。

 だが侍従達も指示を受けて漸く我に返り、慌ただしく動き始めた。ほんの僅か、庭園の上に生気が戻る。

「――」

 レオアリスはぽたぽたと水を滴らせながら噴水から出て、まだ座り込んでいたハンプトンの傍に膝を付くと、彼女の顔を覗き込んだ。

「ハンプトン殿」

 虚ろだったハンプトンの瞳が焦点を結び、ハンプトンはひゅっと息を飲み込むような短い悲鳴を上げた。

「ファ……ファルシオン様!」

 噴水に飛び込もうとしたハンプトンの肩を押さえ、向かい合う。

「落ち着いて――どんな事でもいい、知っている事を教えてください。イリヤ――、侵入者は、何か言っていませんでしたか? どこに行くとか」

「わ、私は、庭園にはおりませんでした……、殿下のお傍には――」

 唇を震わせ、ハンプトンはレオアリスの両腕に爪を立てるように縋り付き、混乱に色を失った瞳を向けた。

「た、大将殿、ファルシオン様は、殿下はご無事でしょうか?! 無事お戻りになられますか?!」

「――」

 レオアリスは答えに詰まって唇を噛んだ。

 一度その瞳を見つめた後、突き上げる感情に耐え切れずに、ハンプトンは芝の上に崩れるように身を伏せて激しい嗚咽を洩らした。

「わ――、私は、何て事を……あの時、無理にでも殿下のお側にいれば、なんとしても殿下をお守りしていれば――! お、御身を任されながら……、陛下と王妃様に、何とお詫びをすれば――」

 ファルシオンがあの少年に近付いた時、何故、ハンプトンに止める事ができなかったのか。あの幼い小さな身体ひとつ、簡単に腕の中に包み込めたのだ。そうする事が常に、ハンプトンの喜びでもあったのに。

「何の為に、私が――」

 打ちひしがれ、咽び泣いているハンプトンの背に手を置き、レオアリスは立ち上がった。彼の中にもある焦燥を振り切るように、両手を握り締める。

「……必ず、無事にお助けします」

 今は、それしか言えなかった。ハンプトンはレオアリスよりも更に青ざめ、絶望の色の濃い顔を力なく上げた。だがそこには、悲痛にも似た決意の色がある。

「お願いします――どんな処罰もお受けします、私の命を代わって差し上げます、殿下を」

 どれほど不可抗力であったとしても、ハンプトン達には王子を守る責任が課せられている。ファルシオンが無事戻らなければ厳重な処罰は免れない。

 そしてそれ以上に、守り慈しんできた王子の身を思い青ざめているハンプトンの姿は、今にも呼吸が止まりそうに見えた。

「殿下を、お助けください」

「――必ず」

 レオアリスは、今自分に許されている、そして自らに誓う為のたった一つの言葉を、もう一度繰り返した。

「必ず、殿下をお探しして無事お連れします」

 ハンプトンから離れ、レオアリスはファルシオンの館を見、振り返って噴水を見た。

(イリヤは居城の入口を通っていない……)

 噴水の水を媒介にして消えたのだ。侵入も噴水からだったのだろう。

『水さえあれば、どこにでも侵入できる』

 それはレオアリス自身が西海の使隷を指して言った言葉だ。どうやったのか、何故居城の強固な防御陣が破られたのかは判らないが、イリヤが西海の使隷の力を利用しているのはもう確実だった。

 そしてほぼ間違いなくその力が、カイの眼を塞いでいるのだ。

 レオアリスは忙しなく、辺りに視線を投げた。手がかりが欲しい。どんなものでもいい、どんな些細なものでもいいから、一つだけでも。

 それを必死に考えようとするが、焦燥ばかりが強くなり、思考を乱す。

 迅速に動かなくてはいけないと判っていながら、焦燥ばかりが強くなり、思考を覆っていく。

 どこを探せばいいのか――どこに行けば。

 足だけは今すぐにでも駆け出したがっているのに、向うべき先が見つけられない。

 今すぐに、動かなくては。

「くそ」

 思考を離れて走る焦りを冷ましたのは、低い、威厳のある声だった。

「レオアリス」

 レオアリスは身を翻し、庭園への入口に立つ老将の姿を認め、その場に膝を付いた。

「閣下!」

 アヴァロンの後ろには、レオアリスを呼びに来た伝令の警護官が両膝に手を当てて背中を丸め、息を切らしている。

 だが顔を上げた警護官の表情は、レオアリスと、そして今はアヴァロンをこの場に案内した事で期待していた事態の収束への安堵から、目の前に広がる惨状への驚愕に取って代わった。

「シ……シルマン隊長! 皆」

 アヴァロンがそこにいる事も忘れて、警護官は庭園に駆け出した。それを咎める事無く、アヴァロンは辺りを見回しながら歩み寄り、厳しい眼光をレオアリスに向けた。

「及ばなかったようだな」

「――はい、申し訳ありません」

「お前一人の事を言っているのではない。我々全てが、及ばなかったのだ」

 レオアリスは唇を噛み、顔を上げてアヴァロンを見上げた。

「――閣下、私が殿下を救出します。その為には情報が必要です、すぐにでも」

 アヴァロンはレオアリスの焦りをたしなめ、まずは立ち上がるようにと手を振った。

「この場の捜査は残った王宮警護部に任せ、近衛師団は全隊をファルシオン殿下の捜索に当てる。正規軍も動かすよう公に連絡を取ろう。王宮警護部、近衛師団、正規、全ての情報を総指令部に一元化する。

「追って全隊に指令を下すが、お前も隊に戻り、早急に捜索に移れ。必ず無事に保護申し上げよ。イリヤ・キーファー及び西海の手の者については捕縛を第一とするが、殿下の御身に危険が及ぶ場合には、剣を以って当たれ」

 心臓が鼓動の音を高める。

 剣を以って、と近衛師団総将ははっきりと口にした。

 アヴァロンの考えは王の意思、少なくともそこに限り無く近い。

 レオアリスは喉に引っ掛かった固まりを飲み込み、頷いた。

「――承知しました」

 立ち上がり、アヴァロンへ一礼し、レオアリスはなお機会を求めるようにもう一度アヴァロンの灰色の瞳を見つめたが、そこには王の守護者としての意思しか読み取れなかった。

「失礼します」

 大隊に戻りすぐファルシオン捜索に移る為に、急ぎ足で庭園の出口へ向かう。前方に伝令の警護官が、倒れている同僚達の上に屈み込んでいるのが見えた。

「シルマン隊長!」

 必死に呼び掛けては、身体を揺すっている。

 普段の倍、六十名近い人数がこの夜の警護に当たっていたはずだ。彼等全員、西海が――イリヤが、手を下した。

(――もう、引き返しようが無い……)

 王は決定をせざるを得ない。

 その時は、レオアリスは確実に、イリヤと相対し、止めなくてはいけない。

 剣を以ってでも。

 

 

 

「路地裏まで覗け。鼠一匹見落とすなよ。諸侯の館の警備には必ず、邸内に異常がないか確認してから進め」

 近衛師団第一大隊右軍少将ファーレイは、王城の第三層の通りに立つと居並ぶ部下達にそう指示を下し、手を大きく振った。

 その合図を機に、近衛師団の隊士達が松明や蝋燭を入れた角灯を片手に通りを進み始める。路地があれば路地の奥までを灯りで照らす。

 ファーレイ達の背後では、第二大体の中隊が全く同じ動きで、彼等と反対方向へ通りを進んでいく。それはこの場だけではなく、王都全体で同じ捜索が展開されていた。ファルシオンの捜索が、王都で一斉に開始されたのだ。

 夜明け前にも関わらず、武器を帯びた多くの兵と彼等の手元で揺れる灯火に、王都の眠りが覚まされていく。

 

 

 士官棟へ向かうハヤテの背から、レオアリスにも、街に揺らめく灯火を見て取る事ができた。

(もう、動いてるのか)

 イリヤを、ファルシオンを捜す灯り。

 王城は既に煌々と明りを灯し、夜明け前の王都の中央に、巨大な姿を浮かび上がらせている。

 そして王城を第四層として、第三層の貴族諸侯の館が立ち並ぶ区画、軍諸侯の館がある第二層、正規軍、近衛師団の指令部と兵舎がある第一層も例外なく、捜索の手が掛けられている。

 遠くを見渡せば、城下の街にも松明の筋が見えた。

 レオアリスはそこに降りようかどうか躊躇したものの、一度師団に戻るべきだと思い直し、ハヤテをそのまま第一大隊へ向けた。厩舎ではなく士官棟の中庭に直接ハヤテを降ろし、執務室に駆け込む。

 室内には既にグランスレイ以下全ての中将が揃い、レオアリスの姿を見て立ち上がった。

「上将……」

 ずぶ濡れになった跡が残る軍服に中将達は驚いた顔を見せたが、レオアリスは構わず彼等の顔を見渡した。居城を出て王城の厩舎からハヤテを駆り師団に戻るのに、半刻の時間を要してしまっている。

「状況は?!」

 グランスレイが一礼し、厳しさを浮かべた面を上げる。

「アヴァロン閣下から伝令を受けました。道中ご覧になったかと思いますが、四半刻前に全隊を王城と城下に展開し、捜索を開始しています」

「俺も合流する」

 そのまま再び扉に手を掛けようとしたレオアリスを、ロットバルトの声が引き止めた。

「落ち着いてください。まずは配備状況をご説明します」

「あ、ああ」

 ロットバルトはレオアリスが執務机の前に立つのを待ち、机の上に広げていた王都の図面を指差した。

「基本的に他の隊も同じ動きをするとお考えください。第一大隊は西の区画を受け持ち、この線から内側へ収束するように全ての通りを当っていきます」

 王城を中心に、王都の西側に指で線を引いて区画を囲うように示し、指先を内側へ流す。

 広げた袋の口をすぼめるように、仔細洩らさず確認して行くやり方だ。線の内側に対象者がいれば、いずれ追い詰められ、捕らえられる。

「第二、第三大隊も同様にそれぞれ北と東に展開していますが、当然、大隊千五百名では西の区画だけとは言え王都全てを捜索する事はできません。各方面の正規軍第一大隊と共同で動きます。主に師団が王城の第一層から第四層、正規軍は城下を担います。南は正規軍単体で当たり、王都の外については、アスタロト公から正規軍に捜索の指示が出ています」

「確実だけど……時間がかかる。ここに、区画の中央から外へ、もう一隊動かすべきじゃないのか? 両方向からなら時間を半分にできる」

 レオアリスはロットバルトが指先を止めた区画中央、捜索の収束地点を改めて指差した。

「確かに確実性は増しますが、そこに割ける人員数が不足しています。それをする為には最低でもあと一個中隊は必要ですが、師団も正規も既に最大の人数を注ぎ込んで余剰人員はありません。無理に中へ配備し、外側の網を緩める事で取り零す方が怖い。それと」

 ロットバルトは一旦言葉を切って顔を上げ、レオアリスと視線を合わせた。

「実際は、イリヤ・キーファーが今も王都にとどまっている可能性は低いでしょう」

「なら」

 その分、もっと可能性の高い場所に兵を充てるべきだ、と言い掛けて、そんな簡単な事ではないという事に気付きレオアリスは口を噤んだ。

 可能性が低いからと言って、万が一を捨てられる訳ではない。

 そもそも可能性の高い場所とはどこなのか。

 少しでも可能性のある所は全て捜索する必要がある。いや、可能性が無い場所であっても、万が一という事はある。それは先程、嫌という程思い知らされた。

 この捜索の結果がファルシオンの命を左右すると言っても大げさではなく、一切の妥協、例外は許されない。

 今の状況では、虱潰しに当たっていくのが一番確実で、それ以外にレオアリス達には打てる手がないのだ。

「――」

 レオアリスはヴィルトールを振り返った。

「ヴィルトール、キーファー子爵邸は? 何か変わった事はあったか」

「捜索開始後に改めて確認を取りましたが、戻った様子はありません」

「――そうか」

 低く呟き、レオアリスは机に広げられた図面を睨み付けた。キーファー元子爵邸は王都で最も、イリヤが足を向ける可能性の高い場所だった。そこにもまだ、イリヤは姿を現していない。

(じゃあ、どこだ)

「館じゃない……他には……」

 ひたすら王都の図面を睨みながら、口の中で呟く。レオアリスが焦り、苛立っているのは傍目にも良く判った。

「――キーファー子爵家の所領は」

「管轄の正規軍第四軍に確認中ですが、早くとも明け方を過ぎなければ回答は戻らないでしょう。それより、西海の使隷の移動能力がどこまで及ぶか、それが我々には判っていません」

 キーファー元子爵の所領マウルスは王都から西南へ約九百六十里の位置にある。馬での移動はひと月ほどを要し、飛竜であっても半日はかかる距離だ。法術で移動しようとすれば、高位の術者でなければ難しい。そんな遠くまで及ぶ力かどうか……。

「移動……術か!」

 地図の上に両手をついたまま、レオアリスは顔を上げた。

「法術院は何か言って来たか? 分析は?」

 少し早口の跳ねるような口調は、込められた期待のせいだ。分析さえ終われば問題の多くは解消される。一足飛びにファルシオンの元に辿り着く事ができる。

 だがロットバルトは首を振った。

「今せかしているところです。ただアルジマール殿はもう少し待てと」

「――」

 期待に昇らせた色は褪せ、レオアリスは再び悔しそうに視線を落とした。全てが足踏みしている状態に、再び焦燥が抑えきれずに喉元へと昇って来る。

 一刻も早く、動きたい。

 早く。

 図面の上で拳を握り締める。

 歯車が時計の針を一つ進めるごとに、望みが削られていく気がしていた。

 濡れた軍服から肌に伝わる冷たさが、そのまま今の後の無い状況を示すように感じられ、レオアリスは身体を震わせた。

 ふと目の前に柔らかい布が差し出され、レオアリスは顔を上げた。フレイザーが布と、もう片手には軍服を手にして、レオアリスを見つめている。

「取り敢えず着替えてください、髪も拭いて。それに少し休まれた方がいいですわ」

「いや、時間が惜しい、俺もすぐ現場に出るから」

「駄目です」

 フレイザーは思いの外厳しい瞳を向けている。驚いた顔をしたレオアリスを翡翠の色の瞳が咎める。

「いざという時、貴方が万全でなければどうするんです?」

「俺なら、別に大した事は」

 ロットバルトが遮るように口を開く。

「フレイザー中将の言う通りですよ。第一貴方が今現場に出ても意味が無い。ここで連絡を待つべきでしょう」

「でも、こんな時に待ってるだけなんて」

「部下に対して冷静な態度を示し安心感を与えるのも、大将の役割です。ただでさえ殿下の行方が判らないと聞いて、兵は動揺しています。貴方が闇雲に現場に出れば、更に混乱が増す」

「――」

 フレイザーやロットバルトは、濡れた服のままでいる事だけを言っているのではない。焦るだけではどうにもならないと、そう指摘しているのだ。

 レオアリスは一度ゆっくり深呼吸し、肩に込められた力を抜いた。

「判った。……悪いな」

 レオアリスが頷いたのを見て、クライフはレオアリスを隣室へと押し込んでから、扉へ足を向けた。

「取り敢えず少し寝て、捜索の指揮は俺達に任せてください。第二も第三ももう動いてますし、正規も、これだけの数が動いてるんだから、殿下をすぐ見つけ出しますよ」

 胃の中で焦げる焦燥を抑え、レオアリスは何とか頷いた。

 

 

 一旦は隣室で仮眠を取ろうと心掛けたものの、そう簡単に眠れる状況ではない。諦めてすぐ執務室へ戻ったが、さすがにそれに対してはロットバルトもグランスレイも無理に隣室にいるようにとは言わなかった。

 自分の席に座ってただ瞳を閉じている間にも何度か扉が叩かれ、その度にレオアリスは顔を跳ね上げた。

 だが届けられた報告は区画毎の捜索結果ではあっても、ファルシオンの居場所を告げるものではなかった。

 次第に夜が明け始め、王都の輪郭を明らかにして行く。

 押さえ込もうとしても、焦りや苛立ちばかりが募っていく。

 戻ってから一刻半ほどがただ漫然と過ぎ、王城の尖塔に朝日がかかった頃、再び扉が開いた。

 伝令だと思って向けた視線が捉えたのは、思いがけない――いや、ずっと待っていた相手だった。

「剣士殿はいるかい?」

「――アルジマール院長!」

 身の丈五尺ほどの小柄な、法術士独特の長衣姿の人物だ。顔は目深に下ろした(かず)きで隠され口元しか見えないが、呆れた様子なのはひと目で判った。

「早朝から物凄い人数が出てるね、僕まで何度か職質されそうになった。そこでもおっちょこちょいに捕まったぞ」

「あんたが怪しいからだ。中庭でごそごそしてるから」

 アルジマールの後ろから、クライフ達が再び室内に入る。戻って来たところで彼と行き会ったのだろう。

 アルジマールはクライフを無視し、つかつかとレオアリスに近寄った。

「人数ばかりかけても非効率だ。甘いよ君達、闇雲に捜したって見つかりっこないだろ」

「じゃあ、あれは」

 レオアリスは逸る心を抑え、机を回ってアルジマールの前に立った。彼に依頼していた、西海の使隷の分析は――。

「無論解読した。君が馬車馬のように働かすから、僕は二日も徹夜だが」

「今すぐ追いたい! 何か手を」

「礼が先だと思うけど」

「アルジマール殿。今はふざけている場合ではない。どなたを捜しているのかお忘れか」

 グランスレイの低い声音にアルジマールは肩を竦め、それから表情を引き締めた。

「判っている。殿下のもとにご案内しよう、今すぐ」

 おお、とクライフ達が歓声に近い声を上げ、レオアリスは呼吸も忘れて身を乗り出した。

「どうやって」

「これだ。一番妥当なやり方だろう」

 アルジマールは扉の前へ行き、外へ押し開けた。

 開いた先には中庭が見える。中央の噴水と、その傍らで翼を休めている銀翼の飛竜の姿が、白っぽい光の中に浮かんでいる。ハヤテの鱗が時折光を弾いた。

「――陣?」

 レオアリスが瞳を細め、呟いた。建物に遮られ、朝日はまだ中庭に当たってはいない。白い光は足元から浮かび上がるように照らしている。

 地面に法陣が敷かれ、それが発光しているのだ。

「法陣が開く先に、西海の使隷がいるはずだ。隊を呼び戻すかい? 中隊ひとつくらいなら運べるが」

 もっとも場所が狭すぎて中隊が入らないけど、と付け加えたアルジマールに対し、レオアリスは首を振った。

「いえ――、その時間も惜しい、今すぐ飛ばしてください」

「判った、何人送る?」

「俺も!」

 クライフが素早く手を上げる。フレイザーも同様に、今すぐにでもそこへ行きたいという顔をしていたが、彼等には一つ懸念があった。一度中将達を見回し、代表するようにフレイザーが口を開いた。

「我々が行っても、あの使隷に剣が通用しますか? できれば術なり、何かその対処をしていただければ……それも貴方に期待していたんですが」

「そこまで考えてきてないけど」

 あっさりと返され、フレイザーもクライフも言葉を失って顔を見合わせた。

「――」

「というより、剣とかに法術の力を加えるのはできるけど、そんな時間も無い。ただ、剣の腕が良ければそれも問題ないよ。あれも術で作られたものだ、だから術の核となるものがある。胸の心臓部にほんの少し、小指の先ほどの黒い球がある。それを斬るか砕くかすれば術の結合は破れ、ただの水に戻るだろう」

 アルジマールの口調は至極簡単そうなものだったが、動く標的の小指の先ほどの一箇所を切り裂くのは至難の業だ。

 だが、その至難の業を求められたとしても、剣が通用するという事実の方が安堵が強かった。彼等の表情を見て、今度はアルジマールが厳しい瞳を向ける。

「対処法が判っていて君等のように剣の腕があれば、使隷は問題じゃない。問題はその先――三の鉾が出てきた時だ。今の三の鉾の力がどんなものなのか、残念だけど僕にははっきり判らない。水の傍なんて特に不利だと思うね」

 三の鉾という名に、再び緊張が落ちる。

「剣士殿がいるから大丈夫だと思うけど、やっぱりせめて中隊くらい欲しいんじゃないか?」

「けど全部散ってる、今から呼び寄せても早くて半刻はかかるぜ」

「――法陣の繋がる先は?」

 ロットバルトの問いに、アルジマールは首を傾げた。

「使隷に標準を合わせてるからな、正確には出てみないと判らない。けど、もう王都じゃないね」

「なるほど。では、出た場所に応じて一番近い所にいる部隊を派遣させるのが早い」

 眉根に皺を寄せ、クライフがアルジマールを見つめる。

「出てみたら西海の水の中って事も有り得るのか?」

「有り得る」

 冗談のように聞こえて、それは最も危惧すべき事態だ。

「――時間が無い、行こう」

 室内に落ちた不安を断ち切ったのは、レオアリスの声だ。

 それまでの焦りの色は消え、入れ替わるように薄っすらと青白い陽炎が、彼の身体を取り巻いている。

「三の鉾は、俺が抑える。グランスレイ達は殿下の身の安全を最優先に動いてくれ」

 レオアリスは中庭に出て法陣の前に立ち、そこで振り返った。

「出たらカイに連絡させよう。行くのは――、ヴィルトール、悪いが、残って連絡調整をやってもらえるか。アヴァロン閣下にご報告して、何か指示があったらカイを戻してくれ」

 ヴィルトールの娘はちょうどファルシオンと同じくらいの年齢だ。それを考えたとも口にした訳ではなかったが、ヴィルトールもレオアリスの意図を理解して頷いた。

「承知しました。連絡が入った時点でアスタロト公にも連絡し、正規軍を当ててもらいます。今捜索に出ている兵は全て退かせてよろしいですね?」

「それでいい、頼む」

 ヴィルトールを残し、全員が法陣の中に立つ。アルジマールは一言二言、口の中で法術を唱えた。

 足元の法陣が空を染める朝日よりも白く輝く。

 この向こうに、イリヤと、ファルシオンがいる。

 レオアリスはゆっくりと息を吐き、確かめるように鳩尾に手を当てた。

「じゃあ、飛ばすよ。五つ数えたら『向こう』に出る。体勢を整えておいてくれ」


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