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王の剣士4「かりそめの宴」  作者: 雅
第四章「生者達の舞踏」
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第四章「生者達の舞踏」(七)

 第四法廷は定刻より少し遅れ、日も落ちきった午後七刻を四半刻ほど過ぎて開廷した。

 出廷者はまるで、大法廷で行われる重要案件審議の折のような顔触れだった。

 控えの間で待っていたレオアリスが呼ばれて入廷した時には、既に原告側となる司法庁執行部の一等執行官とその補佐官が奥の壁際の席に座っていた。

 正面の高い壇には裁判官の席が三つ並んでいる。三つとも水差しが置かれているという事は、登壇するのは三名なのだろう。

 視線を戻せば、十段程度の浅いすり鉢状になった部屋の中央に被告席があり、開廷を待つキーファー子爵とフォルケ伯爵が、憔悴した様子でうなだれている。

 イリヤの姿はやはり無かった。

 レオアリスは階段の一番上に立ったまま、尚も狭い法廷内を探そうと首を巡らせて、前方の席に思いがけない人物――王立文書宮長スランザールが座っているのに気が付いた。

「スランザール?」

 通常はこんな場所に出ない存在がいる事に、レオアリスは驚いて王の相談役でもある老公を見つめた。

 スランザールの真っ白い髪と髭に埋もれた顔がレオアリス達に向けられる。

 鋭い瞳の光が一瞬だけ、何かを告げるようにレオアリスを捉えた気がしたが、すぐその感覚は消えた。今はレオアリスを見ているかは判らない。

「……まさか、スランザールが証言するのか? あの日記は」

 席への階段を先に下っていたロットバルトが素早くレオアリスの腕を引く。思わず階段を踏み外しかけ、レオアリスは手近な椅子の背を掴んで身体を支え、ロットバルトを睨んだ。

「お前、いきなり」

「ああ、うっかり滑らせないように気を付けてください」

「……」

 引っ張ったんだろうと言い掛けてロットバルトの意図に気付き、出掛かった言葉を飲み込んだ。この場で口する内容は選ばなくてはいけないと、そう注意を促しているのだ。

 レオアリスはもう一度スランザールに視線を向けたが、スランザールは椅子に深く腰掛けてやや下を向いていて、レオアリスの方を見てはいなかった。

「――」

 階段状の通路を降り切り、被告人席の後ろ側を抜けて用意された席まで歩く。他にも七、八人が席に座っていたが、審議の記録を取る書記官の他には法術院の官吏が一人、参考人席に座っているだけだ。

 それ以外は内政官房、地政院といった各部署の事務官が傍聴で入っているだけのようだった。今回は個人的な傍聴は認められておらず、各部署の事務官も今後の処理上である為の傍聴だ。

 レオアリスが呼ばれたのは参考人の立場だった。被告席を取り囲むように張り巡らされた席の一角、被告人席の斜め後方に、正面の裁判官席と向かい合いように彼の席がある。そこからは、キーファー子爵達の表情は見えなかった。

 ロットバルトは左隣に立ち、座る前に改めて狭い法廷内を見渡した。狭い室内はほぼ満席だが、裁判官、原告側の執行官、被告、そして参考人を入れても、実際に裁判に関わる者は十名しかいない。思った以上に少人数での審議だ。

(審議の成立する最低限の体裁を整えたという事か……。その上、スランザールがいる事で既に結論は示されているようなものだ)

 この審議は、定められた結論に向かって、淡々と進められるだろう。

 傍らのレオアリスに視線を向けると、レオアリスはやや張り詰めた面持ちで斜め前にある被告席を見つめている。その表情には、イリヤの姿が無い事に納得できない思いが見て取れた。

 ロットバルトはまだ審議が始まらないのを確認し、卓に左手を付いて身を屈め、レオアリスにしか聞こえない程度に声を抑えた。

「今日は執行部に参考人として呼ばれていますので、発言は執行部から証言を求められた時のみです。そしてどんな展開であっても、貴方は第三者としての立場で事態を捉えなくてはいけない」

 敢えて分かり切った事を告げたのは、審議の目的が既に明確だからだ。ロットバルトが同席したのも、そこを見定めて発言内容を補正する為だった。

 レオアリスは瞳に迷いを浮かべたままだったが、それでも黙って頷いた。

「それと、発言内容はキーファー子爵家から情報を受けて動いた事だけを、端的に。詳細は問われれば隠す必要はありませんが、この場では経緯だけで充分です。イリヤ・キーファーの件も言及は避けてください。彼はただ西海との関わりを指摘しただけ、それだけがこの場では、彼に求められる役割になるでしょう」

 言葉に弾かれたように、レオアリスの視線がロットバルトへ向けられる。

「それは」

 かん! と硬い音を響かせ、開廷の割鐘が鳴らされる。

 法廷内が水を打ったように静まり返った。廊下とは逆の扉が開き、三名の裁判官がゆっくりと中央の高壇に昇る。彼等を追うように、視線と意識が集中する。

 真ん中に立った裁判長が法廷に一礼し、口火を切った。

「これより、キーファー子爵家及びフォルケ伯爵家に係る審議を執り行う。被告両名は起立し、氏名、階位を述べ、真実を語る事を宣誓せよ」

 二人は力なく立ち上がり、俯いたまま言われた通りに名乗り、宣誓を述べる。

 彼等が再び着席するのを待って、裁判長は手元の白い紙を広げた。

「一等執行官シェリー・カラント、本件の審議事項を述べよ」

 続いて立ち上がったのは、被告人席の右手に座っていた執行官だ。

「まずは本法廷が、被告人、原告人、参考人の出席を以って開廷条件を満たしている事を申し添えます。続いて本件審議事項ですが――」

 淡々と経緯を追って、西海との密通に関する罪状が読み上げられる。だがその中で、イリヤに直接触れられる事はなかった。

 裁判長は確認の為キーファー子爵達に顔を向けた。

「今述べた事に相違ないか」

 一呼吸置いて、異口同音に「相違ございません」と返る。

 レオアリスは何かを堪えるように眉を寄せた。

 まるでそれぞれの役をただこなすような、演習を見ているような正確さで、審議の手順が一つ一つ踏まれていく。

「では次に、本件に関して両名を捕らえた経緯についてご説明します。この件では近衛師団第一大隊大将にご出廷いただいております」

 カラントがレオアリスを示し、裁判長はレオアリスへ顔を向けた。

「近衛師団第一大隊大将、状況の報告を」

「はい」

 レオアリスは立ち上がり、一度キーファー子爵達の後ろ姿へ視線を投げた。

 彼等がどんな表情をしているのか、それを知りたいと思ったが、丸めた背中が見えるだけだ。

「第一大隊大将殿?」

 裁判長が促すようにレオアリスの名を呼ぶ。

「上将」

 レオアリスは詰めていた息を吐き出した。

「――近衛師団は、昨日夕刻に書状による情報提供を受け、証拠品の押収、師団内での協議、決定のもと、同日にキーファー子爵及びフォルケ伯爵両家を抑え、両家当主とその関係者の身柄を拘束しました」

「書状には何と書いてありましたか」

 カラントが尋ねる。

「両家の西海との繋がりと、その証拠の在処です。証拠については第一大隊右軍が書状に記されていた通りの場所から押収し、確認しました。現在は今後の捜査の為に、分析を法術院に依頼しているところです」

「証拠品は、どのようなもので、どのような力を有していましたか」

「水晶の球のような形状です。水を基に構成されていると考えられる為、自在に形を変える事が可能で、使隷としておそらく主の意思の元に動いているでしょう」

「主というのが誰か、聞きましたか」

「書状に書いてあった事で、間違いがないと考えます」

「その名前を教えてください」

「西海の三の鉾、ビュルゲル、と」

 ざわりと、後方の席がざわめいた。傍聴の事務官達の間にも緊張が走り、お互いに顔を見合わせている。カラントもまた少し青ざめた顔で頷き、再び質問を続けた。

「書状はキーファー子爵家、フォルケ伯爵家のどちらから出されたものですか」

 一瞬、どう答えるべきかを迷い、だがレオアリスははっきりと、イリヤの名を口にした。

「キーファー子爵家の、長男、イリヤ・キーファーの名で出されたものです」

 それはイリヤの名が一切語られる事無く審議が進んで行く事への、僅かな抵抗でもあった。

 レオアリスはその名への反応を待ったが、誰一人、顔を向ける者は無い。

 じわり、と腹の底が冷える。

 この感覚は、以前にもあった。

 バインドが王都に現れ、レオアリス自身がまだ知らなかった過去を、彼の周囲に呼び起こした時――、あの時、周囲の者達はやはり、ただ無表情に口を閉ざしていた。

「彼は、この件で――」

 ぐい、と腕を引かれ、レオアリスは隣を振り向いた。ロットバルトがレオアリスの手首を掴み、黙ったまま微かに首を振る。

「有難うございました、ご着席を」

 区切るようにそう言ったのは、原告側、罪を告発する立場であるはずの執行官カラントだ。

「――」

 カラントは丁寧に、だがきっぱりとレオアリスへ礼をして彼の発言が終わった事を示し、裁判長へ向き直った。

「今のご説明については、関係者に事前に確認も取れているものです。次に法術院管理部管理官から説明願います」

 彼女の言葉を意識の外で聞きながらレオアリスは腰を降ろした。

 入れ替わるように、キーファー子爵達の真後ろに座っていた男が立ち上がり、裁判官へ一礼する。

「法術院管理部マイルズです。先ほどの大将殿のお言葉通り、証拠品については昨夜当院院長アルジマールが預かりました。現在も分析が進められています。途中経過ではありますが、西海の物と見て、ほぼ間違いはないだろうとの見解です」

「形状は?」

「直径は一寸ほどの珠で、一見硝子か水晶のように見えます。刺激を与えると変化する為、現在は院長の敷いた防御陣の中で分析を行っています」

「判りました、有難うございます」

 カラントは裁判官に向き直った。

「以上です。これら参考人による証言、そして被告両名が事実関係を認めている事から、本件に疑義はないと考えます。よって被告両名には、爵位及び領地の没収、この二点を求刑します」

 裁判長は手元の木槌を取り上げ、卓上の鐘を鳴らした。

「暫時休廷とする」

 一瞬だけ時間が止まったように音が消え、すぐにざわざわとした空気が法廷内に戻る。

 レオアリスは後方の壁に据えられた時計を確認した。

 審議が始まって、半刻ほどしか経っていない。

(早い……)

 休廷――、つまりはその間に裁判官達が罪状や証言などから状況等を検分し、判決の内容を決めるのだ。再開すれば、ほぼ判決が言い渡されると考えていいだろう。

 イリヤの事を抜かせば、今回の件は証拠も明確である意味判りやすく、確かに先ほどのやり取りで大方の状況は把握できる。

 それでも、判決の段階に入るには早すぎる。

 レオアリスは足元を睨み付けた。

(まだ、終わった訳じゃない)

 まだイリヤの事が語られる機会は残っているはずだ。

「上将、一度控えの間に戻られますか」

 問われて、レオアリスはロットバルトを振り返った。先ほど言葉を継ごうとした事で改めて注意をするかと思ったが、特に何かを言うつもりはないようだ。

「再開がいつになるか判りませんし、ここでは落ち着かないでしょう」

 レオアリスもまた、問いかけたい事を飲み込んだ。

「――そうだな」

 頷いた時、彼等の左手に座っていた法術院のマイルズがレオアリスに歩み寄った。

「失礼いたします大将殿。院長アルジマールより伝言を言付かっております」

「院長から? 何て」

 レオアリスは席を離れ、マイルズの前に立った。

「朝とはいかなかったが、今日中に終わらせる、と。また改めてご連絡いたします」

「今日中……。有難うございますと、院長に」

 マイルズは頷くともう一度礼をして、彼等より先に法廷を出ていった。

「思ったより早いな」

「面子と自負、最大の推進力は好奇心でしょうね。急がなくてもいいと言っても手を止めないのでは?」

「そうかもな。俺達には有難いが」

 レオアリスは可笑しそうに笑ってそう言い、階段を昇って廊下へ出た。廊下の奥に控えの間がある。

「とにかくあれが分析できれば、そこから後の二体を追える。途中だって何だって、今すぐにでも情報が欲しいくらいだ」

 ふと気付いたように、ロットバルトはレオアリスの後ろの空間辺りを示した。そこに何がある、という訳ではなく、感覚として、の仕草だろう。

「貴方の伝令使では追えないんですか?」

 レオアリスの伝令使、或いは使い魔とも呼ぶが、離れた場所への伝言だけではなく、探索もできる。

 普段は姿を見せないが、レオアリスが呼べばどこにでも姿を見せた。レオアリスの祖父達との繋がりを思わせる、黒い鳥だ。

「カイも情報が無いとな。やっぱりあいつも現存の法術の範囲だから」

「ああ、なるほど」

「でも確かに、情報があればカイなら追える」

 少し声に自慢そうな響きがあるのは、カイの能力への信頼からだろう。

 ロットバルトは控えの間の扉を開け、レオアリスを先に入れた。

 扉の閉じる音と同時に、レオアリスが顔を上げる。打って変わった、苛立ちの強い顔だった。

「あんな風に進むのか。結果なんて判り切ってるんじゃないか」

 違う話題で紛らわせても、その疑問――いや、不満が消えない。

 まるでロットバルトを責めるような口調だったが、ロットバルトは冷静な視線を返した。

「予想していた事です。再開後、すぐに判決が出るでしょう」

「イリヤの事は何も触れられてない。それで判決かよ」

「それが当然です」

「けど」

 あんなにも、まるでイリヤの存在自体が無いかのように進んで行くのは、納得が行かない。

「この場でイリヤの過去が明らかになっても、彼にとって事態が好転する訳ではありません。むしろ触れずに進んだ方が結果的にはいい」

「――」

 ロットバルトは、足元に視線を落としたレオアリスを見つめた。

 レオアリスが事態を理解していない訳ではない。

 だがあくまで彼が無意識に見、信じていたのは理想であり、希望だ。

 ファルシオンの、そして、イリヤの。

 ただそれだけの事だ、それさえ気にしなければこの件は丸く収まると――、一足飛びにそう言うのは、まだ乱暴なのだろう。

「再開まで時間はある、お座りください」

 レオアリスはロットバルトが示した長椅子に目をやり、一つ息を吐いてそれに腰掛けた。

 ロットバルトは部屋に備えてあった水差しから硝子の杯に水を注ぎ、レオアリスの前に置くと、その正面に座る。

「……この審議、先ほど貴方自身がそう仰ったように、初めから決まっている結果を、公に示す為だけに開かれたものでしょう」

 レオアリスは黙ってロットバルトを見つめ、卓上に置かた水に手を伸ばした。喉の渇きを潤すというよりは、気持ちを落ち着かせる為に、水を飲み干す。

「キーファー子爵もフォルケ伯爵も、司法取引をしているはずです」

 卓に戻しかけていた硝子の杯が、艶やかな卓の表面に当たり、硬い音を立てた。

「取り引き? 司法取引って」

 ある証言をする代わりに、罪を減じさせる手段だ。両者にとって益がある場合に、しばしばこの手法が取られる。

「何で、今回――」

「イリヤ・キーファーの事を無かった事にする代わりに、王位継承権纂奪の目論見についても不問にされる。おそらく求刑通り爵位剥奪と領地の没収となるでしょうが、死罪は免じられます」

「そんな」

 そんな事が罷り通るのかと苛立ちさえ覚えたが、ロットバルトの口調はそれを当然の事だと考えているように平淡だ。

「イリヤ・キーファーも同様。あくまで西海との関わりだけを以って、この件は幕を閉じる」

「お前が想定する筋書きか」

 振り切るようにレオアリスは席を立ち、その場を離れかけて、次の言葉に足を止めた。

「王の筋書きです」

 ぎくりと、頬を強ばらせて振り返る。

「この審議をどなたが作っているか、何の為に敢えてこうした形式を取っているか、貴方にも判るはずです」

「――けど、それじゃあイリヤは」

 それでは、無かった事になる。

 何も――

 イリヤの存在そのもの、ファルシオンの期待。そして、

「王の」

 青い花。あの密やかさ。

「逆の事を想定してください。もし、イリヤが王の子だと公然と示された場合、彼がどう処遇されるか」

「――」

 イリヤの過去が判明した場合。

 王子として、王家に受け入れられるか。

 第一王位継承者として、歓喜の声で迎えられるか。

 新たな、いずれ王となる存在として――?

(……違う)

 それならば、十八年前のあの時に、イリヤ一人だけでも罪を免じられ、王子として留められたはずだ。

 あれほどに、イリヤの存在を伏せる必要などなかったはずだ。

「イリヤ・キーファーが彼の血統を認められたとして、待っているのは死か――、良くて一生を幽閉され虜囚の身で終わる事です」

 ロットバルトの言葉は容赦がない。

「――だからって、あんなふうに、ただ丸く納まるのか……」

 そう言いながらも、いや、口にすればするほど、それ以外にイリヤに道が無い事が鮮明に理解できた。

 何の為にこの審議があるのか。

 王が、イリヤを切り離そうとしているのが何の為か。

 「第二王妃の息子」という存在から無関係にならない限り、イリヤに生きる道も、自由もない。

 それが、この事実が長い間伏せられてきた、最大の理由だ。

「第二王妃の子、ミオスティリヤが生きていると判った時点で、十八年前の罪もまた甦る」

 王は――十八年前にイリヤを「殺し」、そして今切り離す事で、イリヤを生かそうとしている。

 それでも、まだ何か道が無いかと、レオアリスは言葉を継いだ。

「――他の、やり方は」

「ありません。……いえ、あってはならないと、そう言うべきでしょう」

「あってはならない……?」

「上将。王には、もうお一人、慮らなくてはならない方がおられます」

 ロットバルトの言葉は淡々としているが、静かな室内でくっきりと形を成す。

「暗殺された第一王子の母君――ファルシオン殿下の母君」

 レオアリスは深く息を吐いた。

「正妃殿下です」

 今の今まで、そのひとの事を考えていなかった。

 正妃は長く子供に恵まれなかった。周囲からの子供を望む声は多大な負担と心痛を追わせただろう。

 だが、正妃自身が一番、我が子の誕生を望んでいたはずだ。

 待ち侘びた子供を一日のうちに奪われた母親が、どれほどの思いをしていたか――。

 単純にイリヤを認め、王家に再び迎え入れるなど、できる訳が無い。

(そうか……)

 だからこそ、王は、あの密やかな青い花を、ただ庭園の片隅に植えたのだ。

「――」

 沈黙を破るように扉が叩かれる。一呼吸置いて扉が開き、事務官が顔を出した。

「審議を再開します。法廷へお越しください」



 審議は予想に違わず、もはや判り切った一つの結論に向けて進められるものだった。

 再開後、ほとんど間を置かず、裁判長は被告二人に真っ直ぐ顔を向けた。

「判決を言い渡す」

 室内の空気が張り詰める。

(これで、終わりだ)

 イリヤは王子として認められないまま、それでも命は救われる。

 それが、一番いい方法なのだろう。

 ファルシオンは兄に会う事は叶わないが、いずれファルシオンが納得できる年齢になった時、王から語られる事はあるかもしれない。

(これしか、無い)

 ふと視線を上げ、レオアリスは息を飲んだ。

「閣下――まさか」

 微かな呟きを耳に止め、レオアリスの見上げた先を追って、ロットバルトもまた僅かに瞳を見開いた。

 裁判官席の上部には、半円状に張り出すように、もう一つ席が設けられている。これは第四法廷に限らず、どこも造りは変わらない。

 王が裁判に列席する際の高座だ。

 そこに今、近衛師団総将、アヴァロンの姿があった。

 アヴァロンがいるという事は、王の警護の為だ。

 アヴァロンのすぐ背後には薄い紗幕が掛けられている。

 その向こうに、王が来ている。

 レオアリスは呼吸を忘れ、束の間白い紗幕を見つめた。

(陛下――)

 心臓が高鳴る。

 王は、この審議の結末を見定めに来たのだろうか。

 それがあり得ないと判っていながらも、イリヤがここにいれば、と、そう思わずにはいられなかった。

 紗幕ごしにであっても、例え声を掛ける事すらなくても――、せめてその姿だけでも、イリヤが見る事ができていれば。

 ――王が。

 判決が読み上げられていく。

「西海との謀略、西海の軍の要職にある者の入国を手引きし、尚且つその使隷を密かに保持した事は、両国間の不可侵条約に抵触する、重大な罪である。

「よって、キーファー子爵家並びにフォルケ伯爵家は爵位剥奪、領地及び一部財産の没収、更に王都からの永久追放を申し渡す」

 しん、と法廷内が静まり返る。

 レオアリスは視線を上げてアヴァロンが立つ高座を見つめたが、紗幕が揺れる様子はなかった。

「異議申し立てはあるか」

「――ごさいません」

 低い、蚊の鳴くような声で二人は答えた。

「以上、閉廷とする」

 かん! と割鐘の音が法廷内を支配し、審議の終わりを告げた。

 全ては、幕を閉じる。

 僅か一刻の審議でありながら、王の前で下されたこの結果が覆る事はない。

 ぐっと拳を握り締めて湧き上がる言葉を抑え込み、それから微かな風を感じた気がして、レオアリスは顔を上げた。

 その瞳が見開かれる。

 正面の王が座す為の高座の、紗幕が上がっている。

 王がそこに立ち、法廷を見下ろしている姿が見えた。

「――陛」

 奥まった場所に立っているせいで光が遮られ、王の上には陰が落ちかかり、表情は良く見えない。

 王は一度、レオアリスに視線を投げた。

 金色の瞳の奥の、複雑な光。

 その光と眼差しを、レオアリスは確かに見た覚えがある。

 王の私室で――庭園に向けられていた、あの。

 一瞬の間の後、王の視線はレオアリスの上から逸れた。

 紗幕が揺れ、王の姿はその向こうに消えた。



 法廷を出ると、廊下に横たわっていた冷えた空気が身を包んだ。

 少ない人数で、それ以上に淡々と進みながらも、法廷内にはいつの間にか熱が籠もっていたのだろう。

 それとも今回の結論そのものが、余計に空気の冷たさを感じさせているのかもしれない。

 レオアリスは暫くじっと廊下に立っていたが、顔を上げ、ロットバルトを振り返った。

「ロットバルト。この後のイリヤの動きを調べてくれないか」

「……何の為にですか」

 ロットバルトは僅かに警戒の色を浮かべたが、それも当然だ。これ以上近衛師団として、イリヤに関わる義務はない。むしろ王都からの追放が決まった今、もうイリヤには関わるべきではないのだ。

 それを口にしようとしたロットバルトの前で、レオアリスはあっさりと首を振った。

「判らない。まだ」

 意外な答えへの驚きを表すように、ロットバルトが眉を上げる。

「近衛師団としてじゃなくて、個人的な頼みだ。だから断ってくれてもいい」

 レオアリス自身、何をしたいのか定まってはいない。ただ、この後イリヤがどう処遇されるのか、それを知りたかった。

 王の瞳を見たからだ。

 ロットバルトは暫く腕を組んで考えていたが、それほど間も置かず、頷いた。

「判りました。後ほどご報告します。屋敷へ伺う事になりますが」

「何時でもいい。――悪いな」

 これ以上、何もできる事はない。判決は王が定め、そしてそこには明確な目的と理由がある。

 それは判っていたが、レオアリスは脳裏に揺れるあの花を、ただ思い浮かべていた。


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