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王の剣士4「かりそめの宴」  作者: 雅
第四章「生者達の舞踏」
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第四章「生者達の舞踏」(六)

 赤の塔に収監され眠りの無い一夜を過ごす間、イリヤのすべき事はただ、扉が開かれる時を待つだけだった。

 それが開かれれば、そこにあるのは、イリヤの望んだ結末だ。

「十八年越し――いや、俺にしてみればたった三ヶ月の感動の再会ってところか」

 意外と大した事が無い。たった三ヶ月で辿り着いた。

「まあ、まだ手前だけど」

 監獄にしては上等な寝台に横たわり、煤けて無愛想な石の天井を見上げる。

 最初の一言を、何と言おう。

 さすがに緊張があるようで、鼓動が早まってくる。

 この場所の、すぐ傍にいるのだ。

 この国の王。

 イリヤの母を捨てた男。

 顔も知らない、イリヤの父親だ。

 鼓動が早まり、それが何かを語りかけてくるように感じ、イリヤは忌々しそうに唇を噛んだ。

「落ち着けよ――」

 口にしてみたが、鼓動は落ち着く事をしなかった。

 それでも、どうせあと少しで、鼓動を鬱陶しく思う事などもなくなる。

 イリヤはごろりと体を返し、室内を眺めた。

 三間四方の部屋は、鉄格子のはまった小窓のある扉を正面にして寝台が左側に、右側の壁には小振りながら暖炉も設けられている。お飾りではない証拠に、今も赤々と炎が燃えていた。

 奥の壁際に飾り気の無い文机と椅子、その壁を見上げれば、高いところに小さいが二つ、明かり取りの窓もあり、午後の陽射しを僅かながらも取り入れている。空を見上げる程度の役割しか果たさない上、当然、鉄格子がはまったものだ。尤も鉄格子がなくとも間口は狭く、子供でも通り抜けられるものではない。

 そしてご丁寧に、もう一部屋、洗面や用を足す為の小部屋まである。

 囚人にしては破格の待遇の部屋だと言えた。元々それなりの身分の者が入る所なのだろう。

「出られたか、知らないけど」

 この最上階――イリヤには自分が何階にいるのかも判らなかったが、ここに他に部屋があるのかは、扉の小窓からは見る事ができなかった。声を聞く事がまだなかったため、部屋は無いか、誰も入っていないのかもしれない。

(キーファー子爵は、どうしたかな……)

 彼等が望んだ事とはいえ、イリヤは彼等の甘い希望を助長してみせた。王に近付き、王の子息として――、今のファルシオンを押し退け、第一王位継承者として認められる事を彼等が望んでいたように、自分もそれを目指していると、そういう態度を取っていた。

 彼等はまさか、イリヤがこんな手段を取るとは思ってもみなかっただろう。

 その結果、当然の如く今の状態にある訳だが、この赤の塔とは今後一生を、或いは処刑を待つ数日を、ただ過ごす為だけの監獄だ。

 扉が開けば、それはすなわち。

(――悪い事をしたな)

 特に、キーファー子爵には。ラナエの、父親だというのに。

 ラナエは、どうしただろう。

 脳裏に浮かんだ明るい笑みは、街にいた頃のものだ。王都に上がってから一回だけ会ったが、笑っていたか思い出せない。悲しそうな瞳だけが、印象に残っている。

(――)

 レオアリスは、イリヤの頼みを聞いてくれる気はあるだろうか。

 せめてラナエだけは、どこか小さな村ででも、平穏に暮らせるように取り計らって貰えないだろうか。

 ぎり、と唇を噛み締める。

 勝手な言い分だ。

 良く、判っている。

 彼女の父を追い込んだのはイリヤ自身だ。

 きっとラナエは、イリヤを憎んでいるに違いない。

 胸の奥を切り裂くような、抉るような痛みに、イリヤは両手の拳を握り込んだ。

(それでいい――もう、俺は)

 身体の右側を下にして、今度は反対を向き直る。そうすると剥き出しの石を組んだ素っ気ない壁だけが見える。

「もうすぐ」

 イリヤは片方の手で右目を覆い隠す。

「もうすぐ、終わるから」

 ふいに、ラナエにもう一度会いたいと強烈なまでに思い、それを追い出すようにもう一方の手で左目も覆った。

 身体を丸め、両目を覆い隠し、明り取りの窓から落ちる申し訳程度の陽射しに背を向けて、イリヤはずっと眠りもせずに、瞼の裏に広がる闇を見つめていた。

 

 

 

 低い空を薄い雲が流れる。空は青く晴れていたが、王都の上に覆い被さるように見えた。

 城下の街は変わらない賑わいと騒めきに溢れ、もうすぐ迎える新年に少し忙しそうだ。

 レオアリスは飛竜の背から街並みを見下ろし、普段より多く軒を連ねている露店や通りのあちこちに掲げられ始めた王旗に、今更ながらに年の瀬が迫っている事を思った。

(そうか――。あと三日で年が明けるのか……)

 こんな時期まですっかり意識の外に置いていた事に、改めて驚きを覚える。

 年明けは王城で祝賀式典があり近衛師団は警備に当たる上、中将以上は祝賀式典へ出席する。基本的に段取りは決まっているものの、その確認をまだしていなかった。

(帰ったら、警備の流れを確認しなくちゃな)

「どうかしましたか?」

 飛竜を並べていたヴィルトールが、レオアリスの横顔を眺める。

「いや、もうすぐ新年だと思ってさ。式典の警護があるだろう」

「ああ、そう言えば」

 ヴィルトールも今更ながら思い出したという顔つきをする。

「今年は何だか、この件に気を取られていてぜんぜん雰囲気ないですね……まぁ我々だけで周りは慌しいのかもしれませんけど。年越しに打ち上げる花火なんか、どうやって一番いい見物場所を確保しようか、毎年今頃から考えてたものですが」

「王城の上に上がるから、どこからでも見え方は同じだろ?」

「とんでもない! 妻や娘と一緒に見る場所ですから重要です! あ、明後日公休ください!」

 再び、ヴィルトールの眼はものすごく真剣な光を浮かべている。

「……いいよ」

「ありがとうございます!」

 ヴィルトールは飛竜の上で頭を下げた。

 何だか今日はヴィルトールの違う一面を見てるよなぁ、と思いながら、レオアリスは視線を正面の王城へ向けた。

 王都での年越しはもう三度経験しているが、確かに真夜中に打ち上がる花火の美しさは、記憶にはっきり残っている。ヴィルトールにああは言ったが、レオアリスも屋根の上に登って眺めたりしていた。

 闇に打ち上がる大輪の火の花は、王都の華やかさをそのまま表したように思えた。

「年明けの花火に、式典に、祝砲か……」

 似合わない言葉だと、そんな想いが強い。この状況には。

 イリヤの事を抱えたまま、華やかさだけに眼を向けられるものだろうか。この三日の内に、果たしてそんな状態に戻れるのか、疑問の方が大きかった。

 ただ、レオアリスは口に出しては、もう一つの懸案だけを呟いた。

「――年内に、西海の事は片を付けたいな」

「そうですね、本当に」

 ヴィルトールも頷き、レオアリスの後から、眼下の第一大隊士官棟へ飛竜を下ろす。

 厩舎の係官がレオアリスの飛竜の手綱を受け取りに近付くのへ、レオアリスはハヤテの上から首を巡らせた。

「グランスレイは?」

「お戻りです」

 それを聞くと、レオアリスはハヤテから飛び降り、銀翼の飛竜の首を撫でるのもそこそこに厩舎を駆け出していく。ヴィルトールは苦笑して、不満そうなハヤテの首を代わりに叩いた。

 レオアリスを追いかけて棟の入り口の階段を登ったところで、ちょうど事務官のウィンレットと鉢合わせた。ウィンレットは急いでいたのか慌てて立ち止まり、ヴィルトールに敬礼を向ける。

「どうしたんだ?」

「ヴィルトール中将、失礼しました! 上将のお姿が見えたので、これをお持ちしようと」

 差し出された一通の書状を受け取り、封筒に浮き彫りにされている紋章に、ヴィルトールは眉を顰めた。

「司法か……」

「つい先ほど届けられたところで」

「私からお渡ししておくよ、ありがとう」

 ウィンレットに片手を上げて礼を言い、ヴィルトールは灰色がかった封筒を裏返しながら、中庭に出た。宛先は第一大隊大将、差出しの部署名は、司法庁執行部となっている。司法庁の中枢の部署だ。

(――案件は重そうだな)

 ヴィルトールは足を早めて中庭を抜け、執務室の扉を開けた。

 扉を開いてまず最初に耳に飛び込んできたのは、レオアリスの落胆した声だった。

「お会いいただけないのか……」

 レオアリスの執務机の前に立っているのはグランスレイで、机を挟んで窓際に立つレオアリスはまだ外套も脱いでいない。グランスレイは厳しい眉根に、少しばかり宥めるような色を浮かべた。

「こればかりは仕方ありません。単に王のご公務のご都合もあるでしょう。また日を改めて申請をされればいい事ですし、明日はまた王の警護があります。そこでお話をする機会もあるかもしれません」

「――そうだな」

 レオアリスは椅子に腰掛けると、机の上に肘をついて組んだ手に額を寄せ、俯きがちに視線を机の上に落とした。

 明日では遅いという内心の焦りを抑えようとしているのが、組んだ手からも伝わってくる。

「――」

 ロットバルトは自分の執務机の前に座っていたが、扉の前に立っていたヴィルトールの手許に気付き、ふと瞳を細めた。

「それは? 司法の?」

 封筒の色で、どの部署から差し出されたかは判るようになっている。薄い灰色がかった封筒は、司法庁が使っているものだ。

「司法?」

 その単語に、レオアリスは顔を上げた。

「さっきウィンレットから預かりました。大将宛です」

 ヴィルトールはレオアリスの執務机に近寄り、机の上に丁寧に置いた。

「――司法か……一度状況説明の必要があったな……」

 今後のキーファー子爵家とフォルケ伯爵家の審議に於いて、レオアリスは幾度か法廷に立つ必要が出てくる可能性がある。

 その前に事実関係の確認が要るのだろうと、そう思いながらレオアリスは書状を取り上げ、封を切った。

「来いという事ですか?」

「――いや」

 書状に目を落としたまま、次第にレオアリスの表情が凍り付いていく。

「馬鹿な……、いきなり」

 レオアリスの呟きに、ロットバルトとグランスレイも厳しい色を刷いて執務机に近寄る。

「司法は、何と」

 レオアリスは唇を噛み締めたまま、書状を机の上に置いた。開いた用紙の上で、右手の拳を握り締める。

「……キーファー子爵家の案件について、法廷への出廷要請だ」

「法廷? ――いつ」

「今日」

 ヴィルトールが驚きに瞳を見開き、ロットバルトとグランスレイは一瞬、瞳を見交わす。事態が早く動くのではないかと話していたのは、つい先ほどの事だ。

「今日、ですか」

「夕刻、七刻から審判を開始するとある」

 グランスレイが机の上に置かれた書状を取り、文面を確認していく。

 そこに記されているのは確かに、キーファー子爵家、及びフォルケ伯爵家の案件に関する審議に、レオアリスの出廷を求める内容だ。

「場所は、第四法廷か」

「第四……狭いですね。しかも同時とは」

 第四法廷は比較的軽易な案件を審議する為のもので、人数も三十名ほどしか入れない。関係者以外は傍聴にも入れないほどの狭い部屋だ。

 子爵、伯爵家双方に係る審議を行うには、通常大法廷が使われてもいいはずが、何故第四法廷なのか。

 そして昨日の今日とは、余りに早い。そこまで早い開廷は、ほとんど例を見なかった。

(いや……、一つ)

 例を見ない迅速さで審議、結審されたものがある。それこそが今回の根源にある事件だ。

 ロットバルトは視線を上げ、レオアリスを見た。

 レオアリスもまたそれに気付いているのだろう、鋭い光を帯びた視線を返す。ロットバルトはグランスレイを振り返り、厳しく眉根を寄せた顔を見つめた。

「同席は可能だったはずですが」

「副将、もしくはその代理一名が認められている」

「では」

 グランスレイが頷く。

「意見を求められる事もあるだろう、お前に同席してもらおう」

「有難うございます。――イリヤ・キーファーの出廷は?」

 それに答えたのは、レオアリスだった。強ばった、硬い響き。

 それがこれから行われる審議の結果を、既に物語っているようだった。

「無い」


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