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王の剣士4「かりそめの宴」  作者: 雅
第四章「生者達の舞踏」
38/59

「青い花」(四)

 シーリィアと王との出会いは、暖かい春の陽差しの中、居城の庭園の噴水のほとりだったのだ、と物語は語る。

 

 

 

 シーリィア・ルイーズ・ウィネスは南方オルブリオという街の、ウィネス男爵家の三女として生まれ育った。彼女が生まれる前から家は既に傾き、ゆるやかな坂道を転がるように衰退の一途を辿っていた。

 男爵家は長く続いていた由緒ある家柄だが、シーリィアの父は政治や商業的手腕に長けた男ではなく、前当主から引き継いだ領地の経営は早くから失敗していた。領地の管理に伴う経費は既に負担となっていたが、ただ領地とは勝手に手放せるものではなく、土地から入る税収等の一部を利益として得られる一方で、財政が厳しくとも抱え続けなければならなという側面がある。

 もし領地を縮小したければ、王へ諸事情を詳細に報告した上で許可を得、地政院での正式な手続きを踏まなくてはいけない。それは自ら不能力を曝け出す、不名誉な事だった。

 ウィネス男爵は一切、領地の返上などという考えは認めなかった。しかし領地の管理が十分に行えず領民に不利益を与えると王が判断すれば、領主からの申告に依らずとも地政院は一旦その領主から土地を接収する事ができる。それは更に不名誉で、男爵家が実質的に終わる事を意味した。

 ウィネス男爵は目減りしていく財産を取り戻そうと鉱山の開拓に手を付けたが、多大な投資とは裏腹に想定していた鉱脈は見つからず、更に家計を圧迫する結果となった。

 それでも父の治めていた徃時の繁栄が忘れられず、虚栄心の強い性格もあって、財政に合わせて生活水準を落とすという事ができない。遊行、奢侈(しゃし)な調度品や装飾品、贅沢な食卓。財政状況が許さなくとも、ウィネス男爵がそれらを手放す事はなかった。

 窮状に付け込む輩が寄ってきては儲け話があると甘い言葉を囁かれ、それに乗って金を渡したものの金だけを持ち逃げされる、という事が重なり、やがては周辺の領主達からも援助すら断られるまでになる。

 ついに調度品や宝飾品を削るように売り出すに至って、ウィネス男爵は酒に逃げ、夫人は日々己の不運を誰彼構わず口にし続けていた。

 男爵家は凋落し、シーリィアが十七になる頃には唯一の財産とも言える広い屋敷もあちこちが傷み、傾いだ印象を与えるようになっていた。

 まだ若いシーリィアがそれをどう見ていたのか。真っ昼間から酒に溺れる父と、毎日延々と父を責め立てる母とを見るのは苦痛だっただろう。

 シーリィア自身はそれを嘆く事もなく、優雅で華やかな生活よりも穏やかな日常を、きらびやかな服や装飾品で身を飾るよりも野辺に咲く小さな花を好むような娘だったが、両親はそれだけでは立ち直れないと判ってもいた。

 家計を少しでも助ける為にと、王城への出仕を望んだのはシーリィア自身だ。

 

 

 ある日、シーリィアは思いを決して父母に告げた。

「お父様、お母様、わたくし、王都に出稼ぎに行ってまいります」

「で、『出稼ぎ』?!」

 娘の言葉にぎょっと顔を引きつらせた両親の前で、シーリィアはにこりと笑った。

「はい。王城への紹介状を書いてくださいませ。王城のお給金はとてもよろしいと聞いております。わたくしが王城に上がればお給金を入れる事もできますし、何より食費がかかりません。衣裳もお仕着せがございますし、そうすると今わたくしにかけていただいている生活費がそっくり浮くのです」

 ウィネス男爵の子女教育だけは間違っていなかった。シーリィアは楚々としながら現実を見据えた口振りで両親を説得し、王城に働きに出たのだった。十七の冬の終わりの事だ。

 

 もともと、子爵位以下の貴族や富裕層の慣わしとして、一流の礼儀作法を身に付けるという名目のもと、一定の期間娘を王城へ出仕させる家は多い。その裏の目的は、王都での良縁を得る事だ。高い地位の貴族に見初められれば尚良いが、国政の中心にある官僚や軍の高級将校などもまた、魅力ある相手だった。

 シーリィアの出仕に当たっては、ウィネス男爵も当然、王都での良縁に期待した。二人の姉は既に嫁いだものの、嫁ぎ先はウィネス男爵家にかつての繁栄をもたらすほどの家ではなかった。ウィネス男爵にはもう、彼が良縁と考えるような縁談を組む力もなかったのだ。

 シーリィアは透き通るような肌と緑柱石の瞳を持ち、穏やかで聡明な、領内でも評判の美しい娘だった。ウィネス男爵はそこに一方ならぬ期待をかけてもいただろう。

 もしかしたら、という期待で、ウィネス男爵も男爵夫人も少し身持ちを取り戻した。それよりも由緒ある男爵家の子女として育ててきた娘から「出稼ぎ」などという言葉が飛び出した事が、彼等に少なからぬ衝撃を与えたのかもしれないが、どちらもシーリィアの意図したところだっただろう。

 申請を出してひと月後、シーリィアは王の居城の管理官として上がる事が認められた。

 そしてみ月も経たない内に、ウィネス男爵の期待どおり――いや、期待以上の幸運を呼び込んだ。

 

 

 

 シーリイアと王との出会いは、暖かい春の陽差しの中、居城の庭園の噴水のほとりだったのだ、と今でも物語りは語る。

 春の陽射しの柔らかな、穏やかで暖かい一日の、緑の若葉から零れる木漏れ日の中。

 もっとも二人の出会いを実際に眼にした者などいなかったが、そうした情景はこの幸運な物語を囁き交わす人々に好まれた。

 

 

 王都はシーリィアの想像以上に巨大で華やかであり、また想像も付かないほどの人に溢れ、喧騒に満ちていた。街でありながら、一つの国のようにすら思えた。

 ただシーリィアも余り城下に出る機会があった訳ではなく、また街に出て歩き回ってみたいと思うには、少し賑やか過ぎた。

 王城の他の侍従達は城下に降りて買い物をしたり食事をする事などを楽しみにしていたが、シーリィアはそうした事に使う金も全て、故郷へ送っていた。

 それにシーリィアにしてみれば、林や小川があって野草を摘める草地があった方がいい。時折、王城から見渡す街並に驚嘆の溜息をつくくらいで満足で、それよりも出仕先の居城内の方が広い庭園があり、静かで、彼女には落ち着ける場所だっただろう。

 居城での仕事は役割が細かく決められている。規則規律が厳しく、決して見た目ほど華やかな仕事ではなかったが、報酬はきちんともらえた。礼儀作法に関しては、管理官長から厳しく指導される。だからこその「行儀見習い」という名目でもあった。

 家事一般は一通り学んできたが、ここではそれらは完全に個別の仕事として、規律の元に粛々と進められていた。当初はその規律化された仕組みに驚きもしたが、それも当然だ。この場所は、この国の王が住まう城なのだから。

 朝は日の出る頃に起き夕方までの勤務、逆に三日に一度は夕方から明け方までの勤務がある。その間に一日、休日を挟んだ。

 王都へやってきて、ふた月ばかり過ぎた頃だっただろう。

 その日シーリィアは東の館の掃除の役を割り振られた。

 東の館は、今は無人だ。そこはいずれ――、第一王位継承者となるべき王子が住まう為の館だった。

 白く輝くような建物と、美しい庭園。そこが無人である事が意味する、後継者の不在。

 王と王妃の間には、未だ子供がいなかった。軽々しく口に出すべき事柄ではないが、居城の侍従達は誰もが、無人の館を眼にする度に一抹の寂しさを感じていた。

 それでも、近い内にここに多くの侍従達が控え、笑い声が弾ける事を願うように。こうして侍従達が日々、無人の館を大切に磨き上げる。

 シーリィアは館の庭園の入り口に立ち、やはりそうした想いをもって館と庭園を見つめた。

「さあ、うんと綺麗にしなくては」

 いずれ、可愛らしい王子が、この場所を駆け回るのだから。

 今日は庭園の噴水と、その周囲の彫刻などの清掃が彼女の分担だ。邸内は先輩の侍従達が担当していて一番日の浅いシーリィアが庭園という事になったのだが、春も半ばの陽射しは十分に温かく、空も青く澄み渡り風も穏やかで、庭園での仕事は気持ちがいい位だ。

 水を入れる為の桶と掃除用具を持って、シーリィアは広い庭園を渡りはじめた。庭師が毎日きちんと手を入れている植え込みの間を通り抜けながら、そこに咲く花々に頬を綻ばせる。

 薄桃色の花海棠(はなかいどう)、黄色の花びらを重ねた八重山吹、紫の房を枝垂れさせる藤。小さな白い花を垂れる鈴蘭が路の脇に、その傍で誇らしげに黄金の花の房を一面に広げる金雀枝(えにしだ)

 ずっとこの庭園は、花を咲き綻ばせながら主を待っている。

 その時が早く訪れればいいと、シーリィアも思った。もしかしたらもう直ぐにでも現実になって、シーリィアも王子の傍に仕える事ができるかもしれない。

 中央の噴水に近付いたところで、シーリィアは一度足を止めた。誰も居ないはずの庭園に、小さな声が聞こえたのだ。

 最初は王子の事を想像していたからかと思ったが、違う。

 噴水が前方にあり、その傍に背の高い立派な枝振りの榎が植えられている。声はその辺りからしていた。猫の鳴き声だ。

 シーリィアは樹に近付き、声のする方を見上げた。

「まあ」

 青い空に向かって張り出した樹木の、ずっと高い枝の根元に、猫がいる。自力で降りられない場所までどうやって登ったのか、細い枝の上で身を縮めている状態だった。

 シーリィアに助けを求めているのか、それともこんな現場を見られてしまい猫の尊厳を傷付けられたと感じているのか、非常に情けない表情だ。

 ちょい、と前足を伸ばしては頼りなく引っ込める姿は、到底自力で降りられるようには見えなかった。

「――貴方よりわたくしの方が、木登りは得意かもしれないわね」

 おかしそうに笑い、シーリィアはそっと辺りを見回した。人気の無い事を確認して掃除用具を足元に置くと、故郷の林で遊んだ時そのままに、靴と靴下を脱いで器用に樹に登り始めた。

 猫まで辿り着き、いざ下を見ると、なるほど猫が躊躇するのも頷ける。

 枝の間隔が、降りるには少し開き過ぎていた。特に上から二番目と三番目の枝は、シーリィアの身長よりも間隔がある。猫を抱えて足場の少ない幹を伝い降りるのは至難の業だ。

「あら、大変だわ」

 誰か人を呼ぼうにも館は遠く、声が届くとは思えない。暫く思案した結果、とにかく猫を前掛けに包んでそれを背中に背負い、そろそろと樹の幹を降り始めた。

 一番間隔が開いている枝の根元から両手でぶらさがり、爪先を下の枝にうんと伸ばした時だ。芝を踏む微かな音がして、声がかかった。

「何をしている」

 両腕を伸ばしてぶらさがった少々厳しい態勢のまま、シーリィアは視線だけを下に向けた。後ろを振り返る事ができなかった為、見えたのはゆったりとした長衣に包まれた足だけだ。

「ご覧のとおり、猫を降ろそうとしております」

 声の主は暫く沈黙した。

「ご覧の通り……?」

 猫は背中に袋状にした布の中にいた為、相手からは見えなかったようだ。次第に痺れてくる手に何とか力を入れなおそうとしながら、シーリィアは答えた。

「眼でご覧いただけなくとも、この世界には様々なものがございます」

「――なるほど」

 相手は納得したようなので、シーリィアはぶら下がったままの体勢から抜け出す為に、そおっと枝の先端へと移動し始めた。枝が重みでたわみ、葉擦れの音が辺りに散る。

「何故、わざわざ細い方へ行く?」

 降りるのを手伝っても良さそうなものだが、男はどうやらシーリィアの行動に非常に興味をそそられたのか、またそう問いかけた。シーリィアは移動する事に意識を集中しながら、律儀に答えようとしたが

「枝がたわめば、足がつくのではと――」

 とまで言ったところで、枝は重みに耐えかねて、軽快な音を立てて折れた。

 あっと思う間もなく、シーリィアは落下した。

 だが予想した衝撃は無く、代わりに風がふわりと身体を受け止める。

 何故地面にぶつからないのだろうと思いながら、瞑っていた瞳を開いた先に、覗き込むように立つ男の姿があった。

 銀の髪と、深い色を湛えた金色の瞳。

 まず初めに思ったのは、この相手は完全に、呆れている、という事だった。

 

 

 その出会いからおよそ三ヵ月後、シーリィアは夏が過ぎる頃に、第二王妃として王家に迎えられた。

 当時正妃は長く子に恵まれず、王家には嫡子が無かった。王が側室を迎える事を望む声は幾ら声を潜めても、どこかから必ず聞こえて来る。それらには純粋に後継者を望むが故のものもあり、また自らが王家の権力に近付きたい一心のものもあった。

 それらの声が正妃に多少なりと、精神的な重圧を負わせていた事も、原因の一つとしてあったのかもしれない。

 ともかく、傾いた男爵家から一夜にして王家の一員になる――。華々しい、誰もが一度は憧れるような物語だ。決して喜ぶ声ばかりではなかったものの、若い第二王妃は国民の間で歓待をもって迎えられ、同時に嫡子の誕生を望む声も高まって行った。

 王がどちらか一方にだけ心を傾ける、という事は無かった。複数の王妃の存在も、国家にとっては必要な仕組みとも言えるからだ。だからこそ正妃と第二王妃という立場でありながら、二人は時折、正妃の館の庭園で談笑を交わす事もあった。

 だが、もしも、王がどちらか一方にのみ、ひと時なりと心を傾けていれば、その後の悲劇は起きなかったのではないかと、口に出さずとも考えた者はいただろう。

 シーリィアはやがて、周囲の期待通り王の子を身篭った。

 国民の期待、中でもウィネス男爵の期待はひとしおだったはずだ。

 第二王妃の懐妊の報が国中を駆け巡ると、各領主達はこぞって祝いの品を献上し、王都へと参じた。その中にはウィネス男爵への祝儀も数多くあっただろう。ウィネス男爵家は急速に、往時の、それ以上の繁栄を取り戻していった。

 国内はこのめでたい報せに沸きかえったが――、その十日後に、正妃の懐妊もまた明らかになった。

 戸惑う諸侯や国民が見つけ出した納得のいく答えは、正妃が懐妊したのが男子であり、シーリィアが懐妊したのが女子であれば、という結果だ。それが一番平穏な結果だからだ。

 もしシーリィアの子供が男子であっても、正妃の子供もまた、男子である事を。正妃が王子を出産すれば、産み月に関わりなく、その子に第一王位継承権が与えられる。

 正妃の子供がおそらく男子だろう、と典医の口から告げられたのは、産み月までほぼひと月を切った頃の事だ。

 当然、王城内だけではなく、国中が安堵の溜息をついた。ほどなく、シーリィアの身篭った子も王子であろう事が判ったが、それは正妃の子が王子だった事で、それほどの重大な問題では無くなっていた。

 むしろ二人の王子にいち時に恵まれ、王家にとっても国にとっても、それはとにかく喜ばしい事だったのだ。

 一人を除いて。

 

 季節が秋の入り口に差し掛かる頃、正妃は予定よりも二十日ほど早く出産した。シーリィアは出産をその七日後に控えていた。

 期待通りの男児――第一王子の誕生だった。

 待ちに待った王子の誕生に、今度こそ国中が喜びに沸き返った。

 その喜びもまだ噛み締めない内に――。

 第一王子は、僅か一日にも満たない生涯を閉じた。

 王子が見つかったのは、まだ強い陽射しに温まる庭園の噴水の中だ。

 その傍では侍女が一人、自らの手首を刃物で切り、噴水に凭れかかるようにして倒れていた。

 既に息絶えていたが、すぐに身元は調べ上げられ、ウィネス男爵家の縁故の者である事が判明した。

 侍女の部屋に遺されていたウィネス男爵の書状の筆跡が決め手となり、ウィネス男爵は翌朝には近衛師団によって捕縛される。

 王の名の下にウィネス男爵家廃絶の判決が下されると、その日の夕刻に、処刑された。

 更に翌朝、第二王妃シーリィアが連座し処刑された事が公式に発表され、この事件は僅か二日の内に幕を降ろした。

 第一王子暗殺の悲報が、まだ現実のものとして受け入れられる間もない、多くの者達が茫然としている中での事件の収束だった。

 

 

 以来王が第二王妃をという周囲の勧めを容れる事はなく、また正妃が暫く臥せりがちになった事から嫡子の誕生は半ば諦められていたが――、その三年後、王女エアリディアルが誕生し、さらに十一年を経て、ファルシオンが誕生した。

 王女と、何より利発で愛らしいファルシオンを、どれほど国民が大切に思った事だろう。

 その想いの裏には、生後僅か一日で名付けられる事なくこの世を去った第一王子と、処断されざるを得なかった第二王妃とその子供への、深い哀惜の念があった。


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