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王の剣士4「かりそめの宴」  作者: 雅
第三章「癒えぬ想い」
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第三章「癒えぬ想い」(三)

「失礼いたします、ヴェルナー中将、剣をお預かりいたします」

 広い扉の脇に控えていた居城の王室警護官が、丁寧に一礼してロットバルトの手から細身の剣を受け取る。

 基本的に王の居城には剣を佩びて入城する事はできず、入り口で預ける規則になっている。剣を佩びたまま居城に入れるのは近衛師団総将アヴァロンのみだ。

 唯一、剣士であるレオアリスからはその剣を預かる訳にもいかないが、特例として入城は認められていた。レオアリスがファルシオンの求めに応じて剣を抜かないのには、そうした背景への配慮もある。

 王室警護官はロットバルトから預かった剣を丁寧に背後の棚にしまうと、もう一度頭を下げた。

「すぐに殿下の侍従が参ります。控えの間でお待ちください」

 居城の入り口から真っ直ぐに、広く長い廊下が一本通っている。足元には純白と希少な薔薇色の大理石が市松模様を描いて敷かれ、天井を覆う飾り窓からは、降り注ぐ午前中の陽射しが白い壁面の廊下を一層白く浮かび上がらせていた。

 光に眼が慣れれば、壁面には精緻な彫刻や装飾が見て取れる。壁面に一定間隔に彫りこまれているのは王家の紋章だ。

 居城は王城の六階層以上を占めているが、王家の住まう場所というだけあって、政務に使われる五階層以下よりも更に優美さや繊細さが感じられる造りになっていた。

 廊下の左右には交互に十の扉が並んでおり、十室全てが控えの間として用意されたものだ。その為この廊下はその通り「控えの廊下」と呼ばれる。

 王やファルシオンのもとを訪れる者を一番最初に迎えるのがこの廊下で、彼等は控えの間に入って迎えを待ち、その案内によって各館に向かう。

 王室警護官がロットバルトを控えの間に案内しようと歩き出した時、ちょうど前方から歩いてきた数人の内の一人がしわがれた声を上げた。

「ロットバルト、これから殿下の所かの」

 五尺ほどの小柄な身長の、真っ白い髭を胸の辺りまで伸ばした恐ろしく歳経た老人だ。王室警護官は素早く跪き、顔を伏せた。

「スランザール公」

 王の相談役も勤める、王立文書宮の長スランザール。王との謁見からの帰りなのだろう、スランザールは大理石を磨き上げた廊下を、ひょこひょことロットバルトに近寄った。

 ロットバルトも一礼し、陽気そうな老人を見つめる。

 王の前に、この最長老の賢者はどのような目的で上がったのか。昨日話をした西海についてかと、ロットバルトは瞳を細めた。ただこんな場所で西海などという言葉を出す訳にも行かない。

「昨日は有難うございました。お手間を取らせました」

 豊かな白い眉に隠れたスランザールの瞳が、ロットバルトの視線を受ける。

「ふむ。まあさして問題は無いよ」

 意味を含んでいるのか、それともただの挨拶か、汲み取る側によって含むものは異なるだろう。スランザールはロットバルトの横を抜けようとして、ふと思いついたように足を止めた。

「そういえば、授けてやったわしの戦術はどうじゃった。大成功じゃろ」

「却下です」

 にべもないロットバルトの返答に、スランザールが皺顔に落胆をありありと浮かべる。

「探求心がないのう」

 そう溜息をついて、それから何を思ったか、すぐそこにあった扉を開けた。

「スランザール公?」

 付き従っていた警護官が慌てて追い縋る。スランザールは構わず室内に入りながら廊下を振り返った。

「見たところファルシオンの迎えはまだ来ておらんな。どうせ来るまで待たねばならんのだ」

「しかし、それほどお待たせもしないかと……」

「不肖の教え子とちょっと話をする時間はあるじゃろ」

 警護官が気がかりそうに廊下の奥を見遣る間に、スランザールはロットバルトを手招いて、さっさと控えの間に置かれていた長椅子に腰掛けた。

「今日はファルシオンの教育官じゃな。最近は何を学んでおる。わしが確認してやろう」

 ロットバルトは苦笑を浮かべ、警護官に迎えが来たらすぐに呼ぶように告げて、扉を閉めた。

「戦略・戦術を一通り。私のお教えするのは主に師団の事ですから」

「どうぜそなたの事じゃ、理屈っぽいばかりで面白みが無いのじゃろうが」

 浮かべた苦笑をそのままに、ロットバルトはスランザールと低い卓を挟んで向かい合うように座った。

 室内には長椅子が一組とその間に細長い卓が一台、それ以外に三脚ほどの椅子が置かれている。壁際には赤々と炎の揺れる暖炉と瀟洒な飾り棚があるが、完全に迎えを待つ為だけの部屋だ。

 入り口の傍と窓際の床に大きな花瓶が置かれ、色とりどりの花が生けられている。それらが白い壁に良く映えた。

「面白みが無いのは仕方ない。性分ですからね」

「開き直るものでは無いわ。レオアリスのようにファルシオンと遊ぶ位の気概を持たんか」

「遊ぶのに気概が必要ですか」

 呆れた口調のロットバルトを一瞥し、スランザールは長椅子の上で胸を張った。

「遊ぶというのはあの年頃には勉学と同じじゃ。遊びによって様々な事を学習する。特に成長の過程には重要な役割を持つんじゃよ」

「なるほど」

 感心したようなロットバルトを、今度はスランザールが呆れた顔で見遣る。

「レオアリスの次に、そなたが一番ファルシオンと年が近かろう。つまらない事ばかり教えていないで、たまには遊んでやれ」

「成長の過程を少し飛ばしているのでね、私には戦術をお教えするより難しい。残念ですが辞退させていただきます。それより貴方がご一緒に遊んではいかがです。違和感ないでしょう。殿下も貴方の事を祖父のようにお思いだ」

「何か一言付け加えなかったかの」

「気のせいでは」

「……」

 スランザールはふしゅう、とでも表現するような溜息を吐き、それから顔を上げると、全く何の前触れも無くロットバルトの瞳を真っ直ぐ捉えた。

「イリヤ・キーファーを調べるのは止めよ」

 口を閉ざし、身動ぎ一つしないまま見つめ返したロットバルトの厳しい瞳の先で、スランザールの視線がゆっくりと、白い壁に向けられる。

「――」

 スランザールの白い眉の奥の瞳は、今ここには無い、あるものを見据えている。何を見ているのか、考えずとも判った。

(昨日の今日で――)

 あの視線が現れたのは、まだ昨日の事だ。近衛師団の中でも、レオアリスにさえ告げていないそれを、何故スランザールが知っているのか。

 それどころか、確実に、スランザールは視線の正体を知っている。

 それが意味するものは。

「――あの仕掛けは、貴方が?」

 声には注意深い、慎重な響きが含まれている。

「違う。だがわしはそれを知る立場にある」

 短くそう答え、再びその瞳がロットバルトの上に据えられる。そこに孕むのはいつにない警告の色だ。

「例えそなたでも、イリヤ・キーファーの過去を紐説いてはならん」

 ロットバルトは溜息を吐いた。

「またですか。この国には覗いてはいけない過去が一体幾つあるのか」

「そなたのようなひよっこが想定する以上に多いわ。じゃがこの件はそれらのどれよりも重い。そなたの父も、この件に関しては口を閉ざすぞ。ヴェルナー侯爵家すら揺るがしかねん」

 あっさりした口調に見失いがちになるが、スランザールの言葉は戦慄に近い意味をありありと帯びている。鼓動が早まっている事に、ロットバルト自身気付いていた。

「――そう仰る事が、既に手掛かりを与えているようなものではありませんか」

 スランザールが敢えて示した言葉から、足元に口を開けた深淵、そこに何が潜んでいるのかを想定しようとするのは容易い。

「そなたなら、これだけ言えば理解できると思っての事だ。想定するだけで口に出さなければ良い。一切、誰にもじゃ。わしの言っている事が判るな」

「――」

 これ以上を深く探らず、また口に出さず――。

 触れてはならないもの。

 早い鼓動は、スランザールの忠告をそのまま受け入れるべきだと告げている。

 だが、隠されたものの正体が判らない。中途半端な情報では、向くべき先すら定まらないだろう。

「――我が大将は既に関わった。全容を知る必要があります」

「ただ回避せよ。それこそがそなたの役割であろう」

 ロットバルトは束の間、スランザールの瞳の奥を探った。

 更に深く問うべきか、それともただ頷くべきか――それを考えている間に扉が叩かれた。開いた扉から警護官と、その向こうにファルシオン付きの侍従の姿が見える。

「ヴェルナー中将、ご案内いたします」

 スランザールが行けと手を振り、ロットバルトは束の間老賢者の顔を見つめてから席を立った。


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