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王の剣士4「かりそめの宴」  作者: 雅
第二章「波紋」
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第二章「波紋」(二)

 クライフの予想よりもあと半刻ばかり、レオアリスの忍耐力は保った。


 これでこの館を訪れてから一刻は、途切れる事無く挨拶をし続けている事になる。

 内容は大体同じ――次はぜひ我が家の晩餐へ、だったり、娘を紹介したい、だったりと代わり映えはしないのだが、次々に相手が入れ替わる。

 フレイザーがさりげなく飲み物を手渡してくれなければ、乾いた喉を潤す余裕も無いほどだ。


 ちなみに園遊会は語らいの場だが、晩餐や夜会になるともう一つ、舞踏という難問が加わる。

 よってレオアリスは、晩餐、夜会と名の付くものは断固としてお断りしていた。


「ちょっと切ってくれ」


 片手を上げて小声で告げると、ロットバルトは頷いて、次に近寄ってきた相手とにこやかに会話を始めた。

 グランスレイがさりげなく身体を移動させてレオアリスへの視線を遮りながら、首を巡らせて尋ねる。


「どちらへ?」


 レオアリスは一旦辺りを見回した。硝子扉の傍でクライフが手招いているのを見つけ、「庭にいる」と答えて、傍らに寄ったヴィルトールとフレイザーの話を聞く振りをしながら、広い硝子扉を潜る。


 誰にも違和感を感じさせないまま、レオアリスは無事その場所から抜け出す事に成功した。クライフが手を振る。


「ごゆっくり~」


 一連の流れが、見事なまでの連携技だ。こんな訓練はしていないが、何気なくやれるのは第一大隊ならではだと、レオアリスは何となく得意げな表情を浮かべる。


「うちの隊はやっぱり優秀だ」


 可笑しそうなクライフ達に、にや、と笑みを返したところで、硝子扉は室内の音を閉め出した。


「……はー」


 目の前に広がった広い庭園を見て、レオアリスは溜りに溜った息を肺の奥から吐き出した。


「いやー……無理」


 何が無理なのかはっきりしないが、大分無理だと、微かなざわめきの零れる硝子戸を背にしたまま、庭園に続く石造りの階段を下りる。


 庭園は石段の下から緑の冬芝が広がり、綺麗に刈り込まれた植え込みが細い道を形作っている。まだ秋の花の名残と冬の始めの草木が、さりげなく互いを主張していた。

 午前中は大気を冷やした雪も今は上がって、空を覆う雲間から幾筋もの薄い光の帯を溢している。冬の気配が強く漂う広い庭園は、少し寂しげだ。


 ただ、賑やかなあの空気から解き放たれたせいか、足元で微かに立てる草を踏む音も心地良く響いた。


「皆良くやるよなぁ」


 誰もが穏やかな笑みを浮かべ、語り合い、微笑み合っている。


「あれを習得しなきゃいけないのか……」


 美辞麗句を駆使し、卒のない穏やかな笑みで、万華鏡のようにくるくると形を変えながらもあくまで見目は整えて。

 一種の職人技だ。


(どう考えても、俺には無理だ。アスタロトはいつもあれやってんのか)


 同い年の友人アスタロトは、この年で公爵だ。四大公爵家の一つともなれば、その重責は今のレオアリスの比ではないだろう。

 いつも遊んでばかりに見えるアスタロトもこうした役割を負っているのかと思うと、正直に頭が下がる思いがした。


(今度何か労ってやるか)


 ちなみに、せっかく感心したレオアリスには悪いが、アスタロトは真面目に役割を果たしてはいない。


 とにかくそんな事を考えながら、レオアリスは植え込みの間に入り込み、適当に歩き出した。

 館の正面に高い生け垣が続いていて、それが庭の外れだと思い最初は生け垣に平行するように歩いていたが、良く良く見ると生け垣の間に道がある。

 生け垣に潜り込むような細い道だ。


 興味を持って近寄り、垣根の裏側を覗き込めば、レオアリスの背よりも高いその垣根は何層も重なるように作られていて、白い玉石の敷かれた道は真っ直ぐではなく、すぐ先で左に折れ曲がっている。

 ちょっと入り込んで角を覗くと、今度は一間ほど先で、左右に道が分かれていた。


「おお、迷路だ」


 レオアリスは瞳を輝かせた。ゴドフリー侯爵が凝った造りの庭だと言っていたが、それがこの事なのだろう。

 面白くなって、レオアリスはその迷路に挑戦する事にした。あんまりあの場を空けるのは良くないかな、という考えは瞬殺し、垣根の間を歩き出す。


 道は右だったり左だったり、左右に分かれていたり十字路になっていたりと、意外と複雑で、しかも随分広いようだ。行き止まりには小さな噴水や彫像があり、憩う為の椅子も置かれていて、道を間違ってしまった冒険者にも楽しんでもらおうという主の意向が伺える。


 レオアリスは別に真剣に、一発でこの迷路を抜けてやろうとは思っていなかったから、壁に行き当たれば引き帰しまた違う道を辿りながら、ゆっくりと歩いた。

 相当広い場所を使って、この迷路を作り出している。ゴドフリー侯爵は大分、遊び心が強いようだ。


 何度目かに袋小路に行き当たり、一体全体、自分がどちらを向いているのか判らなくなってきて、さすがにそろそろ戻るかとレオアリスは足を止めた。

 緑の中をゆっくり歩いたせいで、またあの場に立つ気力も湧いてきている。


 来た道を辿りかけた時だ。緑の壁のどこかで微かな足音がした。


 誰か他にも、この迷路への挑戦者がいるらしい。レオアリスは辺りを見回したが、高い壁に遮られて足音の主は判らない。

 だが足音は確かに玉石を鳴らして動いている。


「――」


 ふと違和感を覚えて、レオアリスは眉を潜めた。微かな足音は、だが、早い間隔で玉石を鳴らしている。駆けている。


 音は時々止まり、すぐに動き出す。

 何かを急いで探している――いや、まるで何かに追われているような――


 足音が止まる。静寂。


 ふいに、何かが弾けるような音がし、一瞬だけ右手の生垣の向こうに薄い光が見えた。


「?!」


 光はすぐに消え、今度はそれを追うように、重い、奇妙な音が聞こえた。

 それは水を入れた袋が地面に当たるような音に近いが、移動している。

 音は複数。駆けていた足音は止まったようだ。


 通常とは違う、張り詰めた空気が、霧のように足元に漂ってくるのが感じられた。


「カイ」


 低い声に答えて、黒い鳥がレオアリスの肩の上に降り立つ。レオアリスの使い魔だ。


「探して場所を教えろ」


 カイが上空に舞い上がるのを待たずに、レオアリスも音を辿って駆け出した。





 イリヤはレオアリスが一人庭へ出たのを見て、離れた扉からそっと抜け出した。

 雨は止んでいたが、雲間から落ちる光が庭園を薄く染め、冷たい空気が頬を撫でる。寒々しいこの空気のせいか、二人以外はまだ誰も、庭に出てはいないようだった。


 部下達の眼からも、他の来賓達の眼からも離れ、今は絶好の機会だ。

 視線を巡らすと、レオアリスは庭の中央にある高い生垣へと歩き、その奥を覗き込んでいる。そのままするりと、緑の壁の中に入り込んだ。

 硝子扉の位置からだと、緑の壁が複層的に連なっているのが良く判る。


「迷路か――」


 少し厄介な所だ。余暇の趣向に作られたものだろうが、あの中で会おうとするのは難しいかもしれない。


 出てくるまで待つ事も考えたが、その前に他の者が庭に来てしまったら、また話しかける機会を選ばなくてはいけなくなる。


「――出会えたら、運があるって事だ」


 イリヤは石段を駆け下り、緑の壁を目指した。



 緑の生け垣の中に入り込むと、思った以上に先が見えない。

 最初はまだ分岐も少なく、二つに一つは行き止まりだったが、進むにつれて迷路は次第に複雑になってきた。

 ひどい時は十字路のすぐ先に、三叉路が現れる。


「――からかってんのか」


 急ぐものではなく、この複雑さを楽しむ為のものだとは判っていたが、何度目かに袋小路に行き当たり、イリヤは苛立って目の前の壁を睨み付けた。


「これだから貴族なんて奴等は」


 レオアリスの姿はちらりとも見当たらず、どの方向に進んだのかさえさっぱり判らない。

 諦めて、入り口で待とうと思い直した時だ。

 ぴちゃ、と微かな音がした。


 イリヤの視線の先、彼の足元には、白い石組みの浅い水路が作られている。水路は生け垣の下から顔を出し、また緑の壁の下を縫って流れていた。


 イリヤは何となく、じっとそれを見つめ、それから息を吐いた。


「全く――」


 ぴしゃり。足元の水が揺れた。

 水路に背を向けていたイリヤの足首に、何かが触れる。


 冷たい感覚にぎょっとして振り向きかけたちょうどその時、ぐい、と足を引っ張られ、イリヤは体制を崩して玉石の上に倒れ込んだ。


「何だ?!」


 足首が何かに引っ掛かっている。

 イリヤの瞳が、驚愕に見開かれた。


「な――」


 水――いや、手だ。

 透明な手が、水路から伸びて、イリヤの右足を掴んでいる。


「え……何だ……?」


 あり得ない光景を呆然と見つめるイリヤの前で、掴んだ手に力が籠もった。

 ずる、と身体が水路へと引き摺られた。


 麻痺していた思考に、明確な恐怖が差し込む。


「……放せっ」


 蹴り付けると、手は呆気なく弾けた。

 飛沫(しぶき)となって散り、何事も無かったかのように、水路はまた細い水を流している。


「――何なんだ」


 後ろに手をついて座り込んだまま、イリヤはしばらく流れていく水面を見つめていた。

 穏やかな水の音を聞いている内に、今の出来事は気のせいだったように感じられてくる。


 膝を付き、身体を乗り出して水を覗き込んだ時だ。

 水の表面がぽっかりと盛り上がった。


「!」


 間一髪、後ろに仰け反ったイリヤの喉元を、水面から伸びた腕が掠める。

 二の腕の付け根辺りまで現れた腕は、ゆらゆらと悪趣味な花のように揺れた。

 イリヤの身体の下で玉石がじゃり、と音を立てる。


 腕がイリヤに向かって伸びた。

 息を呑んで飛び退り、イリヤは後ろを見ずに走り出した。

 べしゃり、と背後で音がしたが、振り返りたいとも思わない。


 闇雲に生け垣の間を走るイリヤの後を、べしゃり、べしゃり、と何かが追ってくる。

 しかも、追いかけてくる音はいつの間にか複数に変わっている。


(まさか、バレたのか)


 咄嗟に考えたのはそれだった。

 何かの防御魔法でも施されているのだろうか。それともこれも、ゴドフリー侯爵の趣向の一つなのか。


 曲がり角に来ては足を止め、最早方角も判らなくなった迷路を、背後の音に急かされるように走る。


 あっと声を上げて、イリヤは立ち止まった。

 目の前は小さな噴水があるだけの、袋小路だ。音はゆっくりだが、今曲がってきたばかりの角へと迫っている。


 逃げ道を探して忙しく辺りを見回した時、ふいに正面の噴水が勢い良く水を吹き上げた。


「!?」


 水は地面に降り注ぎ、吸い込まれずにまるで生き物の様に盛り上がった。

 呆然と息を飲むイリヤの目の前で、水はゆらゆらと立ち上がり、形を造る。


 人の形に。


 半透明の、内臓や血管が透けた、人とは思えない生物は、無表情なままイリヤへ近付いた。

 深い水の匂いが鼻を突いた。

 ゆらりと「手」が伸びる。


 訳の判らないまま咄嗟に後退ろうとして、濡れた玉石に足が滑り、イリヤは転んで肩口を思い切り打ち付けた。


「痛っ」


 ぽたりと頬に冷たい水が落ちる。

 半透明の生物はイリヤの上に屈み込み、ゆっくりと目の無い顔を近付けてくる。


「――この」


 イリヤの右の瞳が、強い光を帯びた。

 右手が水の手を掴み、淡い金の光が手のひらから零れる。


 人型は光を全身に含ませて自身が灯火のように輝いた後、次の瞬間、一瞬にして弾けた。

 辺りに飛沫を散らして噴水の前に水溜まりを作る。


 イリヤは息を切らしながら、玉石を濡らした飛沫を見つめた。


「……何なんだ」


 力を使うのは余り得意ではない。体力を削られるようだ。

 滴る汗をぐい、と乱暴に手で拭い息をつきかけた時、背後で音が鳴った。


 気が付けば、今や緑の壁の四方から、音はイリヤを目指して近寄ってくる。


「何が」


 はっきりしているのは、危険だと訴える本能だけだ。

 起き上がり、駆け出したイリヤは、すぐに足を止めた。


 袋小路の入口から、半透明の人型が姿を現わす。

 ぱき、と枝の折れる音に振り返った先で、緑の壁から湧き上がるように、人型が首を突き出した。


 たった今砕いたはずの、噴水の前に零れていた水が、再びゆらゆらと身を起こす。


(きりがない――)


 立ち竦んだイリヤを目がけ、人型達は急速に前進を始めた。


(一体何の――)


「止まれ!」


 ふいに響いた鋭い声と共に、黒い影がイリヤの正面に降り立った。

 そのまま片足を軸にして右足を跳ね上げ、正面に迫った一体に回し蹴りを撃ち込む。


 胴を砕かれ、飛沫が生け垣の茂った葉の上に散った。

 顔を上げたイリヤの視線の先、人型との間に立ち塞がったのは、探していた相手――レオアリスだ。


「何者だ」


 レオアリスが一歩踏み出し、人型達は突然の妨害者の出現に戸惑ったように揺らめいた。


 レオアリスの瞳が素早く人型の数を数える。

 合わせて三体、まるで知識に無い生物だ。


「どうもこの屋敷の関係者じゃ無さそうだな。――お前」


 それが自分を呼んでいるのだと気付いて、イリヤは思わずきょとんと見返した。


「こいつらが何だか判るか?」

「え、俺?」


 つい聞き返したイリヤに呆れたように、レオアリスは顔を巡らせる。


「そりゃそうだ、この場に――」


 生け垣に叩きつけられて散った筈の飛沫が、再び集まって顔をもたげる。


「危な」


 イリヤが警告を発する前に、中空に青白い光の筋が走った。


 光が人型を切り裂き、一瞬にして、今度は跡形もなく霧散する。

 息を呑んだイリヤの前で、レオアリスは右手に掴んだ長剣を軽く振った。


 青白い光を纏った長剣――


(これが……)


 切っ先を向けられている訳でもないにも関わらず、皮膚を震わせるような圧迫感がイリヤの身体を包む。


「何だこいつ等、再生するのか」


 驚いているようだが、イリヤには実にあっけらかんとした響きに聞こえる。

 確実に、剣が切り裂いた人型は消滅した。


(これが、剣士の剣か)


 レオアリスが更に踏み込もうとした時、人型達は身を震わせ、ふいに支えを失ったように地面に崩れた。

 玉石を激しい雨が叩く音が響き、人型の姿はあっという間に消え失せる。


 後に残ったのは濡れた玉石だけで、水は地面に染み込んでいく。


 レオアリスは膝を着き、地面に指先を滑らせた。何の変哲もない、水の感触が指先に返る。


「――」


 レオアリスの手から長剣が掻き消える。それと同時に、肌を切るような感覚も消えた。

 レオアリスは立ち上がり、座り込んだままのイリヤを振り返った。


「大丈夫か?」

「え、ああ――何とか」


 イリヤが身体を見回して頷くと、目の前に手が差し出された。

 話しかける機会を慎重に伺っていた相手が、まるで無造作にイリヤに向かって手を延べている。


「――」


 束の間躊躇ってから、イリヤはその手を掴んで立ち上がった。

 その手の暖かさに驚きを覚える。剣士にも体温があるのだと、良く考えれば当然のような、奇妙な驚きだ。


「……助かった――といっても、何が何だか俺にも判らないんだけど」


 判らない、という事に、レオアリスはそれほど疑問を持たなかったようだ。


「だろうな。何かの術で作られた物かもしれないが――。一体捕まえときゃ良かったな」

「捕まえる? あれを?」

「当然だろ。今の一件はゴドフリー侯爵に報告すべきだし、目的を吐かせられたかもしれない。お前が狙われた理由とか――まあ、会話できるか判らないけど」


 レオアリスの言葉に首筋がヒヤリと冷える。


「今のってやっぱり俺が狙われたのかな」


 理由はイリヤにも判らないのだが、こんなふうに目立ってしまうのは一番避けたかった事だ。こんな出会い方も想定外だ。


「どう見ても。心当たりは?」

「無い」


 イリヤは素早く答えた。


「ふうん。まあ、一度屋敷に戻ろう。職務上、状況を聞かせてもらうけど、気を悪くしないでくれ。――えーっと」


 レオアリスが名前を尋ねようとしているのだと気付き、イリヤは唇を湿らせた。


「――イリヤ。イリヤ・キーファー。キーファー子爵家の者です。……改めて、助けていただき有難うございます、近衛師団大将」


 レオアリスは少し驚いた顔をした。それからふと瞳をイリヤの上に止め、じっと彼の顔を見つめる。


「……前に会ったか?」


 漆黒の瞳は、目の前のイリヤではなく、別の場所を思い出そうとするようだ。デント商会で擦れ違った時の事を思い出し、イリヤは口調を早めた。


「まさか――。王都にいて貴方を知らない方がどうかしてますよ、大将殿」

「いや、そうじゃなく――」


 イリヤの鼓動の高鳴りには気付かず、レオアリスはすぐ明るい笑みを浮かべ、次いで頬を引き締めた。


「まあいいか。改めて――近衛師団第一大隊のレオアリスです。キーファー殿、少しお時間を頂いて、調査にご協力願いたい」

「――了解しました」


 イリヤは顔を伏せ、その間に瞳に浮かんだ焦燥の色を抑えた。


(大丈夫、特に問題ない――)


 イリヤが顔を上げた時、軽い羽音が聞こえ、生け垣の角から黒い鳥が飛び出した。そのすぐ後から、青年が姿を見せる。

 イリヤはつい身を引いたが、それは先ほど広間でレオアリスの後方にいた男だ。


「クライフ、早かったな」

「まあ俺も抜けようと思ってたとこで――あれ、さっきの」


 クライフはイリヤに気付いて鳶色の瞳を少し意外そうに丸くした。レオアリスが首を傾げる。


「知り合いか?」


 ぎょっとしたイリヤを余所に、クライフはあっさり首を振った。


「ああいえ、さっき見かけただけで」


 レオアリスに近付き、左腕を胸に当て、敬礼する。


「侵入者はどんな感じで」


 レオアリスは首を振った。既に形を留めていない為に、この場で全てを説明するのは困難だ。


「取り敢えず落ち着いた。ただ、状況が掴み切れてない。侯爵から現場調査の許可が下りれば、十人ばかり入れたい」


 カイに物音の位置を特定させた後、レオアリスはカイをクライフ達のもとに事態を知らせに走らせていた。


「侯爵には今ロットバルトから話をしてます」


 クライフの言葉に頷いて、レオアリスは鋭い視線を一度館の方向に投げた。


「邸内は?」

「変わりありません。まだ皆飲んで食って楽しく話してますよ」

「そうか」


 異変があったのはここだけ、この庭園だけのようだ。


(ここだけ――)


 イリヤは戸惑った瞳を、まだ濡れている白い玉石の上に落とした。

 あの人型達は、しつこくイリヤを追ってきた。偶然通りかかったイリヤだったのか、それとも――


「クライフ、一応ここに待機してくれ。カイを置いてくから、何かあったら連絡を」

「了解です」

「キーファー殿、行きましょう。落ち着ける場所で休む必要もある」


 はっと顔を上げ、それから頷いて、イリヤはレオアリスと共に歩き出した。




 キーファー子爵はイリヤがレオアリスと共に戻ったのを見て、その老顔に抑え切れない喜びの色を浮かべた。

 しかしイリヤから事の次第を聞くにつれ、面を白髪よりも更に白くして、イリヤに対する事情聴取に首を振った。


「そんな目にあったのなら、帰って休ませなくては――失礼ですが大将殿、今日のところはご容赦願いたい」


 レオアリスに代わって、グランスレイがキーファー子爵に向き直る。


「それほどお時間は取らせません。状況の確認だけです。形式的で申し訳ないが、こうした事は早い内に確認する必要があります。邸内での事です、状況が判らないまま放っておいて、他の客やゴドフリー侯爵の身に何か起こらないとも限らない」

「しかし」

「大丈夫、怪我も無いしね」


 イリヤは余り訝しまれない内に、キーファー子爵を制して片手を上げた。にこやかに微笑みを向ける。


「協力は惜しみません」


 ちょうどその時、ゴドフリー侯爵を伴って、ロットバルトが戻ってきた。

 ロットバルトの蒼く氷を思わせる瞳がキーファー子爵と、それからイリヤの上を過ぎ、意識を見透かされそうなその色に、イリヤは思わず息を詰めた。


 だがそのまま、ロットバルトはレオアリスに近寄った。


「上将、調査のご許可は頂きました。左軍小隊から数名、目立たないよう私服で入らせますが」

「できれば術士を呼びたい」

「術士、ですか」


 ロットバルトが眉を潜める。レオアリスは改めて、眼で見たものを手早く説明する。


「何らかの術――に思える。俺が見てもいいが、系統が違うし、あんまり保証も無いからな」

「術――」


 ゴドフリー侯爵が一歩近寄り、レオアリスとイリヤを交互に見つめた。


「この庭園内に?」

「術とも限りませんが、通常の生物では無かったのは確かです」

「ふむ――。――キーファー子爵」


 ふいにゴドフリー侯爵が向き直り、キーファー子爵は驚いて、すぐに畏まった。


「大変なご迷惑をおかけした。ご子息にお怪我があったら、お詫びのしようもないところだった」

「いえ、滅相もない」

「できれば暫し留まって、事態の解明にご協力いただきたい」

「それはもう」


 恐縮しきっている養父を冷めた眼で眺め、それからイリヤは視線を感じて瞳を移した。


 彼等は広間の硝子扉の前で話していたが、少し離れた所にフォルケ伯爵の姿がある。視線の主は娘のミランダと、フォルケ伯爵だ。


 ミランダはただそわそわとイリヤ達が気になって仕方ない様子だったが、フォルケ伯爵はどことなく、顔を強ばらせている。


「――」


 イリヤと視線が合うと、フォルケ伯爵は眼を反らした。





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