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王の剣士4「かりそめの宴」  作者: 雅
第二章「波紋」
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第二章「波紋」(一)

 

 園遊会の当日は例年に無く、早い初雪が降った。

 午前中からちらほらと白い綿雪が大気に混じり始めたが、石畳に触れてすぐ淡く溶け、積もりそうにはない。


 王都第三層にあるゴドフリー侯爵の屋敷には、正午前から何台もの馬車が寄せられていた。馬車から降り立つ男女は華やかながら、少し気の早い冬の装いだ。

 雪のせいで予定していた庭園を変更し急遽しつらえられた邸内の広間には、既に多くの来客達が集い、高い硝子戸の向こうの空を眺めては挨拶を交わし合っている。

 雪は既に止んでいたが、空はまだ鈍色をした曇天だ。


「寒いこと。年を越す前に雪が降るなんて珍しい、慌てて毛皮を用意させましたのよ。そうしたらまださすがに早くて」

「初雪ですものねぇ。止んでしまって残念だわ。今年は寒くなるのかしら。早めに服を仕立てておかなくては」

「昨年の服ではもう古くて着れませんものね」


 もっぱら衣服の心配をしている婦人方に対して、男性陣はまた別の話題が会話の大半を占めていた。


「この時期に雪とは驚きました。いつの間にか冬が本格的になって参りましたね」

「いやしかし、今回の趣旨を考えるにはちょうど良い日だ」

「厚志も今朝の雪につられて増えるのでしょうな」

「ゴドフリー卿も運のいい」


 密やかな笑い声。室内に流れている楽の音に紛れ、あちこちで似たような会話交わされている。


「本当にどうでもいい会話だな」


 一番奥の壁際に立っていたイリヤは呆れたように瞳を閃かせた。呟かれた言葉はイリヤの口の中だけで消え、傍らのキーファー子爵が訝しそうに視線を落とす。


「何か言ったか?」

「いいえ。――雪を初めて見ましたが、それほど綺麗なものじゃないですね。すぐに止んでしまったし」


 イリヤは硝子戸の向こうの曇り空に視線を流したが、今回ははっきりと耳に届き、キーファー子爵は細い眼を向けた。イリヤの瞳が面白そうに閃く。


「こんな雪でも、彼は喜ぶかな?」


 キーファー子爵は眉をしかめ、イリヤを睨んだ。


「余計な事は言うな」

「誰も聞いてないですよ。みんなこの冬の服の事やら誰が一番多く金を出すかで一杯だ」

「口にするのは必要最低限にと言っただろう」

「判りましたよ。お里が知れますからね」


 キーファー子爵は忌々しそうにイリヤの横顔を睨んだ。


「イリヤ。お前はただでさえ目立つ」


 イリヤはひょいと肩を竦めたが、キーファー子爵の言葉どおり周囲の視線が自分に向いているのを認め、口を閉ざした。


「綺麗な髪ね」

「珍しい色だわ。隣にいらっしゃるのはキーファー子爵ですけど……ご親戚かしら」

「いえ、ご存知ない? 最近養子をお取りになったって」

「あら、瞳の色も」


(目ざといな)


 女達の好奇の視線に、イリヤは内心で眉をしかめた。

 さすがにこの席で顔を隠す訳にもいかず、すっかり顕にした髪と瞳が注目を集めている。


(眼は無理でも、髪の色は変えれば良かったのに)


 そのままでいいと言ったのはキーファー子爵だ。その思惑に冷めた色の瞳を向けて再び辺りを見回し、ちょうどフォルケ伯爵が近付いてくる姿を見付けて会釈を返した。

 傍らにいる着飾った少女が例の娘だろう。


 イリヤは彼等が傍に来る前に進み出て、フォルケ伯爵にお辞儀した。


「これはイリヤ殿、見違えましたな、盛装が良くお似合いだ」


 先日よりも鷹揚に、伯爵はイリヤの礼を受けて頷いた。

 公衆の面前だからという理由もあるだろうが、それがこの二日間の間に伯爵が選んだ対応という事であれば、あくまでイリヤ達の上に立つ事を望んでいる。


(どっちでもいいけどね)


 そこに拘るのはキーファー子爵だけだ。握手を交わす際、フォルケ伯爵の面には少し緊張の色が見えたが、それについては特に深くは考えなかった。


「娘のミランダです。もう十五だが未だに貰い手が無くてね」


 傍らの娘の肩に手を置いて、一歩前へと押し出す。伯爵と同じ黒髪の、少し目尻の上がった勝ち気そうな娘だ。ふっくらした頬と勝ち気な瞳とが、ちぐはぐな印象を与える。


 ミランダはイリヤの髪と瞳の色彩に、まず興味を奪われたようだ。イリヤはなかなかに見栄えも良い方で、ミランダの初印象は好意的だと言えた。


「ミランダ、ご挨拶しなさい、キーファー子爵のご子息、イリヤ殿だ」

「子爵?」


 それまで熱心にイリヤを見つめていたミランダの瞳が丸く開かれ、さっと色が変わる。


(おやおや、問題ありそうだな)


 表情からミランダの心情が何となく想像できる。だがイリヤはにこりと微笑んでみせた。


「初めてお目にかかります」


 作法通り手を取って甲に口付けようとした途端、ミランダはさっとイリヤの手を振り払った。


「ミランダ!」


 フォルケ伯爵が小さく叱責の声を発したが、ミランダは不満を隠そうともせず膨れた頬を父親に向ける。


「だってこの人、子爵の子で、しかもまだ称号だって無いんじゃない。お父さまが立派な方がいらっしゃるって言うから来てあげたのに」

「ミランダ」


 さすがにフォルケ伯爵も呆れて素早く娘を諫めた。


「失礼な事を言うな、この方は大切な相手だと今朝も言っただろう」

「子爵家が? お父さまより下じゃない」


 キーファー子爵は真っ青になって唇を噛み締めていたが、イリヤは呆気にとられ――次第に可笑しくなってきた。

 本人を前にして、そこまで明け透けに言ってのけるとは、大した世間知らずだ。

 どうやら相当甘やかされて育てられたのだろう。


(いかにも貴族のお嬢様らしいな)


 同じ貴族の娘でも、ラナエとは大分違う。

 育った場所の差もあるのかもしれないが、それだけではないだろう。


(まあ、どうでもいいさ)


 目の前の娘の膨れた頬も、彼女の性格も、イリヤの目的には全く些細な問題でしかない。


「せっかくだけどお父さま、ミランダはこれで退出させていただきますわ」


 そう言ってツンと頬を反らし、フォルケ伯爵がまた諫めようとした時だ。

 楽の音が一際高らかに鳴り、入り口の方が俄かに騒めきを増した。たった今、新たな来客が到着したのだ。

 広間に現われた珍しい一行に、驚きと好奇の眼が向けられる。


 そこに含まれた言葉に、イリヤもまた身を乗り出した。


「来た」


 口の中で小さく呟く。


「おお、これは」


 あちこちで上がる声は、この存在の出現が予想もされていなかった事を示している。


「王の剣士」

「彼が来るとは、ゴドフリー卿も黙っているとは人の悪い」

「前もって知っていれば」


 もう少し派手に寄付を落としたものを、という言葉が一瞬表情の中に見え隠れする。


「まあ、本当にお若い」

「剣士だなんて恐ろしい姿を想像してましたけど、わたくし達と変わらないんですのね」

「娘を連れてくれば良かったわ、ねぇあなた」


 気の早い婦人の声が漏れ聞こえ、イリヤはくすりと笑いを噛み殺した。


(彼も災難だ――)


 傍らでミランダも瞳を輝かせ、父親の服の袖を引いた。


「剣士様に、ああヴェルナー侯爵家のロットバルト様までいらっしゃるわ。お父さま、ご紹介してくださいな。お父さまのおっしゃっていた素敵な方ってこの事でしょう?」

「ミランダ」


 困り切ってミランダに何と言うべきか悩む様子と、イリヤに向ける複雑な視線が可笑しい。

 イリヤはわざと少し残念な顔をしてみせてから彼等から頬を反らし、ミランダよりも輝く光をその二つの瞳に宿すと、まだ入り口の辺りに立つほぼ同年の少年を見つめた。






 扉が開いた途端に鳴り響いた楽の音と一斉に集中した視線に圧倒されて、思わずレオアリスは立ち止まった。

 広間に集まった来客達の視線がじっとレオアリス達に向けられている。


(うわぁ……痛ぇ)


 好奇の視線はあらゆる角度から突き刺さって来るようだ。レオアリスは僅かに引きつりながら、前を向いたまま傍らにこっそり囁いた。


「何ていうか……こういう状況って」

「見世物、ですか?」


 ロットバルトが面白そうに口元だけ歪める。


「はっきり言うな、余計気が滅入る」

「御前演習で慣れているでしょう。同じとお考えになればいい」

「全然違う種類の視線だ」


 そもそも自分の意識が違う。

王の前で剣を手にする、張り詰めた緊張とは。


「まずはご挨拶を。今こちらにやってくる男性がゴドフリー卿です」


 ロットバルトが視線で示した方から、この席の主催者であるゴドフリー侯爵が、レオアリス達を迎える為に歩いてくる。

 レオアリス達もゴドフリー侯爵の方へと歩き出すと、周囲を囲むように道が開けた。





 イリヤは傍らを通り過ぎたゴドフリー侯爵の背中を追い、その向こうのレオアリス達に視線を戻した。

 と言っても間を遮る人々の陰になって、隙間からしかその姿は見えない。ただ遠くから覗き見た瞳は、先日と同じ、強い意志を表わす漆黒だ。


 少し不安そうにキーファー子爵が覗き込む。


「どうだ?」

「そうですね……――」


 レオアリスは今、ゴドフリー侯爵と挨拶を交わしているところだ。主の挨拶が済めば、他の来賓達との思い思いの会話に流れる。

 まずは言葉を交わしてきっかけを作り、近付く。


 簡単な話だが、この場の誰もがそれを狙っていて、今もゴドフリー侯爵との挨拶を注意深く見守っていた。会話の内容や、いつ会話が途切れて自分が入れるか、それを伺っているのだ。


 この状態では踏み込んだ会話はできないだろう。それこそ、挨拶や日常会話程度でしかない。


(それに、あの二人――)


 イリヤはレオアリスの傍らに立つ二人の将校に目を走らせた。

 大柄な壮年の男が副将グランスレイで、若い金の髪の青年が参謀官、先ほどミランダも言っていたヴェルナー侯爵家のロットバルトだ。


(やりにくいな)


 少し離れて立っている三名も、雰囲気からしてレオアリスの部下達なのだろう。

 軍服ではなく盛装を纏い、決して辺りを威圧している訳ではないものの、彼等の視線の前で話すには慎重に言葉を選ばなければならない。

 だが彼等がレオアリスの傍らを離れる事があるかは、余り期待はできなかった。


(さて、どうするか……繋ぎだけ付けて良しとするか)


 ゴドフリー侯爵が話ながら笑い声を上げ、取り巻いていた者達の輪が僅かに縮まる。

 来客達の意図はイリヤには手に取るように判る。自身の行動も含めて、イリヤは口元に皮肉な笑みを刷いた。


(きっと、さぞ不快だろう)


 今までレオアリスは、剣士は貴族達に好まれていない存在だったと聞いている。

 若い、後ろ盾が無い、王都の出身ではない。

 そんなくだらない理由と一緒に――いや、その背景に一部の者しか知り得なかった、もっと大きく深刻な理由があった事も、今ではイリヤも知っている。


 それだけなら、おそらくレオアリスは未だに、ここにいる者達には受け入れられない存在だった。もしかしたら過去が明白になると同時に、王都を追われていたかもしれないのだ。


 それが、王の名付け子である事、王が認めた剣士である事で、こうも違う。


(たった、それだけ――)


 それだけなのだ。

 イリヤとの共通点。そして相違点は。


 それだけで、今やレオアリスは誰もが競ってよしみを結びたい存在に変わった。


「イリヤ」

「……大丈夫です」


 キーファー子爵に深く問い掛けさせる事なく、イリヤはにこりと微笑んだ。





 ゴドフリー侯爵は両手を広げ、歓迎の意志を示して来客に対する礼を施し、それから穏やかな気さくな瞳を向けた。


「ようこそ、近衛師団第一大隊大将殿。滅多にこうした場へ姿を現わさない貴方にお運び戴けるとは、この席は幸運に恵まれた。今朝の雪が呼び込んでくれたようだ」


 ゴドフリー侯爵はにこやかで、堅苦しさや貴族ばった所をほとんど感じさせない。近衛師団式の礼を返して、レオアリスはゴドフリー侯爵の差し出した手を握った。


「こちらこそ、このような華やかな場に、私のような若輩者をお招きいただき、有り難く思っております」


 レオアリスの言葉は、作法に則り、慎重だ。周囲の視線は自らの利害とは別に、彼が何を言うのか、じっと意識を注いでいる。


 この場での一言一言が、レオアリスの、近衛師団大将の評価に繋がり、最終的には王の任命に対する評価にまで繋がっていく。

 それは今や、ただ王に仕えるのが嬉しいという、そうした単純な意識を暗に否定するものだ。


 レオアリスもそれを薄々は感じているのだろう、漆黒の瞳にはこの場に圧倒されたからではない、真剣な色がある。

 緊張が見える頬の線を斜めに眺めながら、ロットバルトは口元に微かな笑みを浮かべた。


(まだぎこちないが、充分だろう)


 もともと、完璧な対応をレオアリスに求めるつもりは、ロットバルトにも無い。社交はレオアリスの本来の役割では無いからだ。

 社交は、レオアリスを補佐する役割であるグランスレイやロットバルトが担えば、それでいい。

 ただ、本人が直接足を運ぶ事、それはこうした社交の場では、最も重要な事だ。


 今回ロットバルトがゴドフリー侯爵の園遊会をまず一番に選んだのは、北への義援金という名目と共に、もう一つの読みもある。

 北方――故郷の話題が中心なら会話は自然と成立する。ささやかな問題に見えて、それもまた、重要な役割を占めている。


「侯爵のこの度のお志は、北方出身者として、非常に有り難く思っております」

「何の、私一人では大した事もできません。ここにご列席の皆様のお力添えがあればこそ」


 ゴドフリーが列席者を見渡すのに倣い、レオアリスは同じように視線を巡らせ、謝意を表して丁寧に一礼した。

 注目していた列席者達も顔を綻ばせ、場が和やかに賑わう。


 会話は北の地に移った。


「北と言えば、既に雪に覆われ始めているとか」


 緊張が勝っていたレオアリスの瞳の中に、懐かしそうな色が浮かぶ。


「まだフォアの辺りまでだと余り雪も無いかも知れませんが、私の生まれ故郷は、この時期だともう私の身長位は雪が積もります」

「身長まで!」


 ゴドフリー侯爵はすっかり驚いた様子で、レオアリスと自分の身長を引き比べるように見つめた。レオアリスの身長というと、ゴドフリー侯爵にとっては目の当りまで雪が積もる事になる。


「それはすごい。想像し難いな……」

「まだそれでも冬の初めですね。これからずっと、来年の花明けの月まで降り続けます」


 人となりに理解を得るなら、当人に身近な話題が一番向いている。

 既にレオアリスは余計な堅苦しさから解放されて、普段の屈託の無さが戻ってきていた。


 それに伴い、ゴドフリーだけではなく、会話を聞いていた他の客達の上にも、レオアリスの話の内容に興味を持った様子が伺える。先ほど列席者の厚志へ言及したことも同様だが、ゴドフリーはそれと感じさせないほどに意識の流れを作っている。

 その気遣いはゴドフリー自身の人となりによるもので、だからこそ、この場が『王の剣士』の初めての出席に相応しかった。


 ロットバルトは蒼い瞳を僅かに細めた。


(王の剣士と呼ばれるのはいい。だが、そればかりに囚われて本質を見失われては困る)


 レオアリスにとっては、こうした場は窮屈さを感じるものでしかないだろう。

 だから適切な場所に最小限に姿を見せ、周囲が彼の人となりを認識する機会になる――その程度で充分だ。


 まだこれから、地道な根回しや芽生えかけた意識の刷り替えを図っていかなければいけないが、こうした席は、その為の有効な手段の一つになる。


「私の認識はまだ甘いなぁ。ぜひもっと色々とお話を聞きたいものだ。まあ今日は他の方々も貴方のお話を聞きたいでしょう、また改めて――」


 周囲の来客達の表情を見て、ゴドフリー侯爵は可笑しそうに笑い、それから傍らの二人に視線を転じた。グランスレイが深く頭を下げる。


「グランスレイ殿、貴殿とも、こうした場でお会いするのは久しぶりですな」

「武骨者ゆえ、どうもこうした華やかな場は気後れいたしまして、ご無礼をしております」

「貴殿の武勇は門外漢の私でも聞き知っている。まだお若い大将殿にはこの上ない補佐役だ」


 それからゴドフリー公爵はロットバルトへ向き直った。軽く握手を交わし、ゴドフリー公爵は少し含みのある笑みを浮かべた。


「久しいな。お父上はご健勝ですか」


 知りません、と答えるのではないかとレオアリスはそっとロットバルトを見たが、ロットバルトは穏やかな笑みを返した。


「お陰さまで、つつがありません。互いに多忙で中々会話も成り立ちませんが、それぞれに果たすべき役割があるというのは有難い事でしょうね」


(――奥が深い……)


「ヴェルナー家よりも先に大将殿にお越しいただいては、侯爵には余り良く思われないのではとも思うが、良かったのかな」

「それは全く問題ありません。ヴェルナーは言ってしまえば身内のようなもの、序列としては最後でもいい位ですよ」

「なるほど、身内びいきはなしか」


 交わされる笑みには、表面に現れるもの以上の含みがある。


 ロットバルトの言葉はヴェルナー侯爵家の存在を半ば否定的に見せているようで、実際は明確にしている。

 ゴドフリー侯爵に対してというよりは、周囲で彼等の会話に注目している来客達に対して、ロットバルトは意図的にそれを示していた。


「ヴェルナー侯爵は先見の明がおありだ。まだ大将殿が不安定な頃から、こうして大切な子息を置いていたのだからね」


 それに対してもロットバルトは肯定的な笑みを返しただけだ。


「それにしても、君と副将殿が二人、そうして大将殿の傍らに立っているのは、中々に見栄えがするな」


 ゴドフリー侯爵は周囲の様子を見回し、再び可笑しそうに笑った。


「近付き難い」

「お飾り程度ですよ。お気になさらず」

「飾りにしては豪華すぎるな」


『あれは一種の政治的駆け引きの場ですよ』


 数日前のロットバルトの言葉がまざまざと蘇り、レオアリスは傍らで二人の会話を聞きながら、心中で呆れと感心の交ざった溜息を吐いた。

 面は穏やかで、水面下では腹の探り合い、といった所だ。


(良く判んねぇけど、――?)


 ふと、強い視線を感じてレオアリスは窓際へ顔を巡らせた。


(気のせいか……)


 どこか物言いたげな――そんな感じを受けたのだが、辿る前に消えてしまった。


「上将、どうかされましたか」


 グランスレイが屈み込むようにレオアリスの顔を覗く。


「いや……」


 幾つもの視線に紛れて、先ほどの気配はもう見当たらない。


「では、大将殿、また後ほど。お時間が許す限りお寛ぎください。そうそう、当家の庭は少し凝っていましてね、気分転換にお勧めですよ」


 レオアリスの内心を見抜いているように笑って、ゴドフリー侯爵は他の来客達に挨拶する為にその場を離れた。

 ゴドフリーの最後の言葉に、レオアリスの瞳が俄かに輝く。庭園は息抜きにはもってこいの場だ。


「――庭だってさ。ちょっと」

「そうですね。こちらの庭園は趣向が凝らされていて一見の価値があります。後ほどゆっくり散策されるといい」

「後ほど、ね――」


 さすがに到着してすぐ息抜きは認められないかと、レオアリスは諦めて溜息を付いた。


「さて、主人へのご挨拶はこれで済みました。あとはご自由に会話を楽しんでいただいて結構です」

「ご自由にって言ってもな……」

「まあ、序列で言えば」


 敢えてレオアリスの意図を汲み取らず、ロットバルトは周囲の来客へ視線を向けた。客達はさりげない視線を向けてくるものの、自分から話し掛けて来る様子が見えない。


 レオアリスの傍らにはグランスレイが背筋を張って立ち、反対側に立つロットバルトは秀麗な頬に穏やかな表情を浮かべている。

 ゴドフリー侯爵が冗談めかした通り、近寄り難い――物凄く効果的な、ある意味『壁』があるようなものだ。


「副将、あまり険しい顔をなさらないでください」


 来客達の躊躇った様子を見てグランスレイに一言添え、ロットバルトはにこりと微笑み、ごくさりげなく、その中の一人の名を呼んだ。


「これはトリノ伯爵、お久しぶりです」


 まるで今初めて気付いたような口振りだが、周囲に集まっている中で、ゴドフリー侯爵の次に位が高い。


「あざといわ~」


 少し離れて壁際に立っていたフレイザーは、感心とも苦笑とも付かない笑みを零した。


「まあ、こういう場は任せておこう。全部判ってやってる、我々は気楽なものだ」


 二人がレオアリスの傍らにいる事で生まれる近寄り難さは、ロットバルトの計算の範疇内だ。


 『王の剣士』には、謂わば未知数の価値がある。


 その呼称だけではなく、レオアリス自身が持つ力、第一王位継承者ファルシオンとの最近の関わり、それから、密かに囁かれるアヴァロンの退官の噂と、近衛師団総将という地位の行く先。


 先ほどロットバルトがヴェルナーの名前を敢えて強調して見せたのも、筆頭侯爵家の存在を周囲に意識付けるためだ。


「上将も大変だ」


 自身の望みとは切り離され、否応無く評価され、形を造られる。


 この若い剣士が少しでも自由に呼吸できるように、その為の布陣を敷く。

 ある意味ではここも戦場に等しい。


「――ところで、あそこら辺にある飯は飾りモンか?」


 複雑な政治的思論など関わる気もないクライフは、すっかり退屈しきってほとんど手の付けられていない卓上の料理を指差した。


「食べていいわよ。でもいつもみたいに大食いしないようにね」

「判ってるよ、散々叩き込まれたからな」


 卓に近づこうとしたクライフの背に、ヴィルトールのからかう声がかかる。


「酒を飲み過ぎるなよ。お前の評価は上将の評価だ」

「判ってるっつーの! ったく、だったら俺を連れてくるなよなぁ」

「上将が出てるんだ、お前一人が勝手できるか」

「俺はこの場にいない方が絶対いいぜ。ちょっと考えたら判りそうなもんじゃねぇか」


 ぶつぶつ言いながらもクライフは、それでも目立たないようにそっと移動して、目につく皿から料理を幾つか取り上げた。

 すっかり包囲されているレオアリスを人垣越しに見やり、寄せ手達がグランスレイとロットバルトの前で責めあぐねている様子に、にやりと人の悪い笑みを浮かべる。


「がっちり防御されてるしなぁ。あの城壁を崩すのは俺もご免だ」


 近くにいた給仕から酒の杯を受け取り、一口で飲めそうなそれを、ちびりと口に運んだ。


「いい酒だけど、やっぱ酒は質より量だよなぁ」


 やはりどう考えてもクライフには向かない場所だ。

 レオアリスにも。


「まあ、半刻もすりゃ耐えられなくなって庭に逃げ込むだろ――おっと、悪い」


 ひょい、と擦れ違った少年の頭から酒の杯を守り、頭を下げて通り過ぎる少年を見送る。

 白に近い、銀髪。


「へぇ、珍しい髪だな。上将と同じ年頃か」


 いい話相手がいるじゃないかと振り返ってみたが、既に間には二、三人の客がいて、クライフはあっさり諦めた。





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