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王の剣士4「かりそめの宴」  作者: 雅
第一章「変わる季節」
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第一章「変わる季節」(九)


 暖炉の火が揺れ、灯りを落とした室内に不安定な影が躍る。

 王都では昨夜半から大気が急に冷え込み、少し気の早い冬支度がどこの家でも始まっていた。


 寝台の上で寝間着のまま、フォルケは身を起して薄暗い室内の壁にかかる絵を見つめていた。

 とは言え、その絵に殊更の意味がある訳ではなく、考えていたのは昨日のキーファー子爵家での会話の内容についてだ。


 フォルケ自身の知っている一部の事実と、あの手記に書かれていた内容は、ほぼ同じものを指していると言っていい。

 ただ、決め手に欠ける。

 事実ならば、慎重に事を運び、成功すれば、フォルケは今以上の地位を手に入れる事ができるだろう。


 西の辺境で得た繋がりも、彼の後押しになるに違いない。辺境軍の軍事顧問などという、言わば閑職に等しい地位に一時は我が身の不運を嘆いたが、それも新たに得た繋がりを思えば無駄ではなかった。

 しかし、まだフォルケには迷いがある。それは当然の事だ。


 イリヤの存在――それは彼等の話を聞き、あの手記を読み、そしてイリヤ自身の姿を見たとしても、簡単に受け入れられるものではない。

 フォルケは協力を約束したが、どこまで踏み込むべきか、それを決めかねていた。


 イリヤは王の剣士に近付く事で、まず一歩近付けると考えている。

 確かに王の剣士は急速にその地位を高め、王に近い存在となっている。今後発言力が増していく事は想像に難くない。

 それに今は、まだ周辺の地固めが終わっていない段階だというのも確かだ。不安定な今ならばまだ近付き易いが、いずれ容易には近付けない存在に変わる。

 手法の一つとして、剣士に近付くというのは悪いやり方ではないだろう。


 ただ、引っ掛かるものが、フォルケにはあった。

 キーファー子爵の目的は、イリヤという存在を証明し受け入れさせる事で、それによって自らの地位を確立させようとしている。

 わざわざイリヤを養子に迎えたのはその為だ。

 だが、イリヤの目的は。


 あの両眼の中に燃える光が望むものが、フォルケにはいま一つ掴みきれていない。

 単に地位を望むのなら御しやすいが、単純にそうとも見えなかった。


(切り捨てる事も考えて、慎重に見定めなくてはな)


 危険性の高い賭けではあるが、今のフォルケにとっては中央に返り咲く為の、充分魅力的な機会だ。

 まずは二日後の園遊会で、イリヤが王の剣士に近付けるかどうか――


 ふと、微かな湿った音が聞こえた。

 それはちゃぷちゃぷと水が縁を叩く音だ。


 フォルケは訝しむ事無く、寝室の片隅に視線を向けた。白い大理石で作られた円柱の台の上に、六角形の一抱えほどの大きさのある水盆が載っている。

 その水盆の表面が、漣を立てていた。


「――」


 素早い反応だ。昨日キーファー子爵の元から帰り、伝令使を飛ばしたが、これ程早い段階で相手が反応してくるとは思っていなかった。


 水は次第に大きく波打ち始め、暖炉の不安定な光の中に、やがて黒い影が浮かんだ。

 既に慣れた、使者の来訪。


 湿った匂いが鼻をつき、フォルケはごく微かに眉をしかめた。

 この使者が常に纏う匂い。

 暗く深い水の匂いだ。


 水盆の上に、男の半身が浮かんでいる。まさしく、水の中から身体半分を突き出しているのだ。だが、水盆の深さは小指の先程しかない。


「ようこそ、こんな真夜中にご苦労な事です」


 フォルケは寝台から立ち上がり、ただそれ以上は近付かずに微かに頭を下げた。


「昼も夜も、我等にはさほど意味の無い事だ」


 無機質で、どこか薄い幕を通したような声だ。

 後頭部が張り出した少しいびつな外観、ぬるりとした面は、向き合う度に爬虫類のそれを思わせる。


「お送りした伝令使の件でいらしたのでしょう」


 使者の口が耳の辺りまで裂け、赤い舌とずらりと並んだ鋭い牙が見えた。

 微かな空気を擦る音は、笑い声だ。


「我が君は非常に興味を示された」


 フォルケは急に、喉の渇きを覚えた。だが枕元の水差しを取る気にはなれない。

 この相手の前で、水に触れたくはなかった。


「協力をしよう。だが、確証が必要だ」

「確証は、今後――」

「すぐに」


 声は圧し掛かるような要求の響きを滲ませ、フォルケは唇を湿らせて、暗がりの顔を見つめた。


「しかし、今はまだ、母親が残した手記と息子自身しか」

「同じ力を受け継いでいれば良い。受け継いでいなければ、逆に利用価値は薄い。我等は手を引かせてもらう」


 力、とフォルケは呟いた。その点には考えが及んでいなかった。尋ねる事もせず、イリヤも口にはしていない。


「確認は我等が行う。良いな」

「確認と言っても、どうやって……」


 そう言った時には、既に水盆は元通り、穏やかな表面を見せているだけだった。


 ひどい喉の渇きを覚えていたが、水の杯を口元に近付けて、結局口にしないままに卓に戻した。





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