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7.力があればと、ただ願う


――――

―――――――――



 ユキが牢屋で不敵に笑って決意している前、まだユキが捕まってすぐの頃。

 スバルは執務室のソファで力なく寝転んでいた。


「スバル殿下。大丈夫っすか?」


「……ああ」


 心配そうに声をかけるユウトに、スバルはだるそうに返事をする。

 先ほど飲んだ毒が徐々に回ってきたのだ。子どもの頃から毒の耐性がつくように様々な毒を飲んできたが、全く効かなくなったわけではない。死ぬ毒には死なない程度になったというだけで、身体に不調は出る。人によって不調の出方は様々だが、スバルの場合は体がだるくなる程度だ。こうしてしばらく寝転んで休んでいれば、毒が身体に馴染んで体調も回復してくる。

 しかしこうして休んでいても、気がかりなのはあの女のこと。


「ユキさん、いつ出れますかね? 正直このまま知らないままの方がいい気がしますけど」


「……」


 ユウトも同じことを考えていたらしい。

 ユウトがメイドを尋問して得た情報。それは、この暗殺にユキの父であるベルク・ツクヨ男爵が関わっているということだ。ただ、メイドがツクヨ男爵家の元使用人だということだけで、確実なことは言えないが、無関係だとも言えない。


 これを聞いてユキはどう思うだろうか。

 また、傷ついてしまうのだろうか。

 暴力をしていた最低な父親すら庇ってしまうほどだ。


 あの父親が、ユキに対して暴力を振るっていたことには気づいていた。何もしていないのに、時々痛みで顔を歪ませていたユキに疑問を持つのには、そう時間はかからなかった。

 だから、ユウトを使ってツクヨ家を調べさせた。するとある使用人からユキが理不尽に暴力を受けていることを聞いた。それを見ていられず、やめていった使用人も多いらしい。当時、理由はよくわかっていなかったが、今ならわかる。

 父のベルクとは似ても似つかない、ユキの白銀の髪。

 そのことから容易に想像はつく。

 スバルはユキを思って、目を閉じる。


 暴力を受けても、自分が利用されていたことを知りながらも、父親の役に立とうとした、一途で馬鹿な女。

 まさか、あの婚約を続けていたのも、父親のためか。


 そう思うと無性に腹が立つ。

 苦虫を噛みつぶしたような不愉快な表情をしていると、執務室の扉が鳴り目を向ける。少しユウトが警戒しながら、扉を開けた。そこには衛兵が敬礼をして立っていた。


「失礼します、スバル王子。お休み中に申し訳ありません」


「なんだ?」


「第一王子様がお呼びです」


「……兄上が?」


 スバルは思ってもいなかった人物の名前に目を瞠った。それにユウトは不快気に眉を潜めた。


「……今スバル殿下は休んでるんで、無理って伝えてくださいっす」


「いや、いい。……わかった。すぐ行く」


 スバルはユウトの言葉を遮り、ソファから起き上がった。ユウトは不満そうに唇を尖らせながら、スバルの背中を追った。


「お前、ほんとあの人が嫌いなんだな」


「……まっさかー。この国の第一王子っすよ。敬愛してるに決まってるじゃないっすかー」


 隠す気もないユウトの棒読みに、スバルは呆れた視線を向ける。


「だいたい、スバル殿下が毒を飲んだってことぐらい、あの人ならとっくに知ってるでしょ? なんでこのタイミングなんすか」


「さあな」


 ユウトは不貞腐れながら文句を言っているが、これもスバルの身体を案じてのことだと分かっている。スバルも、あの兄に反抗したくなる気持ちもわからなくはない。

 まだ少し身体がだるいが、動いたほうが気がまぎれる。

 王宮の離れに続く通路を通り、スバルたちは王宮の小さな宮殿に着いた。そこには衛兵が二、三人扉の前にいるだけだ。第一王子がいる宮殿には、少なすぎる。しかし、ここは人を寄せ付けえないようにしているのだ。

 スバルは宮殿に入り、その中で一番大きな部屋の扉を叩いた。


「兄上、失礼いたします」


 そう言ってスバルは扉を開けた。


「やあ。久しぶりですね、スバル」


「……」


 コントラス王国第一王子、エイシ・サラエル・ジ・コントラス。

 スバルの兄、第一王子エイシは弱々し気に微笑みながらベッドに起き上がっていた。

 スバルに似た黒髪。スバルが灰色に近い青い瞳に対し、エイシは藍色の瞳をもち、スバルと違う優しい目つきをしている。歳はスバルと七つしか変わらない。スバルは十八、エイシは二十五になり、まだ若い。しかし、実際の年齢とは違い貫禄を感じさせる。なぜならいつも微笑みを絶やさず、何を考えているかわからないからだ。

 スバルは、エイシに近付き近くにあった椅子に腰かけた。それを見て、エイシはスバルの隣にいるユウトに目を向けた。


「君も久しぶりですね。ユウトくん」


「……どうも」


 ユウトは目を逸らしながら、無愛想に挨拶をする。この国の第一王子に失礼な態度だが、エイシは気にせず、そのまま話しかけた。


「相変わらずつれないですねぇ。……ああそうだ。この前君のところに荷物を送ったのですが、届いてましたか?」


「やっぱりあんたか! なんすかあれ! 『これで夜は安心!スケスケセクシー女性用下着まとめセット』って‼ 運んできたメイドさんにすっごい白い目で見られたんすけど⁉」


「届いてたのならよかったです。安心しました」


「俺の心は全く休まってないから! これだからあんたは嫌いなんすよ!」


 ユウトは地団太を踏みながら怒り狂い、それにエイシは楽し気に笑う。その様子をスバルは興味なさげに眺めた。

 昔からエイシは、何かと人をからかう癖がある。スバルもユウトもその被害者だ。特にユウトはエイシの嫌がらせに嫌気がさしているのか、エイシを極力避けている。今日来るのを渋ったのだって、これが原因だ。

 この癖のある兄に呆れながら、スバルはエイシに目を向けた。


「身体の具合はどうですか?」


 スバルの質問にエイシはいつもと同じように微笑んで答えた。


「最近は、いい方です。……あなたは、あまりよろしくないようですね」


「……だったら、休ませてくださいよ」


 スバルの顔色を見て気づいたのか、それともどこかから情報を聞いたのか知らないが、エイシは意味深に微笑んだ。おそらく後者だろう。それにスバルは顔を引きつらせる。

 しかしエイシはそんなスバルの様子など気にも留めずに、話しを続けた。


「面白い話を聞きましてね。護衛騎士を雇ったそうじゃないですか? しかも女性の」


「……だったらなんですか?」


 スバルはピクリと肩を揺らした。先ほどまでユキのことを考えていたので、過剰に反応してしまった。そのことに悔いていると、エイシはニマリと面白そうに笑った。


「婚約者だそうですね」


「元、です」


 スバルの言葉に、エイシは肩を揺らしてクスクスと笑った。


「面白い婚約者様ですね。まさか騎士にまでなってしまうとは。私も一度会ってみたいです」


「……会わないほうがいいですよ。うるさいだけです」


「相変わらず独占欲が強いですね」


「……」


 なぜそうなる。

 その言葉をのせてスバルはエイシを睨みつけた。その態度を見てエイシは困ったように微笑んだが、そのあとすっと笑顔を消した。


「どうして婚約破棄などしたのですか?」


「……」


 思ってもみなかった言葉に、スバルは瞠目した。微笑みを隠すときのエイシは、怒っているときだと知っている。あまり普段怒らないものだから見慣れず、少しだけ手が震えた。


「愛していたのでしょう?」


「……別に。ただ飽きただけです」


「君は面倒なことを嫌います。特に女性については、なるべく関わりたくないとさえ思っていた。なのに君は、五年も彼女と付き合い続けた。愛していなければ、五年も君が付き合うはずがありません」


「……。買いかぶりすぎです。俺は……」


 その後の言葉が続かず、スバルは目を逸らす。

 この人の、こういうところが嫌いだ。

 何を考えているかわからず、じっと人を観察して、分析する。この人の前では誤魔化しや嘘は通じない。自分が丸裸にされている気がして、落ち着かなくなる。

 それに、まるで自分が正しいかのように話す口調も、責められている気がして、苦手なのだ。

 目を逸らすスバルに、エイシはふうっと溜息をついた。


「私のせいなら、今すぐやめなさい」


「……!」


 スバルはぱっと顔をあげた。そこには、悲しそうに目を細めるエイシが映った。


「君には迷惑をたくさんかけてしまった。これ以上はあなたの人生をめちゃくちゃにするわけにはいきません。今ならまだ、間に合います」


 スバルはぐっと膝の上で拳を握って立ち上がり、エイシの言葉を遮った。


「何言ってるんですか。俺は、俺のやりたいようにしてるだけですよ。今も。昔も」


「……」


 そう言ってスバルは不敵な笑いをエイシに向けた。その様子をエイシは痛々し気に見つめた。


「用はそれだけですか? なら俺は帰ります」


「スバル……」


 スバルは踵を返して扉の方に足を向ける。後ろから弱々しく呼びかける声が聞こえ、一瞬足を止めるが、スバルは無視して歩き続ける。


「そんなこと気に病んでるんなら、自分の身体のこと心配してくださいよ。身体に障ります」


「……」


 スバルは最後、扉を閉じる前にそう忠告してから扉を閉じた。

 扉を閉じる一瞬、エイシの泣きそうな表情が見えた気がした。

 


――――

―――――――――



 兄がいる王宮の離れから、連絡通路を歩く。外は夕日が沈んでもう暗くなり始めている。

 ユキは、大丈夫だろうか。

 牢屋にいるであろうユキのことを思い出していると、一羽の鷹が飛んできた。それはまっすぐ後ろを歩くユウトのもとに飛んでいき、ユウトは慣れた手つきで腕を出して鷹を乗せた。鷹の足には一枚の紙が括りつけられている。ユウトはそれを解き、深刻そうな顔で読んだ。


「スバル殿下。城の密偵から報告が」


「なんだ?」


 そうだろうと思っていたスバルは、少し食い気味にユウトに振り向く。



「スパイを見つけました」



@@@@@@@@@



 一方そのころ。夕日が沈みきった夜。


 ユキは牢屋で脱出を試みていた。

 ここは地下の牢屋であるが、外の地面近くに排水溝のような窓がある。昔は罪人に食事など与えていないので、そこから雨水を伝って罪人は飢えを忍んでいたらしい。これはその名残だ。しかしやはり地下なので、かなり高い位置に窓が設置されている。さらに、人一人通れるか通れないかのぎりぎりの窓だ。しかしここからしか、脱出する術はない。ユキはまず格子を外すために、置いてあった汚いシーツを使い、散乱してあったコップを巻き付け、投げて格子に引っ掛ける。力強く引っ張ると案外簡単に格子が折れた。長年放置していたせいでサビきっていたのだろう。しかしこれはユキにとって幸運だった。ユキはそれを何回か続け、格子をすべて外すことに成功した。そして、牢屋の両端にベッドや机、いすを乱雑に積み上げる。これに満足したユキは、牢屋の扉の方にまで後退し、懐に隠していた短剣を片手に持った。そして勢いよく走り、三段跳びをして窓に飛び乗り、すぐに手を伸ばして地面に短剣を突き刺した。


「ぅんしょッ!」


 ユキは、短剣を軸にして自分の身体を引っ張り上げる。

 三年鍛えたこの腕をなめないでほしい。

 そう自分を鼓舞させながら、何度かそれを繰り返し、外に脱出することができた。その際、少しお尻がつっかえたことは秘密だ。

 はあはあと少しだけ、息を整えてユキは王城に向かって走り出した。

 円形闘技場から王城まで橋がかけられていて距離がある。ユキが無我夢中で走った。


(どうか、まだお父様が動いていませんように……ッ!)


 頭の中は、スバルのことでいっぱいだ。心配で心配で仕方がない。


 心臓が痛い。一歩一歩が遅く感じる。

 早く、早く――……!


「わッ!」


 王宮の近くまで来たとき、人目を忍んで建物の端にいたユキは曲がろうとした矢先に誰かにぶつかった。


「あ、お前……」


「護衛騎士様⁉」


 ぶつかったのは、見周りをしていたであろう一人の衛兵だった。

 ユキは、この衛兵に見覚えがあった。

 暗殺者がスバルを襲った日、なかなか帰ってこなかったユウトの様子を聞いた衛兵だ。

 そばかすのついた若い青年だ。その衛兵の青年は、大きく目を開いてユキを見ていた。


「い、いま牢屋にいるはずじゃ……」


 ユキはつかさず、人差し指で衛兵の青年の唇にあて口をふさぐ。


「シッ! 静かに。今は緊急事態なんだ。このことは黙ってていてくれ。殿下のお命が危ないかもしれないんだ」


「ええ⁉」


 ユキの言葉に青年は、小声で声をあげて驚いていた。


「あとで処罰はいくらでも受けるから。今だけは見逃してくれ」


 ユキが懇願すると、青年は困惑したように頷いた。


「わ、わかりました。で、でも剣を持たれていないのなら、護衛騎士様も心持たないでしょう? 僕の予備の剣をお貸しします。こちらへ」


「ありがとう」


 どうやら協力してくれるようだ。ユキはほっと安心して青年の後ろについていった。


「そういえば、あのときはありがとう。ユウトの様子を教えてくれて」


「え? ああ、いえいえ。困っているときはお互い様ですよ」


 そう言って笑いかける青年に、ユキも笑いかけた。

 こういう優しい人が殿下の助けになるといいな、とユキは今日無礼を働いてしまった主を思い、夜空に顔をあげた。


 今、どうしているだろうか。

 毒は大丈夫だったのだろうか。もしかして、苦しんでいないだろうか。


 悪い想像が頭をよぎり、追い出すように頭を振る。

 今は一刻でも早くスバルのもとにたどり着くことが最優先だ。そのことだけを考えよう。

 青年の後をついていくと、騎士団の武器庫についた。

 こんなところに個人の予備があることに少し疑問に思ったが、そのまま歩く。すると青年は、武器庫の隣奥にある小さな小屋に入っていった。


「……随分奥にあるんだな。予備とは言え、こんなに奥にあればいざという時、取り出しにくいんじゃないか?」


「そうですね。あ、あれです。あの奥に立ててあるのが僕の剣です」


 小屋に入ると、少し埃っぽくてせき込む。青年は扉近くに立ち、奥の方に指を指した。暗くて見えずらい。ユキは小屋の奥に進んでいき、壁にかけてあったものを手に取った。


「……? これ、ホウキじゃ……」


 持った物が剣じゃないことに首を傾げ、聞こうと思い振り向いた。


「……え?………きゃッ!」


 すると、部屋が真っ暗になって誰かに腕を掴まれ床になぎ倒された。


「な、なにを……!」


 ユキは突然のことに驚き、なぎ倒された相手を見上げた。


「ほんっと、無防備だね。こんなに簡単に組み敷かれて。これが護衛騎士なんて、スバル殿下も大変だろうな」


 暗いが、月明かりのおかげで少しだけ明るい。

 見上げた先にいたのは、先ほどにこやかに案内してくれた衛兵の青年だった。先ほどとは違って、獰猛な笑みを浮かべて、ユキを見下ろしていた。ユキの両腕を片手で頭の上で縛り、完全に組み敷いている。ユキは、驚きが抜けきれず茫然と見つめた。


「女は女らしくしていればいいのに。男みたいに剣振り回して、可愛げがない。気色悪いし気持ち悪い。お前なんて、女なんかじゃないから」


 軽蔑するようにユキに棘のある言葉を吐き出す。ユキは未だに信じられなかった。


 何が起こった。

 先ほどまで、優しくにこやかに自分に微笑んでいた青年が、今では汚い言葉を吐き出し、ユキを軽蔑な眼差しで見下ろしている。


 どうして、なんで――……


 そんなことばかりが、頭に浮かぶ。わかっているのに、こんなことを思っても仕方のないことだと。


「安心して。ちょっと痛い目見てもらうだけだから」


「……ッ‼ や、やめろ……ッ!」


 すると青年は、野生のようなギラリとした目つきで、ユキの制服のブレザーのボタンを一個一個外していく。

 何をされるか一瞬で理解したユキは、ぞっとして身体をひねらして逃れようとした。しかしそれにイラついた青年は、ボタンにかけていた手を外してユキの頬を思いっきり殴った。


「……ッ」


 殴られた痛みで顔が歪む。口の中に血の味が広がって気持ち悪い。


「……少し黙ってろ。すぐ終わらすから」


 青年は再度、ブレザーのボタンに手をかけ外していく。そして次はブラウスへ。どんどん肌があらわになっていく様をユキは眺めているだけだった。


「い、いや……ッ」


 恐怖で体がすくむ。こんな時ばかり、女だという事を自覚する。あれだけ鍛えた腕だって、こんな風に体重をかけて押さえられてしまえば、逃れることはできない。力で押さえられ、結局は男に蹂躙されるしかないこの身体に嫌気さえ覚える。ただ服を脱がされてるだけだ。なのに、たったそれだけで恐怖する。今からされるであろう恥辱を、ふつふつと想像させられてしまう。

 ブラウスをすべて脱がし終え下着姿になったユキに、青年はズボンに手をかけ下着だけ見える位置までずり下した。

 ユキは、震える唇で青年に話しかけた。


「……わかった。大人しくするから。けど、脱がすんだったらちゃんと脱がして」


「……へえ。潔いいいね」


 ユキの言葉に気分を良くした青年は、ユキの要望通りズボンを足先からちゃんと脱がした。


「ぐ……ッ!」


 すると、ユキは下半身をあげて思いっきり青年の横っ面を蹴り飛ばした。相手を蹴り飛ばすためには、中途半端なズボンの脱ぎ方では足を自由にできない。そのため、わざと弱ったふりをしたのだ。

 青年はその勢いで床に転がった。その隙を見て、ユキは急いで扉の方に向かう。月明かりのおかげでかすかに小屋は明るい。扉の方にはすぐ着くことができた。しかし、手が震えているせいか、扉が閉まった鍵を外すのに手間取る。


「きゃあッ!」


 やはりそれほど威力はなかったせいで、青年はすぐに立ち上がりユキの髪を引っ張って床に思いっきり投げつけた。


「なめやがって‼」


 青年は怒りに染まった顔でユキに馬乗りになった。勢いよく床に叩いつけられたせいで、頭をぶつけくらくらした。目がかすむ中、青年がズボンのベルトに手をかけているのが目に入る。


 冗談じゃない――……。こんな……。

 この身体は、いつか捧げるスバルのためであったのに。こんな形で奪われるなんて……。


 泣くまいと思っていた心は崩れ落ち、瞳にたまった涙が一筋零れ落ちた。

 青年に覆いかぶされた拍子に、かすかに嗅ぎなれた香水の匂いがした。



―――――――――

――――



 その瞬間



 突然、部屋に明かりがさした。



 驚いて、その明かりの元に顔を向ける。

 すると、扉から人影が見えた。突然の明るさに目を細めたが、誰がそこにいるのかユキにはすぐわかった。


「ス、スバ、ル、殿下……」


「……ッ」



 小さくその人物の名前を呼ぶと、その人は、スバルは一瞬目を開いたあと、激しく怒りに染まり、憎悪に近い剣幕で青年に詰め寄った。


「……ッがぁ⁉」


 茫然としていた青年は、近づいたスバルに勢いよく腹を蹴られ、そしてその反動で上がった胴体を今度は壁に向かって蹴り投げた。まるでボールのように扱われた青年はそのまま壁に勢いよくぶつかる。呼吸もままならないのか、よだれを垂らしてゴホゴホと悶えていた。ユキはその様子を起き上がって、茫然と見つめる。


「おい」


「ひぃいッ!」


 スバルは、そのまま青年にゆっくり近付いた。青年は、鬼のように怒りに染まったスバルの顔を見て後方に逃げようと体を動かすが、壁に阻まれ逃げることはできない。ゆっくり近づくその動きが、青年にさらに恐怖を与えた。


「誰の許可で、何勝手に触れてんだ」


 スバルは腰に佩いだ剣を抜き、切っ先を青年の口に突っ込んだ。


「誰の命令だ。言ってみろよ」


「あ……あぅ……ッ」


 青年の顔は涙でぐしゃぐしゃになり、震えているせいで剣があたり、口の端が切れて血が流れる。これでは話せるはずがない。スバルもそれがわかっていて、わざと聞いているのだ。


「ほら。言えよ」


「……ぅぅ……ぐぇ……」


 それでもスバルはやめることはせず、むしろさらに奥に剣先を進める。青年はよだれと血と涙で床を濡らした。


「言えって言ってんだろ‼」


 いつまでも話さない青年にイラついて、スバルは剣を引き抜き、青年の顔に目掛けて突きさそうとした。



 しかし――……



「……殿下、いけません」


 剣は、青年の顔すれすれで止まった。

 ユキが持っていた短剣で、スバルの剣の柄を押さえることで止めたのだ。

 スバルは信じられない表情で、ユキを見返した。


「お前……ッ!」


「情報を聞き出さなくては。殺しては、なりません」


「……ッ」


 非難するように叫ぼうとするスバルを、ユキは冷静に遮った。

 ユキの言葉を聞いて、悲しそうに、泣きそうに、スバルは顔を歪ませた。しかし最後は悔しそうに剣を下し、スバルは自分のジャケットを脱いで、ユキの肩にかけた。ユキは、ほっと息を吐き、肩にかかったジャケットを手繰り寄せる。

 そして、後ろでへたり込んでいる青年に顔を向けた。


「きみ」


「うわぁあああ!」


 先ほどの恐怖が消えていないのか、ユキにまで怯えたように頭を抱えて叫びだした。


「怖がらなくていい。一体誰の命令でこんなことをしたんだ?」


「あ、あぁ…ああ……」


 さすがに少しかわいそうになり、ユキはなるべく優しく声をかける。


「大丈夫だ。大丈夫。君に危害は加えないから。ただ、君に命令された人のことを教えてほしいんだ」


 ユキが優しく声をかけ、背中をさすると、身体は震えているが呼吸は落ち着いてきたようだ。その様子を、スバルは不機嫌そうに睨みつけていた。


「……ツ……」


 すると、青年は震える唇で、怯えた声で、大きく叫んだ。



「ツクヨ男爵だ! ツクヨ男爵に言われてやったんだ……ッ‼」



 ユキは、青年の告白を聞いて、悲し気に、ゆっくりと、目を伏せた。





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