6.月明かりに にやりと笑う
十歳の頃、一度だけまわりの貴族達からしつこく言われて、見合いをしたことがあった。
一回すれば周りからとやかく言われなくなるだろうと思って受け入れた。
正直誰でもよくて、束になった候補の書類の中からテキトーに引っ張り出して選んだ。
それが、ユキ・ツクヨだった。
見合い用に描かれていたのは、大人しそうで、気が弱そうな少女だった。これならどんな最悪な見合いになったとしても、ごちゃごちゃ言いそうにないだろう、と高を括っていた。
女性関係など面倒くさい。
社交界に出ても、色目を使う女どもばかり。権力をぶら下げれば、平気で態度を変える、そんな醜い奴らばかりだ。そんな奴らが愛だの恋だの語っているなど、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
とにもかくにも、早く見合いを終わらせたい。勉学か稽古をしている方が何千倍もマシだ。
見合いの場は、王城の客間で行われた。
スバルは、重い溜息をつきながら見合い相手であるユキ・ツクヨを待っていた。
スバルにとってのユキの印象は全くと言っていいほどない。少しだけ、いつかの夜会で見かけたことはあるが、他の令嬢と同じように囲んで談笑しながら微笑んでいた印象しかなかった。
つまりは、特徴がない。そんな女だった。
ユキの印象を思い出していると、コンコンと扉のノックが聞こえた。
ついに、来たか。来てしまったか。
スバルは、もう一度重い溜息をついて、「入れ」と声をかけた。そして扉がキィと音を鳴らして、ゆっくりとその姿を現した。
「……初めまして、スバル殿下。ユキ・ツクヨと申します」
ユキは口上の挨拶とともに、ドレスの裾をつまみ上げ淑女の礼をとっていた。
綺麗に編み込みされまとめられた赤みがかった茶色の髪、満月のような黄金の瞳、ウエスト部分から裾にかけて直線的にスカートが広がるデザインのドレスを着ている。胸元には、控えめにリボンついており、淡い優しい色合いの黄色のドレスには裾に控えめな花柄をあしらえている。綺麗な立ち姿で、大人しそうに目を伏せている。十歳にしてはやや大人びた雰囲気を持っているような気がするが、やはり思った通りの印象で、ある意味スバルは安心した。
そしてスバルは立ち上がって、ユキに近付いた。ユキは突然近づいてきたスバルに驚いたのか、一歩後ろに下がった。先ほどの大人びた雰囲気から一変して、驚いたように丸い瞳を見開いている表情に幼さを感じ、スバルは少し目を瞠った。しかし、ユキは怯えたようにスバルをおずおずと見上げている。それに眉を潜めながらも、スバルはユキを見下ろして最初に決めていた言葉を発した。
「三十分で退出しろ」
「…………はい?」
これが、スバルとユキとの最初の会話だった。
@@@@@@@@@
襲撃があった数日後、あれから犯人の動きはなくなった。
「ダメっす。全然ダメっす。足取りが全く掴めないっす」
いつものように執務室で、スバルとユキはユウトの報告を聞いていた。先日の襲撃とアティシアを襲った犯人についての報告だ。しかしその内容は、期待したものではなかった。
「あの暗殺者はどうしてる?」
ユウトの報告に顔をしかめながら、スバルはユウトに目を向けた。
「監視してますけど、接触はないっすね。もしかしたら、犯人はあいつが捕まったこと知ってるのかもしれません」
はあと溜息をついて応えるユウトに、スバルも頬杖をついてつられたように溜息をついた。ユキはその二人の様子を心配そうに眺めながら、考え込む。
確かに。その可能性は高い。
一度捕まった暗殺者が、牢に入れられず外にいるのは、それは囮以外何物でもない。接触しないのは、当然の判断と言えるだろう。
しかし問題なのは、なぜそれを犯人が知っていたかだ。
スバルは、あまり騒ぎを大きくしないように緘口令を出して、公にしないようにしているはずだ。知っているのは、一部の衛兵と大臣、ユキとユウトの限られた者だけだ。
他国からの暗殺や反乱意思をもつ市民の可能性も少なからずあったが、
これで確信した。犯人は内部犯だ。しかもかなりの高位。少なくとも一般の官僚や使用人ではないだろう。
これがわかっただけでも、だいぶ絞り込めるし、今後の動きの指針にもなる。
そう思って頷いていると、ふいにスバルはユキの方を見た。ユキは、目が合って思わずドキリと胸が鳴った。先日、スバルに触れられたことを思い出して、一瞬速まった心臓を無理やり押さえつけるように、顔を引き締めた。
「あれからキリエルの奥方はどうだ?」
「はい。犯人が襲ってくる気配はありません。あれからアティシア様も穏やかに過ごされています」
ユキの言葉に、スバルは眉を寄せた。
「ヴァンモス家に戻ったのか?」
「いえ。しかしアティシア様から毎日手紙が届くので、それでご様子が……。お元気にされていますよ。最近では、孤児院にも通われて、子どもたちと遊んでいるそうです」
少しでも心の負担が無くなればと、ユキはアティシアの微笑ましいエピソードを微笑みながら話した。しかしスバルの表情は晴れないままだ。
「……このまま何もなければいいが……」
そう呟くスバルに、ユウトは不満気な表情をした。
「ま、けど王子の命が狙ったからには、それなりに罰は受けてもらいますっけどね」
「……」
ユキはチラリとユウトをみた。
あれから、ユウトは変わらずユキと話してくれている。しかし、あの時疑われていると知ってからは、ユキはユウトに対して少しぎこちない。いつもの通り明るく接してくれるユウトを見るたびに、あの冷たい表情は幻だったのではないかと錯覚する。しかし、ユウトを見るたびに痛む胸が幻でないと、ありありと伝えてくる。
どうしたら信用してもらえるのだろうか。
そんなことを考えていると、ユウトはスバルの顔を見て何か気づいたように瞠目した。
「てか、スバル殿下。目の隈ひどいっすね。寝れてないんすか? もしかして怖いんですか?」
「誰がだ。殺すぞ」
「仕事ため込みすぎないでくださいっすよ。唯一の取り柄の顔が台無しっす。あ、顔も怖いか」
「お前、本当に殺されたいのか?」
ユキはそんな他愛のないやり取りをしている二人を横目で見た。
羨ましい。
無礼な言葉なのに、表情こそ怒ってはいるが、スバルはそれを受け入れている。なんだか楽しそうだ。
ユキは、不満気に口をとがらせながら俯いた。
こっちだって、三年のブランクはあるが八年間の付き合いがある。
ユウトと変わらない付き合いのはずなのに、なんだこの差は。
二人だけの世界というか、やり取りと言うか、どちらにせよユキは蚊帳の外だ。とてもスバルに対して、ユウトのような無礼な口はきけない。
これは、スバルとユウトの信頼関係があるからこその、会話なのだ。
羨ましい。婚約者時代だってこんな風に仲良くできなかった。
羨ましい。スバルに信頼されているユウトが。
悔しい。信頼されていない自分が。
少し落ち込んでいると、扉からコンコンとノックする音が聞こえて誰もが扉に視線を向ける。
「お茶をお持ちしました」
すると、一人のメイドがお菓子とお茶を乗せたカートを押して部屋に入ってきた。それにユキは首を傾げた。
「頼んでいないが……」
「俺っす。この人言わないと休まないんで、こうして時々メイドさんにお菓子とお茶を持ってきてもらって休ませてるんっす」
ユウトがじとっと呆れた目を向けていると、スバルはかすかに視線を逸らした。ユキもつられて呆れた目でスバルを見た。先ほど、休めと言ったそばからこれだ。
しかし、ユキは閃いたようにはっと目を開いた。
これはチャンスだ。先ほどユウトがスバルに言っていたような話し方で、ユキもスバルに注意してみよう。
ユキは改めて、スバルに向き直ってごくりと唾をのんだ。
「殿下……………………ちゃんと休んでください」
「うるせぇ。わかってんだよ」
結局いつも通りになってしまった。ユキは内心頭を抱えた。
本当はもっと砕けたように話すつもりだったのに。
しかしスバルはユキのそんな様子に気づかず、作業用の机から立ち上がって、部屋の中央に置かれているソファとテーブルに近付いた。
ユキはその様子に気づいて、すぐさまカートに置いてあるカップを手に持った。
「毒見を……」
毒見をしようと口につけようとしたとき、横からスバルが強引に奪った。
「いい。いつものことだ」
そう言ってスバルは、そのままカップに口をつけた。ユキは役割をとられて不満気な表情をしたが、仕方がないと思いもう一つのカップに口をつけようとした。
ガシャン!
しかし、ユキの口にお茶が入ることはなく、お茶の入ったカップは粉々になって無残に床に広がった。
ユキは茫然とした。ユキの手が滑ったのではない。持ったカップが払いのけられたのだ。
その犯人を、ユキは困惑した表情で見返した。
「で、殿下……?」
呼びかけるとスバルは怒りを含んだ真剣な表情で、ユキを見ていた。
「飲むな」
ユキは、何が起こっているのかわからず一瞬困惑したが、すぐさまスバルの視線の先にいる人物に気づいてはっと振り向く。そこには、怯えた様子のメイドがいた。先ほど、お茶とお菓子を運んできたメイドだ。メイドはスバルと視線が合うと、恐怖でか身体を震わせた。
「ひぃッ!」
「誰の差し金だ。言え」
今まで聞いたこともないような、怒りの孕んだスバルの声に、眼差しに、メイドは体を涙を目にためて怯え、そのまま踵を返して逃げようとした。
「……ッ!」
「逃げられないっすよ」
しかし扉には、ユウトがいた。逃げ場所を探そうとあたりを見渡していると、後ろから物凄い勢いで床になぎ倒される。
「きゃあッ!」
「殿下に毒を盛ったのか⁉ ユウト、早く医師を呼べッ!」
メイドを押さえつけたユキは、事の重大さに顔を青ざめ、ユウトに医師を呼ぶように呼びかけた。
「問題ない。毒の耐性はついてる。それよりもそいつから情報を吐き出せ」
しかしそれを遮ったのはスバル本人だった。そんなスバルに、ユキは憎々し気に唇を噛んだ。その反動で、メイドを押さえていた腕にも力が入り、メイドは顔を歪めた。
「……ッ。私は、ただあの人のために……ッ!」
「あの人?」
あの人、という言葉に聞き返すが、メイドははっとしたように口を噤んでそのまま話さなくなった。
「俺がやるっす」
すると、見かねたユウトがユキに近付いて、メイドを立ち上がらせようとした。しかしユキはそれに不満そうに顔を歪めたが、その様子にユウトは苦笑いをしてポンポンと優しく頭を叩いた。
力を抜け、と安易に伝えている気がした。それに従うようにユキはゆっくりと拘束していた腕を離した。
ユウトは、メイドを拘束したまま部屋を後にした。その様子をユキは顔を俯かせたまま見送った。
部屋には、スバルとユキの二人が残された。
「どうして……」
「あ?」
小さく呟いたユキの声にスバルが聞き返すと、ユキは勢いよくスバルに振り返った。
「どうして守らせてくれないんですか……ッ⁉」
ユキの悲痛な叫びが部屋中に響き渡った。
「私が女だからですか⁉ 私が令嬢だったからですか⁉ 私が、あなたの婚約者だったからですか……⁉」
悲痛に叫びながら詰め寄るユキに、スバルは少し瞠目した。
あの時、ユキが毒味をしようとした時、スバルは率先するかのように、ユキのカップを奪い取って、お茶を飲んだ。そして、毒が入ってることに気づいて、ユキを止めた。
つまり、スバル自身が毒味をしたのだ。
ユキに、毒を飲まさないために。
そのことに気づいて、ユキは憤怒した。
護衛騎士であるユキに対して、それはまるで侮辱のような行いだ。
「私は、あなたの護衛騎士になるために努力した! あなたに無慈悲にも切り捨てられて、見返したくて、ここまできたのに!」
そうだ。三年もの間、そのためだけに生きてきた。
マメがつぶれて痛みで剣を持てなくても持ち続け。
疲れて立てない足を叱咤しながら動かし続け。
吐いても膝をつくことは許されず。
身体にできた傷にも、痛みに耐え続けた。
泣いても誰も助けてはくれないからだ。
「なのに、どうしてそれすら認めてくださらない……⁉」
「……」
スバルは、静かにユキを見返した。何を考えているかわからない表情に、ユキはぐっと喉を詰まらせた。怒らせてしまったかもしれない。急に叫んで怒り狂っていれば、そうなるのも無理はない。ユキは、ふうっと息を吐きながら自分を落ち着かせた。
「……私は、あなたの護衛騎士です。だから、今後はこんな……」
「俺は、お前を騎士なんて思ったこと、一度だってねぇよ」
「え……」
その言葉に、茫然としたのは一瞬。
理解した途端、落ち着いた自分はすぐに消え、怒りで全身が震えながら、顔を赤くした。
「……ッ! 愚弄する気ですか……ッ⁉」
怒り任せにユキは剣を抜き、スバルにその切っ先を向けた。しかし、剣先は震えており、ユキの瞳には涙がたまっていた。しかしスバルは動じず、じっと剣先を見つめた。するとスバルは静かに口を開いた。
「……愚弄しているのはお前だ。俺がいつ、そんなことを望んだ?」
スバルは、まるで憎い相手を目の前にしてるかのように、ユキを睨んだ。ユキはびくっと身体をすくませた。
こんな瞳、ユキは知らない。
こんな、怖くて、氷のように冷たくて、憎んでいるような瞳は。
不機嫌そうな、けれど優しさを含んだ瞳しか、ユキは知らない。
「騎士になれなど、俺がいつ望んだ……⁉」
今度はスバルの怒鳴る声が部屋に響きわたった。ユキは怯え切って、まるで近づくなというように、剣を前に出してしまった。
「わ、私は……ッ」
ユキは首を振りながら弁明をしようとするが、何を言っていいかわからずそのあとの言葉が続かない。しかし剣を向けられているのにも関わらず、スバルは怒りのまま一歩近づいた。その拍子に剣先が身体に触れ、衣服が少し破れた。
スバルは、怒りを含んだ表情のまま悔しそうに顔を歪ませた。その拍子に拳が震えるぐらい強く握っているのが、目をかすめた。
「普通に、戻ってくれればよかったんだ。そうしたら、お前を解放できた……ッ!」
「ど、どういう……」
スバルの言葉に疑問を持っていると、スバルの声を聞いたのか、それとも毒を盛られたことを聞いたのか、衛兵たちが駆け付け部屋へと入ってきた。衛兵たちはスバルに剣を向けているユキを見て、迷わずユキを押さえつけた。
「殿下! お離れください!」
「ぐぅ……ッ!」
押さえつけられたユキは、顔を床につけながら目はスバルの方を睨むように見上げた。
突然の衛兵に目を瞠ってる姿が見えて、ユキは先ほどの怯えも忘れて、理不尽に怒鳴られたことへの怒りが湧いた。
「この……ッ、バカ王子! お前なんか、大っ嫌いだ‼」
―
――――
―――――――――
「……で、俺がちょっといない間に、なんでこんなことなったんすか?」
メイドを連行してから戻ってきたユウトは、騒ぎを聞いて驚愕した。毒殺のことで騒いでいるかと思ったのに、まさかの出来事に今では驚きを通り越して呆れに変わっている。
そんな呆れた視線を向けてくるユウトに、スバルは気まずそうに視線を逸らした。
「知るか! あんなバカ女!……俺だって嫌いだっつーの!」
「何の話っすか」
すぐさま突っ込まれたユウトに、自分の失言に気づき、スバルは口を噤んだ。
「……で? なんか吐いたか?」
スバルは話を逸らすように、ユウトに目を向けた。ユウトもそれはわかっていながらも、スバルの話にのる。
「いえ。自白剤、結構打ったんすけどね。強情で全く話さなかったっす。けど、正体ぐらいはわかりましたよ」
「なんだ?」
スバルは、少し食い気味にユウトの言葉に耳を傾けた。しかしユウトは、有益な情報を得たにも関わらず、言いにくそうに口をもごつかせた。スバルはそれに首を傾げたが、急かすようにじっとユウトを見る。それにユウトは、気まずそうに頭をガシガシと掻いて投げやりに言った。
「あれ、ツクヨ男爵のところの元使用人です」
@@@@@@@@@
王城の離れ、円形闘技場の近くにある地下の一室。
そこには、牢獄がある。円形闘技場は昔は罪人同士を戦わせ競わせ、勝ち残ったものが罪から逃れることができる、そんな習わしがある場所でもあった。よって必然的にその闘技場の近くに牢獄が作られるようになった。今では罪人にそのようなことをさせる習慣はないが、牢獄としては現在でも機能している。
その地下の一室に、一人の少女が投獄された。
牢屋に一つしかない小さな格子窓から夕陽が入り込み、少女の白銀の髪を照らす。
「暇だ……」
ユキは、部屋の隅で丸くなりながらぼそりと呟いた。
この牢屋は石室になっており、床は冷たい。そして何より、あまり使われていなかったせいか、ほこりっぽいし、話し相手もいない。
気がまぎれそうなものもないせいで、先ほどからユキは自己嫌悪に襲われていた。
情けない。護衛騎士に任命されてからたった数日で牢獄行きだなんて。
今ユキは、頭を冷やすという理由で牢屋に入れられている。剣をスバルに向けてしまったことを周りには、スバルが毒殺されそうになって怒りで興奮し錯乱した、みたいなことになっているらしい。
ユキははあっと溜息をついた。
王子を守るための剣を、王子に向けてしまうし。
しかも、無礼な口をきいてしまった。
碌に守れもしないし、無礼な口はきくし、王子に剣は向けてしまうし。
このまま護衛騎士を解任されるかも。
剣なんか、強くてもなんの意味もなかった。
これまでの苦労はなんだったのかと、泣きたくなる。
すると、入り口から鍵を開ける音が聞こえ、ユキは顔をあげた。
「誰だ?」
そう呼びかけると、鉄格子の向こう側からコツコツと靴を鳴らして、それは姿を現し、独特のスパイスの効いた香水が牢屋中に広がった。
「驚いた。まさか本当に貴様がいるとはな」
「ッ‼」
ユキは、驚いて目を開いた。
そこにいたのは、かつてユキに暴力を振るっていた父、ベルク・ツクヨ男爵だった。
「お、お父様……」
久しぶりに会った父親に、ユキは驚いたまま働かない頭で呟いた。
「汚らわしい。誰が父だ。貴様のせいで、私の権威は変わらず男爵だ。牢に入っていなければ、貴様を切り刻んでやりたいぐらいだ……ッ! この恥知らずが‼」
そう言ってベルクは、鉄格子を蹴りつけた。ユキはそんな父の姿に、すっと頭が冷めていく感覚がした。
「このことが、世間にばれれば私は笑いものだ!『ツクヨ家の令嬢が男のように剣を振る男女だった』とな‼」
相変わらず、変わらない。
他人の目ばかり気にして、自分の権威を高めることしか考えていない。
そうやって暴力に走っていれば、誰でも従うとまだ思っているのだろうか。
まるで自分を見返る様子のないベルクに、ユキはため息をつきたくなった。
すると、そんなユキを見て、馬鹿にされていると感じたのか牢屋中に響き渡るぐらいの大きな声で怒鳴りつけた。
「恩を仇で返すような真似をしおって! 私がお前の命を救ってやった恩を忘れたか⁉」
「……」
その言葉にユキは思わず拳を握った。
そうだ。確かに、この人には命を救ってもらった。
けれど、だけど――……
「あのまま私の言う通りに動いてればよかったのだ! そうすれば何もかもうまくいったのだ!」
ベルクは、怒りのまま、血走った目で、ガンガンと何度も何度も、鉄格子を蹴りつける。昔は怯えて怖がっていただろうが、今は何とも思わない。まるで癇癪を起した子どものようだと思う。その姿を静かに見つめた。
「スバル殿下も……殿下の為に、申し上げていることばかりなのに、私のいう事など耳にも通してくださらない! 私が男爵の地位にあるばかりにだ!」
ユキはベルクの言葉に眉を潜ませた。
決して、地位が低いからというわけではないだろうに。スバルは、普段は不遜な態度をとっているが、公の場ではそれを隠して王子らしく謙遜な態度で振る舞っているし、地位が低いからと言って聞き流すようなことはせず、公平に話を聞いている。
なのに、目の前のこの父は何を言っているのだろうか。
すると、ベルクは、血走った目でぎらりとユキを睨みつけた。
「許せん……ッ。許せんぞ! 私のいう事を聞かんぬ、お前も殿下もな!」
「……ッ! スバル殿下に何をするおつもりですか⁉」
ベルクの言葉に、ユキはすぐに鉄格子にしがみついてベルクを問いただす。
すぐに浮かんだのは、最近起こっているスバルへの暗殺。
まさか、本当に父のベルクが行っていたのか――……
ベルクの言葉に、今まで行ってきたであろう暗殺行動に、信じられずに、ぞっとした。
「貴様には、関係ないッ! そのまま牢に入っておけ!」
しかしベルクは、ユキの問いに唾を吐いて踵を返した。それに、ユキは引き留めようと手を伸ばすが、当然ながら届かず空振りする。ベルクの香水の残り香だけが残っただけだった。
ユキはずるずると、鉄格子にしがみつきながら地べたに座り込んだ。
(スバル殿下……ッ!)
心の中で、主の名を叫ぶ。届かないと知りながらも、届くようにと願いを込めて。
どうか、無事でいて――……
祈るように、手を組んでいる自分の手を見てはっとした。
マメだらけの手。
何度もマメがつぶれて、痛くても、叫びたくても、剣を持ち続けた手だ。
「なに、やってるんだ……」
そうだ。何をこんなところで座り込んでいるのか。
祈っているだけでは意味がない。
それこそ、何のための三年間だったのか。
ユキは、すぐさま立ち上がり、部屋の周りを見渡した。
もう、暗い。日が完全に沈みこんだのだろう。石室のこの部屋では肌寒くて、両腕をさする。
しかし、夜にも関わらず明るいことに気づいた。
すると、唯一の小さな格子窓から月の明かりが入り込み、部屋を照らしてくれている。
ユキはそれを確認して、決意する。
今は剣はない。けれど、まだ護衛騎士だ。
絶対に守る。それで、こう言ってやるのだ。
「ざまあみろってな!」
そう言ってにやりと不敵に微笑むユキの表情を、月明かりが背中を押すように照らしていた。