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5.胸の内は月光でも輝かない

あけましておめでとうございます!

まだまだ新参者ですが、執筆も頑張りますので、今年もよろしくお願いします!


 

 初めてアティシアに出会った時のことを、ユキはよく覚えている。


「まあ! ずぶ濡れではありませんか!」


 キリエルに弟子入りを志願した後、行くあてのないユキをキリエルは館へ招いてくれた。もちろん、宿屋で待っていたメイドのサヤを連れてユキは初めて国が誇る鷹の館へと足を踏み入れた。その時、夫を出迎えにきたのであろう妻のアティシアが階段から二人の姿を見つけ駆け下り、ずぶ濡れになっているユキに声をかけた。


「こんなに濡れて……。あなた、女性を雨の中ずぶ濡れで放置させとくなんて、どういうつもりなのかしら?」


「い、いやあ……。その、すまん……」


 アティシアは、ギラリと夫であるキリエルを睨みつける。その視線にキリエルはたじたじになって応える。ユキはそんな二人の様子を不思議そうに目をやった。


 ――どうして、怒られないのだろうか?


 いつも横暴で、暴力を父から受けていたユキにとって、女性が男性に強く出るなどない。また、その男性が女性に対して弱気な様子でいるのも、ユキにとっては思ってもいない景色だった。

 茫然と二人の様子を見ていると、アティシアがその視線に気づいて目を向ける。


「あら、ごめんなさい! 私ったら。ほら、いらっしゃい。誰か、お湯を沸かしてちょうだい」


 そう言ってアティシアは、ユキの肩を抱いて浴場へと案内してくれた。

 ユキの身体に触れたとき、身体に残った雨水で手が濡れただろうに、アティシアは躊躇なくユキに触れた。それが、くすぐったくて、同時に申し訳なくて、けれど肩から伝わるぬくもりが心地よかった。


「さあ、脱いで」


 脱衣所に着いて、まさかアティシア自身が自分の世話をするなんて思わずユキは動揺した。


「あ、あの、大丈夫です。自分で……」


「そんな濡れたドレス、脱ぐのも大変ではなくて? 大丈夫よ、女同士だもの。気にすることありません」


 動揺するユキをよそに、アティシアは意外にも強引に脱がせようとした。

 ユキは焦った。このままでは、見られてしまう。


「あの、本当に……!」


 そう言っている間にも、アティシアはドレスのチャックに手をかけていた。アティシアの手はそのまま下に降りていき、ドレスは重力に沿って床へと落ちていった。


「……!」


 アティシアは、ユキの身体を見て驚愕した。

 

 無数の、青紫のアザ


 目を開いて驚いている様子のアティシアを見て、ユキは絶望した。隠すように自身の身体を抱き、その場でうずくまった。


 恥ずかしい、恥ずかしい。こんな身体――……


 恥ずかしくて、情けなくて、自分が嫌で、身体が震えた。

 綺麗なアティシア。

 ウェーブのかかった暗い茶色の髪は自然を織りなす木々を思わせ、紅色の瞳はザクロを思わせるほど深く、肌は四十代とは思えぬほどの艶を出している。近づくと香るローズの香りが彼女の美しさに華を添えている。とても綺麗な人だ。


 対して自分はどうだ。


 とても女性とは思えないアザだらけの身体。稀有な白銀の髪。

 アザはドレスから見えないように、腹や胸全体に広がっている。これは、婚約者であったスバルにばれないよう、父が配慮した結果だった。

 

 今までどうも思わなかったのに、綺麗なアティシアの目に入ったと思うだけで、

 比べられている気がして、

 みすぼらしくて、惨めで、――……身体が拒絶し、恐怖した。

 アティシアに、どう思われるのか怖かった。


 震えてうずくまっているユキに、アティシアは目線を合わせるようにゆっくりと屈みこんだ。


「大丈夫よ」


「え……?」


 顔をあげると、優しく、柔らかく微笑んでいるアティシアの顔が目に入った。アティシアは微笑みながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「――――――――」


 あの時、アティシアがくれた言葉をユキは絶対に忘れないだろう。


 だから、アティシアを傷つける人は、誰であれ、絶対に許さない



@@@@@@@@@



「ユキさんの命が狙われている?」


 次の日の朝、スバルは自室でユウトを呼び出し、昨日の出来事を話した。スバルは話がてら自分の身支度を整えていた。


「ああ。キリエルの奥方があいつを探している奴に襲われたらしい」


 普段は、身支度を整えている姿など他の人に見せたりはしない。態度には表していないが、それだけスバルはユウトを信頼している証でもあった。

 ユウトは、スバルの言葉に首を傾げた。


「ユキさん強いから大丈夫じゃないっすか? 暗殺者がきても、ぼこぼこに倒しますよ」


「……」


 キリエルの弟子で、しかも騎士団全員でかかっても倒せないっていう化け物級の強さだ。むしろユキが危険な目に合おうと、敵に同情してしまうぐらい返り討ちにあうだけじゃないかと思うが。

 しかし、スバルはユウトの言葉にピクリと身支度をしていいた動きを止め、ついっと睨むように目を細めて横目でみた。その視線に一瞬目を瞠ったものの、ユウトは肩を落として溜息をついた。


「……はあ。わかりましたよ。こっちで調べときます」


「頼む」


 そう言ってスバルは、最後にジャケットを羽織って扉に手をかけた。


「おはようございます。スバル殿下」


「あ……?」


 扉を開けるとユキがいた。目の前できっちり白い騎士団の制服を着て、凛々しい顔で敬礼をしている。それに少し驚いた後、ああそうかと思い出す。

 そういえば護衛騎士になったのだった。

 護衛騎士になると王室に部屋が与えられる。場所はスバルの隣の部屋だ。その部屋はスバルの部屋と続き部屋となっており、何かあるとそのまますぐに駆け付けられるようになっている。そのことをすっかり忘れていた。


「スバル殿下?」


「いや、なんでもない」


 驚きから戻ってきたスバルは、ユキの横を通り、そのままいつも通り執務室に向かうため部屋を出て、廊下を歩く。その後ろからユウトとユキがついてくる。スバルはユキを一瞥して話しかけた。


「あれから何か動きはあったか?」


「いえ。私もあれから目撃者をあたってみましたが、誰も見ておらず。アティシア様も記憶が混乱しているのか相手のことはよく覚えていないようです」


「……そうか」


 報告を聞きながら、スバルは少し違うことを思った。


 不思議だ。

 こうして、ユキと宮殿を歩いて、事務的な会話をするとは思わなかった。昔もユキはよく宮殿に来ていたが、部屋で話すか、庭の花園を散歩するぐらいで、こんな他の官僚たちや使用人のように同じような扱いで、そんな立場に、ユキがいるなんてスバルは今でも少し信じられない。

 本来であれば、隣に立って、昔のように他愛のない話をしていたのに。

 今では一歩下がって、従者のように振る舞っている。

 ちらりと後ろで歩いているユキを見ると、ユキは申し訳なさそうに眉尻を下に下げていた。


「ご心配おかけして申し訳ございません。護衛の身である私が私事などを持ち込んで……」


「いや、お前はいい仕事をした。」


「え?」


 ユキはスバルの言葉に目を丸くしていると、スバルは立ち止ってユキと向かい合った。


「護衛騎士をつけた途端のこれだ。俺を殺すのに悠長にして焦ったかどうか知らないが、これで異分子を一気にあぶりだせる。……もし俺を狙ってのことなら、これは俺の問題でもある」


「スバル殿下…」



@@@@@@@@@


 スバルの思ってもみなかった言葉にユキは、思わず名前を呼んで呟いた。


 相変わらずの目つきの悪い目に、気遣いの眼差しが見えた。


『一人で抱え込もうとしてんじゃねえよ』


 昨日の言葉が頭に浮かぶ。


 目つきも悪いし、口も悪い。なのに、どうして気にかけてくれるのか。

 迷惑なんてかけたくないのに。一人で対処できない奴だって思われたくないのに。

 そう強くあろうとした心には、この人の言葉は甘い毒だ。

 どろどろに溶けて、きっとユキがユキでなくなるに違いない。

 思わずユキは、腰に下げている剣の鞘に触れた。

 これは強さの証だ。これがある限り、ユキは強く在れる。


 スバルの目を見ていられず逸らしていると、横からユウトの明るい声が聞こえた。


「ま、そんなに気負わなくても、最悪俺もいるし大丈夫っすよ。情報収集は任せてくださいっす!」


「ありがとう……」


 ユウトの頼もしい言葉に、思わず笑いを漏らす。いい同僚に恵まれた。


 不思議だ。どうして自分の周りにはいい人ばかりが集まるのだろうか。


 横にいるユウトに笑いかけているユキは、不機嫌そうにしているスバルには気づかなかった。


 なぜなら、別の気配を、敵意を感じたからだ。


「――‼」


 ユキはすぐさま剣の柄を掴み、警戒態勢をとった。

 すると、廊下の窓の外からきらりと輝く何かを見つけ、スバルのもとに走り出す。

 

「スバル殿下‼」


「!」


 必死の叫びと同時に窓から黒い異物が窓ガラスに勢いよく貫通して、侵入してきた。

 狙いは、スバルだ。

 ユキはスバルのそばで立ち止まり、その異物を抜剣したと同時に弾く。弾いた異物は勢いよく回転して地面突き刺さった。


(鉄の矢……)


 それは黒い鉄でできた矢だった。

 こんなものが当たっていれば、ただの怪我では済まない。身体が貫通して致命傷になる。


 もしスバルにあたっていれば――……


 ぞっとユキの身体から全身の血が抜ける感覚がした。


「……ッ! どこから……ッ」


 ユキはすぐさま窓に近付き、矢が出てきた場所を探す。

 どうやら一本だけのようだが、これが何本も打たれたらたまったもんじゃない。

 すると、窓からちょうど見える西塔の屋上から人影が動くのが見えた。

 きっと、あいつだ。

 ユキは奥歯を噛みしめて、外にいる衛兵に叫んだ。


「くそ!……衛兵! 西塔から刺客を捕捉! 今すぐ捕らえよ!」


 窓ガラスの割れた音を聞いたのか、階下の外には複数の衛兵がいた。みんな何事かと混乱していたが、ユキの剣幕にただ事ではないと判断し、すぐに命令を聞き西塔に向かった。

 ユキはそれを見送ると、胸をなでおろした。まだ敵はいるかもしれないが、あの西塔からそれほど距離はない。刺客はすぐ捕まるだろう。ユキはすっと剣を収めた。


「スバル殿下。お怪我は……」


 怪我を心配して、ユキは後ろにいるスバルの方に振り向くと、ユキの肩を思いっきり掴まれた。


「そんなことより、お前は⁉」


 スバルにものすごい剣幕で勢いよく肩を掴まれたユキは、目を見開いて驚いた。真剣な、必死な眼差しに、驚きが抜けきれないユキはたじたじに応える。


「は、はい。大丈夫、です……」


 そう答えると、スバルは目元を一瞬安心したように緩ませて、すぐにいつもの不機嫌な表情に戻った。


「それにしても……」


 驚いているユキをよそに、スバルは服についたガラスの破片を払いながら、床に刺さっている矢を見た。ユウトはその矢を引き抜いて矢先をじっと見つめた。


「毒矢っすね。鉄の錆具合からして相当きついやつっす」


 ユウトの言葉に、スバルとユキは眉を潜ませた。ユキは顎に手を当てた。

 確実に、殺そうとしている。しかも確実にスバルを狙ったものだ。

 昨日の犯人と同一犯か? だったらなぜユキを探していた? それとも偶然? 

 まさか昨日アティシアを襲ったのはこの襲撃から目線を逸らすため?

 様々な考えが浮かんでは、消える。いまいちどれも当てはまらない気がする。

 犯人の目的がわからない。

 ユキが考え込んでいると、スバルはユキに目を向けた。


「……お前、身の覚えはねぇのか?」


「……いえ。全く」


 スバルも同じことを考えたのだろう。可能性を潰すためにユキに心当たりがないか聞いてきた。しかしユキは、誰かに命を狙われるような覚えが全くなかった。騎士団の団員には、力比べの為にぼこぼこにしたが、そんなことぐらいで命を狙うような志が低い者たちとは思いたくないし、昨日のアティシアのことも説明がつかない。


 もし、他にいるのであれば――……


「……お前の父親のツクヨ男爵はどうなんだ?」


「……ッ! 父は……ツクヨ男爵はこんなことできる人間ではありません!」


 スバルの言葉にユキは、思わず声を荒げて否定した。ユキの声が廊下に響き渡る。ユキの必死な表情とは対照的にスバルは冷静にユキを見返した。


「へえ。まだ庇うんすね」


「え……?」


 思いがけない声にユキは驚いて後ろを振り向いた。すると、ユウトが見たことのない冷めた相貌でユキを見ていた。先ほどの言葉はユウトから発したものなのか。いつもとは考えつかない冷たくて、突き放すような声。


 それに、なんだ? 『まだ庇う』?


 もしかして、知っているのか――……?


 そう考えてユキはぞっとした。無意識に自身の胸の方に手を当てる。かつてあったアザの方へ。

 ユウトは、驚いているユキをよそにそのまま話し始めた。


「言っときますけど、完全にないって言いきれないっすからね。あの人は野心家だ。あんたを使って自分の権威をあげようとしてた。最悪あんたの子どもを傀儡にしようとでも企んでたんじゃないっすかね?」


「……ッ!」


 はっとして体が固まった。考えてなかったわけじゃない。

 いや、確かにユウトの言う通りだ。

 ユキの父親のツクヨ男爵は、ユキを王宮に送りこむことで、スバルとできた子どもを利用して、後ろから政治を操り、絶対的な権力を得ようとしていた。

 ユキはそれを知っていた。


「だから今その道筋を邪魔した、あんたとスバル殿下に恨みを持ってもおかしくないっすよ」


「ち、父は、確かにそういうところはあったが……。けれど、こんな……」


 ユキは必死になって否定した。父親の善良性を信じているわけではない。あの父親が誰かの、まさか第二王子であるスバルの命を狙うほどの度胸がないことも、ユキは知っていた。ユキに暴力を振るって支配した気でいたあの男がそこまで考えが至るはずがないのだ。

 必死に言い募るユキを見て、ユウトは変わらず冷たい眼差しでユキを見ていた。


「ちなみに俺はあんたも疑ってるっすよ」


「え……」


「あんただって、あの人の企みに気づいてなかったわけじゃないんでしょ? だったら、あんたとツクヨ男爵はグルで、こうして自作自演して、護衛騎士になって、殿下の命を狙ってるってこともあるっすからね」


「な……ッ!」


 ユキは、あまりの言葉に一瞬にして怒りが湧いた。まさか一緒に働く仲間にこんな侮辱を言われるなんて思わなかった。しかしぐっと拳を握って自分の感情を抑える。

 確かに。あの父親の企みには最初から気づいていた。その浅はかな考えに気づかないほど、ユキは愚かではなかった。


 わかっていた。

 けれど、それでも、婚約者としていたのは、自分の想いを叶えたかったから。

 愚かな企みだと、父親のことを言えたもんじゃない。

 まさかその想いが今になって、こんな形になって足を引っ張るとは。

 昔の自分の愚かさに、恥ずかしさと悔しさで唇を噛む。


「そこまでにしとけ」


 すると、スバルが二人の間を遮るように声をあげ、二人はスバルの方に顔を向けた。

 ユウトは、スバルの顔を見ておどけたように肩をすくませた。


「……ま、可能性の話しっすからね。それもほんの一部。あげきったらキリないっすからね」


「……わかってる。疑うのは当然だ。お前は間違ってないよ」


 ユキは、少しユウトから気まずそうに視線を逸らした。すると、スバルはユウトに視線を向けた。


「ユウト。西の塔にいた刺客の状況を確認してこい」


「へいへい」


 スバルの命令に、ユウトがあっさりと聞き入れたことにユキは驚いた。

 疑いのあるユキとスバルを二人きりにしていいのだろうか。疑っていると言っても、まだ信用してくれているということか。


「……」


 ユキはユウトの背中を複雑な心情で見送る。

 気さくに話しかけてきてくれたユウトが、こんな形で疑われることに、ユキは少なからずショックを受けていた。


「これでわかったろ」


 スバルのいつもは聞かない厳格な声が聞こえて思わず振り向く。怒っているわけでもなく、いつものように苛立っているわけでもなく、ただ静かな表情でユキを見下ろしていた。


「お前が考えてるほど、ここは甘くねぇよ。そうやっていちいち傷ついてるなら、やめとけ」


 思いがけないスバルの言葉に放心する。それと同時にズクリと胸の奥が刺されたような感覚が身体中に広がり、身体の芯が冷たくなる。

 するとスバルは、ユキの頬に手を伸ばしそのまま包み込んだ。突然のことに驚いたが、手から伝わるスバルのわずかなぬくもりが、冷たくなった身体にわずかな温かさを与えた。


「優しすぎるんだよ。お前」


 切なげに見下ろすその眼差しに、ドクリと心臓が動き、ユキはもう何も言えなかった。


 優しくなんか、ないのに。

 本当はもっと、汚くて、卑怯で、小さくて。

 目的の為なら平然と剣を、力を振るって、人を傷つけることができる、最低な人間なのに。


 そう思っても口が動かず、

 軽くしてもらった剣が忘れるなというように、重くなった気がした。



@@@@@@@@@



 夜中、ユキは自室の、スバルの部屋に続く扉の前で、スバルの警護をしていた。

 思い出すのは、今朝の出来事。

 あの後碌な返事が出来ず、結局そのまま執務室に向かっていつもと同じように仕事に取り組んだ。もちろん襲撃のこともあり城中が混乱しかけたが、スバルが余計な騒ぎにしたくなく、また怪我がないこともあり、徐々に沈下していった。ユキは、衛兵の数を増やすように命令を出し、警護を強めた。その後の襲撃は特になく、平和に一日を過ごすことができた。

 ユウトはその後一度も執務室に戻っていない。何かあったのかと衛兵に声をかけてみたが、どうやら尋問に参加しているらしい。刺客が確保できたようで、ユキは安心した。

 スバルの命を守れたことに、役目を果たせたことに舞い上がったのは一瞬。


『お前が考えてるほど、ここは甘くねぇよ。そうやっていちいち傷ついてるなら、やめとけ』


(何も、言えなかった……)


 これじゃあ、あの時と同じだ。

 婚約破棄を言い渡された時と、何も変わっていない。


『あんたとツクヨ男爵はグルで、こうして自作自演して、護衛騎士になって、殿下の命を狙ってるってこともあるっすからね』


 ユウトの言葉を思い出して、悔しさで唇を噛む。


 本当に、違うのに。この力は、スバルを殺すための力じゃないのに。

 そばに来たのは、もっと、幼稚な、わがままな理由なのに。


 悔しい。何もできない自分が。情けない自分が。


 自分の身の潔白さえ、碌に証明できない。


 強くなったと、思っていたのに。


(だめだ。このままじゃ……)


 ユキは弱い自分をはじき出すように頭を振り、考えを切り替えた。


(あれは、明らかに殿下を狙っていた)


 ユキは、今朝の出来事、そしてその前の出来事から再度頭の中で順番に追った。

 ユキを探していたのに、今度は狙いをスバルに変えた?

 いや、逆にスバルを狙っていたからユキの居場所を探していたのか?

 スバルの護衛が女騎士になったことは、王都でも広がっている。さらにそれがキリエルの弟子であるユキだということも。

 しかも、キリエルの妻であるアティシアの顔を知っていた。あの時、アティシアはたしかにヴァンモス家の近くにいたが、外を散歩していただけのようだった。ただ散歩をしているだけの婦人に、ユキの居場所など聞き出そうとはしない。確実にユキを知っているから、襲ったのだ。

 よっぽどの下調べをしてきたのか、もしくは――


(身内、か……。)


 考えたくはないが、ユウトの言う通りその可能性は否めない。今朝の襲撃だって、そうだ。

 城の内部など、一般には知られていない。知っているのは一部の官僚か議員、使用人ぐらいだ。誰かが情報を流してるか、犯人自身だ。

 そして、ユキはそれにすべて当てはまるある人物を思い出した。


(お父様……。)


 そうだ。この条件にすべて当てはまるのはユキの父親であるツクヨ男爵しかいない。

 ツクヨ男爵は、貴族領と認められた一部の領地を管轄する領主として議会に参加する機会もあり、キリエルはあまり夜会などには参加していなかったが、王族が直々に行う社交界ではキリエルも妻のアティシアとともに参加していた。その時顔を覚えられてもおかしくない。

 それに、ユキはキリエルのもとにきてから一度も会っていない。


 もし、そうであれば容赦はしない。


 ユキは、静かに殺意のこもった瞳で見えない敵を見据える。


 例え父であろうと、スバルを、アティシアを傷つけることは許さない。


 ユキの剣呑な雰囲気は月夜に照らされて、ギラリとその瞳を輝かせた。



@@@@@@@@@



 その夜、ユウトは宮殿内を歩いていた。靴の音を規則正しく大理石の床に響き、静まった宮殿内に音を思い出させる。するとユウトはある部屋の前に止まり、手の甲で扉を叩く。軽快な音が鳴らせ、部屋の主に合図を送った。しかしユウトはその主の返事を待たずに扉を開けた。いつもノックしただけで入室しているので、今更返事なんか聞く必要はない。ユウトが部屋に入ると目の前には、ソファに座り、ブラウスの胸元を緩ませたゆったりとした洋装で書類を確認しているスバルの姿があった。

 またか。

 ユウトはいつもの光景に苦笑いを浮かべた。スバルはこうして自室にまで仕事を持ち込む癖がある。別に仕事が好きというわけではないのだろうが、やらなければ終わらない仕事量を抱えているので仕方のないことかもしれないが、健康的には心配なところなので、臣下としてはやめてほしいものだ。

 ユウトに気づいたスバルは、書類を机に置いてユウトの方を見た。


「ユウトか」


「遅くにすみません。今大丈夫っすか?」


「ああ」


 一応了承を得てユウトはそのまま部屋に足を踏み入れる。スバルの方へ向かいながらユウトは廊下に繋がる扉とは別の、壁の方にある扉に目を向けた。

 その扉の先にいるのは、昼に自分が傷つけた少女だ。


「怖いぐらい気配消してるっすね。流石と言うかなんというか」


「……用件はなんだ?」


 スバルはユウトの言葉を無視して本題を急かした。主のツレない態度にユウトはまたしても苦笑いを浮かべ、口を開いた。


「アティシア様を襲った輩ですが、ユキさんの言う通り目撃者ゼロ。手がかりゼロ。相手、よっぽど手慣れてますね」

 

 ユウトの報告を聞き、考え込むようにスバルは顎に手をあてた。


「今朝襲った刺客はどうだ?」


「下町の金で雇われた暗殺者です。大金積まれたそうっすよ。雇い主の顔は知らないらしいっす」


 よくある話だ。王都から外れた貧民街などには時々、盗みや殺しなど犯罪を生業とする人々は確かに存在する。貧民街の人間なら、捕まっても大して困らないし、身分が低いため、証言能力が低いと判断されがちだ。自分の足を突かせないためなら、これほど便利な奴らはいない。特に貴族にとっては、だ。

 するとスバルは眉を潜めた。


「確かか?」


「取引しました。これだから金で動くやつはやりやすいっすわ。……けど、これで振り出しっすね」


「……そうだな。たくッ、何が狙いだ?」


 スバルはユウトの報告にイラついたように舌打ちをした。報告したユウトも疲れたように重い溜息をつく。

 確かに。今回は相手の目的がよくわからない。ユキの居所を探していたと思えば、今度はスバルを殺そうと暗殺者を雇った。別々の事件だとしてしまえばこれほど悩むことはないのだろうが、ユキがスバルの護衛騎士に任命された途端の事件。どうしても関連がないとは言い切れなかった。

 上手くまとまらない思考にユウトは頭を掻いた。


「こっちからも、何か動かなくっちゃですね。これだけの情報じゃなんとも言えませんよ」


「ああ、わかってる。何が狙いかは知らねぇが確実に俺かあいつを狙ってる。あとは俺が囮になれば簡単な話だ」


「できればそれは最終手段にしてほしいっすけど。もう少しあの刺客をうまく泳がして情報とるんで、先走らないでくださいっすよ」


 一国の王子とは思えないスバルの発言に、ユウトは焦って止める。

 全くこの人は。決して他人を助けるためならと自分を投げ出す部類ではないが、どうしてもユキのことが絡むと突っ走ってしまうようだ。


 先が思いやられる、と溜息をついていると、スバルはじっとユウトの方を見つめた。突然見られたユウトは首を傾げる。すると、スバルは居心地悪そうに視線を逸らし口を開いた。


「今朝は、悪かったな」


 ユウトは、思いがけない言葉に目を丸くして驚いた。


「……スバル殿下どうしたんすか? もしかして朝の毒矢が頭掠りました?」


「殺すぞ」


 先ほど気まずそうにしていたのが一転、ユウトの茶化しにスバルは青筋を立てた。いつものスバルの態度になりユウトは安心したが、やはり先ほどの言葉が気になった。そんな謝まれるようなことをした覚えはない。そんな表情が出ていたのだろう、スバルはチッと舌打ちをして気まずそうに小さな声で話した。


「……悪い役を押し付けたことだよ。あいつに対して」


 ああっとユウトは今朝のことを思い出した。


『ちなみに俺はあんたも疑ってるっすよ』


 あれか。

 なるほど。小さな声で話しているのは、隣の部屋にいるユキに聞こえないためか。

 

「別にどうってことないっすよ。まあ嫌われたかもですけど」


 ユウトは、小さく微笑んだ。本当にどうってことないが、その気遣いがくすぐったくてうれしかった。だからこそユウトは、どれだけ理不尽な扱いを受けても、この人の下からなかなか離れられないのだ。

 けれど、疑われた時のユキのあの傷ついた顔には罪悪感を覚えた。

 別に本当に疑っているわけではないが、ツクヨ男爵を庇ったユキに対して、かすかな苛立ちを持ってしまったからだ。

 スバルもユウトも、ユキがツクヨ男爵から暴力を日常的に受けていたのは知っていた。そのことをいつまでもスバルに報告しなかったことも、今になっても公表しようとも考えていないことも。

 それを調べたのもユウトだ。だからこそ、いまだにツクヨ男爵を庇うユキに苛立ちと怒りを覚えてしまったのだ。

 そのことで、スバルが苦しんでいたことを、知っていたからだ。

 

 すると、スバルは舌打ちをしながら壁の扉を見つめた。


「お前は間違ってねぇよ。あいつが馬鹿なんだ。いつまでも甘い考え持ちやがって」


「……けど、あんたの気持ちわかりましたよ」


「あ?」


 スバルは、ユウトの言葉に眉を潜めると、ユウトも同じように壁の扉を見つめていた。その先にいる、白銀の女騎士を思って。


「危ういっすね、あの子」


 暴力を振るわれてた男を、庇おうとするユキ。

 ユウトにはよくわからなかった。

 ひどい目に合ってきたのはユキ自身のはずなのに、責めようとも陥れようとも考えない。


 それがどうにも、もどかしくて。見ていられなくて、見離せない。


 ユウトは今朝のユキのことを思い出し、少しだけ目を伏せた。


「もっと、勝気な感じかと思ってたんすけどね」


 初めて会った時は、得意げに微笑むばかりだったから、もっと自信家で強気な少女なのかと思っていたのに。

 疑われたことに傷つき、綺麗な顔を歪ませていたユキを見て、最初にユキに抱いていた印象がまるで水が滲んだかのようにぼやけた。


 まだ、ユウトは彼女のことを知らなすぎる。


「……ユウト」


 控えめに呼ぶスバルの声に、思考に陥ろうとしていた意識がはっと浮上し、ユウトは慌ててスバルに向き直った。


「んじゃ、もう帰るっす。おやすみ殿下ー」


 ユウトはひらひらと手を振りながら、背を向けて帰ろうとした。


「……待て、ユウト」


「はい?」


 すると、後ろから小さく呼び止められて振り向いた。


「兄上は、どうしてる?」


 その言葉に、ユウトはすっと感情を消して無表情で応えた。


「……いつも通りっすよ」


「……そうか」


 それを聞いてスバルは安心したようにほっと息を吐いた。その姿にユウトは不機嫌そうに眉を寄せ、そのまま部屋を出た。


 お互いの胸にしまった思いは、闇夜に照らす月夜の中でも、明かされることはなかった。


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