4.潜む陰に、少しの熱
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試合が開始された時、スバルは王族専用の観覧席から試合を見ていた。他の一般の観覧席より少し高い位置にあり、試合全体がよく見える。
「……」
目につくのは、元婚約者であるユキ。
見慣れない白銀の髪を一つにまとめてなびかせている。剣を構える姿はまさに騎士そのものだ。しかし誰もがその洗練されたその姿に息をつく中、スバルだけは眉を潜めてユキを見た。
(どうして戻ってきた……馬鹿が)
そう悪態をついている中、試合が始まった。
勇ましく立ち向かい、何度もユウトに剣を振るうユキの姿を、もう誰も女という色のついた視点で見てはいない。一人の騎士として、その戦いぶりを見守る。
速い剣戟だ。さすがキリエル・ヴァンモスの弟子だ。
スバルもそこは素直に感嘆する。三年という短い月日でよくもここまで完成度を高められたものだ。さらに全体的な動体視力も高い。スバルはユウトがそれなりに強いことは知っている。だからこそ、そばに置いている意味もある。その証にユウトはあのユキの速い剣戟を受け止め切っている。しかしそのユウトが放つ剣戟にもユキは反応していた。一撃一撃をすべて受け止め、いなし、避けている。女という性別を抜きにしても、目を瞠る動きだ。
しかし、スバルは彼女のこんな姿が望んでいなかった。
キンキンと金属同士がすり合う音を立てて戦うユキを見て、スバルは思う。
手にしなくてもいい剣をとり、力をつけ――……
すると、ユキがユウトに腹を蹴られ、後方に吹っ飛んだ。それにスバルはぎゅっと自身の拳を握る。立ち上がりそうになる自分を抑え込むために。
つくはずのなかった傷をつけ、その痛みに、苦しむことなどなかったのに――……
こんな風になってほしかったわけじゃない。
もっと、穏やかで、平穏で、何にも傷つけられない暖かい場所で、笑っていてくれれば
それでよかったのに――……
そんなスバルの思いとは裏腹に、ユキはユウトに勝利し、試合会場は喝采に埋め尽くされた。
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あの試合の数日後、正式にユキがスバルの護衛騎士に任命された。
本日は、その顔合わせである。といっても公の場で行うわけではなく、スバルの執務室でひっそりと行われた。本来なら騎士任命の儀式やらなんやらで執り行われるが、スバル自身、公の前で何かを行うことがめんどくさいし、金も無駄に動いてしまうので無意味だと感じている。
そう。
そのため、たった今、スバルの執務室で顔合わせが行われていた。
「……」
「……」
スバルとユキは、お互い黙ったまま向かい合っている。スバルは机に座り、その前にユキが立っている状態だ。スバルは今まで見たこともないぐらいの悪い目つきでユキを睨み上げる。それにユキは涼しい顔をして受け止めいている。
その重い空気に、部外者であるユウトにとっては気まずいったらありゃしない。なるべく離れた位置で二人を見守る。
すると、ユキが先に口を開いた。
「本日、スバル殿下の護衛に着任いたしましたユキです。以後よろしくお願いします」
「……ああ」
スバルは這い出たような低い声で応える。それに青ざめているのはユウトだけだ。今まで付き合いは長いが、こんな般若のような顔をしたスバルは初めて見た。
そんなスバルに気づいてるのか気づいていないのか知らないが、ユキは、得意げに微笑みながら饒舌に話し出す。
「……スバル殿下のおそばにつけるなど光栄です。女、という性別ではありますが、しっかりと護衛させていただきあなた様を周りの危害からお守りします。しかし、スバル殿下とあろうお人が性別だけで判断する矮小な器などではありませんので、そこら辺の心配は無用でしたね。ふふ……」
「……」
そう言って機嫌よく微笑んでいるユキにスバルは据わった瞳で見た。見ているユウトは冷や冷やとしながら見守る。ユウトは一切、この間に入るつもりはない。入った瞬間、とばちっりを受けるのは目に見えていたからだ。
「ご存知かとは思いますが、私は剣の腕だけだはなく経済の知識も身に着けております。微力ながらも殿下のお仕事のお手伝いもできるかと……」
ユキは自分の胸に手をあてて胸を張る。ユキは元スバルの婚約者だ。もちろんその為の経済、社会学、宗教、語学などの教養は身に着けている。スバルの仕事の一部を手伝うぐらいはできるはずだ。
上機嫌で提案してくるユキに、スバルは不機嫌に眉を潜めた。
「何がしてぇんだ、お前」
そう発したスバルにユキはきょとんとした顔で小首を傾げた。
「……何が、とは? 私は、ただあなたをお守りしたいだけですよ?」
「……わざわざ我が国が誇る鷲の二つ名を持つキリエルの弟子入りしてまでか?」
スバルは立ち上がり、ユキの目の前で立ち止まる。スバルより頭一つ低いユキを見下ろし、尋問するように威圧的に睨みつけた。ユキはそれに動じずスバルを静かに見上げた。
「我が師は、知っての通りその名の通り剣筋の速さでその名誉をいただいております。私のような小柄な人間では力より速さを極めたほうが剣術を生かせると考えました」
「お前の考察などどうでもいい。俺が言いたいのは、婚約破棄した俺のそばになぜ仕える気になったのか、てことだ」
ユキは逡巡するように少しスバルから目を逸らした。
「……強いて言うならば、婚約破棄されたから」
「何?」
「なんでも?」
ぼそりと呟いた声にスバルは聞き返したが、ユキは肩をすくましてはぐらかす。馬鹿にされたような態度にスバルは一瞬にして殺意を覚えた。
「てめぇ……」
「あ、あのぉ……」
一触即発になりそうな空気に、とうとうユウトは勇気を出して声をかけた。このままではきっと大変なことになる、とユウトは直感し、なるべく小さく声をあげる。
すると、ユキは大きい瞳をさらに丸くしてユウトの方に顔を向けた。
「ああ、すまなかった。挨拶が遅れたな。私はユキ。知っての通り元そこの王子の婚約者をしていた。三年ほど前に解雇されてしまったが……今は護衛騎士として献身的に殿下を支えたいと考えている」
そう言って、ユキは微笑みながらユウトに近付いて手を差し出す。それにユウトはちらっとスバルの方を見た。スバルは相変わらずユキの方を睨みつけている。いや、もしかしたらユウトと両方かもしれない。
この手を握っていいものか……
しかし、いつまでも握り返してこないユウトにユキはきょとんと無邪気な顔で見つめてくる。それに少し罪悪感を持ち、しぶしぶユキの手を握り返した。
「ああ、そう。いろいろ突っ込みたいところはあるけど。俺はユウト。一応この人の補佐やってます……。てか、元婚約者とか隠さないんすね」
「隠すほどのことでもない」
「普通は隠すんすけどね」
そう言って握った手を離し、ユウトは呆れた顔でユキを見た。
雰囲気がだいぶ変わったせいか、騎士団はもちろん貴族たちにもユキの正体は気づかれていない。普通に考えれば、令嬢が剣をもって騎士団の中にいるなど考えもしないから、もしかしたら似ていると思われても、他人の空似ぐらいに思われているのかもしれない。
「……」
「……? どうしたっすか?」
すると、じっとユキはユウトの顔を見つめた。急に顔をじっくりと見られてユウトは首を傾げて疑問を投げかけた。
「いや。……ユウトはどれぐらい前から殿下に仕えているんだ?」
「え、えぇっと……結構長いっすよ。八年前くらいからっすかね?」
「……そうか……」
少し考えるように顎に手を当てているユキにユウトは不可解そうに顔をしかめた。
「なんかありました?」
「……八年前なら、私もスバル殿下の婚約者に選ばれてた頃だ。だけど、お前の姿を見ていない気がするんだ」
「俺はあんたのこと知ってったすけどね。まあ会ったことなかったすけど」
ユキの疑問がわかり、ユウトはああっと納得する。そして八年前のことを思い出していた。
「なんか間が悪かったんすよ。ちょうどスバル殿下とあんたが会う日に限って仕事が……」
「おい。無駄話もいい加減にしろ」
話を遮られ、声の主に顔を向ける。すると相変わらず不機嫌そうに眉を寄せたスバルがこちらを見ていた。
今日はやはりいつも以上にイラついている。これ以上の刺激は良くないだろう。
長年一緒に過ごして得たスバルマニュアルを使って、ユウトは降参するように手をあげた。
「……はいはい。さあやるか。じゃあユキさん。これ手伝って」
「わかった」
そう言いながらユウトは自分の机にあった書類の一部を雪に手渡す。それにユキは頷いて書類を受け取り、ユウトと向かい合わせにおいてある昨日用意された自分の机に座った。
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しばらく、ペンの音と紙のすれる音が聞こえるだけの部屋で作業をしていると、耐え切れなくなったユウトがついに声をあげた。
「試合のときも思ったっすけど、ユキさんってなんか元令嬢っぽくないっすね。しゃべり方のせいっすかね?」
声をかけられたユキは作業をしながら、ユウトの質問に答える。
「それもあるかもしれないな。剣士になるにあたってしゃべり方も変えたんだ。いつまでの令嬢みたいなしゃべり方だと何かと舐められるんでな。……ああけど」
ユキは途中で言葉を止めて、顔をあげた。それにユウトも注目して顔をあげた。
「相手を油断させるときは令嬢の話し方が有利だな。仕草とか作法とか加えるとなおいい。その方が相手も油断するから、意外に便利なんだ」
ふふっと得意そうに微笑むユキを見て、ユウトは呆れというか尊敬というか、そんな複雑な表情で苦笑いを浮かべた。頭には捜索用に描かれたかつてのユキの姿が浮かんでいる。
「……なんか立派になったすね……」
そういうとユキは、さっきとは打って変わった優しい微笑みをユウトに向けた。
「勿体ないお言葉です。しかし私はまだ未熟の身。これからも精進してまいりますわ」
「おお……。すっげぇ……。一気に雰囲気変わった」
言葉遣い、微笑み方を変えただけでこんなにも雰囲気が変わるとは。
ユウトは目を瞠り感嘆の声をあげた。
「こう言って相手が油断している隙に、一気に畳み込む」
それに機嫌を良くしたユキは、いつもの得意げな表情へと戻る。
しかし――……
「……ただの猫かぶりだろ」
得意げに話していたユキの顔が固まる。ユキとユウトは声のした方へと顔を向けた。そこには頬杖をついて書類を確認しているスバルの姿が目に入った。ユキは眉を潜めて声の主であるスバルに声をかけた。
「殿下? 何かおっしゃいましたか?」
「ああ、聞き取れなかったか? この狭い部屋で俺の声でさえも聞き逃すようでは、どこかに潜んでるかもしれない敵の気配など察知することなど不可能だな」
「……そうですか。では殿下。私はあなたをお守りすることが使命ですので、余計な雑音を鳴らすのはおやめいただきたいですね」
「雑音はお前だろ。むしろお前が俺の害だ」
「聞き捨てなりませんね。一体私のなにが不満なのでしょうか」
「お前のすべてがだ」
「……」
「……」
スバルは一度もユキの方に目を向けずに話し続けた。まるで相手にもされていないような態度にさすがのユキも腹が立った。目を向けないことをいいことに、スバルを睨みつけ、執務室に重い空気が流れる。
「……嫌だな、こんな職場……」
そんな様子を眺めていたユウトは、遠い目をしてぽつりと本音をこぼす。
これがずっと続くのか……
そう思うと、胃がキリキリと痛み始める。ユウトは気づかれないように、いつも常備している胃薬をこっそりと口に含んだ。
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王都ランタルが黄金色に染まる夕方。
ヴァンモス家の門の前で一人の少女が大きな荷物をもって、佇んでいた。
甘栗色の緩いウェーブのかかったの髪を二つに緩く結び、若葉色の大きな瞳を持つメイド服を着ている。少女はきょろきょろとあたりを見渡し、誰かを待っている様子だった。すると、一台の馬車が目の前で止まった。そこから、白銀の髪を持つユキが姿を現した。
「サヤ! 迎えに来た!」
「お嬢様!」
ユキの姿を目にした少女、サヤはぱっと顔を明るくしてユキに近付いた。近づいてきたサヤにユキはひょいっとサヤの荷物を手から奪い、馬車に乗せる。
「本当に良いのですか? 私なんかが宮殿の一室を借りるなど」
荷物を乗せたユキは後ろから心配そうに声をかけるサヤに振り向いて笑いかけた。
「殿下からの許可も下りているから大丈夫さ。それに私がサヤと離れるなんて考えつかない。……サヤは嫌か?」
「そんな! お嬢様のおそばにいるときほど、幸福なことはございません。それに、お嬢様の肌の手入れもありますし」
そう言ってじっとサヤはユキの顔を見つめた。それに、ユキはぎくっと肩を揺らす。
剣を教わってこの三年。ユキはおおざっぱになった。肌の手入れなど特にだ。前までスバルの婚約者と認めてもらうためにユキ自身も肌や化粧、服や宝石など気にして自分で行っていたが、それが無くなった途端、一切行わなくなった。
これはいけない!っと言ってサヤは訓練でくたくたに帰ってきたユキに無理やり肌の手入れを行い、訓練するときも日焼けしないように化粧をし、可愛らしい普段着や寝間着などもサヤが用意した。有難いのだが、ちょっと面倒だと思っている。ふわふわとした服は動きにくいし、化粧や身支度に時間もかかる。
しかし、サヤが腰に手をあてて意気込んでいる姿を見て、ユキは苦笑いを浮かべた。
本当にいい従者に恵まれたと思う。これだけユキを心配してくれるのもおそらく彼女だけだろう。
正式に護衛騎士となったユキは、宮殿に部屋を与えられる。いつでも王子の身から離れないようにだ。つまりそれは今までお世話になったヴァンモス家を離れるということ。
弟子入りしてから住み込みで、剣を教えてくれたキリエルには感謝してもしきれない。またそれを受け入れてくれた奥方や使用人たち。優しい人たちに巡り合えて、ユキは幸せだと思う。
しかし、どうしてもサヤと離れることは考えられずユキはスバルに頼み込んだ。するとスバルは意外にもあっさり承諾した。それに目を瞠ったことはまだ記憶に新しい。今日はその迎えだ。
そう思い出しながら、ユキは馬車に乗り込もうとした。
「きゃぁあああああ‼」
「……⁉」
すると突如悲鳴が響き渡り、動きを止める。
ユキは、乗り込もうとした馬車を降り、あたりを見渡した。すると、道端で倒れこんでいる婦人を見つけ駆け寄った。
「アティシア様!」
その婦人は、キリエル・ヴァンモスの妻であるアティシアだった。ユキはアティシアの肩を抱き上がらせた。暗い茶髪をした髪を綺麗に編み込み、四十代とは思えぬほどの綺麗な肌をしている。髪に合った水色のシックなドレスは倒れこんだ際に少し汚れてしまっていた。
「どうなされたのですか⁉」
「そ、それが、先ほど不審者に襲われて……」
「不審者⁉」
アティシアは、ガタガタと体を震わせながら自分の肩を抱いた。
ユキは目を見開いて驚き、つかさず周りを見渡す。
誰もいない。もうどこかに逃げたのか。
よっぽど怖かったのだろう。肩を震わせてすすり泣いているアティシアをユキは心配して背をさする。するとアティシアは、落ち着てきたのか泣きながらもゆっくりと言葉を紡いだ。
「『ユキはどこだ?』って刃物で脅されて、私、怖くて、何も言えなくて……」
「……!」
ユキは息を飲んだ。
――自分を探してる?
なぜだ、と頭を巡らせる前に通りからよく知った顔が姿を現した。
「キリエル様!」
「何があった!」
キリエルは、ユキの元まで駆け付けると恐ろしい剣幕で問いただした。自分の妻が倒れこんでいる状態を見て、動揺しているらしい。ユキは冷静に答えた。
「不審者です。アティシア様が襲われました。大きな怪我はされていないようですが」
「なんだと⁉ なめた真似を……ッ!」
「私は念のため、不審者を探します。キリエル様はアティシア様のおそばに。サヤもお願い」
そう言ってアティシアをキリエルに預け、一緒に追いかけてきたサヤにも目を向けて走った。
「待て! 一人は危険だ……おい!」
後ろからキリエルの止める声が聞こえたが、ユキは無視して持ち前の速さで不審者を探す。
(まだそう遠くへは行っていないはず……)
ユキは走りながら、あたりを見渡した。
ここは、ヴァンモス家の近くとあって人通りが少ない。もし人がいればすぐに見つけられるはずだ。すると黒いフードをかぶった怪しげな人影が目に入り、ユキは思わず立ち止まってフードの人影を見つめた。
フードで体つきを隠しているが、おそらく男性。フードを深くかぶっていて顔は見えない。しかし本当にフードで隠したかったのは、その腰に帯びている剣。
フードをかぶっているのは別に珍しいことじゃない。観光客の多いこの国では、文化からかそういう格好をした外国人が多いからだ。しかし、ここは観光地から離れた住宅地。
迷いんだ可能性はあるが、観光客が腰に剣を携えているとはとても思えない。
――怪しすぎる
ユキは、後ろからその男に声をかけた。
「待て。そこで何をしている?」
声をかけられたフードの男は立ち止った。するとユキは警戒して腰の剣柄に手を置いて構える。すると男はゆっくりとこちらに振り向いた。
「……お前こそここで何してんだ」
振り向いた相手に最大の警戒をしていたユキは、その男が発した声に聞き覚えがあった。
「……スバル殿下⁉」
まさかいると思っていない相手が出てきて、ユキは思わず声をあげた。
「声がでかい。……んだよ、血相変えて」
スバルにいさめられ、ユキは慌てて口を押える。そしてユキは手を口から放しながら恐る恐る尋ねた。
「あ、あの……なぜ殿下がここに?」
すると、スバルは腕を組んでため息交じりに口を開いた。
「時々こうして街に降りてんだよ。街の実際の様子がよくわかる」
「……おひとりですか? ユウトは?」
「……あいつは置いてきた」
「……もしかして、サボってきたんですか?」
「視察だ」
そう言い切るスバルにユキはじとっと疑いの目でスバルを見るが、スバルは完全に無視してそっぽ向いた。
「んで、どうしたんだ?」
「……」
振り向いたときのユキの顔が警戒心であふれていたからだろう。スバルはユキに怪訝そうに話しかけた。
ユキは改めてあたりを見渡し、誰もいないこと横目で確認する。先ほどの不審者がまだ近くにいる可能性があったからだ。さらに今は第二王子であるスバルがいる。命が狙われないとも限らない。
しかし、誰かが潜んでいる様子もなくユキはほっと息をつき、改めてスバルに報告した。
「不審者が現れたんです。そいつがアティシア様に危害を加えようとしていました」
「……キリエルの奥方か。命知らずなやつだ」
「……どうやら私を探しているようです」
「……」
その言葉を聞いて、スバルは眉を潜ませた。
「騎士団の誰かが、女騎士の私がスバル殿下の護衛騎士になったことへの嫌がらせや妬みなどはあるかと思っていましたが、これはいささか域を超えているように思えます。キリエル様の奥方であられるアティシア様を危険に及ぼすなどまず考えないはずです」
騎士団にいる人たちは全員キリエルを尊敬している。今でもキリエルは騎士団員たちの指導もしているのだ。そんな師ともいえる人の大切な人を危害に加えようなどと思わないはずだ。
するとスバルは、腕を組んで冷静にユキに問いかけた。
「……お前の命が狙われていると?」
「その可能性は十分あり得ます。もしくは私を殺して、スバル殿下の命を狙っているかも」
そうだ、第二王子の護衛騎士となったユキは、スバルの命を狙う者たちにとっては最大の邪魔だ。排除しようと動いてもおかしくない。
しかしまさか、お世話になったアティシアに危険が及ぶなんて思わなかった。
ユキは、唇を噛んで自分の楽観さを呪った。
ユキは、姿勢を正し目の前の主を意志のこもった眼差しで見つめた。
「ご安心を。スバル殿下は私が命を懸けてお守りします。このことはスバル殿下にご迷惑をおかけしません。なるべく早くに解決して見せます」
ユキの決意の言葉にスバルはさらに眉を潜ませた。
「……そうじゃねえだろ」
「え……」
低い、怒りの混じった声に、少しだけ委縮する。
いつも口が悪くて怒っているように感じるが、本当は本気で怒っていないことを知ってる。だからユキは少し無礼な態度をとっても、飄々といられた。
しかし今のスバルは本気でユキに怒っている。けれど、ユキは何に対してスバルが怒っているのかわからず、動揺した。
すると、スバルはユキを睨みつけ、怒りを抑えた静かな声で発した。
「なに勝手に、命懸けようとしてんだ。簡単に死のうとしてんじゃねぇ。試合の時の自信はどうした? 俺の護衛騎士になりたかったんだろ。お前が死んだら他の奴が護衛騎士になる。それでお前はいいのかよ」
「……ッ」
思いがけない言葉にユキは目を開いた。
まさか、心配してくれているのだろうか――……?
衝撃から抜け出せず茫然としていると、スバルは気まずそうに顔を背けた。
「あと、一人で抱え込もうとしてんじゃねえよ。……もう帰れ。不審者については俺も明日対応する」
そう言ってスバルは、ユキに背を向けた。
「……はい」
衝撃から戻りきっていないユキは、小さく返事をする以外できなかった。
そのままぼうっとスバルの背を見送り完全に見えなくなったころ、はっと意識を取り戻した。
しまった。本来ならあそこで送らなければならなかったのに!
護衛騎士として失格だ。ユキは自分の失態に頭を抱え込んだ。
まだ一日目だというのに何をしているのか。自分が情けなくて、落ち込む。
しかし、してしまったからには仕方がない。
ユキははあっと溜息をついて、ヴァンモス家に戻るために元来た道を歩く。
顔が赤いのは、きっと夕日に照らされてるせいだ。