20.別れ
あの後、回収されたタクミ達はカグネ王国の地下にある、拷問部屋らしきところに閉じ込められてるらしい。カグネ王国建設当初、二代目の王は血を見るのが好きだったらしく、地下に拷問部屋を作り、夜な夜なそこで大量の血を見ていたのだとか。しかし今は実際に拷問をするため、というよりかはただあの人数を収容するのに場所がなかったらしい。ゲームに参加したという理由で特にお咎めなしの可能性すらあるが、スバルたちには関係のないことだ。
タクミたちとの戦闘から次の日の朝、スバルたちは国に戻るため馬車に荷物を乗せていた。帰りのための備蓄食料やスバルたち含めた兵の荷物、その中には昨日ヒュイスと話していたカグネ王国の衣も土産として入っている。幸いなことにコントラス王国の兵はセトウを除いて全員が軽傷程度だ。これならまだ国に帰ったとしても多少の誤魔化しはできるだろう。
「おーい! お前、そこの箱持ってきてくれ!」
スバルはそう呼ばれて同じ国の兵の男に振り向く。その男の視線の先を追うと、スバルの近くに木箱が一つポツンと置かれていた。どうやら作業の途中で考え事をしてしまったせいで、一つ運び損なったらしい。スバルはその箱を持ち上げ、その男の下へと運んだ。
「ほらよ。これで最後か?」
「おー、ありが…………ッてぇスバル殿下じゃないですか⁉ 何で荷物運びに紛れてるんですか⁉」
運んできたスバルの顔を見てその男は目玉が飛び出そうなぐらい目一杯開いて驚愕していた。それもそうだ。今のスバルの恰好は、汚れたフード付きのマントを深く被っている状態だ。顔も見えないこともあったが、王子と呼ばれる格好ではない。どちらかと言えば男と同じ一般兵にしか見えないだろう。
スバルは攫われてから到着時に来ていた王子服は脱いで、センたちと同じ簡素な白いシャツに黒いズボンというありふれた服装に着替えていた。目立つという理由もあったが、何より動きづらく、スバル自身あの恰好が好きではないからだ。今のその時の恰好でさらにフードを被っていたから、スバルだとわからなかったのだろう。それにスバルは先ほど考えに耽るまでは荷運びのメンバーにさらっと加わっていたのだ。
「俺は特に怪我はしてねぇからな。動ける奴が動いたらいいだろ。ほら、早く積め」
「いやぁ、はあ……」
驚愕したままの男にスバルがそう言うと男は戸惑いながら、スバルから差し出された荷物を受け取った。男は言われた通り荷物を荷馬車に積みながらも、チラリと何度もスバルの様子を伺うような素振りを見せた。王子であるスバルに荷物運びなどさせてよかったのかと悩んでいるようだ。
スバルはそんな動揺を見せている男を無視しながら話しかけた。
「他に運ぶものはあるか?」
「あ、いえ! これで最後です!」
そう言いながら男は荷馬車のカーテンを閉めた。すると男はスバルに振り返し、少し近づいて小声で話しかけてきた。
「そういえば、殿下。どうでした?」
「何がだ」
「カグネ王国の奴らですよ! 何か掴めました?」
「……」
スバルは男の問いに思わず眉を寄せた。
昨日の時点で兵にはカグネ王国で起こった出来事について緘口令を強いている。スバルが連れ去られたこと、兵の者にはユキがついた嘘の通り、『センはヒュイスの配下にあった者たちで、襲来するであろうタクミから守るために保護をしていた』ということにした。もちろん兵たちは混乱していた。当たり前だが、保護のためならセンたちはあんな襲撃の仕方はしないだろうし、そもそも護衛であるユキに伝わっていないのがそもそもおかしいのだ。それにセンがヒュイスの配下なら古城での戦いが不可解だ。不信感はもたれるだろうと思っていたが、思わぬ憶測が兵たちの中で広まっていた。
『実はセンは決してヒュイスの配下などではなく、センはヒュイスを殺すつもりだった』
『そしてスバルがそのセンに協力したのは、スバルがカグネ王国の内情を探るため』
『さらに襲来したタクミを利用することでカグネ王国を取り入るためにしたことだった』
『それが知られないためにわざとあんなわざとらしい事情を説明したのだ』
などの噂が兵たちの中で飛び交った。こんな突拍子のない憶測が飛び回ったのは、兵たちが酔って勝手に作って面白がったから、というわけではない。
その発信源はユキだった。
スバルはユキにそんなことを命じてはいない。つまりはユキの独断で行ったことということ。
スバル自身不信感を持たれること自体は仕方がないとして受け入れるつもりであった。なのに、ユキはそれを防ごうとわざわざ辻褄が合うようにこっそり誰かに話したのだろう。スバルの護衛であるユキが言うのだから間違いがないと、みんなが信じるのも無理はない。
それが、スバルにとって心苦しかった。
ユキはどうしてひどいことをしたスバルにそんな庇うようなことができるのだろうか。
スバルは向こうで兵たちに荷運びの状況を確認しているユキをじっと見つめた。
彼女は国に帰ったら、スバルの護衛騎士を辞める。
だからこの施しは、ユキがスバルの護衛騎士としての最後の仕事ということなのだろう。
最後まで情をかけるなんて彼女らしい。そう思って皮肉気に笑みをこぼす。
その表情を隣で見ていた男は何を思ったのか、慌てたように手を横に振った。
「あ、言えないですよね! でもすっかり騙されましたが、俺たちはちゃんとわかってますからね!」
いつまでの何も言わないスバルにどうやら言えない事だと勘違いしたらしい。スバルは男の元気づける言葉に、少し罪悪感を覚えた。この男の信頼に、スバルはどう応えられるのだろうか。
本来失くしていたであろう信頼を、ユキは守ったのだ。
その行為に対して、スバルはどう報いることができるのだろうか。
「……ああ、そうだな。頼りにしてる」
その言葉に男は嬉しそうに微笑み、敬礼をしてその場を去っていった。スバルはその背中をじっと苦しそうな表情で見送った。
違うと言いたかった。本当はそんな都合のいいものではないと。
けれど、そう言うと混乱が起き、スバルの信頼はもちろん、ユキの信頼も失ってしまうことはわかっていた。だから、こう答えるしかなかった。
ああ、本当に自分が嫌になる。
王子の自分も、ユキを傷つけてしまう自分も、吐き気がするほど嫌だ。
全部吐き出して、嫌いな自分が消えてしまえば楽なのに。
「スバル殿下」
背後から呼ばれて、はっと振り返る。
そこにはユキが、荷物のリストを両手で抱えながらスバルの前に立っていた。振り返ったスバルの表情を見たユキは一瞬、驚いたように目を開いたがすぐに表情を戻した。
「荷運びすべて完了いたしました。……お着替えにならないのですか?」
そう報告をするユキだが、スバルの恰好を見て首を傾げた。もうそろそろ帰るというのに、未だに簡素な服装をしているのを疑問に思ったのだろう。確かにユキの言う通り、荷運びが終わったのなら、そろそろ着替えた方がいいだろう。というかこの恰好をしているスバルをよく見抜けたものだ。フードを被って周りにスバルだとバレないようにしていたのに。
「着替えるさ。ただあのごちゃごちゃした恰好をなるべくしたくなかっただけだ」
そう言いながらスバルは被っていたフードを外してそう嫌味そうに言った。するとユキはその言葉を聞いてふっと笑みをこぼした。
「荷運びを手伝うために動きやすい恰好でいた、ではなくてですか?」
そういたずらっぽく笑うユキにスバルは目を開いた。ユキの言葉、というよりもそういう気さくな表情をまだスバルに向けてくることに驚いたのだ。
「……なわけねぇだろ」
スバルは居心地悪そうに顔を逸らした。
ユキは何を言っているのか。スバルがこの恰好をしているのは、単にあのごちゃごちゃした王子服が好きではないから。ただそれだけだ。そんな優しい理由でこんな服装をしていたわけではない。
そう心の中で言い訳しながら、スバルは着替えるためにユキを置いて歩を進めた。
その姿をユキが苦笑いをして見送っているとは知らずに。
@@@@@@@@
荷運びがすべて終え、スバルたちは荷馬車を城の門の前に待機させた。そしてその門には松葉杖のついたヒュイスとその傍らにウェジットとなぜかセンが立っていた。それにスバルとユキはヒュイス達の方へ近づいた。
「じゃあね、こんな格好で見送りなのは悪いけど」
「しゃあねぇだろ、気にすんな」
そうスバルとヒュイスが話す傍らで、ユキとウェジットが話していた。
「今度は普通に遊びに来てください。……実はあなたと手合わせしたいと思っていたので」
「いいよ。受けて立つさ」
そう笑いあってお互い握手をする好戦的な二人に呆れた視線を横目で送りながら、スバルとヒュイスは話を続けた。
「セトウのこと、しばらく世話になる」
そう言いながらスバルはチラリと城と連結している小さな塔を見る。そこには、療養中のセトウがいる。セトウは意識は取り戻したとはいえ、重傷には変わりはない。あのような状態では、二日かかる帰国は体の負担が大きい。なので、回復するまでカグネ王国に置いていき、セトウは後からの帰国となった。もちろんセトウだけでなく、念のため他にも数名の兵を置いておくつもりだ。本人もそれは了承している。
すると、ヒュイスは松葉杖をつきながら肩をすくめた。
「いいよ別に。こっちのせいでもあるし、あんな怪我じゃ帰国は無理そうだしね。無事怪我が治ったらちゃんと帰すから安心してよ。魔女もいるしね」
「魔女?」
スバルは聞きなれない言葉に思わず聞き返した。
魔女なんて単語、童話ぐらいでしか聞いたことがない。魔術の様なものを使い、たいていは主人公の邪魔をする悪い存在。そんなものが現実にいるとは思ってはいないので、何かの例えだと思うが。
そう怪訝そうな表情で見ていると、ヒュイスはくすっと小さく笑いながら、塔の方に視線を向けた。
「この国の外れの森に住んでる薬師だよ。名前も教えてくれないし謎が多いから、そう呼んでるんだ。以前城の兵が森で熊に襲われた時に手当してくれてね。それからの付き合いなんだけど、腕は確かでね。時々薬とか治療とかで手伝ってもらったりするんだ」
「へぇ……」
スバルはそう返事をしながら、ヒュイスにつられてスバルも塔の方に目を向けた。
「僕たちの知らない病気や薬の知識が多くて、助かってるよ。別に僕たちが所有してるってわけじゃないから、何かあった時は行ってみるといいよ」
「……ああ、何かあれば尋ねてみる」
赤い屋根の家が目印だよ、とヒュイスは続けた。
病気、薬、治療。その言葉で浮かぶ人物は一人しかいない。
今も謎の病気で苦しんでいるスバルの兄、エイシだ。
スバルはエイシの病気を治すためにあらゆる国の医師を集め治療にあたらせた。その中で最も効果的だった治療法を持っていた医師を雇い、エイシに薬を処方してもらっている。もしかしたら、その魔女とやらに頼る時が来るかもしれない。
「よッ! 相棒!」
考えに物耽っていると、先ほどまで黙ってヒュイスの隣に立っていたセンが急に声をかけながら、おもむろに首に腕を回してきた。至近距離で迫るセンの顔にスバルは嫌そうに顔を歪ませた。
「セン、なんでお前がいんだよ。帰れ」
さっきから当たり前のようにヒュイスの隣にいるセンのことは気になっていた。その悪態にセンは、だははっと愉快そうに笑い飛ばした。
「つれねェこというなよなァ。ウェジットのおっさんもまた遊びにこいって言ってんだしよオ。俺のところにも来いよなァ」
「二度と来るか。つか触るな」
そうしみじみと言っているセンにスバルは鬱陶しそうにセンの腕を振り払った。スバルはこういう馴れ馴れしいボディタッチは好きではない。それは短い付き合いであるセンも気づいているはずだが、凝りもせず、というか馬鹿なのか何度も同じようなやり取りをしている。なので、振り払われたセンはあまり驚きもせず、降参したかのように手をあげる。するとセンが急にじっとスバルの恰好をまじまじと見つめてきた。
「それにしても、ほんとだったんだなァ」
「ああ?」
センの言葉にスバルは眉を潜めた。スバルの今の恰好は白いジャボのついたブラウスに金糸を織り交ぜた紺色のジャケットの王子服だ。自分で言うのもなんだが、こんな豪奢な服より、センたちのような簡素な服の方が似合っている自覚はある。なのであまりじっと見られたくはないのだが。
そう居心地悪そうにしているスバルに気づかず、センは話し続けた。
「相棒が隣国の王子だってさ。どっかのお貴族様かと思っていたが、まさかマジモンの王子様なんてよォ」
「……お前ヒュイスから聞いたのか? 俺のことだけじゃなく他のことも」
ヒュイスはセンのような国を憂いている人を見つけたいと言ってあのゲームを始めたと言っていたから、おそらくヒュイスはセンにあのゲームの本来の目的を話したのだろうが、それにセンがどう応じるかはわからなかった。しかしこの様子だと、どうやらヒュイスから事の顛末はすべて聞いたような口ぶりだ。何よりヒュイスに従うように隣にいたのが何よりの証拠だ。
そう確認するようにヒュイスの方をチラリと見ると、目が合ったヒュイスは得気に笑って見せた。そうしている間センはポリポリと頬をかきながら話を続けた。
「んまあな。驚いたけどよ、納得はしたぜ。俺とは違って旦那はもっと遠いところまで見てたけどよ。それでも目指す世界は一緒だってわかったからよ」
「……そうか」
旦那、と呼んでいるがこれはヒュイスのことだろう。主としてもう認めているようだ。
「それにさ、付いていきたくなったんだよ。あんな小さな背中でさ、戦える力もないのにさ、怖いだろうに、それでも歩みを止めようとしないあの姿勢がさ、かっこいいッ!って思っちまったのよ! ついて行ってみたいってな! だははッ!」
そう言って子どものように目を輝かせ笑うセンに、スバルは少し目を瞠った。
あまりに眩しい真っ直ぐな言葉。
打算な考えもなく、利己的な考えもなく、心からそう思っているのがわかる。
純粋な信頼、憧れ、羨望。
少なくともセンにとって、ヒュイスは同じ意志で、同じ未来を見れる仲間として、そして主君として、自分を預けられる存在だと認めたのだろう。一晩でセンを仲間に率いるとは、ヒュイスには何かカリスマ性のようなものがあるのかもしれない。
しかし後ろで聞いていた当の本人は、あまりにも真っ直ぐな素直な言葉に、少し恥ずかしそうに視線を地面に向けていた。
それに、ふっとスバルは笑みをこぼした。
「単純なやつ」
「相棒は難しく考えすぎなんだよ!」
小馬鹿にしたように言うと、センも負けじと言い返す。すると、センはスバルに拳を突き出した。
「んじゃあな! 相棒! 楽しかったぜ! また一緒に戦おうぜ!」
そうにかっと歯を出して笑うセンに、スバルは一瞬目を開いた後、呆れたように笑みを浮かべた。
相変わらずこの男は。楽しかったなんて言いやがって。
こっちはあんな戦闘二度と御免だというのに。
戦闘好きの、相変わらずの馬鹿だ。
けれど、こういう馬鹿は嫌いではない。
そう思いながら、スバルは同じように拳を突き出す。
その時少し、センと共闘し戦った時間を思い出した。
「ふっ、機会があればな」
笑みを浮かべ、こつんとお互いの拳を合わせる。
それはまるで、苦楽を共にしてきた仲間同士の挨拶のように――……
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「おぉおおおいぃぃ‼ ヒュイスぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
スバルとセン、ユキとウェジットでお互い別れの挨拶をしていると、街の向こうから砂煙をまき散らし、猛スピードでこちらに向かってくる男女二人組が見えた。分厚そうな銀の鎧に背には槍を背負う屈強な男と、赤いドレスを捲り上げながら走ってくる金髪の縦ロールの女の姿だった。
「げ、父さん、と母さん。確かにもう出てきていいって言伝はしたけど……」
それを見てヒュイスは嫌そうに声をあげた。その声をあげたのと同時にもうその二人組は、スバルたちを押しのけヒュイスの目の前にたどり着いていた。
「我が息子よ! 久しぶりだなァ! ん? なんだ? その姿は?」
「……ちょっとドジ踏んだだけだよ。てか松葉杖ついてる僕の頭を思いっきり撫でるのやめて」
「まあ! なんてみすぼらしい姿!」
「母さんは悪意なく傷口抉るのやめて。もとはと言えば、南西の関所にいた父さんたちを心配してこうなったんだから。……っていらない心配だったろうけど」
「……」
走ってきた男はヒュイスの目の前に着いた途端、周りのことなど全く気にも留めずヒュイスの頭を思いきり撫で、その隣にいた女はヒュイスの姿を見て口元を抑えて驚いた様子を見せていた。
和気あいあいとした光景にスバル含めユキやセンが何も言えず困惑していると、やっとそれに気づいたのか男はスバルたちに振り向き、旧友に挨拶をするような素振りで手をあげた。
「おっと、失礼した。初めまして、じゃないな。久しぶりだな、コントラス王国一行よ。聞いたかもしれねェが、俺がこの国の王リンゼルだ!」
「王妃のルキアですわ」
男は豪快に笑いながら、そして女はオホホ笑いながらスバルたちに挨拶をした。確かにこの男、関所の門で難癖付けてきた男だ。槍を手に持って威嚇をしてきた。まさか本当に王であったとは。
あまりの突然の出来事ととても王と王妃の挨拶とは思えない気さくさに少々圧倒されたが、スバルはすぐに持ち直して、胸に手を添え軽く頭を下げた。
「……数日前のご無礼、知らずとは言え、大変申し訳ございませんでした」
「なはははッ! あの時は悪かったな! 実はちーっとコントラス王国の奴と闘ってみたくて、あんないちゃもんつけたんだよ! 騒ぎにするなってヒュイスにはしつこーく注意されていたんだが、抑えがきかなくてよォ! 悪いな!」
「……」
男、リンゼルは豪快に笑いながらスバルの肩を強めにバシバシと叩いた。なんともまるで親戚の子どもに会ったかのような気さくな、というか馴れ馴れしい態度だ。まるで他国の王と対面しているとは思えない。最初の猫を被ったヒュイスの態度の方が何倍も外交でのそれだった。
さらに言うと先ほどから叩かれているその衝撃で身体が何度か倒れそうになっている。正直痛い。相手がセンなら一発殴って止めるところだが、他国の王に対して一体この状況をどうすればいいのかわからない。ユキも困ったようにリンゼルとスバルの顔を右往左往と見るばかりだった。
するとその様子を見たヒュイスが、はあっと疲れたように溜息をつきながら話に割って入った。
「……てことらしいから、会った時にこの人が何したか知らないけど、気にしなくていいよ。恥ずかしいけど、これが今のカグネ王国の王なんだよ、恥ずかしいことにね」
そうヒュイスが言うと、リンゼルはむっとした表情でヒュイスに振り向いた。
「恥ずかしくなんてないさ! 俺は強いからな!」
「だからそういう所が恥ずかしいんだって。考えなしに強い強いってさ」
「あら、そこがこの人の唯一のいいところよ」
「母さんはそうやって父さんを甘やかさないで」
テンポのいい会話に圧倒されているスバルたちを他所にリンゼルはヒュイスの頭をグリグリと楽しそうに撫で、それを王妃のルキアが楽しそうに笑っている。その光景にスバルは眩しそうに目を細めた。
こんな気さくなやり取り、自分の父親とできる気がしない。スバルにとってあの人は、父親というより王という存在だ。だからこそスバルはあの人の前では首を垂れ、平伏する。こんな正面から文句を言い、頭を撫でられることがなどない。スバルにとってあの人は簡単に話すことも、近づくこともできない人だ。
だから目の前で広がってる父親と息子、さしては王と王子の気さくなやり取りが、スバルには少し不気味で、そして眩しく思うのだ。
するとひとしきりヒュイスの頭を撫でた後、ふとリンゼルがスバルの方に顔を向けた。
「おっと、でそっちがコントラス王国の王子の……なんだっけか」
「おい、リンゼル! 失礼だろうがッ!」
そう言って少し気まずそうに見るリンゼルに対し、聞いていたウェジットが諫めるように声をあげた。ウェジットと旧知の仲なのだろう、ウェジットの口調が乱れている。それにスバルは少し苦笑いを浮かべる。
普通他国との交流で相手の名前を忘れるなど失礼極まりない話だし、それを本人に聞くなどと言語道断だ。しかしどうもカグネ王国の人たちは気を抜けさせられる。センと似た裏表のなさそうなその性格にどうにもスバルは弱いのだ。
そう思いながら、スバルは胸に手を添え軽く頭を下げた。
「お初にお目にかかります。コントラス王国第二王子スバル・サラエル・ジ・コントラスと申します。この度はカグネ王国建国百年記念、おめでとうございます」
「おお! そういやそうだったな!」
「式典には参加できませんでしたが、ご子息のヒュイス王子とは良い交流を持てました。お強い、よき友を得られ光栄に思います」
「……お?」
そう言うとリンゼルは目を瞠り、それに近くにいたヒュイスも同じように目を見開いた。スバルは顔をあげて改めてリンゼルに微笑む。驚いたようなその顔が親子そっくりだ。すると、リンゼルもその笑みに応じるように笑った。
「そう言われると悪い気はしねぇな。……知ってるだろうが、ヒュイスは変な奴でさ。前からこの国がこのままいけば危ないって何度も俺に相談持ち掛けてよ。でも俺には正直さっぱりで。このゲームもヒュイスが持ちかけたもので俺には面白そうだっていうことぐらいしか思わなかった。だからこのゲームにも乗ったわけだが」
そう一度言葉を切り、チラリとヒュイスに目を向けた。その目には慈愛のこもっており、目が合ったヒュイスにリンゼルは今度は優しくヒュイスの頭を撫でた。ヒュイスはそれを照れ臭そうに黙って受け入れた。この時ばかりはヒュイスの生意気癖も、なりを潜ませているようだ。
「こいつはきっと俺とは違うんだろうな。見えてるもんも違うんだろう。だから、ヒュイスとも仲良くしてやってくれ」
「ええ。もちろん」
こんな形で信頼関係もなしに、国の情勢を暴露してもいいのだろうかとも思ったが、本当にこの王は腹の内を隠したり、上手く立ち回るなどの芸当ができないのだろう。それがスバルには心地いい。あの国では決して感じれないものだ。
この国を来てから散々な目にあったが、カグネ王国は決して悪い国ではない。
ヒュイスもウェジットもセンも、ササメの仲間も、豪快で明るい、いい人たちばかりだった。もちろんタクミの様な奴らもいたが、本能のままに生きる、自由ないい国だった。
無条件の信頼。
コントラス王国では少し忘れかけていたことを、ここでは思い出すことが多かった。
スバルはそう思い微笑んでリンゼルに手を差し出した。リンゼルはそれを見てにっと笑って力強く手を握り返した。
@@@@@@@@
「……あの」
スバルとリンゼルたちが話している間、ユキは王妃であるルキアにおずおずと話しかけた。急に話しかけられたルキアは大きな瞳をさらに大きくしてユキに振り向いた。
「え? 私?」
「スバル殿下の護衛騎士のユキです。……あの、失礼だとは思うのですが、一つお伺いしたいことがありまして……」
「え、ええ。何かしら?」
ルキアは戸惑いながらもユキの質問に応じてくれるようだ。それに安心してほっと息をついた後、勇気を出して顔をあげた。
「嫌では、なかったのですか?」
「何が?」
「……その、聞いてしまって。あなたとウェジットが、その昔恋仲だったと」
「あらまあ、恥ずかしい!」
言いにくそうにユキが言うと、ルキアは弾かれたように声をあげ、恥ずかしそうに口元に手を当てた。ユキはその反応を見ながらも気まずそうに続けた。
「そ、それで、その、ウェジットと引き離されたと聞きました、王に……」
それにルキアはすっと冷めたように目を細めた。
「ふうん、そう。それで無理やりあの人と恋人にさせられて嫌ではなかったのかってこと?」
「……はい」
その反応にユキは少し気まずくなった。よく知りもしない他人がズカズカと出歯亀をしているように見えただろう。不快に思うのも無理はない。
反応が少し怖くて思わずユキは俯いた。けれど、聞いた言葉を撤回することはなかった。他人の事情に顔を突っ込んでいるという自覚も、申し訳なく思う気持ちもある。もしかしたら聞いてはいけないことだったのかもしれない。けれど、それでもこの人には聞いておきたいことがあったのだ。
ユキは自分勝手に想いを貫くことに、意味がないことだと思っていた。
だからこそ、婚約破棄をされたユキがスバルに想いを伝えることは迷惑で、意味がないものだと。
けれど、このルキアと言う女性は、ウェジットとルキアとの勝負の末、恋人であったウェジットと別れることとなった。ウェジットからの思いは聞いたが、当の本人はどう思ったのだろう。無理やり恋人にさせられて嫌ではなかったのだろうか。ウェジットのことは好きではなくなったのだろうか。
これはユキが胸に抱えている決意のために、どうしても聞いておきたいことなのだ。
緊張して言葉をじっと待っていると、その面持ちを見てルキアは困ったように笑みをこぼした。
「そうねぇ、嫌っていうより、ムカつくー!って感じだったかしら」
「へ?」
思ってもみなかった解答にユキは素っ頓狂な声をあげた。それを無視してルキアは当時のことを思い出したのか、拳を震わせていた。
「だって私の知らないところで勝手に話が進んで、勝手に恋人を決められたのよ⁉ 男ってほんと勝手! それなら私に勝負を挑んで私に勝った人と付き合える、とかの方がよかったわよ!」
「は、はあ」
ユキに同意を求めるかのように勢いよくぐっと顔を寄せてきたルキアに、ユキは思わず空返事をしてしまった。
ルキアの話を聞いている限り、ルキア自身もその勝負には納得していなかったようだ。例えこの国の習わしが『強き者に従え』だったとしても、心はそうとはいかない。やはりルキアは今でも無理やりリンゼルとの夫婦を続けているだけなのだろうか。
その疑念の表情が出ていたのか、ルキアはユキに対して優しく微笑んだ。
「……ウェジットのこと、ほんとに好きだったのよ。だから、勝手にあの人の恋人にされたこと、怒ってたの」
するとルキアは、スバルとリンゼルとともにいるウェジットの方に目を向けた。
「でも勝負で決めたことだし、『強き者に従え』がここのモットーだから。あの時は仕方がないって思った」
そうしおらしく、寂しそうに微笑み優しい眼差しをウェジットに向けるルキアに、ユキは共感のようなものを覚えた。
仕方がない。もうどうしようもない。それはユキがよく心の中で言い訳として使っていたものだ。
婚約破棄されたのだから、護衛騎士なのだから、今更想いを伝えても、意味がない。だったら護衛騎士でもそばにいられる方がよっぽどいい。
こんな風にずっと考えていた。
ユキは胸のあたりをぎゅっと服の上から握った。
が、ルキアは急に拳を空に突き出した。
「けどね! 納得はしてないから、別れるためにあの人に何度も勝負を挑んだわ!」
「ええ⁉」
先ほどのしおらしさから一転、まさかのルキアの行動にユキは驚いて声をあげた。拳を高々と突き上げたルキアだったが、腕をゆっくり下しその拳を見つめた。
「でも一回も勝てなかった……。悔しいけど、あの人ほんと強いから」
「で、では、やはりまだ……」
ユキが話そうとしたとき、ルキアはまるでユキの言葉を遮るように話した。
「けどねあの人、勝負事には本気で私を倒しに行くのに、勝負が終わるとね、私の怪我を心配してワタワタ慌てだすの。『血は出てないか?』『病気になってないか?』ってね。おかしいでしょ? 私のこと、ホントに好きなんだってわかった。あの時の勝負も私との勝負もあの人は一切手を抜かず本気だった。私を、本気で愛してくれてるって」
そう言って照れ臭そうに話すルキアにユキは静かに瞠目し、チラリと向こうでスバルと話しているリンゼルを盗み見た。
「勝てなくて悔しくて無視してると花を持ってきてくれたの。どこかの道に咲いてた花だったと思うけど、渡してくれた時にはへなへなに萎れてて、彼慌てちゃって。でねその花をよく見たら、茎が特に萎れてた。たぶんずっと渡すか迷ってて力を入れちゃってたんだってわかった」
聞かされたのは、リンゼルとルキアが過ごした話。微笑ましくて、優しい話だ。とても無理やり恋人を奪った男との話だとは思えない、平凡な男女の話。
そしてそれを語るルキアの表情は、とても優しかった。
「そうしたらね、可愛く見えちゃって。勝負事には真剣で堂々としてるのに、私の前ではあんなに慌ててるのよ? 私をかけて勝負までした人なのに。なんだかおかしくって」
ふふっとルキアは可愛らしく笑みをこぼす。それはとても幸せそうな笑みだった。
「勝負事にはどこまでも真剣で、単純で馬鹿でおおざっぱ。それに深く考えないで後先考えずに動く迷惑者。……だけどね、だんだん好きになっていったの」
好き、という言葉にユキは肩を揺らして反応した。
「……ウェジットのことは」
「もちろん好きだったわよ。けどね、やっぱり私も女だった。あんなに熱烈に迫られたら、気持ちが傾いちゃったの。私も単純よね」
そう言って恥ずかしそうに笑うルキアを見て、ユキは静かに首を横に振った。
「……好きに、なったのですか? ならウェジットは、ウェジットの気持ちは……」
例え今のウェジットがもう割り切っていたとしても、それだとあまりにウェジットが不憫だ。恋人と言う立場ではなく、その気持ちさえも奪われたということなのだ。
それはやはり、悲劇と呼ばれるものなのではないだろうか。
そう思っていると、ルキアは困ったようにユキに微笑み、向こうでリンゼルを諫めているウェジットを見つめた。
「ウェジットには、悪いと思っているわ。あの人の中で私がどう映っているのか、少し怖い。けど、私は誰かを傷つけてでもこの想い貫く覚悟をしたの。誰でもない、私自身のために。あの人が私にそうしたように」
「……ッ」
その言葉は、ユキの胸に大きく突き刺さった。
傷つく覚悟。想いを貫く覚悟。それはユキが今まで持てなかったものだ。
ユキにとってスバルとのあの婚約はすべてだった。そのためにした努力が一気に否定された時から、まるでユキがスバルへ抱く想いごと否定されたような気がした。その時ユキが味わった絶望も苦しみは今でもはっきり覚えている。
もうあんな思いはごめんだ。
だから、想いに蓋をした。叶えることを諦めた。叶えるための努力を諦めた。
傷つくのは怖いから。想いを否定されるのが怖いから。
つまり、ユキは逃げたのだ。
自分の想いを叶えるための行動を、何もとろうとは思わなかったのだ。
だから、余計に思い込もうとした。
想いを貫くことは、ダメなことだと。不幸に、悲劇になることだと。
相手を想い身を引くことこそ、真実の愛であり間違いはないと。
例え相手が別の人でも、その人が幸せならそれでいいのだと。
自分の選択は正しかったのだと、そう思いたかったから。
「私は今、あの人が好きよ。けど、ウェジットが好きだったことも本当なの。ウェジットを好きになって、あの人を好きになったの。きっと、それだけなのよ。決してウェジットを愛していた気持ちがなくなるわけではないわ」
そう微笑むルキアに、ユキは目を見開く。
ルキアはリンゼルを愛することで幸せを見つけ、ウェジットは生まれたヒュイスを守ることに幸せを感じている。
この形は、本当に不幸せで悲劇であるだろうか。
ユキは震える声で、ルキアに尋ねた。
「……幸せ、ですか?」
そう聞くと、ルキアは両手を腰に当てて自信満々に、堂々と、宣言をした。
「ええ、もちろん! あの人がいて、ヒュイスがいて、ウェジットがいて、私は幸せ者よ!」
「……」
目の前で幸せそうに笑っているルキアを、誰が不幸などと思うのだろうか。
強引な愛に、幸せはないと思っていた、思い込もうとした。
(ああやっぱり、私間違えてたんだ……)
決して、そんなことはなかった。
ルキアたちのことがたとえ結果論であったとしても。
悲劇だけではなく、違った結末で幸せになることもできるのだ。
怖がっていちゃ、何も始まらないのだ。
悲劇になることも、幸せになることも。
望みのものは何も手に入らない。
リンゼルがルキアにしたように、行動しないと、望みのものは手に入らない。
怖がって、強がって。
でも本当は欲しかった願いを無視していた。
そう自分の中で整理がついたころ、ルキアがニヤッと意地悪な笑みを浮かべた。
「……もしかして、何か悩んでるの? 恋のお悩み?」
「え……ッ!」
恋という言葉に顔を赤くしてしまった。誰かに聞こえたかもしれないと思い、思わずスバルの方に目を向ける。しかしスバルはなにやらリンゼルと話しているようで、ユキ達の会話は聞こえていないようだ。それにほっと息をつくと、ルキアがさらににやにやとしながら口元に手をあてた。その意地悪そうな笑みがヒュイスに似ている。
「あらあら。初心なのねェ。でも、チャンスがあれば掴むのよ!」
そう力強く言われ、ユキは一瞬瞠目した後ルキアに微笑み返した。
「はい。あなたの話を聞いて吹っ切れましたから」
一度目を伏せ、今度は向こうにいるスバルの方を見やる。
想いを貫くことは、決して悪いことでも、必ずしも悲劇を招くものでもないと、やっとユキの中で形となって胸の中で降りてきた。
きっと、誰も傷つかない選択なんて、存在しない。
この想いを、貫く覚悟を。傷つく覚悟をしなければ。
怖いけど、嫌だけれど、自分に嘘をついて、誤魔化すのはもうやめる。
この想いが報われたい。叶えたいのだ、本当は。
「私も、覚悟を決めなければ」
そう言ってユキは空を見上げた。
その空は、ツクヨ家を出たあの日と同じ空をしていたように感じた。
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それぞれに挨拶をしている間、周りの兵たちもお互い別れの挨拶をしていた。やはり一緒に戦ったこともあったおかげか、コントラス王国の兵とカグネ王国の兵とでも交流ができたらしい。お互い笑顔で話し込んでいる兵たちを見て、ユキは微笑む。こういう光景を今後も見れたらいい。決してカグネ王国は、道理のきかない蛮族などではなかったのだから。
「母さんと話してたの?」
そんな光景を微笑ましく見ていると、背後から松葉杖のついたヒュイスに声をかけられ、振り向く。
「ん。まあね」
そう言うとヒュイスもつられたように微笑みながら、ユキに近付き、顔をじっと見てきた。
「その顔はすっきりした顔だね」
「うん、色々ありがとう、ヒュイス。もし何か悩みがあったら今度は私が相談に乗るよ」
ユキが機嫌よくそう言うと、ヒュイスはそっぽ向いた。
「嫌だよ。君に相談するぐらいならまだセンに相談した方がマシだね」
「……私達、友達だよな?」
「何それ嫌すぎ」
ヒュイスはユキの言葉に眉を潜めて否定した。それにユキはむっと眉を潜める。
たった数日とはいえ、ヒュイスとは濃い日々を過ごしたと思う。色々と話したし、軽口も言えるし、相談にも乗ってもらった。ユキの中ではもうヒュイスは友達だ。なのに、なぜこんなにも嫌われているのかわからない。けれど、ユキの思い込みなのかもしれないが、ヒュイスはユキのことが嫌いだと言いながらも、本気では嫌っていないように思う。本気で嫌いなのなら、泣いてたユキを追いかけて相談に乗ったり、気にかけたりはしないだろう。
そう思ってユキは苦笑いを浮かべ、ふと思いつく。
友達ではないのなら――……
「……じゃあ戦友だな」
「戦友?」
「一緒に戦ったじゃないか」
ヒュイスはユキの言葉に驚いたように目を開いた。
戦友。一緒に戦った仲間であり友という意味だ。ヒュイスとはタクミに襲われた時も、アジトを襲撃した時も、同じ戦場の場にいてそれぞれの役割を果たしながら動いていた。それは戦友と呼べるとユキは思うのだ。
友達などという気軽なものが気に入らないのならと思い、そう提案した。すると、ヒュイスは驚いたように目を開いた後、ユキから少し目を背けた。その頬は少し赤い。
「……ふうん、まあそれならいいよ」
少し照れ臭そうに気のない返事をするヒュイスに、ユキは苦笑いを浮かべた。ヒュイスは基本的に思ったことを遠慮なしに言ってくるが、なぜかユキに対しては裏腹な態度をとる。最初に嫌いだと断言したからか、素直に何かを言ったりするのはヒュイスの中で何か許せないのかもしれない。ユキは気にしないのだが。
すると、ヒュイスは照れたのを誤魔化すようにコホンと咳ばらいをしてから、ユキに手を差し伸べた。
「じゃあね、面倒くさい騎士様。もう二度と会わないことを祈るよ」
「じゃあな、松葉杖の王子様。もう一度垣間見えることを楽しみにしてるよ」
お互いそう嫌味そうに言って握手を交わす。その表情はお互い笑っていて、信頼関係のようなものがあった。
この日々を、ここで築いた関係を、ユキはずっと忘れないだろう。
今度は、お忍びでヒュイス達に会いに行って、驚かせよう。
そうユキは企みを頭の中で思い描き、楽しそうに笑みをこぼすのだった。
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お互い挨拶をかわし、馬車に乗るスバルたちを見送った後、ヒュイスはしばらく城の門の前に立っていた。
その馬車が見えなくなった途端、ヒュイスの身体にどっと疲れが襲ってきた。気遣う間柄でもなくなったはずだが、やはり初めてまともな他国との交流ということもあって、どこか緊張していたのかもしれない。
しかし今回は運が良かった。スバルがまだこちらと交流する気があったから、穏便に済んだものの、招いた王子が誘拐されたり、本国の事情で争いごとに巻き込まれたりなど、本来なら大問題だ。スバルが国に帰ってもなんとか誤魔化してくれると言ってくれたから心強い。スバルたちの前では余裕ぶって見せていたが、内心では焦っていたのだ。せめて治療中のあのセトウとかいう男は丁重に扱わないと。余計なことはしないように城の兵たちや医療者に伝えなければ。
「……ヒュイス」
「なに、父さん」
疲れたように溜息をついていると、隣に立っていたリンゼルが先ほどとは打って変わった真剣な面持ちでヒュイスに話しかけた。周りにはヒュイスとリンゼルしかいない。他の者やウェジットとルキアは、見送った後早々に城に戻った。兵の治療や今後のことなどやることは山積みでその対応の為だろう。
しかしヒュイスとリンゼルは少しだけ残っていた。特に理由はなかったが、ヒュイスの場合外の空気を吸いたかったという理由はある。それにリンゼルが付き合った形だ。
そのリンゼルの珍しい表情にヒュイスは内心少しだけ驚いた。
「あの白銀髪の少女、どうだった?」
リンゼルは視線は先ほどスバルたちが帰った方向を向きながらそう尋ねた。
ヒュイスはさらに首を傾げた。てっきりここ数日でのやり取りを聞かれるかと思ったが、スバルのことではなく、白銀髪、つまりユキのことを聞いてくるとは思わなかった。先ほどの挨拶だってリンゼルとユキの間にやり取りなどはなかったはずだ。
「どうって……強かったよ」
「父さんとどっちが強そうだ」
そう言われヒュイスはユキの戦いぶりを思い返していた。
ユキの戦いを見たのは、一度技量を計る程度に城で兵たちと闘わせた時と古城での乱闘の時だ。五十はいた兵を圧倒させ、あの乱闘でもユキだけ傷一つもなかった。
「……さあ? けど、あれはもうセンスと才能の塊だね。技量もそうだけど、戦闘経験は圧倒的に少ないはずなのに、他の兵よりも強かったよ」
「そうか……」
少し固い声色で返事をするリンゼルに、ヒュイスは首を傾げた。
「で、何を気にしてるの?」
そう聞くとリンゼルはうーんと難しい表情で手を顎に当てて考え込んだ。ヒュイスに話すかどうか迷っている様子だ。この父にしては珍しい表情でヒュイスは眉を潜める。ヒュイスとは違い、考え込んだり悩んだりするのが苦手な人間だ。その父がこんな難しい顔をするなんてよっぽどのことなのだ。
そう思ってじっと待っていると、言いにくそうにリンゼルは話し始めた。
「いや、前王から代々受け継がれてる話を思い出してな」
唐突に出てきた前王という単語にヒュイスはますます眉を潜めた。
前王と言ってもヒュイスや父のリンゼル、もちろん母のルキアとも血の繋がりはない。ここの王は強さで決まるから、血族とか風習とかそんなものはないが、どうやらそんなカグネ王国でも受け継がれてる何かはあるらしい。
「へぇ。そんなのあるんだ。一体どんなのさ」
初めて聞く情報に少し興味が湧いたヒュイスは、促すようにリンゼルにそう言うと、リンゼルは諦めたように溜息をついて話した。
「『白銀の髪の一族に気をつけろ。決して怒らすな』ってさ」
リンゼルの言葉にヒュイスは目を開いて驚いた。
白銀の髪。
そんな髪色持っているのは、ヒュイスの出会った中で一人しかいない。
あの面倒くさくて、泣いて悩んでばかりで、少し抜けていたあの女だ。
ヒュイスは驚いた衝撃から抜けないまま、思わず呟く。
「……なにそれ」
「つまりは白銀の髪の奴を見れば一目散に逃げろってこった」
「へぇ。僕たちの民族の先祖が残すような言葉とは思えないね」
そう嫌味そうに言うとリンゼルはそんなヒュイスに苦笑いを向けた。
カグネ民族は、戦いを好み、あらゆる国で傭兵として活躍し渡り歩いた血の気の多い民族だったのだ。それは今と変わらず引き継がれているが、だからこそ、とてもその先祖が残した言葉に思えなかったのだ。
そう考えているうちにリンゼルは、ぽつりぽつりと前王から受け継がれたという話を語り始めた。
「昔、俺たちカグネ民族が傭兵をしながら国を渡り歩いていた時、先祖たちは白銀の髪を持った珍しい家族が野宿しているのを見た。邪魔だったのかわからねェが、喧嘩を売ったのよ。その家族は一切抵抗せずに逃げようとしたが、その家族の娘を先祖が殺したんだ」
血の気の多い先祖らしい。無差別に殺そうとするその行動には、少し嫌悪感を覚えるが。
しかし白銀の髪を持つ家族。ヒュイスはそのことだけがやけに頭にこびりついた。
「それを見た父親は変貌した。さっきまで抵抗せずに逃げようとしていた弱腰とは思えない悪鬼たらん形相で腰に携えてた剣を抜き、見えぬ速さで先祖たちの首を刎ねていった」
淡々と語るリンゼルから発せられる話に、ヒュイスは背筋が冷えるような感覚がした。
見えない速さで先祖たちの首を刎ねた。
速さと聞いて思い出すのは、先ほど自分が思い出していたあの女の戦う姿。
「先祖たちは全滅はしなかった。なぜなら弱腰で逃げたのは先祖たちだったからだ。それから先祖たちはあの家族を恐れ、今後出会わないように言い伝えを残した。『白銀の髪の一族には気をつけろ』ってな」
あの血の気の多い先祖が逃げ帰るほどの強さ。今のカグネ王国の国民が弱いというわけではないが、先祖たちの時代はいわば全盛期、カグネ民族が一番強さを誇っていた時代だ。その全盛期での先祖でも敵わないほどの強さだったというのか、あの先祖たちが言い残すほどに。ヒュイスにはとても想像できない。
信じられないと驚いているとリンゼルはふぅっと一息つきながら、やっとヒュイスの方に目を向けた。そこには先ほどの似合わない難しい表情ではなく、ハツラツとしたいつもの父の姿があった。
「まあこんな感じの話を王になったやつらは聞かされてるわけよ。お前も知ってるだろ? 『白銀は罪の色』だって。あの言葉はここから来てるんだぜ」
なるほど。その言葉はカグネ王国独特のことわざだったのか。どうりでこれを話したユキが呆けたわけだ。リンゼルが話した話は代々王になった者にしか伝わっていない話だが、このことわざ自体は、ある程度カグネ王国に根付いている、子どもでも知っていることわざだ。あのことわざは、『白銀の色は、どんな善にも悪にも染まるから、それだけ悪であり罪深い』という意味だ。今思えば、別にそれは白銀でなくとも白でもいいし、何よりこのことわざは意味を聞くと全くことわざとしての機能を発揮していないのだ。ことわざは本来教訓などの意味合いが大きい。しかし、リンゼルの先ほどの話を聞いて納得がいく。
つまり白銀の者には近づくなという警告だったのだ。
それが簡潔な形で広がったのだろう。よほど当時の白銀の髪の家族を恐れていたのがわかる。
そう頭の中で納得しながら、ヒュイスは眉を潜めた。
「……あの女がその一族だって?」
ヒュイスはどうしてもその一族とユキが繋がっていないように思えた。確かに速さや白銀の髪という特徴は一致しているが、人殺しなんかできないお人好しだ。先祖が語るような恐ろしい者とは思えなかった。
するとヒュイスの問いにリンゼルは苦笑いを浮かべた。
「さあな。けど、当時は相当に強かったらしい。目で追い切れない剣捌きと動き、並外れた身体能力と動体視力。どんなに敵がいようともろともしない。その速さで攻撃すら当たらないっていうんだからな。大勢の人数を殺したはずなのに、その白銀の髪には血一つつかなかったって話だ。あまりにも速い動きに血飛沫さえ追い付かなかったってな。戦ってみてェが、戦いたくねェ」
「……」
そう目を伏せてかすかに笑みを浮かべるリンゼルに、ヒュイスは目を眇めた。戦闘好きのリンゼルがこんな弱気なことを言うなんて珍しい。よっぽど前王から恐ろしく聞かされたのだろうか。目の前でユキを知っているヒュイスにとっては、なんとなく御伽噺のように聞こえてしまう。
するとまたリンゼルの表情が真剣な面持ちになり、ヒュイスと向き合った。
「だからとは言わねェが、奴との付き合い方は考えた方がいいぞ」
しかしその真剣な言葉に、ヒュイスは鼻で笑った。
「安心しなよ。僕は、僕たちは今後もコントラス王国と争う気なんてないよ」
ヒュイスはそう言って先ほどスバル達が去っていった方向を静かに見つめた。
白銀の髪。
目で追い切れない剣捌きと動き。
並外れた身体能力と動体視力。
そして速さ。
ユキに当てはまる特徴が全くないわけではない。
しかしそれは過去の、ユキには関係のない話だ。例えユキがその一族の末裔だったとしても、ヒュイスとの間にどう関係するというのか。
この交流は、国交を広げるための第一歩だ。今から国を広げていこうとしてるところに、そんなことを気にしている暇などない。
それに、ユキはヒュイスのことを戦友だと言ってくれた。
それは戦えないヒュイスには永遠につけられることのなかった称号だったから、ヒュイスは嬉しかったのだ。
ユキのことは面倒くさい女だし、色々イライラするところが多いが、本気で嫌っているわけではない。
戦友と言ってくれた彼女に恥じる行いなど、するものか。
そう決意しているヒュイスを他所に、自分が真剣に忠告したことを鼻で笑われたリンゼルは、はぁっと重い溜息をついた。
その姿を遠くから、ある塔から見ていた女がいるとは知らずに。
本当はここが二章の最終回になる予定でしたが、思いのほか文量が多くなったので、分割いたします。
近々あげる予定ですので、少々お待ちくださいませ。




