17.それぞれのできることを
「よし、攪乱しているな」
ユキとウェジットは、タクミのアジトである別荘の裏口近くの木々に隠れて様子を伺った。表の様子を見る限りじゃ、だいぶ中にいた敵は外に出したようだ。指揮系統っぽい男も自分たちが押されている状態だとわかり、外に出て加勢しているようだ。
ユキ達はあくまでヒュイスを安全に救出すること。なので、アジトの中の人数はなるべく減った状態がありがたい。だから本当はタクミが外におびき出されるか、居場所がわかっていればよかったのだが。表を見てもタクミの姿が見えない。さすがに、人質のヒュイスのそばを離れていないのか。鉢合わせは厄介だが、囲まれないよりかはマシだ。
「もうそろそろよかろう」
「ああ、そうだな」
その言葉とともにユキ達は木々からあたりを伺い、別荘の裏口からゆっくり扉を開けて侵入した。この裏口は隠密部隊が発見していたので、ユキ達はその近くで待機して様子を伺うだけでよかった。ドアを少し開けて様子を確認するが、ここは厨房だったのか人は誰もいない。それをいいことにユキ達は中に侵入し、厨房から屋敷の様子を伺う。タクミの仲間が慌ただしく外の救援に行っている様子が見えた。この厨房からは屋敷の中のフロアの奥にあるらしく、真ん中に大きな階段があり、陰になっているせいで全体とまではいかないが、入り口の様子ぐらいは伺える。今ならおそらく二人でも制圧することはできる。あとはヒュイスの居場所がわからないのが、問題だが。
「……手当たり次第探すしかなかろうな」
お互い同じことを思っていたのかウェジットがヒュイスの居場所について話し出した。
「……そうだな。おそらく二階だとは思うけれど、この部屋の多さだと狙いをつけていかないと時間が掛かりすぎる」
だいたいの建物の作りはそう違いはないはずだ。厨房がここなら近くには配膳室と食堂とあとはそこから繋がるテラス。後は書斎やらサロンなどだろう。この屋敷は別荘として使っていたらしいし、客か誰かを呼ぶのにこの部屋数と広さを必要としたのかもしれない。なら、二階はほとんどが客室のはずだ。
「私だったら二階の奥、入り口から遠い部屋を選ぶけど。ウェジットはどう思う?」
「そうだな、私もそうするだろう。そこに行ってみるか」
見る限りでは押されているのか二階から次々と敵が一階に降りて戦っている。思ってたより侵攻が速いのが気になる。タクミが見当たらないのもだ。嫌な予感がしながらも、ユキとウェジットは厨房から飛び出し、敵に向かって走り出した。
「な、なにッ⁉ 一体どこから……ッぐあッ!」
「敵が……ッ! 敵が中に……ッ!」
駆け出した先のフロアにいた敵をまず気絶させ、敵が異変に気付く前に階段を急いで駆け上がる。
「どこから⁉ 入り口にいた連中は何してる……ッ⁉」
するとそこに廊下で窓際から弓を打っていた数人の敵がユキに気づき、反撃してきた。さすがタクミの仲間と言うべきか、反応が速い。すぐさま矢を射ってきた。しかし、それをユキは剣を抜いて弾き、相手の弓を真っ二つに壊した後相手を無力化。相手が怯んでいる隙に横っ面に蹴りを入れ次々と気絶させた。
廊下にいた敵をあらかた気絶させた後、ユキは後からついてきていたウェジットの様子を確かめるべく振り返る。しかし振り返った先の光景にユキは目を開いた。
ウェジット剣は敵の胸を貫き、殺していた。そしてその胸から剣を引き抜いた際に剣についた血を払うように振り、貫かれたその身体はゆっくりと床に倒れていった。その様子をユキは悲し気に見つめた。
「……殺さなくても」
そう言うとウェジットは無慈悲に敵の遺体を見つめなていたが、ユキのそばで「ぅッ」とうめき声を上げて倒れている敵に気づき、ウェジットはそのまま剣を突き刺し、殺した。
「殺さねば、こうしてまた起き上がる。戦いにそのような甘さは自分の命を追い詰めるぞ」
「……ッ」
止める声もあげる暇もない滑らかな手際だった。慣れている手つきだ。ユキはぎゅっと顔を歪ませた。すると、ウェジットはその様子を見て淡々と口を開いた。
「人を殺すのが恐ろしいか?」
その問いかけを聞きながら、ユキはゆっくり殺された敵の遺体に近付き見開いてた目に触れ、ゆっくり閉じさせた。
「……考えてみたんだ。もし、私が殺されたらどうなるだろうって」
ユキの突然の語りに、ウェジットは不審げな顔をした。しかしユキはそのまま立ち上がり、その遺体の一歩前に出た。まるでウェジットと対峙するように。これ以上傷つけさせないというように、ウェジットの前に立ちはだかった。
「きっと私は死ぬ直前、もしかしたらこの戦場に来たことを後悔するかもしれない。そして、その死に恐怖するかもしれない。私の生はそうやって幕を閉じるだろう。……けど、周りの人はどうだろうか」
周りの人、という言葉にウェジットは驚いたように目を開いた。まるで、そんなことは考えつかなかったというように。
「きっと、私の死を悲しんでくれるんじゃないかと、思ったんだ。私がもしその人たちを失った時のように。ユウトもサヤも、キリエル様も、セトウも、そしてスバル様も、私の死を悲しんでくれる」
「……」
「だから怖いよ。私は人に悲しまれるのが、怖い。だから私は誰も殺したくないんだ」
怖い、といいながらもウェジットを見上げるその瞳は力強く、その眼差しにウェジットは少し息を飲んだ。
目の前にいる少女は、先ほどまで好きな男に傷つけられ泣いていた少女ではなかった。まるで騎士のように歴然とした立ち姿でウェジットを見据えている。ウェジットの言う事は認められない、そう瞳で言われている気がする。それは甘さだ。けれど自分は間違っていないと思うのに、どうしてこの少女を前にしていると瞳を逸らしたくなってしまうのだろうか。
しばらくお互い見つめあった後、ウェジットは諦めたように溜息をついて、持っていた剣を鞘に納めた。
「そなたは優しすぎる。戦士には向いてはおらぬな」
心底残念だ、というような表情でユキを見るウェジットにユキは少し目を瞠りながらも、剣を収めたウェジットに嬉しそうな笑みを浮かべた。
「そんなものに向いてなくていいよ。私がなりたいのは、そんなものじゃないから」
「……勿体ないことだ」
そう言って背を向けて先に進むユキをウェジットは肩をすくませ、後を追った。ウェジットはその背中を負いながら髪を揺らして喜びを表しているユキにウェジットは苦笑いを浮かべる。しかし廊下の騒ぎを聞きつけ、廊下に連なっていた部屋から「何があった⁉」と声をあげ次々と現れた。部屋の窓から外にいる敵を矢で攻撃していたのであろう。
「まだ敵がいたのか。早々に……」
片付けよう、と口に出す前にユキが先に動き部屋から出てきた敵を次々と倒していった。もちろん峰打ちでだ。その速さにウェジットは思わず呆気にとられたが、すぐに思い至る。
(ああそうか。彼女はあやつらを守るために……)
ユキがすぐにウェジットより先に敵を倒すことでなるべくウェジットに殺させないようにしているのだ。しかしそれも彼女の強さがあってできることだ。敵よりも強いからこそ手加減して倒すことができる。ユキが殺そうと思えば簡単にここは血の海と化するだろう。
それは弱さと呼ぶべきか、優しさと呼ぶべきか。
ウェジットは無用な争いはしないタイプではあるが、必要であれば殺しもする。それがヒュイスに関わることならなおさらだ。ヒュイスを守るために、ウェジットはあらゆる手段をいとわない。隙を見せると弱点と思われかねないからだ。だからこそセンを脅すようなこともしたし、それを邪魔する敵だって殺す。
「……本当に、勿体ないものだな。それほどの実力がもし……」
そう言葉に出した瞬間頭を振る。
その力がヒュイスにあれば、と思ってしまった。ヒュイスだってそう思ったからユキを嫌っていたのだろう。その強さを持ちながらも手加減をするユキが許せなく、嫉妬していたのだ。それはヒュイスを一番に見てきたウェジットにもよくわかる。あれだけ努力したのにもかかわらず、満足のいく力を手に入れることができなかったのだから。十歳になるとヒュイスに与えられていた猶予期間が終わり、すぐに国民はヒュイスを狙いに定めるだろう。だからこそ、ヒュイスを守るためにはああするしかなかったのだ。
圧倒的才能の差というものが二人の間には存在していた。
本当はヒュイスにこそ、与えられるべき才能であったはずなのに。
しかしそんなこと思っても仕方ないことだ。
ヒュイスに嘘の虚像を立てさせたのはウェジットで、守り切れなかったのもウェジットなのだから。それだけは、少し悔やんでしまう。
守らなければ、あの弱いヒュイスを。
ウェジットは、次々と敵を気絶させていっているユキを援護するように剣を抜いて戦闘に割り込んだ。
しかしその剣は誰一人傷つけてはいなかった。
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次々と現れた敵を次々と倒し、ユキ達は全く二階奥へと進んでいた。おそらく、ヒュイスはこの奥にいるだろう。部屋から敵がわらわら出てきたのにも関わらず、その奥の部屋からだけは誰一人として出てこなかった。となれば、ヒュイスがいるのはその部屋に間違いはない。
しかし中にいた敵は倒しきったはずなのにタクミの姿が見当たらない。騒ぎに気づいてない、なんてことはないはず。それになのに姿を見せないというのは――……。
チラリとウェジットを見ると、ウェジットも嫌な想像を浮かべていたのか額からたらりと汗が流れ出ていた。念のため足音を消し、目的の扉の前に近付きウェジットとお互い目を合わせたことを合図に部屋へと飛び込んだ。
「ヒュイス!」
「王子!」
戦闘も考え、お互い剣を抜き部屋に飛び込む。しかしそこにはヒュイスの姿も、タクミの姿もなく、部屋の中は空虚だった。ユキとウェジットは目を丸くさせながらも警戒を解かずに部屋を見渡す。しかし部屋には倒れた机とソファ、あとはなぜか武器が散乱している。
「どこにもいない。タクミの姿も見当たらない。拠点はここだけじゃないのか?」
「あり得ぬ。周りにいた敵は相当いた」
ユキの疑問にウェジットがつかさず答える。確かに中の敵も今外で気づかずに戦っている敵の数を合わせても五十人はいた。タクミの仲間の数は把握してはいないが、これ以上仲間がいるとは思えない。
そんなことを考えながらユキは何か手がかりがないかもう少し奥に進んでみる。しかしよく見ると机の上に置いてあった武器はヒュイスが腰に下げていた剣だ。となるとやはりヒュイスはここでつかまっていたのだ。ユキは他に手がかりがないか、見渡していると窓の近くに縄が落ちていることに気づき拾い上げた。
「これは……」
よくよく縄を見てみると、縄の端がなにかで切られたような跡があった。それに白い絨毯に広がる下足痕。まだ新しい足跡が二つある。その二つはまっすぐ入り口の扉に続いていた。
ということは――……
「……もしかして、ヒュイスは自力で抜け出したのか?」
「王子が?」
「ほら、ここに新しい下足痕と切られたばかりの縄がある」
ユキの呟きに同じように手がかりを探していたウェジットは驚いたように反応し、ユキに振り向いた。ユキはウェジットにも縄を見せ下足痕のことを説明すると、ウェジットはそれを見て眉を潜めた。
「なんと無茶なッ! あの方は自身の弱さを理解しておられぬのか⁉」
「……」
ユキはウェジットのその反応にかすかに目を眇めた。まるでヒュイスが何もできない子どものような言い方だ。ウェジットには心配の発言で悪気はないのだろうが、本人からしてみれば馬鹿にしているのと同じようなものだ。ユキもスバルに守られてしまった時は自身を軽んじられたように感じた。しかしこうして客観的に見てわかる。ウェジットは少々過保護すぎるだけなのだ。それが本人には信頼されていないと捉えられてしまうのだから、少々言葉数の少ないウェジットではなかなか伝わりにくいだろう。
だからユキは気づいたのだ。
その性格によく似ている人を、知っていたから。
そんなことをふと考え、気づいた。
今スバルたちは表で敵を引き付けてくれているが、タクミの姿はない。ここにヒュイスの姿もない。なぜ、二人ともいない?
――……そんなのわかり切っている。
その考えに行きつくまで二人とも時間はかからなかった。
「ヒュイスが危ないッ!」
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ユキ達が潜入している中、表では敵との攻防が繰り広げられていた。しかし今は数で圧倒してるのとタクミが出てきていないこともあり、戦況はこちら側が有利と言える状態になっていた。
センとスバルは状況を見計らって全体状況を把握するため、少し戦線を離脱していた。
スバルはユキに借りた紐のついた鉤爪で高い木に登り、単眼の望遠鏡を使って状況を確かめた。
「あぶり出しには成功しているな」
「おうッ!」
そう呟くと下からセンの意気揚々とした元気な声が聞こえ、スバルは視線を下に向けた。するとセンは「おーい」と言いながらスバルに手を振っていた。それにスバルは鬱陶しそうに顔を歪めた。センは戦闘で楽しんだのかハツラツとした顔つきになっている。しかも無傷だ。センに限らず望遠鏡で見た仲間もこんな戦闘下でも笑っていられるのだからセン達、というよりカグネ王国は大したものだ。そう思いながらスバルはセンの元に飛び降り着地し、敵の本拠地に窓の方に目を向けた。
あそこに先ほどまでタクミがいて、挑発するようにナイフを投げ下に降りるように促したつもりだが、タクミの姿は見当たらない。これは誤算だった。まだタクミが中にいるのなら、ユキ達と鉢合わせになる可能性が高い。ここは今いる人数でだいぶ押してきている。なら、スバルも加勢に行くべきか。
そんなことを考えていると、何か聞き覚えのあるような変哲な音が木々の向こうから聞こえた。
(なんだ?)
その音が少し気になり、様子を見に行こうと足を向けた。
「どこ行くんだ?」
するとセンがスバルの行動に気づき、話しかけてきた。
「何か聞こえた。ちょっと様子を見てくる。弓と矢、借りるぞ」
「そうかァ? ま、あんま遠くに行くなよー。まだ罠とかが回収しきれてねェんだから」
隠密部隊の知らせでは、敵はアジトの包囲を見張りと罠を張り巡らさせていたらしい。獣を捉えるようなくくり穴や落とし穴、跳ね上げ式網罠などが存在していた。さらに網罠には内側に棘のようなものがあり、脱出しようともがく程傷を負うというものだった。人間がこれにかかるとまず脱出は不可能だ。
「わかってるっつーの。ガキか俺は。ちょっと確かめに行くだけだ。ユキからの合図があったら笛で知らせろ。すぐ戻る」
ユキとは、もしヒュイスの制圧が完了したら狼煙をあげるように言っている。今はその合図待ちだが、スバルは音の方を調べることにした。
センは音には気づかなかったようだが、スバルは少々あの音が気になった。どこかで聞いたことのある音の気がする。スバルはそのまま木々の奥へと入っていった。
@@@@@@@@@
「……ッはあはあはあ……あーもうッくそッ!」
ヒュイスは走った。どこかもわからぬまま、どこに向かっているかもわからないまま。どこに追いかけている敵がいるかわからないまま。ただただ闇雲に走った。木が多くて走りにくいが、これはいい遮蔽物になる。これなら相手も矢を打ちにくいだろう。しかしそのせいで時々服の端や顔や腕に枝が擦れ、擦り傷を負うがそんなこと気にしている暇もないし、昨夜怪我を負わされた傷が痛すぎてそれどころではない。それにヒュイスは敵の気配など感じ取れるような能力はない。だからこそその足をなるべく止めずに逃げ切ることだけを考えているのだ。しかし三十分ほど走っているが、今のところ矢を射抜かれていない。もしかしたら上手く逃げ切っているのかもしれない。
「いッ⁉」
そんなことを考え必死に逃げていると突然右太ももに鋭い痛みを感じて、そのまま痛みで地面に倒れた。
すると後ろから何か重い物が落ちたような音とザクザクと近づく足音が聞こえ、心臓がひやりと冷えた感覚がした。
待て、待て――……。なんで。
さっきまで足音すらしてなかったのに、どうして倒れたときには近くで聞こえているんだ?
振り向いて確かめなければならないが、自分の嫌な想像が怖くて振り向けない。
「あーあ、失敗失敗。追い風だったか。あたっちゃったじゃん。もっと逃げてよ」
「……ッ!」
しかし嫌な想像があたり、後ろを顔だけ振り向くとそこにはやはりタクミの姿があった。タクミは弓を持ってゆっくりとヒュイスに近付いてきた。もうヒュイスが逃げることはできないと確信しているからだ。ヒュイスは倒れながら痛みがあった太ももを確認する。
深々と刺さる一本の矢。その傷口からじわじわと血が流れ服を汚していた。それにヒュイスはチッっと舌打ちをしながらその矢を抜こうとするが、抜こうと矢に触れた瞬間その振動すらも痛みが発し、力を入れることができなかった。
「はあはあッ……最ッ悪! なんであいつ追って来れたのさ⁉」
ヒュイスは走ってから一度も立ち止まっていない。それに方向だっていろいろ変えて走っていたはずだ。自分でさえ下りているのか上っているのかさえわからないほどに。なのにどうしてタクミは追って来れたのか。後ろから足音すらしていなかったはずなのに。ヒュイスだってそれぐらいの警戒はしていた。相手は矢を使ってヒュイスを攻撃するはずだから、木々を使ってなるべく遮蔽になるように動いてもいた。それなのに、ヒュイスが矢で射抜かれたときタクミはヒュイスの後ろに存在した。一体どこに隠れていたというのか。
するとタクミが腰に何か引っ掛けているのが見えた。
(あれは、鉤爪?)
紐のついた鉤爪だ。それを見てヒュイスは合点がいった。
タクミは木の上からヒュイスを追いかけていたのだ。その鉤爪を使って木に登り、おそらく序盤からその鉤爪を使って木から木へと飛び移ってずっと追い付いていたに違いない。最初に聞いた何か重い物が落ちてきたような音、あれがおそらくタクミが木から飛び降りて着地した音だったのだ。ヒュイスが後ろを気にして走っている様子を上からニヤニヤしていて見てたと思うと腹が立つ。それにさっきの口ぶりからするに当てるつもりがなかったようだ。それにも腹が立つと同時に自分の戦いの才能のなさに心底がっかりする。
その間にタクミはヒュイスの目の前まで近づき、ヒュイスの反応を面白がるように覗き込んでいた。それにヒュイスはせめてものと思い、睨みつける。しかしそれにもタクミはニヤニヤと馬鹿にするように見下ろした。
「あれ? 立てない? もう終わり? だらしない、なッ!」
「がッ‼」
タクミはそのままつま先をヒュイスの腹に食い込ますように蹴りを入れ、ヒュイスは思いっきりせき込んだ。
最悪だ。
蹴られた腹も痛いし、右肩の傷も走るのに酷使してずっと痛みを感じて身体はボロボロだ。
「ま、弱い割には頑張ったじゃん。これでもね、ちょっと感心してるんだよ」
そう楽しそうに言いながら、せき込んでタクミに背を向けているヒュイスにタクミはもう一度屈んで近づいた。それをヒュイスは横目でチラリと確認して、自分の腰に手を当てる。
「俺を前にして逃げようとした根性とか、あの縄解いたのもさ。あれってさ……」
「ッ!」
するとタクミの言葉を遮るようにヒュイスは腰辺りの服の中に隠していたナイフを取り出し、目の前にいるタクミの首目掛け切り込もうとした。しかしタクミはそれをひょいっと軽く避け、ヒュイスの手首をつかんでそのまま地面へと叩きつけた。
「おっと! やっぱりね! いつのまにナイフなんか盗んでたのさ、これ俺のナイフじゃん!」
そう言ってタクミは嬉しそうにヒュイスの手からナイフを奪い取った。
「……ッ」
失敗した。
これがヒュイスの最期の切り札だったのに。
このナイフはタクミと初めて会ったあの夜、逃げ回りながらなんとかタクミから盗んだ物だ。本来はあの時隙を見てタクミに攻撃しようと思っていたのだが。
捕まった時、タクミはヒュイスを害とも思っていなかったからかヒュイスが腰に下げていた剣だけは取り上げ、特に持ち物などは確認していなかったようだ。だからタクミはヒュイスが武器を持っているとは微塵も思っていないはず。だからこそ近づいてきた瞬間がヒュイスが攻撃できる絶好の機会だったのに、それすらも失敗に終わった。
絶望的な状況にヒュイスは思わず歯ぎしりした。
(最悪だ……。どうして僕はこんなに弱いんだ……)
ウェジットみたいに、父みたいに、母みたいに、ユキみたいに、他のみんなのように、どうして戦えないのだろうか。
このまま死ぬのだろうか。
呆気なく、この男に一泡吹かせられないまま、終わってしまうのか。
自分の無力さに打ちひしがれ、もうこれ以上手立てがないことに絶望した。
しかし地面に叩きつけられた拍子に、懐に何か固い物が当たっていることに気づいた。
(これ……)
自分の懐に手を当てて確認した時、ヒュイスはあることを思い出した。
しかしそんなヒュイスの様子に気づかず、タクミはヒュイスから奪った武器をまじまじと見ていた。
「へえ、ただの弱い奴って思ったけどこういう姑息な特技はあったんだね。ま、ちょっと面白かったよ……弱いことには変わりないけどね」
そう言ってタクミは馬鹿にするように笑みを浮かべて見下ろす。勝利を完全に確信している笑みだ。その笑みが自分が弱者であることを思い知らされずにはいられない。
「……ほんと、そうだね。どこまでいってもやっぱり僕は弱いままだ……。君には、勝てない」
「やけにあっさり認めるじゃん。つまらないなァ。もっと反抗してくれないと潰し甲斐がないじゃんか」
負けを認める発言をするとタクミはつまらなさそうにしながら、押さえつけていたヒュイスの手首をそのまま引っ張り近くにあった木に投げつけた。その拍子に背中が思いっきり木に強打し、またせき込んだ。
「王子!」
「ヒュイス!」
すると、どこからか聞いたことのある男と女の声が聞こえてきた。しかし声だけ聞こえるが、その姿が見当たらず、遠くから自分を呼ぶ声だけが聞こえてくる。
「おっと! やっぱウェジットとあの銀髪の女が近くに来てるね。これでまた面白くなりそうだ」
タクミもその声に気づき面白そうにあたりを見渡していた。しかしヒュイスはその声に呆れたような乾いた笑みをこぼした。
「……はは、なに? 結局あの女来たのかよ……」
こっちは必死こいて死に物狂いで逃げて、なんとか自力で脱出しようって息巻いてたのに。
ヒュイスが弱いと思い込んでるタクミに一泡吹かせ弱者の意地というものを見せつけたかったのもあるが、元々はユキが来る前に脱出して戦いに出さないようにって思ったのがきっかけだ。
それなのにあの女とくれば。誰のためにこんな慣れないことをしたと思っているんだ。
そんなことお構いなしにヒュイスなんかを必死に探して声をあげて。
「馬鹿じゃないのほんと。……ビビってたくせに」
血を見て、死を見て、茫然としてたくせに。怖がってたくせに。
ほんとあの女は馬鹿だ。こんな弱い、ヒュイスなんかのためにこんなところまで来て。
(だから嫌いなんだよ、ほんと。優しい奴っていうのはさ)
こんな弱い自分なんかには、あまりに勿体なさすぎるから――……。
するとタクミは立ち上がり、今度は腰に下げていた一方の剣を抜いた。
「さて、どうしようかな。あの二人が来たならもうお前には用はないし、前座も楽しんだし。……ま、殺そっかな」
そう言うと、タクミはヒュイスの首元に刃をあてた。しかしヒュイスはふっと笑みをこぼした。
「……いいのかな?」
「なに?」
殺されかけている状況で笑みを浮かべるヒュイスに、タクミは不審げに思い眉を潜めた。ヒュイスはその反応にニヤリとさらに笑みを深め、懐からある物を取り出した。先ほどヒュイスがナイフを取り出したこともあり、それにタクミは少し警戒する。
「これ、なにか知ってる?」
「は? なにその玉」
ヒュイスが取り出したのは丸い金属の球に紐が垂れている、大きさは拳ほどあるものだ。ヒュイスの出した物が思ったよりも呆気なかった物だったせいか、タクミは間の抜けたような声をあげた。
「これはね、毒煙だよ」
「毒煙?」
ヒュイスの言葉にタクミは眉を潜め、ヒュイスの首に手をかけていた刃を少しどけた。
ヒュイスはその反応にさらに笑みを深める。
話に食いついてきた。
こうなってしまえば、もうこっちのものだ。
ヒュイスはその玉をタクミに見せるように持ち上げ、そこから垂れている紐を持ちながら説明した。
「この紐を引っ張れば、人間が一息で即死する毒の煙があふれ出す。そういう仕組みの最新兵器さ」
兵器、という言葉にタクミはピクリと片眉をあげた。
「……ハッタリだね。そんな武器聞いたことないし、第一そうだとしても、その紐をここで引っ張ればお前も死ぬじゃん」
「僕を誰だと思ってるのさ。この国の王子だよ? 武器の流通だってコントロールできる。毒の類の武器や殺傷能力の強すぎる武器は街に流通しないようにしてるに決まってるじゃん。危ないしね。君が知らなくても当然だよ。だからこの武器は僕の万が一の時に持ってるものさ。もちろん解毒剤は君から逃げ回ってるときに飲んでおいたから、被害が出るのは君だけだ」
余裕綽々と説明するヒュイスに、タクミは少し考え込んだ。その反応にヒュイスはほくそ笑む。
(そうだ、考えろ。疑え。そうなっている時点で君の負けは決定している)
そう笑みを浮かべているとタクミは考えがまとまったのか、再度ヒュイスの首元に刃をあてた。
「……嘘だね。その兵器が本当だとしても、お前が逃げ回ってるときそんな暇なかったはずだ」
「さあね? 自分がそう思うんだったらそう思えばいいよ。僕が紐を引くのと、君が僕の首を落とすの、どっちが速いだろうね。競争でもしてみる?」
「……」
そう、確かにヒュイスにはあの時走り回るのに必死でそんなことしている暇はなかった。しかしそうだとしても、タクミはヒュイスの話を完全に嘘だと見抜けない、見抜ける材料がないはずだ。
「僕は紐を引くよ、必ず。死んでもだ」
「……ッ」
笑みを消し、決意したようにヒュイスは紐に手をかける。その瞬間タクミが少し後ろに下がったのをヒュイスは見逃さなかった。
「僕は弱いから、こういうやり方でしか君に勝てない。だから……」
「……ックソが‼」
紐を引っ張る素振りをすると、タクミは忌々しそうに言葉を吐き、腰にあった紐のついた鉤爪を使い後方にある木に引っ掛け木と木の間を身軽に飛び移っていった。
「……」
ヒュイスはその様子を静かに見送った。
タクミは射手だ。矢を打つのに重要なのは風を読むこと。だからタクミは後方に逃げたのだ。
後方はタクミが来た方向。そしてその方向から来たタクミは追い風だと言っていた。だからこそ毒煙が来ない風の向きに逃げていったのだ。
そう、そしてその方向はヒュイスを探す声が聞こえてきた方向だ。
「ほんっと情けないなぁ……。結局頼ってばかりだ……」
あまりにも情けなく、笑いがこみ上げる。
ヒュイスが一体どのくらいの人数にハッタリや嘘をかましてきたと思っている。
その弱さを誤魔化すために、国民中を騙してやってのけたのだ。
――……見ろ。一泡吹かせてやったぞ。
その瞬間ヒュイスは思いっきり紐を引き抜いた。
カンッカンッカンッカンッカンッ!
山の中で突然響きだした変哲な音に、白銀の髪をなびかせた少女はその音の方向に振り向いた。
あと二、三話ぐらいで二章は完結です。




