3.幻覚は剣戟で舞う
「帰りなさい」
ざあざあと降る雨の中、荘厳とした声が響き渡る。白髪を含んだ四十代前後の男が、威厳のある顔つきで少女を見下ろす。激しい雨の降る中、女性を外に立たせるなんていつもはさせないが、それでも彼女の発言を否定するために、こうしなければならない。
「剣を教わりたいなど……。軽い気持ちならやめておきなさい」
「……」
目の前の少女は黙ったまま俯いている。珍しい白銀の腰まである長い髪に、黄金の瞳をもつ、甘栗色のシンプルなドレスを着てまっすぐな綺麗な立ち姿をしている。一目でよいところの生まれだと分かる。
しかし断られたのにも関わらず、少女はその場から離れる様子はない。それに男は睨みつけるように眉を寄せた。
「その細腕で何ができる? その綺麗な手をみればわかる。剣も、弓も、包丁すら握ったことがない手だ。それに君は女性。わざわざ剣を覚えるより、守ってくれる亭主を見つけたほうがよっぽど有意義だ」
そう言うと少女は、ピクリと肩を揺らし顔をあげた。その拍子に雨の雫が髪から滴り落ちる。珍しい白銀の髪が、雫できらきらと輝く。しかしその輝きとは逆に髪の持ち主は表情のない暗い顔で男を見た。
「……あなたでさえもそんな凝り固まった考え方をするのですね。少々失望いたしました」
「……なに?」
女の言葉に不可解そうに眉を潜めた。
しかしそれ以外でも気になることがあった。この声、この顔、どこかで会ったことがあるような気がする。思い出すために記憶をたどろうとしたとき、女の声が重なった。
「女が剣を習ってはいけませんか? 女は守られるだけですか? 男のために女がいるのですか?」
「……そうは言ってない。ただ、いる必要もない力を、手に入れる必要がないと言っているだけだ」
矢継に出る女の言葉に、男はやんわりと否定する。
しかし女は、決意のこもった表情で一歩男に近付いた。
「私にとっては必要な力なのです。どうかお力添えを……」
必死に募る言葉に、懸命さが伝わった。どうやら本気で剣を教わりたいらしい。それが悪いとは否定しないが、綺麗なドレスをきた彼女に剣を携えている想像が男には全くできなかった。長年剣を持ち、戦ってきた経験があるからこそ、男は自分の騎士としての直感というのを信じていた。その自分が想像できないのであれば、この子に剣の才能はないのだろう。才能がないのであれば、自分を苦しめるだけだ。
「……何がしたいのかね?」
しかし、なぜここまで必死に彼女は剣を教わりたのか。それだけが不可解だった。普通に生活をしていればそんなことは思わないはずだ。
その問いに女はまっすぐと男を見た。黄金の瞳がきらりと男を射抜く。
「……王国騎士団の騎士団団長になりたいのです」
「……!」
女から出た思いもよらない言葉に男は目を見開く。しかし女の言葉を理解した途端、身体が震えた。それは決して雨に打たれた寒さからではない。怒りが身体全体に広がり、あふれ出そうと感情が暴れているからだ。
「馬鹿な……ッ! 騎士をなめるのもいい加減にしろッ‼」
男は感情が抑えられず、腕を振って女の言葉を否定する。
何年も研鑽を重ねて剣を振るい、身体を鍛え、国が認めるまでに至ったのだ。吐きそうなくらいの努力と身体中に作った傷、得られたはずの青春の時間がやっと報われた瞬間だ。
子どもの頃から騎士に憧れ、今では誇りとなっているそれを、女は簡単に足を踏み入れ荒らそうとしている。それが男には許せなかった。
しかしその男の剣幕も、女は動じなかった。
「……本物の騎士なら、性別や見た目で判断しない。あなたは相手を見た目で決めて剣を収めるのですか? それで後ろから刺されたら笑いものです」
そう言いながら小馬鹿にするように笑った女に、とうとう男は腰に佩いだ剣を鞘から抜いて、女にその切っ先を向ける。
「私をキリエル・ヴァンモスと知っての愚弄か⁉」
「……」
剣を向けられた状態でも女は全く動じず、剣先をじっと見つめた。
その様子に男もじっと女を見つめる。普通の女ならここで委縮して逃げ出してるところだろう。しかし目の前の女は恐怖に怯えている様子もなく、ましてや泣く様子もない。ただただ精悍な表情で男を見つめ返すだけだ。
「……なぜ、そこまでして騎士になりたいのだ。それはもう、女としての道を捨てることになるぞ」
その必死な様子に少しだけ彼女に興味を持った。
何が彼女をそこまで動かしているのか。どうしてそんなにも強くあろうとするのか。
すると女は考えるように少し俯いたあと、まっすぐにキリエルを見て口を開いた。
「――――――――」
「!」
女の発した言葉に男は目を見開いて驚いた。
それは、とても――……
@@@@@@@@@
コントラス王国の円形闘技場。
今はそこで異例の女騎士が、第二王子の護衛選抜の試合に出場していた。試合会場はその異例な光景に最高潮の盛り上がりを見せていた。
先手を打ったのは、女騎士ユキの方だった。勢いよくユウトに向かって一直線に走って剣を振りかざす。それにユウトは剣で受けとめる。数度打ち合い、右に左に打ち込み剣戟が鳴り響く。ユウトはそれをすべて受け止めた。しかしユウトも負けじと剣振り下ろす。ユキもそれをすべて受け止めはじき返し、交じり合った拍子に火花が飛び散る。そしてお互いの剣がぎりぎりと交わりせり合った。
するとユウトはユキと剣でせり合いながら、口を開いた。
「……やるっすね。けど、その程度で少し安心したっす。思ってたよりいけるかもっすね」
「ふうん? 私の怖い噂でも聞いたのか?」
「まあね……ッと!」
ユウトは、ユキの剣を力いっぱい押し返した。それにユキは後ろに跳躍して距離をとる。華麗に着地したユキは、一度剣を横に振って構えなおす。その顔にはまだ余裕の笑みがあった。
「なめられたものだな。……まあ、仕方がないか」
男と比べて女であるユキが力で負けるのは仕方がない。それを打ち合いの際にユウトも気づいたのだろう。せり合えば確実にユキが負ける。
「あと気になってたんすけど、その剣普通のとは違うっすよね?」
「……へえ。意外に観察力があるのか」
ユウトは、ユキのの剣に向かって指を指した。ユキは少し瞠目してユウトを見返した。
ユキが持っている剣。一般的な剣は、幅が広く厚みがあるので強度面では頑丈だ。しかしその面重さが増すのがデメリットだ。しかしユキの剣は一般の物よりも剣身が少し細い。重さは改善されても、一般の剣相手では叩き折ってしまいそうだ。
するとユキは、先ほどより腰を低くした状態で剣を構える。
「問題ないさ。私にはこれがあってる!」
そう言ってユキは、ユウトに立ち向かった。
「……ッ⁉」
向かってきたユキにユウトは動揺する。
(低い……ッ!)
懐に飛び込んできたユキの体勢はユウトの腰辺りまで低い。そのあまりに低い体勢にユウトの反応が遅れる。しかし懐に飛び込んだユキは容赦なく剣を斜めに払う。ユウトは胴を後ろにそらして、なんとか攻撃を避ける。しかしその拍子に態勢を崩してしまった。ユキはその隙を見逃さず、容赦なく斬りかかる。
「くっそ……!」
ユウトは、ぎりぎりのところで剣を受け止め今度はユウトから跳躍して距離をとる。しかしユキはそれを素早く追いかけ、ユウトに剣を振り上げた。ユウトは態勢が整えきれず、横に避けて攻撃をかわした。
「はあ⁉ ちょッ……!」
避けても避けても追いかけてくるユキの剣戟に受け止めるのに精一杯だ。
騎士や男としか相手にしたことがないユウトにとっては、ユキの体勢の低さはとてつもなくやりづらい。相手を捕えづらい上に、剣が振りづらい。あの状態で懐に飛び込まれると剣を振り下ろしても、刃にあたらない。その間にやられてしまっているだろう。
男性ならこんなにも低い体勢で向かってくることはない。
なるほど。女性特有のしなやかさということか。
「……ッ! こんっの!」
ユキの剣戟にさばききれなくなってきたユウトは、足を払って地面の砂を撒い散らし姿を隠した。ついでにユキへの目潰しにもなる。その間に態勢を整えようと動いたが、その砂ぼこりからユキの姿が現れた。
「嘘だろ⁉」
ユウトは、素早く剣を構え受け止める。
相手が見えない状態だと、普通なら相手が何をするかを様子見するのが定石だ。しかしユキは果敢にも立ち向かってきた。それにユウトは驚きとともにぞっとした。
刀を滑らせ、軌道を逸らし刀を軸にしてユキとユウトの距離は顔が近づくほどになった。
「……ッ! 怖いもの知らずかよ! ほんっとに元令嬢か⁉」
それにユキは、先ほどとは変わらない余裕な笑みを浮かべて口を開いた。
「失礼な。私は、ちゃんと確信をもって突っ込んだんだ。砂ぼこりなら風の動きで相手の動きは予測できる。砂は目に見えるからな。砂は変わらず払った方向に流れていた。つまり、お前がそれを使って攻撃や罠を仕掛ける様子ではなく、態勢を整える一時しのぎのものだと一瞬でわかるさ」
「……なるほど……ってはあ⁉ わかるかそんなもん!」
一瞬納得しかけたが、ユウトはつかさず突っ込みながら押し返した。もし本当に分かったとしても微々たる変化だ。よく目を凝らさないとわからないだろう。
ようやくユキが化け物と呼ばれる理由がわかった。
普通は見逃してしまうようなわずかな変化にも気づき、対応して動くからだ。それは風や光などの自然であったとしてもだ。偶然かもしれないその可能性をユキは見逃さない。
さらに――……
(速い……ッ!)
恐ろしいまでの剣戟の速さ。少し気を抜くと確実にユウトはやられる。
なるほど。先ほどの剣があっているというのはこういうことか。
ユキの剣は、一般の剣よりも少し細い分、その分軽くなる。ただ持てないだけかと思っていたが、それだけではない。
この速さを作り出すためでもあったのだ。
ユキはユウトの顔に目掛けて剣を突く。それをぎりぎりで横に大きく避けるとユウトの顔にわずかに赤い線が描かれる。たらりとこぼれた血を荒っぽくぬぐい、襲ってくるユキの剣戟を受け止める。押しきった拍子に、ユウトはユキの腹に蹴りを入れてユキを遠ざけた。
「……ッ」
ユキは、勢いのまま蹴飛ばされたが、なんとか受け身をとって態勢を整える。その姿を目に追いながらユウトは深く息を吐いた。
なめていた。
そうだ。あの『コントラスの鷹』の弟子ならば弱いはずがないのだ。
ユウトは本気でユキを相手にするべく、改めて剣を構えユキに剣先を向ける。
「……」
ユキもそれに気づき、先ほどまであった余裕な笑みをすっと隠して剣を構えた。
@@@@@@@@@
その頃、客席は激しく繰り広げられている剣戟に息を飲んで見守った。
しかし――……
なんと美しい剣舞なのか。
もちろん、これが剣舞なのではないことはわかっている。
しかし、彼女の剣のしなやかさと華やかさがまるで剣舞を演じているかに思えてしまう。
その立ち振る舞いや剣捌きに、思わず剣試合というのも忘れて見惚れてしまう。
美しい白銀の髪は太陽に照らされて輝き、剣を振るうたびになびく。さらに剣の輝きすら彼女のために輝いているのではないかと錯覚してしまうほどだ。
まるで彼女の剣舞を演出しているかのようだ。
しかしその一方、その剣戟は目に追えないほどの速さだった。素人である貴族から見ても、ユキの剣戟の速さが異常であることはわかる。
そしてもう一つ驚いたのが、その剣戟をぎりぎりながらもすべて受け止めているユウトだ。少々荒っぽいところもあるが、実力は本物だ。
さすが第二王子の推す騎士だ。実力も申し分ない。
そう改めて観客は、第二王子の人をみる目利きを称賛していた。
@@@@@@@@@
そのころ、会場ではお互い構えた状態で時が止まる。お互い一歩も動かない。
――この一撃で決める
この空気にのまれたように観客も一気に静かになる。少しでも息を漏らせば、聞こえてきそうなぐらいの静寂。
ユキとユウトはそんなことにも気づかない。目に見えているのは相手のみ。
お互いじりじりと間合いを詰めていく。
そして、同時に剣を振り上げ、斬りかかった。
@@@@@@@@@
試合が終わり、スバルとユウトは控室にいた。
そこではしょんぼりと、顔をうなだれているユウトがスバルの前にいた。
「……すんません」
「……チッ!」
スバルは舌打ちをしながらも、ユウトにタオルを投げた。それを受け取るとユウトは苦笑いをして顔に垂れている汗を拭いた。
結果は、ユウトの負けだ。
あの最後の一撃で、ユウトの剣は空高く飛んだ。
圧倒的実力差でユウトは負けた。
怒られるだろうなぁっと落ち込んだ姿で帰ると、態度はいつも通りだが、意外にも労ってくれた。この人は相変わらず素直じゃない。
そう感慨にふけっていると、スバルは控室の粗末な椅子に座って顎に手を当てて考えているようだった。
「……仕方ねぇ。後で適当な理由をつけて辞めさせるしかねぇな。くそッ! あのバカ女! なんのために婚約破棄したと思ってんだ!」
「……」
イライラしたように悪態をつくスバルをみて、思わず同情してしまった。
スバルのその言葉の意味も、ユウトはすべて知っている。
ユウトはふとユキのことを思い出した。
『本当は、あの男に一発かましてやりたいだけだよ』
『私を捨てた事、後悔させてやるんだッ!』
あの言葉、一見すればただの仕返しのように思えるが。
しかし裏を返せば……――
「……スバル殿下、あんたも大変っすね……」
「は?」
「いえ、なんでも……」
聞き返したスバルに、ユウトは顔を逸らして誤魔化す。
「……」
ユキ本人は無自覚か、それとも自覚があってそうしているのかは知らないが。
だいぶ厄介だ。もしかしたら目の前にいる、平気で人を振り回すスバル以上に厄介かもしれない。なんという根性というか執着。
「……すれ違ってんなぁ。……俺しらね」
なんだか将来の自分の苦労が目に見えるような気がするが、それを打ち消すために、ユウトは控室に置いてあった救急箱で顔についた傷に塗り薬を刷り込んだ。