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11.憧れと恐怖とそれと



 ユキはヒュイスの背を追って城の中庭、捜索本部に向かった。空を見るともう夕暮れ時となっているのに気づいた。

 一日が速い。

 カグネ王国の滞在は本来なら今日までで明日帰る予定だった。それを無理やり遅らせて滞在を明後日までにしているのだ。そうなると最悪でも明日にはスバルに戻ってもらえないと国にこれ以上誤魔化せない。スバルもそれはわかっているはずだ。だからこそスバルは必ず期日までに帰ってくる。ならば、この捜索だって無駄ということになるが。


(いや、あっちに殿下がいることを周りに知られるわけにはいかない。やっぱり表面上は捜索しないと……)


 なぜだか知らないが、ヒュイスはスバルが向こう側にいることを黙っていてくれている。何か目的があるのか、気まぐれなのか知らないが、今はそちらの方が好都合だ。しかし、もしこれをネタに交渉に持ち込まれたら少し厄介ではある。

 けれど、不思議とヒュイスはそういうことをしないような気がする。そういう人の弱みに付け込むような方法は、おそらくヒュイスが一番に嫌うことのように思う。


 それは優しさとか、信頼とかではなく、単純にヒュイスがまっすぐなだけだからだと、ユキは思うのだ。

 本人に言えば、気持ち悪いって言われるのだろうが。

 ここ数日で随分とヒュイスを理解して、信頼しきってしまっているようだ。隣国の王子にこれほどの信頼を寄せるとは、訪問前なら夢にも思わなかった。


 ふとそんなこと考えて、茜色に染まる空を見た。すると、ユキが信頼しているもう一人、ユウトのことを思い出した。


(……元気に、しているだろうか)


 まだ離れてからそんなに日は経っていないのに、何年も会っていないかのような錯覚を覚える。あの明るいふざけたようなユウトの話声が懐かしい。今気持ちが下降し続ける中、これほどユウトがこの場にいてくれれば、と何度思ったことか。改めにユウトの存在の大きさを認識し、溜息をついた。それに比べてユキと言ったらどうなのか、と比べて落ち込んでしまう。

 

 また自己嫌悪に陥りそうになっていたところを、ユキから盗んだ防犯の玉で遊びながらヒュイスはユキに振り向いた。


「ねえ、これからどうするわけ?」


 ユキの瞳を逸らさずじっと問いかけるヒュイスに、頼もしさを感じてユキは少し笑って答えた。


「……捜索は続けるさ。あの人にも一言いいたいこともあるしな。けど、もう今日は遅い。皆も疲れただろう。一度、捜索隊の知らせを待とう」


 出撃前、ユキはセトウに下町で襲撃者の情報を探すように捜索隊の編成を頼んだのだ。その結果が出ているはずだ。その報告を聞いた後、方針を決めるでも遅くはないだろう。


「そうだね、りょーかい」


 ヒュイスは間の抜けた返事をした後、再度前を向いて歩き出した。


 ヒュイスの後をついていくと、やっと城の中庭、捜索隊の本部のテントが見えてきた。


「護衛騎士様!」


 するとテントからちょうど出てきたセトウがユキとヒュイスの姿を見て、駆け寄ってきた。さらにその後ろからウェジットも付いてきている。

 しかし、ヒュイスはチラリと後ろにいたユキに呆れた目をしながら話しかけた。


「ねえ、前から思ってたけど、なんであんたのことみんな護衛騎士って呼ぶの?」


「……私が聞きたい。なぜかみんなこう呼ぶんだ」


「君がそんな喋り方だからじゃないの。その偉そうなの」


「……私は、偉そうに話してるつもりじゃない。これは、舐められないためにしてるだけだ」


「それって同じ意味じゃない?」


 ユキの返しにヒュイスは肩をすくめ、それにユキはむっとした顔を向けた。

 実力が身についたことは自負していたが、性別が女性なだけで周りの騎士団からは馬鹿にされたり、舐められることが多かった。そうした奴らはわからせるために模擬戦を申し込んでボコボコにしたのだが、それでもなるべく威厳が出るように話し方も変えたのだ。しかし、仲良くしたくないわけではなかったので、この距離の取られ方はユキとしても不本意なのである。

 どうして、こうも仲間との関係も恋愛もうまくはいかないのか。

 はあっと深いため息をつきながら、駆け寄ってきたセトウにユキは顔を向けた。


「……セトウ。捜索はどうだった?」


「はい。四部隊を編成し捜索させました。帰ってきた三部隊はリーダー格の男の情報を持っており、ある程度居場所が掴めました。ただ……」


 報告をしているセトウが顔をしかめながら変なところで言葉を切り、ユキは怪訝に思って眉を潜めた。


「どうした」


 そう問うとセトウは一瞬躊躇すように視線を彷徨わせた後、不安げな表情で口を開いた。


「一部隊、帰ってこないのです。それで、さらに捜索隊をあたらせたのですがそれも……」


「帰ってこない、と?」


 セトウの報告にユキは眉を潜めた。

 ただの下町に捜索だ。カグネ王国に来た時に少し街の様子を見ただけだが、ゴロツキなどが多かったように思う。しかし最悪戦闘にはなったとしても、帰ってこないのはおかしい。それに、さらに捜索に当たらせた隊も帰ってこない。


 ――……何かあったのだ。


 そう考えてユキは一つ頷いた。


「……わかった。私も出よう。どこだ?」


「城から南西の方向です」


「南西?」


 セトウの答えに、なぜかヒュイスが反応した。先ほどまで興味なさそうな表情でユキ達を見ていたのに、セトウの答えに急に反応しだした。驚いてヒュイスの方に目を向けるとヒュイスは訝し気な表情をしてセトウを見た。


「ねえ、そこの腑抜け。本当だろうね?」


「誰が腑抜けですか。本当ですよ、嘘ついてどうするんですか、全く……」


 そう不満げにセトウが答えたがヒュイスは眉を潜めるだけだった。そんなヒュイスの反応にユキは首を傾げたが、もうこれ以上詮索はしないと決めているのでユキはあまり深く考えないことにした。

 すると、眉を潜めながら何かを考えていたヒュイスはセトウの後ろにいたウェジットに確認するように一度目を見てから、ユキを見て口を開いた。


「僕も行くよ」


 ついていくと言ったヒュイスにユキとセトウは目を見開いた。


「ヒュイスも?」


「君たちだけじゃ心許ないからね」


「王子!」


 するとセトウの後ろにいたウェジットが怒りを含んだ形相でヒュイスに詰め寄った。そんなウェジットとは逆にヒュイスは冷静な相貌でウェジットを見返した。


「ウェジット、君はここに残れ」


「しかし……」


 責めるような瞳でヒュイスを見るウェジットにヒュイスは力強い瞳で見返した。


「君はここで城を守るんだ。君まで出てちゃここの守りが手薄になる。わかるよね?」


「……ッ承知いたしました」


 ヒュイスの決断を覆せないとわかったのかウェジットは悔しそうに唇を噛んで承諾した。その表情に、ユキは少しウェジットに同情した。

 気持ちがよくわかる。守りたい主君に来るななんて言われるのはつらいものだろう。ユキも何度スバルに拒絶されたものか。

 けれど、ウェジットの立場はどういうものなのだろうか。ずっとヒュイスのそばにいるから護衛のような立場だと勝手に思っていたが、王の座を得るためになんどもヒュイスの命を狙っていたと言っていた。それなのに、ついていけないことを不満に思っているようだ。よくわからない関係で、不思議だ。


 するとヒュイスは不満そうにしているウェジットを無視して横を通り過ぎた。その後ろを慌ててユキもセトウもついていく。


「いいのか?」


「別に。こっちだってずっとついてこられるのなんてしんどいんだよ」


「そ、そうか……」


 その言葉に、ユキは思わずたじろんだ。守られる側からしたらそのように思われるのか。ヒュイスもそうなら、あまり人を寄せ付けないようにしているスバルにとってはかなり苦痛だったのだろうか。

 そんなことを考えているとヒュイスから少し、憂いを帯びた声が聞こえてきた。


「それに、ウェジットが僕といるのは母さんのためなんだよ」


「え?」


「僕なんて、見てないさ」


 そう吐き捨ててヒュイスは速足で城門に向かった。その後ろ姿をユキは茫然と見守る。


 基本的に人を小馬鹿にした態度をしているけれど、正直で、言葉は真っ直ぐ的確で、自分の中で芯を持っている。今までの会話の中でユキが思った印象だ。

 なのにヒュイスがなぜあんな、悲しそうな寂しそうな表情をするのか、ユキは気になってしまった。

 詮索しないと、決めていたのに。


 けれど、ヒュイスがユキを慰めてくれたように、ユキもヒュイスに何かしたいと思ったのだ。

 そんな悲しい顔をさせないように、寂しくならないように一人じゃないと言ってあげたかった。あの小さい背中を、支えてあげたいと思った。


 胸がきゅっと苦しくなって、胸を思わず抑える。

 この苦しさは、もどかしさからくるものだ。


 だから、知りたいと、助けたいと、そう思ってしまったんだ。



@@@@@@@@



 しばらくしてユキとヒュイスとセトウは捜索隊が消えたという南西の方角に向かった。夜になりホウホウとフクロウが鳴いている声を聞き、持っているランタンで足元を照らす。本来は明日の朝捜索したほうが良いのだろうが、明日はスバルの捜索に時間と人を回したい。なので、捜索隊について今日には動いて情報だけを得たかった。夜に動くのは危険だが、仕方がない。


 南西はコントラス王国がある方向だ。つまりユキ達が通った国境の門がある。そこからカグネ王国の城下町に向かう道のりが存在する。下町の情報収集が目的だったが、どうやら似たような連中の目撃情報がこの辺りであったらしい。ここまでの道のりは歩けるように整えられてはいるが周りが森林で覆われており、夜のせいでもあり、少し肌寒い。今は夏だから薄着だったが、そのまま来てしまったことを後悔した。


 歩いた道のりで聞いた話だが、どうやらセトウの話だとコントラス王国の兵は捜索隊に加わらせてなかったようだ。下町のことなら地元であるカグネ王国の兵にあたらせるのが妥当だが、今回はそれがある意味不幸中の幸いだった。もし何かあったのがコントラス王国の兵ならば、国に帰った時誤魔化しがつかない。カグネ王国と戦闘になったとなれば、ヒュイスとの交渉がうまくいったとしても、国内ではカグネ王国の印象が悪くなる。


 ――……こんなこと、口が裂けてもいえないが。


 こんなことを思ってしまう自分は、とことん性格が悪いと思う。


 スバルのそばにいるためだけに、ユキは騎士を演じ続ける。

 スバルのそばにいるために、ユキはスバルを守るのだ。


 スバルのことを考えているふりをする。心配するふりをする。大切に、一番に想っているふりをする。

 ただ、そばにいるために。自分のために。


 スバルのことなんかまったく考えない、自分が大切なだけの自己中で勝手なユキ。改めてそのことに気づいた。


(……ほんと、何が『護衛騎士』なんだか。全然違うじゃないか)


 スバルを護衛するのも自分が必要だと思われるため。スバルを守りたいからじゃない。

 騎士として在るのも自分がスバルのそばにいるため。騎士じゃないとスバルのそばにいけないから。


 自分のことばかりで気持ち悪い。

 スバルを想うのであれば、こんな自分勝手な気持ちで守ろうだなんて、思わないはずなのに。

 どうして今まで気づかずにいられたんだろう。

 今では、護衛騎士どころか騎士すら名乗るのも恥ずかしい。


 そう思いながら後ろでついてきているセトウを盗み見た。大剣を背負って周りを警戒するように歩く彼に申し訳なさがこみ上げてくる。セトウの方がよっぽど騎士だ。誇りも何もないユキなんかと違って立派に務めを果たそうとしている姿は今の自分と比べてしまう。


 するとそこまで考えてユキは頭を勢いよく振って自身の頬をバシバシ叩いた。

 

 こんな風にずっと自己嫌悪に陥ったままではだめだ。とりあえず今は消えた捜索隊のことに集中しなければ。


 騎士としては志は拙いが、ユキには剣の強さがある。

 それだけがユキの唯一の自信で、騎士を名乗れる唯一の矜持なのだ。 


 そんなことを考えながら歩いていると、セトウが立ち止まり、ユキとヒュイスも続いて立ち止まった。


「向かわせた場所はこの辺までなのですが……」


 セトウの言葉にユキはランタンを掲げながらあたりを見渡した。すると少し先に道に黒い痕が広がっているのが見えてユキは近づいた。そして地面に屈み、その痕をランタンを近づけて確認し、目を開いた。


「血の跡だ」


 そう言うと後ろに控えていたセトウとヒュイスは息を飲む。ユキは軽く土をすくい感触を確かめるように手で揉んだ。


(……湿っている。まだ血が流れてからそんなに時間が経ってない。しかもこんなに広範囲に。戦闘があったか、事故にあったか、まだわからない、が――……)


 どうもおかしい。


 ここには血の跡だけ。それなのに全く捜索隊の足跡が見当たらない。捜索隊は三人編成で少なかったものの、足跡ぐらいは残るはずだ。それに、雨が降ったわけでもないのに揉んだ土の感触が妙に柔らかい。まるで――……


「ッ‼」


 すると突然足場が崩れた。先ほどまで立っていた地面が跡形もなく崩れ下に落ちていく。ユキの後ろで近くにいたセトウもヒュイスもユキと同じように態勢を崩して落ちていった。しかし崩れていない場所からそれほど離れていなかったので、落ちる寸前なんとか地面の端をもって穴から落ちるのだけは何とか防いだ。


「あっぶな! なにこれ⁉」


「落とし穴……ッですね」 


 ぶら下がった状態で混乱を叫んだヒュイスにセトウは自身の身体を這い上がらせながら答えた。ユキもとりあえず穴に落ちなかったことに安堵の息を吐き、穴の中に視線を向けた。


「……ッ」


 持っていたランタンが穴にそのまま落ち、暗かった穴の中が鮮明に浮かび上がってきた。

 そこにはカグネ王国の鎧を着た兵たちの死体があった。

 穴の底に埋められていた槍に身体に深々と突き刺さり、口から血を吐きながら目をぎょろりと見開き息絶えていた。頭にも、目にも、胸や足、腕にも、身体中から槍が突き刺さり、ランタンの明かりでできた顔の陰があまりに蒼白で、彼らがすでに死んでいることを物語っていた。

 事切れて見開いたままの目がじっとユキたちを見ているようで、ユキは小さく悲鳴を上げた。


「そ、そんな……」

 

 出る前まで治療を率先して手伝ってくれていた、カグネ王国の兵たちのあまりのむごい死にユキは茫然とした。

 すると誰かがユキの身体を勢いよく引っ張り上げた。


「罠だよ! ここから離れないと!」


 引き上げたのはヒュイスだった。ヒュイスが焦ったように声をあげながらそのままユキの腕を引いた。

 すると、森林からユキ達の足元に矢が一本突き刺さった。それを合図に三人同時に走り出す。


「これは……ッ殿下を攫った奴らの仕業でしょうか⁉」


「いや、きっと古城で矢を放ってきた奴らだよ!」


「そいつらの狙いはもう一つに集団だったはずでしょ⁉ なんで俺たちを狙ってるんですか⁉」


「知らないよ! とりあえず今は逃げきることが最優先だよ!」


「……ッ」


 セトウは混乱しそしてヒュイスは混乱したセトウの問いに答えながら全速力で走った。ユキも走りながらも剣で矢を弾いて防御する。その間、ユキはあたりを瞬時に見渡した。

 矢ひたすら一定の方向から打たれている。今は月明かりが雲に隠れており明かりがなくて見えにくいが、囲まれているというわけではなさそうだ。おそらく相手は一人。それに矢の放つ方向から相手のだいたいの居場所は特定できた。なんのつもりかは知らないが、相手が一人なら早々に倒せる。

 ユキは自分の考えに一つ頷き、矢が放たれている方向に足先を変えた。



@@@@@@@@@



「私は矢を射ている奴を止める! その間にセトウはヒュイスを連れて行け!」


「し、しかし……!」


 ユキはセトウの返事を聞かずユキは走り出した。思わず立ち止まった二人は矢の攻撃を避けるために一度森林の木の陰に隠れた。


「大丈夫なの? あれ一人でさ」


 ヒュイスははあはあと息を整えながら、ユキの背を見送るように木の陰から様子を伺った。


「護衛騎士様は強い方ですから、大丈夫ですよ」


 混乱から戻ってきたセトウは大剣を構え、ヒュイスの問いに答えながら警戒するように周りに目を配らせた。ヒュイスも同じように周りを見渡す。


「強い以前になんか抜けてるでしょ。あの子」


 そう言うとセトウは、少しだけ警戒の目を柔らかくさせ微笑んだ。


「そう、でしょうか。それでも、私たちからすれば憧れですよ。あんな大勢の戦闘でも、いつもの通り、その強さを発揮しておられました。だから私達騎士も、あの方を敬称で呼ぶのです」


「ふーん……意外に慕われてたんだね、彼女」


 眉を寄せながら不可解そうにするヒュイスにセトウは苦笑いを浮かべた。憎まれ口を叩きながらもなんだかんだ心配しているその言動に気づいていないのだろうか。

 しかしセトウも心配した。いくら強くてもこんな暗い場所で一人で行動させてしまったのは迂闊だったかもしれない。



「いやはや、ほんっと面白いね」



「!」



 突然背後から声が聞こえて、ヒュイスとセトウは驚いて声のした方に振り向いた。


「弓兵ってさ、あんまり表立って姿を見せないんだよね~」


 声だけが聞こえてくる。若い男の声だ。しかし、その声の人物が足音を立てながら、だんだんとこちらに近付いてくるのだけはわかり、ヒュイスとセトウは息を飲んだ。しかし声の主は関係なく話を続けた。


「なんでかわかる? 元々戦闘支援が役目だから、接近戦に持ち込まれたらさ、一発で終わりなわけ。だから、戦い慣れしてる人間ほどすぐに勘づいて矢の方向から相手の位置を探って倒そうとするんだよねェ。それに一定の方向からさらにその矢の本数が少ないと、どうしてだか相手は一人だと思う。ほんと馬鹿だよねェー」


 そう言ってその声の人物は立ち止った。せいぜい距離は五メートルほど。けれど、確実に仕留められる距離だ。セトウはその緊張感の中、額から汗が滴り落ちながら、ゆっくり大剣を構えた。相手もセトウが戦闘態勢になっていることに気づいているはずなのに、全く話す態度に余裕が崩れない。それがさらにセトウの恐怖を増幅させた。


「ちょっと戦力を減らすつもりだったんだけど、君たち二人が残ったのはちょっと誤算だったなァ。まあ王子もいることだし……」


 すると、だんだんと雲が晴れて月明かりが差し込んみ、だんだんと目の前にいる相手の姿が明るみになった。


「俺はタクミ。射手たちを率いる天才だよ。けど、弓兵の武器が弓だけなんて言ってないよね? ……さあ、俺を楽しませてよ」


 男は特徴的なキツネ目をさらにきゅっと細ませて笑った。

 男の両手には三日月の形のブーメラン、しかしそれはただのブーメランではなく、全体が刃で覆われていた。男は、タクミはその武器をくるっと手の平で遊ばして、二人の方に刃先を向けて投げかけた。


 投げられたブーメランを大剣ではじいた瞬間、戦闘は始まった――……。



@@@@@@@@



 ユキは矢が放ってくる森林の方向に走った。この矢を打っているやつを倒してその素性を聞き出せば、とりあえずは対処できる。けれど、追っているうちになにか違和感に気づいた。


 矢は一定に打ってくる。けれどあまりに規則正しすぎるのだ。


 ユキが十歩進んで一本そして十歩進んで一本、とあまりに正確すぎる動きだ。それに近付くごとにだんだんと照準が外れてきている。少々違和感を持ちながら敵のところに向かった。


「見つけた!」


 ユキは太い木の幹から矢を打っているのが見える。けれどおかしい。ユキがこれほど近づいてきたというのに、依然と矢を打ち続け逃げる素振りがない。しかしとりあえずユキは矢を止めるべく相手の隣にある木に軽くジャンプして同じ高さの幹に着地する。そして相手を倒そうと幹の上で剣を構えた。しかしそこに広がっていた景色はユキの思ってもみなかった光景だった。

 

「……なに、これ?」


 そこにはクロスボウのような弓が幹に設置されていただけだった。なぜかそれはひとりでに矢を打ち続けている。弦を引く者もいないのにだ。クロスボウに似ているが少し違う。クロスボウの弓を装填するところに箱のようなものが設置されているし、従来のものとは大きさがだいぶ違い、何かレバーのようなものがついている。そのレバーの下には小さな歯車がついており、そこから糸が近くの川の水車まで伸びている。水車は水の動力で、普段街の人たちがあげ水や製粉などで利用している。

 ユキはその水車とクロスボウを見て、なるほどと頷いた。

 水力を使ってレバーを引き、弓を打っていたのだ。なんとも奇怪なからくりだ。そんな不気味な光景に呆気にとられていると、そのクロスボウが突然矢を打たなくなった。おそらくだが、上に設置された箱には矢は入っていて、矢が一本打たれるごとにその箱から次の矢が装填される仕組みだ。だから箱に矢が無くなったため、打てなくなったのだろう。その証拠に矢を打つ動作だけはずっと続いている。こんな武器、みたことない。


 自動的に打たれる矢の物珍しさに観察していると、はっとユキは目を開いた。


「……ッ! しまった!」


 自動的に打たれる矢。つまり誘いこまれたのだ。


 ユキは急いで幹から降りて、セトウたちがいた方向に走る。先ほどまで暗かったが月明かりのおかげでだんだんと明るくなってきた。そのおかげで自分たちがどこにいたのかだいたいの検討がついた。


(どうか、うまく逃げていますように……ッ!)


 そう願いながら通りの開かれた道、先ほどまでセトウたちのいた道までたどり着いた。


「セトウ! ヒュイス!」


 名前を叫びながら森林から飛び出す。


 ――……しかしその瞬間、重たいものがユキの身体にのしかかった。


 その重さに耐え切れず、ユキはそのまま後ろに倒れこんだ。


「な、なに……」


 わけがわからず半身を起き上がらせると、ずるりと重みが胸からずれて地面にどさりと大きな音を立てて倒れこんだ。ユキは何かと思い地面に倒れた重みに目を向けた。


「…………え?」


 そこには、人の身体があった。

 なぜ人の身体がユキに向かって倒れてきたのか。こんな地面に倒れているのか。

 どうして、ぶつかってきたのに謝らないのか。

 なぜ、ぴくりとも動かないのか。


 その人が着ている鎧は、ユキがよく知っている鎧だった。

 

「あれ? もうきたの? ……まあいっか。ちょうど面白くなくなってきたところだし」


 突然上から声が聞こえ、ユキは茫然としながらゆっくり顔をあげた。そこには見た事のないキツネ目の男がいた。茶色の短髪に深緑色の瞳が男の細い目からわずかに垣間見える。普通の男性のように見えるのに、手に持っている二本の特徴的な剣が、そしてその剣に血がべったりとこびりついていることからも、この男が普通じゃないことは明らかだった。


 しかし、ユキはそんなよくわからない男に気に掛ける余裕はなかった。

 ユキは再度倒れてきた人物に顔を向けて、震えた声で名前を呼んだ。


「セ、セトウ……?」


 大柄な体つきで優しそうな相貌。何度も剣を交えた相手だ。最初の頃はユキのことを傷つけやしないかと気遣って本気で戦って来なかった、優しい騎士。

 その騎士はユキの呼びかけにも頑なに目を閉じて答えず、天を仰いでいる。口からは血が垂れ、そしてその腹には大きな穴をあけていた。そこから止めどなく血が出てきて、地面を漆黒に濡らした。そこからあふれた液体がユキの手につき、ぼうっとその手を見つめる。

 よく見たらユキの着ていた制服が血で汚れている。先ほど倒れられた拍子についてしまったのだ。


 セトウの血が、ユキの服に染み込んでいく。

 セトウの命の雫が――……


 その瞬間、ユキはぞっとした。

 それは決して寒さからではない。言葉にできない恐怖がユキを襲った。


 全身の血が一気に冷えて、震えが止まらない。

 それなのに、心臓はまるで内側から殴られているかのように鼓動が鳴っていて、うまく息ができない。内臓がしびれて、何かがせり上がってきそうになるのを口を押えて何とか耐える。

 脳がうまく働かない。


 どうして、なんで、どうして、なんで――……ッ‼

 

 そんなユキの姿を気にせず、目の前の男はけろりとした表情で持っている武器を肩にあてた。

 

「あーあ、思ってたより手ごたえなかったなぁ。もっと楽しめるかと思ったのにィ~」


「……セ、セトウ」


 何度も動かないセトウの名前を呼ぶユキに、男は、タクミはやっと楽しそうに目を細めてユキを見下ろした。


「あーあ、君が置いてったばかりに、その子死んじゃったね?」


「死ん……?」


 茫然としながら、まるで幼子のようにタクミの言葉を繰り返し、じっとセトウから目を逸らさないユキに、タクミは不快そうに眉を寄せた。


「……なに? 戦意喪失ってやつ? 逆上してくれなきゃつまらないじゃん! そのためにこうして罠まで張ったのにさ! 罠もタダじゃないんだからさァ~。あの仕掛けなんか、前殺した奴の臓器を売ってなんとか買えたんだからさァ、それなりの効力発揮してくれなきゃ困るわけ!」


 子どものように憤慨してユキを責めるような口調で話すタクミだったが、ユキは未だに茫然とセトウを見るばかりだ。


「セ……ト」


 そう言って再度手を伸ばして軽くゆするが、反応がない。

 彼は優しい人間だ。なのに、ぶつかってきたユキに謝りもせずにこんな風に倒れこんでいるなんておかしいのだ。だから、早く起こさないと――……。


 だって、こんなの、おかしいじゃないか。


 ユキは何度もセトウの身体を揺らし抱きかかえた。すると一向にタクミの方を見ないユキにタクミは興味を失ったように軽蔑した目で見下ろした。


「……壊れちゃったか、つまんないの。……もういいや。期待外れもいいところだったよ。ばいばい」


 壊れたおもちゃにぶつけるような言葉を吐き捨て、持っていた剣でユキの首に目掛けて剣を振るった。


「……ッ何やってんだよ馬鹿!」


 すると、ヒュイスがユキを庇うように勢いよくユキに目掛けて身体をぶつけ、二人同時に剣を避けた。

 ユキを突き飛ばして庇ったヒュイスは、未だに感情のない瞳でセトウの身体を抱きかかえるユキに怒鳴りこんだ。


「いつまでもそんなん抱きかかえてないでよ! 馬鹿なの⁉」


「……だって、セトウが……」


「死体なんて見るの初めてじゃないでしょ⁉ さっさと……」


 そう言ってヒュイスは言葉を止めた。茫然とセトウの身体を抱きかかえているユキに、そのショックを受けたありさまに、ヒュイスは言葉を詰まらせてしまった。


「うッ」


 その瞬間突然背後から鋭い重みがかかってヒュイスはその重みのまま地面に倒れこみ、顔を地面にうずめこんだ。


「ねえ、王子様や。俺、殺しの最中に邪魔されるのが心底嫌いなんだよ~」


 その重みの主はタクミだった。タクミはヒュイスの背中をグリグリと足で押さえつけ、そのままヒュイスに楽し気に話しかけた。


「王子様も強いんでしょ? だったら俺ともっと遊ぼうよ? なんで逃げ回ったりすんの?」


 その言葉にユキがピクリと動いてゆっくり顔を向けた。


 ――……逃げ回っていた?


 どういうことなのか。

 ヒュイスは、このカグネ王国で二番目に強いと言われているウェジットにも勝っている相当な実力者のはずだ。

 なのに、どうして、剣を抜いていない?


 回らない頭で、そんなことを考える。


 わかっている。自分がこんなこと考えている暇はないことを。

 わかっている。わかっているけれど――……


 すると、ヒュイスは顔を地面にうずめこみながらいつもの小馬鹿にした笑みをタクミに向けた。

 

「……ッ君なんか、相手にもしたくないからだよ! 剣を抜く価値もないねッ!」


 そんなヒュイスの虚勢にタクミはつまらなさそうに剣をくるりと持ち替え剣先を真下に向けた。


「ふうん? だったらもっとその気にさせようかな?」


「がああッ!」


「ッ!」


 タクミはヒュイスの右肩に目掛けて剣を深く突き刺した。その痛みにヒュイスから悲鳴があがる。

 その悲鳴でユキは一瞬だけ身体が動いた。しかし足を立ち上がらせようと力を入れたが、力がうまく入らずそのまま倒れこむ。その際、抱え込んでいたセトウの身体は地面に放り出されてしまった。ユキは悔しくなって自分の足を睨んだ。


 震えがとまらない。身体が言う事を聞かない。


 そうしている間にもタクミはヒュイスの右肩から剣を抜き、今度は髪を引っ張り上げた。その際痛みでヒュイスの顔は歪んでいた。


「どう王子様? やる気なった?」


 するとタクミは、ふと何かに目がいった。


「……ん?」


 タクミはヒュイスの髪から手を離し、次はヒュイスの手を掴んでその手をじっと見た。


「……ふふふッあははははははっはははははははは‼ なるほどね! これは傑作だ! こりゃ面白い!」


 何かに気づいたのかタクミは急に大声をあげて笑い出した。突然の奇行にヒュイスもユキも目を瞠る。


「なにが面白いって……⁉ ……ぐッ」


 反撃するように声をあげようとしたヒュイスに、タクミは手刀を入れて気絶させた。


「ふむふむ。いやはや、これは予想外だったなァ。面白いじゃん。ということは、あのウェジットもグルかな? この王子を攫えば呼び寄せることなんか簡単だねェ」


 タクミはにやりと口元を歪め、楽し気に言いながら気絶したヒュイスをタクミはよっと掛け声をあげて担ぎ出した。


 何がどうしてそうなったのか、ユキには理解できなった。

 いや、理解しようと頭を働かせず、その状況を打破しようと動きもしなかった。



「さて……」


 何かに納得したようなタクミは、ヒュイスを担ぎながらちらりと地面にへたり込んでいるユキに目を向けた。そこには最初のころにあった楽し気なものではなく、軽蔑の眼差しがあった。


「君さ、いつまでそうしてるの?」


 そう問われてユキはびくっと身体がはねた。それを見てタクミはさらに興味が失せたように、見たくもないというようにユキに背を向けた。


「ほんと君にはがっかりだよ。弱いんだね、君。もっと強いと思ってたのに。そうしてると、ただの女の子だよ。つまんない。……俺と同じ戦闘狂かと思ったのに」


 せっかく罠まで張ったのにおじゃんかァと心底残念そうに言いながら、背を向けて歩き出した。その肩にはヒュイスが担がれている。


 ――……助けなければ


「ま、まって……待ってよ」


 手を伸ばす。必死に手を伸ばす。


 けれど全く身体は前に進んでくれない。




『冷静なときの剣筋と感情的になったときの反応の速さ。これを両立できれば君はきっともっと強くなれる』


 キリエルが言ってくれた言葉を思い出す。




『……うちの国では一番の騎士だ』


 スバルが言ってくれた言葉を思い出す。





『騎士としては志は拙いが、ユキには剣の強さがある。

 それだけがユキの唯一の自信で、騎士を名乗れる唯一の矜持なのだ』



 さっきまで考えていた、自分の愚かな勘違い。

 

 愚かな自信。愚かな評価。愚かな自分。




『あーあ、君が置いてったばかりに、その子死んじゃったね?』


『弱いんだね。君』




 伸ばした手は当然届かず、地面に振り上げ、土に埋もれてた。


 その土の冷たさが、手から身体中に血流のように染み渡り、

 その冷たさが涙になって流れ出た。

 

 ユキは一人、何度も地面に拳をぶつけながら、身体を震わせて、泣いていた。


 その姿は、騎士とは言いがたい、みっともない姿で。



――――

―――――――――



「……ぅ」


「‼」


 しばらくそうしていたのかわからない。

 けれどセトウのかすかなうめき声に、ユキは勢いよく顔をあげた。

 そしてゆっくりと身体を引っ張るように動かし、セトウに近付いて震える手で身体に触れた。


「……大丈夫」


 出血はひどいけれど、まだ、浅いけれど、息が、ある。

 ほんの少し、かすかだけれど、生きている。


「大丈夫、大丈夫、大丈夫、だいじょうぶ……」


 ユキはそううわ言のように呟いて、セトウの身体を抱えた。


「大丈夫、大丈夫、大丈夫だよ、セトウ。だいじょうぶ、だいじょうぶだから」


 返事をしないセトウにユキは必死に話しかけながらセトウの肩を持ってゆっくり歩きだす。

 まだ息はある。ヒューヒューと浅い呼吸を繰り返している。早く城に帰らないと、セトウの命が危ない。

 

「だいじょうぶ、だいじょうぶ……ッ」


 ユキは必死に呟きながら城に続く道を、セトウをほとんど引きずった状態で歩いた。



 大丈夫、大丈夫さ。きっと大丈夫――……



 その言葉が、セトウにではなく、自分自身に言い聞かせているものとわかりながら、ユキは何度も口にする。



 ――……大丈夫



 言葉にしながらも、止めどもなく涙があふれ出す。




 これは、悲しみでも、悔しさからでもない。




 ――……殺意からにじみ出る涙だ。



タクミが使ったあの弓は連弩というクロスボウです。今回は水力を組み合わせて使ったものです。


――さて一体ユキは何に恐怖したのでしょう。

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