10.感情の行き場
長らく休んでおりましたが、久しぶりの投稿です。(そのせいで長く書きすぎた。。)
ずっとブックマークをつけていただいた皆様、ありがとうございます!
これからまた執筆を始めます!
「立て」
少し白髪の含んだ短髪のガタイのある男が木剣を突きつけ、鋭い眼差しで女を見つめていた。女は、頭からは大量の汗が流れ落ち、男と同じ木剣を支えにして膝をつき、息は荒れていた。
「はあ……はあ……ぐッ……はあ……うッ」
すると女は突然口を押え、嗚咽をあげながらうずくまり嘔吐した。しかしその姿を見ても目の前の男は女に駆け寄ろうともせず、変わらず女を鋭い視線で見つめるばかりだ。
「なんだ、君の覚悟はこんなものだったのか? この程度で根をあげるようでは、令嬢に戻って他の令嬢のようにおしゃれをした方が有意義ではないかね? 元婚約者殿」
「ッ‼ はあぁああ‼」
その言葉を聞いた女は頭に血が上った。
その言葉、女にとって侮辱であり、かつての悔しさを思い出させるには十分であった。
女は怒りのまま無理やり足を動かし、目の前の男に木剣を振り下ろした。しかし男はすぐに女の攻撃を受け止めそのままいなし、反撃のため男も女の顔にめがけて剣を突きつける。しかし女はその剣を避けた。
「!」
男は女が避けたことに一瞬驚いたように目を開いたが、女が避けた隙をついて足を払った。女は避けきれず勢いそのまま身体を地面につかせた。女は息を切らしながらゆっくり身体を起こし、悔しそうに拳を地面に殴りつける。
「……ッくそ!」
「はしたなしぞ。……と言いたいところだが、その悔しさも君が強くなるための大切なものだ。大事にするといい」
「……こんなに何時間も剣を交わらせているのに、私と違って平然としているあなたが憎いですよ。キリエル様」
女はそう言いながら服が汚れるのも気にせず、再度地面に寝転んだ。男、キリエルはそのだらしない姿を見て一瞬顔をしかめたが、溜息をついてキリエルも地面に座り休憩をとることにした。
ここは、ヴァンモス家にある訓練場だ。訓練場と言っても施設などの場所ではなく、ヴァンモス家の庭の一角で訓練をしている。元々キリエルが個人的に鍛錬するには庭などの一角だけでよかったし、本格的な訓練となると王城に行けば訓練場はあるし、王国騎士団と言う練習相手もいる。なので訓練場などの仰々しい施設などは作っていないのだ。
そこで女は、コントラスの鷹と呼ばれるキリエルに鍛錬をつけてもらっていた。
女は寝転びながら顔を横に向け、地面に広がった髪を見つめた。
女の白銀の髪はぞんざいに一つにくくられており、それももう解けかかっていてぼさぼさになっている。服装だって動きやすい男性用の簡素な服装だ。令嬢だった頃は綺麗に編み込まれ、身だしなみを整えていたというのに、今ではその影を失くしつつある。原因はこの厳しい鍛錬のせいだ。身体がくたくたで身だしなみを整えるのも面倒になり、こんなテキトーな格好になってしまっている。元々見た目を着飾ること自体そこまで好きではなかったので、女はあんまり気にしないのだが、周りの特にメイドのサヤは口うるさく女の身だしなみを整えたがる。なので、実は顔に薄く化粧をしていたりするのだ。
自分も随分変わってしまったと、自嘲的に笑った。
そんな場違いなことを考えていると、キリエルが女をじっと見ているような視線を感じた。
「君は、不思議だな」
「はい?」
キリエルの突然の言葉に女は、ユキは寝転びながらキリエルに顔を向けた。するとキリエルは真剣な眼差しでユキを見つめていた。
「君は筋は悪くない。反応だって早いし、順応性もある。けれど、感情的になると途端剣筋が単調になる。君の悪いところだ」
そう言われたユキは不満そうに顔をしかめた。
「……自分でもよくないとは思ってますよ。だから感情的になっても剣が単調にならないように身体に覚えさせようとしてるではないですか」
「……感情的にならないようにする、という考えにはならないところが君の変わったところだな。……て、そうではなく」
ユキの変わった考えにキリエルは呆れた視線を向けたが、すぐに首を振って改めてユキに真剣な眼差しを向けた。
「君は感情的になると剣は単調になるが、なぜかその分反応や気配がいつもより敏感になって、動きも速くなる。時々私でも君の速さには追い付けないし、反応できやしない。さっきだって、私の剣を避けただろ? あんな至近距離で、しかも攻撃がいなされた状態ではなかなか反応なんかできやしないし、脳が理解しても身体は早々動いてくれない。だから君は不思議だと言ったんだ」
キリエルの言葉にユキは顔をしかめた。
「……つまり、偏っていると?」
「そうだ。冷静なときの剣筋と感情的になったときの反応の速さ。これを両立できれば君はきっともっと強くなれる」
その言葉にユキは一度目を細め、キリエルから視線を外し空を見つめた。
青い、綺麗な空だ。
青。それで思い出すのはいつもあの人のことだ。
青い、少し濁ったあの青い瞳。ユキと話しているとき、少し優しく細められるあの瞳が好きだった。
ずっとそばにいるのだと思っていた。
けれど、今はとても遠い――……。
かつての婚約者を思い出し、ユキは苦しくなってぐっと自身の胸を掴んだ。
「……そうすれば」
するとユキは一度目を閉じてキリエルに顔を見られないようにするかのように背を向けた。
今自分がどんな顔をしているのかわからず、そんな顔をキリエルに見られたくなくて、ユキは背を向けることで顔を隠した。
「そうすれば、あの人を、守れますか?」
か細い声で、弱々しく、怯えながら、ユキはキリエルに問いかけた。
その問いかけにキリエルは、微笑んで安心させるように優しい声色でその問いに答えた。
「……いけるさ。なぜなら君はコントラスの鷹が直々に鍛えた騎士なのだから」
「……」
その言葉を聞いてユキはゆっくり立ち上がり、木剣を構えなおした。それに続いてキリエルも立ち上がり剣を構える。
するとユキは少し気まずそうに視線を逸らしながら、口を開いた。
「……その、あの……、どうすれば感情的にならずに済むのでしょうか」
気まずそうに視線を逸らすユキにキリエルは一瞬ぽかんと呆けた後、思わず漏れた笑いを隠すように口を手で覆った。笑っていることに気づいたユキは恨めしそうに師を見る。するとキリエルは、すまない、と言って笑いながら顎に手を当てて答えた。
「ふむ、そうだな。……まず笑ってみることだ」
「笑う?」
思いもよらないキリエルの解答にユキは首を傾げた。
それを気にせずキリエルは続けた。
「これは戦術の一つなんだがな。どんな状況下でも笑ってみると不思議と力というものが出てくるものなんだよ。自分を奮い立たせることができる。それに相手にも恐怖を与えることができるからね」
「恐怖、ですか?」
「相手が不利な状況にも関わらず不敵に笑っていると、何かあるのかと恐怖するだろう? 笑みは余裕の表れだと相手は勝手に勘違いをしてくれる。……とまあ話は逸れたが、要は戦いの最中に笑みを浮かべると自分の感情制御にも繋がるって話だ。笑っていると変に自信が出てくるんだよ」
そう言いながらにっと不敵に笑うキリエルにユキはぽかんと口を開けた。
まさかの方法だった。
もっと精神的な厳しい鍛練がいるのかと少々恐怖していたが、まさか笑うことだけでそこまでの効力がでようとは、思わなかった。
しかし確かに戦闘中、特に自分の不利な状況であったのであれば、もしかしたら効果的なのかもしれない。一種の自己暗示みたいなものだろう。表情と感情は連動しているというし、状況に添わない表情をしていると自分の感情が上塗りされて、制御できるのかもしれない。さらに相手を恐怖させる材料にもなるし、これは一石二鳥でお手軽だ。
ユキはそう考え、納得するように頷いた。
「笑み……」
「そう笑みだ。怖くなった時、感情が制御できなくなった時、その笑みは君の力になる」
「……」
そう言いながらキリエルはユキの頭を優しく撫でた。かつて父だった人にもしてもらったことない行為で、ユキは落ち着かなくなって顔を俯かせた。
強くなろう。
この人が誇れるような騎士に。
あの人が認めてくれる騎士に。
自分なんかに優しくしくれた人たちに報いるために。
そして、私の幸せのために――……
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「ん……」
目を明けると庭の植木が一面に広がっていた。見覚えがない庭だ。
ユキは少し周りを見渡した。どうやら城の裏にある庭のようだ。
そうだ。スバルの居場所を聞くために、捕虜としてとらえたユラという女性に話を聞いたのだった。どうやらあのまま飛び出して、城の裏手まで来てしまっていたらしい。けれどやはり疲れていたのか、うずくまった途端眠気が襲ってそのまま寝てしまったのだ。ここは隣国で、もしかしたら敵国となるかもしれないのに、自分も案外図太いものだ。
そんなことを考えながら、改めて周りを見てみた。
目の前には植木だけ。城の壁に背をつけてうずくまって寝てしまっていたユキは、ここにいることを誰にも伝えていない。しかもがむしゃらに走ってしまっていたからここがどこなのかもわからない。次の作戦もあるのに、どうしようか。
「……ふ、でももういいかな」
ユキは自虐的に笑った。
スバルが無事であることも確認できたし、なぜだか知らないけど誘拐犯と一緒に行動しているみたいだった。それならもうユキ達が動く必要もないだろうし、大人しくこの城で待っていればいつかはスバルも帰ってくるだろう。ユキはただスバルを信じて待っていればいいのだ。
「……それでいいですよね。スバル殿下」
ユキはぎゅっと身体を縮こませるように膝に顔を埋めた。
何も知らず、理解もせず、ただただスバルを信じていればいいのだ。
きっとスバルのことだから何かしらの考えで動いてることだろうし、ユキの考えでは到底及ばない次元まで考えているに違いない。それにスバルだって全く戦えないわけではない。先ほどの戦いだってユキとちゃんと戦えていたし、もし何かあったとしても一人でなんとかなるだろう。
『……お前がいれば大丈夫だろ?』
『助け? 全然。あの子すぐに私たちの仲間になったのよ? あなたに助けられるのを待っていたなら、そんなことしないんじゃない?』
「ッ嘘つき……」
勝手に思いこんだのは自分だ。頼ってもらっていると、勝手に浮かれてしまったのは全部ユキだ。だから、こんな風にスバルを責めるのは間違っているのだ。
そもそも剣が強いだけで、全体的にユキが頼りないからいけないのだ。いや、そもそも強かったらスバルが攫われるなんてへまはしない。
もっと強かったら。スバルが安心して頼ってくれるぐらい強く在れたら。
もう少し、この状況も変わっていただろうか。
「だけど、ちょっとぐらい、頼ってくれたって……」
「なにぶつぶつ言ってんの。気持ち悪い」
突然近くから声が聞こえ、ユキは驚いて声のした方に顔を向けた。
「ヒュイス、王子」
そこにはヒュイスがいた。
中性的な顔立ちに少し癖っけのある淡い緑色の髪。猫目の黒い瞳には苛立ちを孕んでいた。自分のことで必死で気配を全く感じ取っていなかった。そのことでユキが茫然としているとその苛立った瞳が、なんだかスバルと似ていることに気づいて、ユキはおかしくて少し微笑んだ。
すると微笑んだユキに意味が分からず、ヒュイスは顔を引きつらせた。しかしヒュイスは顔を引きつらせながらも、うずくまっているユキの隣に同じように城の壁を背にして座った。
「何があったのか知らないけどさ。あんたがめそめそしてんの見ると鬱陶しいからやめてくんない?」
隣に座ったヒュイスはユキの顔を見ずに、素っ気なくそう言った。
それにユキはムッと眉を潜める。
「別に、めそめそなんてしてない……」
「覇気がないし、そんな目元赤くして説得力ないよ」
ヒュイスの言葉にユキは慌てて手で顔を覆った。
そんなわかりやすい顔をしていたのだろうか。恥ずかしい。泣いていたのがバレていたなんて。
するとヒュイスはそんな反応のユキは見て溜息をついた。
「……あのさぁ、あの捕虜にスバル王子が助けを待ってる~みたいな変なこと聞いてたみたいだけどさ。あんたはどういう回答求めてたわけ? 待ってるって言って欲しかったの?」
ヒュイスの核心を突くような問いかけに、ユキは一瞬言葉を詰まらせた。
何もかも、というか一部始終知られているらしい。ユラが話したのだろう。
ユキはヒュイスに話すかを一瞬迷ったが、不可解そうな表情でユキを見るヒュイスをじっと見た。
心配、というよりかはユキの行動がわからないから確かめにきた、という感じだ。けれど、捕虜と話した後のユキの様子がおかしかったことをどこかで見て、ヒュイスは追ってきてくれたのだろう。ユキ自身でさえどこに走っていったのかわからないのに、ヒュイスはわざわざ追いかけてきてくれた。自分を気にかけてくれる存在がいることに、なぜだか救われた気持ちになって、嬉しかった。
そして、ユキはゆっくりと口を開いた。
「……あの人は私がいれば安心だって言ってくれたんだ。今までは、私が護衛であることに不満があったみたいだったから。……だから、そう言われてはしゃいだんだ」
ユキが護衛騎士になったばかりのころは、スバルとはどちらかと言えば険悪だった。ユキがスバルに対して嫌味な態度を取っていたのもあると思うが、婚約破棄をした女が急に護衛騎士になって現れれば嫌悪感を出すのも無理はなかったのかもしれない。けれどそれでも一緒にいて、話してそばにいて。そうしてやっと心を開いてくれたと思った。認めてくれたと思った。
その瞳に映してくれることが、名前を呼んでくれるのが、触れられる距離にいるのが、どうしようもなく、泣きたいほど、嬉しくて。
自分の努力がこうして実って、一番認められたい人に認められて、高揚した。
だから頑張れた。だからあの人を助けたかった。
信じてもらえていると、信じていたから。
その期待に応えたかったから。
「だから、待っていてくれているって信じたかったんだ。……信じて、欲しかったんだ」
そう言ってユキはまたうずくまった。
こんな話をヒュイスにしても仕方がないとわかっている。
けれど誰かに聞いて欲しかった。このどろどろした感情を、やるせない気持ちを。
寂しくて、虚しくて、情けなくて、仕方がない。
自己嫌悪に陥っていると、黙ったままだったヒュイスがはあっと呆れたような大きなため息をついたのが聞こえてきた。
「だったら君がやることは変わらないよ。スバル王子を探して見つけ出す。たとえスバル王子が君を信じてなくてもやることは一緒。それで信頼を勝ち取ればいいさ」
ヒュイスはうずくまっているユキを見ながら呆れたように話した。ヒュイスのその言葉にユキは黙り込んだ。
確かにその通りだ。ヒュイスの言う事はもっともだ。けれど、ヒュイスはスバルが何をしてるのか知らない。知らないからそんなことが言えるのだ。
「……けれど、たぶんそれはスバル殿下の意向じゃない」
「ああ、もしかしてスバル王子が敵側にいたから気にしてんの?」
「ッ! 知ってたのか⁉」
ユキは驚いて顔をあげてヒュイスに見た。
顔をあげた先にはヒュイスが膝に頬杖をついて、ユキにめんどくさそうな表情を向けていた。
「まあ、上から見れば結構わかるもんだよ。荒くれ者の中に一人だけ綺麗な立ち振る舞いと剣筋があればね。ま、僕もなんでスバル王子が向こう側にいるのか知らないけどさ」
「……」
ユキは言葉を失った。
気づいたにも関わらず、ヒュイスはそのことについて一切言及をしなかったというのか。本来であれば、王候補であるヒュイスの立場を危うくしようとしている連中に、隣国の王子であるスバルが手を貸しているという時点で、スバルがカグネ王国を陥れようとしてると考えてもおかしくない。
それなのに、ヒュイスはそのことでユキ達を責めようとはしなかった。
知っていたという事実とヒュイスのわけのわからない行動に一瞬動揺したが、ユキははっと動揺を隠し表情を改めてヒュイスを見つめた。
「だったらわかるだろ。スバル殿下には何か考えがある。だから、私がスバル殿下を見つけ出して奴らと戦うことは殿下の望むことじゃない。だったら私たちは動かないほうがいいんだ。ここでスバル殿下を待つべきだ」
きっとそれが正しいのだ。
スバルが何をしたいのかはわからないが、動かないで大人しく待っていれば、スバルの邪魔になることはないはずだ。
それにスバルはユキ達が捜索に出ることはわかっていたはずだ。それでも スバルが敵のところにいるのは、いる必要があったからだ。あの古城に来たのも、ユキが助け出そうとしたのに敵に手を貸したのも、すべては理由あってのこと。その理由は、ユキが考えるところじゃない。
そういう意味も込めてヒュイスをじっと見ていると、ヒュイスは先ほどの呆れた表情をすっと消し、真剣な表情をユキに向けた。そのとき、ヒュイスの黒曜石のような黒い瞳がきらりと鋭くなった。
「……だったら君はなんでそんなに泣いてたわけ?」
「……ッ」
ヒュイスの言葉にドキッと心臓が鳴った。
どこかヒュイスの核心をついたような言葉が胸を突き刺す。
何気ない言葉のはずだ。
なのに、どうして、身体が震える――……?
ユキは、怖くなった。何に怯えてるのかもわからず、わからない何かに恐怖した。
思わずぎゅっと自分の袖を握る。
「そ、それは……」
「自分の存在が、意味が、スバル王子にあるのに、それをスバル王子自身から切り捨てられたからでしょ」
「……ッ」
ユキはさらに握る力を強めた。
聞きたくない。聞きたくなんてない。
そばにいられて、話せて、それだけでユキは幸せなのだ。
だから、スバルからの見返りなんてなにも求めていないのだ。
「君が言うように彼には何か考えがあるのかもしれない。けれど、それだとあまりに君が不憫だ。見返りのない働きに注力する君は、不憫以外何ものでもない」
ユキの様子を気にせずヒュイスは話を続けた。
そのあまりに真剣な瞳にユキは釘付けにされたように逸らせない。
「彼を助けようともがき、僕たちの兵を倒し勢力を集め、彼を助けたい一心で知恵を絞って居場所を見つけ出した。たとえそれがスバル王子の意向と違おうと、それはスバル王子が君を褒めることであって、責めることじゃないよ。君は自分の仕事を全うしようとしたんだ。それの何がいけないっていうの」
ヒュイスの問いかけに、ユキは身体が震えながら首を何度も振る。
「けど……ッ、私はスバル殿下の役に立ちたいんだ。あの人の望むことじゃないのならそれはやらないべきだ!」
「破綻してるね。君の役目は彼を守ることでしょ。だから君はあれだけ頑張ったんだ。それなのにそれが彼の役に立つことと繋がっていない。だったら君はなんのためにいるの?」
「わ、私は……ただ……」
言葉が詰まって、声が出ない。
頭がぐちゃぐちゃする。
スバルを守りたかった、助けたかった。だから救い出そうともがいた。
けど、それはスバルの意向と違っていて。
だから、だから、ユキは動かずにいた方がいいって、その方が役に立つって思って――……。
(なんのために、そばにいる――……?)
ユキは、ヒュイスの言葉をなぞるようにゆっくり心の中で呟く。
そうしている間にもヒュイスはじっとユキの瞳を逸らさない。まるで自分の深淵を覗かれている様だ。
そして、ユキは無意識に口を開いていた。
「ただ、あの人のそばに、いたくて……だから私は……」
守りたいと思った。役に立ちたいと思った。
そうしないと、そばにいられないから。
護衛騎士としてスバルを守れば、そばにいられる。
スバルの役に立てば、そばにいることを許してくれる。
だから、ユキは今までずっと――……
「……ッ」
何が護衛騎士だ。
こんな欲望まみれな自分。恥ずかしくて仕方がない。
ずっと違和感を持たずにいたけれど、ヒュイスに問い詰められて初めて自分の卑しさに気づいた。見返りを求めて、スバルを守っているなんて、なんて卑劣で汚い。
自分の本性が明かされてしまったようで、ユキはヒュイスを見ていられずまたうずくまった。
そんな姿を見てヒュイスはふんっと鼻を鳴らした。
「……なるほどね、それが君の本当の望みか。道理でこんなに不憫な扱い受けても受け入れるわけだ」
「……ッ」
恥ずかしい。まさかヒュイスに自分の本性が明らかにされるなんて。
知りたくなかったのに。見返りを求める、卑しい自分なんかを。
そう考えるとじわりと涙がにじんだ。情けない。どうして自分はこうもダメなのか。
それに気づいたヒュイスがぎょっとしたような慌てた声が聞こえてきた。
「ああもう! 泣かないでよ、まったく……ッ。めんどくさいなぁ!」
「いたッ」
ヒュイスはそう言ってぐるぐるに巻かれた包帯をユキの頭に投げつけた。頭にまさか包帯を投げつけられるとは思わず、ユキはそのまま包帯を頭で受け取ってしまい、思わず声をあげる。
――……なぜ包帯?
こういう時はハンカチとかではないのだろうか。
そう思いながらユキはじっと受け取った包帯を手に乗せ、なんとも言えない感情を向けた。そのせいで一瞬にじんだ涙は止まっていた。
それを確認したヒュイスは、安心したように少し息を吐いた。それに気づいたユキも安心させるようにヒュイスを見て微笑んだ。
ヒュイスはやっぱり悪い奴ではない。
スバルはなんだか嫌がっていたが、ユキはヒュイスの何気ない気遣いはスバルに似ているように思う。だからきっと、嫌いにはなれなかったのだ。
そんなことを思ってにやにやしていると、ヒュイスは心底気持ち悪いものを見るかのような表情をした。心外だ。
すると、ヒュイスはユキから視線を外しそっぽ向いた。
「……なんで君が彼にそこまで心酔するか知らないけどね、君はもうちょっと自分を大切にすべきだよ」
「……どういうことだ?」
ヒュイスの言葉にユキは首を傾げた。
そういえば、先ほども古城で損をしているだとか言われた。その時もヒュイスの言葉の真意を読み取れなかった。
本当にわからないという表情をするユキにヒュイスは猫目の目を吊り上げて、少し怒ったような表情でユキを見た。
「自分の感情無視して、他人を優先しすぎってこと。そんなことずっと続けてちゃいつか壊れるよ」
「……相手を思って行動するのは当然だろ? それで相手が幸せになれるのなら、それに全力を注ぐべきだ」
その様子にヒュイスは、つまらなさそうに目を細めた。
「……ふうん。君、幸せになりたくないの?」
「?……いや、なりたいとは思うけど」
突然の話の展開についていけず、ユキは眉を潜ませながらヒュイスの問いに答えた。
「だったら他人の幸せなんか優先させるべきじゃない。自分の幸せは、他人のところになんかないんだよ。いつだって自分の中にしかないんだ」
「?」
ヒュイスが何を言いたいのかわからず、ユキは首を傾げる。しかしヒュイスは気にせず話を続けた。
「君はもっと、自分が幸せになる努力をすべきだよ。他人を想うのならなおさら。……じゃないと、君を想っている周りの人間が不幸になるだけだ」
「……ヒュイス?」
ヒュイスのいつもとは違う、真剣な声色にユキは思わず声をかけた。
真剣な眼差し。真剣な声。見た事がないヒュイスがユキの目の前にいた。
けれどなぜだろう。それはまるでユキに語りかけているようで、どこか違う誰かに向けて語っているように感じるのは。
するとヒュイスは悲しそうに少し目を伏せた後、いつもの人を小馬鹿にするような表情に変わっていた。
「だからさ、感情のまま動いてもばちは当たらないよ。君は、本来ならこの扱いに怒るべきなんだから」
そう言いながらヒュイスは立ち上がり、ユキに向かってビシッと指を指してきた。まるで子どもを叱る母親のようだ。
それにユキは顔をしかめる。
「怒る? スバル殿下に?」
「そうだよ。君は僕から見ても不当な扱いを受けてると思う。それに君はもっと怒るべきなんだ。自分のためにね」
ヒュイスはふんっと鼻を鳴らしながら、腕を組んでユキを見下ろした。それにユキは少し困惑した。先ほどまで真摯にユキの話を聞いてくれていた気がするのに、なんでいきなり怒る怒らないの話になったのだろうか。
「でも、そんなこと……」
「できないって言いたいんでしょ? けど君は怒ってもいいんだよ、スバル王子にさ」
「……私が?」
よくわからず首を傾げていると、ヒュイスはその様子に溜息をつきながら、ユキに背を向けてそのまま歩き出した。それにユキも慌ててついていく。
ユキはヒュイスの背をじっと見つめた。まだ十四の少年の背中だ。四つも年下だ。なのに、ユキはその少年に慰められ、そして少し救われた気がする。ヒュイスにかけられた言葉は、すべてユキを想っての言葉だった。ヒュイスに言うと、違うとか言われそうだが、それも含めてスバルに似ている。そう考えると自然と笑みがこぼれた。
「ありがとう、慰めてくれて。お前、優しいな」
そう礼を言うと、ヒュイスは勢いよくユキに振り返り顔を青ざめて身体をさすっていた。
「気持ち悪! やめてよ、鳥肌立ったんだけど⁉」
「ふふッ、ははは!」
そんなヒュイスがおかしくてユキは久しぶりに声を出して笑ったのだ。
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「そういえばさ、これなに?」
ユキがヒュイスのあとを追って本部に戻るまでに道すがら、ヒュイスは首だけ後ろに向けて手に持っているものをユキに見せた。
「あ! それいつのまに!」
ヒュイスの手には球から紐が出ている異様なものをもっていた。それは、ユキがカグネ王国を訪れる前にサヤにもらった物だ。その球についている紐を引っ張ることで音を鳴らし、周囲に人を寄せ付けるコントラス王国で流通しているらしい防犯道具だ。思わず腰のあたりを手当たり次第に探す。
ずっと腰につけていたはずだ。それなのにいつのまにユキから取ったというんだ。
すると、驚いているユキを見てヒュイスは、手に持った球で遊びながら説明するように口を開いた。
「僕、こういうのは得意なんだよね」
「こういうのって、盗みか?」
得意、という割に全く得意そうに話していないヒュイスに少し違和感を持ちながら、ユキは襲撃された夜のことを思い出した。
そういえば、襲撃された時もヒュイスはいつの間にか敵のナイフを所持していた。そんな素振り一切なかったのに、敵の腰についていたナイフがいつの間にかヒュイスの手元にあった。まるで手品のような早業だ。
そしてその時、ヒュイスは腰にはいでいた剣を一切抜かなかった。
そこに少々違和感を持ちながら、襲撃された時のことを思い出していると、いつのまにかヒュイスは一度球で遊ぶのをやめていた。
「うん。けどこんな特技、ここじゃ必要ないよ」
そう呟くヒュイスに、ユキは目を瞠った。
先ほどまで堂々とユキに説教をしていたヒュイスが、まるで年相応の子どものように、寂しそうな表情をしたのが、見えてしまったから。
目を瞠っているユキに気づかずヒュイスは歩き続けた。
そして、ユキもあまりヒュイスの表情の意味を問いたださず、ヒュイスの背を追った。
後で、聞けるときに聞ければいいと思っていたからだ。
今は、これからどうするのか考えなければならなかったから。
けれど、問いたださなかったことに、ユキは後悔することとなった。