5.偽りの仲間
『スバル殿下!』
自分を呼ぶ必死な声が聞こえた。
愛おしい、彼女の声だ。
自分を守ると言ってくれた、馬鹿みたいに健気で、痛々しいほど一途な彼女の声。
好きで、好きで、たまらないくせに、結局気持ちも伝えられない救いようもない自分なんかを、彼女は守ると言った。真っ直ぐな瞳で、強い眼差しで。
けれど、時々それがどうしようもなく目を逸らしたくなった。
彼女がとても純粋で、綺麗だから。
汚い自分をまざまざと突きつけられているような気がして、スバルは少し気まずかった。
けれど、そんな彼女だからスバルは好きになったのだ。
なのに、これでよかったのか――……?
彼女をこんな危険な国に連れてきて本当によかったのだろうか。
そう思っていたのに、案の定戦いになり、彼女は剣を持ち必死に自分を守ろうとした。
それが、なんだかもどかしい。
なぜ守られているのか。守りたいのはこっちなのに。
人の死を見て茫然としていた。けれどスバルは何も思わなかった。戦闘中なのだから当然だ。殺すつもりで来たのなら、殺されるのもまた道理だ。
けれど、彼女は違った。敵までも、彼女は守ろうとした。
優しすぎる。だから嫌なのだ。だから守りたいのだ。
――それでも、スバルは彼女を守れない。
王子という身分が、邪魔をするからだ。
―
――――
―――――――――
「……ん」
湿った冷たい空気と騒がしい音で、スバルは目を覚ました。
目が覚めて一番にきたのは、ズキっとした鋭い頭の痛み。その痛みに顔が歪んだ。痛んだ頭を押さえようとして、自分が縛られていることに気づいた。椅子に座らされて、両手、両足を縄でぐるぐる巻きにされた状態だ。これでは身動きはできない。
(どこだ。ここは……)
スバルはあたりを見渡した。
数人のガタイのいい男たちがナイフなどの武器を研いだり、手入れをしている。人のことは言えないが、人相が悪い。武装だってまだ装備したままだ。ざっと見た限り会場を襲撃した奴らもいるようだ。見たところ着ている鎧や服は一般的なものだし、やはり下町のゴロツキという感じだ。そこには会場にいたリーダー格である男も他の仲間と談笑していた。
湿った空気とあたりに囲むようにしてある岩、土の匂い。ここは地下の洞窟のようだ。暗がりを照らす一つのランプがスバルのそばに置いてあり、その顔に陰を作る。
そうか。攫われたのか。
ユキの姿が煙幕でかき消されて焦って油断した。背後から手刀を食らわされ気絶させられたのだ。
最悪だ。
隣国の王子が攫われるなんて笑いものだ。あの王、もとい父になんていわれるかたまったもんじゃない。
スバルは想像して、はぁっと溜息をついた。
けれど、こいつらの目的はなんだ。
なぜスバルを攫った?
隣国の王子を攫って、コントラス王国を脅す気か。
しかしそれを国民が、こんなゴロツキが行う必要がない。
なら可能性は、国賓であるスバルを攫って自国になにか要求する、ということだ。いわゆるテロのようなものだろう。
テロだか革命だか知らないが、こちらを巻き込まないでほしいものだ。
今頃城は大慌てでスバルのことを捜索しているに違いない。
このことが露見すればコントラス王国との国交は難しくなる。それはヒュイスだって本位じゃないだろう。
スバルはあのニヤニヤしたヒュイスの顔を思い出して、嫌そうに顔を歪ませた。
「お。目ェ覚ましたか」
「あ?」
スバルに気づいたのか、先ほどのリーダー格の男がスバルに近付き視線を合わせるように屈んだ。スバルは男に顔を近づけられて顔を歪ませた。
淡い水色の髪のつり目、にぃっと不気味と笑う特徴的な笑い方だ。しかしかすかに見える八重歯が人懐っこそうな印象を与える。年齢は二十代後半ほどだろう。しかしガタイがよくひげが少し生えているせいか少々貫禄を感じる。服は、特徴的な民族の衣装を着ており、上衣は互いを交差して合わせたような衣装に薄い鎧、腰には太いベルトで締めている。そこには数本のナイフが見える。先ほど会場で使っていたクロスボウや煙幕用の球まで装備されている。
「あんたをここに呼んだのは他でもねェ。あんたんとこの親父の居場所を吐きな」
「親父?」
不可解な言葉にスバルは片眉をあげた。
(なんのことだ。親父だと? あの父の居場所を知ってどうするつもりだ?)
いや、なにか変だ。
スバルを攫ったのが自国の要求のために行っていることだとすると、父親の場所を聞くのに何の意味があるのか。それにスバルの父ラシフェルは当然コントラス王国の王城だ。わざわざ聞くまでもない。だったらなぜスバルを攫ってまでラシフェルの場所を聞こうとしているのか。
すると、男が不可解な顔をしたスバルに対してイラついたのかナイフを取り出してスバルの頬を叩いた。その冷たさに少し驚いて顔を背ける。
「ああ。あんたが作った王選のルールを変えるっていうゲームの話だよ。そのためにあんたを攫ったんだからよ」
「……」
王選?
またもや意味のわからない言葉にスバルは眉を潜ませた。
スバルは少し考え込むように、視線を地面へと向けた。
王選。この言葉で最初に浮かぶのはカグネ王国のヒュイスだ。
『建国百年ということは在位によりますが、おそらく代替わりの時期です』
ユキと馬車で話していたことを思い出す。
今回スバルを国に招待したのは、おそらく王選が近いからだと話していた。そのため隣国であるコントラス王国と国交を開き、実績を重ねて国民から支持を得ようとしていたと考えているのでは、と思っていた。
つまりこの男の話していることはカグネ王国の王選の話。
ということは――……
「まさかと思うが、俺とあのクソ王子と勘違いしてんのか?」
「あぁ?」
まさかの結論にスバルは嫌そうに顔を歪ませてぼそりと呟いたあと、男は意味が分からないという表情をスバルに向ける。その表情を見てスバルは後悔した。
しまった。
男たちがヒュイスが目的ならこのまま誤解されたふりをして情報を聞き出すんだった。スバルには今の状況が全く掴めていない。
なぜ王選でヒュイスが攫われなければならないのか。
今のこの国はどういう状況なのか。
こいつらは何者なのか。
聞きたいことは山ほどある。
ついあのムカつくヒュイスと間違われたことに腹が立ち思わず口に出してしまった。
スバルは息を深く吐いた。
落ち着け。
小さい声で呟いた言葉などいくらでも誤魔化せる。
今からでも訂正して、ヒュイスのふりをして情報を――……
「……あんた、ヒュイス王子じゃねェのか?」
「なわけねェだろ! あんなクソ野郎と一緒にすんなッ!」
「はあ⁉ じゃあてめェ誰だよ!」
「……」
しまった。
スバルは自分の迂闊さに俯いて舌打ちをした。
自分がヒュイスと間違われていると思うだけで吐き気がするし、身の毛もよだつ。あのニヤニヤと人をなめたようなヒュイスの顔で今の状況のスバルを笑っているような気がして、スバルは額に青筋を浮かべた。
会ってそれほど時間が経っていないが、ヒュイスとは馬が合わないことはわかった。ヒュイスが有能だろうと愚者だろうと関係ない。根本的な何かがスバルとは合わないのだ。いくら問い詰めようとひらりと躱されるあの舐めた態度に、人を小馬鹿にしたような顔。さらにユキの髪を気持ち悪いと言いやがった。
ユキの髪は、綺麗だと思う。
当然最初は茶髪のユキしか知らなかったので違和感があったが、見慣れてしまえばその白銀の髪がユキにしっくりときた。サラサラとした白銀の髪に透き通るような透明の肌。彼女がどこか消えてしまうのではないかと思わせてしまうほど、それは時々儚い。けれどそれが彼女の美しさを増長させていて、スバルは嫌いではない。
(あいつは無事だろうか……)
ふと最後に見たユキの姿を思い出した。
ヒュイスのもとに駆け出していったあの背中が最後だった。実際に戦っている姿は最初の試合以来では初めて見たが、やはりユキは強かった。身のこなしも、スピードも、他の騎士よりも一歩抜きんでている。
それに、あの状況でありながらも、ユキは一人も殺していなかった。的確に相手を無力化させるように急所を狙って気絶させていた。
ああ、やっぱり騎士になってもユキはユキだった。
スバルの好きな、優しいユキだった。
そう思って少しほくそ笑む。
するとスバルはゆっくり顔をあげた。そこには不可解そうに顔を歪ませている男がいた。まずはこの状況を何とかして変えなければならない。スバルはその男に対し、目を合わせながら口を開いた。
「影武者だ……」
「影武者?」
男は顔を驚いたように目を開いた。それにスバルは続ける。
「お前らみたいな奴らがいるからな。ヒュイスのやつは俺みたいなのを影武者に使ってるんだよ」
スバルは冷静に目を逸らさずに答えた。
それに男は疑いの目を送りながら、試すように笑った。
「……ほお? それにしては熱心な護衛がついてたじゃねェか」
ユキのことか。
しかしスバルは表情を変えずに答える。
「あの護衛騎士は俺のことを影武者だと知らない。本当にヒュイス王子だと思い込んでる」
これは大きなハッタリだ。
スバルがコントラス王国の王子だとバレるわけにはいかないのだ。それに交流がなかったことが幸いしてスバルの顔を知らないようだ。それにヒュイスの顔もよくわかっていないらしい。あの会場でたまたま目に着いたのがスバルであり、その服装が王族に近いものであったからヒュイスと勘違いして攫ったのだろう。影武者とも言わない限りスバルが王族並みの服装をしている訳を成立させられない。ヒュイスの影武者なのは、ものすごく不本意だが。
おそらくカグネ王国の国民はコントラス王国を良く思っていない。あの今朝の門番がいい例だ。かつてカグネ王国の襲撃を撃退したコントラス王国は、きっと国民にとっては目の敵だろう。戦闘民族だったから戦いにプライドがあるのか祖国愛が強いことで何よりだ。きっとバレたらただでは済まない。
嘘だとバレないようにじっと男を見つめていると、男はすぅっと鋭く目を細めた。
「……じゃあお前は親父さんの居場所は知らねェのか?」
「ああ」
「……」
スバルが軽く頷くと、男はしばらくじっとスバルを見つめた。
そこには探るような疑念の眼差し。
(少し、厳しいか……)
見たところこの目の前にいる男がおそらくリーダーだ。この男がスバルを影武者だと認めてしまえば多少はまかり通るだろう。解放は難しくても、安全は保障されるはずだ。ヒュイスを攫って情報を吐き出させようとしていたということは、元々殺しは目的じゃない。殺されはしないだろう。
そんなことを考えていると、男は立ち上がって頭を抱えだした。
「あああああ‼ ちくしょう! 無駄なことしちまったじゃったじゃねェか! くそッ! お前ら集まれ!」
男は頭を抱えたまま地団太を踏んで周りの仲間に声をかけ始めた。男の叫んだ声が響き渡り、ぞろぞろと奥から仲間が集まってきた。
「おいおいどうしたセンー」
「王子様から情報聞けたのかー?」
「ちげーよ‼ こいつ人違いだ!」
「はあ⁉ 嘘だろ⁉ リーダーがあいつだって言うから連れてきたのに!」
「身なりが良かったからそう思ったんだよ! ちくしょー!」
「ちょっと待てよ‼ 俺あんたに賭けたのに! どうしてくれんだよ⁉」
「よっしゃー! 攫うのを失敗に賭けた俺の勝ち! 取り分は俺の物だー!」
そんな楽しそうな騒がしい声とともにぞろぞろと仲間たちが姿を現してきた。それにスバルは唖然とする。
呑気な会話だ。
賭けに勝てたのかガッツポーズをして喜ぶ男。賭けに負けたのか頭を抱えた男。その姿に笑い転げる男たち。落ち込んでいるセンと呼ばれた男の肩を叩いて慰めている男もいる。
先ほどまで戦っていた敵とは思えないふざけた光景だ。
少し唖然としていたが、号令をかけたセンの周りに仲間が集まってくる光景を見てスバルは少し焦った。スバルが標的のヒュイスじゃないとわかったからには、これからまた城を襲撃するつもりだ。警備が強化されているだろうが、攫われたスバルを探しているはずだ。王城に潜入される前に全面衝突になるのは避けられないだろう。
「待て」
スバルは騒いでいるセンたちに割ってはいるように声をあげた。すると男たちが一斉にスバルの方に目を向けた。
敵意の眼差し。
それにスバルは少し息を飲んで口を開いた。
「俺も協力する」
相手にとっては少し不可解だろうが、スバルが仲間に入ってしまえばある程度操作できる。全面戦争で死者多数なんていう最悪な事態にはならないように動くことだってできる。こちらだっていたずらにコントラス王国の兵を減らすわけにはいかない。それにユキも心配だ。おそらく捜索に加わっているはずだ。
それにこれはヒュイスにとっては王選に関わることのはずだ。
あの舐めたヒュイスに借りを作っとくのも悪くない。
そう考えていると、リーダーであるセンが眉を潜めた。
「はあ? お前がなんで? 王子ンとこの仲間だろ?」
当然の反応だ。だがスバルは引き下がらず答える。
「……俺だってあのクソ王子にはうんざりしてたんだ。あいつに一泡吹かせてェんだよ」
「へえ?」
センが面白そうに片眉をあげた。
正直これもある。
迷惑なことにこちらを巻き込んでうんざりしているのだ。極端に言うとスバルには関係のない話だ。助ける義理もないが、今後借りを作るためだ。仕方がない。
「……」
スバルがセンをじっと見上げている。見たところ馬鹿そうに見えるが、おそらくそこそこ頭は回る。王城なんか早々に侵入できるところじゃない。確かな侵入経路を見つけた上で侵入しているはずだ。さらに会場にヒュイスがいるという情報だって持っていた。おそらくこのセンという男が命令したのだろう。それが本当なら敵に回すには厄介だ。なるべくコントロール下に置いておきたい。しかしこの嘘をセンが信じるかどうか。
すると、確かめるようにして見ていたセンだったが、スバルを見てにやりと愉快そうに笑った。
「すっげェ面白れぇじゃんか! お前!」
「ああ? うおッ!」
センは愉快そうに笑いながらスバルに近付き肩をバシバシと叩いた。
すると少し同情するように涙ぐみながら肩を組んできた。スバルは嫌そうに顔を逸らす。
いきなりなんなのだ。
「そうだよなぁ! ずっと影武者なんかしてたら息苦しいよなぁ! あの王子に散々こき使われたんだろ⁉ そりゃそうなるよな! わかるわぁ!」
「……どうも」
思った以上にすんなりと受け入れられて、スバルは逆に冷めてしまった。警戒していた自分が馬鹿みたいだ。
「おっしゃ! 今日からお前も俺の仲間だ‼ 気に入ったぜェ! 俺はセン! よろしくな相棒!」
「いつからお前の相棒になったんだよ! つか放せ!」
肩を無理やり組まされて顔を近づけられたので思いっきり顔を逸らしたスバルだったが、いきなり距離を詰められ、暑苦しく抱擁してきたセンにスバルは離れようと身を捩ったが、身体が縛られていて身動きがとれなかった。
その光景を見た男たちの楽し気な笑い声が地下の洞窟に響き渡った。
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そのころ、カグネ王国の城では戦闘が行われていた。
それは一人の女性を屈強な男たちが囲むようにして剣を向けている。割れた天井のステンドグラスの隙間から月の光が差し込み、中心にいる女性に光があたる。
ありえない光景だ。この状況を客観的に見れば女性は男たちの交戦に耐えられず負けてしまうだろう。
当然だ。一人の女性が何人もの男たちにさらに武器を持った状態で敵うはずがない。女性も剣を持っているからといっても勝ち目はないだろう。
その様子を、ヒュイスは少し高い位置にあった椅子に座って見下げるようにして眺めた。
「ねえ。ウェジット」
「はい、何でしょうか」
ヒュイスの隣にいたウェジットと呼ばれる老執事は、ヒュイスに呼ばれて耳を傾ける。
「兵って何人いたっけ?」
「五十と少しぐらいはいたかと」
ウェジットがそう答えるとヒュイスはつまらなさそうに目の前の光景を見下ろした。
「ふうん。だったらすごいね、彼女」
見下ろした先には、先ほどまで武装した男に囲まれていた女性がいた。女性は剣を振るい周りにいた男たちと戦っている。普通に見えば無謀な光景だ。けれど、先ほどまで女性の周りにいた兵は、確実に減っていた。
「ほとんど倒してる」
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―――――――――
女性は、ユキは周りにいた兵と剣を交えた。息が上がっている。けれど彼女の剣筋がぶれることはなかった。一方の敵と交えている間、後ろから別の追撃が来た。それにユキは気づき、交えていた剣から離れて味方どうして相打ちにさせる。そして次にきた攻撃もその細身と身軽さで華麗に避けて追撃を免れる。そしてそのまま腹に向かって剣の柄でめり込ませ、気絶させる。
次々とくる攻撃にユキはすべて対応していた。ユキ誰よりも速かった。敵を察知する速度、次に対応する切り替え、剣筋、動き。そのすべてが速く、誰よりも抜きんでていた。白銀の髪をなびかせながら動くそれはまるで剣舞のようだ。くるくると華麗に避けるその動きが舞っているようにさえ見えてくる。
その速さに誰も追いつけず、敵は次々と倒れる。その光景に余裕だと思ってた周りの兵は少し戦いた。
相手は一人のはずだ。
なのに、なぜ勝てないのか。
特別力が強いわけでもないのに、剣を交えた瞬間弾かれる。うまく力のかかりにくい部分を見つけて、いなされる。あまりの速さに動きだって予測がつかない。技や技術が圧倒的に違う。
けれど、倒すと言っても急所を強く殴るだけのもので致命傷には至らない。気絶まで至らなかった者はまた起き上がってユキに襲い掛かる。
「しつこい‼」
ユキは襲い掛かってくる敵に声を張り上げて対応した。
しかしその光景を遠目でヒュイスはつまらなさそうに見ていた。すると、ヒュイスは同じようにその光景を茫然と見ているセトウに目を向けた。ユキに下がるようにして言われたコントラス王国の兵は、ヒュイスに並ぶようにして、ユキの戦いを傍観していた。
「ねえ君。そこの大剣の腰抜けの君だよ」
「はい⁉ 俺⁉」
まさか話しかけられると思っていなかったセトウは驚いてヒュイスの方に目を向けた。
「あの子、君たちの国の一番の騎士なんだっけ? あのキリエルはどうしたの? まさか死んだの?」
ヒュイスの言葉にセトウは不快そうに顔を歪ませた。
「違いますよ。今もご健在です。けれど、彼女はキリエル様の唯一の弟子なんです」
「あのキリエルの?」
ヒュイスは驚いて目を開いた。すると、少し考え込むようにして顎に手を当てる。
しばらく考え込んだあと、ヒュイスは椅子から立ち上がり会場に響き渡るように両手を鳴らした。
「そこまで‼」
ヒュイスの号令に、ユキも周りの兵たちも動きを止めてヒュイスに目を向けた。ユキの息は上がり切っていた。当然だ。五十近くいた敵を倒し、さらに起き上がった敵も倒していたのだ、もうとっくに力尽きてもおかしくない。少し周りを見ると立っていたのは、十人ほどだ。あとは気絶している者と、足首に怪我を負わされた者が何十人と倒れこんでいる。
それに、ヒュイスは見下ろしながら目を眇めた。その際ユキと目が合った。
「君の強さはわかった。いいよ、認めるよ」
「……ッ! なら!」
ユキはヒュイスに言葉に目を輝かせた。顎に伝う汗をぬぐう。息が上がっているがユキはほとんど無傷だ。
目を輝かせて期待の眼差しを向けるユキにヒュイスはめんどくさそうに手を振ってはね避ける。
「わかったわかった。はいはいお前ら! 立って立って! スバル王子を捜索するよ!」
「……ッありがとう!」
その号令を聞いてユキは安心して胸を撫でおろした。そしてユキは倒れて負傷している敵に駆け寄り、起き上がらせるのを手伝った。
それを見て、ヒュイスは冷めた目でユキを見た。
「……気に入らないな」
そうイラついたようにぼそりと呟いた。その際、隣にいた老執事のウェジットがちらりと主であるヒュイスに目を向けた。しかしヒュイスは気づかず、そのままユキに近付いた。
近づいてきたヒュイスに気づき、ユキも顔をあげた。その肩には負傷したカグネ王国の兵が足を押さえながらユキの肩に捕まっていた。
ヒュイスはそれを確認してさらに眉を潜めた。
「気が済まないから言っておくよ」
「なんだ? 早く負傷者を連れて行きたのだが……」
険しい表情をしているヒュイスがわからずユキは首を傾げ、さらにヒュイスを急かした。
その態度と言葉がさらにヒュイスの苛立ちを増長させ、ユキを睨みつけた。
「僕は君が嫌いだ」
「……」
突然の言葉にユキは目を開いてヒュイスを見た。けれどヒュイスは腹立たしそうにユキを睨みつけるばかりだった。
「そんなに力がありながら一人も殺さなかったわけ? ……甘いんだよ。そんなんだから主も守れないんじゃない?」
「……」
ヒュイスは周りを見渡した。今は負傷していない兵と生き残った兵で気絶している者や負傷している兵を担いで手当をしている。そこにはコントラス王国の兵も手伝っていた。気絶している者は水をかけて起こしている。
気絶している者や負傷者、生き残っていた兵を含めて、五十と少し。
つまり、ユキはこの圧倒的不利な人数に対しても一人も殺さずに戦い抜いたということ。
それはまるで――……
それに対し、ユキは一瞬驚いた顔をしたものの、すぐに真剣な表情へと変わった。
「……ただ、戦力をいたずらに減らしたくなかっただけだ」
「……ふうん。まあ、そういうことにしておくよ。……じゃあ僕も準備してくるよ」
ユキの答えに一度気に入らないように睨んだ後、身体を反転させユキに背を向けた。
その背中をユキは見送った後、悔しそうに唇を噛んだ。
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――――
―――――――――
ヒュイスは王城を出た後、宮殿に向かった。もちろん自室にある甲冑やらの武装を取りに行くためだ。あのユキの言う通りになっているのは気に入らないが、宣言した手前もあるし仕方がない。どちらにせよスバルの捜索はしなくてはならない。さすがに隣国の王子を招待して放置するわけにもいかない。『強き者に従え』と言ってもそれぐらいの良識はあるつもりだ。今回は少しあのスバルが一番の騎士と言ったユキの実力を見てみたかっただけだった。
確かに彼女は強かった。
五十あまりの圧倒的兵力差がありながらも彼女は戦い抜いた。
カグネ王国では、女性だからと言って差別するような習慣はない。『強き者に従え』というルールがあるように強ければ女性だって上に立てるし、女性自ら戦いだってする。この国の女性は忍耐強くて、身体が強い。決して弱くなどない。だからこそ、男性は女性に敬意を払うし女性も然りだ。
だから、あの細腕で一体どんな戦いをするのかと少し期待していたのに――……。
ヒュイスは先ほどのユキの戦闘を思い出して苛立ちながら廊下を歩く。宮殿に繋がる廊下だ。今は王城のパーティーと夜更けという事もあり、人はいない。王子であるヒュイスが苛立って歩いていても誰も気に留めたりしないのだ。
「ヒュイス王子」
すると、誰もいないと思っていた廊下で背後から声をかけられヒュイスは立ち止まって振り向いた。
「なあに、ウェジット。何か言いたいことでもあるの?」
振り向くと先ほどまで隣にいた老執事のウェジットがいた。
ウェジットは、スバルたちを案内した老執事だ。屈強な体に白髪の短髪、顔の彫りが深い分皺も多く、めったに表情を見せない仏教面を張り付けている。しかしこれが若ければ国中の女性を魅了した美青年であったことは間違いないだろう。今ではその美も衰え、それは威厳さへと変わっているが。
ウェジットはこの国では二番目に強いと言われている男だ。かつて王選の公式試合の決勝戦でヒュイスの父と戦ったことがある。つまりそれは、この国では一番強いとされているヒュイスの父の次に強いという事だ。
そんなウェジットは、ヒュイスの側近のような役割だ。
――いつもそばにいて、いつも見られている。
すると振り向いたヒュイスに対し、ウェジットは悲しそうに眉を寄せた。
「あの娘が嫌いですか?」
渋い通る声が廊下に響く。その問いにヒュイスは煩わしそうに肩をあげて答える。
「ああそうだね。嫌いだね。力がありながら加減するなんて、馬鹿にしてるよ」
「……」
ヒュイスの答えにウェジットは顔を俯かせた。普段の仏教面からはありえない弱々しい態度だった。
それに、ヒュイスは溜息をついた。
「馬鹿なのは君もだよ」
そう言うとウェジットは顔を勢いよくあげた。
その瞬間、ヒュイスは美しい蜂蜜のような瞳と目が合う。
ヒュイスはこの瞳が嫌いだった。
「……君も一途だね。そんなに母さんが好きだったの?」
その瞳がいつも自分ではない違う誰かに向けられたことを知っているからだ。
「……王子。私は……」
ウェジットはヒュイスの言葉を否定するように首を振るが、ヒュイスはそれを遮った。
「いいよ、別に。君のおかげで僕は生きられてるわけだし」
そうだ。この男がどんな理由でヒュイスのそばにいることなんかどうでもいい。
どんな理由であれ、それはヒュイスには関係のないことだ。
けれど、だけど――……
この男がヒュイスにしていることは、この国では決して許されないことなのだ。
ヒュイスはウェジットに顔を背けた。逸らした一瞬、悲し気な瞳を残したまま。
「だけど、君のその優しさが、僕を惨めさせる」
「王子……」
背を向けられ語られたヒュイスの言葉にウェジットはもう何も言えなかった。
すると、ヒュイスはまた振り返ってウェジットを見た。そこにはもういつもの飄々とした明るいヒュイスの姿があった。
「……くだらない話をしたね。あの変な女のせいだ。早く君も準備をして」
「……承知いたしました」
そう言いながらヒュイスはウェジットに背を向けて歩き出した。
ウェジットはヒュイスの言葉に頭を下げて答える。その顔の下には泣きそうな表情が張り付いていた。
そしてヒュイスも、ウェジットに顔を背けて歩きながらも、苦し気に顔を歪ませていた。
この二人の会話を幸いにも誰も聞くことはなかった。
この会話はカグネ王国ヒュイス王子の最大の秘密の会話だったのだから。




