2.約束と誓い
二日後。
スバルとユキを含めた一行は、カグネ王国に向かうべく王城の門で馬車の最終準備をしていた。兵の数は十名。慌ただしく馬車に荷物が担ぎ込まれる。陸続きの隣国とはいえ、馬車を走らせれば二日はかかる。そのための備蓄食料を乗せているのだ。
スバルとユキがその準備を見守りながらユウトと話していた。
「ユウトは行かないのか?」
ユキは驚きながらユウトに問いかけた。
意外だった。てっきり今回の訪問にはユウトもついてくるものだと思っていた。なぜならスバルが一番にそばに置いている側近だ。スバルのもとから離れることはないだろうと勝手に思っていたのだ。
すると、ユウトは肩をすくませながらおどけたように答える。
「俺は残ってスバル殿下の代打をしてるっすよ。空けるわけにもいかないっすからね」
「悪い。頼んだ」
スバルに頼まれたユウトは照れたように苦笑いをした。
「はいよ! まあ、楽しんできてください。カグネ王国の初上陸なんすから。お土産楽しみしてるっす!」
「ああ。せいぜい楽しんでくるよ」
ユウトの明るい答えにスバルも少し笑って答えた。ユキもつられて微笑む。
すると、スバルは笑みを隠して真剣な眼差しでユウトを見る。
「あと……」
「わかってるっすよ。最悪な場合も考えてこっちでも探ってみます。……あの人の具合のことも任せて」
「……ああ。頼んだ」
ユキは二人のやりとりを横目で見る。
最後の方はよく聞こえなかったが、やはり二人もカグネ王国の密告者が城に入りこんでいると考えているらしい。やはり、第一王子のエイシに関することだろう。けれど一体エイシについて何がばれたというのだろうか。
最近見ないエイシの姿、その情報さえも一切見当たらない。そのことと関係しているのか。
ユキは、少し考え込んだ。
(そして今回、カグネ王国の招待がスバル殿下に来た理由を考えると、……もしかして――……)
何か恐ろしい考えに行きつきそうになったとき、ユウトの明るい声でその考えがはねのけられた。
「あ、そうだ! 結局三人で飲めなかったから、帰ったら飲みましょうね! いい酒買って待ってるんで! もちろん、経費で!」
すると、ユウトの言葉にスバルはふっと意地悪そうに口の端をあげた。
「わかった。お前の給料から引いておいてやる」
「ひどい!」
二人のふざけたようなやりとりにユキはふふっと声を出して笑った。
ユウトのこういうところは本当に好ましい。
初めての訪問で気が立っていた二人の心をほぐそうと、明るい言葉をかけてくれているのだ。スバルもそれをわかっているから、ユウトの言葉にのったのだろう。ユウトのふざけたような口調が、心を休ませてくれる。こういういつも通りのやり取りがしばらくないと思うと、少し寂しいぐらいだ。ユキもユウトを見習って、スバルにもっと砕けた口調で話せることを本格的に目指してみるか。
「スバル殿下。お時間です」
すると、背後から今回の兵の隊長であるセトウが出発の時間を知らせに来た。
セトウは、王国騎士団の一人で実力もあり、ユキも何度も剣を交わらせたことがある。大ぶりの大剣を扱う珍しい騎士だ。大柄な体つきのわりに優しそうな顔をしているので、そのギャップに驚かれることもしばしばあるとか。本人の性格は顔つきの通り優しい男性だったと記憶している。最初ユキと対峙した時も女性の身で怪我をさせてしまうのでは、と気を遣ってくれていた。しかしその時、ユキは女性だから馬鹿にされているのかと思い、思いっきり剣を振ってボコボコにしてしまったのだが。今思えば紳士的な対応だったと思うので、申し訳ないことをしてしまった。
ユキが一人で少し気まずい思いをしていると、スバルは「ああ」と返事をして、最後にユウトに振り返った。
「行ってくる。あとは頼んだぞ」
「はいはい。いってらっしゃい」
そんな二人のやりとりをして、ユキは思った。
「なんか、新婚夫婦みたいですね」
「「やめろ」」
スバルとユウトは、心底嫌そうな顔をして口をそろえて言った。
それにユキはおかしくなって、吹き出して笑ってしまったのだった。
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スバルとユキを乗せた馬車が王城の門を通ってカグネ王国に向かった。
スバルとユキが馬車に乗っていた。
最初、ユキはスバルの馬車の御者として乗ろうとしたのだが、スバルが暇だと言って同じ馬車に乗ることになったのだ。護衛騎士であるユキがスバルと同じ馬車に身分的に乗ってもいいのかと疑問に思ったが、なら代わりに御者をやるという親切な騎士が名乗り出たのだ。そうなるとユキはもう馬車に乗るしかなくなる。しかし、同じ馬車の方がスバルを守りやすいと考えなおし、大人しくスバルと同じ馬車に乗った。
ガタガタと揺れる狭い馬車の中、スバルは馬車にある小さな窓の外を眺める。狭い部屋の中でユキは緊張した。足を伸ばせばすぐに当たってしまうほどの距離だ。確かに守りやすいし庇いやすくもあるのだが、狭い部屋で二人っきりだと思うと変に緊張してしまい、無駄に剣の状態を確認するように何度も出し入れしてしまう。
「なんだ?」
「あ、いや……」
それに不審に思ったのか、スバルがユキに目を向けてきた。目が合ったユキは焦りながら頭を働かして話題を探した。
「ス、スバル殿下はカグネ王国についてどういう印象ですか?」
焦った末のユキの話題に、スバルは真剣な眼差しで答える。
「そうだな……。何も情報がない分憶測だが、野蛮だけの国ではないと思う。今回の招待がその証拠だ」
ユキもスバルの話に、先ほどの焦りは消え顎に手を当てて考え込んだ。
「……そうですね。建国百年ということは在位によりますが、おそらく代替わりの時期です。次の王候補は、いつものとは毛色の違った方なのかもしれませんね」
これまでのカグネ王国は、一切コントラス王国と接触しようとしなかった。それが今回は百年を迎えることを機に接触してきた。これは、カグネ王国の王候補である王子が王位継承に向けて何か動いているのではと考えるのが当然だろう。
王になるために、様々な方向からなるべく多くの人脈を作る。これは、王国内部だけの話ではない。例えばずっと交易がなかったコントラス王国と交渉して、今後取引ができる関係になれるとすれば、新たな貿易の道を作れたとして、実績ができる。その実績が国民の後押しとなって支持を得ることで、王になることだって十分あり得る。
ユキは、考え込みながら手紙の宛名の人物を思い出していた。
「ヒュイス王子。初めて聞く名ですね。本当にカグネ王国に関する情報は少ないです。限られた国でしか貿易もしていない分、交流だって少ない」
「だがそれも限度がある。そろそろ交流国を広げたいところだろうな」
確かに王になるための実績もそうだとは思うが、ただ少ない一定の国の貿易だけでは限界がくる。輸入する品も輸出も限られ、ほぼほぼ自国生産で、経済はぎりぎりだろう。
その点に気づいたということは、かつて蛮族の国と言われたカグネ王国とは違うはずだ。
お互いこれから訪れるカグネ王国について様々な憶測を立てていると、スバルが不意に口を開いた。
「……お前、こういう遠出は初めてか?」
「は、はい。あまり外には出たことがなくて……」
ユキは話題が急に変わったことに驚き、たじたじに答えてしまった。
遠出、というか外にはあまり出たことがない。まだツクヨ家にいたころは外出なんて許されなかったし、キリエルのところにいたときも鍛錬ばかりだった。時々買い物を手伝いはしたが、それだけだ。遠出なんかもってのほかだ。
それにスバルは目を伏せて、足を組み替えた。その優雅な王子然とした仕草にユキは少し見惚れる。
「そうか。だったらユウトの言う通り楽しめ。こういう機会でもなければ遠出もできねぇだろ。馬鹿みたいに鍛錬ばかりやってないで、ちょっとは女らしくはしゃいで観光気分にでもなってろ」
「……」
もしかして、気を遣ってくれているのだろうか。
ユキが焦ってカグネ王国の話を出したから、不安に思っているとスバルが勘違いしたのかもしれない。そんなスバルにユキは苦笑いを浮かべた。
(相変わらず、不器用な人だな……)
口は悪いが気を遣っていると悟らせないために、わざと言葉に悪口を含ませているのをユキは知っている。婚約者時代のときもそうだった。この人は、人に優しくしようとするほど、不器用になるのだ。
やはり、この人は優しい人だ。
この人自身は認めないだろが、ユキはそう感じるのだから仕方がない。
もしかして、あの婚約破棄も何か理由があったのでは――……?
なんてありもしない妄想をしてしまうぐらいには。
ユキはそんな自分がおかしくて、思わず笑みを漏らした。
(そんなことあるはずがない。この人は優しいから、嫌っている私でも優しくしてくれるだけ。あの婚約破棄は、全面的に私が悪いのだから)
まあ、言い訳ぐらいは聞いてほしかったという気持ちもないわけではないが。どちらにせよ、あの時は婚約破棄されていただろう。もしかして、噂を払拭できなかった云々というよりも、単純にユキのことを嫌っていたのかもしれない。だからユキが騎士になった時、スバルはユキに悪意を向けたのだろう。しかし、今その悪意はなくなったのは騎士として認められたことが大きいはずだ。ということは、やはりユキは気持ちの面ではスバルに嫌われたままなのだ。
それでもいい。それで、いいのだ。
例え嫌われていても、ユキがスバルを好きならいいのだ。
この綺麗な大切な気持ちだけがユキにあれば、それでいいのだ。
結ばれたいなどという願望は、とうの昔に置いてきたのだから。
ユキはその想いに触れるようにそっと両手を胸に添えた。そして、顔をあげてスバルに微笑んだ。
「……はい。スバル殿下もご一緒であれば、私は楽しみますよ?」
少しふざけたように小首を傾げて言うと、スバルは一瞬目を開いた後おかしそうに口の端をあげて笑った。
「……ふ。言ってろ」
からかうように笑った顔に、ユキは不意打ちにドキッとして顔を赤らめた。しかし忘れるようにブンブンと首を振る。
いけない。いけない。
気持ちがまた浮つくところだった。
『……お前がいれば大丈夫だろ?』
頼ってもらえたスバルの言葉を思い出す。
そうだ。せっかくスバルがユキの実力を認めてくれたのだ。
すると、ユキは気を引き締めてスバルを見据えた。
「スバル殿下。あの……頼っていただけて嬉しいです。必ず、守ります」
ユキが強い瞳でスバルに誓うと、スバルは一瞬目を見開いてその後なぜか憂い帯びた眼差しでユキを見つめた。
「……無理はするなよ」
「はい」
ユキが力強く頷いたのを見ると、スバルはまた窓の外を見つめた。それにつられるようにユキも外を見る。
まだ日が高い。カグネ王国まではまだ遠そうだ。
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二日後、特に問題もなくカグネ王国についた。少し長く馬車に揺られて、腰が痛い。早く降りられないかと待っていると、何やら騒がしい声が聞こえ外の様子を確認する。
国境の門番が兵の隊長であるセトウと話していた。
「……どこのものだ?」
「コントラス王国、第二王子とその一行だ。カグネ王国第一王子ヒュイス王子の招待を受け、参上した」
「はあ? そんなもん知らねぇぞ」
「なに? 確かに招待は受けたはずだが……」
「知らねぇって言ってんだよ。てかコントラス王国だと? ムカつく名前だぜ。さっさと消えな!」
「し、しかしッ! 私どもは確かに招待を……ッ!」
「うっせぇ! これ以上ごちゃごちゃ言うんってんなら、剣を抜きなぁ!」
屈強な門番の男は、持っていた槍をセトウに向けた。しかしセトウは、向けられた槍に一歩下がっただけで剣は抜かった。
当然だ。切っ先を向けられているとはいえ、相手はカグネ王国の国民。むやみに傷つけて国際問題にまで発展させる可能性がある。
ユキは、急いで馬車から降りて駆け寄った。
「確認をしてもらえないだろうか? 私たちは確かにヒュイス王子から招待を受けている。それが証拠だ」
駆け寄り招待状を見せるユキに、門番の男は睨みながら顔を向けた。
「ああ? こんな紙切れいくらでも偽造できんだろうが」
「わからないのか? この招待状にはお前の国の王族の印がある。ずっと交易のなかったコントラス王国がどうやってその印を偽造できるっていうんだ?」
「……」
ユキが招待状を見せながらそう説得すると、門番の男は黙り込んでじっと招待状を見た。
二匹の虎が向かい合って、お互いを食おうとしている恐ろしい印。
招待状にこの印が押されているということは、カグネ王国の王族の印は、この絵柄なのだろう。宛名をみるまで、ユキも知らなかったのだ。
じっと見ていた男だったが、チッと舌打ちをして、部下に門を開けるように命令をしだした。
どうやら信じてくれたようだ。
ほっとしてセトウとともにお互い安堵の息を吐き、馬車に戻った。
しかし、ユキはその一連の流れに不満げな顔をしながら、遠くでまだ睨んでいる門番に馬車から顔を向けた。
「……まあ、当然といえば当然なのですが。こうなることはわかっていたでしょうに。事前に情報を共有するなりなんなりあったと思うのですが」
そう文句を言うと、スバルもはあっと疲れたように溜息をついた。
「確かにな。それに今回は運がよかった。下手したら門前で戦闘になっていた。門番がまだ利口で助かったな」
ユキはスバルの言葉を聞きながら、カグネ王国の街並みを見た。
街並みは思っていたよりも活気づいていた。しかし、売り物はどこも剣や盾などの武器ばかりだ。その中に食料品売り場も混ざっていたが、どうして鉄や武器、火薬が目立つ。他は少し服などの生地類が多く売り出されているぐらいだ。街を歩いている人たちの服装は大してコントラス王国のものと大差はないが、屈強な男たちが目立つ。門から馬車が来たことを不審がっているのか、先ほどから街を歩いている人と目が合う。
ここは何をして生計を立てているのか。ユキは不審げに眉を潜めた。チラリとスバルを見ると、スバルも同じように顔を歪めていた。
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街を抜け、カグネ王国の王城に着いた。そこの門では情報がちゃんと共有されていたのか、すんなり通り拍子抜けしたぐらいだ。
そして王城にたどり着き馬車を降ると、これまた体格のいい老人が執事服を着て出迎えてきた。
「ようこそ、カグネ王国へ。お疲れのところ申し訳ございませんが、ヒュイス王子がお待ちです。どうぞこちらへ」
スバルとユキは少しお互い顔を見合わせながら、老人の後を追った。
城に入って、スバルとユキは驚いた。
城は、黄金を基調としたものとなっていた。シャンデリアも壁も床も階段も灯台さえも黄金だ。少し目がチカチカしてしまいそうになる。窓が少ないのか少し薄暗い。壁の模様には幾何学模様が描かれさらに豪華さを演出している。天井を見上げると動物同士が食い合っているような凄惨な絵のステンドグラスが敷き詰められており、思わず顔を歪める。
しかし、カグネ王国にこんな豪華な城があるとは思わなかった。思っていたより、経済は潤っているのだろうか。
玄関の階段を上がりながらそんなことを考えていると、そのまま執事は一際大きな扉を両手で押して開く。どうやらここが王子のいる謁見の場所らしい。
執事はそのまま中に入り、スバルたちはあとに続く。すると、部屋の真ん中に誰か少年が立っていたのが目に入った。淡い緑色の髪をした少年だ。扉を開けた音に気づいたのかその少年は、くるりと身体をスバルたちに向けた。
少し癖っけのある淡い緑色の髪に、いくつかはわからないがおそらく歳は十四ほどだ。女性のような中性的な顔立ちをしており、猫目の黒い瞳を細めてスバルたちに微笑んだ。
「ようこそおいでくださいました、スバル王子。そして初めまして。僕はヒュイス。このカグネ王国の第一王子です。急な招待でしたのに、お受けいただきありがとうございます。長らく交流ができなかった分、今回の交流でお互い共に歩める道を歩んでいけたらと思っております」
そう言ってにこやかに手を差し出すヒュイスにユキは少し驚いた。
先ほどガサツな門番を見てしまったせいか、王子ももっとガサツなものかと思ってしまっていた。それにその若さだ。おそらく十四歳ぐらいだろう。まだ少年っぽさが残っている。王位継承の時期かもしれないと思っていたが、まだ継ぐには若すぎる。的が外れたか。
そしてもう一つ驚いたのが思ってたより友好的だったことだ。それに品もある。これなら交渉も夢ではないかもしれない。
もしその言葉が本当ならば、の話だが――……
すると、スバルもヒュイスに一歩近づき差し出された手を握った。
「コントラス王国第二王子スバル・サラエル・ジ・コントラスです。こちらも、大事な式典の招待に感謝いたします。私も、カグネ王国とはこれからも友好的な関係を築いていきたいと考えております。どうぞよろしく」
いつもの仏教面と口の悪さを隠して、公共用の言葉で話すスバルがなんだか見ていてくすぐったい。公務だとわかっていても、スバルのそんな姿はいつも素のスバルを見ている分、違和感が多くて落ち着かない。
そんなことを考えながらスバルに微妙な視線を送っていると、ヒュイスがスバルの身体越しにユキを見ていることに気が付いた。
「……?」
ヒュイスと目が合って首を傾げていると、ヒュイスはスバルとの握手から手を離した。
そして次に見たときには先ほどまであった笑みは消え、ユキに向かってゆっくり口を開いた。
「……なにその気味悪い髪色。気持ち悪い」
「は?」
――先ほどの友好的で品のあるヒュイスはどこにいったのだろう。
今のヒュイスは腰に手をあて、まるで人を小馬鹿にするように顎をあげた態度で、ユキに向かって蔑んだような視線を送っていた。
ユキは、急な言葉とあまりのヒュイスの態度の差に理解が追い付かず、素っ頓狂な声をあげた。
その声がギラギラと輝く黄金の部屋に響き渡った。