1.引かれた境界
カグネ王国からの書状に、王城はざわついた。
その知らせを受け、宮廷では緊急の議会が開かれた。
多くの大臣や高位官職を持つ公爵や侯爵が集まる縦長の広い部屋。その部屋の中央に円卓の机が設置されており、並べられているその席に座る彼らは、口々に声を上げていた。
「まさか、今この時になってカグネ王国から書状が届くとは……」
「今まで沈黙していたのに、一体何があったのか」
「いやそんなことより、どうするのかね? 受けるか、受けないか……」
「断りましょう! 危険すぎます! かつて我が国を脅かそうとした蛮族どもだ! スバル殿下に何をするか……ッ!」
「いいや、行くべきでしょう。この機会に内情を知っておきたい」
「いや、別にスバル殿下に行かせずとも代わりの者に行かせれば……」
「……」
飛び交う意見の中、スバルは円卓から数段上がった階段の先にある豪華な椅子に座り、眉を潜めて議会の様子を眺めた。高位の役職が集まっているからか高齢の者が多く、少々消極的な意見が多い。仕方がないこととは思うが、これからの国のことを考えるとこの議会のメンバーの入れ替えも検討すべきだと、スバルは今の話題とは全く関係のないことを考えた。
なぜならスバルの意見は、もう固まっているからだ。
そしてこの議会は、スバルの意見とは違う別方向の意見を聞くためだ。方向性は変えるつもりはないが、一意見として聞いたほうが良いだろう。違う人物からの違った視点というのは、たまに自身に大きな影響を与えるものだ。
そしてもう一つ、この会議に集中しないのは――……
「……貴様らの口は無駄話をするために存在するのか?」
低い、腹に響くような声。その一言で先ほどまで騒がしかった貴族たちは口を閉ざして一斉にその声の方向へと視線を向ける。スバルもちらりと隣に座る人物へと視線を送る。
大きな声を出しているわけでもない。なのに、皆が静まったのは理由があった。
コントラス王国現王、ラシフェル・サラエル・ジ・コントラスもこの議会に参加していたからだ。
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「……荒れているな」
そのころ、ユキとスバルは会議室の外で議会が終わるのを待っていた。部屋から聞こえる騒がしい声を聞きながら、ユキは壁にもたれ腕を組んで真正面にある会議室の扉を見た。ユキの隣にいたユウトも同じように壁にもたれながらユキの言葉に肩をすくめた。
「そりゃそうっすよ。だってあのカグネ王国っすからね」
いつものように話すユウトにユキはちらりと盗み見た。いつも通りに装っているが、少しピリピリしている。その理由はユキにもわかる。
「沈黙した蛮族の国……か」
ユキはぽつりと呟きながら、隣国のカグネ王国のことを考えた。
北から南下してきた蛮族、かつてはカグネ族と言われていたが、百年前にコントラス王国の隣国で傭兵として雇われていたカグネ族が国の支配から突如反乱を起こしたことが、カグネ族が国を持った最初の始まりだった。そこからは『カグネ王国』と名乗り、その後は百年、貿易も限られたところとしか行わない閉ざされた国となっていた。しかし一度だけ、隣国であるコントラス王国を侵攻したことがあった。ずっと沈黙していたカグネ王国に、コントラス王国は突然の侵攻に対応できず、戦闘能力の高い部族として名高かったカグネ族はコントラス王国を徐々に蝕んでいった。しかしそこで現れたのが『コントラスの鷹』キリエル・ヴァンモスだ。カグネ王国の侵略を食い止めたキリエルは国の英雄となり、そしてその後カグネ王国は沈黙した。
コントラス王国から何度も交渉の場を開く書状を送ったが、全く反応せずそのまま二十年が過ぎたのだ。なので今はカグネ王国とコントラス王国には和平条約や休戦協定というものは存在しない。コントラス王国は常にカグネ王国からの侵略の可能性を危惧して、要塞を建て、互いに緊張状態が続いていたのだ。
そんなときに届いたカグネ王国からの招待状。
議会が、王城中が騒ぐのも当然のことなのだ。
「ずっと黙ってたカグネ王国からの急な招待状。何かあるに決まってるっすよ」
「……」
そう言ってユウトは瞳を鋭くさせた。ユウトも警戒しているらしい。
ユキもユウトと同意見だ。一度は侵攻してきた国だ。今更になって友好関係を築こうなどという楽観的なものではないだろう。コントラス王国を陥れる罠か、それとも探りか。
どちらにせよ、カグネ王国からの初めてのコンタクト、これを逃すわけにはいかないとユキは思う。この緊張状態が二十年も続いていたのだ。軍事予算だって馬鹿にならない。自衛はある程度必要だが、必要以上の過度な軍事力は必要ないだろう。今だってあの要塞の維持費と人件費に多くの予算がつぎ込まれている。これを機に友好な関係を築いて協定関係を結べればそれに越したことはない。
(スバル殿下は、きっとこの招待を受ける。私にわかってあの人がわかっていないはずないもの)
問題は議会の方向性だ。あの気の弱い高官たちはどう判断するだろうか。
考え込んでいると、目の前の扉からぞろぞろと貴族たちが出てきた。そして最後にスバルが出てきて、ユキは駆け寄った。
「……どうなさるのですか?」
ユキが尋ねると、目の前のスバルは疲れたように溜息をつきながら答える。
「……招待を受ける」
予想通りだ。ユキは思わず苦笑いを浮かべた。
しかしすぐに顔を引き締め、真剣な眼差しをスバルに向けた。
「……差し出がましいようですが、危険かと」
「それは承知の上だ。それでも今回はカグネ王国と交流するチャンスだ。この機会は逃せねぇよ」
念を押すようにわざと聞くと、スバルはユキの問いに答えながら歩き始めた。その後ろをユキとユウトはついていく。
「兵はどうします? 小隊規模は欲しいところっすけど」
「ああ、そうだな。手配を頼む」
「了解っす」
スバルとユウトのやり取りを聞いていたユキだったが、そのやりとりに不満げに顔を歪ませた。
「けれど、少し少ないのでは?」
「あまり兵を多く連れられない。今回は友好的であると意思表示する必要があるんだよ。わかるだろ」
「……けど……」
ユキは不安げに眉尻を下げた。
ユキだってわかっている。これはあくまで友好的な交流だ。けれど自国を侵略しようとした危険な国でもあるのだ。易々と第二王子であるスバルを行かせるわけにもいかない。もう少し警戒して守りを固めてもいいのではないかとも思うのだ。大切なコントラス王国の王子であり、ユキにとって傷ついてほしくない大切な人だ。頭ではわかっていても、やはりもう少し多くの兵を連れて、自身の身を大切にしてほしいのだ。
そう思いながら少し食い下がって言うと、スバルは歩いていた足を止めてユキに振り返った。その拍子にユキも止まってスバルを見上げる。いつもの不機嫌そうな顔がユキを見下ろしていた。するとスバルがユキの頭に触れ、ユキは驚いて目を見開いた。
「……お前がいれば大丈夫だろ?」
不機嫌そうな顔でいつものように話すから、ユキは一瞬何を言われたのか理解できなかった。そして言われた言葉の意味に気づき、顔をぱあっと輝かせた。
「……ッ! は、はい! お任せください!」
ユキは嬉しそうに笑って意気込んで答えた。
スバルに頼られた――……!
少ない兵でも、ユキがいればスバルは安心できると言ってくれたのだ。
前は騎士として認めないと言っていたのに、ついにユキの実力を認めてくれた。
これほどうれしいことはない――……!
やっと自分の誇りとしていたものが認められてユキは舞い上がった。しかも褒められるように頭に手を乗せられているのが、たまらなく嬉しい。犬の尻尾がついていたら確実にブンブンと左右に振って喜んでいたに違いない。
一方、心の中で興奮しながら嬉しそうに口元を隠しているユキにスバルは複雑な表情を向けた。すると、スバルにユウトが駆け寄り耳打ちをした。そのことにユキは全く気が付いていなかった。
「……珍しいっすね。あんたがユキさんにそんなこと言うなんて。調子に乗るのわかってたでしょ」
スバルは、複雑な表情のままユウトに答える。
「こうでも言わねぇとうるせぇだろ。……それに、ユキの同行で今回の訪問が通ったのも事実だ」
「……マジっすか。まあ、英雄のキリエルさんが指導してその中でもさらに厳しい選抜を切り抜いて、切り抜いた王国騎士団全員でかかっても倒せないっていう大物ですもんね……」
ユウトが顔を引きつらせていると、スバルも苦い顔をした。それほどまでにユキの実力が認められていることにも驚きだが、実力を認める言葉を口にした途端のユキのこの喜びようを見てスバルは複雑な心情になった。女性として褒められるより、騎士として褒められる方がユキは嬉しいようだ。ユキらしいと言えばらしいのだが、自分を守ることを積極的に先導しているようで、スバルは少し嫌なのだ。しかしこんなに喜んでいるユキを見て嬉しく思う自分もいる。スバルの心情はかなり複雑だ。しかも、ユキが犬のように喜んでしっぽをブンブン振っている幻覚が見えて、スバルは思わず可愛いと思ってしまった。
そんな自分に呆れて溜息をつきながら、スバルは踵を返して歩みを進めた。
そのころ嬉しくて興奮していたユキは、先を歩いたスバルに気づき、慌てたようにスバルの後ろをついてきた。
「そういえば、どんな理由でカグネ王国から招待を受けたのですか?」
ふとユキは思い出した。ユキはあの時、手紙の宛名を見ただけで内容は見ていない。表向きどういった招待だったのか気になったのだ。するとスバルは歩きながら答える。
「掻い摘んで言うと、『今年でカグネ王国建国百年を記念する式典が開かれるので、ぜひ参加してほしい。これを機に互いの国の交流を深めよう』。……まあこんなところだ」
つまり、今後王位に就くであろう王子同士の交流を深めて、将来の国同士の関係を良好にさせようということか。しかしそれだと一つ疑問が浮かぶ。
「……? なぜスバル殿下なのですか?」
「は?」
ユキの問いにスバルは立ち止って、不可解そうに顔だけユキの方に向けた。ユキも立ち止まり、思った疑問をスバルにぶつけた。
「お互いの国の溝を失くすための訪問なのでしょう? 第一王位継承権をもつ第一王子であられるエイシ様が本来招待されるはずでは?」
「ッ‼」
ユキの言葉に、スバルとユウトは息を飲んで凍り付いた。
ユキは二人の反応に驚いた。その場に緊張が走り、一歩も動けない。スバルとユウトは青ざめている。ユキにはなぜ二人がそんな反応をしているのかわからなかった。
もし、本当に国の交流を深めるための王子同士の交流ならば、第一王子であり第一王位継承権を持つエイシが招待されるのが道理だろう。なぜならエイシは第一王位継承権を持っているのだ。今後の王はエイシだ。なのに、第二王子であるスバルを呼んだのは何かしら意味があるのではないかと思い、口に出したのだ。思ってもみなかった反応でユキはどうすればいいのかわからなかった。
すると、ユウトはスバルに青ざめたまま顔を向けた。
「まさか、殿下……」
「……いや、そんなはずはない……」
ユウトの言葉にスバルも青ざめてかすかに首を振る。
「あ、あの……?」
ユキは恐る恐る声をかけたが、二人とも答えなかった。二人のただならぬ雰囲気にユキは戸惑いながらも、話題を変えるように二人に話しかけた。
「そういえば、エイシ王子のお姿をここ数年見ておりませんが、どうされ……」
「黙れ」
ユキの声を遮るように、冷たい、氷のような声が響いた。
よく知った声だ。けれど、普段ユキが知っている声色と全く違っていた。
ユキは呆けたようにその声の主に目を向けた。
「……スバル、殿下……?」
目が合ったスバルは暗い、海の底のような瞳をしていた。
暗い、暗い、ぞっと背筋が凍るような眼差し。目が合った途端、実際にユキは凍り付いて、少し身体が震えた。瞳から何の感情も感じられない。けれど、声色は確かに怒っていて、ユキを突き放していた。
こんなスバルは知らない。
ユキはこんな感情、今までスバルに抱いたことがない。
この人が、怖いだなんて――……
恐ろしくなって、ユキは離れるように一歩後ろに下がった。
大好きなスバルに、男に襲われて助けてくれたこの人に、こんな感情を抱く日が来るだなんて。
先ほどまであった喜びは消え、心は今は恐怖に染まった。
すると、スバルははっと目が覚めたように目を開いた。その瞬間、スバルはいつもの瞳に戻っていた。それを見てユキは気を抜けたように息を吐いた。どうやら息を止めていたらしい。
そしてスバルはユキから誤魔化すように顔を背けた。もうユキからはスバルの表情が見えなかった。
「……出発は明後日だ。いいな?」
スバルはそう言って再度歩み始めた。ユキはもう後を追わなかった。呆然とスバルの背中を見送る。
一体ユキの発言の何が気に入らなかったのだろうか。
第一王子であるエイシの話をした途端の反応だった。エイシの話題を出すのがいけなかったのだろか。
(けれど、なぜだ? それに数年前からエイシ様の姿を見ていない……)
そうだ。おかしい。
ユキが王城に来て数か月経った。なのに一度もエイシの姿を見ないなんておかしいんじゃないだろうか。ユキは宮殿にだって住まわせてもらっている。宮殿内ですれ違ってもいいはずなのに、一度もすれ違っていない。
(どこか別の場所に住んでいる? けれどそれにしても王城や宮廷で見かけてもおかしくないはずだ。なのに、なぜ? どこか遠征に行っているという話も聞いたことがない。これほどエイシ様の情報が少ないのはおかしい……)
ユキは考え込みながら、先ほどのスバルとユウトの反応を思い出した。
驚いた青ざめた表情。そしてスバルのあの、踏み込むなというような恐ろしい眼差し。
――……何かある。
二人はきっとユキに、いや国民に何かを隠している。それはきっと第一王子エイシのこと。そして国が抱える大きな問題。
そしてそれがカグネ王国に漏れてしまっている、と考えたのではないだろうか。
もしそうだとすると、危ない。
問題なのは、ばれたことではない。
国家が隠している問題がカグネ王国に漏れたという事は、この王城にカグネ王国の密告者が紛れ込んでいるということだ。
そうなれば、コントラス王国の情報は筒抜けだ。こちらがカグネ王国の内情を探るどころではなくなる。
そう考えてユキはぞっとして身体が震えた。
疑うべきはだれか。
メイド? 使用人? それとも官僚?
疑い始めたらきりがない。
ユキは頭の中の考えを追い出すように首を振った。
やめよう。今は考えても意味はない。
こちらが探られているのなら、こっちも逆に探ればいい。今回の訪問がそのきっかけになればいいのだ。
ユキは意気込んで、もう見えなくなったスバルの背中を追った。
そして残されたユウトは、ユキの背中を見送ってぽつりとつぶやいた。
「飲める雰囲気じゃなくなったなぁ……」
ユウトの残念そうな声が、夏の日差しに飲み込まれるようにかき消された。