番外編:ユウトの苦労
スバルに誓いを立てた、その次の日の朝。
ユウトはいつものように自分の仕事場である、第二王子の執務室に向かいながらふわあっと大きな口を開けてあくびをした。ユウトは決してユキのように宮殿で暮らしているわけではない。王都には住まわせてもらっているが、やはり出勤時間に間に合わすためには朝早くに起きなければならない。ユウトも睡眠のために宮殿で暮らしたいと思うがこればっかりは仕方ない。ユウトは朝が弱いわけではないが、最近いろいろありすぎてきちんと休めていない。今度こそスバルに休みを申請しよう。
そう決意しながらユウトは執務室の扉を開けた。すると、もう見慣れた白銀の髪が目に入って笑みを浮かべた。
「おはようございます。ユキさん」
「おはよう。ユウト」
ユウトが入ってきたことを確認したユキはユウトの姿を見て目を細めて微笑んで挨拶をした。ユキは自分の机で書類の整理をしていたのか、山積みの書類を紐で綴じているところだった。対してスバルも自分の机で書類の確認をしていた。スバルはユウトの姿をちらりと確認した後、すぐに書類に目を戻した。いつも通りのスバルの反応にユウトは笑い、自分の机に向かった。
ユウトは昨日のことを思い出して、二人に視線を送った。
昨日はどう考えてもキスしようとしていた。
最悪なタイミングで入ってしまったユウトは、それを邪魔してしまったわけだが。
昨日は驚いた。
もちろん、まさか執務室を開けたらあんなラブラブなシーンを目にするとは思っていなかったから驚いたが、あんなに気持ちを抑えていたスバルが、急にあのような大胆な行動をすることに、ユウトは少し驚いていたのだ。
一体どんな心境の変化があったというのか――……。
そう考えていると、ふと目の前に座っているユキの格好が目にいった。
「ああそうだ。ユキさん」
「ん?」
ユウトが声をかけるとユキは顔をあげてユウトを見た。
「昨日も思ったすけどそれ、可愛いっすね」
「え?」
ユキが声をあげると、ユウトはユキに指を指して笑った。
「その制服っすよ。すっごい似合ってます。ユキさん元々可愛いからなぁ。眼福眼福」
「……」
そう。昨日はあまりちゃんと見れなかったが、ユキが着ている制服は女性ものの可愛らしい制服になっていた。男性用の味気のない制服で勿体ないと思っていたので、ユウトはとても満足だ。白いジャケットにフリルのついたブラウス。ネクタイだった部分はリボンに変わっており、ジャケットにもスカートにもフリルが施されていてなんとも女性らしく可愛い。元々の男性用の騎士制服からすごくずれることなく、けれど、アレンジできるところはアレンジして、大きく騎士制服から外れないように考えられている。
なによりスカートが膝より少し上で足が見えているのがユウトにとっては良い。いつも女性というものはドレスなのでこんなに風に足は見えない。いつもは見えない分、なんだかユキの姿が新鮮で見ごたえがある。鍛えられた程よく引き締まった細い足に白い肌。座っていないでずっと立ってもらいたいぐらいだ。
ユウトはじっと見てそんな変態的なことを思いながら、顎に手を当ててまじまじとみた。
髪だって下して少し編み込みが入るだけで、華やかだ。いつもぞんざいに一つで括っていた時とはだいぶ印象が違う。こちらの方が可愛らしい。女性は髪にも一つのアレンジで花のような装飾を施してしまうのだから不思議だ。
「でもこうして見ると、ユキさんもやっぱ女の子……ユキさん?」
「……ッ」
いつまでも黙ったまま驚いた様子で目を開いていたユキだったが、ユウトが呼びかけると急に顔を真っ赤にして俯いた。
「え?」
ユキは顔を真っ赤にして俯きながら書類をもじもじと弄って、自身の髪もいじり始めた。
ユウトは驚いた。
もしかして、照れているのか――……?
そのいじらしい様子を見て、ユウトもだんだん恥ずかしい気持ちになってきた。つられたようにユウトも思わず顔を赤くしてしまう。
すると、ユキはおずおずと顔をあげてユウトを見た。
「あ、あり、が、とう……」
「え、ええ。どういたしまして……」
たじたじにお礼を言われ、ユウトもたじたじに答えてしまった。
そんな顔を真っ赤にして、目を潤ませてみてくると、なんだか勘違いしてしまいそうになる。
夜に浮かぶ満月のような瞳が潤んで揺れていて、なんだか綺麗だ。ユウトは思わず胸が鳴った。
「……ッ。けど……ッ!」
恥ずかしさが限界に来たのか、書類を顔にあてながらバタバタと足をバタつかせていたユキだったが、勢いよく立ち上がり、分厚い書類をもってユウトのところまで速足できた。その様子をぼうっとユウトも目で追った。見上げたユキの表情は、少し怒っていた。
「可愛いとか言うなッ!」
ユキは顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしながらも怒っているような表情で、ユキは持っていた分厚い書類をユウトに叩きつけた。
「いたッ! 痛い痛い! ユキさん痛い!」
ユウトはユキが突然叩いてくる理由がわからず、ユウトは腕で防ぎながらユキの攻撃を受けた。ユキはその間も構わず書類でユウトを叩き続けた。
「誰が可愛いだ! この……ッこの……ッ!」
「いや、ええ⁉ 俺は素直に褒めただけなのに……ッ」
「……ッこのバカッ!」
するとユキは顔を真っ赤にしながら、目をぎゅっと瞑ってやけになったようにさらに叩く力を強めた。バシバシとユウトはわけもわからず叩かれ続けた。
なんだというのだ、突然。
ユウトは攻撃を受けながらも頭の中でユキの行動の理由を考えた。自分が何かしてしまったのかと、自分の行動を振り返ってみる。
先ほど制服を褒めたユウトの言葉。そしてユキは、顔を真っ赤にしながらユウトを叩いている。
すると、ユウトはある一つの仮説が浮かんだ。
もしかして、照れ隠しなのか――……?
「ふふ……」
「何笑ってるんだ……ッ!」
そう思うとなんだかこの乱暴な攻撃も可愛く思えてきた。素直に褒めてくれたのは嬉しいものの、どう反応すればいいかわからず、さらに恥ずかしいからこうして相手に攻撃することで自分の照れを誤魔化しているんだろう。
稚拙な照れ隠しだ。なんとも可愛らしい。
そう考えて思わず笑いを漏らすと、それが気に入らなかったのかユキはさらに叩く力を強めた。痛いが、まあ悪くない。
しかし、こんな褒め言葉ぐらいスバルからさんざん言われてきているだろうに。もしかして毎度こんな感じで照れていたのだろうか。
そんな疑問とともに微笑ましく見ていると、突然殺気を感じヒヤっと背中が冷たくなった。
ユキも気づいたのか持っていた書類を落として、殺気の方向に剣を構えた。
ユウトは、殺気のした方向に振り向くと、何か尖ったものがユウトの顔に向かって飛んできた。
「……うおッ!」
ユウトは辛うじてその攻撃を避け、その尖ったものは勢いよく壁に突き刺さった。ユウトとユキは恐る恐る壁に振り返ると、そこには万年筆が刺さっていた。
「……悪い、手が滑った」
冷たい平坦な声が聞こえた。見知った声のはずなのに、まるで知らない魔王のような恐ろしい声に聞こえる。いつもより平坦な声が余計に怖い。
ユウトは恐る恐る振り返った。
「……ッ」
そこには、光のない暗い瞳で表情のない顔でこちらを見ているスバルの姿があった。ユウトはあまりの恐ろしさに、声が出ず、身体は無意識にガタガタと震わせていた。
こんなに怒っているスバルは久々に見た。ユウトといつもふざけたやり取りをして怒鳴られて怒られてはいるが、スバルが本気で怒った時は本当に静かなのだ。長年一緒にいたユウトにはわかる。これは本気の本気で怒っているスバルだ。その証拠にスバルはあの鋭利で尖った万年筆を投げてきた。あんなものが当たれば怪我をしてしまうし、スバルの場合は確実にユウトの頭を狙ってきた。ユウトが避けなければ当たっていたというのにだ。スバルはユウトを殺しにきている。けれど、ユウトには心当たりがない。
「もう、殿下。紛らわしいことしないでください」
すると隣で、少し怒ったように剣を収めるユキの声が聞こえ、ユウトははっとした。
もしかして、この人のせいか――……?
いや、そうに違いない。スバルがこれだけ怒ることはユキのことしかありえない。
しかしユウトは首を傾げた。
けれど、何がそんなに気に食わなかったのだろうか。
ただ少し、ユキをいじっていただけだが。
――……もしかして、それが気に入らなかったのか?
チラリとスバルを見る。スバルは何事もなかったように書類に目を向けていたが、その視線はユキの行動を追っている。ユキは気を取り直すように自分の席に戻って仕事を再開した。
間違いない。この人は、ユキとユウトが楽しくじゃれているように見えて、嫉妬してユウトを殺そうとしたのだ。
そう考えてぞっとした。
やばい、この人。
ユウトは身体を震わせたが、いやいやと思いなおす。
例えそうだとしても、まさか殺そうとは思わないだろう。
きっとあれだ。多少の牽制のつもりだったのだ。
ユウトなら避けてくれるだろうという、これはある意味での信頼なのだ。
そうだ、牽制だ。まさか殺すなんてありえまい。
「……チッ」
そう、うんうんと頷いてユウトも席に座ろうとすると、スバルから小さな舌打ちが聞こえてぴたりと止まる。ちらっとスバルの方を見ると、スバルはかすかにユウトから視線を逸らした。
この人――……!
ユウトはあまりの主人の仕打ちに顔を引きつらせた。
そんなに嫉妬深いんだったら、早く物にしちゃえばよかったのに――……!
スバルの事情は知っているが、あまりの仕打ちにそう思わずにはいられない。
ユウトは少しだけ、怒りをふつふつと心の中で燃え上がらせていた。
とりあえず、今夜はあの人飲ませて問いただそう。
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「はあ⁉ 一度も褒めたことがない⁉」
「……」
そんなユウトの驚いた声に、スバルは顔を逸らした。
その日の夜、スバルとユウトはスバルの自室で机に座って向かい合ってワインを開けて飲んでいた。
こうして時々ユウトはスバルを飲みに誘う。この国では十歳にでもなれば飲酒は認められており、ユウトもスバルも十八で飲んでいてもおかしくない年齢なのだ。さすがに酒場には誘えないのでこうしてスバルの自室で高いワインを開けてユウトとスバルは飲んでいるのだ。この飲み会は不定期でユウトの気まぐれで始まる。たいていがユウトがスバルに頼みごとがあるときだったり、スバルの息抜きの為だったりするが、今回は違った。
今回は、ユキとスバルの関係性を聞き出すためだとユウトは言った。今朝のユキの変な反応に加え、あのキス未遂のことを詳しく聞きたかったのだ。そして導入部分の今朝のユキの反応ことでユウトがスバルに聞くと、スバルの憶測とともに、スバルの遍歴が明らかにされた。
つまり、『スバルが一度も褒めたことがないから免疫がなく、照れてしまったのだろう』とスバルは話したのだ。
それを聞いてユウトは憤慨した。
「あんた馬鹿っすか⁉ 好きな子が頑張って自分のために努力しておしゃれしてくれてるのに! あんた女の子の努力馬鹿にしてんすか!」
そうユウトに責められたスバルは気まずそうに、ユウトから顔を逸らした。
「……お前が女の何知ってんだよ」
「少なくとも! スバル殿下よりは知ってますがね!」
なんとか出た悪態もユウトの一言で一蹴させられてしまった。そしてユウトは頭を抱えた。
「ああもう。だからユキさんあんな反応してたのか……。おかしいとは思ったんだよ……」
「……」
スバルは気まずくなってワインを一口飲んだ。
今日の赤ワインは渋くて、濃厚だ。このワインはコントラス王国でとれた葡萄を使っており、その中でも高級な年期もののワインだ。悪くないな、とスバルは自分の国の名産品を心の中で絶賛した。これは現実逃避だ。
別に今まで褒める機会などいくらでもあった。
舞踏会や夜会で着てくるユキのドレスはどれもユキに似合っていた。けれど、いざ口にだそうとすると恥ずかしくなって結局言えずにいてしまったのだ。正直誰にも見てほしくないぐらいに可愛く綺麗だったので、スバルも何度か見惚れたことがある。これが自分のために着飾ってくれたのかと思うと胸をくすぶるものがあった。けれど、どうしても自分の天邪鬼な性格が邪魔をするのだ。
そう自分の性格を呪っていると、じとっとスバルを眇めるようにして見ているユウトの視線に気づいた。
「……まさかとは思うんですけど、手も出してないとかじゃないっすよね?」
「……」
スバルはユウトの問いに何も答えず、いや答えられず、ワインを飲むと、ユウトは信じられないという表情でスバルを見た。
「はああ⁉ あんた……ッ! 聖人君子でも目指してんの⁉ あんなに一途に想ってくれてるのに! 俺だったら手ぇ出しまくりっすよ!」
「……お前に何がわかんだよ」
ユウトの責めるような声にスバルは呻いた。
その様子にユウトも口を噤んでスバルを見た。
「あんな純粋な顔で見られたら……手も出せなかったんだよ……」
スバルはユキと婚約していたころを思い出す。
『スバル様は、お優しいですね』
そう言って純粋に笑うユキを見て、どうして手を出そうと思えるのか。
優しいと言ってもらえたのに、本当はスバルの中でユキに対する男としての欲望を抱えていると知られたら、もう笑顔を向けてくれないかもしれない。それがスバルは嫌だった。それに、スバルは一度ユキの髪に触れようとして避けられたことがある。今思えば、白銀の髪を隠すためにつけていたウィッグがばれたくなくて、触られることを拒否していたのだろうが。一度避けられたスバルは、そのあとスバルは触れられるのが嫌なのかと思い、弱腰になってしまったのだ。だからスバルは庭園をユキと散歩するとき、必ず足場の悪いところに連れて行った。
――手を握る口実が、欲しかったからだ。
そんな幼い恥ずかしい過去を思い出し、スバルは誤魔化すようにワインを一気に飲み干した。しかしユウトは、呆れた目でスバルを見た。
「でもこの前、手を出しかけてたじゃないっすか」
「……ッごほごほッ!」
一気に飲み干そうとしたワインがユウトの指摘で動揺して喉に詰まり、スバルは盛大にむせた。思い出すのは、気持ちが高ぶってユキにキスしてしまおうとした、あの時だ。
せき込んだスバルは、ぎろりと睨んで机の下でユウトの足をガンガンと勢いよく踏みつけた。
「痛い痛いッ‼ 殿下足痛いッ‼」
思いっきり踏みつけられたユウトはあまりの痛さに声をあげた。その様子に満足してスバルは足を収めた。
あれは、ユキがあまりに一途で健気な答えを返してきたのが悪い。
『ずっとそばにいますよ』
あんなことを言われて、スバルも気持ちが抑えられなかった。
ユキを否定ばっかするスバルを、それでもそばにいてくれるというユキが、可愛くて仕方がなかったのだ。
その時のユキのことを思い出していると、ユウトは足をさすりながらスバルに溜息をついた。
「わかりましたよ。殿下」
「……何がだ」
何がわかったのいうのか。一応スバルはユウトの言葉に耳を貸した。するとユウトは真剣な顔つきで、机に両肘を立てて寄りかかり両手を口元に持ってきて、口をゆっくり開いた。
「ユキさんが今まであんたと付き合っていたのは……その権力のおかげです」
「……」
「いだだだだだだだッ‼ 痛い痛い痛い痛い‼ だってそうでしょ⁉ 褒めもしない、手も出してこない! 俺だったら顔がよくてもそんなつれない婚約者だったら別れてますわ!」
「うるせぇッ!」
スバルは容赦なく、隣に立てかけていた剣を剣先でぐりぐりとユウトの足先を集中的に強く押し付けた。もちろん鞘に入れた状態でだ。
スバルは心の中で言い返した。
そんなはずはない、はずだ。
だって、スバルのそばにくるために騎士になった女なのだから、少なからずスバルを想っているのは間違いないはずだ。
しかし、スバルはユウトの言葉を完全に否定しきれなかった。
確かにユウトの感性が普通なのだろう。だったらなぜ婚約者時代、文句も一つも出なかったのか。
ユキが大人しかったからか?
我慢強かったからか?
もしかして本当に――……?
悪い憶測が浮かんで打ち消すように、剣を押し付ける力を強めた。
「いだだっだだだだだだ‼ もうやめて! マジで痛いから‼」
スバルは渋々ユウトの足から剣をどかした。ユウトは痛みに耐えるように息を荒げて足をさすった。スバルはその様子に鼻を鳴らした。
分は悪いが、ここまで散々言われて何も言い返さないわけにはいかない。何よりユウトの馬鹿にされているのかと思うと腹が立つのだ。
すると、ユウトはスバルをじっと見た。それに気づいてスバルは眉を寄せると、ユウトは恐る恐るというように口を開いた。
「……まさかのまさかですけど、好きも言えてないとか?」
「……」
スバルが一瞬目を開いて驚くと、つかさずグラスにワインを注ぎ一口飲んだ。その態度にユウトは、口をあんぐり開けた。
「はあああああ⁉ あんた……ッえ⁉ あんだけ嫉妬深いのに告白もまともにできてないんすか⁉ ヘタレにもほどがあるだろ‼」
あまりの言われようにスバルはプルプルと膝に置いていた拳が震えるが、何も言い返せずかろうじてスバルは口を開いた。
「……言う、タイミングが……」
「五年も付き合ってて何言ってんすか! 言うタイミングしかないから!」
「……くッ」
今度こそ論破されてスバルは項垂れた。
まさかユウトに論弁で負ける日が来るとは思わなかった。
少し落ち込んでいると、ユウトは呆れたように溜息をついた。すると突然真剣な声色が聞こえてきた。
「……けど、マジな話。あまりユキさんの好意に甘えないほうがいいっすよ。いつまでも好きでいてくれるとは限らないっすからね」
「……」
ユウトの厳しい言葉にスバルは顔をあげた。そこにはいつもふざけた態度はなく、真剣なけれど心配そうな表情でスバルを見ていた。スバルは少しその表情に目を瞠った。
「……事情も知ってるから、気持ちを伝えられないのもわかるっすけど。せめて褒めるぐらいはしたらどうっすか? せっかくユキさん可愛くしてきたんだから」
「……」
ユウトの言葉にスバルは少し考え込んだ。
確かにユウトの言う通りかもしれない。
今朝のユキの反応を思い出す。ユウトに可愛いと褒められただけで顔を真っ赤にしていた。今朝のユキの反応を思い出す。ユウトに可愛いと褒められただけで顔を真っ赤にしていた。褒められ慣れていないとはいえ、下手をしたら、ユウトを異性として意識するきっかけになるだろう。
いつも褒めてくれる男性と、褒めてくれない男性なら、それは前者の方が女性にとっては最良だろう。ユキも例外とは言えない。
スバルはユキがいる部屋の扉をちらりと見た。今頃はその扉の前でスバルの警護をしていることだろう。それなのに、スバルはこんな風に飲んでいていいのだろうか。
気持ちも伝えない、手も出さない、褒めもしない、挙句に好きな女が仕事で働いているのに、酒を飲んでいる。
言葉にして並べると最悪の図だ。
ユキは、喜ぶだろうか――……
もしかしたら、スバルが褒めればユキは今朝のように顔を真っ赤にして喜んでくれるだろうか。笑ってくれるだろうか。
スバルはユキの笑った顔が好きだった。
もう一度見られるのなら――……
スバルは、グラスに入った真っ赤なワインを見つめながら、愛しい女性の笑顔を思い出していた。
苦労編、次で最後です。