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14.後悔から得たものは


 陛下に会う。

 自分の父親であるが、それはスバルにとって何よりも苦痛な時間だった。


 宮殿と王城を繋ぐ通りをスバルとユウトは歩く。通りから見える日はまだ高い。通りから見える綺麗に整えられた植木が陽光にあてられ、緑が明るく輝く。すると、遠くの方から騎士たちの雄々しい叫びが聞こえてくる。今は訓練の時間なのだろう。自国の騎士団ながら熱心なことだ。そういえば最近スバルも剣を振るっていない。ずっと書類仕事やらユキのこともあり身体をあまり動かしていない気がする。そう考えると急に肩が重たくなった気がして肩を回した。今度ユキに剣の相手でもしてもらうか、などできもしないことを考える。すると後ろでユウトが怪訝そうな視線を送っているのに気づいて、すぐに姿勢を戻した。

 

 そう。これは一種の現実逃避だ。


 スバルはなるべく王には会いたくなかった。


 自分の父親に会うと言っても相手は王。正式な場での会合が求められるので、謁見の間に向かう。扉には衛兵が両隣に立って警備をしている。その警備二人は、訪れた相手がスバルだと気づくと姿勢を正し敬礼をする。それにスバルは視線で応え、警備二人はゆっくりと扉を開いた。スバルは溜息をつきながら王のいる謁見の間に足を踏み入れる。ユウトはスバルのように足を踏み入れず、扉の外で待機させた。


「失礼いたします。陛下」


 そう言いながらスバルは数段階段の先にある玉座に座っている自分の父親、ラシフェル・サラエル・ジ・コントラスを見た。

 艶やかな長い黒い髪を一つに束ね、スバルと兄のエイシとも全く違う紫紺の瞳がスバルを映した。今年で五十を迎え、威厳さが増した気がする。コントラス国王ラシフェルは、玉座に座り頬杖をついて何も言わずに自分の息子を見下ろす。その視線に耐え切れず、スバルは眉を潜めた。


「……何かありましたか?」


 スバルは昔からこの目が嫌いだった。

 何を考えているかわからず冷めたような冷徹な目でじっと見られることが多く、落ち着かないのだ。兄であるエイシも、いつも微笑んんで何を考えているかわからないこともあるが、微笑んでいる分親しみはあるし人をよくからかうからか、その茶目のある行動のおかげかわからないが、周りからは敬愛されている。

 スバルにとってはどちらも見られているようで落ち着かないが、長く時間を共にしたエイシの方が心が落ち着くのだ。それに対してこの国王は、いつ見ても何を考えているかわからず、感情がない。笑った顔も怒った顔も見たことがない、ただ淡々と王としての仕事をこなす姿は、ある意味賢王と呼ばれるにふさわしいだろう。


 居心地が悪く思わず目を逸らしていると、それにラシフェルの眉が不快そうに動いた気がした。


「……お前が暗殺者に狙われたと聞いた。ちゃんとしているのだろうな?」


 低い、腹に響くような声が謁見の間を轟かせる。


 やっぱり、その確認か。

 スバルは溜息をつくのを必死に抑え口を開いた。


「……犯人は特定し、捕まえています。問題ありません」


 感情を消し淡々と答えると、ラシフェルは冷たい相貌をさらに冷たくさせてスバルを見下ろす。


「毒を飲んだらしいな。……この国の王位継承権は第一王子のエイシにあるが、お前も王子だろ。私の血を継いでいるのなら常に周りを警戒し、疑え」


 またこれか。

 別に期待してほしいわけじゃないが、余計なお世話だ。

 確かにラシフェルは、この国を観光国にして発展させた偉業を成し遂げているが、だからと言ってスバルに過剰に期待するのは大間違いだ。どれだけ自分に自信があるのか知らないが、余計な期待というのは嫌いなのだ。


 スバルは我慢しきれず溜息をついた。


「……わかってますよ。肝に銘じておきます。では、失礼します」


 スバルは碌に挨拶もせずに、頭だけ軽く下げてラファエルに背を向けた。


「……似てきたな」


「え?」


 しかし、後ろからラシフェルの声が聞こえ立ち止まる。まさかこれ以上話しかけられるとは思わず、驚いて体が固まる。


「お前の母親に、似てきたな。あいつもよく私を見て嫌そうな顔をしていた」


 スバルは、はっとして勢いよくラシフェルに振り向く。振り向いた先にいたラシフェルの瞳には懐かしさがにじませていた。それにスバルは一瞬頭に血が上り、すぐに冷静になった。けれど、スバルの瞳から嫌悪感は消えなかった。


「……あんたが死なせた、な」


 スバルの怒りのこもった声にラシフェルは先ほどの懐かしさは消え、いつもの冷たい相貌に戻っていた。


「……あいつは弱かった。それだけのことだ」


「……」


 睨みつけるスバルを、ラシフェルは何を考えているかわからない静かな目で見返す。


「勝手に死んだんだ。仕方がない」


 ラシフェルの言葉に、スバルは抑えていた怒りが一気に爆発した。


「……ッふざけんなよ……」


 怒りにこもった声で小さく呟く。しかしそれ以上何も言わずに一つ睨みつけて今度こそ扉を開けて、謁見の間を出た。

 出た先には壁に寄り掛かって待っているユウトの姿があり、スバルは少し落ち着いた。いつもうるさいアホ面のユウトでも、心が荒れている今では落ち着くものがあるものだ。するとユウトはスバルに気づき、壁から身体を離した。


「どうでした?」


「相変わらずだ」


 顔を見ずに素っ気なく返事をしながら廊下を歩くとユウトは苦笑いをしながら、スバルの後ろからついてきた。



 スバルの母親エレンは、スバルが五歳のときに、皇居で毒を盛られて死んだ。

 犯人は王に仕えていた侯爵。自分の部下を使用人として送り込んで皇后に紅茶を飲ませて殺したのだ。理由は、体制の瓦解と王の暗殺。

 皇后を殺し動揺を与え現体制を崩しているときに、王を殺し自分がその権威を得ようとしていたのだ。


 最後の最後まで、不幸な人だった。

 スバルから見た自分の母親は、決して幸せそうではなかった。

 元々家の位が高い侯爵家の娘で、かつて王子であったラシフェルと婚約し、そのまま結婚へとつながったが、その間に決して恋や愛などがあるわけがなかった。ラシフェルはエレンを皇后とでしか扱わなかったし、エレンもそれに不満を持っているようではなかった。しかし、かつてエレンが時々スバルに言っていた。


『ねえ、スバル。永遠なんてものはね、存在しないのよ』


 永遠。

 その言葉が何を意味していたのか分からない。

 けれど、毎日いつまでも帰ってこないラファエルを夜遅くまで待って、夜眠るときは名前を呼んで挨拶をするエレンを見て、スバルはもしかしたら、と思った。


 本当は、ラシフェルを愛していたのではないかと。


 けれど、ずっと会えずにいるラシフェルにその愛すらも冷めていったのではないか、と。


 これは、スバルがエレンを見てきたすべてから、勝手に憶測を立てたものだ。

 けれど、もしそうなら不幸な人だと思った。

 碌に会いに来ずに無関心な愛した人を待ち続け、外にも行けず閉じ込められる。

 そして、無残にも王に仕えて信頼していた侯爵に、殺されたのだ。


 母は特別賢かったわけでも、美しかったわけでもない。本当に普通の人だったのだ。

 周りからは立派な立ち振る舞いを求められ、国民からは過度な期待を一身に浴び続けられたエレンにとって、それは重責だったに違いない。

 スバルはそんな母を好きでも嫌いでもなかった。ただただ、不幸な人だとそう思った。

 ラシフェルと出会わなければ、きっと幸せな家庭を築いていただろうに。

 エレンは日がたつごとに衰弱し、まるで感情を失くしてしまったかのように常に無表情になっていった。


 しかしそんな彼女が微笑んだのは――……


 毒を飲ませられた、死ぬ寸前の時だった。


 エレンは死んだとき、初めて安心できたのだ。

 本当に愛されたい人には愛されず、閉じ込められ、身体も衰弱していった。

 そんな彼女に安らぎを与えてくれるのは、死のみだった。


 そんな彼女を不幸と言わず、何と言うのか。


 しかし、そのことを聞いてもラシフェルは眉一つ動かなかった。ただ『そうか』とだけ呟いて、形式に従った盛大な葬式を開き、次の日には遠征に出かけていた。


 その時、スバルは憤りを感じたのだ。

 母が好きだというわけではなかった。けれど、だからと言って冷たくできるほど情がなかったわけではない。

 スバルだってまさか死ぬとは思わなかったのだ、こんなにあっさり呆気なくいなくなってしまうなんて。

 人の死は脆い。五歳だったスバルは、幼いながらにそう思った。

 せめて、もっと幸せに在れたなら、その人生もよかったと思えたのに。

 あまりにも不幸で、あまりにも不幸せだったから。


 なのにラシフェルは、あんなにも苦しんでいた母を、碌に見向きもせず見返ろうともしない。悲しみもなければ、涙もなかった。


 愛していなくても、皇后として、妻として何かしらの感情があってもよかったのではないか。

 せめて、ラシフェルがエレンの死に何か感情を動かしていれば、まだ報われたのに。

 エレンの存在は、確かに在ったのだと。


 それなのに、あの王は――……

 皇后になったエレンは、もっと守られるべき存在だったのに。国王にも誰からも愛され、幸せになるはずだったのに。

 王のくせに、一人の女性すら碌に守れず何が王だ。


 スバルはそんなの御免だ。

 だからこそ、スバルは――……



――――

―――――――――



「今度はどこいくんすか?」


 ユウトに声をかけられ、スバルははっと目を開き、立ち止まった。

 嫌なことを思い出した。額に汗が流れている。

 スバルは袖で汗をぬぐい、口を開いた。


「……兄上のところだ」


 そういうとユウトはあからさま嫌な顔をした。


「えー……。あ、ちょっと待っててください。あの下着セット返さなきゃなんで部屋寄ってもいいっすか? これじゃ女の子も部屋に呼べないっすよ」


「呼ぶ女なんかいねぇだろ」


「あんたが休みくれないせいでね! 俺だって結構モテるんすよ? 女の子にだってきゃーきゃー言われて……」


「……はッ」


「今笑いました⁉ ほんっとあんた性格悪いなッ!」


 馬鹿にしたように笑うとユウトはいつものように騒いで怒り出した。

 その姿に安心している自分がいる。


 大丈夫だ。まだスバルの周りでは誰も死んではいない。


 スバルはまるで決意するかのようにぐっと拳を握る。


 あの人のようには、ならない。なるものか。


 あんな風に死を安らぎにした姿を見送るのは、もう御免だ。


 スバルは瞳に力強さを宿し、兄のいる宮殿に向かう。

 

 兄に自分の決意を告げるために、自分の意思を示すために。



 スバルがこの国の王になると――……




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