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0.青い空は語りかける

初投稿です。なので、何かアドバイスや感想をもらえると嬉しいです。

よろしくお願いいたします。



「お前との婚約を破棄しようと考えている」


「……は?」


 煌びやかな装飾に囲まれた客間。床一面には赤い絨毯が敷かれ、大理石の壁には凝った花の彫刻が彫られていた。いくつもある両開きの窓が大きな口を開け、涼やか風と陽光がシャンデリアをわずかに揺らす。そしてそのシャンデリアの下には、スクエアの机と二人掛けのソファが二つ。そこに二人の男女が向かい合うように座っていた。


「今、なんとおっしゃいましたか……?」


 少女は目の前に座る少年に驚いたように目を見開き、震える声で尋ねた。

 少年は、さもだるそうにソファのひじ掛けに頬杖をつき、足を組み替えた。その時、さらりとした黒髪がなびき、目つきの悪い灰色にも似た青い瞳をかすめる。


「婚約を破棄すると言った」


「……な……なぜ……。何か、気に障ることをして、しまったのでしょうか……?」


 少女は動揺し混乱した頭を必死に働かせて口を動かした。今はとりあえず、適切な言葉を紡ぎ、婚約者である少年を繋ぎとめるのに必死だった。


「なぜ、ね。理由はそれだ」


「え……?」


「お前が今もってしても、何もわかっていないということが原因だ」


 少女はさらに混乱した。

 どういうことだ。少女はこれまでの自身の行動を振り返った。

 何か粗相をしたのかと頭の中で今までの自身の行動を振りかえるが、何も思い当たるところがない。夜会も披露宴も舞踏会も彼の婚約者として正しく振る舞ってきたつもりだ。ぐるぐると頭を巡らしていると、そんな様子を察したのか少年は呆れたように溜息をついた。


「お前がある男爵令嬢を私の婚約者という立場を利用して、いじめていると噂になっているが……」


「そ、それは……!」


 少女は、はっと勢いよく顔をあげて必死の形相で訴える。


「その噂はデタラメです! 私はそのようなことは一切行っておりません!」


 少女は荒々しく声をあげた。淑女としてあるまじき行為だと分かっていても、ここで弁明しなくてはいけないと気持ちが焦った。

 しかし少年は冷めた相貌で見つめた。


「私もわかっている。お前がそんな愚かな行いをするとは思っていない」


「で、ではなぜ……」


「お前が、その噂を払拭できなかったという事が問題なのだ」


 少女は息を飲んだ。膝に置いていた手に力が入り、新調したばかりのドレスにシワがつく。


「この噂は、単なる私の婚約者であるお前への嫌がらせだろう。この噂で私が信じれば、お前への評価は落ち、婚約は破棄され、見事周りは婚約者となりうる権利を得る。魂胆はそこだろう。馬鹿馬鹿しい。……しかし、お前はその間何をしていた?」


「……」


「私の婚約者ということは次期私の妻になるということ。そんな、たとえ真実でなくとも悪評がまとわりついている女性をなぜ娶ることができる?」


「……」


「そう、お前はこの噂をなんとしてでも払拭せねばならなかったのだ。言葉で、立ち振る舞いで、人脈を広げて。私の婚約者としての自覚があるのであればだ」


 少年の矢継なく浴びせられる言葉の数々に口を挟むこともできず、ぼうっと見返す。目つきが悪いけれど、いつも自分を見つめるその目が優しかったことを少女は知っていた。それなのに今は冷たく、鋭い目で少女を見つめている。それがどうしようもなく胸を締め付けた。


「お前の悪評は私の悪評だ。私に人を見極める才能がないと、そう思われかねない。それがなぜわからなかった?」


「ち、違います……私は……」


 少女はゆるゆると首を振って否定の言葉を紡ごうとした。しかしなんて言えばいいのか頭が上手く働かない。ただ話を聞いてほしいだけなのに。

 その想いも届かず、少年は少女の言葉を遮る。


「言い訳は無用だ。お前がそこまで愚かな女であったと見抜けなかったのも事実。私も悪い」


「……スバル、様……」


 まともな言葉を発する暇さえも与えてくれない。なんとも無慈悲な対応に少女の瞳には涙がたまる。これは対応に対する不満からではない。今まで優しく、不器用にも自分に気を遣ってくれた少年の、スバルのあまりの変わりように、悲しく胸が痛んだからだ。


「用は済んだ。出ていくがいい。お前の家の方にはまた正式な紙面を送る」


 少女はぐっと涙をこらえて、俯く。これはただの事後報告だ。どれだけ少女が言葉を紡いでももう、スバルのなかでは決定事項だったのだ。覆えようがない。淡々とした感情のない表情からわかる。少女は、顔を見せないように俯き、そのまま立ち上がる。無礼な行為だとわかっていても、スバルにこのような醜態をさらしたくはなかった。

 扉の方に歩き、取手に手をかけたとき、後ろからわずかに優しさを含んだ声が聞こえてきた。


「ユキ」


 名前を呼ばれ、少女は、ユキは手を止めた。


「……今までご苦労だった。ありがとう」


 スバルのその言葉に手がわずかに震える。


 そんな優しい声をかけないで

 まだ自分に対して情があるのであれば、なぜ引き留めてくれないのか


 そんな思いが胸に巡り、今すぐ駆け寄って縋りつきたい衝動をぐっと抑えた。

 惨めな行動はしない。

 ユキは振り返り、顔をあげぬままドレスの裾をつまみ淑女の礼をとった。冬の葉を思わせる深緑を基調とし、控えめに段のついたフリルのこのドレスは今日久しぶりに会う男のために一週間前から悩みに悩んで選んだドレスだ。スバルに少しでもよく見られたくて、褒めてほしくて。結局一回も褒めてもらえることはなかった。


「……いえ、勿体ないお言葉。……お役に立てずに、不快な思いをさせ、申し訳ございません、でした……」


 ユキの震える声が、不似合いにもこの豪奢な部屋に響き渡る。

 そして、ユキは一度も婚約者であったスバルの顔を見ることもなく、部屋から出た。



@@@@@@@@@



 次の日、ツクヨ家にある書面が届いたと聞き、ユキは急いで二階の自室から一階のフロアへ降りた。誰からの書面か、そんなことは確認しなくてもユキにはわかっていた。しかし、すでにユキの父であるベルク・ツクヨ男爵が書面に目を通している後ろ姿が目に入り、息が止まる。


 ベルクにはまだ婚約破棄の報告はしていない。


 昨日はユキ自身ショックが大きくて、報告まで気が回っていなかったのだ。

 見ると使用人たちが一階フロアに集まっている。誰からの書面なのか、皆知っていて見物にきたのだろう。すると、ぐしゃりと書面を握り潰す音がベルクの方から聞こえ、思わずユキはビクリと肩を揺らした。

 何か言わなければ。

 震える唇を動かそうとした時、頬を抉るような衝撃が走り、ユキは床に倒れこんだ。周りの使用人たちから上がる悲鳴がヒリヒリと痛む頬にまで響き、抑え込むように頬に手をあてた。


「貴様!! スバル殿下に何をしたのだ!?」


 フロア全体を揺らすような叱責に、ユキは腰まである煉瓦色の長い髪を床にすらせながらゆっくりと背を立て、茫然とベルクを見上げた。いつもは細い目も今は大きく見開かれ、ユキとよく似た赤みの強い髪は燃えているかのように見える。赤くなっている拳をわなわなと震わせているのが見え、父に殴られたのだとやっとユキはぼうっとした頭で理解した。

 この人は怒っている。それはわかるのに、殴られたせいで頭が上手く働かない。弁解の言葉も涙すらも出てこない。ベルクは、なんの反応も見せない娘の胸倉を掴み上げた。ユキは息苦しさのあまり顔が歪む。その時、ベルクの独特なスパイスの香水の匂いが鼻についた。


「やっと手に入れた地位であったのに!! 貴様のような何ももたぬ女が役に立つ方法は一つ! 殿下に嫁ぐことだ! なのに、貴様はそれすら全うにこなせんとは! 恥を知れ! この私に泥を塗りおって……ッ!!」


 ベルクはユキを放り投げ、書面を床にたたきつけた。

 それは女の婚約者であった第二王子スバル・サラエル・ジ・コントラスからの婚約破棄状。

 ユキは、パラパラと舞い降りる白い紙たちを、冷たい床に座りこんだまま、ぼうっと眺める。そのうちの一枚が、ユキの真横にすべりこんだ。


『………なお、この婚約破棄はこちらの都合のものであり、ユキ・ツクヨに一切の不都合はなかった………』


 綺麗な文字で書かれた簡素な文。

 ユキは震える指先でそっと、文字をなぞった。

 この字は知っている。もらった手紙は少なかったけれど、嬉しくて何度もその手紙を見返した。何度も何度も。だから間違えるはずがない。これは、婚約者であった彼の字だ。

 いつだったか、ずっと見ていられるような綺麗な文字だと言ったことがある。その文面から、文字から、誠実さが伝わってくる、そんな文字だとも。

 なのに、この状況だからか、書面に綴られているのは、感情もない、事務的な文字に見える。不意に胸の奥から鋭い痛みが走り、顔が歪む。ユキは、唇を噛み、書面をぐしゃりと握りつぶした。


(都合……)


 これはきっと彼なりの気遣いなのだろう。

 本当はユキの責任であるけれど、表向きはこちらの都合にしてあげようという、ユキに対する最大限の慈悲。ユキの立場を悪くしないようにとそう考えたのだろう。

 実際はこのありさまだが。

 そのころベルクは、ぐるぐると爪を噛み苛つきながら歩き回っていた。


「しばらく外に出ることも許さんッ! 私は今から殿下の元にいき、釈明をしに王城に赴く。貴様の尻拭いをしてやるのだ。私に感謝しろッ!」


 そう言いながらベルクはユキの腹を蹴り上げた。胃袋を抉るように突き上げられ、一瞬息が吐けず、代わりに唾液が漏れ出した。


「お嬢様!」


 案じるように叫ぶ声が聞こえた。その声の主は取り囲む野次馬の中から必死に押し出すように出てきて、ユキに駆け寄ってきた。

 甘栗色の緩いウェーブのかかった髪に、若草色の瞳を持つ小動物を思わせる可愛らしい顔立ちをしたメイドは、ユキの専属のメイドのサヤだ。


「お嬢様……。大丈夫ですか……?」


 サヤはユキの背をさすり、心配そうに声をかける。しかしユキはゴホゴホとせき込むしかできず、サヤに顔を向ける余裕がなかった。するとベルクはそんなサヤの姿にふんっと鼻を鳴らした。


「丁度いい。そこのメイド、その女を一歩も部屋から出さずに監禁しろ。食事も一切与えるな」


「な……ッ!」


 あまりの命令にサヤは絶句していた。しかし、目の前の男はそんな反応を見ても、再度偉そうに鼻を鳴らした。


「私の言う事が聞けないのか? お前のようなみすぼらしいメイドなどすぐに娼館送りにすることもできるのだぞ」


 ベルクの脅しとも言える命令にサヤは息を飲み、周りも先ほどまでのざわめきを失い、黙り込んだ。


(愚か……都合……娼館……女……)


 そのころ、ユキは力のない瞳で今まで言われた数々の言葉を思い出した。


 なぜこのような不当な扱いをされねばならないのだろうか

 ユキが、父の気分を害してしまったからだろうか

 婚約者であったスバルに引き留めてくれるまでに愛されなかったからだろうか


 世襲制の強いこの国では、代々男児が家元を引き継ぐのが習いだ。

 爵位の持つ家柄に女として生まれると女は家の跡を継ぐことができず、どこかの家柄のよい男性のもとに嫁ぐ以外の道しかなく、そこに愛などという美しいものはない。家同士のそれぞれの思惑のみが存在する。


 そう男にとって女というのは政治的な駒なのだ。

 自分たちの都合の為だけに利用する、使い捨ての駒。

 夜会や舞踏会に顔を出し、愛想を振りまいて、時たま令嬢同士で蹴落としあう。

 そして決められた男性と交わり、子を産む。


 そう、だからなのだ。

 自分がこのように殴られるのも。父親から嫌われるのも。

 婚約者から見限られるのも。

 誰にも、愛されないのも

 全部自分が女で、自分がその世界の中でうまく立ち回れなかったからなのだ。

 すべて、自分が悪いのだ

 女の価値は、すべて男によって決められるのだから。


「いいか。貴様のような役に立たん女を今まで置いてやったのは殿下に見初められたからだということを忘れていないだろうな!? もしこれで撤回されなければお前をここから追い出すからなッ!」


「旦那様! それはあまりにも……ッ!」


「メイド風情が黙っていろ!!」


 家の主である男に怒鳴られ、サヤは委縮するように口を噤んだ。そしてベルクは未だになんも言わずに俯いてるユキに苛立ったように声をあげる。


「ふんッ、黙っているしか脳のない女が。せいぜいその切れない頭で殿下の機嫌をとる方法でも考えておくんだな」


 そう吐き捨て、その場を立ち去ろうとした。





 ────が


 頬に固いものが襲い、ベルクは後方に吹っ飛んだ。





「冗談じゃないッ!」



 ドガっと盛大な音を立て、床に受け身をとらずに叩きつけられたベルクは何が起こったかわからず殴られた頬を押さえた。

 ユキは拳を赤くして、床に転がった無様な男を睨むように見下ろす。ベルクは何が起こったのかわかっていないような顔でユキを見上げた。


「女女と好き勝手言って……ッ。その女をあてにしないと地位をもらえないなど、どちらが無能かわかったもんじゃない! いいですか!? あなたたちが私たちを支えているのではなく、私たちがッ、あなたたちをッ、支えてあげているのです!」


 そう言ってユキは、勢いよく目の前の男にビシッと指をさす。先ほど支えていたサヤも今では呆気にとられたように口を開き、同じように周りの使用人たちも突然人が変わったように怒鳴るユキの姿を見ていた。


 周りの視線が動揺していることなどものともせず、ユキは生まれて初めて沸き上がった感情に身を任せたまま吐き捨てた。


「それなのに、頑張ったのに、努力して、努力しても、あなたは絶対に私を認めてくれなかった……ッ!」


 ユキが覚えている限りこの父親に褒めてもらったのは、第二王子のお見合い相手に最初に選ばれたという知らせの時だけだ。

 今まで本当にこの人から愛情というものを感じたことがなかった。しかしだからこそ少しでも見てほしくて褒めてもらいたくて、マナーレッスンも経済の勉強も淑女としての立ち振る舞いも他の令嬢に比べて努力してきたという自負はある。

 それでもこの父親は、ユキを受け入れることは、ユキに優しくなることはなかった。


 だからユキは余計に、この父親に隷属することこそが価値だと思っていたのだ。

 父に褒められて、やっとユキという人間に価値が生まれると。

 けれど、実際はどうだ。この男は振り返るということもせず、ただただ自分の私腹を肥やすことしか考えていない。

 どこかで気づいていた。気づいていたけれど、あえて見ないふりをした。


 だって、なぜなら――……


 そこまで考えて頭を振る。


「もう、どうでもいいッ!」


 そう怒鳴りつけるユキを周りの使用人たちは呆気にとられたままだった。

 するとユキは体を反転させて、階段を上り自身の部屋にまるで道場破りかと見間違うかと思うほど勢いよく扉を開けた。そのあとを一足先に正気を取り戻したサヤはユキの後を追う。


「お、お嬢様……! どうなさるおつもりで!?」


 部屋に入ったサヤを横目で少し確認し、ユキはバッグに服を詰め込んでいった。


「もうここにはいられない。どこかに身を潜めます」


「ええ!? あてはあるのですか……!?」


「そんなものないわッ!」


「ええええ……!?」


 驚くサヤをよそにどんどんとドレスを積み込み、さらにクローゼットも開ける。


「とりあえず当面の目標は、あのバカ王子に一発嫌がらせをすることよ……!」


「え、はい!? バカ王子って……第二王子の、お嬢様の婚約者様でしょう……?」


「元! 婚約者! あんのバカ王子、私がどれだけ努力したかもしらないで……!」


 ユキは、この国の第二王子の最初のお見合い相手に選ばれた。

 なぜだかわからないが、男爵の地位の中でも下位にあるツクヨ家が王子のお見合い相手に選ばれる、それは父からすれば降って湧いた幸運だったのだ。ユキ自身もなぜ自分が選ばれたのか知らないし、わからない。


 しかしだからこそ、ユキはあの婚約者の隣に立つべく、これまで以上の努力を強いられた。まず、周りから認めてもらうため、夜会や舞踏会などの社交界の場で侯爵から男爵まで積極的に交流を行い、自分を知ってもらう機会を増やした。その際立ち振る舞いや話し方、王太子である婚約者を今後も支える意思を示し、教養もあるということも会話からにじませた。そうすることで周りから相応しい婚約者であるということを知らしめる。実際その行動が見合って周りからの貴族の権力者からは好印象だった。

 しかしその中でも面白くないと思うのが、婚約者候補であった令嬢たちとその家族だ。

 まず最初に起こったのは、ユキの良くない噂だった。

 『貴族のおじ様方を誘惑し、乱れた遊びをしている』『ある可愛いらしいと評判の男爵令嬢を嫉妬して隠れていじめている』などの噂が社交界で広がった。

 しかしユキはこれを冷静に対処した。噂の根源を探すなど不可能。ならばそれを払拭するだけの力量を見せつければいい。

 大きな行動をするとあえて疑われる恐れがある。なので何か特別なことはせずに、いつも通りに夜会をやり通す。そのうえで力を見せつけるのだ。そんなとき、舞踏会が行われ、この国の第二王子であり、ユキの婚約者であるスバルも参加した。舞踏会は身分の高い者から順番に踊っていく。もちろんスバルとユキは一番目、そして最も注目される場であった。舞踏会で大切なのは、美しさと華やかさ、そして圧倒的存在感。そのためにはスバルとの息の合った完璧な踊りを見せる必要があった。



 その時のことを思い出し、クローゼットに手を伸ばそうとしていたユキの手が止まった。


――――

―――――――――



 その日、いつも以上に緊張していた。今思い返しても体はがちがちだったと思う。


「緊張してんのかよ?」


 声をかけられはっと顔をあげる。ダンスはもう始まっていた。自身の身体を密着させて彼は踊りながら小声で声をかけてきた。顔をあげた先でスバルは、少し目を細め眉間に皺を寄せていた。不機嫌そうに見えるが、これが彼の標準だ。

 ユキは見透かされたことが恥ずかしく、踊りながら顔を逸らす。


「も、申し訳ございません……」


「……別に」


 このしゃべり方も王族としてはふさわしくないしゃべり方だが、公務ではちゃんと話しているし、このような不遜なしゃべり方になるのはユキの前だけだと知っている。それに何か特別なようなものを感じ、少しくすぐったい。

 しかし今は申し訳なさと不安でいっぱいだ。


(今周りからはどのように映っているのか……。ちゃんと相応しい婚約者として映っているのかしら。……あ、今ステップ間違えた……。どうしよう、もしダメだったら……)


 婚約が取り消しになるかもしれない

 そんな不安が胸を渦巻く。

 慣れたダンスステップも徐々にリズムが取れなくなっていく。


 身体が、思考がうまく働かない。

 足元がどこかふわふわしていて自分が躍っているのかわからなくなる。

 まるで真っ暗な空間を歩いているかのようだ。


 すると、ぐんっと上半身が後ろに傾く。


「……ッ⁉」


 腰に添えられたスバルの手でぐっと体重を支えられ、身体が地面に着くことは免れた。しかし上半身だけ体を逸らすような態勢からぐっと添えられていたもう一方の手で力強く引かれ、その反動で先ほどのダンスの態勢に戻った。


「な、なにを……⁉」


 犯人は目の前の婚約者だ。

 わざとこけさせるように足を絡め、ユキの態勢を崩したのだ。

 驚いてスバルの方を見上げると、口元を挑発的にあげ、めったに見れない彼のいたずらっぽい顔が見えた。

 それに胸がドクンと鳴った。


「しけた顔してるからだろうが」


 それはもう、本当にめったには見れない楽しそうな顔だった。笑った拍子に少し細める瞳が優しくて、灰色に近い青があまりに美しくて、一瞬ユキは見惚れた。ドキドキと先ほどとは違った意味で心臓が高鳴っているのを感じた。

 周りからは先ほどのアドリブのおかげか小さな歓声が聞こえる。それに少し耳を傾けていると、自分の体の力が抜けていることに気づいた。ユキはちらりとスバルの方を一瞥した。


 ――もしかして、リラックスさせようとした……?


 そう考えたとき、ぶわっと顔に熱が集まる。

 それを見られたくなくてまた俯く。

 

 ユキが緊張してがちがちになっていることを察して、わざと強引なアドリブを入れてユキの緊張をほぐそうとしてくれたのだろうか。

 優しい人だ。それに、そのことを悟らせないように悪態をつくことも忘れていない。

 気まぐれな、いたずらだとユキに思わせて気づかせないようにした。


「~~~ッ」


 わかりにくい。だからくすぐったいのだ、この人は。

 その日、無事ダンスを終えた。周りからは拍手喝采で褒めたたえられ、周りからユキに対する悪い噂は払拭された。しかしユキの踊りが普段通りに踊れたのはあのアドリブのおかげだったのは間違いない。

 自分の力で乗り切れなかったことは少し悔しかった。しかし知ってか知らずか、彼の行いで自分の悪評が吹き飛んだということが、彼に認められている気がしてユキの気持ちは舞い上がった。



――――

―――――――――



「お嬢様?」


 後ろから心配そうにサヤが声をかけてきて、はっと意識が戻る。

 アドリブを入れたときの彼のいたずらっぽい顔を思い出してしまい、少し胸が高鳴った。


『お前がある男爵令嬢を私の婚約者という立場を利用して、いじめていると噂になっているが……』


『お前が、その噂を払拭できなかったという事が問題なのだ』


 しかし先ほどの元・婚約者の言葉を思い出して、胸の高鳴りなど払拭するほどの怒りが湧いた。

 そう。確かにあのとき払拭させたのだ。

 しかし、どこからか再度噂が流れたのだ。

 あの注目する大きな舞台で華々しく披露したにも関わらずまたしてもだ。

 噂をまたしても広めさせるにはそれなりのリスクがある。大方味方につけたユキに対して、喧嘩を売るようなもの。バックにはそれぞれ高位の官職をもった者や大臣もいる。それに対してまたユキの悪評を撒くなど、自分の立場を悪くしているようなもの。自身の首を絞める自殺行為だ。

 だからこそ、ユキは戸惑ったのだ。

 こんなことは考えていなかった。しかし、ユキは放置した。

 多くの人を味方につけた。社交界でもユキの評判は上々だ。宮廷内でも高位の貴族たちにも好感を持たれている。噂を放置していても、いつかは消えるだろうと。

 しかし思っていたようにはいかなかった。

 なぜか噂は消えることはなく、しかしだからと言って周りの対応が大きく変化するわけでもなく、どこからかコロコロと小さく噂はまとわりついた。

 それが、どこか不気味だった。

 ユキにそんな噂のような事実はない。それならば誰かが意図的に流したとしか思えない。しかし今のユキの状態で噂を流すことで相手に何の得があるというのか。

 わからないからこそ、得体の知れなく、不気味なのだ。

 どうしようかと手をこまねいていたとき、あの婚約破棄だ。


 そのことを思い出し、わなわなと怒りが溢れてくる。


(確かに、手をこまねいていたし対処できなかった私も悪いのかもしれないけれど……。こんなふうにわけも聞かずに一方的に破棄しなくてもいいのではなくて……⁉)


 もっと話し合いとか相談とか、もっとこちらに寄り添ってくれてもよかったのではないのか。しかもあの男、いつもはもっと口が悪いのに、あの時だけは公の口調で話していた。突き放されたのだ。

 やはり、スバルも所詮はユキのことをただの道具としか思っていない。

 少しでも優しい人だと思った自分が馬鹿だった。

 初めて感情を露わにしたユキは、抑えが効かず怒り任せにクローゼットにかかっていたドレスを全部はぎ取る。繊細なドレス、そんな力任せにしてしまったからか一着だけドレスの裾が裂けてしまった。それに目を向けるとそれはあの舞踏会のときに着ていたドレスだった。ユキはそれを見て顔をしかめた。


「~~~ッこんなドレス売っぱらってやるッ! ああもうッ! 昨日まであんな王子に恋焦がれてた自分をぶん殴って差し上げたいところよッ!」


 そうだ。好きだったのだ。

 無愛想なところも、目つきの悪いところも、実は口が悪いところも、手先は器用な癖にどこか不器用なそんなところも、優しいくせに悪ぶるところも、気遣いをしたときに照れて顔を逸らす癖も。好きだったのだ。


 初めて会った五年前のあの日から。


 だから、父が自分のことをどう思っていたか気づいていても何もしなかったのは、利害が一致していたからだ。自分も彼と結婚したいと。

 純粋に彼に好かれたいと思っていた自分を思い出し、恥ずかしさにプルプルと体が震える。


「ああああああ……‼ もう腹が立ってきたッ! 絶対夜が寝れないぐらいの嫌がらせをしてやるッ‼ そうでないと気が済まないッ!」 


「お、お嬢様……」


 初めて見るユキの荒ぶりように追い付かないでいるサヤの横を通り、ユキはバックを持ち部屋から出た。そんなユキを慌ててサヤも追いかける。


 階段を降り切ると、ベルクがまだ痛みでうずくまっていた。おそらく人に殴られたこと自体生まれて初めてでショックから抜け出せていないのだろう。そんな父を軽蔑の眼差しで見下ろし、ユキは父のもとに降り立った。


「これはさっきのお返しッよッ‼」


 そう語気を強めながら茫然としているベルクの腹を先のとがったヒールでめり込むようにして蹴り上げた。すると、ベルクは口元から唾液を流しながら身もだえ、ゴロゴロと床に転がっていった。その無様ともいえる姿にかすかに口角をあげて、見下ろす。


「さようなら、お父様。お世話に……なったかどうかわかりませんが、おいしいご飯と服をいただいたことには感謝しますわ。どれもマナーついでの食事と第二王子様に見せる用でしたけれど」


 そう言ってユキは踵を返し、無駄に大きい玄関扉を開けた。

 門を出てバッグを片手に、暮らしてきた家を出た。

 ユキは大きく息を吸って、陽光の含んだ暖かい空気を肺一杯に吸い込んだ。


 気分がいい、ちょっとした爽快感がある。なんだかすっきりした気持ちだ。


 父を殴った後とは思えない爽やかな気持ちで、家から遠ざかるように歩いた。すると、後ろからパタパタと小刻みな足音が聞こえ、振り向いた。


「サヤ、あなたは別についてこなくていいのよ」


 そこには、先ほど心配してくれたメイドのサヤがいた。サヤは息を切らしながら、同じような大きなバッグを持ってユキに向き合った。


「いいえ! 先ほどのお嬢様の言葉に感動いたしました! それに私はお嬢様の専属メイド。どこに行こうが、何をしようがお嬢様についていきます」


 力強い言葉に、まっすぐな瞳に、ユキは思わず逸らしてしまう。


「……馬鹿ね。あの家にいればまだ楽できるのに……」


 これからあてもなく、お金だってない。そんな自分の人生に巻き込んでしまうほど、自分に価値などあるのだろうか。ずっと父から理不尽な暴力を受けていても、唯一そばにいて、心配してくれた、この優しい人を。そんな人を不幸にしてしまうのではないだろうか。

 するとサヤは首を振って、微笑んだ。いつもしてくれたみたいに、安心させるように、そっとユキの手に触れた。


「どれだけ楽でも、お嬢様がいなければあんな家、ゴミ屋敷と一緒です。私はお嬢様だから、あの家にいたのですよ? だから、私もついていきます」


「……馬鹿ね」


 今度は、困ったように微笑んでサヤの手を握り返した。


 さて、これからどうしようか。

 うーんとユキは空を見上げて考える。青い、澄み切った空が広がっている。

 青を見て思い出すのは一人しかいなかった。


 そのとき、頭の中ではじけるようにして浮かんだ突拍子もない計画。


「……」


 長い道のりになるだろう。もしかしたら挫折してしまうかもしれない。

 けれど、どうしてもやってみたい。


 ユキは、目を細めてサヤに笑いかけた。


「サヤ」


「はい、お嬢様」


 呼びかけるとサヤは首を傾げた。

 するとユキは、顔を近づけサヤの唇に人差し指をあてた。口を遮るような行動にサヤは驚いたように目を見開く。ユキはサヤの若草色の瞳に映りこむ自分の姿を見た。


 少し切れ長の目元に満月のような大きい目。大人の女性のような笑みを浮かべている自分の顔を見て、やっぱり似てないなと心の中で自嘲した。



「私の話、聞いてくれる?」





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