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TIKARA  作者: 南の二等星
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第四話 幽霊を信じるか? 2



前回の続きです。



 二人が会議室に入ると、迷路のように配置されたたくさんの長机と、青い布地のパイプ椅子、後ろの壁際にずらりと並べられた書棚が視界に飛び込んできた。そして、そのだだっ広い部屋の窓辺に一人、誰かが立っていた。学ランをまとったその後姿に、華世は見覚えがあった。


「瀬名くん?」


 振り向く男子生徒の横顔はどこか物憂げだ。夕陽の逆光を浴びて、その表情に影を落としている。瀬名雄吾が、華世と神崎を見つめていた。


「どうしたの? こんなところで」


 無駄に長い机を縫うように前進しつつ、華世が尋ねた。


「藤堂先輩に呼び出されたんだ。放課後、会議室に来いって。君たちこそどうしたの?」


「私たちは、明日の健康診断の会場作り。保健委員である私のお仕事ってわけね。柴田さんは、物に釣られたお手伝い」


 華世の方を横目で見やりつつ、神崎は愉快げに言った。華世は言い返そうと口を開いたが、強い冷静さがそれを押し留めた。


「今日、相方の宮本くんが風邪で休んだでしょ? 神崎さん一人じゃかわいそうだもの」


 華世がさりげなく弁解した直後、会議室のドアが大きな音を立てて開いた。部屋に足を踏み入れる男子生徒に、華世は見覚えがあった。委員会の帰り、華世をナンパし、藤堂から叱責を受けたあの森下という男だった。


「あ? 話が違うじゃねえか」


 あたりをキョロキョロしながら森下は言った。華世はなるべく、目を合わせないようにした。


「あんたが瀬名雄吾?」


 無造作なボサボサ頭をかきむしりながら、森下はゆっくりと三人の方へ近づいてきた。華世と神崎には興味すら無いようだった。


「この学校に、瀬名雄吾って名前の生徒が僕一人ならね。でも、僕はあなたを知らない」


 瀬名は、いかにも怪しい者を見るような怪訝な目つきで森下を見た。


「俺のことはどうだっていい。お前に話がある」


「僕にはない」


「お前の兄貴に関することだ」


 瀬名の横顔が恐怖で凍りつく様を、華世は間近で見つめていた。やがて、心の中で芽生えた感情が瀬名への憐みを生み、同時に、森下への怒りを生んだ。加速した血流が怒りを頭の方まで押し上げ、華世を一歩前進させていた。

 携帯電話のバイブ音が教室の空気を震わせたのは、華世が長年心の中に蓄えていた暴言を声にしようとした、その直前のことだった。


「え、失敗?」


 電話のディスプレイを疑うように覗き込みながら、森下が声を張り上げた。直後、華世たちのいる反対側のドアの隙間から、誰かが猛烈なスピードで教室の前を駆け抜けていくのがチラと見えた。

 廊下に響く大きな足音が段々と遠ざかり、聞こえなくなると、再び教室のドアが開かれた。スライドされるドアの向こう側に姿を現したのは、鬼山勝二だった。


「鬼山!」


 華世は思わず叫んでいた。その名を聞いた瞬間、夕暮れのオレンジ色に染まっていたはずの森下の顔が真っ青になった。


「き……鬼山?」


 後ろを振り返った森下の目には、その男の殺気立った眼がすぐ間近に見えていたはずだ。夕陽に照り返る鬼山の瞳は赤く燃え上がっているようだった。


「何でお前がここに……ぐえ」


 鬼山は森下の胸倉を高々とつかみ上げると、その猫背で小柄な男を軽々とドアの方まで投げ飛ばした。森下は奇妙な悲鳴を上げながら床を転がり、机の脚に頭をぶつけて止まった。


「さっさと失せろ」


 ヨロヨロとおぼつかなげに立ち上がる森下に向かって鬼山が言い放った。


「なんで……俺が……こんな目に」


 森下はしゃくり上げながら呟くと、情けない泣きっ面のまま会議室を飛び出していった。


「もう、何が何だかさっぱり分かんないよ」


 神崎が訴えかけるような声色で言った。思っていることは、みんな一緒だった。


「何でここへ来た?」


 静かに切り出す瀬名の姿は、彼なりの冷静な判断でこの状況を把握しようとしているように見えた。しかし、この二人が向き合うのなら話は別だ。森下が残していった不穏な空気に、更に拍車が掛かるだけだった。


「お前には関係ない」


 鬼山が答えた。何か隠しているのは明らかだった。


「君がここを訪れる理由なんかなかったはずだ。それとも、たまたま通りかかっただけだとでも?」


「そんなところだ」


「さっきのあいつを知ってるんだろう? 答えろ」


「知らないな……さっき初めて会った」


「君は顔も知らない相手をいきなり投げ飛ばすのか?」


「挨拶代わりさ」


「真面目に答えろ」


「至って真面目だよ、俺は。あんなアブラムシみたいな奴に、名刺を差し出す義理がどこにある?」


 まるで、笑うことを忘れてしまった人間同士で睨めっこをしているようだった。どちらも頭の回転が速いくせに、相手を憎み落とす語調も、その冗舌な口元も、“無駄”な争いを終わらせようとは考えないらしい。


「ねえ、子供のケンカじゃないんだから、もっと落ち着いて話してみようよ。ね?」


 華世は二人の間に向かって声を投げかけたが、どちらも聞く耳を持っていなかった。


「何を隠してる?」


 我を忘れたように、瀬名は食い下がり続けた。


「俺は何も隠してなんかない。お前には教える必要がないと、そう判断しただけだ」


「さっきの柏木先生とのやり取りは何だ? あの会話の意味するものは?」


「あれは警告だ。それ以外に意味なんかない」


「じゃあどうして……」


「くどい!」


 鬼山の太い声が会議室の隅々まで反響した。背後の窓が微かに音を立てた。


「言ったはずだ。詮索好きの向こう見ずは、いつか自分の身を滅ぼすと。何も知らない奴は、大人しくしてればいいんだ」


 言って、鬼山は踵を返すと、ドアのところまで歩いていった。教室を出るギリギリ手前まで来た時、鬼山は足を止めた。


「気をつけろ」


 小さく振り返りつつ、鬼山は言った。


「信用を乞う奴らはたくさんいる。まずは信じろ。相手がいつかボロを出すまで。そのうち、自分の身を守る術を見つけ出せるはずだ」


 言い残して去っていく後姿を、三人はただ黙って見つめる他なかった。最後まで、鬼山が胸の内に秘める真実を口にすることはなかった。



 結局、呼び出した本人であるはずの藤堂は姿を見せず、女の子二人では心配だからと、健康診断の会場作りを瀬名も一緒に手伝うことになった。


「ずっと疑問だった」


 長机を折り畳み、教室の隅の方へせっせと運びながら、瀬名は言った。


「何のこと?」


 見取り図のようなものを広げながら神崎が聞いた。神崎は先ほどから指示を送るだけで、重たい物運びは瀬名と華世に任せっきりだった。


「さっきの休み時間、教室で僕の兄のことを指摘されそうになった時の、鬼山の態度のこと」


「確かに変よね。いくら睡眠を妨害されたからって、立ち上がってガン飛ばさなくたっていいのに。それに、休み時間に教室が騒がしいのはあいつも承知の上だろうし」


「僕が思うに……こんなこと認めたくはないけど、僕をかばってくれたような気がしてならないんだ」


 華世はそんなバカなと思ったが、言われてみると、あながち瀬名の考えもハズレではないのかもしれない。


「あいつ、不器用だからさ。根はいい奴なんだけど、感情を表に出すのがヘタなのよね」


「例えそうだったとしても、鬼山くんが瀬名くんを助ける理由なんかあるの? 二人って犬猿の仲なんでしょ?」


「でも……たった一つだけ、思い当たる節がある」


 最後の一つを運び終え、開かれた空間の真ん前まで進み出ると、瀬名は深刻な表情と声色で囁いた。華世と神崎は、瀬名をまじまじと見つめた。


「もしかしたら、鬼山は兄である瀬名大吾のことを知ってるかもしれない」


 瀬名を見ている内、華世はどこか不審な点に気がついた。そこは、瀬名の背後にそそり立つ書棚の一つだった。ガラス戸の中の、不自然に倒れた本の下で、赤い小さな光が定期的に点滅している。


「ちょっと……何あれ」


 瀬名と神崎が華世の指さす方を凝視した。微動する指先の向こうに、こちらを見つめる何かが身を潜めているのは確かだった。

 勇ましい足取りで書棚に近づいていく瀬名が、やがて言った。


「ビデオカメラだ。どうやら、ずっとコイツに見られてたらしい」



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