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TIKARA  作者: 南の二等星
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第一話 不良は生ゴミだ






 春風そよぐ、絵に描いたような陽気な天気に、あくびが止まらない。そこに桜並木があれば立ち止まって深呼吸するところだが、おあいにく、あるのは無愛想な電柱の佇立する姿だけだった。しかし、青空にぶら下がったその黒い電線にスズメが羽を休めれば、それだけで見る者の心が癒されるというものだ。

 今しがたリフレッシュされたその心が、持ち主である『柴田華世しばたかよ』の両足に未知なる力をみなぎらせたのは事実だった。住宅街を横断する足取りは空を飛べそうなほど軽快で、宙に蹴り出される足先は履いている靴を道の向こうへ放り投げんばかりだった。

 公園脇の歩道にひっそりとたたずむ、青いバス停が見えてきた。通勤ラッシュ前の時刻を狙ったので、他にバスを待っていたのは長身の男子高校生が一人だけだった。まとわれた学ランのその上で、明るくきらめく茶髪が風に吹かれてなびいている。


「よう」


 華世は挨拶したが、男は眠たそうな瞳をパチパチさせるだけで、こちらには見向きもしなかった。


「クラス、また同じだといいね」


 華世は男の横顔を見上げながら尚も続けたが、やはり男は黙ったままだった。その眠気を帯びた表情は、背後にそそり立つ電柱よりも無愛想に見えた。


「担任の先生、もういじめちゃダメだよ」


 カバンから手鏡を取り出し、チラと自分の顔を覗き込みながら華世は囁いた。その鏡に映るのは、十六歳・高校二年生、柴田華世という名の女の子だった。良いとも悪いとも言えない顔立ちに、決して人には自慢できないほどのスタイル(他校では「カワイイ」と評判の良いこのセーラー服も、彼女にとっては無慈悲なものだった。華世がどんなにうまく着こなしても、それは、チワワにウエディングドレスのコスプレを強要させるのと同じことだった)。腰まで伸びた黒髪の、それなりにサラサラとした風な質感。歩けば何となく漂う香水の香り。

 だが、華世からしてみれば、こんな自分にはすでに“満足”なのである。目立つことを好むわけじゃなし、何より、普通が一番良いのだと認識している面では、その方が気楽で無難だということを誰よりもよく理解しているつもりだった。


「沙希ちゃん元気? 久しぶりに会いたいなあ」


 男が相変わらず他人行儀を決め込むせいで、はたから見ると、華世は鏡の中の自分と真顔で喋っているように見えたに違いない。

 華世は指先で前髪をでたらめにいじりながら、視線を男の方へゆっくりと泳がせた。ふと、男の右側の眼球と目が合った。


「あたしが今話しかけてる男って、鬼山勝二で間違いないんだよね?」


 嘘っぽく視線をそらした男に向かって、華世は追い打ちをかけた。その名を口にした途端、男の両肩がピクリと微動するのを、華世は見逃さなかった。


「ねえ、あんた鬼山勝二なんでしょ? どうなのよ、鬼山勝二」


 手鏡をカバンの奥に押し込みながら、華世はこれでもかとその名を連呼した。男はいよいよ根負けした。


「うるさい」


 男は短く、小さく、それでいて力強く言い放った。だが、我を忘れてはしゃぎまくる幼児に、そんな言葉はまったく通用しない。むしろこの場合、男の言葉は華世の悪戯心をくすぐる結果となった。


「鬼山勝二。鬼山勝二。鬼山勝二。き、や、ま、か、つ、じ!」


 華世は知っていた。この鬼山勝二という名の男は、こういった公共の場でその名を口にされることを恐れている。理由は一つ。自分が鬼山勝二であるということを他人に悟られてしまうからだ。


「黙れ。それ以上言ったら……」


「何? 殴るの? 噂に聞いてるよ。あんたのパンチって凄いんでしょ。ゲーセンのパンチングマシンを素手で殴って壊したとか」


「いつの話してんだよ」


 辺りをキョロキョロしながら鬼山が言った。幸いにも、バスを待っているのは鬼山と華世の二人だけだった。


「学校以外で俺の名前は呼ぶなって言っただろ。バカ」


「バカじゃないよ。わざとだもん。ムカついたから、思い知らせてやろうと思って」


 それから間もなく、二人の前に一台のバスが停まった。ドアが開くと、鬼山は華世から逃げるように急ぎ足でバスに乗り込んだ。


「俺のそばに寄るな」


 その背中を追った華世に、鬼山は振り返りざま、冷たくそう言った。


「分かったよ、フクロウ」


 華世は前の方の座席に、鬼山は一番後ろの座席に腰を下ろし、朝のひと気のないバスの中でそれぞれ沈黙した。

 華世は、鬼山のすげない態度にはもうとっくに慣れっこだった。鬼山勝二は、世間一般に『不良』と呼ばれる輩だった。それも筋金入りで、相当タチの悪いところまで来てしまっている。これはあくまでも噂だが、麻薬の流通経路と直接関わりのある暴力団と接触しているという話も、華世の耳には届いていた。

 だが、華世がそのことを鬼山本人に確認することはとても難儀だった。鬼山がそのことを認めれば、それは噂ではなく事実となる。華世がもっとも恐れているのはその点だった。

 華世と鬼山の出会いは、もう十年以上も前にさかのぼる。つまり、華世に言わせれば幼馴染で、鬼山に言わせればただの腐れ縁。小学校、中学校、高校と、同じ道を歩み、同じ環境で勉学に励み、そして、一度として違うクラスになることなどなかった。不思議な偶然だが、それは紛れもない事実だった。

 ののしり合ったり、励まし合ったり、時には救いの言葉で慰め合うことも、過去にはあった。高校へ進学してからは話すことも少なくなったが、それでも華世にとって、鬼山という男がかけがえのない存在であるのは確かなのだ。

 そんな鬼山に、麻薬の売買や暴力団との関係を聞いてみようだなんて、そんなことは絶対に有り得ない。例え寝言で口走ってしまったとしても、その先にあるのは絶望だけだ。

 今の鬼山との関係を維持していくには、互いに相手のことを深く詮索しないこと……窓の外を流れていく建物の様をぼんやりと眺めながら、華世はそのことを再認識するのだった。



 バスを降りても、二人の間に会話はなかった。しかし、これはいつものことだった。鬼山曰く、「何が起こるか分からないから、外を歩く時は俺の半径五メートル以内に近寄るな」ということらしい。

 まったくバカげた話だが、以前、街中で鬼山が他校の生徒たち(要するに、この生徒らも不良という類だが)と睨みあいの冷戦状態になった時や、前々から目をつけられていたらしいヤクザの皆さんに声をかけられた時なんかは、その五メートルという距離を駆使して、よく“赤の他人”を決め込んだものだった。

 誰かにそんな話をすれば、「だったら一緒に歩くなよ」と文句をぶつけられるところだろうが、華世には、鬼山勝二という人間以外に、一緒に歩きたいと思う友人はいなかった。人前で鬼山を“友人”と呼ぶことはまずなかったが、クラスのみんなが、華世と鬼山の密接な関係を知っている。幼馴染(一部、ただの腐れ縁)だということや、親しげに会話する光景なんかも幾度か目撃されている。

 クラスメートが……いや、教師を含めた学校中の多くの人間が、鬼山勝二を恐れ、近づこうとしなかった。誰からも恐れられた男を相手に、平然とした面持ちで会話ができる柴田華世を、みんな「すげえ。度胸あるよなあ」と認めていた。しかし反面、鬼山と同様、誰も華世に話しかけなくなってしまったのは、変えようのない真実だ。いじめられているわけではないが、関わりたくないがための、ほとんど無視の状態である。高校入学当初から、彼女を取り巻く環境のリズムに変化はない。


 「クラス名簿だ」


 校舎前にある背の低い階段を登り切ると、おもむろに鬼山がそう言った。ガラス製の玄関扉はほとんど白一色だった。張り出された白い用紙の中に整然と並べられた生徒たちの名前が、「早く私を見つけてくれ」とばかりに、見る者の瞳に訴えかけてくる。


「あたしの名前、どこにある?」


 華世は階段を登りきる手前で立ち止まり、熱心に名簿を覗き込んでいる鬼山の後姿にそう言葉を投げかけた。かつて、鬼山と違うクラスになったことがない華世にとって、今はまさに緊張のひと時だった。おそらく、自分の名前に怯えてしまうなんて話は、後にも先にも聞くことはないだろう。


『嗚呼、神様! どうか、鬼山勝二と同じクラスにしてください!』


 心の中で天に向かって手を合わせながら、華世は魂を込めて合掌した。一人の不良男児を取るか、たくさんの友人を取るか……華世は、迷わずして鬼山勝二を選んだ。


「おい」


 突然、華世のつむじに鬼山の声が降り注いだ。ぼーっとしている華世を見兼ねて、鬼山が声をかけたらしい。


「さっさと行くぞ。二年五組だ」


 あくび混じりに鬼山が言った。


「え……?」


 鬼山を押しのけ、華世は二年五組の名簿へと急いだ。次第に、ひざが震えだした。


「二年五組……男子四番『鬼山勝二』……女子十番『柴田華世』……女子十番『柴田華世』……男子四番『鬼山勝二』……二年五組……」


 上から下へ、下から上へ、舐めるように名前をなぞり、穴の開くほど名簿を見つめた末、華世の強張った表情に安堵の色が広がった。嬉しさの余り、ケータイ電話で記念撮影したくなる衝動を何とか抑えながら、華世は名簿の前で思いっきりガッツポーズした。


「君も五組? 僕と同じクラスだね」


 華世のすぐ脇に、男の子が一人立っていた。華世はグーにしていた右手をカバンの中へと突っ込んだ。


「はい? あ……ええ、そうね」


 名簿と男の子を交互に見つめながら、華世は動揺を隠しきれずにそう言った。そんな華世の姿を見て、その男子生徒はクスッと笑った。


「何やってんだ。早く……」


 背後から聞こえてきた眠そうな太いイライラ声は、途中でその言葉をプツンと切った。華世が振り向くと、怪訝な表情で男の子を観察する鬼山の顔がそこにあった。


「初めまして。僕は瀬名雄吾。卒業までの二年間、どうぞよろしく」


 気さくな調子で挨拶する瀬名雄吾の紳士っぷりは、まさに大人顔負けだった。寝癖とは遠く無縁な整えられた髪の毛、シワ一つ見当たらない制服。ピカピカに磨き上げられた皮靴に、華世の半ば呆然とした表情がくっきりと明瞭だ。その熱い眼差しに、華世は釘づけにされてしまった。


「せな、ゆうご……?」


 鬼山がぼそりと呟いた。


「あたしたちと同じ二年五組なんだって、鬼山」


「鬼山……君もしかして、あの鬼山勝二?」


 誰もが恐れるその名を、瀬名はついうっかり、声に出してしまったようだ。鬼山はグイっとアゴを突き出し、刃の切っ先のような鋭い視線をぶっつけながら、こう言った。


「それがどうした?」


 この学校を出入りするまともな人間なら、この睨みと言葉の鬼山コンボでイチコロだっただろう。運良く失神しなくて済んだ者は、命からがらどこかへ逃げおおせるはずだ。だがこの瀬名という男は、そのどちらの行動も選択しなかった。


「僕は君を知ってるぞ。不良たちの間では、他校からも悪名高い鬼山勝二だな? 一年生の頃から、君の噂はよく耳に入れてる」


 そのひるみのない笑顔からは、瀬名に宿るたっぷりの自身と力がにじみ出ているように見えた。


「俺はお前なんか知らない。興味もない。消えろ」


「君に言われなくても、そうさせてもらうよ。僕はこれから職員室に用があるから」


 華世は二人の間に立って肩を縮ませていた。双方を追いかける両目の機敏な運動は、テニスの激しいラリーを観戦しているような様だった。


「あんたって、ケンカ相手を見つけ出す天才なのね」


 軍隊さながら、華麗な回れ右を披露してその場を去っていく瀬名の後姿を見届けながら、華世は呆れ声でそう感服した。


「単に、ケンカする口実作りに余念がないだけかもしれないけど」


 華世は言ったが、それは独り言に終わった。瀬名が完全にいなくなったのを確認した鬼山は、もうとっくに校舎の中だった。



 華世にとって新たな学び舎となる二年五組は、とても日当たりの良い、だだっ広い空虚な校庭の見渡せる教室だった。華世と鬼山の他に生徒の気配はなく、廊下へ顔を突き出しても、どこか遠くの方から足音が聞こえるだけで、やはり誰もいなかった。


「さっきの子……瀬名くんだっけ? まだ戻って来ないね」


 話しかけてみたものの、鬼山はその大きな図体を小さな机に沈めて、眠りについていた。学校において、鬼山との間に会話が成立しない大きな理由の一つがこれだった。鬼山は昼食時以外の時間のほとんどを睡眠に当てていた。それも居眠りとか、仮眠とかいう域ではない。完全に熟睡なのだ。まともな人間が布団にくるまって眠るのと同じで、鬼山にとって教室の椅子と机は、枕と掛け布団も同然の扱いなのだ。


「二年生に進級してもそうなっちゃうわけ?」


 華世は小さな寝息を立てる鬼山に向かって文句を言ったが、無論、応答はない。返事の代わりに頭がコクンとうなだれただけだった。しかし、華世にとってはこれで良かったのだ。また同じクラスになれた……また鬼山の寝顔を見られる(ムカツクほど愛らしいその寝顔を)……それだけで、華世の心は嬉しさで満たされていくのだった。

 寝顔を見られたくない故に、普通の生徒なら机に突っ伏して眠り込むが、この男は違う。腕を組み、足を伸ばし、まるで俺を見てくれとばかりに顔を上げて眠るのだ。

 過去に、華世が鬼山本人から聞いた話では、これは言わば臨戦態勢なのだそうで、奇襲を受けてもすぐに戦闘へ持ち込めるスタイルなのだそうだ。しかも、これなら一見眠っているように見えないらしい(だがここで一番正直なのは、重たい頭が前へ後ろへと無意識の内に傾くことだろう)。

 鬼山がどれだけ熱を込めて豪語しようと、華世から言わせれば、「授業中に眠ったって、何のメリットも見出せないわね」ということだった。

 華世が自分の席へ腰を下ろしたちょうどその時、教室のドアが勢いよく開いた。ドア枠にピタリと納まっていたのは、用紙の束を両手に抱えた瀬名雄吾の姿だった。


「やあ」


 椅子に深く腰掛ける鬼山を見、そんな自分の姿を静かに見据える華世の姿を見た後、瀬名が誰に言うでもない口調でそう言葉を発した。


「さっきはどうも」


 後ろ足でドアを器用に閉めながら、瀬名は続けた。


「あ、あの……あたし、柴田っていいます。よろしくね」


 気付くと、華世は席から立ち上がり、不気味に上ずった声と、どんな表情をしているかも分からない顔で自己紹介していた。後になって気付いたことだが、華世がこの高校で鬼山以外の男子生徒とまともに話すのは、これが初めてだった。


「柴田さんは……その……彼の友達なの?」


 教壇の上にプリント用紙の束を落とし、横目でチラッと鬼山のことを窺いながら、瀬名は声を落としてそう尋ねた。


「友達っていうか、幼馴染っていうか……」


 これは恐るべき事態だった。ここでヘタに答えると、せっかくのお友達候補が一人消えてしまうことになる。それだけは絶対に避けなければならない。


「ただの腐れ縁……だろ?」


 返答に困っていた華世に、どこからか余計な助け舟が渡された。鬼山が目を覚ましていた。


「君……瀬名くん。あんまり俺らのこと、詮索しない方がいいと思うよ? バカ丸出しの向こう見ずだと、いつか自分の身を滅ぼすぞ」


 華世は鬼山を黙らせるのに、その動きの読めない唇を睨みつけるのに必死だった。だが、瀬名は華世が思っていた以上に、勇気のある男だった。


「へえ。暴走族でもけしかけるつもり?」


 瀬名は教壇から離れ、鬼山の前までゆっくり詰め寄りながらそう言った。


「そんな回りくどいことなんかしない。俺一人で十分だ」


「君なんか全然怖くない」


 瀬名が言い切った。その一言は、鬼山から次の言葉をあっさり奪ってしまうほど強烈だった。


「他のみんなは君を見ただけで震え上がったかもしれないけど、僕は違う。暴力には屈しないし、脅しにも乗らない。タバコ吹かして、酒あおって、ケンカして、それで強がってるつもり? 君みたいな不良を、世間では生ゴミって呼ぶんだ」


 鬼山が立ち上がり、華世が止めに入ろうと二人の元へ駆け寄った途端、折しも、再び教室のドアが開いた。

 グレーの背広に身を包んだ見知らぬ男が、教室へと足を踏み入れた。




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