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スマブラ  作者: 金木犀
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三話

 羽衣の衝撃な一言から時間が経ち、気がつけばおれは家に帰ってきていた。

 その間のクラスメイトの自己紹介やら教室の雰囲気だとか、そういうのがまるで夢を見ているようにふわふわしていて、気がついたら家へと帰宅していたのだ。


 なんだ。一体、何が起こった。


 頭の中はそのことばかりでほかのことなんて考えられなかった。

 今思い返してみても、自分の言動の何が悪かったのかわからない。

 わからないからどう挽回すればいいのかもわからない。

最悪だ。

「ごほっ、ごほっ、ま、さか、帰ってきてすぐにこんな事態になるなんて……!」

 苦しい咳をしながらも、頭を抱える。

 羽衣が結婚するとか、将来の果てない闇の向こうの出来事だと思っていたのに。

 帰ってきてそうそう、許嫁と結婚するとか。完全に予想外だ。

 もうちょっと心の準備というものがほしい。

 段階を踏んでほしい。

 もうちょっと兄としての威厳を保てる難易度でお願いしたい。

 これでは、

 

   なまえ:さくらい あいのすけ

 あにレベル:258(いもうとをれんあいたいしょうでみているよ)

   ぼうぐ:ぼろぬの

    ぶき:なし

アクセサリー:あやしいタオル(においをかぐとこうふんするよ)


っていう状態で、封印されし竜、インフィニティジャスティスフリーダムと闘うようなもんだ。


「はあはあ」

 息が荒くなり、視界がさっきから狭くて暗い。

 グルグルと目まいがして、頭はガンガンと割れるように痛む。

 心臓の鼓動が激しくて、全身から汗がドクドクとあふれ出してきていた。

 筋肉もけいれんしていて、だんだんと激しくなってきている。 

「まずいなあ」

 ポケットに大事にしまったタオルを取り出し、タオルに染みついた香りを吸う。だがすでにその効力は失われていた。おれのHPはさながら毒におかされみるみる内に減っていくゲージのよう。ピーコンピーコンという音までして、それが尽きるとゲームオーバーになっちゃう。人生というゲームが終了しちゃう!

 エマージェンシー! 皐月、皐月よおお!

 おれは暗くなる視界の中で、いわゆるのび太くんでいうドラえもんにあたる皐月えもんに連絡を取ることにする。

「……どうしたのあーすけ」

 一回のコール音もしていないのに皐月が電話に出た。

「はあはあ皐月い、あれをくれよお。あれがないと、ごほっ、おれもうだめなんだよ。頼むよ皐月い、おれにあれをくれよ。おまえのあれで、おれをたすけてくれよお」

「……もう一回、言って」

「ごほっ、ごほっ。だから、おれはおまえが必要なんだよ皐月い。いま、おれはおまえがどうしようもなく、……ほしいんだ」

「……もう一回」

「皐月、お前の、あれが、ごほごほっ! ほ、ほしいんだ」

「……」

「皐月?」

「……ごめん。ちょっと、今の言葉でエクスタシーを覚えていただけ。気にしないで」

「ご、ごほっ。それよりも、はやくなんとかしてくれよ」

「……そう。忘れていた。今、頭が真っ白になっていたから」

「おいおい。お前らしくないな。大丈夫かっごほっ」

「……タオルはまだ用意できてない。必要がないと思っていたから。用意しようと思っていなかった」

「な、なんだって!」

 じゃあ、おれはもう助からないのか。

 このおれが患っている不治の病は皐月が提供してくれるタオルがないと助からないというのに。

「はあはあごほっ。も、もう限界だ。どうしたんだ、おれ。修行しているときよりもごほっ、むしろ帰ってきてからのほうがひどくなってるみたいだ」

 今までは皐月に協力してもらって、羽衣が使用した直後のタオルを新鮮な状態で保存するため真空パックし、届けてもらっていたのだ。

 そして、そのタオルの匂いを嗅いだとたん、今までの症状が嘘みたいに治る。

 だが、そのタオルが無い今、おれのこの病を治す手立てはなかった。

 意識が遠のく。

 瞼が重くなっていく。

 どうやら年貢のおさめどきってやつがきたらしい。

 ああ、羽衣よ。

 最後にせめておまえの笑顔を見て、お兄ちゃんは死にたかったよ。

 ガクッ。

「……諦めるのはまだはやい。タオルはないけど、本体は近くにいる」

「はっ」

 その言葉に意識を持ち直す。

「だ、だが。どうする。羽衣はあれからおれの顔を一切見ないように距離を取っている。さっきも部屋に行ったんだが、ノックしてもうんともすんとも返事はないし出てくる気配がないんだ」

 部屋の中でなにやらゲームをやっているようだった。

 なにやら『あいのすけのばかあいのすけのばかあいのすけのばか』とつぶやいていて怖かった。

「……羽衣の衣服がありそうな場所、もしくは羽衣の残り香がありそうなとこにいけばいい。同じ家なんだから、そういう場所はいくらでもあるはず」

 混濁する意識の中で、皐月の言葉を聞く。

 羽衣の衣服がありそうな場所。羽衣の残り香がありそうなところ。

「羽衣の、衣服、ごほっ、ごほっ、の、のこり、が!」

 皐月の言葉がまだ続いているようだが、今のおれには余裕がなかった。

 フラフラと立ち上がり、羽衣の衣服と残り香がありそうな場所へと向かった。


 すなわち。

 お風呂場である。


 脳裏に、昨日の羽衣との一件が浮かんだのだ。あそこには羽衣がいたという強い認識がその場所へと向かわせていた。

 回らない思考の中で、お風呂場へと向かう脱衣所の扉を開ける。

 そしてお風呂場の脱衣所にある洗濯機の横に、確かにそれはあった。

 神々しいまでの光。

 七色の光をさえ帯びた、それは、まさに今のおれにとって救いの光に他ならない。

「はあはあごほっごほっはあはあはあごほっごほっごほっあはあはあはあはあはあああ!」

 おれは荒い息と激しい咳をしながら、目の前にある救いの光へと。

 おれはダイブした。

 それは一枚の布だった。

 模様は縞、ストライプである。

 本来は人目にはつかない用途で用いられるその布には、確かに羽衣の匂いがたくさん詰まっていた。

 その芳しき香りは地上のどんな花や果実よりも瑞々しく、地上の如何なるものも不可侵な神聖さを帯びていた。

 そう、いうなれば神話に出てくる失われし命の木。

 そして命の水。 

「すうううううううううう、はああああああああああ」

 呼吸する。

 まるでそれをむさぼり喰うように、吸っては吐いて、吸っては吐いて。

 一枚の布から感じる温もり。

 まるでついさっき脱いだばかりのような、人肌の温度。

 今まで失われていた自分の思考や体調がどんどん回復していくのがわかる。

 どれくらい、そうしていただろうか。

 あっという間にHPは全回復していた。

 だがその布から香る羽衣の匂いと温もりに、おれは恍惚とし、ただただこの至福の時間を一時も長く味わいたいと、そう思っていたのだが。

「な、なにやってる、の」

 あ、あれ。お、おれはいったい、何をやって。こ、ここは。

 かすれた声が近くで聞こえ、おれはようやく正気に戻る。

 その声の方向を見ると。

「へ、へ、へへへへ、へへ」

 羽衣が、バスタオルで身体を隠しながら、顔を真っ赤にして口をパクパクとさせていた。

 おそらくお風呂に入る直前だったのだろう。

 そして、その直前で、おれは脱衣所の扉を開けたのだ。

 羽衣が悲鳴をあげる間もなくおれはダイブしてしまったんだ。

 羽衣のパンツに。

 縞パンに。

 そしてそれは現在進行形だ。

 今もまだ、羽衣の目にはパンツの匂いを嗅ぐ兄の姿が鮮明に映っていることだろう。

 そして羽衣はようやく、一言。


「変態!」


 何も言い訳はできなかった。今のこの光景。どんなにあがいても、どんなに説明しても。

 それでも、無駄と知りつつも、おれは言い逃れするしかなかった。

「お、落ち着いてくれ。ま、まずは、おれの話を」

 だがもちろん、そんなおれの言葉を聞く道理があるはずもなく。

「い、いやああ! 変態! 気持ち悪い! 死んで! 死んでよおおおおおお!」


             ***


 座布団なしで正座。

 おれから距離を取りつつ、隣には羽衣も座っていた。というか壁に密着して座るのを隣と表現していいのか。完全完璧完膚なきまでに距離をとられている。それほどまでおれに対して嫌悪しているということだろう。死にたい。

 卓袱台をはさんで対面には親父が座っていて、おれに睨みを利かしていた。

「少々熱いパトスをはじけさせすぎてしまったようだな息子よ。なにか申し開きはあるか」

「……」

「愛之助」

 親父の隣に座る人物の凛とした声が、おれの名前を呼んだ。

 静かな物腰で、おれに穏やかな視線を送る女性。いつも親父の隣にいて、陰日向となって支える人物。

「まずは、なんでこんなことしたのか、話してほしいな」

 人を安心させるような声色。ぽわーんとした笑顔。

 何を隠そう、この人物がおれの母親、桜井 小春だ。

 その笑顔とほのぼのとした空気に触れ、緩みそうになる心を必死で引き締め、口を結ぶ。

「ふむ。ならば、まず事実の確認だ。おまえはお風呂に入ろうとしていた羽衣がいる脱衣所に入り、羽衣の履きたてパンツをクンカクンカした。相違ないな」

 グサッ、と鋭い言葉の刃が突き刺さる。

 いざ言葉にされると、自分のした行為の下劣さがはっきりわかる。

「ああ、親父たちが目撃した通りだ」

 だが、頷くしかない。事実を認めるしか、ないのだ。

「変態だな」「変態ですねー」と瞑目して言う親父に、ニコニコして同意する母親。

「しかも、『妹の』下着をクンカクンカしたわけだ。ほんと最悪最低の変質者だな」

「最悪最低の変質者ですねー」

 さらに、妹の部分を強調してくる。ピンポイントでおれの心を殺そうとする良い作戦である。さすがだぜ。

 全くその通りの言葉にぐうの音もでない。

 このまま警察に突き出されたって文句は言えない。

 おれのした行為はそれほどのことなのだから。

「そんな兄の犯罪行為を受けたわけだが、羽衣、なにか言いたい事あるか」

 その言葉にビクっと反応してしまう。

 ドクンドクンッと、心臓が暴れていた。

 今、羽衣はどんな表情でおれを見ているんだろうか。

 軽蔑した目で、見ているだろうか。そうだろうな。間違いなく嫌われたに違いない。嫌わないはずがない。ああ、おれはなんて最低で、最悪な人間なんだ!

「愛之助」

 おれを呼ぶ、羽衣の声。だがうまく顔を見れない。

「愛之助。こっちを見て」

 名前を呼ばれるたびに、自分が責められているように感じた。

 なんであんなことをしたのかと。

 ためらいつつも、おずおずと、顔を上げてみる。

 すると、羽衣は真剣な目で、おれを見てきていた。

「なんで、あんなこと、したの?」

 おれはもう耐えられなかった。

 

「すまん、羽衣!」


 気がつけば、おれは畳に這いつくばるように土下座していた。

「おれは、おれはやっぱり戻ってくるべきじゃなかったんだ。こんな、こんなことをするなんて。おれは、おれはほんと、兄失格だっ」

 言い捨てるように言うと、おれは立ち上がる。

「あ、愛之助!」

「おれはもうこの家にはいられない。出ていくよ。羽衣、ほんと、ごめんな。こんな情けない変態の兄で。こんなことにならないために修行したのに。まるっきり無駄だったみたいだ」

「出ていくって。な、なんで!」

「お前のためだよ。こんな兄と一緒の家にいたんじゃ、安心して住めないだろうが。こんなおぞましい兄が、一つ屋根の下にいるんだぞ? ははは、ほんと、ありえないよな」

羽衣はなぜか必死な形相で、

「いい加減にしてよ!」

 目から大粒の涙をこぼしながら、羽衣は叫んだ。

「なんで、なんでいつも、愛之助はそうなのよ! いつもいつも! なんで、なんでいっつもいっつもそうやって勝手に……! いいわよ、そんなにどっかにいきたいなら行っちゃえばいい! 二度と戻ってこなくていいからっ! 愛之助の、愛之助の――……馬鹿!」

 羽衣はそのまま、居間から出ていってしまった。

 羽衣の表情は本当に悲しそうで、そんな表情を自分がさせてしまったことが何より情けなかった。すべては自分のせいだ。

 本当に、こんな自分が嫌いだ。

「愛之助、本当に、出ていくつもりか」

 険しい表情の親父の問いに、頷く。

「そうか……」

 おれの言葉に、なにやら考え込む親父。確認するように、

「ほんとうに、それで、良いと思ってるのか?」

 親父は問いかけてきた。

「どういう意味だよ。それとも、こんな最低最悪の変質者と一つ屋根の下にいてもいいとでも?」

「お前はなにもわかっていないな。気づけ。お前は逃げているだけだ」

「そ、それは……。だがおれだってなあ、おれだって」

 思わず反論しようとした。

 おれだって、努力したんだと。

 でもそれは本当に醜い自己弁護で。

 言葉を口にはできなかった。

「わかっていないな」

 親父はそんなおれの心を見透かすようにそう言った。

「なにがだよ」

 イライラして、当たり散らすように聞いた。

「ふん。なんで儂がその問いに答えねばならん。儂は答えんぞ。自分で答えをみつけるがいい。ただこれだけは覚えておけ。羽衣の許嫁は『本当に強い者』しか認めん。そして明日、闘技場で、羽衣の許嫁候補を決めるための武闘大会を開くつもりだ」

「明日って」

「逃げ出した者に、儂のことをとやかく言う権利があると思っているのか?」

 眼光を鋭くし、おれの身の毛がよだつほど威圧する親父。おれの言葉をかたくなに拒んでいた。

「そうかよ……」

 おれはそんな親父に何も言えなかった。

 背を向け、そのまま家を出た。要するに、逃げたのだ。

 本当に、おれ、最低だな。

 

 一日が経過した。

 結局あのあとおれは家に戻れず、街中をうろうろするしかなかった。

 現在はショッピングセンターの中をうろうろしている。

 頭の中では今日行われる羽衣の許嫁候補を決める武闘大会のことでいっぱいだ。

 だけど、どうしようもなかった。

 あんなことをしてしまった以上。もう兄なんて思ってくれないだろう。

「馬鹿だよな、おれ。なんであんなことしちまったんだ」

 自己嫌悪でいっぱいだった。本当に、本当にこんな自分は嫌いなのだ。

 身勝手で、相手のことを少しも考えようとしない、この感情が。

「無駄だったな……。ほんと、修行で少しくらい強くなったってなんだってんだ」

 そう意味など無いのだ。

修行したのはあくまでも羽衣への感情を制御するためだ。

羽衣を護ることじゃない。

「タオルを必要としている時点で、だめだったんだろうな」

 根幹となる部分で、だめだったのだ。

 いくら表面でどうにかしようとしても、根本となる感情や衝動、そうした部分で負けていれば決して克服できたとはいえない。

 親父の手紙を受け取ったとき。

 本当は心のどこかでためらっていた。

 行ってはいけないと、どこかで分かっていたのだ。

 でも何とかなると自分の心に嘘をつき、言い訳した。

 その結果がこれだ。

 許嫁候補という出来事に簡単に動揺し、兄という自分の立ち位置を忘れ、羽衣を傷つけてしまった。羽衣のパンツをくんかくんかしてしまったのだ。

 しかも履きたてだ。許せることじゃない。羽衣が着用していたパンツをくんかくんかするなんて。そんな。

 ……。

 お、おっと。ちょっと思い出してしまっただけで、うへへとにやけてしまった。道行く人が不審者を見るように、通り過ぎていく。ち、ちがう! おれは不審者じゃないっ、少し妹の下着を嗅いだ時のことを思い出してにやけていただけだ!

「って、変態じゃないかあああああ!」


 だって、あれだよ。さっきまで自分を責めていたんだよ? なのに、ちょっと別のことを考えただけでこれって。

「やっぱり、おれは羽衣のそばにはいられないな」

 深いため息をつく。

 これ以上羽衣に嫌われないため、とりあえず、この街を出ることにしよう。

 その前に。

 皐月に今までの礼を込めて、さっき適当に見繕った熊のぬいぐるみをプレゼントしつつ、その代わりに羽衣のタオルをこれからも何とかして手に入れてくれるよう頼み込もう。そう考え、皐月の家に向かうことにしたのだった。


 街から外れた場所にある山の森を少し進んだ先にあるのが皐月の家の門だ。

 門といってもただの門ではない。城門だ。

 城壁とかについてるあれだ。

 伝説の神獣、朱雀をイメージしたのだろう門の装飾を眺めつつ、城壁に埋め込まれているインターフォンを押す。しかし古代の建築物なのにここだけ現代機器が設置されていると、なんだか間抜けに見えてしまうな、と思っていると巨大な門の扉がギイイと大きく音を立てて開く。

 さて誰が現れるのかと、少々身構える。

 デン!

 という効果音が一瞬聞こえてくるかと思った。

 扉の向こうからノソリと歩いてくる存在を見て、思わず背中から嫌な汗が流れ落ちる。

 頭にはバンダナを巻き、どこで売っているのかと疑うくらい見事な瓶底メガネ。

 背中には大きいリュックを背負っていた。

 とにかく存在感があった。

 思わず、たじろぐほどに。

 な、何者だ。ただ者じゃないぞ。

「うん? その顔、その姿。紛れもない熱き魂を抱きその曇りなき眼に映すことのできる唯一にして絶対の存在感を放つ人物。間違いない、我が魂の同胞、イズゴット・イグニドスではないかっ」

 猛士だった。

 なぜ猛士が皐月の家から出てくるのか。

 その答えは簡単だ。

 猛士は皐月の兄なのだ。信じられないことに。

「ところで、今日は愛しの我が君、羽衣殿と契りを結ばんとする存在を決める日ではないか。こんなところで油を売っていてもよいのか?」

「はあ? お前こそいいのかよ。もう羽衣は好きじゃないのか? 許嫁候補に名乗りを上げなくていいのかよ」

「我が愛しの姫君羽衣殿のことは今も変わらず心底からお慕いしておる。だが約束は約束だからな。ゆえに、我は涙を呑んで参加せず、これから別の戦場へと赴こうとしていたのだが……」

 別の戦場って。どこへ行こうとしてたんだこいつは。

「約束って……なんのだよ。それに、羽衣の心っておまえになにがわかるってんだ」

「ふむ……それは本気で言っているのか?」

「なんだよ」

「もう一度言うぞ」

 その時、空気が変わった。


「それは本気で言っているのか?」


 次の瞬間、猛士の全身から殺気が放たれた。

 猛士はリュックをゆっくりと地面に置いた。

 一瞬でできあがった戦闘前の気配に戸惑う。

「おいおい、なんだってんだよ急に」

「その様子だと、本気のようだな。で、なぜここにいる。まさかとは思うが、いかないつもりか?」

 口調もいつもの中二病のノリではなかった。詰問してくる猛士におれは言葉を濁す。

「な、なんのことだよ。どこにいくって」

「そうか……」

 誤魔化そうとするおれの返答を待たず、猛士は一度瞑目し、

「さすがに黙ってはおれんな」


 猛士の全身から黒い炎が立ち昇る。猛士が纏う領域だ。それもかなり濃い領域。

 領域によって頭に巻いていたパンダナは溶けるようにちぎれ、瓶底メガネは砕け散った。整った顔立ちを引き締め、まっすぐな瞳がおれを射抜いていた。

 見ただけで、猛士の実力の深さがわかる。おれと同等。いやそれ以上か。

「あの日の決闘の再現、今ここでさせてもらおう!」

 次の瞬間、膨れ上がった炎を爆散させるように距離を詰め、拳をおれの顔面に向け繰り出してきた。

「我が名は『呂布 猛士』! 最強と崇められし一族の末裔! 我が力、武技、とくと味わうがいい!」



 それはさながら火を噴きあげる暴風、竜巻だった。

 周囲にある木をなぎ倒し巻き込みながら猛士は襲い掛かってくる。

 おれは領域を発動させた。周囲に桜の花びらがひらひらと舞う。

 意識を自分の両腕に集中して、両腕を粉砕するが如き重い一撃を受け止める。

「ふ、久しぶりだっ! この高揚感! 滾る友情の炎! フハハハ!」

「なに勝手に始めておいて楽しんでるんだよっ! こっちは意味が分からねーんだよ」

「それを思い出させるために、我は今全力で、この拳を振るっているのだ! 無理やりにでも、思い出してもらうぞ同志よ!」

 猛士は真っ赤な炎が黒く染まるほど領域を深めた一撃を、おれの胴体に放ってきた。

 おれの領域を侵食し、灼けるような熱い拳でえぐられる感触。その衝撃を軽功で逸らしながら、吹っ飛ぶ。

 後ろにあった木の一本か二本を粉砕しつつ、体勢を立て直そうとおれが急ブレーキをかけた瞬間、もうすでに猛士はおれの顔面に向け飛び蹴りしようとしていた。

「ふん!」

 脳天を突き抜ける衝撃が走る。

 あまりにもあっけなく。

 おれは無様に倒れ伏す。

 今、さらに追撃されたら、何もできず受け入れるしかない。

 ジャリッと、おれの顔の近くまで歩いてくる音。

 すぐ近くで立ち止まった。

 しばらく無言が続いたあと、猛士はおれに向けポツリと言った。

「弱くなったな」

 たった一言。

 だけどその言葉が、突き刺さる。心臓の奥底まで届いた気がした。

「ふざけるなっ」

 土を握りしめる。

 許せなかった。

 おれは獣のように唸り声をあげた。

 怒りで、ろくに動かない身体を必死で動かし猛士に殴りかかった。

 だが、猛士は避けなかった。

 おれの右手から猛士の頬を貫く感触が伝わってくる。

「おまえになにがわかるっ! おれのなにがっ。この五年、どんなに苦しかったか。羽衣に会えなくて、死にもの狂いで修行した、この五年、無駄だったなんてそんなことあるかよっ。おれは、おれは弱くなんてなってねー」

 猛士の胸倉をつかみ、顔を寄せる。だが、猛士は眉一つ動かさず、ただおれをじっと見据えていた。その視線の真剣さに、思わずたじろぐ。

 胸倉をつかむ手が緩み、

「は、ははは。なに言ってんだ、おれ。そうだよな。おれは、おれは――弱い」

 力なくうなだれる。

「いいや、我が魂の同胞よ、貴方はなにもわかってない。五年前、同志は今よりももっと弱かった。なのに、あの時の同志は何度打ちのめされようが、我に立ち向かい、ついに我を倒すに至った。あの時の同志の強さはどこへ行ってしまったのだ」

 猛士の強い視線。

 一つ、思い当たる。

 だけど。それはすでに、あの時、あの瞬間になくなってしまっている。

 羽衣に振られた、あの瞬間に。

 あの時抱いた輝くような想いは、もう抱くことはできない。抱いてはいけないという意識の重みに押しつぶされ、色褪せ、醜い何かに変わってしまっている。

 心臓がドクンと、あの時の輝くような光を思い出して、切ない音を立てている。

 一切の曇りもない純粋な感情が、今は煤けて淀んで、ただ痛みを訴えている。

「どうすれば、よかったんだろうな」

「なあ、同志よ。あのとき、我らが何を賭けて闘ったのか本当に覚えていないのか」

「何って、あれだろ。羽衣に告白するってお前が言い出して」

 おれの言葉に猛士は首を振り、

「それはきっかけにしか過ぎない。同志が我の告白を止めようとした理由はそこじゃなかったのだ」

「へ?」


「同志が我と対決したのは、どちらが羽衣殿のことが一番好きか、それだけだっただろう」


「……あ」

 それは自分にとって当たり前のことだった。

 なのに、なぜだろう。

 さっき食らった一撃よりもはるかに大きい衝撃が、おれの脳裏を駆け抜けた。

「あのときの同志は、そう、だれよりも羽衣殿を想っていた。この想いは誰にも負けないという自信があった。そしてそれが同志の力であり、我との実力差を覆した力だった」

 猛士は、あの頃を思い出すように、空を見上げていた。

「我はあの時、認めてしまったのだ。心から、『この男には、勝てない』と」

 一言一言をいとおしくなぞるように、ゆっくりと言葉を紡いで、

「だから、我は約束してもらった」

 力を込めて『約束の言葉』を告げた。


「その想いを一生貫き、必ずやその思いで羽衣殿を幸せにする、とな」


 そう、だから、その約束を果たすため、おれはあの日、羽衣に告白したのだ。

「悪いな……。約束、全然果たせてない、ていうか、果たせそうに、ない」

 猛士の顔が見れず、おれは視線を地面に落とした。

「なぜだ?」

「なぜって……」

 決まっている。羽衣がそうなることを望んでいないからだ。

「その想いが、相手にとって気持ち悪いものでしかないなら、あきらめるしかないだろうが」

「ふむ、羽衣殿が、そう言ったのか」

「そうだよ」

 だから、兄として、羽衣を好きになろうと、奥底にあった一番熱い想いを殺そうとしたのだ。

「それで、同志は、あきらめられたのか。その想いを、捨てられたのか」

「え?」

「羽衣殿に、嫌われるくらいで、気持ち悪いと思われるくらいで、捨てられるような、そんな簡単な気持ちだったのか?」

 言われて、心が熱くなった。

 震えた。

 そうだ。わかっていたことじゃないか。

 おれはそれこそ必死で修行した。 

 そう、どんなに戦おうが、どんなに逃げようが、

「そんなわけ、あるかよ……!」

 この『羽衣が好きだ』っていう気持ちからは、逃げられなかった。勝てなかった。

 熱を帯びた目から涙がポロリポロリと、気が付けば流れ落ちていた。

「ふ、ならば、やることは一つしかあるまい。そもそも、なにをためらっているというのだ」

「え?」

「同志の想いを上回れない輩に、羽衣殿を託せるはずがなかろう?」

 にかっと猛士はさわやかなイケメンスマイルを浮かべていた。

 悔しいが、こんなにも素直に、ストンと、その言葉が胸から下に落ち、腹の底で熱を帯びた。

「ああ、そうだ! 少なくとも、おれを倒せるような相手じゃなければ、羽衣の許嫁候補など断じて認めん!」

「フハハハハハハ! ならば行け!」

「ああ!」

 高らかに笑う猛士の声。

 すっかり元気になったおれは、

「猛士、ありがとな!」

 それだけ言って、一目散に、駆け出す。羽衣のもとへと。

「ああ、そうだ言い忘れていたが、許嫁候補の中にはさ――……!」

 後ろで猛士が何かをまだ叫んでいるようだが、もはや立ち止まっている余裕はない。

 待ってろよ、羽衣!


 全速力で、羽衣のもとへと駆けた。



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