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二話
初めて、羽衣と出会ったときのことを今でも思い出せる。
『今日から、お前の妹になる羽衣だ。愛之助は、これから兄になるんだぞ。兄妹仲良くな』
親父の後ろに隠れて、恥ずかしそうにしている少女。
挨拶すると、隠れていた少女が顔だけおれに向けて、おれの顔をまじまじと見つめてきた。頬が赤く染まる。
「可愛い」と思わずこぼしたおれの言葉に反応して、少女は花が咲いたように笑って、
「お兄ちゃん」と舌足らずの発音で、呼んでくれた。
この笑顔を守りたいと思ったのはその時だったんだと思う。
多分、一目ぼれだったんだ。
目を覚ますと、障子から漏れる光が、雀のさえずりと共に朝を告げていた。
これは夢か? そういえば日本を離れ修行を始めた時期、すぐホームシックになって、何度もこんな夢を見たことを思い出す。
ほんと、当時見た夢そのまんまだな。夢では都合よく隣にはいつのまにかもぐりこんだ愛しの麗しきわが妹が寝ているんだけど。何気なく寝ぼけた頭で夢でそうしたように撫でてみる。
それに反応した吐息。すぐに寝息へと変わる。
ん? なんだ今の。
なんか今すごくリアルな感触が、などと思った瞬間、血圧急上昇。ドクンドクン。脈打つ鼓動とともにすっかり意識が覚醒し、チロリと視線を横に向けると、そこには。
――皐月が、雪の結晶に例えられるほど美しい顔と規則正しい寝息を立てながら、寝ていた。
「なんだよ、皐月か」
無表情な顔でおれに無防備な姿を見せるわが幼馴染の長い髪を撫でつつ、視線を正面、つまり天井に向き直ると、
――そこには絶世の美少女、この世界の争いを静めるファイナルウエポン的聖女が、その美しい眉毛をピクピクと震わせ、妖精さんが悪戯しているみたいに、口の端をヒクヒクさせていた。
「よ、よーっ羽衣、どうした? 目覚めのキッスでもしてくれるのかな?」
「んなことするかあああああああああ! 目え覚ましたんなら早く起きなさいよ!」
「なあ、羽衣、許してくれって」
「半径10メートル以内に入ってこないで変態! 朝っぱらから不潔よ、不潔」
「がーん。そ、そんなあ」
よろめき、フラフラと倒れそうになる。
「ああ、もう動揺しすぎ! そんな、落ち込むな!」
おれから距離を取るように前を歩いていた羽衣だったが、振り返って、落ち込むおれを指さした。あの後、着替えやら洗顔やら、食事やらと、やたらと羽衣にせっつかれて、現在おれたちは学校へと向かう路地を歩いている。
「大体、昨日のこともわたしは許してないんだからね!」
「ふ、不可抗力なのにい」
「ふん」
プイと前を向く羽衣。「そ、そんなあ」とあまりのショックに地面に膝をつく。そんなおれを慰めるように、よしよしと頭を撫でてくる皐月。
「……大丈夫?」
まだ俺の体が心配なのか、無表情で皐月が聞いてくる。
昨日どうやら俺は鼻血を噴き出し出血大量の意識不明にまでなったらしい。幸い、皐月の迅速な応急処置のおかげで、命に関しては事なきを得たのだった。その際、俺の体を温めるため、同衾までしてくれたらしい。それがなぜか羽衣の怒りを招いたわけだけど、おれにとっては命の恩人には違いない。
「大丈夫だ、ありがとな」
幼馴染に心からのお礼を言うと『ん』と短い返答だけが返ってきた。全くこの幼馴染には感謝してもしきれない。そうだな、皐月は確か可愛いものに目が無い。今度、適当なぬいぐるみでも見繕ってプレゼントしよう。
そんなことを考える俺に、じろーっとした目で見てくる羽衣。
「なんだよ、羽衣?」
「別に」
プイと視線をそらし、前へと向き直った。全然、『別に』じゃないような表情と声色だった。仏頂面で、でもそんな顔や声も超かわいい、おれの妹マジ天使。
羽衣は皐月とは正反対で、喜怒哀楽がはっきりしている。この空みたいに、コロコロとその表情を変えるのが、桜井羽衣なのだ。
まだ新しい制服が初々しく、淡い桜色のブレザーに浅黄色のプリーツスカートも、覗くまぶしい絶対領域、肌を隠しているはずの白ニーハイさえも破壊力抜群の可愛さだった。
はあはあと荒い息がもれる。「……あーすけ、鼻血出てるから。あとこれ以上血を流すと死ぬよ?」とおれの鼻にティッシュを詰め込んでくる皐月、優しい。
「み、身の危険を感じる」
前を向いていた羽衣がゾクリと身を震わせ、風で美しく踊る長い髪を抑えながら、後ろを振り向いて言ってきた。
「気、キノセイダヨ」
思わず片言になりながら、ポケットに大事にしまったタオルの匂いを嗅ぐ。
「――あれ? その」
「羽衣、制服とっても似合っている」
皐月が羽衣の注意をそらすようにおれの前へと進み出てくれた。その前に軽く脇腹を小突いてくれたので、おれは無意識にタオルの匂いを嗅いでいたことに気づいた。
あせあせとタオルを制服のポケットにしまう。
「そ、そうですか? ありがとうございます、皐月さん。でも正直、皐月さんの方が似合っているので、羨ましいです。制服にその瑠璃色の髪が合っているので」
嬉しそうにしながら、皐月の胸を見て一瞬落ち込んだのをおれは見過ごさなかった。というのも妹はまだ発展途上という感じで、制服の上からは目立つことはないが、皐月はそれとは対照的なまでにボリュームある胸をしているのである。ほんとは髪というよりも胸の方がうらやましいのに、それを隠すおれの妹可愛い。めっちゃ可愛い。
そんなおれの視線をまたもや感じ取ったのか、今度は殺気を込めた視線が注がれた。
なに、羽衣、もしかしてなんかのセンサー持ってるの?
「なにか、言いたいことでもあるの?」
ヒイという声が思わず漏れる。誤魔化すため、咄嗟に思ったことを口に出す。
「あー、そういえば羽衣ってちっちゃな頃はショートとかセミロングが多かったのに、腰まで届くほど長い髪にするなんてことなかったよな」
「なによ、急に」
「いやー、ロングもいいなあ、って思って」
「そう、まあ、ありがと」
皐月がフォローするように言った。
「羽衣は天邪鬼だから。昨日もあーすけが倒れたあと――」
「ああ、皐月さん、うそうそ、それは言わないでえ」
顔を真っ赤にして、そんな皐月の言葉を止めにかかる羽衣。ほとんど体当たりに近い。結構なりふり構わない様子に、興味を引かれた。
「なんだ、倒れたあと、何があったんだ」
「なんにもない! なんにもないから!」
あわわ、と何やら慌てふためく羽衣、
「きもいとおもっただけ! 鼻血出して、その後処理とか大変だったんだよ、本当に。もう最悪だったんだから」
それを聞いて無様に倒れ伏し、鼻血を噴いて倒れた自分の姿を思い描く。うん、我ながらきもい。きもいどころじゃない、不審な人物が風呂場に突然現れ、勝手に鼻血出して倒れて、それが兄で……。なにが悲しくて、そんな兄の流した鼻血の後処理をしなければならんのか、まさに最悪な光景が広がったことは容易に想像できてしまう。そしてそれゆえにその時に感じた妹の感情も容易に想像できるわけで、ああ、おれの馬鹿!
ただでさえ兄というのは妹に生理的に嫌われるとどっかで聞いたことあるというのに、再会の瞬間から印象最悪じゃないか!
絶望した! この世界のすべてに絶望した!
あまりの絶望に涙を流して地面に倒れ伏す。
「うわ、きもい……」
そんなおれを見て羽衣がこぼした言葉が辛辣で、さらなる傷を負う、マイハート。
「あんなに泣いてたのに」
と皐月がつぶやくように言うと、羽衣はまたもや慌てふためいた。
「はうっ! え、えっと、ああ! そうなの、もう気持ち悪くて気持ち悪くて涙が止まらなくて、もう死ねばいいのにとか思った!」
「うえええええん」
あまりのショックに、車が通っていたら撥ねられるために飛び出しそうだった。
「羽衣がお兄ちゃんって言ってくれないいいい」
愛之助って、そんな。他人行儀な。
まるでおれが家族の一員じゃないみたいじゃないか!
「そっちなんだ! わたしほかにひどいこといっぱい言ったのに!? し、死ねとか言っちゃたのに!」
「羽衣、可愛い」と皐月が無表情で言うのを聞きつつ。
あれ、よく考えれば、愛之助って呼ばれるのも悪くないかもなんて思っていた。恋人同士みたいで。でへ。
***
そんなこんなで大きな十字路交差点を渡った先に、これからおれが通うことになる高校が建っていた。
――『桜花閃乱学園』、それが今日からおれが通う高校の名前だ。
その歴史は江戸時代まで遡る。何でも元は寺子屋兼桜井家の道場だったらしい。由緒ある高校なのだけど。その外見はというと。
「普通だな」
そこには何の変哲もないどこにでもありそうな鉄筋コンクリートで作られた校舎が見えた。
「まあ、そうだよね。とりあえず、この校門潜っても驚かないでよ。愛之助は必要以上に驚きそうだから」
ちょっと悪戯するような笑みを浮かべるとさっさと羽衣は校舎の中へと入っていく。
「うん?」
羽衣が校門に入っていく瞬間、空間の揺らぎを感じた。
「気づいた?」
無表情な顔で皐月が何かを試すように聞いてきた。
「なるほどね。異空間へと通じる門ってわけだ」
人によっては聖域とか、霊域とか、桃源郷とか、他にも色んな呼び方があるが、それらの元となったのが、実はこの異空間だと言われている。
神隠しと言われる現象がある。ある日突然人が消えてしまうという現象だが、その元凶が、実はこれだ。
達人となったものが操る『領域』は、なにも人間だけが操ることのできる超自然的な力というわけではない。
森羅万象、様々な理の中の一つであり、この現象は自然界が造り出した『領域』なのだ。
だがその領域を認識するためには素質が必要になってくる。
素質のない者はいくら努力したところで、認識することはできない。
そして、素質の無い人間、つまり第六感を持たない存在が、不用意にこの領域に入ってしまえば二度と戻ってこられないことだってある。
それが神隠しの正体。
寺院や、神社などは、そうした領域から人を守るために存在するようになったらしい。
領域の理を知覚するだけでなく、把握し、管理し、その領域に入れる一部の人間だけ出入りできるようにしている。
もしもその領域に通常の人間が入っても危険が無いように、領域に『細工』をし、通常の空間と変わらないように『見せかけている』のだ。
そうした領域のことを認識できる人間は、この地球にいつのまにか存在していた領域のことを、畏敬の念を込めてこう呼ぶ。『ピースオブエデン(エデンの欠片)』と。ちなみに、名前が長ったらしいので、普通は『エデン』と略す。
安定して自然と存在する領域『ピースオブエデン』というものはそうあるものではないので、それをまさかおれの親父が管理しているとは。
「……あーすけ」
「うん?」
「ようこそ、桜花閃乱学園に。これから、よろしく」
無表情な顔をほんのちょっと崩して微笑んでいるつもりなんだろう、皐月の言葉。
そんな皐月におれは笑顔で返事する。
「おう! よろしくな、先輩!」
……ちなみに、おれは修行中、高校などというものとは無縁の生活を送っていたので、当然ながら一年生としてこの学校に通うことになる。同じ年の皐月は一つ上の上級生というわけだ。うう、おれ以外みんな年下とか、緊張する。だけど、まあ、うん。
意図したわけではないが結果的に、羽衣と同級生になれるわけで。
正直、ラッキー!
肌をざわりと撫でられるような、小さな違和感とともに校門を通り抜けると、そこは別世界だった。
さっきまで見えた無機質なコンクリートでできた校舎は消え失せ、代わりに見えたのは、エレベスト級の山々を背景にして、どこまで達するのかと思うほど高い塔に、ギリシャの遺跡にありそうな、石柱がそびえ立つ建物がちらほらと目についた。
そして、校舎の代わりに建っているのが、天守閣である。
「なんだこりゃあ……」
荘厳な風景と、建物の統一感のなさに、現実感を失いそうになる。
「ふふふ」
不意に笑う声が聞こえた。
「愛之助、やっぱり驚いてる」
羽衣が、まるで仕掛けた悪戯が成功したかのように、心の底から笑っていた。
先ほど見せた、小悪魔な笑顔も良いけど。やっぱり、晴天の日の太陽のような笑顔の方が百倍素敵だ。ああ、素敵だ。
「き、きもい」
デヘデヘと笑うおれに、本気で引く羽衣。
「お、おっほん。しかし、なんだなあ。なんなんだこれは。戦国時代みたいな校舎だが」
目を奪われた天守閣から目を離し、周囲を見回すと、お堀に溜められた水や区画を仕切る門が見え、まるで戦国時代に建てられたお城のようだった。
「もともと、この高校って、国内の『エデン』を認識できる人を育てるための場所だったんだって。で、自然とそういう素質のある人って限られてくるし多くは武術の達人とか、有名な武将の子孫とかだから、日本古来の伝統ある校風にするために、こんな感じの校舎にしたんだって、お父さんが言ってた」
なんとなくお互い顔を見合わせ、笑いあう。こんな瞬間、久しぶりだなあと、羽衣の整った顔をマジマジと見ていると、
――ドドドッ!
地震かと思うほどの地響きが聞こえてきた。
「なんだ? って、なんだああああああああ」
土煙を上げながら、前方から猪の大群がごとく走ってくるのは、人、人、人、そして人。
なにこれ、おっことぬし軍の特攻か?
ざっと百名を超えるかと思うほどの人間が、こちらに向かって走ってきていた。おれは、羽衣や皐月を守るため、一歩前に出る。
「うおおおおおお、羽衣ちゃあああああああああああん」
「好きだあああああああああああああああああああ!」
「結婚してくれええええええええええええええええ!」
だが、向かってくる人間が発した単語に、耳を疑う。
「羽衣ちゃーん!」と妙に高く聞こえる声がひたすら気持ち悪かった。
「あん?」
名前で呼ぶとは馴れ馴れしいな、おい。兄ちゃん、ちょっと激おこだよ?
「おい、今なんて言った……!」
声が震える。
「結婚なんて」
地を蹴り、跳び上がる。
そして『領域』を発動させ、力を一点、つまり自分の右手に集中させるイメージを思い描く。体内を駆け抜ける血液を通して、力の波動が、右手に集まる感覚。
「させるかああああああああああああ!」
右手を地面に突き入れ、一気に解き放つ。この一連の流れるような動作こそ、達人である証拠だ。
「桜井真実愛刀剣術無手構え『土台崩し』」
大きな地鳴りが地面を伝い、地震となって走ってくる人間の足元を揺らす。
立っていることができないほどの揺れに、猪の大群がごとく走ってきていた大多数の人間の足を止めた。
だが、さすがはこの『エデン』に集うだけあって、この程度の『領域』で動じない人間もいるようだ。激しく揺れる地面をものともせず、走ってくる人間が、まだ十数人はいた。
「なんなんだ、こりゃあ」
「わ、わたしにもわかんないよ」
この事態の理由を問うおれに、羽衣は戸惑いながら答えた。
「とにかく、今は羽衣に近づく虫けらを払うのみ!」
地面を蹴り、近づいてくる人間へと一気に接近する。
「桜井真実愛刀剣術一の型『流川楓』」
川の流れに身を任す楓のように、向かってくる人間の動作、流れを読み、動く。
最初に走ってきた人間の顎に掌底を打ち付け、脳震盪を起こさせると、体を絡ませ横を通り抜けようとしていた人間に投げつけた。投げつけられた相手は受け止めきれず、後続の人間も巻き込み、数人は行動不能状態になる。
なおも向かってくる相手に対し、川の流れにまかせ楓がクルリとその葉を回して障害物を通り抜けるような軌跡で、足元を払い、蹴りつけ、拳をめりこませていく。
『土台崩し』を通り抜けた十数人、最後の一人の顔面を拳でぶち抜くと、おれの背後には「ううっ」と痛みにうめき倒れふす、羽衣を狙った不届きものたちの体が散らかっていた。
ふ! ふふふ、決まった。
「拙者の美技、ご堪能いただけたかな?」
決め台詞もばっちり決まって、ファサリと前髪を払った。
「……きもっ」
あれ、なにその視線。心底から痛い人間を見るようじゃないか。
そんな目で見られたら、拙者、身悶えしちゃう!
羽衣の視線に耐えられずプシューと顔が熱くなり、もう少しで恥ずかしさが昇華してマニアックなプレイへと超進化しそうになった時、
「フハハハハハハ!」
高らかに暑苦しく笑う声。
なんか聞き覚えのある笑い方である。
そう、それは懐かしい、昔の記憶にある、あの、そう、あの。
「ぷっ愛之助の顔、いつも変だけど、今はもっと変」
「そんなに変か?」
「あーすけとっても嫌そうな顔している……」
実際、嫌なのだ。何が嫌って。
「久しぶりだなあ、我が親友よ! いや、我が魂の同胞よ!」
思わず立ち塞がっていた人間が道を空けてしまうくらいの存在感を放ちながら、校舎の玄関の方から歩いてくる男。
「猛士先輩、おはようございます」
「ああ、おはよう」
羽衣が礼儀正しくペコリと軽く頭を下げて挨拶すると、俺に対しての挨拶など見る影もないほど爽やかな笑顔であいさつする人物。
人懐っこい笑顔。
キラーンとまばゆく光る健康的な白い歯。
サラサラの髪。
身長は小学生のころと比べればずいぶんと違うが、顔の印象は変わらずで、おれはやっぱり『嫌な顔』を浮かべざるを得なかった。
一言でいうなら、爽やかイケメンなのだ。
もうお分かりだろう。
顔がイケメン。
それだけで腹立つ。
「羽衣ちゃんも大変だなあ、こんなことになって」
大人な気遣いをする爽やかイケメンに対し、『あははー』と困った顔を浮かべ、
「あの、この騒ぎは一体。猛士先輩は何か知ってますか」
おれと話す時とは違うおしとやかで丁寧な口調の羽衣。
その表情は柔らかで、親しい雰囲気を醸し出していた。
お兄ちゃん、ちょっとジェラシー感じますね。
ぐぬぬと、内心穏やかでないおれは五年前の出来事を思い出していた。
そもそも、羽衣に告白するに至ったのはこいつが原因だったのだ。
「その様子だと知らないみたいだね」
なにか知っている様子なので、さりげなく羽衣と爽やかイケメンの間に入りつつ聞いてみる。
「なんだよ。もったいぶらず教えてくれって」
「フハハハハ! 我の目がうずく。こ、これは。我が好敵手の声に反応しているのかっ! それほどまでに、手ごわい相手になったか我が魂の同胞よ!」
すると今まで羽衣に爽やかな笑顔を向けていたイケメンが、途端に暑苦しい存在へと変わっていた。ほんと、変わってない。
「なんでお前は俺に対してだけそんなわけがわからん無駄に熱い中二病キャラになるんだよ……。面倒くさすぎるぞ」
「どうした、同胞よ! 久しぶりに運命の車輪が回り始め、悪戯な宿命に翻弄された日々に転機が訪れたのだぞ。少しはつかのまのドラゴンナイトを楽しんだらどうだ!」
「なにいってんの、お前?」
翻訳機プリーズ。
「……つまり、久しぶりに会えて僕はうれしいのに、あーすけはうれしくなさそうだね、って言ってるの」
おう。なんと皐月が翻訳してくれた。さすが便利だ。
未来のネコ型ロボット並に。
「なんかお前、前にもまして意味不明なキャラになってるな……」
「それは我の世界と永遠に交わることのない世界の夢を魅せる魔法をかけられた我の魂の変化によるものだ。それに気づくとはさすがだな。だが、我の言葉が通じないとは。同胞は魔眼をまだ開眼できていないようだな」
「そんなもん、開眼する予定ねーよ」
「あのう、猛士先輩。それで、説明してもらえますか」
「いいとも。羽衣くんも戸惑っているみたいだからね。まあ、説明といっても、まずは見てもらった方がはやいだろう。玄関の前にいけばわかるよ」
だからなんで羽衣に対してはそんな紳士なんだよ!
もはや誰だよっていうくらい変わりすぎだろ。
突っ込む気力も失せたおれは、ため息をつきつつ、玄関へと向かうのだった。
***
桜井羽衣の許嫁候補を募集します。
みなさんも、もうご存知であろう超絶美少女にして大天使たる包容力を持つ聖女こと桜井羽衣の許嫁候補を探しています。
我こそはと思う方は桜井家当主にしてこの学園の最高責任者『桜井正道』にご連絡ください。
どのように決めるかは追って連絡します。
学園最高責任者にして最高の父親であるナイスガイ桜井正道より。
「……はあ? なにいってんのこいつ死ね」
校門に行くと、立て札が目立つように置かれていて、読み終えた瞬間、思わずこぼしたのは親父に対する怒りだった。
あまりの怒りに思わず素の声で、呟いていた。
「お父さん……」
羽衣もその立て札を見て、痛むのであろう頭を押さえていた。
「これでわかっただろう。世界の歯車を回す調律者が背後で暗躍していたのだ。その甘美な音色が奏でる誘惑に魅せられたる我々は、飛んで這いまわる蠅の如く大天使のもとへと集まるのは必然といえような」
ああ、納得したとも。羽衣の魅力は言うまでもない。その姿を一目見た瞬間魅了されるは必然だ。むしろ一目ぼれするなという方が酷というものだろう。
だが、それゆえにその魅力を我が物にしたいという不届きな輩も多い。そうした連中は隙あらば自分の存在をアピールする。そんな連中がこの餌に食いつかないはずがない。なぜこんなくだらんことをうちの馬鹿親父め。こんなことするくらいなら……。
「ほんと死ねばいいのに」
「それは誰のことだ?」
ゾクリと殺気。気づいたときには遅かった。
ドコオオオオオン!
背後から凄まじい蹴りを喰らい、おれは吹っ飛ばされた。あまりの衝撃に吹っ飛ばされた先にあった玄関の扉や下駄箱さえ粉々になる。
粉塵が立ち込め、やがてその向こうからノソリと姿を現す大男。
ごほっと咳き込む。
「死ねという言葉を簡単に使うなど言語道断だぞ我がマイスイートな息子よ。その言葉まさかこのダンディズムの塊たる儂に向かって吐いたのではあるまいなあ、ああん?」
ギロリと野獣が放つ殺気のこもった視線を送ってくる。
二メートルは優に超える身長と大岩のような体格は、百獣の王たるライオンもかくやという威厳や風格を備えている。ったく、無駄に怖そうな外見してやがるぜ。
変わらず壮健そうなおれの親父だった。
「い、ってーな。久しぶりに会った息子に対してずいぶんなご挨拶じゃねーか」
「ふむ。よけられないとわかった瞬間、咄嗟に衝撃をそらしたのは褒めてやろう。しっかりと鍛錬を積み、軽功を使いこなせているようでなにより。だが、儂が蹴りではなく刃を放っていたら、貴様は死んでいたぞ」
「そんなことよりも、これはどういうことなんだクソおやじ!」
「ああん?」
ピクっと、こめかみに青筋が立ったと思った瞬間、
「クソおやじだとおおおおおおおおおおおお!」
ブワっと残像を後ろに残しつつ、一瞬で間を詰め、俺の懐へと飛び込んでくる親父。
話聞けよ!
鋭い前蹴りを真正面から受け止める。
「親に向かってなんと罰当たりな! だが今なら『パパ』と可愛らしく言えば許さないこともないぞ。我がマイソン!」
「誰が言うかっ気持ち悪い。それよりも羽衣の許嫁候補募集だと。正気だとは思えないな! 時代錯誤もはなはなだしい。見損なったぞ、死ねクソおやじ!」
お返しに怒りのこもった鉄拳をその顔面にくらわそうと渾身の一撃を放つ。
「このバカモンがあああああああああああああああああ」
だが親父はそんなおれの一撃を難なくかわし、気がつけば目の前に掌底が飛んできていた。あ、やべ。こりゃよけられねーや。
ドコーンと、顔面にすさまじい衝撃が突き抜けた。
そのまま後方にあった壁に激突。壁に身体がめりむほどの威力に一瞬、飛んだ意識。なんとか持ち直したおれに、
「ふむ、今の一撃は脳を破壊する気で放ったのだが。それも軽功により一点へと凝縮させた一撃を拡散させたな。ふ、やるようになったは」
「お、おまえ、息子を殺す気まんまんじゃねーか……。なにが『死ね』とか言うなだよ。お前の方がよっぽどタチわりーじゃねーか」
フラフラにながらもなんとか立ち上がる。
「フハハハ! これくらいの戯れで死ぬようなら何のために修行していたのかわからんだろう。それにこの儂が本当に殺す気だったら、今頃お前は生きてはおらんて」
ぐっ。だがその通りだ。おそらく本来の力の三十パーセントも使っていないのだろう。
だが、
「で、羽衣の許嫁候補を探すって、どういうことだよ。ことと次第によっては、おれは本気で親父と闘うぜ?」
「ふむ。相変わらず羽衣のこととなると見境なくなるな、息子よ。だがお前にそれを言う資格があるのか?」
目の奥をギラリと光らせながら親父が言った。
「なんだと?」
「おまえは今の羽衣についてどれほど知っているというのだ。儂はこの五年間ずっと羽衣と一緒にいたぞ。少女から成熟した女性へと変わっていく過程を思う存分に見てきた」
「お、おおう」
おれの知らない羽衣の五年間。その空白を指摘されると何も言えない。
「小学校の卒業式、中学校の入学式、卒業式と。節目節目に見せた気丈な顔、可愛かったぞ」
「ふおおおおおお! それを言うなああああ! それを想像するだけで、何回帰ろうかと思ったか! くおおおお、う、うらやましすぎるううう」
はあはあ。なんだこれ。さっきの攻撃よりつらいぞ。悔しすぎて思わず血涙するくらい。
「もちろん、身体だけではない。羽衣の心だって成長しているのだ。そんな儂が何も考えず許嫁候補など言い出すはずがなかろう」
ニヤっと笑いながら言う親父。その顔、腹立つな。
「さっきから、な、なにが言いたいんだ」
「つまりだな。所詮、お前は羽衣にとって過去の男にしか過ぎないということだ」
「な、なにい」
「羽衣の前から姿を消しておいて、今更のこのこと帰ってきて、兄貴面するのは、ちと都合が良すぎるのではないか?」
その言葉がグサっと心に突き刺さる。
なんだよ、突然。家族として、妹として、接するくらい、いいじゃないか。
「ああ、そうかよ。要するに、喧嘩売ってんだな? お望みとあらばおれの本気見せてやるよ。さっきみたいな余裕な面なんてさせねーからな」
「ほう、おもしろい。やってみろ」
明らかに喧嘩を売っている親父の態度。すっかり頭が沸騰しているおれは、もはや我慢などできなかった。
周りでは、
「おいおい、あの校長とサシでやって未だ立ってられるだけでもすごいのに。まだ本気じゃなかったのかっ」
「これは死闘になるぞ」
「く、空気が震えている……」
などと騒いでいるが、誰もこの騒ぎを止める気配はない。
このおれと親父を阻むほどの実力者はめったにいないのだ。
意識を切り替え、おのれの第六感を呼び起こし、領域を纏い始める。それを見て、ニヤリと笑い、親父もまた領域を身にまとう。
おれと同じ桜の花びらが、親父の周りにひらひらと舞っていた。
準備はできた。さあ!
「いくぜ……!」
「こい!」
今まさに、闘いの火ぶたが切って落とされようとした、その時。
「いい加減にして」
静かだけど確かに怒りのこもった声。こ、こわっ。
「親子喧嘩も場をわきまえてよ、お父さん。愛之助も!」
身にまとった領域があっという間に霧散してしまうくらいの存在感ある声。親父も震える子猫のように、大きな体を縮こませていた。ついでにうるうると可愛くない瞳になっていた。おそらくおれもそんな感じになっていることだろう。
「で、お父さん、どういうわけか、説明してくれるよね?」
笑顔なのに、絶対零度の温度を感じる表情と声に、親父が涙目で、
「はい」
と頷いたのだった。
こうして誰も止められないであろう争いを、たった一言で妹は静めてしまったのである。
やはりおれの妹はすごい。
なお、この出来事によって、妹の羽衣最強説が校内に流れることになるのだった。
「つまりだな、桜井家のしきたり、伝統なのだ。十五歳になったら娘は許嫁となる存在を探すことになっておる。羽衣も高校生になり、もう十六歳になる。その前に、一度許嫁候補なるものをみつけておく必要があったのだ。もちろん羽衣本人の意志は尊重する。必ずしもその許嫁と結婚しなければならないわけではない」
校長室に移動し、桜井正道ことおれの父親が重々しい口調でそう説明した。
「しきたりって。そんなの聞いたことないぞ」
「当たり前だ。今初めて言ったからな」
ったく。この学園のことといい。大事なことを言わない親父だな。
「それに愛之助には関係の無いことではないか。これは羽衣本人のことなのだからな」
「か、関係ないことないだろ! おれは羽衣の兄だぞ」
「ふむ。兄だからこそ。妹の結婚相手はちゃんとした存在であってほしい、妹に幸せになってほしいと、そう思うのではないか」
「それは……」
親父は大きな窓のある方へゆっくりと歩いていく。ちなみになぜか皐月や猛士もついてきて、話を聞いていた。皐月はまだしも、猛士、お前はなんでここにいるんだよ……!
「これは羽衣の意志の問題だろ! 今時、親が決めた相手と結婚するなんて、ありえないだろうが。恋愛して、自由に結婚する。それが普通だろ」
「なにも恋愛するな、と言っているわけではない。選択肢を提示するだけだ。あくまでもしきたりはしきたり。強制ではないのだ。だがな、このしきたりにもちゃんと意味はあるのだ。桜井家は先祖代々最強の武者一族として名をはせてきた。それは偶然ではない、意図してのことだ」
「意図?」
「強い者と娘を結婚させる。これによって桜井家一族の強さや評判は保たれてきた。今日に至るまでな」
「羽衣からも、なんか言った方がいいぞ」
「え、ああ、うん」
言葉を濁す羽衣。不審に思って、その顔を見て、衝撃。
な、なんか、顔が緩んでる。
かろうじて笑わないようにしているようだが、その顔はどう考えても『嫌』な顔ではなかった。むしろ本当は嬉しいのにそれを悟られまいとしている感じ。え、どういうこと。
「ふむ。それもそうだな。羽衣がどうしても嫌だというならこの話は無しにしよう」
「そういうことは普通、話しを進める前、事前に話しておくことじゃないかっ」
「おほん。聞こえんなー」
おれの至極当然な指摘に、都合が悪いのだろう、親父はわざとらしく耳をふさいでいた。子供かっ。
「で、羽衣、どうなんだ?」
改めて問う親父に、羽衣は表情を引き締めた。そしておずおずと、おれの顔を見て、
「あ、愛之助は、どう、思うの」
どこか緊張した声で訊いてきた。
「どうって」
おれの答えなど言うまでもない。
羽衣が他の男とあーんなことやこーんなことをするところなんて想像すらしたくない。
NOだ! 戦争反対と同レベルなまでのNO!
宇宙革命的にノーである。
とにかく。なにがなんでも阻止したい。
だが。
それはあくまでもおれ個人の押し付けに過ぎないのだ。
兄としてではなく、愛之助という一個人の、感情にしか過ぎない。
この問いはただの問いじゃない。
今この瞬間、おれの修行の成果が問われているといってもいい。
なにを隠そう、五年前もこういうことがきっかけで告白に至り、玉砕した。
あの時は猛士が羽衣に告白するとか言い出したのがきっかけだった。阻止するべく、猛士と死闘した末、たどり着いたのが、羽衣に対する愛。
でもその愛は、羽衣にとって嫌悪すらするおぞましいものだった。
激しい葛藤が胸の内に渦巻いている。本当は、即刻この許嫁探しなるものをやめさせたい。
だけどそれではあの告白の時と一緒だ。まるで成長できていない。今までの修行が無意味であったと、そういうことになる。
ギリっと奥歯を噛みしめる。
さっきの表情を見た今、兄としてどうすべきか。
「羽衣が、良いなら、おれは」
何とか喉の奥から声を絞りだして答える。目線は合わせられなかった。床に視線を落とし、
「反対、しない。羽衣のしたいようにすればいいと思う」
「そう」
ポツリと羽衣がつぶやいた。その声は極めて平坦で、さざ波ほどの感情さえ感じられない。そんな声に、おれは思わず顔をあげた。
「愛之助の、馬鹿」
目線があった瞬間、羽衣の表情が崩れた。
顔を真っ赤に染め、涙を瞳に溜めていた。
混乱する。今のおれの返答の何がいけなかったのか。
わからなかった。
そして羽衣は親父の方に向き直り、はっきりと、言った。
「お父さん、許嫁候補の話、進めていいよ。わたし、その人と結婚するからっ」