青い貝がらと蒼い海
初めまして、瑞島海と申します。
何分処女作なので、色々と酷いかとは思いますが、楽しんでいただければ幸いです。
間違い等ございましたら、是非ご指摘ください。
僕は、海が嫌いだった。
特に泳ぎが苦手なわけじゃない。だから水が怖いとか、何かトラウマがあるとかそういうことでもない。
ただ、海というものが嫌いだった。
きっと幼いながらに怖かったのだ。あの深さが。暗さが。雄大さが。
それでも祖父母にはお盆時期になれば顔を見せにいかなければならない。それが孫の義務というものだ。だから海の近い祖父母の家に毎年お盆の時期は遊びに行った。そんな育ち方をしたものだから否が応でも海は見慣れてしまった。
ただ、14歳になっても海は好きにはなれなかった。
だから海に行くとすれば、夜、コンビニに行くついでに海辺を通るくらいだ。
14歳の夏。僕は例年のように祖父母の家に来ていた。それで、いつも通り夜にコンビニに行った帰り、見慣れた海辺を通った。でもその日は見慣れぬものが目についたんだ。
これは、僕が14歳の頃に体験した、青春とは言い難い青春物語。
それは、少女だった。恐らくは僕と同い年、もしくは年下だろうか。異様に肌が白く、闇の中で光っているように見えた。
その子は海辺の防波堤に座り込んで、海を見ていた。
月が映し出された海を、じっと眺めていた。
僕は、違和感よりも神秘感を覚えた。目の前の光景が現実離れしているように感じたのだ。
僕はつい時を忘れ、彼女のことを見てしまっていた。
自分を見る目に気が付いたのか、彼女がこっちを向く。
「何か?」
彼女に声をかけられはっと我に返った。
「あ、いや……。何でもない」
急に話しかけられたショックで頭が上手く回らない。
「ただ、こんなところで何をしてるのかなって」
純粋に思ったことを口に出してみた。
すると彼女は笑みを浮かべて、言った。
「海って、綺麗だと思いませんか?」
何を言ってるのか理解出来なかった。当時の僕にとって海とは、美の対象でも感動の対象でもなかったのだ。
「こんな広い場所に色んな命が生きてるんだなって思うと、不思議な気持ちになるんです」
今の僕からすれば、ただの近寄り難い女の子だ。でも当時はまだ純粋だった僕は、素直にその考えについて思考していた。
「そう……かな。僕はそうは思わないけど」
そう言うと彼女は微笑みを崩さず言う。
「そんな事言わずに、一緒に見てみませんか?海、綺麗ですよ?」
促されるままに僕は防波堤に座り、海を見てみた。
確かに美しかった。
その日は曇天でも晴天でもなく、丁度よく雲も月も出ていた。例えるなら、朧月夜のような空。
けれど僕は、美しさと共に畏怖も覚えた。
綺麗には綺麗なのだ。朧月夜が海面に映し出されていて、正に幻想的な風景だった。
けれど、怖かった。終わりの見えない、延々と続く闇。そこから響く波の音が、とてつもなく怖かった。
「君、ずっとここにいるの?」
「はい、7時くらいに家を出た覚えがあります」
現在時刻は9時過ぎだ。かれこれ2時間程度ここにいる計算になる。それとも、家が遠いのだろうか。
「7時って、もう2時間も経ってるよ?家、遠いの?」
「いいえ、この近くです」
とすると、本当に2時間程度海を見ていたのか。
もう少し有効な時間の活用の仕方があるんじゃないのか。
というか、不用心すぎる。こんな時間にこんな場所で女の子が1人で居るなんて、危なっかしいにも程があるだろう。
「こんな場所に1人で2時間も居るなんて、親が心配するよ?」
「親……ですか。それもそうですね。以降気をつけます」
「後は、昼間に見るとか」
「肌が弱くて、ダメなんです」
「じゃあせめて誰かと一緒に見るとかさ」
「なら、あなたと一緒に見ます」
何を言ってるんだこの子は。僕は親とか兄弟と見ろという意図で言ったんだけれど。
「いやいや、親とか兄弟は?」
苦笑いしつつ尋ねる。
「兄弟はいません。親は母親が居ます」
じゃあ母親と見るべきだ。
「でも、病気で入院してるんです」
これはまずいことを聞いたかもしれない。いわゆる、地雷を踏んだってやつだ。
「そう……だったの。ごめんね、悪いこと聞いちゃって」
「いいんです。その代わり……」
何を言い出すかは何となく察しがついた。
「海、これから一緒に見てくれますか?」
ああ、やっぱりか。
あんなことを聞かされては断るものも断りきれない。
「分かった」
それから、彼女の家庭のことについて話を聞いた。
僕がぶしつけに尋ねたわけではない。彼女から色々と話してくれたのだ。
曰く、母親の病気が重くて治る目処がたっていない。
曰く、今は親戚の家にお世話になっているが歓迎されていない。
等々、色々と聞かされた。
どうやら大分荒んでいるらしい。何とかしてあげたいとは思ったがなんにも出来ないことなど当時の僕にも分かっていた。
だから、黙って話を聞いてあげることしか出来ない自分が不甲斐なかった。
時計が10時を指した。
「もう遅いし、帰ろうか」
そうですね、と言って彼女は腰を上げる。僕もつられて立ち上がる。
「また明日も、7時に此処で待ってますね」
そう言い残すと彼女は振り返ることなく歩いて行ってしまった。
「また明日も……か」
それ以来僕達は毎日一緒に海を見て、話をした。
僕の話もしたし、彼女の話も聞いた。他愛ないことから重い話題まで、なんでも話した。
お互い何も知らなかったからこそ何でも話せたのかもしれない。
「そういえば、名前言ってなかったね。僕は岸田祐也」
「祐也さん、ですか。私、星野蒼海って言います。星の野原に蒼い海って書いて、星野蒼海です」
「蒼い海で蒼海か。ピッタリな名前だね。もしかして、だから海が好きなの?」
「そうかもしませんね」
僕が笑いながら聞くと、彼女も笑いながらそう言った。
そんなある日、いつも通り海辺に向かうと彼女が居なかった。
いつもは先に来てて待ってくれているはずなのに。
周りを見渡してもやはり彼女の姿はない。
何か嫌な予感がする。
僕は本能的にそう感じて、辺りを探し回った。
彼女は、いつもの場所から少し離れた浜辺に居た。浜辺の波打ち際で、服を着たまま海に向かって歩いて行っていた。
僕は彼女がそのまま海の底へ沈んで行ってしまいそうで、急に怖くなった。
「ちょ、ちょっと!何してるの!?」
そう叫びながら浜辺に降りて彼女に駆け寄る。手を取って引き止めると、彼女がこちらを向いた。
涙が、月の光に反射して輝いた。
彼女は、泣いていた。
「ど、どうしたの?」
「私、どうしたんでしょう。分からないんです。なんだか、このまま海に入っていけないかなって…沈んでいけないかなって、そう思って」
何か辛いことでもあったのかと思い、ひとまず海から出ることにした。お互い服を着たままだったので、びしょびしょになってしまった。
「何かあったの?」
彼女が落ち着いた様子だったので、尋ねてみた。
「母が、もう、ダメなんです」
なんと声をかけていいか分からなかった。
そこまで酷い容態だったのか。入院してるとは聞いていたけど、まさかそこまでの病気だったなんて。
「それで、母の好きだった青い貝がらでネックレスでも作ってプレゼントしようかと」
私はお金がないから作るしかないんです、と話す顔は、笑顔なのに、どこか悲しそうだった。
作り笑いなんて、しなくてもいいのに。
そう思った。
「そう……。それで、浜辺に居たのか」
それでふと、自分も沈んでいけないかと思ったわけだ。
彼女の身上を考えると無理もないように感じる。
僕も当然そんなの耐えられないだろうし。
「でも、君はそばに居てあげた方がいいんじゃない?」
「え?」
まさか、そんなことを言われるとは思ってなかったという顔だった。
「で、でも……ネックレスが……」
「大丈夫、僕が貝がらを見つけておくから、君はそれをネックレスにすればいい」
今思うと、随分と不躾な提案だった。本来ならば彼女が見つけることに意義があるのだ。僕が見つけても意味がない。
「そう……ですか?じゃあ、お願いします」
だが、彼女は了承してくれた。きっと、彼女自身も誰かに頼れるということが嬉しかったのだ。唯一の母親は危篤状態で、親戚には冷たく扱われる日々。
そんな中で頼れる人が居たとは思えない。
だから、赤の他人の僕でも頼れることに喜びを感じたのだと思う。
次の日から、僕は1人で、人のいない夜に、海に行った。
相変わらず海は嫌いだったし、怖かったけれど、彼女のためだと割り切って必死に探した。
けれど、貝殻は中々見つからなかった。
来る日も来る日も探し続けたけれど、それでも見つからなかった。
そんな折、彼女が探している時に会いに来た。
「どうしたの?」
「貝がら、まだ見つかりませんか?」
「ごめん、まだなんだ……」
頭を下げて謝ると、大丈夫です、と言ってくれた。
「お医者さんの話だと明後日の夜がヤマらしいんです」
作る時間も考慮すると、明日の夜までには探し出さなければいけない。
「分かった。すぐに見つけるから」
そう言うと彼女は笑顔で、お願いします、と言って帰っていった。
その後、血眼で探していた僕はやっとの思いで1個、見つけた。
けれど、彼女と彼女の母親の分まで、せっかくだから用意してあげたい。
そんな思いで僕は、次の日の夜も探していた。
そんな時、また、彼女が来た。
「やあ、やっと1個、見つけたんだよ」
「……ありがとうございます」
僕は朗報を届けたつもりだったのだけれど、何やら彼女は浮かない顔をしている。もう少し、喜んでもらえると思ったのだが。
「でも、君の分も探すから。もう少し待ってて、今見つけるから」
「……もう、いいです。1つで、充分です」
僕は聞く耳持たずに、探し続けていた。
そんな姿を見て哀れみを感じたのだろうか。彼女が珍しく大声を出した。
「もういいんです!」
僕は驚いて、手を止めてしまった。
彼女の方を見ると、彼女はまた泣いていた。
「もう、お母さんは、死にました」
最初は、聞き間違いかと思った。
「今日の夕方です」
そうであって欲しかった。
「ヤマと言っても、元から危ない状況だったんです。だから、今日でも不思議なことじゃなかったんです」
けれど、彼女がボロボロと涙を流しながら伝えてくるそれに、偽りはなかった。
僕は砂浜に座り込んだ。
つまり、間に合わなかったということか。僕がもう少しでも早く見つけていれば。もう1個なんて欲張らなければ。
途端に罪悪感と、自己嫌悪の気持ちが湧いてきた。
「僕のせいだ。僕がもっと早く君に届けておけば」
「違います。運命だったんです」
実際よく見つけてくれたと言う彼女の慰めも、届かなかった。
なるほど。海に沈みたい気持ちがよく分かる。今なら僕は、海も怖くないだろう。
「僕は、どうしたら……?」
何も分からなくなって、ぽつりと呟いた。
「1つ、見つけてくれたんですよね。だったら、それをネックレスにして思い出として取っておきます」
「そうか、そうだね」
僕が彼女に貝がらを渡すと、彼女の止まりかけていた涙がまた、ボロボロと流れ出した。
貝がらを手に、お母さんと小さく呟きながら泣きじゃくる彼女が、あまりにも可哀想で、あまりにも哀れで、自分への怒りがさらに湧いてきた。
今にも自分を殺してやりたい。怒りで自分の体の痛みを感じない。多分、拳を強く握りすぎて、血が出ている。
けれど、そんな僕の血よりも彼女の涙の方が僕にとっては辛かった。
彼女の涙が収まりかけようとしていた時、僕はそれを見つけた。
彼女の涙が滴り落ちた先にたまたまあったのだ。
月の光に反射してきらきら輝くそれは、美しい青をしていた。そう、まるで海のように蒼い、青い貝がらだった。
「あ、これ……」
「あ……」
僕が手にしたそれは紛れもなく僕らが探していたものだった。
「もう少し、早く見つけられたら……」
「もう…いいんですよ。そもそもあなたに頼むようなことじゃなかったんですから。1つ見つけてくれたのも凄かったです」
そう言うと彼女は僕から二つ目の青い貝がらを受け取った。
「じゃあ、これ、明日ネックレスにして持ってきます」
「ここに?何で?」
「あなたにも、持っていてほしいんです」
否定は出来なかった。出来るはずもなかった。
「分かった」
次の日、僕はいつもの場所へいつもの時間へ来た。
「こんばんわ」
「ああ、こんばんわ」
彼女は既にそこにいた。これもまた、いつも通りだった。1ついつもと違うのは、今日で最後ということだ。
明日の朝には僕は東京の方へ帰らないといけない。
だから、彼女と会うのはこれで最後になる。
多分、来年からは会えない。なんとなく、そんな気がする。
「はい、これ」
そう言うと彼女は、青い貝がらが付けられたネックレスを手渡した。
「ありがとう」
そして、今日で最後だということを伝えようとした。
「そうだ。僕、明日から……」
しかし、彼女に静止されてしまった。
「その先は、言わなくて大丈夫ですよ。なんとなくそんな気がしてましたから。あなたと会えて、良かったです」
彼女は笑ってそう言うと、今日はもう帰ります、と言って僕に背を向けて歩き出した。
あまりにも早いと思うけれど、元々用事もこれしかなかったんだし、普通なのかな。
そう思って僕も帰路に着こうとして背を向けた。
数歩歩き出したとき。
「また、会いましょうね。祐也さん!」
そう叫ぶ彼女の声が聞こえた。
振り返った時にはその姿はもう見えなかった。
けれど、僕は叫んだ。
「またね、蒼海ちゃん!」
こうして、僕の14歳の夏は幕を閉じた。
あれから5年。
僕はあれから、受験だったりなんだりで忙しく、ここには来れてなかった。
それで今年、多少暇になったのでこうしてまた、遊びに来ている。
うちの祖父母にも暫く顔を合わせてなかったから、丁度いい機会だと思った。
そして、夜。僕はまた、コンビニへ行った。あの時と同じ時間に行ったのは、偶然か必然か。
帰り道、見慣れた道に、見慣れた少女が居た。その首には、見慣れたネックレスがかけられている。
「海って、綺麗だと思いませんか?」
「そう……だね。確かに綺麗だ」
この日もまた、朧月夜だった。