22番ホームの亡霊
ホワイトレスの連載をすっぽかしてまで書きました。
最後の部分でちょっと腑に落ちない所があるかもしれないですが、そこらへんは想像にお任せします。
22番のホームに亡霊が出ると聞いて私は少年の頃の胸の高鳴りが心の深淵から舞い戻ったかのように思えた。
私、獅子祭咲華は職業柄何かと物事を見聞きすることが多く、今回もたまたま近所のコンビニで働いている噂好きの女子高生が電話で話している内容を盗み聞きしたことから始まった。
それで噂の駅に今私は立っている。現在の時刻、3時50分。うむ、私にしては悪くない。
この22番ホームにでる亡霊というのは夕方5~6時頃に現れる霊的存在なのだがその姿がはっきりと目撃されたことがないらしい。
それは見つけた時点ですでに死んでいるからだとか形を認識する前に消えてしまうだとか非常に曖昧なところとされている。
個人的には知的探求心が上がるのだがどうにも計画としては上々とは言い難い。
相手の姿が分かればその生い立ちや経歴、役職等を洗いざらい調べ上げてから接触し交渉して著作させて頂く。
私は他人を描くときはちゃんと許可をもらわないとモチベーションが上がらないのだ。
それにその人物に対して敬意に近いものがないとやっていけない、途中のキャラクター像にも影響が出てしまうためだ。
だからこそ今回はかなり危険な話になるだろうと予測している。
それでもせっかくのチャンスを逃すほどビギナーではないのだ。
私は書かなければいけない人間、他人がどう評価しようとも私は私なりの流儀を貫いて見せる。
とは言ったものの、問題の駅が老朽化して山奥にあったらまだよかったのだがバスで20分で着けるところにあった。
しかも駅とモールが合体しているタイプで私のような人混みが苦手な人間にとっては中に入ることすらはばかられた。
そしてタイミングの悪いことに今日は日曜日。
アウトレットでなくてもここまで人混みが増えるものなのかという新たな知識と恐怖を手に入れた私は目的の駅に1時間かけて入ることが出来た。これが現代人の世界か………。
が、ここでやはり問題が発生した。
それは22番のプラットホームなんて存在しないからである。
東京駅には23番まであるのだがここのプラットホームは最大で10。考えてみれば「噂」というあまり信憑性のない話に賭けた私も私なのだが一番の疑問は何故「22」番なのだろうか、という点に集約され始めた。
3番ホームの自販機の隣にある椅子に買ったお茶を飲みながら携帯とやらで22を調べてみる。ああ!!このスライドとやらどうにも腹が立つ!!
見るとヘブライ語のアルファベットの数だったり、ショートケーキの日だったり。一番興味を持ったのが英語のイディオムになっている「catch 22」。今度小説の方を拝見させていただきます、ジョーゼフ・ヘラー殿。
結論、特に収穫がない。
時刻は5時20分。いつの間にか現れるという時間に至ってしまった。
帰宅ラッシュ?と言われる人混みから避けるためトイレの個室に籠った私は情報を整理する。
5~6時に現れる亡霊、ないはずの22番ホーム、そして曖昧な証言。
これは…………………詰んでいるというやつだな。将棋だったら投了しているだろう。
だが、諦めない。私は書で伝える人間。辛いが見て聞く全てが物語なのだから。
そう思って立ち上がり、トイレの鍵を開けようとした時、
??どう開けるんだ??
再び現れたスライドの魔の手に10分ほど時間をとられた。
5時40分。例のラッシュとやらが再びやって来て思わずふらつき、しゃがみこんでしまった。
今までの疲れが響いてしまったらしい。呼吸も大分荒くなっている。
トイレでは考え事をしていたこともあってかほとんど休みをとれなかった。
椅子に座った時もただ調べるためだけで調べ終るとすぐに立ち上がって調べものを再開した。
もう限界だ…………。帰るべきなのか……………。
そう思い立ち上がろうとしたがふらついて倒れそうになる。
その時ガッと肩を支えられて大丈夫ですか?と声をかけられた。
どうやら駅員らしい。事情を説明したかったがどうにも口が回らなかった。
なのでただ端的に休ませてほしい、と言うと駅員は休憩室の方へ案内してくれた。優しい人で良かった、やはり慣れないことをするものではない。
はあ、お茶うまー。
休憩室で休ませてもらっている間にいろいろと話を聞けた。
過去に貨物車が多く止まっていく場所があり、その時のホームが22番ホームらしい。
起源は江戸時代で東海道の途中の宿に武士や商人が多く泊まる宿があり、そこのある馬小屋ではいつも22頭以上の馬がつなげられていたことからそこの宿は22番宿と名がついた。……………家と旅人の拠点=宿が掛かっているのは言うまでもない。
それにあやかってというのもあるが江戸時代同様にそこのホームの貨物列車はひっきりなしに止まっていたようで、当時の写真を見せてもらうと人が立てなくなるぐらいに電車がいて驚いた。海外ではよく見れそうだが日本でこういう人以外のラッシュを見るのは新鮮だった。
その日は調べるのを断念した。話を聞き終わると6時を過ぎて7時になっていたからだ。
駅員にお礼を言ってその場を後にした私は家の近くにあるコンビニで夕食を買った。
今日の夕食は冷凍のエビグラタン、チキンサラダ、お米が食べたかったので鮭のおにぎり2つに安いビールとつまみを何個か選びレジに持っていく。
レジに先ほど述べた女子高生はいなかった、代わりにフリフリの服が似合いそうな癒し系?と言われる女の子が愛想よくいらっしゃいませと声をかけてくれた。
少々残念だった、いれば22番ホームの亡霊は実はただのダジャレみたいなもので……………
と思うと同時にあっ、と叫んでしまった。
目の前の女の子は驚いて、バーコードで値段を読み取ろうとしていたのだろう、持っていたビールを手から滑らせてしまう。
だが私は問題なくそれをキャッチする、伸びた右肘が後ろに身を引いた女の子の腹を少し掠めてしまったが。
すみませんと声をかけて体を元の体制に戻し、袋に夕食諸々を入れてもらって代金を払う。
2580円………………当分節約が必要そうだ……………。
ちらりと女の子を見るとやはり掠めたことを根に持っているのだろうか、少し赤くなってもじもじしていた。
面倒ごとになりそうな感じがして財布から3000円を出し、お釣りはいいからと言って逃げるようにその場を離れた。
帰り道、駅員がなぜ『亡霊』に関することを話さなかったのかを考える。
恐らく私のことを新聞記者か何かと勘違いして話すことに抵抗を感じたのかもしれない、と考えるのが妥当だった。自分や職場の何かを他人に書かれるのはどうも気分が悪いからな。
けれど私のような新聞記者がいるだろうか?
詰襟の服に外套をはおりその上に学生帽に似た帽子をかぶっている、大正や昭和にありそうな恰好なのにそれで現代の新聞記者と言えるのか?
まあ不審者であることには変わりないな。
おっと話がそれてしまった。
『亡霊』は亡者の魂とか死者の魂がこの世に来たというのが主な意味らしいが、現在では比喩として用いられることが多く、映画、ゲーム、小説では「滅びた過去が蘇って恐れられているもの」として扱われているらしい。
22番ホームに出る存在は人の魂なのだろうか、それともこのような比喩なのだろうか。
気が付くとアパートの自室の前に着いていた。
とりあえずそこらへんは明日になったら考えよう、そう思いポケットに入っている鍵をドアノブの鍵穴に刺した。
22番宿があるのは電車を3本ほど乗り換えてバスを経由し、そこから徒歩で七淵山の山中を2時間ほど行った所にあるらしい。
売っていた地図の本で場所を確認すると本当に2時間で行けるのか?と思ってしまう。
山頂から少し降りた場所に川に沿って集落がありそこが22番宿なのだが、ケーブルカーがない。
計画としては山の手前の宿を拠点とし1泊2日でこの話に決着をつけようと思うものの如何せん体力がないのだ、1泊2日でどうにかできるかどうか……………
それに私は今回の『亡霊』を比喩的な存在として捉えることとした。
宿に幽霊が出るとしたら事故か何かで亡くなった女将の霊かそれとも冤罪で殺されてしまった哀れな旅人ぐらいしか思い当たらなかった。
そのためどうも気に入らない節があった。
あそこの駅との繋がりが見えてこないところだ。
駅員に22番宿との関係は?という質問をしてみたところそれはちょっとわかりませんねと苦笑交じりに言っていた。続けて駅長に以前聞いたことがあるんですけどなんでだかはぐらかされましてね、私にも何が何だか…………とため息交じりにそう言っていた。
駅長はその繋がりに関して知っている?と思ったときに奥の扉から本人が出てきたのにはビックリした。
聞くと実は私も同じで前の駅長から何も聞けなくてわからないのだよ、と答えた。
イタチごっこが始まりそうな予感がしたので、とりあえずその当時の駅長の名前だけ聞くことにした。
当時、22番ホームがあった頃の駅長の名前は岸田 幹だった。
私は22番宿の最寄り駅からバスに乗り、拠点となる宿を目指した。
7月というのもあって快晴だがたまたま冷夏だったため比較的気持ちのいい気候であった。
一応初代の駅長の名前を聞かせてもらったが、結局何も解らず終いだった。
駅の事故も5年に一度あるかないかで点検や整備も駅全体でしっかりと行っているらしい、流石です。
だから私は『亡霊』を比喩という面で捉えることにした。
しかし本当にこれだけだったら多分諦めていたであろうが幸いにも七淵山の記念館が存在していることが判明した。地図で調べた時にたまたま載っていたのだ。
なので今日は宿に荷を降ろしたらそこに行ってみたいと思う。
目的としている宿から徒歩5分で行けるので非常に好都合だった。
宿もバス停から左程遠くはなかったのもまた幸運だろう、やはり持っているな私は。
だがその宿を確認した時、私は愕然とした。
老朽化した戸建てアパートと言えばイメージしやすいだろうか、屋根の瓦は所々剥げていて二階の窓のほとんど修正した箇所があり扉に至っては開け方にコツが必要で少し浮かして手前に数㎝引いて開けるらしい、何か封じているのかこの宿は?
中に入ると私は突然祖母の家を思い出してしまう。あまり湿気のない田舎の、木造建築特有の抱擁されたかのような雰囲気があまりにも似ていた。
玄関にはいくつもの額縁が壁にかかっており、工夫達が記念写真のように写っているもの、ここの女将の旦那だろうか大日本帝国の格好をした男の人、一人の老婆があらぬ方向を何処か睨み付けているものなどがあった。
左手の方にカウンターがあったのでそちらに近づき置かれたベルを鳴らす、持ち上げて福引が当たったようにカランカランと。
するとペンと紙が奥からスライドしてきた。泊まる日数を書けということだろうか、とりあえず一泊二日と書いてペンと紙をスライドさせる。
少しすると204と書かれた鍵が奥から来た、代金は後払いのようらしい。というかこんな感じの宿が日本にあるのだろうか?などと思いつつ二階のその部屋に行った。
荷物を下ろして記念館に向かう。
歩いていると周りのほとんどの建物が昭和後期の空気を作り出していた。舗装された道、木造でできたタバコと書かれた店、ガキ大将がいそうな空き地、妙にタイルが大量についている骨董店、20年前に公開されていた映画の看板などが奇妙なほど絵になっていた。
だが、人がほとんど歩いていないことがやはり現在と捉えられる部分だろうか。
悲しいことにここの地域の過疎化は止まっていない。
交通が不便なのもあるのだろう、観光面に関してはそれほど悪くないみたいだが。
それでも目に映るこの光景を油彩画にすれば何か大賞でも取れるかもしれない。
まあ私にそんなセンスはないが、知り合いにはいるからそいつに話してみよう。
いい土産が出来たと思いつつ、記念館に向かう。
記念館は市民ホールと併用して運営しているようだ。
今日は何かやる予定はないみたいだが、近々何かやるらしい。
ポスターを見ると花火の絵と共に女性が書かれていた。
彼女の顔は誰かを想うようなそれでいて悲しむような眼をしている、所詮印刷物なのに元となった絵が大味すぎる為か自然とそちらに目が行ってしまう。
絵に夢中になるのは何時ぶりだろうか?
久しいこと文字と灰色の感情を彷徨っていたから恐らく絵の中にある人の燻る想いを感じられなくなった。
それが今再び芽吹こうとしているのを感じるとどうも内から湧き上がるこの気持ちは何だ?
温かく、暗く、書いているときの心境に近いはずなのに安らいでしまう。
わからない、だがもう少しで私の中で答えが出るはず。
しかし後ろから声がかかり我に返る。
その瞬間、私の中で出かけていた答えがモグラたたきのように引っ込んでしまう。
後ろを振り返るとそこには老婆がいた。
腰は曲がっておらず柔らかい雰囲気をのこした目をしていた。
大丈夫かい?と聞かれて私はええ、大丈夫ですと答えた。
気持ちにモヤモヤと煙ができたものの本来の目的を忘れたことに対しての苛立ちによる風でそれをかき消した。
記念館はあまりにも質素で何も見ずに回ると20分もかからない短さだった。
だがそれは素人にとってはだ、情報を必要とする私にとっては大切な場所である。
記念館の略歴、全体図、当時の新聞記事、展示物…………色々あった。
展示資料の中にあった当時の一枚の写真の中に22番宿で撮られたと思われる集合写真があった。
日付は明治22年はわかるのだが、後は掠れて読めなかった。
大きな橋の上で袴姿の男性と着物を着た、女将だろうか、女性が並んでおり中でも若い顔をした夫婦が目立っていたが、それでも一際その存在を示していたのが中央に可愛く着飾った女の子だった。
カメラを初めて見たからだろうか、全員が妙に緊張した面持ちをしていて思わず口元が綻ぶ。
よく見ると奥まで大きな橋が点々としているため恐らくこの集落は川を挟んで成り立っているものらしい。
だが、何故か妙に違和感を感じたのがその時はまだわからなかった。
先程後ろから声をかけた老婆はここの管理人らしい。
外にいたのは暇だったからだそうだ、一度似たようなことをやった経験がある為その気持ちに共感する。
実は今日は休館日で本来は閉めているそうだが、どちらにしてもあまり人が来ないそうだから特別に開けてくれた、今度知り合いの変人学者に教えてやるか。
全ての資料を見て管理人室に通してもらうと14時を過ぎていた。
そこでパイプ椅子に腰かけながらこの地域についてひとしきり聞いた後、本題に入った。
22番宿の亡霊についてである。
記念館の資料には過去に土砂崩れがありその時に22番宿が全壊した新聞記事があった。
以外にもそれは明治時代の初期に起きたもので当時の新聞記事もかなりボロボロになっていたが文字もしっかり判別できる状態で展示されていた。
聞くと現物であり、ここら一帯には工場が多かったため戦時中は空襲が多かったそうだが燃えなかったのも小さい新聞記事というのが功を奏したのだろう。
管理人は持っていた湯呑にお茶を淹れ、事故の内容を淡々と話をしてくれた。
明治23年8月12日
この日はひどく荒れた天気だった。
遠くで雷が鳴り、山頂から流れてくる川は氾濫していて集落の人間は一日外に出ることを許されなかったそうだ。
22番宿では宿屋の経営が困難になり始めたのとこれからの集落の方針を決めるのが行なわれていて、おばあさんのお父さん、お母さん(先程写真に写っていた若い夫婦)が当時の宿屋の一つを切り盛りしていたから忙しくなった二人がおばあさんを心配させたくないと麓の親戚の家に預けて集落から遠ざけた。
そのおかげで私のおばあさんは二日ほど前に村を降りていて事なきを得た。
事の全てが知らされたのが親戚の家で生活するようになって数年が経過した時らしい。
川の氾濫が激しくなり水が街道の方まで乗り上げてきたのを抑えていた集落の住人達は1人を残して全滅し、家の中にいた住人達も流れてきた土砂の下敷きとなり生き埋めとなった。
残った1人は氾濫に押し流されて下流で見つかり、その時の状態を明確に話したことからここまでを把握するに至ったそうだ。
実際救助に行った麓の住人が22番宿のある所に捜索をしに行くと氾濫で倒れた木もなく、川も完全に埋まっていてだだっ広い平地があるだけだったそうだ。
数日かけてその下を掘り返すとあらぬ方向に体をねじった住人や倒壊した家屋に押しつぶされた状態で見つかった判別不明の死体が出てきた。
勿論その時におばあさんのお父さん、お母さんも発見された。
お父さんがお母さんを抱えるような形で見つかったそうだ。
おばあさんは成人してあるお金持ちの家に嫁ぎ、数十年の歳月を経て元の場所に22番宿を作り直した。
おかしい点は特に見当たらない。
降雨による土砂崩れで22番宿に被害が及んだ、その時の住人が亡霊となって今も生きている、これが妥当だろう。
壁にかかった時計は16時を過ぎていた、そろそろ宿に戻らなければ。
そう思ったと同時に後ろからこれから家に帰るのだけど寄ってみるかい?と声がかかった。
どこにですか?と返すと管理人は22番宿に、と答えた。
車だと以外にも30分もかからなかった。
高速道路ができたおかげで隣の県に向かう道が整備されたらしい。
22番宿はちょうどその道の途中にあるからという理由で車に乗せてもらった。
管理人の家はかなり遠くにあるのだが、帰っても誰もいないというのもまた乗せてくれる理由の一つだそうだ。
22番宿に向かう道は舗装されてはいないものの砂利道になっていて、車では行くことができなかったが人が歩く分には問題はなかった。
22番宿に向かうのはかなりしんどいものだった。
普段階段の上り下りしかしていない人間にとって、自然が生み出した坂はどうにも足にくる。
ついてきた管理人は登り慣れているのかほとんど息が上がっていない。
運動不足は確かに問題だな………と危機感を抱き、帰ったら運動しよう………と心の内で思った。
午後17時24分
着くとそこには確かに昔の、主に江戸時代の宿泊施設の、町があった。
22番宿はなだらかな坂に宿屋や民家が密集している東海道五十三次でよく見そうな形態をとっていた。
木造の家、障子、宿と漢字で大きく書かれた木の看板、果ては茅葺屋根の家なんてものもあった。
ガラスはおろか電気さえ使われていない様子で、周りにある建物から出ている明かりはほとんど蠟燭から出ているものだと言われないと分からなかった。
管理人曰くここは当時の22番宿の寸分たがわず再現したと言っていたが江戸時代の明かりのところまで再現するとは思わなかった。
ここは今では観光スポットの一つとして扱われているらしく今日はそれほどでもなかったが冬の祭りの日になると道が埋まるほどの人が訪れるらしい。
道の一番上から見た景色は素晴らしく遠くの山に沈みかけている夕陽が綺麗だった。
だが私はここである疑問を抱いた、写真で見た川と橋が無いのだ。
どこを見渡してもあるのは下に続く道と民家だけ水が流れている様子はどこにもなかった。
もし、この22番宿があった当時の人間がいたとしたらまずそこを指摘するはず。まあそんなことはあり得ないことぐらい時代遅れの私だって理解している。
考えられるのは管理人の祖母がトラウマを思い出さないために敢えて作らなかった、というのが一番の理由だと思われる。
試しに管理人にそのことを聞いてみるとなんとこの下に今でも流れているという調査結果が出ているらしい。
事実22番宿の酒屋に飾られている新聞の切り抜きのようなものがそれだった。
酒屋に飾られているのには理由がある。
現在の22番宿は明治の時とは場所が若干ずれており少し東寄りにある。
そのため元々22番宿があったところは森になっており今は湿って蚊の群生地になるそうだ。
加えて下を流れる川は少しばかり蛇行しており一番西側にある酒屋の真下を丁度通るような形になっているため酒屋に調査書(店に飾ったりはしていない)が残っている、ということだそうだ。
それに川神様がいたのを信じたのもあって手前の神棚にお神酒がちゃんと供えられている。
冬の祭りもこの川神様に感謝をするものだとかなんだとか。
まあ神様へのこういった『感謝』の意味合いで信仰されているのが素晴らしい。
私は非常に心地のいい心持ちで酒屋を出た時、目の端で影が揺らめいた。
2軒先の家のところに風で消えそうになる炎のようにぼぅっとそこにそれは現れた。
初めは夕陽の光によって出来た家の影だろうと思ったが、気になってそちらに体を向けてしっかりと見るとあり得ないことに気付いた。
翳が他の影の中で動いているのだ。
目を離し、思わず携帯の画面を開く。
パッと照らしだされたその画面の時計には17時55分と表示されていた。
油断した!!まだ時間は過ぎていなかった!!
逢魔が時、妖怪が起き始めるとされるその時間はちょうど5~6時。
そして亡霊の出る時間も同じ、つまり亡霊は妖怪だったのだ。
いつの間にか歩き始めていた人の容貌をした翳はヒタリヒタリとこちらにやってくる。
家の影を当然のように歩き、太陽に当たってもケロッとしている。
何よりも不気味だったのが持っているものである。
右手に錆びているのか歯がボロボロの大きな洋バサミを持ち、左手には包丁を持っている。
それをブラブラとさせていて今にも落しそうな様子だった。
私は思わず後ずさりをする、熱いものを触ったときに手を引っ込めると同様に体が無意識にそう動いた。
翳は足を止めない、相変わらずヒタリヒタリと、手に持つものをブラブラとさせてこちらに近づく。
とその時一人の翳に気付いていない観光客が翳に当たった。
するとどうだろう、たちまちその者の喉は切り裂かれ鮮血が辺り一面に飛び散った。
そのまま膝からゆっくりと倒れる筈だったがそうはならなかった。
翳は左手の包丁をそのままその者の体の至るところに刺し始めたではないか。
初めは倒れてきた重さを利用して心臓を、次に肺を右側から、続いて肝臓、すい臓、脾臓、腸………と順に指していき、最後に顔面に何回も何回もその切っ先を突き立てた。
ここまででものの10秒もかからなかった、それほどまでに一瞬の出来事だったのだ。
倒れるその者の遺体は人としての原型はとどめているものの、見るも哀れな姿であった。
陥没した顔には鼻がなくというよりも鼻を中心として顎から眉間の部分まで見事にくり抜かれていた。
体の方は腸が完全にはみ出し、内臓のほとんどが辺りに飛び散っていた。
そして驚くべきことに翳が遺体から離れた瞬間にそれは陽炎の如くその場で昇華し消えた。
遺体から流れ出ていた血だまりすら消え、その場には持ち主の消えたナップザックだけが残されていた。
翳は止まらなかった、こちらにズンズンと進んでくる。
私は吐き気こそ覚えたものの、頭の中で対処方があると悟っていた、当たらなければいいのではないか、と。
少しずつ私は後退していった。振り返って走り出せば逃げ切れるかもしれないが、そうなると翳も走ってくるかもしれない。
ゆっくりとそして早く後退をし続けた。
そして翳から3m程度の距離をとった時に気付いた。翳が動きを止めている。
首を横に向け、今目の前にいる建物の、酒屋の中をジッと見ている。
再び時計を確認するとわずか1分しか経過していなかった。酒屋の中には管理人も店主もいる。
そのまま翳が体をゆっくりと酒屋の中に向けた時、私は酒屋に向かって走り出した。
私が酒屋の前に来ると中ではおかしな状況が広がっていた。
翳は何故か神棚を凝視していた。管理人は店の奥で腰を抜かしており、店主は切りつけられたのか神棚の真下で倒れている。
翳は神棚から目を離すと管理人の方を向き、静かにそちらに踏みよっていく。
私はそのタイミングを見逃さず、倒れている店主の下へと駆け寄った。
店主の背中からは人体模型でよく見る脊椎が抉られる形で露わになっていた。傷口からは先程の観光客のように昇華し始めていた。
医術の心得のない私にとって今の彼の状況は芳しくなかった。というか応急処置の仕方云々ではなくここまで来てしまうとどうしようもない。
いったん彼を放置して管理人に目を向けると翳がいなかった。そして管理人が怯えてこちらを指さしていることに気付き、後ろを振り向いた時と翳がそのおおきな鋏を振りおろした時は奇しくも同時だった。
―――――――――――――――――
「で、そこからどうなったんですか?」
「神棚から偶然お神酒が落ちてきた」
「それでそれで?」
「翳が消えた」
「えーっ!!あり得ない、つまらない、オチがないのやっちゃいけない3つのルール通りじゃないですか!!」
「なんだそのルール………」
「展開に面白みが全くないってことです!!こんな状態だと次回作も期待できそうにありませんね…………」
「……………はぁ」
「それはそれとして今回のこの件の亡霊って何だったんですか?ホームと22番宿の関係は分かったにしろこれが分からないと主題が成り立たなくなりますからね」
「……それって…………まあいいか。あの後それを調べてみたんだ。時間はかかったけどそれなりの核心が持てる結論は完成できた」
「ほほう?ならお聞かせください、その結論とやらを」
「おっほん!!まず今回の22番宿の事件で一番肝になるのは亡霊が一体どんな存在か?というところです。
亡霊には浮遊霊とか地縛霊いますが、22番宿の幽霊は明らかに後者であることが分かります。
それは浮遊ならあちこちに行けますが亡霊は何処へも一人歩きしていないからです。
加えて地縛霊は非常に強い怨念や抑制、恨みなどマイナス面での影響を受けているのが非常に多い。
ここまで分かりましたか?」
「分てるんでもったいぶらずにさっさと言ってください」
「…………………(イラッ)。えー、そうですね単純に言うならばすべては一人の少年の横暴さと大人の理不尽さな行動が蒔いた結末というべきでしょう」
「…………?ちょっと話が見えてこないですよ?」
「ええ、簡単に結論を述べたまでですから」
「…………………(イラッ)」
「明治23年の夏の土砂崩れで一人だけ生存者がいた、その人物は何故か流された後なのに集落の様子を知っている、おかしいですよね?」
「ん?まあ確かに………」
「それに土砂で埋もれた人間が判別不明で見つかるわけがない。生き埋めなんだから体にある程度損傷があったり、腕がねじれていたりしてもおかしくはないけどそこまでいくと別」
「……………つまり別の事件がすでに起きていて土砂崩れが起きたからそれはないこととされた、ということですか」
「ええ、そうなります。ただしここら辺がちょっと厄介になりますが、聞きますか?」
「聞きますよ、ちゃんとオチのある話みたいですし」
「…………………分かりました。結論からバッサリ言うとそいつ、犯人は馬子の少年、岸田正八郎燈火です」
「は?」
「うん、そういうリアクションになりますよね。私も最初気付いたときそうなりました」
「ぐっ…………同じリアクションをとってしまうとは……………不覚!!」
「いや不覚!!じゃないですよ。まあいいでしょう、話を戻しますとありえない点は子供が集落に何十人もいるはずの大人を殺害できるかというとこです。これは頭が悪くても無理だってことはわかります」
「…………!ああ、そういうことですか」
「そう狙っていたのかどうかわかりませんが大人が外に出ていなければ何の問題もない。
ましてや豪雨の中、無理に外に出て助けを求めるものは現れない」
「………………川が集落の真ん中を流れているから」
「しかし隣に言えば済む話ではないか?と思われますがここで考えられるのは―――――」
「持っていたものですね」
「なかなか冴えてますね。まあハサミと包丁をどう使うかは言わなくても分かりますか」
「……………?ハサミで喉を切って包丁で刺す?あれ?ハサミいらなくないですか?」
「…………そう思いますよね。だけどハサミは本来の用途で使います、と言えばもうわかりますよね」
「まさか…………」
「そうアキレス腱を切るためです」
「うえぇ…………」
「私が見た観光客の死に方で不自然な点は彼はその場から助けを求められなかった、つまりあの時点で完全に即死していたことになります、恐らく死んでも同じこと繰り返していたため慣れたのでしょう。
だけど初めて人の喉を切った時は絶対にその人を殺しきれません、なんせ初めてなのだから。
やられた方はしめた!!と思って逃げ出すでしょう。
蹴り飛ばし襖を開ければこの惨状を起こしたのはそこの子どもだと誰もが理解できます。
だけど知識がなくとも馬子が馬が廃棄される瞬間を目にしないはずがない。
だからこそのハサミというわけですね」
「………ちょっとタンマ」
「はい?なんでしょう?」
「繰り返していた?ってどういうことですか」
「そのまんまですよ?燈火は死んでも殺人を繰り返していた、ただそれだけの話です」
「証拠は?」
「ありますよ、話した中で出てきた観光客の荷物のように他にも所在不明の荷物が100件以上もありました。まあ22番宿は少し前からこういうことが起きてたみたいで管理人の人もそういうホラー系が好きな人だと思っていたみたいですね……」
「ぶふぉ!!!」
「いや吹き出すとかじゃないですよ?私も大分変人ですがあなたも大概ですよ」
「いやあ心外だな(棒読み)」
「………………続けますよ。なぜ所在不明か?推測としては燈火は自身の殺人のスタイルを死んでから昇華させたと考えるべきですね。
しかも自身が幽霊であることを認知していたというのが厄介ですね。
だからこそその利点を生前に使っていた刃物にそのまま乗せた、と考えるのが妥当だと結論付けます」
「ははあ、傷が昇華したってのもそういうことですか。そういえば酒屋の主人はどうしましたか?確か切りつけられたんですよね?」
「大きな傷跡が背中に残っただけで無事ですよ。でもあのまま燈火が居続けたら死んでいたかもしれないですね」
「それで一番の謎はお神酒で消えたことですよ!!なんでそれだけで消えるんですか!!」
「そう言われてもですね…………。信仰が生きていたとしか言いようがないです。例え自身の身体が土の下にあったとしても信者が上でしっかり祈っていればそれでいいという感じでしょうか?まあそこらへんは匙加減ですかね」
「はあそうですか………何か最後だけ曖昧ですね」
「悪いな、神様じゃないもんで。そろそろ帰らせてもらうぞ、次の作品のプロットが書けそうだからな」
「あ、待った」
「なんだ」
「燈火はその後どうなったんですか?」
「………………さあな幸せに暮らしたんだろ」
「ちょっと待ってそれじゃあ………」
「おっとそれ以上は言うなよ、私は事件以外は全部プライバシーだと思ってるからな。それ以上は言うなよ」
「…………ちょっと怒ってます?」
「いいや、別に」
「ただいま帰りました!!な………貴方は………」
「安心しな、もう用はないからこれから帰るよ。ああ、アイス一本貰ってくぞ。お前以前ジュース代返さなかったからな。沙尽には言うなよ」
「あいあい分かりました。舞ちゃんも今のは見なかったことにしてね」
「………………」
「もしもーし?舞ちゃーん?」
「は、はいぃ!?す、すみません!!ボーっとしちゃって………」
「…………よし行ったか」
「あの………あの人は一体誰なんです?」
「ああ、舞ちゃんは咲華知らないもんね。そうだな………あの人は―――――」
――――――――――――――――――――
燈火はあの後破傷風で死んだそうだ。
傷口から化膿したらしいが助かった人間を手厚く看病して破傷風になるだろうか?
まあ岸田家当主の妾の子だから仕方ない、と言えば話は済むだろうか?
燈火にとって恨むべき対象とは誰だったのか?
真相は闇の中だから分かるわけはない。
だが――――
「…………羨ましかっただろうな」
記念館にあった写真を後日確認してみたところ左端にいた子どもが明らかにこちらに視線を向けているのが分かる。
その視線の先に何があるのかはわからなかったが疲れ切ったその目に驚きと怒りが渦巻いているのが見てとれた。
大人たちの中で一人だけ、自分とほとんど変わらないであろう女の子がみすぼらしい自分と違う輝きの中にいる、その距離感があそこまでの殺意を湧き上がらせるだろうか?
こう思ったかどうかもすでに憶測の域に入る、これ以上の干渉はよそう。
袋を開けて中にある棒に刺さった氷菓を取り出す。
そのまま口まで運びかぶりつく。
「舞か………管理人さんもいい名前つけるじゃないか………」
そう小さく呟き、アパートへの道をトボトボと、星が輝く空の下、今日も変わらず歩いている。
「咲華が話すときに口調変わるのおかしくないですか?」
「………元々噺家を目指しててな、語るときは大体敬語になる」
「そう言えば私の名前出てないですけどー?」
出す必要がなかった、それだけだな。
「麓の旅館には何にも伏線はなかったのか?」
うん、あった設定にしようと思ったけどないことにした。ちょっと文字数超えそうだったし。
「手抜きですか?」
これ以上書くと本格的に連載作品にしないといけないし、これ以上連載増えると多分頭がパンクする。
「最後に来年は出しますか?」
書く、余裕があったら。
ここまで読んでいただいた方、途中まで読んでいた方、もしくはチラッとだけページを開いてくれた方に対してお礼を申し上げます。
上に書いたのはあくまで作者が予想で書いた質問ですので気にしないでください。
咲華「痛々しいな」
バキッ!!
咲華「ぐはっ………!!」
はい、そんなこんなでいかがでしたでしょうか。あまり怖くはないと思いますが、多分これが今の精一杯です。
ホワイトレスの方ももっとレベルをあげたいと思うのでドラえもんみたいに温かい目をして応援してくれたらいいなと思います。
それではいい加減終わらせないと。
残暑がない夏を過ごしたい、恒我臥薪でした。