中編
「俺も最初は冗談だと思った。だがゴーストキャッチャーは実際に居るんだよ、お前の目の前に。」
‘ゴーストキャッチャー’、その言葉を私は頭の中で何度も繰り返した。まるでアニメか漫画のタイトルのようで、天井からぶら下がったままの蜘蛛のように、着地点を見失っていた。舞台では二人目?の幽霊がオークションに掛けられていた。今度は年齢三歳位の金髪裸体で外国の男の子が、テーブルの回りを元気に走っている。先の軍服の幽霊とは違い、オークションは活発に動いていた。十万、三十万、値段はあっという間に百万円台に上昇した。競売人が落札を告げると、その落札者の男は表情を変えずに頷いた。
「あいつは名の知れた代理人でな、バックには有名企業のお偉いさんが付いてるという噂だ。主に男の子供や若い中性的な男の幽霊を狙っている。つまりマイノリティな愛に生きると言うやつだ。何でも美術品のコレクションルームに幽霊を放し飼いにしているらしいぜ。幽霊ならスキャンダルの心配が無いからな。」
Nの言葉に私は只々驚くしかなかった。端から見たら随分と間の抜けた表情を浮かべていたに違いない。しかしそれ以外にその場に相応しい態度は無いとしか思えなかった。魚か野菜のように次々と幽霊を競りに乗せるその場の不自然さに、私の感覚は次第に理解不能な故に麻痺していくようだった。
Nは私の態度に共感とも、嫌味とも取れる笑みを浮かべ、まあ落ち着けよと言う風に空いている椅子を運んで来て、オークションの邪魔にならないように他の客から離れた部屋の隅に私を座らせた。
「蝋燭の灯りで暮らしていた時代ならいざ知らず、遠くの星に探査機を飛ばすこの御時世に裏で幽霊の取り引きなんて怪しい事が行われていたんだ、驚くのが当たり前さ。でもこれは紛れもない事実なんだ。それを知っているのは一部の人間だけだがな。
幽霊の売買は随分と昔から行われていたらしい。最初は呪詛やまじないの道具として取り引きが始まったそうだが、何しろ相手が幽霊だからな、何をやっても姿が見えなかったり詐欺行為もざらにあったそうだ。転機になったのは産業革命が始まってからだ。アナログなテクノロジーとマッチしたのか幽霊を記録出来るようになった。そして誰かが幽霊を捕まえる手段を編み出したのさ。最初は好事家達のお遊びで降霊会なんかで使われるようになった。だが技術の進歩と供にトリックも進化した。魔法とトリックの違いを見分けられる普通の奴なんてそうはいないものだ。結果、幽霊はアンダーグラウンドなカルチャーとして、一般社会から遠ざけられた。だがそれは幽霊コレクターにとって好都合な出来事だった。紛い物を掴まされる事も無くなるし、何より騒がしいミーハーな競争相手が減るんだからな。願ったり叶ったりな訳さ。かくして特別に選ばれた者だけが参加出来る、秘密のオークションが執り行われるようになったと言う事さ。
オークションが開かれるのは年に一二回、夏か冬、決算期と株主総会の時期は避けてくれと参加者からの御要望だそうだ。その開催日迄に幽霊を集めて来るのが俺の仕事だ。人気があるのは若くて美人な女の霊、可愛い子供、そしてアーティストだ。
だが相手は幽霊だ、そんなに都合良くキャッチ出来る訳じゃない。一年の大半は何処でどんな人が死んだのか、それを調べる事に費やされる。それに古い鏡を手に入れること。こいつの良し悪しでキャッチに成功するかどうかが決まる重要なアイテムだ。そしていざ行動を起こしても、標的の幽霊に巡り会うのは至難の技なんだ。大概ろくでもない霊を拾って苦労する事の方が多い。たとえ標的を見つけたとしても、捕まえるのは楽じゃない。普通の神経ではまともじゃ居られなくなってしまうんだ。
幽霊を一人捕獲する度に俺の何かが削られてしまう。削られた部分が何か別のものに置き換わってしまうのを、毎回実感している。おそらく俺は見た目は人間だが、人とは違う者に変わろうとしているのかも知れない。だけどこの仕事を辞める積もりはないんだ。苦労して標的を捕獲して、オークションで値がどんどん吊り上がっていく時のあの高揚感は博打以上だ。暗がりの迷い子でしかなかったものが金に化けるんだ、これこそが奇跡さ。」
薄暗い部屋で、Nの顔が異様な輝きを放って紅潮しているのが見てとれた。その姿は、酔った勢いで自らの弱さを愚痴り、博打に勝つ度に仕事仲間に大盤振る舞いをし、女が病気になると付きっきりで看病する、繊細で見栄っ張りで義理堅い、私の知っているNとは違う男の顔になっていた。
「見てろよ、次に競られるのは俺がキャッチした甲冑姿の鎧武者だ。こいつを捕獲するのにどれだけ苦労した事か、お前には想像がつかないだろう。」
Nは自慢気にそう告げて来た。舞台には鎧を身に纏った武者姿の男が立っている。それまで大人しくしていた外国人達が競りに参加しだした。競り値は一気に跳ね上がり、一千万円の大台に突入し、しばらくもみ合った後、一千五百万円越えで外国人のバイヤーが落札した。
Nはどうだと言わんばかりに満面の笑みでガッツポーズをした。
「侍は外国人に大人気でな、特に全身一部も欠損の無い、甲冑姿の幽霊になると面白いように値が上がるんだ。何でもヨーロッパの貴族が先祖の霊と一緒に城に住まわせているそうだ。何だか笑える絵面じゃないか。侍にしたら他人の縄張りに放り込まれて、大迷惑だろうがな。」
苦労して捕獲した幽霊が高値で売れて、Nは上機嫌だった。こんな怪しげな場所でオークションに掛けるより、テレビ局に売り込んだ方がもっと大金が手に入るだろうにと、Nの興奮に水を指さしてみた。
「お前と同じ事を考えたキャッチャーが海外にいた。依頼人に渡す筈のハリウッド女優の霊をくすねてテレビ局にコンタクトを取ったんだ。ソイツがどうなったと思う。
街全体が大規模停電にあった夜、テレビ局のプロデューサーは自動車内で自殺。キャッチャーの男は死んだ娼婦の横で朝目覚めた所を警察に現行犯逮捕されて、今は刑務所の中さ。幽霊の取引をする連中は、自分達だけの秘密のお楽しみを愚かな大衆に分け与える気など無いのさ。死んだポップスターの新曲も、美男美女の優雅なウォーキングも、鍵の付いたお菓子の缶に入れられて、誰も知らない引き出しの中にしまわれている。オイタをする子にはお仕置きが待っている、それが絶対のルールなんだ。」
Nは真顔で言葉を切ると、しばらく私を凝視した。この話題はこれで打ち切り、そう言いたげな素振りを示した。しかし私の好奇心はまだ満足していなかった。ならばと話題を変え、幽霊を買った人達は祟られたりしないのかと聞くと、
「以前、特別な依頼を受けて師匠の指導を受けながら、若い芸者の幽霊をキャッチした事があった。忘れもしない俺の初仕事だ。師匠に連れ添って意気揚々と依頼人に鏡を届けに行ったものさ。特別室に通されて、感謝かねぎらいの言葉でも掛けられるのかと思っていたが、ビジネスライクに淡々としたものだった。テーブルの上に札束が置かれて取り引きは完了。今すぐ女を見たいと要望するから、俺と師匠で準備して、芸者の幽霊を呼び出して見せた。
その時に依頼人は何をしたと思う。
奴は魔術の道具を取り出して来て、芸者をいたぶり始めたのさ。面食らったぜ。生身の人間が幽霊をいじめるんだからな、あの時初めて幽霊の悲鳴を聞いたよ。頭の中に直接叫び声が響いて来るんだ。津波に呑まれて助けを求める人の声みたいに。俺は一生忘れる事は無いだろう。
幽霊が身をよじる姿をまるで何かの実験を観測するかのように、依頼人は表情一つ変えずに冷徹な目で眺めていたよ。金持ちの退屈な気晴らしなのかと思ったが、静かに興奮しているのが分かった。ズボンの上からも勃起しているのが見えたからだ。忘れられない狂気の瞬間。
そして俺にも勧めて来たよ、悪ガキがイタズラの共犯者を作るみたいに冷やかな微笑みを浮かべて
‘君もやってみるかい’
てな。
人の中に潜むとてつもない悪意、快楽への強い欲求を見せられて、寒気がしたものさ。
これだけで分かるだろう? 幽霊の首から値札を下げるような連中に、一般人向けの祟りなんてものの数でもないのさ。
祟りはそれを受け入れてしまう者だけが呪われる、負け犬の人生と同じだ。
つまり祟られるということ、それは己の魂を自らの手で鎖に繋いでしまう、と同義語なのじゃないか。
此処で売られている商品たちを見てみろ。魂を昇華する事も出来ずこの世界に未練を残して彷徨っている。祟りを産み出すものが祟りの一番の被害者じゃないのか?
ひとつ面白い話を聞かせてやろう。俺達の商売で純粋に犯罪を楽しんでいた奴等の幽霊を売った事が無いんだよ、一度も。道義的な問題とかキレイごとで売らない訳じゃない。売りたくてもキャッチ出来ないのさ、一人も。何故だと思う。
おそらく地獄に墜ちたか、あるいは天国か。ともかく未練を残さず人生を全うしたということさ。迷いもなく生きる魂の純粋性は、聖人も極悪人も関係ないって事かも知れないな。」
それならば幽霊をいたぶる快楽に酔いしれる事、獣のように本能に忠実に生きる事こそが、お前が荒野になった町で求めた答えなのかと尋ねた。
Nは冷たい表情で首を振った。
「俺は幽霊を慰みものにするような連中に娯楽を提供する、ろくでなしさ。猟犬みたいに獲物を運んで来てご褒美を貰う、哀れなポチになっちまった。自由気ままに生きていると思っていた俺の今の姿に失望したか? だが食っていく為には我慢したり捨てなきゃいけない事もある。答えを探しあぐねて野垂れ死んだらそれこそ元も子もない。お互い大人なんだ、お前にも分かるだろう。」
そう言ってNは渋面を作り、表情にやりきれない思いが燻っているのがハッキリと見て取れた。荒野に立ちすくんだが故に疲れ果て、絶望に抗う気力を失なった男の姿がそこにあった。私にはどうする事も出来ない、N自身が荒野から足を踏み出さない限り、何人もNを救い出せないのは確かだった。
‘そんな世界を知り尽くしたような口を利くなよ! こんな下らない世の中を渡って行くなら、ガキみたいにもっとジタバタしろよ! あがいてあがいて、お前が幽霊に成るまであがき続けろ! 人間が何処に行って何に成ろうと、知った事じゃない。お前に調べて貰うだけ、余計なお世話だ!’
いつの間にか私はそう叫んでいた。会場の全員が振り返り、私達を注視していた。Nが御詫びの会釈をすると、オークションは再開された。
「熱いな、お前は。」
Nは嬉しさに切なさが混じりあった表情を浮かべ、そう言って立ち上がった。
「もうそろそろオークションも終わりだな。俺はちょっと席を外すが、最後までゆっくりしていけよ。そうそう次の商品も俺がキャッチした幽霊だ。飛びっきりの可愛い娘ちゃんさ、目の保養になるぜ。生きている時に芸能界デビューが決まっていた娘だからな。じゃ、また後でな。」
そう言い残してNは退室した。残された私は、まだ頭の奥が痺れる感じで、一人興奮していた。
‘まるで救世主のように、世界の苦しみを抱え込むな。’
そう言ってやりたかったのに、上手く伝えられなかった事を後悔した。そうこうする内に、縁に彫刻の施された大きな姿見が 運ばれて来た。 Nの言う可愛い娘ちゃんが、この鏡に封印されているのか。
私は気もそぞろにオークションの開始を見つめた。




