09 登校
あれから結花にラインを送れずに俺は朝を迎えていた。とにかく、朝の挨拶くらいはしてみようと思い、ラインのボックスにおはよう(絵文字)とは書き込んでいるのものの、送信ボタンをタップ出来ずに居る。
どうせ、この後、結花と会うのだから別にいいじゃないかという臆病な気持ちが出てきて、結局、俺はラインのアプリを閉じた。
朝食を終え、俺はいつも通り玄関先で結花を待つことにする。朝の新鮮な空気を吸って、心臓が激しく波打っているのを宥めようとする。
そんな時、隣の家の扉が開く。俺は不意を突かれ、身体が固まってしまった。扉から出てきたのは結花ではなかった。そう俺の母校の制服を纏った美少女、結花の妹の若葉が出てきたのだ。
まぁ、よくよく考えればこんな時間に結花が出てくる事自体おかしかった。いくらなんでも早すぎる。たぶん、若葉は朝練があるのだろう。だから、こんな朝早くに家を出てきたのだ。
若葉はこちらに気付いたのか、扉を閉めると、門を潜りこっちへとやってくる。
「先輩、おはようございます」
若葉は人懐っこい笑顔で俺に挨拶をしてくる。
「おう。おはよう」
俺は軽い調子で返す。昨日、久しぶりに二人で買い物をした所為か、若葉はどこか馴れ馴れしい感じだった。俺もそれが心地よくいつもより明るく返せた気がする。
「昨日はありがとうございました」
若葉はそう軽く頭下げて礼を言ってくる。
「まぁ、べつに大したことしてないし」
照れ隠しというわけでもないが、たかが買い物に付き合ったくらいで何度も礼を言われると少し対応に困る。
「あたしにとっては大したことだったんですけどね」
若葉は俯きながらそう呟いた。俺は若葉の呟きは聞こえていたが、何と返答すればいいのかわからず俺は言葉を詰まる感じに押し黙った。彼女の言葉にはなにか含んでいるのは判る。きっと昔の仲の良かった関係から今の関係になったことへの詰責なのではないかと思った。
「それで、先輩はあれからお姉ちゃんと連絡取り合ってるんですか?」
若葉は切り替えるようにそう唐突に問いかけてくる。
「な、なんだよ。いきなり」
聞いてほしくない話題を取り上げられた為、俺はそう誤摩化すようにそう言った。
「えー、いや、だって気になるじゃないですかー。妹としては」
若葉ははぐらかしている俺に気付いているのか、そう不満そうに呻いた。
確かに実の姉の事だし、それに連絡先教えてくれるようにセッティングしてくれた本人としては確かに気になるのもおかしい話ではない。
「で? どうなんですか?」
「え? いや、まぁ……」
俺は結花とのやり取りがほとんど自分ではなく友人たちのお陰の為、俺は曖昧にそう答えるしかなかった。
若葉は俺の答えを聞いて、あまりうまくいっていないことを察したのか、
「あれだけお膳立てしてあげたのに……先輩、やる気あるんですか?」
白い眼でこちらを見てくる。俺はただただ視線を反らすしかない。
「まぁ……先輩ですもんね」
そして呆れたような顔でそう言われた。俺も男としてなにか言い返そうかと思ったが、好きな人の妹にまでお膳立てされて何も出来ていない自分のあまりに情けなさに結局何も言わないことにした。
若葉は少し俺から距離を取って「やっぱね……駄目だと思ってたんだよね……」と呟いていた。顔がやけに嬉しそうなのは勘違いと思いたい。
「先輩、途中まで一緒に学校行きませんか?」
いきなりこちらに振り返るとそう若葉は言ってくる。今までそんなこと言われたこともなかったので俺は困惑して、「え……」と言うだけでなにも返せずにいた。そもそも俺は結花と話そうと思って毎朝ここで待っているのに、結花が家から出てきてもいないのにここを離れたら、今日一日結花と会話(挨拶)が出来なくなってしまう。
「先輩、どうせ、お姉ちゃんと会ってもいつもみたいに挨拶して終わりでしょう?」
そんな俺の浅はか思惑は既にお見通しなのか若葉はそう白い眼で言ってくる。図星であった俺は言い返せない。
「大体、毎日、朝会ってたらいくら鈍感お姉ちゃんだって不自然だって気付きますよ。いいんですか? ストーカーじゃないかって思われても」
俺はもっとも痛いところを突かれ狼狽する。ここ最近のことを思い出す。結花が「なんか樹くんとはいつも朝ここで会うよね」と言っていた言葉を思い出す。あの時はなんとも思っていなかったが、よくよく考えれば若葉の言う通り不自然さに気付いたからこその言葉だったのではないかと。
「そ、それは……勘弁したい」
俺はそう言うと、若葉はあざとく満面の笑みの浮かべ俺の腕を掴んで、
「じゃあ、行きましょう。先輩」
そう前へと引っ張っていく。俺はなすがままになった。
俺の高校と若葉の中学は結構近くにあり、俺が高校を決めた主な理由は結花とその近さ故だった。
若葉はスーパーの時と同じくらいぴったりと俺の隣にくっついてくる。正直、周りから見れば完全に恋人同士だろう。こんなところを同じ学校学年の奴に見られて俺に中学生の恋人がいると知れたらと思うと気が気で無かった。
「先輩、どうしたんですか? そんな変な顔して」
若葉はそうニヤけ面で尋ねてくる。こいつ、わかってて聞いているな。
正直、ムカつくが恋人に見られるから離れろなんて言うのは自意識過剰みたいで言うのは躊躇われる。
「別に」
そう返すしか無かった。
若葉はにこりと「そうですか」と満足げなのが腹が立った。
しばらくそんな距離で何も会話もなく歩いている時だった。
「あの話、なんですけど」
いきなり若葉は口を開く。
少し緊張した面持ちで、地面を見つめている。
あの話と言われて何の話か俺にはわからない。
若葉もそれを察したのか、少し慌てたように、
「合格祈願の話です」
そう言った。
その話か。少し前に若葉と一緒に合格祈願の為に神社に行くと約束をした。
けれど、忙しいから少し後になるから連絡先を交換した。だから、まだ先の話のはずだが、やはり、無かったことにしたいのだろうか。いや、別にいいけど。うん、少しだけ自尊心が傷つくだけだし。それに若葉と二人っきりと考えたら話題に困っていたので丁度良かったかもしれない。
「あーうん」
断れるのを覚悟で若葉の話に耳を傾けていると、
「今週の日曜って駄目ですか?」
若葉はそう地面を眺めながらそう問いかけてきた。
「え?」
てっきり断られると思っていたので意外な言葉に動揺する。
何も返せずにいると、若葉は顔をあげてこちらを見て、
「やっぱり駄目ですよね。いや、その何でも無いです」
まくし立てるように言いつつ微笑を浮かべていた。
「そういうわけじゃないけど、いきなりだったから。てか、忙しいんじゃなかったっけ」
自己完結しようとしていたので俺は否定して、尋ねる。
若葉は自分で忙しいから行くのは先になるかもしれないという理由で連絡先を交換したのだ。
「えっと、まぁ、用事があったんですけど無くなったんですよねー」
若葉は困ったような顔をしながら人差し指を顎に当ててそう返してきた。
「だから、どうかなーと思いまして。無理にとは言わないですけど」
そう若葉はじっと俺の目を見て尋ねる。
その目はなにかを見極めるような目だった。同時に口元が少し不安げに見える。
そんな風に見られると俺も断り辛い。若葉に対してまだどこかで保護者的な見方をしている部分があるのかもしれない。
日曜は特に用事は無かったはずだ。正直、あまり気は進まない。行きたくないという気持ちが少しあるが、仕方ない。
「まぁ、たぶん、大丈夫。別に用事とか無かったはずだし」
俺は少しぶっきら棒にそう答えた。
「そうですか……」
俺の答えに若葉ははしゃぐわけでもなくそう呟く。
「じゃあ、日曜日の十時に玄関前でいいですか?」
若葉は満面の笑みを浮かべて尋ねてくる。
俺と若葉の家は隣同士なので必然的に待ち合わせはそうなるだろう。
「ああ、いいけど」
異論はないので頷く。
「じゃあ、それでお願いします」
若葉はそう言って前を見ながら静かになる。
会話がなくなり二人で歩いていると俺はどうしていいのかわからず若葉を見るが、若葉も顔を上げて視線が交わる。
若葉はぎこちない感じで愛想笑いを浮かべてまた前に視線を戻す。
なんでこんな空気になっているのだろうかと思いつつ、微妙な沈黙で登校した。
「じゃあ、先輩、あたしこっちなんで」
若葉はそう言って中学の方向を指差す。
中学と高校は近い場所にあるが流石に同じ場所にあるわけではないので、ここからは別れないといけない。
途中、知り合いに見られることは無かったので安堵しながらも、
「ああ」
そう返す。
「はい。えっと、日曜よろしくお願いしますね」
若葉はそう言ってくる。その目はまた見極めるような目だった。
そんな疑われているのだろうか。
「うん、十時からだよな」
俺はそう確認すると若葉は頷いた。
若葉は「では」と言って中学へ歩き出す。
俺も高校の方へと歩き出す。結局、結花にメッセージ送れず高校に着いてしまった。




