06 食堂で
俺は学校に着いて、自分のクラスに入るととある人物の姿を探す。江本公平、俺の友人だ。
「江本、相談がある」
俺はクラスメートと話をしていた江本にそう告げて、人気の無い所へと向かう。江本は「お、おう」と答えて、俺の後をついてくる。
廊下を出て、踊り場まで向かうと、俺は人が居ないことを確認して立ち止まる。
「どうしたんだよ」
江本はそう俺に問いかけてくる。
「これを見て欲しい」
俺はスマホを取り出し、連絡帳アプリを開いて見せる。
「三森、結花……へー、三森の連絡先手に入れたんだな」
江本は感心したようにそう言った。
「反応薄っ! それだけ?」
もっとこう驚かないか? おお! マジかよ! とか、すげー! やったじゃん!とか。
「いや、それ以外になんて言えばいいんだよ。昔仲良かった幼馴染同士が連絡先を交換したくらいで。付き合ったらもっと驚いてやるけどさ」
江本の言い分にも一理あるので、俺は言い返せなかった。いや、確かに連絡先交換しただけなんだよな。俺にとってはすげー進歩だけど。
「で、どうすればいいと思う?」
俺はとりあえずあの後ずっと考えていたが、全く良い案が浮かばなかったので江本に尋ねる。
「どうすればいいって電話なりメールなりラインなりすりゃあいいじゃねーか」
江本は若干呆れ気味にそう言う。俺はそんな当たり前のことを聞いているじゃない。
「それは判ってる。でも、なんて送ったらいいのか判らなくてな。てか、どういう話題で話したら良い?」
「別になんだっていいじゃねーか、学校の話とか、幼馴染なんだから昔の話でもいいし」
めんどくさそうに江本が答える。学校の話と昔の話と……俺はさっそくスマホにメモする。
「お前……本当に駄目駄目だな」
更に呆れたように江本が俺を見つめる。ダメダメなのは認めよう。だからこそ、こうやってお前に頼っているんじゃないか。
「とりあえずよろしくーって送っとけ。向こうがよろしくーって返してきたらすぐなんか話題振っとけ。じゃないとそれで大体終わるからな」
なんか身に覚えがあるので、肝に銘じておこう。てっか、なんか話題って。それが判らなくて困っているというのに。
「なんか話題ってなんだよ」
「はぁ……もうすぐテスト近いから、テスト勉強してるか、どうかみたいなこと聞けばいいだろ」
俺が尋ねると、江本は溜息を深くついてそう答える。
「テストって、でも、もうちょっと先じゃないか? 変に思われないか?」
テスト期間ならまだしも、テスト期間でもないのに勉強するか? 俺はしない。確かにもう数日でテスト期間に入るけど。
「そんなくだらない心配する暇があったら、少しでも三森との共通の話題増やしとけ。レパートリーが少ないから多少変でもその話題でいくしかないんだろ。向こうだって、話題が無い事くらい判ってるんだから、食いついてくる。食いついてこないなら……」
苛ついたように江本は俺を責め、そして、もったいぶるように先を言わず間を開ける。
「なら?」
俺は息を呑みながら先を促すと、
「もう諦めろ。お前に脈はない」
江本は淡々とそう言って、教室へと戻ろうと踵を返す。
「ちょ、ちょっと、待てよ。脈ないって、勉強してるかどうかに食いついて来なかっただけで?」
俺は江本の隣まで走っていき、そう俺に構わず教室に戻ろうとする江本に問いただす。
「そりゃ、そうだろ。普通興味ある相手だったらどんな話題でも食いついてくる。食いついてこないってことは興味が薄いってこと。恋愛対象として、いや、異性として見てないってことだ。つまり、可能性はゼロ」
江本はそう言って、教室に入って行く。そして、先程の友人たちの所へと向かう。
あんなこと言われたらラインなんて送れる気がしない。正直、怖すぎる。結花の連絡先を手に入れて有頂天になっていたのに、急に連絡先なんて交換するじゃなかったと思ってしまった。
「はぁ……」
思わず溜息をついてしまったが、怖がっても始まらない。もう連絡先を知ってしまった以上、前のようにただ朝に挨拶するだけの関係には戻れない。戻ろうと思えば戻れるかもしれないが、それ以上の発展は望めなくなるのは確実だ。
とりあえず確認のメッセージ交換以降、なにも発言されていないトークを眺めつつ、俺は「これからもよろしく」というメッセージを送ろうと、ボックスをタップする。
「…………」
やっぱり、後にしよう。今、学校だし。もうすぐ授業始めるしな。
ヘタレた俺はスリープモードにしたスマホをポケットにしまい、教室へと戻った。
午前中の授業が終わり、お昼休みになった。クラスの奴らはそれぞれ仲のいい奴らと机を合わせ、昼食を取り始める。さて、俺も江本と一緒に食堂に行こうと思い立ち上がる。江本も俺の方へと向かってきているのが見えた。いつも俺たちは一緒に飯を食っている。食堂だったり、教室で弁当だったり、まちまちだ。今日は食堂に行くことになった。
「江本ー」
食堂に着くと、そう江本を呼ぶ声が聞こえた。結構な人数が居る中、人ごみをかき分けて現れたのは背の低いちょっとぽっちゃりした男だった。
「おっす、豚原」
「安原だ!」
冗談っぽく江本がそう返すと、安原はそう怒ったように返す。いつものやり取りだ。江本と安原はかなり昔からの友人らしい。俺と結花と同じ幼馴染みたいなもんだろう。江本はただの腐れ縁とは言っていたけれど。
「タッチー、おっす」
「おっす」
俺の名字が橘だからタッチーというあだ名になった。現在、そう呼んでいるのは安原とあと数人くらいなもんだけど。大体、橘と呼び捨てにされる。
ふと、もう一人の姿が見えなかったので、安原の顔を見ると、
「今日は山岡は休み」
察した安原はそう答える。山岡次郎、いつもつるんでいるもう一人の友人。安原と山岡は同じクラスだから、山岡が休みなのを知っているのだろう。
「へー、珍しいな。まぁ、いい。さっさと頼みに行こうぜ。席が無くなるし時間も無くなる」
江本はそう先を促す。俺と安原は江本の意見に異論などないので頷いて食券の列に並ぶ。
「でさー、担任の高本がいきなり——」
俺と江本は安原の話を聞きながら頷く。主に安原が話をして、江本がそれにツッコミを入れ、俺が二人の間で頷くという形だ。安原は正直かなりコミュニケーション能力が高い。誰とでも話せるし、なにより面白い。話をしてて退屈しない。見た目こそアレだけど、案外女子からもモテているじゃないかと俺は思っている。
しばらく話していると漸く食券機の前まできた。一番前に居た安原から選び始める。
「えーっと、俺はなんにするかなー。カレーにすっか」
「飲み物は決まったな。で、主食はなに頼むんだ?」
「飲み物じゃねーよ。カレーが主食だよ!」
いつものネタをやっているが、後ろが混んでいるのだから、後にして欲しい。
二人が頼み終えた後、俺はなにしようとか食券機の前で悩む。カツ丼かオムライスで迷っている。優柔不断な俺は両方を押して出てきた方を手に取る。取り出し口にあったのはカツ丼だった。これって大概、やった後にもう一つの方が良かったって思うんだよな。俺も今その状態になっており、カツ丼よりオムライスの方が魅力的に感じ始めていた。しかし、もう頼んでしまった以上関係ない。俺は食券を食堂のおばさんに渡して、出来上がるまでしばらく江本たちの雑談に混ざる。
料理が出来上がって、それをそれぞれ持つと開いた席を探す。丁度、四人が座れるような席を見つけると、俺たちは底の席に着いた。
「そうそう橘が三森の連絡先手に入れたってさ」
食べ始めたと同時にそういきなり江本が暴露した。
ちょ、なに、いきなり言ってんだよ。俺は恐る恐る安原の顔を伺う。
「おう、やったじゃん。タッチー」
そう安原はカレーを頬張りながらなんでもなさそうに言った。
江本と続いて反応が薄い。
「なんだよ、俺の時みたいに突っかからないのかよ」
江本は若干不服そうにそう言った。
「タッチーは特別なんだよ。お前はモテるから別だ。大体、タッチーのあの涙ぐましい努力を見ていたら、俺もなにも言えねぇーよ。素直に喜ぶしかないだろ」
安原は基本仲間の恋愛に関して上手くいくことを妬んでいる。特に江本とか江本とか江本とか。後,偶に山岡とか。
「だって、タッチーさ、三森と話そうと俺のクラスに来たのに、三森とちょっと挨拶して終わったんだぜ。さすがにアレだと思って、俺も援護のつもりで話に参加したら、いつの間にか俺と三森しか話してなかったからな。しかも、俺、あの時まで三森と話した事無かったのに」
あ、うん、よく覚えてる。最初は安原も俺に話題を振って会話に参加出来ていたんだけど、いつの間にか安原と結花だけが話している状況になっていた。気まずかった俺は一応話に参加してます風を装いながら頷いていた。
「もう何度も聞いた。つか、こいつが口下手なのは知ってる。思い知ってる」
江本はめんどくさそうに言った。
「まぁ、これでタッチーもただ挨拶するだけの関係を終えることが出来るわけだ。もうラインやり取りしてるんだろ? どんな会話してんの?」
安原は子どもの成長を見るような生暖かい眼で俺を見て、そう問いかけてきた。まだ結花とのトークには確認のメッセージしかない俺は答えることなんて出来なかった。
「え……なに?」
押し黙っている俺を見て、不審に思った安原は江本に視線を送る。
「まだしてないんだってよ」
江本は俺の代わりにそう答える。
「はぁあ? マジ? まだやり取りしてないの? 嘘だろ?」
信じられないという顔で俺を見る安原。
「いや、だって、今日の朝知ったばかりだし」
俺は言い訳がましくそう言うも、
「いや、もう昼じゃん」
安原は容赦なく切り捨てる。
「はぁ……タッチー駄目駄目じゃん。もう今すぐここで送っちゃえ」
安原は呆れたように溜息をついた後、そうむちゃくちゃなことを言う。
「え? 今?」
「そう、当たり前じゃん。タッチーこのままだと一生送れずに終えそうだし」
そんなことはない……とは言いきれないのが俺だからな。
安原は俺にスマホを取り出しラインするようにプレッシャーを掛けてくる。
助けを求めるように江本を見ると、江本も安原の意見に賛同しているのか頷いていた。江本に言ってもどうにもならないだろう。もうここで観念して送るしかないのかもしれない。
俺は仕方なくスマホを取り出し、メッセージアプリをタップする。そして、結花のトークを開く。それから、ボックスをタップして手が止まる。
「な、なんて送ればいいと思う?」
「なんでもいいでしょ。よろしくーとか、適当に」
安原はそう答える。
俺は安原の言う通り、これからもよろしくーと書き込む。鼓動がすごく早くなっているのが判る。次に送信ボタンを押せばいいだけなのだが、それがなかなかタップ出来ない。先程の江本の言葉を思い出して、躊躇してしまう。
俺がうじうじしていると——
「あーじれったい。貸して!」
「ちょっ」
安原は半ば強制的に俺のスマホを取り上げると、送信ボタンをタップする。その後、安原は俺にスマホを返還する。返ってきたスマホの画面には結花とのトーク画面が開いており、そこには俺の「これからもよろしくー」という発言が乗っていた。
もう心臓が破裂しそうな気持ちになった。とうとう、送信してしまった。まだ俺のメッセージは既読にはなっていないが、逆にいつ見られるか気になって気が気でない。
「スマホから一切眼を放さなくなったな」
「だな」
ふたりはスマホをじーっと眺めている俺を見て人の気も知らないでそう言った。誰の所為だと思っているんだよ。
そんな時だった。手に持っていたスマホが振動したのは。俺はスマホを覗くと、そこには三森結花からのメッセージの通知が着ていた。
心臓が破裂するんじゃないかと思うくらいに鼓動が早くなり、息も苦しくなった。脳味噌に冷たい何かが侵食してくるような感覚を味わい、思考は停止する。
「……着たのか?」
江本は俺がスマホに釘付けなのを見て、そう問いかけてくる。俺はそれに答えることはなく、ずっとスマホに見いっていた。
「着たってなにが? あ、三森からライン着たのか。なんて着たんだ?」
江本の言葉に安原が反応し、そして、俺の方を見て察した安原は俺とは違いすごく気楽そうに尋ねてくる。
俺がスマホの通知をタップすると、メッセージアプリが開く。
俺の「これからもよろしくー」のメッセージは既読となっており、その下には「こちらこそよろしくねー(*^^*ゞ」というメッセージがあった。
「こちらこそよろしくねーって着た」
俺は江本の問いに答える。
「ふーん、まぁ、普通だな」
江本は淡々とした感じに言う。
俺は頭真っ白になる。どうしよう。なんて返せばいいんだ?
「な、なんて返せばいい?」
「橘、それさっき俺が言ったろ。お前らに話題無いだろうから、ちょっと早いけどテスト勉強しているかどうか聞けってさ」
「あ、そ、そうだった! さすが江本」
俺は早速とばかりに「もうすぐテストだな、三森は勉強しているー?」とボックスに書き込む。
打ち込んだ内容を何度も見直した後、今度は自分で送信ボタンを押す。
「はぁ……緊張する……」
そう言えば、江本の奴がこの話題に食いついてこなければ脈がないとか言っていた。
うわー、それを考えると余計に心臓の鼓動が早くなってくる。
しばらく待っていると、結花からラインが返ってきた。
俺は息を呑んでラインを確認する。
内容は「うん、勉強してるよー。私、数学苦手だからねー。早めに勉強しないとやばい(・・;)」と返答が返ってきた。
「これって……脈有り?」
俺は江本にスマホの画面を見せながら問いかける。
「うーん……まぁ、普通。というか、これだけだとわからん。素で返しているようにしか見えないし」
江本は少し唸ってからそう答えた。その江本の背後から顔を出して覗き込んでいるのは安原も微妙な顔をしていた。
「とりあえず返信しようぜ、タッチー」
安原は手を差し出してくる。スマホを貸せってことなのだろう。正直自分のスマホを他人に渡すのはかなり抵抗があるけど、俺はスマホを安原に渡す。
「とりあえず俺的に一緒に勉強するって方向に持っていきたいんだけど……どう思う?」
安原はそういきなり無理難題なことを言い出す。しかも、俺に訊かずに江本に訊いているし。やっぱりこいつに任せるべきじゃなかった。一緒に勉強? そ、そんなの恋人がやることじゃねーか。
江本なら俺のことをよくわかっているはずだし、そんな無理なことは却下するだろう。すべて江本に任せた方がいいかもしれない。やっぱり、イケメンで経験豊富だし。
「まぁ、近々の目標はそれでいいとは思うが、ちょっと今は早いな。まぁ、とりあえずテスト期間に入るまでに何度かやり取りして勉強会に持って行く感じだな」
江本も普通に賛同しているし。こいつらハードル高過ぎだ。どんだけ俺に厳しいんだよ。勉強会とか無理だって。そもそも俺バカなのに。結花にバカなこと知られるじゃないか。
「ちょ、ちょっと待てよ。勉強会って……俺と結花とふたりっきりでか?」
「そりゃあ、そうだろ。三森と幼馴染なのはお前だけなんだから」
俺が肝心なことを問いかけると、呆れた顔で江本が答える。
「いやいや無理だって。普通に考えて挨拶だけの関係でようやく連絡先交換したばかりだぞ。いきなり一緒に勉強なんて無理だろ」
「なんでだよ。昔は一緒に家で遊んでいた仲なんだろ。別に不自然でもないだろ」
俺は無理だということを伝えると、江本はそう返してきた。いや、確かに昔は家を行き来するような仲だった。だからと言って今でもそれが出来るかと言えばそうではないだろう。今は今、昔は昔だ。
「そんなの、昔はそうでも今は無理だって。あれからもうかなり経ってるのに」
「三森の両親はお前が家に来てもなにも言わないだよな」
「え……? まぁ、たまに俺の家に来てたりして、俺の親と一緒に飯食ったりしてるし。それにたまに姉貴が向こうに行って結花と遊んだりしてるから。たぶん」
唐突な問いに俺は不審に思いながらもそう答えた。
「結局、お前と三森の問題ってことだろ」
「…………」
俺はなにも言い返せなかった。胸がちくりと痛む。江本がなにを言いたかったのか漸く理解したからだ。昔と変わった所なんて結局は俺と結花との関係だけで、俺が結花の家に行ったとしても結花の両親は何も言わないし、そして、結花が俺の家に来ても俺の両親も姉貴もなにも言わないだろう。姉貴は普通にお隣の三森家と仲良くやっているわけだし、俺だけが向こうと距離が出来ているだけだ。いや、自分自身で壁を作っているのか。
「とりあえず、タッチー。返事返しておくわ。内容は数学むずいよねー。関数とか全然わからないわー的な感じで」
沈んだ空気を切り替えるようにそう安原は俺に言ってくる。安原は江本の意見を参考にしたのかいきなり勉強会に誘うようなことはせず、かなり無難な内容だったので俺は特に文句などなく頷いた。




