第9章 レイノ王国、レイノ城にて
レイノ王国の王、メルクリオ王は執務室で緩慢に微笑んでいた。
それもそのはず。彼は念願であった“巫女”を自国に招くことができたのだから。
国の窮地に現れるという存在、巫女。
一説では“神様”が国を憂いて救済のために遣わすと言われている。
そして、レイノ王国は他のどの国よりも、神の伝承とその御力を信じている。
メルクリオ王もその一人だった。故に、彼は巫女が現れたことにとても喜んでいた。執務にも身が入らぬほどに。
それに加え、当代の巫女の容姿。今まで伝えられてきたどの国の巫女よりも若く、美しい。
できれば自分の子達と結ばれてほしいくらいだが、生憎彼の息子たちはどちらも職務に忠実であり、メルクリオ王の思いに応えることはないのだが。
それが分かっていても、望んでしまう。
それほどに人を惹きつける力があるのだ、“ショーコ”という巫女には。
瑞々しさ溢れる巫女の姿を思い出していた時だ。この部屋に訪問を告げるノックが鳴った。
「誰だ?」
「ベヌスです」
現れたのは、メルクリオ王の長男、ベヌス第一王子だった。
この国の王族は、ほとんどが金に近い色を持って生まれる。
メルクリオ王は髪も瞳も金だが、生まれた二人の息子は、それぞれ瞳に青の色を持って生まれた。
ベヌスが持つのは、空の色。透き通るように輝き、覗き込む人の心中までを見通せるほどに鋭い目だった。
「父上、話しがございます」
成人してそう年月は経っていないものの、鍛え抜かれた彼の体躯には、レイノ王国の騎士甲冑が纏われている。
そして、彼は王子という身分でありながらに、この国の第一騎士隊の部隊長を務めていた。
彼の剣に勝るものは、国内にはいない。
的確な状況判断と、目にも止まらぬ斬撃を繰り出すことで、他国でも名の知れた騎士であった。
「ほう。お前には巫女様の巡礼のお供を任せていたはずだが?」
巡礼とは、このレイノ王国の首都にある6つの神殿を巡ることを言う。
神殿には、それぞれ御神体が祀られている。
世界を構築した四大元素である火・水・風・土。そして、すべてを覆う光・影。
それらすべての神殿が揃うことから、太古の時代より、レイノ王国は“魔法・魔導を極めし国”として栄えている。
それ故に、この世界を創りし“神様”と“魔法・魔導”。そのどちらも切り離せない存在となっているのだ。
「そちらは我が隊の精鋭、そしてマルテが就いております故、問題ありません」
マルテとは、ベヌスの弟にして、この国の第二王子である。
彼はベヌスと違い、魔法そして魔導を極めてきた。
現在は、その卓越した魔力量と知識から、文官でも武官でもない“神官”として国に仕えている。
そしてマルテもまた、他国に名を馳せるほどの実力者だった。
「ほう。して、わしに話しとは?」
「単刀直入に申し上げます。父上・・・いえ、国王は、彼の巫女様をどうなされるおつもりですか?」
息子の言葉に、メルクリオ王は笑みを深くする。
「決まっている。巫女様は我らが信ずる“神”より使えられた存在。この国を救う存在として、その大いなる力を揮ってもらわねば」
王の言葉に、ベヌスの顔が曇る。そして、一度目を閉じると、静かに息を吸い込んだ。
「私には、なぜ我が国、レイノ王国に巫女様が現れたのか、理解ができません」
さすがのメルクリオ王も、この言葉に笑顔を消した。そして、目を細めて自身の息子を見つめる。
「どういう意味だ、ベヌス」
「巫女様は、国が滅びしその時に現れると聞きます。ですが、我が国は飢饉もなければ、他国からの侵略もない。はっきり言いましょう。かつてこれほどにもないほど平和なのです、我が国は」
数々の戦争、策略が行われ、そして流浪の民が押し寄せてくる時代もあった。
だが、少なくともベヌスが王子として生を受け、騎士として腕を磨く間から現在に至るまで、災厄と呼べるものは何一つ起きていない。
そんな国になぜ巫女が現れるのか、その意味が分からないのだ。
「巫女様とは、神様が与えし存在。神様は、我がレイノ王国のさらなる発展を望まれたのやもしれんぞ」
「楽観的すぎます。そもそも、あの娘は本当に巫女なのですか?」
必要のない時代に、必要のない存在がいる。
なのに、国の重鎮たちはそれを手放しで喜んでいる。
ベヌスには理解ができなかった。こんなにも胸が騒ぎ、本能が警笛を鳴らしているのに、誰一人疑わないのだから。
「お前は考えすぎるのだ、ベヌス。だが、こうして巫女様が現れた以上、我々がとやかく言えることではない。すべては神のみぞ知る。そして、巫女様がな」
「では、あの少年はどうなのですか?」
レイノ王国の城には、魔法・魔導を無効化する結界が張られている。
それは城の中央になればなるほど効果を高める――つまり、城の中腹にある大広間。あの“国王会議”が行われていた場所には、例え高位の魔導士であったとしても、転移の術すら使えないのだ。
そんな場所に、突如として現れた少年。
巫女のことで頭がいっぱいのこの国の上層部は、彼が一体どういう存在なのかすら突き止めようとしない。
「あの少年は、巫女様の知人。きっと巫女様がこちらの世界に来る時に巻き込まれたのであろう」
「・・・果たして、そうなのでしょうか?」
国王会議の場にはベヌスも居た。騎士として、そして第一王子として。
だから、あの少年が天井から落ちてきたのも、その目で見ている。
見るからに、なんの力もなさそうな少年だった。村人と言っても通る、そんな極々平凡な。
巫女様と比べれば、雲泥の差。だからこそ誰も気にかけない。
それが、ベヌスに一抹の不安を抱かせていた。
「父上、彼は今どこに?」
一度会って話しをしてみたい。それがベヌスの気持ちだった。
巫女様が、こことは異なる世界から来訪する際、とてつもない大きな力が働くという。
――巻き込まれたのならば、それで構わない。
少年には悪いが、ベヌスはそう思っていた。
ベヌス自身も、巫女が来たことには喜びを感じている。だが、謎が多い。
そして、それに気づいたのは、彼が父やこの国の民とは違い、あまり信仰心がないこともあった。
彼がもし、神を心から信仰する者であったのならば、微塵の迷いなく、巫女を歓迎しただろう。
「そんなことを気にしてどうする? お前には任せている仕事がたくさんあるだろう」
巫女が来た途端、第一騎士隊はそれまでの任を解かれ、巫女の警備にあたることになった。
そして、それまでの任務の割り振り、引き継ぎの作業は終わっていない。今回、巫女様の巡礼からベヌスが外れたのも、他の隊と連絡を取り合うためだった。
「時間はかかりません。ただ、彼が何者なのか分かればそれでいいのです」
「彼は巫女様の知人で、今はこの国の客人。お前が心配することはなに一つない」
これ以上話すことはない、仕事に戻れ。そう父親でありこの国の王である者に言われてしまえば、ベヌスは従うしかない。
だが、彼の憂いが晴れることはなかった。