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1. 事件編

「ワン!」

 と、タマが鳴いた。

 この事実を突きつけられたとき、人はどう思うだろう。ネコがワンと鳴くのだろうか、と悩むのだろうか。事河謎ことがわ・メイの父親は、時々思い出したようにこの話をする。というのも、メイの父親がタマの名付け親だからだ。タマとは、事河家で飼われているメスのハスキー犬の名前である。

「どうしたの、タマ」

 飼い主であり、タマの散歩中であるメイが、タマの顔を覗き込むようにして聞いた。メイは、半そでの白いチュニックブラウスの下にジーパンを穿いた、動きやすい格好である。胸まである長い黒髪が、タマの顔を覗き込んだことでサラサラと流れた。

 メイや、この物語の主人公たる実相真解みあい・まさとたちの通う遊学学園は、基本的に土曜日は休みだ。そして今日は、その土曜日。メイはよく、土曜日の朝にタマを連れて散歩に出かける。散歩ルートはその日の気分で異なるが、雲が少なく、日差しの強い今日みたいな日は川沿いの遊歩道を行くことが多い。打ち水効果で涼しいからだ。

 余談だが、道路などに水をまいてその気化熱で周囲を涼しくすることを「打ち水」と言うが、現在の日本では、勝手に道路に水をまくことは道路交通法で禁止されている違法行為だ。道路は公共の場なので、個人が勝手に水をまいてはいけない。

 だから、というわけではないが、メイは日差しの強い日は水をまく代わりに川に来る。この川は深さ3~4メートルで、幅は15メートル程度。川の両岸は背の高い雑草が生えたゆるい丘になっており、ここに腰掛け夕日でも眺めれば、学園ドラマの出来上がりだ。その丘の上に、砂利の遊歩道がある。

「ワン!」

 またタマが鳴いた。この道は他のイヌを散歩させる人や、ジョギングする人とすれ違うことがあり、彼らにタマが吠え掛かるのはよくあることだ。だが今は、周りには誰もいない。

「ワン!」

 時刻は午前10時。朝のジョギングを楽しむ人たちがはけ、人が少なくなるこの時間帯を、メイは好んでいた。

「ワン!」

 タマは川に向かって鳴いているようだ。メイは彼女の視線を追い、その先にあるものを見た。

 初めはゴミの塊が流れているのかな、と思った。川の真ん中よりは、こちら寄り。何かが流れている。少しメガネを押し上げた。遠くの物を見るときの、メイのくせだ。じっくり見ているうちに、どうやら人の形をしているらしいと気付いた。

「えっ?」

 人の形? 自分の発見にギョッとする。

 せめてマネキンであって欲しい、と川に向かって歩み寄り、流れているものをよく観察した。

 白いシャツに青いジーパン、そしてスニーカーというシンプルな格好の男が、仰向けで流れている。お洒落な部分と言えば、白いシャツの胸のところに、赤黒いワンポイントがあるぐらいか……と思ったが、それはどうやらワンポイントではなく血のようだ。寝顔のような顔だが、少し違う。メイはこういう顔を何度も見たことがある。これは、死人の顔だ。

 マネキンではなかった。人間の死体だった。

「警察に連絡しなきゃ……」

 メイはバッグから携帯電話を取り出して、110番を押す。

『事件ですか、事故ですか』

「たぶん事件です。川に、男の人の死体が浮かんでます」


 通報しながらも、メイは焦っていた。男の死体は川に浮かんでいる……つまり、流されている。発見現場に留まるべきなのか、死体を追うべきなのか。メイはケータイ片手に追うことにした。警察に細かい場所を伝えながら、雑草を踏み分け、何メートルも歩いた。

 警察に連絡を終えると、メイは続けて真解にも連絡を入れた。死体を発見してしまった、たったいま警察に通報した、なんだか怖いから来て欲しい。同じことを、相上謎事あいうえ・めいじのケータイにもかけて言うと、謎事は「すぐに行く! 全速力で行く!」と妙に張り切った声で答え、電話が切れた。

 電話を終えると、ちょうど警察がやってきた。通報から10分程度だ。その中に、見知った顔があった。

「兜警部」

「お、事河嬢。何故ここに?」

 メイの呼びかけに、40過ぎの男が振り向いた。彫りの深い渋顔で、真面目そうな警視庁の警部殿である。兜剣かぶと・つるぎとは過去に何度も事件現場で出会ったことがある。何故かメイ達は昔からよく事件に遭遇し、そして警察を呼ぶとたいてい兜が来た。運命、だろうか。

「わたしが通報したんです」

「すると、第一発見者は…」

「ワン!」

 タマが自分だ、と主張するように吠えた。兜は無視して、

「真解たちは? 一緒じゃないのか?」

 兜は、メイのクラスメイトの名前を言った。真解、真実、謎事、メイ。中学3年生の仲良し4人組は、いつだって一緒に……。

「あの、わたし達は別に、常に一緒にいるわけではありませんので…」

「そうなのか? それは知らなかった」

 確かに、兜と会うときはいつも真解たちと一緒だったような気がする。事件現場で会うことが断トツに多いし、たまに解決のお礼だと言って何かおごってもらうときも、4人一緒だ。兜が常に4人一緒に行動していると錯覚しても、無理はないかもしれない。

「でも、さっき電話したので、もうすぐ来ると思います」

「そうか」

 と兜は短く答えた後、部下に声をかけた。メイが第一発見者なら、聞き込みを行う必要がある。それを部下の刑事に頼んだのだ。

「わかりました」

 頼まれた刑事は答え、メイに質問を始めた。メイもそれに素直に答える。刑事がメイの言葉を次々と手帳に書き込んでいく。

 メイは答えながらも、横目でチラチラと川の方を見ていた。青い潜水服を身につけた警察官らが4人、川に入り男の死体を引っ張っている。その様が目立ち、ついつい気になってしまった。

 刑事からの質問攻めが終わる頃、ちょうど真解たちが現れた。

「メイちゃん!」

 謎事の声だ。メイが振り返ると、警察が張った黄色い『KEEP OUT』のテープの向こうに、中学生の3人組がいた。いつの間にかに、テープの向こうには野次馬が群がっていた。人通りの少ない時間帯のはずだが、サイレンを聞きつけて集まってきたのだろう。

「あの、わたし、もういいですか?」

「え、ああ。後でまた話を聞くと思いますが」

「わかりました」

 メイは軽く会釈して、真解たちの方に行った。

「死体を発見したんだって?」

「ええ」

「ワン!」

 今度こそ自分だ、と主張するようにタマが吠え、謎事に飛びついた。

「もしかして、タマが?」と謎事。

「最初に気付いたのはそうですね」

「ワンワン!」

 わかってもらえて嬉しいのか、タマが尻尾を振る。謎事がその頭を撫でた。


 しばらくすると、野次馬も減ってきた。頃合を見計らって、兜が真解たちをテープの中に入れた。驚く刑事もいたが、事情を知る他の刑事に説明され、更に驚いていた。

「死因は、胸をナイフで刺された事による心機能の停止。まず間違いなく、殺人だと思います」

 砂利道から雑草の道なき道に入ると、刑事の1人、猫山検事ねこやま・けんじが言った。

小鳥遊たかなしの見立てでは、おそらく心臓を一突きではないかということです」

「他に外傷は?」と兜が聞く。

「目立つ外傷はありませんが、シャツのボタンが2つ無くなっていました。いつ無くなったのかはわかりませんが、犯人ともみ合ったときに無くなったのかもしれません」

「凶器は?」

「現在捜索中です」

 猫山は川で泳ぐ刑事たちを見た。青い潜水服に身を包んだ十数名の刑事たちが、黙々と浮かんだり沈んだりしている。凶器はもちろん、男の所有物なども探しているわけだが、この近辺に落ちているとは限らない。むしろ、男が突き落とされたであろう上流の方に落ちている可能性の方が高い。ここでの捜索は徒労に終わるに違いない、と思っている者が多いのか、なんとなく覇気がなかった。

「あの」と真解が口を挟んだ。「被害者の身元は?」

 殺人だとすれば、被害者に近しい人物を当たるのがセオリーだ。だが猫山は首を振った。

「わからない」

「わからない?」

「被害者が、身元を示すようなものを一切持ってないんだ」

 メイは、そういえば死体は着の身着のままだったな、と思った。仮に川に突き落とされたときにカバンを持っていたとしても、流れる途中で落とした可能性は十分にある。

「実は、ズボンのポケットがいくつか、こう、裏返ってたんだ」

 猫山は自分のスーツのポケットの裏地を、外に出して見せた。ハンカチなどの類は持ち合わせないようだ。

「たぶん、強盗に財布を抜き取られた後なんだと思う。携帯電話すらなかった」

 すると身元を明かすためには、顔写真をもとに近隣に聞き込みを行うか、被害者の指紋などを警察のデータベースと照合するかしなくてはいけない。

 兜はスーツの内ポケットからタバコを取り出すと、1本口にくわえ、火を点けた。「ふぅむ」と言いながら煙を吐く。

「すると、考えられる顛末は、こうか。私服姿であることから、被害者はおそらく散歩中だった。そこで強盗に出くわした。ナイフを突きつけて金を要求する強盗に対し、被害者は果敢にも抵抗。もみ合っているうちに、ナイフが被害者の胸にグサリ……」

 兜はナイフを突きつける真似をした。

「冷静な強盗は、被害者のポケットから財布を盗み、そのまま死体を川に投げ捨てた……と」

 タバコを再びくわえ、ひと息吸うと、真解たちの方を向いて言った。

「どうやら、単純な強盗殺人のようだ。残念だが、今回はお前らの出番はないな」

 いや、全然残念じゃないし。真解は思ったが、横で真実が心底残念そうな声を上げた。

「待ってよ警部! もしかしたら、強盗に見せかけた怨恨かもしれないじゃない! そしたら、お兄ちゃんの出番じゃない?」

「もちろんそうだな。だが残念ながら、今のところは強盗殺人だ」

 だから、残念じゃないって。


 その夜。TVニュースでメイの発見した死体のことが報じられた。といっても、番組の最後に30秒程度で流されただけだが。いわく、今朝10時ごろ川に男性の死体が流されているのを付近の女子中学生が発見し、警察に通報した。警察の調べでは、男性の年齢は30歳前後、死因はナイフで胸を刺されたことによる心機能の停止。身元は不明であり、現在警察では広く情報提供を求めている……。

 男の顔も公開されていたが、死体の顔写真をそのまま放送するわけにはいかなかったのだろう。画面の左上に表示されたのは、似顔絵だった。一重のつりあがった目がキツネのようで、覚えやすい顔であった。


「そんなわけで」と猫山。「被害者の身元は、現在も不明のままっすね」

 ちょうどニュースが流されているであろう時間帯。猫山は手帳片手に、警視庁の一室で兜に報告していた。広いオフィスに事務机が無数に並び、刑事たちがまばらに席に座っている。書類整理をしたり、電話をかけたりしているが、どこか閑散としていた。

 鑑識では、男の身元を割るために警察のデータベースを洗った。男の指紋とDNAをデータベースにかけたが、残念ながら一致する人物はいなかった。基本的に、警察のデータベースには前科者か、以前事件に巻き込まれたことのある人物のデータしか入っていない。過去に一度も警察に捕まったことがない者や、事件に巻き込まれたことのない者の指紋やDNAは、警察では把握していないのだ(ちなみに、真解たちのデータは入っている)。

「つまり、今回の事件は善良な一般市民が殺された、と言うことか」

「そうっすね」

 当然、警察では似顔絵片手に聞き込みも行なった。が、被害者を知る者は今のところ見つかっていない。それもそのはずである。そもそも、死体は川を流されていた。突き落とされたのは、死体発見現場よりも上流のはずだ。だが、それがどこだかわからない。警察は死体発見現場から徐々に上流へと聞き込みの範囲を拡大していくことにしたが、今日は上流へ3km程度のところまでしか聞き込みが出来なかった。

「すると、少なくとも3kmよりは上流が生活圏の人物、ということか」

「それだけでは何の手がかりにもならないっすけどね」

 また同時に、最近捜索願が出された失踪者リストも当たったが、こちらも当てが外れた。

「被害者の周りの人間は、被害者がいなくなった事に気付いてないのか?」

「鑑識によると、被害者の死亡推定時刻は金曜…つまり昨日の午後6時以降だそうです。被害者がいなくなってまだ1日。もし1人暮らしだったら、気付いてなくても不思議じゃありません」

「そうか…」

 だが、マスコミに報じてもらったのが功を奏したようだ。2日後の午後には、被害者の身元が明らかになった。

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