第七話
地下の異様な空間。青白いモニターの光に照らされ、振り返った男の顔を見て、みやびは呼吸を忘れた。
「……田中、先生?」
そこにいたのは、中学卒業と同時に別の街へと転任していったはずの恩師、田中だった。この聖ガバナンス高校の教師ではない。それどころか、ここは彼が勤務しているはずの公立中学校から、数百キロは離れているはずだ。
「おい、知り合いなのか? でも、このおっさん……この機材を一人で動かしてるのか!?」
阿久津が『阿久津壱号』を盾のように構えながら叫ぶ。彼のエンジニアとしての直感が、目の前のサーバー群が放つ「異次元の排熱」に警鐘を鳴らしていた。
「田中先生。なぜ、あなたがここにいるの。ここは高校の敷地内よ」
みやびの問いに、田中は手に持っていたタブレットを置き、ゆっくりと立ち上がった。その仕草は、中学の理科準備室で顕微鏡を磨いていた時のような、倦怠感に満ちたものと同じだった。
「今中。お前に教えたはずだ。光が強すぎれば、影もまた濃くなる……と。俺がここにいるのは、お前が『光りすぎた』からだ。……それと、神宮寺のお嬢さん。お前の家の資産が溶けたのは、ただの不運じゃない。この世界の『均衡』を保つために必要だったからだ」
麗華が困惑し、一歩踏み出した。
「均衡……? 誰の許可を得て、私の人生を数式の一部にしたの! 答えなさい、あなたは一体何者なの!?」
田中は麗華の怒りを柳と受け流し、みやびだけを見据えた。
「俺はただの公務員だ。だが、この世界には、お前のような『法則のバグ』を監視し、管理するための……いわばデバッグ・チームが存在する」
みやびは、田中の背後で唸りを上げるサーバーの「音」に意識を集中させた。
それは、彼女が九条だった時代に使われていた冷却方式に酷似している。ダークマターを冷媒として利用する、この時代には存在し得ないオーパーツ。
(先生……あなたも、私と同じなの?)
「誤解するな、今中。俺はお前と同じではない。俺はこの世界の『住人』として、お前のような来訪者がもたらす破滅を防ぐ役割を与えられているに過ぎない」
田中が指先でキーを叩くと、壁一面のモニターに、みやびが昨日ネットカフェで行った一〇億円の資金移動のログが、鮮やかな紅い警告と共に表示された。
「お前が動かした一〇億円。そのせいで、明日崩壊するはずだった小規模なヘッジファンドが生き残り、結果として来月のヨーロッパの経済指標が狂った。……お前の小さな『魔法』が、この世界の歴史というプログラムを壊し始めている」
阿久津が横から口を挟んだ。
「……待てよ。おっさんの言ってることはめちゃくちゃだ。歴史がどうとか、デバッグとか。……でも、このサーバーの組み方。ハードウェアの理屈を越えてる。今中さんが僕のデバイスに触れた時と同じ、空間そのものを回路にしてるのか?」
「坊主。お前は少し知りすぎたな」
田中が静かに手をかざした瞬間、阿久津の持つ『阿久津壱号』からバチバチと火花が散った。
「うわっ! 熱っ!」
「……やめて!」
みやびが叫び、一歩前に出る。
彼女の手から放たれた目に見えない「盾」が、田中が放った電磁干渉を中和し、阿久津のデバイスを守った。
「……ほう。盾まで完成させていたか」
田中の瞳に、初めて感心したような色が混じる。
「田中先生。……私はもう、誰にも縛らに風れない。あなたが誰に雇われていようと、この世界を私が『買い取る』のを止めることはできない」
「買い取る、だと? 傲慢だな、九条……」
田中の口から漏れた、前世の呼び名。
その瞬間、地下室のダークマターが激しく渦巻き、三人の周囲の空気が重くのしかかった。
「阿久津くん、麗華さん、下がって。……ここは、私の戦場よ」
みやびの足元から、銀色の光が波紋のように広がっていく。
中学時代の恩師との再会は、感動の再会などではなかった。
それは、世界という巨大なシステムの守護者と、その書き換えを目論む反逆者としての、「対話」の始まりだった。




