第六話
「……おい、嘘だろ。今中さん、これを見てくれ。ありえないことが起きてる」
翌朝。阿久津が朝食も摂らずに204号室へ転がり込んできた。抱えられた『阿久津壱号』の液晶パネルには、昨日までのランダムなノイズではなく、まるで生き物の心拍数のような、規則正しくも重厚な低周波のうねりが映し出されていた。
「学園の全域をスキャンしたんだ。Wi-Fiでも携帯の電波でもない。もっと深い、地底の奥底から響いてくるような……。しかもこれ、暗号化されてる。僕の自慢のフィルターを通しても、中身が『真っ黒』なんだ」
阿久津の瞳は寝不足で血走っていたが、その輝きは純粋な研究者の執念に満ちていた。昨日、みやびが指先一つで回路を「調律」したことで、このデバイスは現代の計測器が到達できない領域――情報の深淵にまで手を伸ばせるようになっていた。
麗華は、優雅な動作でカップに入った100円のインスタントコーヒーを口に含み、液晶を覗き込んだ。
「地下からの信号……。この学園には、旧軍のシェルター跡があるという噂があるけれど、そんなところで誰が何を通信しているというの?」
「……犯人の『音』、かもしれないわね」
みやびがベッドから立ち上がると、空気が微かに震えた。
彼女には分かっていた。この信号は単なる通信ではない。空間のダークマターを微弱に励起させ、特定の座標に情報を「転送」しようとする、極めて高度な、しかしこの時代には存在しないはずの技術の残滓だ。
「阿久津くん。そのデバイスの指向性を最大に絞って。麗華さんは、学園の古い設計図を記憶しているかしら?」
「神宮寺コンツェルンがこの土地を寄付する際、目を通した記憶があるわ。地下三階……今の理科準備室の真下にあるはずの、記載されていない空洞が」
麗華の言葉に、みやびの脳裏にあの教師・田中の顔が浮かんだ。
「行きましょう。私たちの『檻』の中に、どんな化け物が住み着いているのか、確かめに」
三人は、授業が始まる前の静まり返った校舎を、地下へと降りていった。
阿久津がデバイスを構え、波形が強くなる方角を指し示す。みやびは「ダーク・ベール」を広域に展開し、三人の気配と足音を空間のノイズの中に消し去った。
理科準備室の最奥。埃を被った解剖模型の背後の壁で、阿久津のデバイスが激しく赤いランプを点滅させた。
「ここだ。この壁の向こう側、とんでもないエネルギーの塊がいる!」
阿久津が声を殺しながらも叫ぶ。
麗華が壁の亀裂に指を這わせ、かつて帝王として学んだ「構造の弱点」を鋭く見抜いた。
「……隠し扉のスイッチはここよ」
麗華が不自然に突き出たレンガを押し込むと、音もなく壁がスライドし、下へと続く狭い螺旋階段が現れた。
冷たく、どこか懐かしい「未来の匂い」が立ち上ってくる。
階段を降り切った先に広がっていたのは、旧時代のシェルターを改造した、異様なプライベート・ラボだった。
無数のモニターが青白く光り、そこには世界中の株価、暗号通貨、そして各国の軍事衛星の軌道データがリアルタイムで流れている。
そして、部屋の中央。
一台の旧式な椅子に座り、三人の来訪を予期していたかのように待ち構えていた影があった。
「……遅かったな。もっと早くここを見つけると思っていたぞ、今中」
その声に、阿久津と麗華が息を呑んだ。
逆光の中でゆっくりと振り返ったのは、以前教壇に立ちみやびを教えていた男。
「……田中先生」
みやびが静かにその名を呼ぶ。
しかし、田中の背後にある巨大なメインサーバーの冷却音が、みやびの知る「2026年」の音ではなかった。それは、彼女が九条だった時代、計算ユニットを冷やすために使われていたダークマター触媒の、特有の唸り声だった。
「先生……あなたは、何者なの? この機材、阿久津くんが見たこともない回路で組まれてる」
阿久津が恐怖と興奮で体を震わせている。
麗華は一歩前に出て、田中に鋭い視線をぶつけた。
「この資金の流れ……神宮寺コンツェルンの最後の資産を吸い上げた『ブラックホール』の正体は、あなただったのね」
田中は薄く笑い、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「没落したお嬢さんに、鉄クズを愛する坊主。……そして、異端の調律師。面白いチームだ。だが、今中。お前がここに来たということは、平和な『ごっこ遊び』はもう終わりだということだぞ」
みやびの指先が、無意識にダークマターを紡ぎ始める。
田中の存在。地下のラボ。そして、学園に集められた「異能」たちの本当の意味。
孤独だった少女の周囲に、巨大な運命の歯車が回り始めた。
「……私の仲間を、子供扱いするのはやめて。田中先生。……いえ、監視者さん」
みやびの瞳が、初めて戦う者の銀色に輝いた。




