第九話
「……で、話っていうのは何だよ。今中さん。あんな派手なことした翌朝に呼び出すなんて」
阿久津は、不機嫌そうに目を擦りながら徹夜で修理した『阿久津壱号』を小脇に抱えていた。彼の隣では、麗華が指定の制服を凛と着こなし、汚れ一つない手袋を直しながら、みやびの背中を静かに見つめている。
みやびは振り返らず、丘の下に広がる街並みを見下ろしながら
「阿久津くん、麗華さん。昨日の田中先生との接触で、私たちが『普通の学生』として過ごせる時間は終わったわ。あの組織は、必ずまた接触してくる」
「……分かっているわ。あの男、田中は言った。『檻』だと。私たちはここで飼われ、観察されていたのね」
麗華の声には、かつて王座にいた者特有の冷徹な怒りが混じっていた。
みやびはゆっくりと振り返り、二人の瞳を真っ直ぐに見据えながら
「だから、先手を打つの。……昨日、私が指先一つでサーバーを壊した理由。それを阿久津くんは『未知の電磁パルス』だと思ったかもしれない。麗華さんは『隠し持っていた武器』だと思ったかもしれない」
みやびは屋上の鉄柵にそっと手を置いた。
「あれは、この世界の既存の技術じゃないわ。私が修行の末に手に入れた……いわば、物理法則を一時的に書き換える力。私はこれで、この世界を買い取ろうと思っているの」
「買い取る……?」
阿久津が呆然と呟いた。
みやびはスマートフォンを取り出し、画面を二人に向けると、そこには、暗号化された海外口座の残高が表示されていた。
「一、十、百……、千……。おい、嘘だろ……一〇億!? なんで女子高生がこんな金持ってるんだよ!」
阿久津が裏返った声を上げる。
「金融市場のわずかな歪みを、私の力で増幅させて稼いだわ。……麗華さん。この一〇億を軍資金にして、私は神宮寺コンツェルンを潰した勢力に『買収攻撃』を仕掛けるつもりよ。あなたの知識と、帝王学、そして何よりその復讐心が必要だわ」
麗華は一〇億という数字を見つめ、それからみやびの瞳を見つめ返した。
「……私を、雇うというの? 神宮寺の再興を餌に」
「いいえ。対等なパートナーよ。私は技術を出し、資金を作る。あなたは組織を動かし、略奪された富を取り戻す。……そして阿久津くん」
みやびは、阿久津の抱える不格好なデバイスを指差し
「あなたのその『壱号』は、まだ未完成だわ。私が提供する理論と無限の予算があれば、あなたは世界中の通信を傍受し、あらゆる物理現象を観測できる『神の目』を作れる。……やりたいでしょう?」
阿久津は唾を飲み込んだ。研究者としての本能が、全身の血を沸騰させていた。
「……無限の予算。……理論。……やりたいに決まってるよ。今中さん、あんたが何者だろうと構わないんだ。その面白い景色、僕にも見せてくれよ!」
麗華は、ゆっくりと手袋を脱ぎ、その白い手をみやびに差し出した。
「神宮寺麗華。今日この時から、あなたの『帝国』の財務と政略を預かるわ。……その代わり、私を裏切れば、地獄の果てまで追い詰めて破滅させてあげる。いいわね?」
「ええ。約束するわ」
みやびは麗華の手を握り、そして阿久津の無骨な手を重ねた。
未来から来た孤独な調律師の周囲に、初めて「目的」を共有する仲間が揃った瞬間だった。
「まずは、この学園内の監視網を無力化しましょう。阿久津くん、君のデバイスを私が『調律』するわ。校内の全カメラとセンサーに、完璧な偽のループ映像を流し込む。……田中先生に見せるのは、私たちが仲良くお喋りしているだけの平和な日常よ」
「楽勝だよ!」
三人の笑い声が、冷たい風に乗って消えていった。
それは、後に世界を震撼させる「みやび帝国」が産声を上げた、記念すべき最初の契約の朝だった。




