幕間 『茨木童子と婚約者』
──太陽のようにキラキラと輝く髪を二つに結ってたその少女の、力強く決して歪むことのない赤い瞳が、なぜか胸をざわつかせた。
*
「──はじめまして。星江熊魅と申します」
そう言って少女──熊魅は自らにまとった赤い着物を綺麗に扱って頭を下げた。齢十とは思えぬ礼儀作法であったが、この空間ではそれが当たり前でありそれを褒める者などいない。当の本人もそれを理解しているのかその顔に笑みを浮かべたまま言葉を発さない。
──それを面白く思わない者がいた。
星江の対面に座る人物、鬼城院桜だ。その評定は見るもの全てがわかるほどに不満を表しており、隣りに座る母たる当主もそれに気づいていた。
「いやはや、まさか鬼城院家の次男様にこうして婚約の話をいただけるとは……負傷の娘でありますが、どうか」
「桜、ここから妾はこの者と話がある。どうじゃ、二人で庭にでも行っておれ」
「……わかりました。行きましょう」
「はい」
そのまま桜は立ち上がり、熊魅に手を差し伸ばして共に退室した。
その部屋のすぐ近くには鬼城院家の手入れが行き届いた庭がある。今は季節からか桜が咲き誇っていた。
「お美しいですね」
「……あぁ」
「桜様と同じ木です」
「……母さ、……母様が俺を産んだ時、初めて見たのが桜だから、俺の名前は桜なんだって父様が言ってた」
「え?」
「だから兄様の名前は紅葉。秋生まれだから」
「そうですか。素敵な名前だと、私は思いますよ」
そう言って口元に手を当てながら熊魅は笑う。その笑みに、桜の心臓は一度大きく鳴った。
「……?」
不整脈だろうか。そう桜は自らの左胸に手を当てながら考える。
そう桜が一人でうんうんと悩んでいると、先程まで笑みを浮かべていた熊魅の表情が曇った。それに桜はぎょっと驚く。
「ど、どうかしたか?」
「……いえ。なんというわけでは、ないのです。ただ、一つ。──桜様は、私と生涯を過ごしたいですか?」
風が吹いた。桜が舞い、視界を塞ごうとしてくる。
──言葉が出なかった。その問いに対する、答えが出なかった。出さなければならないとわかっているのに。
そもそも、この婚姻は家同士の取り決めであり、当事者である桜と熊魅がどれだけ嫌だと言ってもなかったことにはならない。生涯を過ごすのが前提で、相手をどう思うのかなんて関係がないのだ。
けれども、その問いを投げかけた熊魅の瞳は、その問いから桜が逃げることを許さない。
「──過ごしたい」
「っ、!」
「……なんて言えば、納得してくれるのか?」
試すように、そう言った。諦めて、流れるようにそう言った。
目をそらすように桜は熊魅の方ではなく木の方向を見る。それに対して、熊魅は何も言わない。
「……何を求めてる? 婚約の破棄か? ……どうにかなるかもしれないぞ。俺は次男で、頼めば」
無理だ。不可能だ。わかりきっていた。けど、もし熊魅が心の底からこの婚約を拒むとそういうのなら、抗議の一つはしてもいいのかもしれない。そもそも桜だってこの婚姻を望んだわけでなく、急に「明日、お前に許嫁できるから」と父に告げられて初めて知ったのだ。
「──。私は、……」
桜の提案に、熊魅は言葉が出なかった。驚いた、というわけではない。意外だった、そんなわけもない。ただ、今この瞬間に熊魅を占めた感情は────
「……あー、んどくせぇな」
「………………………………………………えっ」
ここで一つ余談を話そう。
伝統と格式のある『御三家』が一つ、鬼城院家。その家に生まれ正統なる次男として育ってきた桜は、それこそ最近になって一人称を「俺」としたり所々粗暴な口調になれど、それでも良家としての英才教育が行き渡っていて、人の誰かを罵倒する言葉などそうそう聞くことはなかった。
つまりは、
「さっきからなんなの!? 男ならもっとしゃきっとしろよ! ウチの教育は”女なら”って時代錯誤も甚だしい! もー、そもそも私一言だって嫌だなんて言ってないじゃない!」
「…………えっ」
思考停止。脳が動かない。耳から入ってきた情報と目から入ってきた情報を正しく処理しきれない。
眼の前の少女は、一体何を言っている?
「勘違いしないでよね! 別に、私があなたを好きなわけ無いんだから。それに、今日で確信したわ。私、あなたみたいな妖怪大っ嫌い、一生好きになれない」
そう言って少女は一度、深く息を吸った。その過程で瞳を閉じたので、桜はあの輝かしい赤色が世界から消えたことに少しだけ残念に思った。……なんでだ?
熊魅に罵倒を止める気は無いのか、もともとそこまで良くない目つきを更に鋭くさせて桜を睨みつける。
「──私は、星江家から出る。そのためなら、結婚だってしてやるわ。けどね、勘違いしないでちょうだい。それは私が鬼城院家の”物”になるってことじゃないの。私は私よ、そこは譲れないわ」
そう言った、いい切った熊魅の瞳には確かな覚悟が宿っていて──それは、桜には一生宿らないものだと、そう焦がれてしまった。
──この衝動の名前は、なんだろうか。
「だから私に愛は絶対に期待しないでね。私はあなたを利用する──もう誰にも、私を利用させないために」
言い切った。言い切ったのだ。啖呵を切り、宣言をして、自らは縛られないと、そう熊魅は他の誰でもない桜に、そう言ったのだ。
「──だから、よろしくお願いしますね、桜様」
先程の粗暴な口調と態度を一変させて、熊魅は綺麗に礼をしてみせた。そこには、桜を敬おうなんて気持ちはまったくない。上辺だけの思い。上辺だけの、夫婦。
だからこそ桜は、
「──俺は、お前を愛すよう、そう努力してみるよ」
そう笑って言ってみせたのだ。
その言葉に熊魅は一度だけ呆気にとられた様な表情を見せて、再びそのまま目つきを鋭くさせた。
──これが、喜劇でも悲劇でもない、恋物語など夢のまた夢の、茨木童子と星熊童子の出会いだった。




