五十話 心臓
たとえ目の前の存在を仮定できたとしても、それで事態が好転するとは限らない。──その仮定が『神』サマなんて存在だったら尚更だろう。
「荒唐無稽だし、ありえないって言い切ったほうが楽なんだろうけど、じゃあなんだって疑問の答えにはならないから決めつけちゃったけど……どうすりゃいいんだ、この状況」
俺の知る『神』に対しての知識だってこの間麗に触りを教えてもらっただけで停まっている。
──『神様』と呼ばれる……ここでの定義は、そうだね、超越的な能力を持った存在としようか。その『神様』という存在は実在して、”それ”は人というか生命体の願いを叶えることを生業としているよ。
「……願いを叶えるってんだったら俺達をさっさと元の場所に返して欲しいんだが。っていうかその理論だったら俺達の誰かか、もしくは第三者が俺達をここに行かせることを望んだってことになるか」
最重要の容疑者は俺を倉庫に行くように言った学園長だが……まあ犯人探しは別に今することじゃないだろう。
問題は、これを『神』としてこの状況をどう切り抜けるか、だ。
「五円玉払わなかったの、気にしてる?」
煽るようにそう問いかけるも反応は無し。特に今は動いていないので足の締付けは緩い。
……まあ赤黒い血管が自分の足に張って同化しようとしているが。俺の肌と少しつづつながってきていて気持ち悪い。どうにかなるか? これ。
取り返しがつかなそうな足を見つつも、それでも意識はアレに向けられている。仮定:『神』に。これから目を放したら、その瞬間に恐ろしい目にあわされそうで、怖い。
「うーん、どうすれば離してくれるか……そもそも何が目的だ?」
学園長とか、大人に頼りたい。未成年だけで解決できるような問題ではないだろう、これは。
いや、まあ、学園長に頼ったら頼ったで善意という名の借金を背負うことになるだろうが。それを証明するように少し前にこんなやり取りをした。
『この間、蒼君がピンチだったと思うんですけど』
『まあ、そうですかね?』
『ええ、ええ。なので私はあなたの恩人ですよね』
『おっと断定形。嫌な予感しかしないぜ』
『少し頼まれて欲しいことがあるのですが』
『いやぁー!!』
『善意という名の借金ですよ』
というやり取りがあった。まあ、大人には頼らないほうが良いかもしれない。円羅先生はどういうかはわからんが。けど実際に先生がこの場に入れたら俺達も帰れるってことだからできればすぐにでも見つけて欲しい。
「交渉とかできる? ってか口あるのか?」
目の前に見える物体は臓器──おそらく心臓──であり、その他に肉があったりはしない。そもそも人体から離れた心臓がなんで脈打ってるのか、何の心臓なのかもわからない。気持ち悪いのだけはわかるが。
「状況がわからなかったら動きようもないか」
スマホを取り出そうと体を上手い具合に捻り……止めた。電話は繋がらないが大きな音を出せば三人は来てくれるかと思ったが──
「──あそこにこれ見よがしにある刀でどうこうした方が良いってことかな」
目線の先。この部屋の壁には一振りの日本刀が飾られている。別に麗のやつと同じだとは思わないけど。
「でも自分の体に刀を振るうって、勇気いるよなぁ」
これで足に絡みつくのを切ったとしても、そもそも刀なんか握ったことないし、成功するかもわからない。なんならこの血管もどきは同化しかけているから絶対に折れも痛いだろうとは察せる。普通に人の身体に絡むな、訴えるぞ。
「……ん、覚悟決まった、だいじょーぶだいじょーぶ」
ぐぐぐと体に力を入れて立ち上がろうとすると逃さないというように絡みついてくるがそこで暴れないのが大事だろう。
痛む足を引きずりながらゆっくりと刺激しないように壁へと進んでいく。一歩ずつ、一歩ずつ。
「い、ぅ」
あと、ちょっと。残すところ十数センチ。
腕を限界まで伸ばして刀に指を伸ばして、そして──
「──届いた!」
指先に力を込めて刀を弾いて地面に落とす。そのまま俺の体は崩れ落ちて刀を掴むことができた。手持ちの部分……名前なんだっけ。は、赤色で、どことなく手に馴染む。
両手で刀を持ち、自分の足にめがけて軽く当てる。そのまま貫いたら駄目だから、横から薙ぎ払うように振るわなきゃいけない。始めてでそこまでできるかは、正直わからないが。
「ふー、………………よし」
横から包丁を入れるように、の方がまだ親しみがある。そのイメージを固めて、刀に力を加えていく。
「っ、う……ぐ、」
剥がすように刀を振るうが、刃が肉を切るたびに激痛が走った。すぐにポケットに入れていたハンカチを口に放り込み、舌を傷つけないように対処する。
──本当に自分の体を切っているみたいだと、そう思う。走る痛みがまるで張り付いている血管もどきを自分の体の一部だと錯覚させてきて、本能的にやめろとそう脳が叫び続けていた。けどここでやめたらもっとこれは絡みついて、次こそ取れなくなる。そうなったらそれこそ駄目だ。
「ぐぁ、ふ」
半分くらいだ。嫌気が差す。こんなに痛いのに、それでもまだ半分、まだ同じ苦しみがあるのだ。
こらえても襲う痛みは完全に消えるわけではなく、噛んでいるハンカチを思わず口から出してしまいそうになる。それを堪えて刀に力を入れようとするも、上手く力が入らない。
そう腕を止めていると、自分の体を切りつけられ、剥がされたことに怒ったのか、血管もどきは残っている一部を締め付けて、離れない意思を見せた。──なんだ、剥がされた部分はもう動かせないのか。
──次で、次の一振りで終わらせなきゃ、駄目だ。
「あ、あああああ──ッ!!」
血が、滴った。
刀を振るうと同時に、俺か、血管かのどちらかの血液が勢いよく吹き出している。それが誰のものなのか、俺にはわからなかった。わかったのは、激痛と──憑き物が取れたような、張り詰めていた圧迫感がなくなったような開放感がした。
*
「──っ、はぁ! はっ、はっ。げほっ、ごほ」
無意識に息を止めていたのだろうか。肺に急に酸素を取り込んだせいで思わず咳き込んでしまった。
握っていた刀は俺が腕から力を同時に床に音を立てて落ちた。切り味は……まあ鋭かったんだろう。一気に断ち切ってくれたわけだし。
「はぁ。……誰が飾ったかどうかはわかんないけど感謝だな」
都合が良すぎるともそう思うが、それでも事実から見ればあの刀に俺は救われたのだろう。
ふと視線を壁から床に送る。そこにはもう先程のように活発に動かない、大きく切り込まれている血管もどきがあった。
「散々苦しめられたしもっと切ってやろうかとも思うけど……まずは逃げたいね」
この血管もどきの出どころである部屋の真ん中にある『心臓』は、脈打ったままで何も動かない。痛みなども、感じないのだろうか。
「状況的に見れば俺は養分にされかけてたってことかな……良くあるよね、そういう映画」
昔こうやって人間の血液などを養分して咲いている花がラスボス、といった映画を見た気もする。見てなかったかもしれない。
──さあ、どうするか。
ここでこの『心臓』に刀を突き立ててその脈を止めても良いが、それで更に暴れ回られたら困る。仮定であっても『神』の可能性があるのだ。怒らせたら、怖い。
けれども放置するのもどうかと思う。放置したらこういうのは絶対に碌なことにならない。そういった確信があった。
「難問だなぁ。この間の中間テストぐらい難問だ」
悩んで時間を潰したくない。すぐにでもこっから抜け出すために、色々な策を講じたいと言うのに。
「──あ。そうだ、『あれ』があるか」
『あれ』をしようと制服の上着をまさぐる。欲しいのは、その制服の内側にあるポケットにはいってるものだ。
「これが成功するかもわかんないけど……怒らないでくれよ?」
そうして札を飛ばして──『術』を発動させる。
さっき命の危険に陥った時、俺はまたしても『術』を考えなかった。それはもう、どうしようもないかもしれない。
「でもこうして使えた。及第点でいいだろう」
そうして札は鎖へと変化してそのまま『心臓』にぐるぐると巻き付いた。一応の念の為の保険だ。たとえ失敗してもこの鎖が破られたなら、俺にも伝わる。
「もう二度とお目にかからないことを願って!」
ここで二礼二拝一礼は煽りすぎると思うので止めた。
刀を火事場泥棒的なノリでさらっと持つが、これは慰謝料ということで少しだけ借りさせてもらおう。
そう言って、入ってきた襖に向かう。部屋に背を向けて、これで縁が切れていたら嬉しいと思いながら。
──脈を打ち続けた『心臓』だけが、部屋に残っていた。
*
「三人とも、大丈夫だった?」
「ああ。って、なんで蒼そんなに足が血だらけなの!?」
「え? あー、ちょっと襲われて」
「えっ、な、何に?」
「血管」
「……どういうこと!?」
話を聞いた向はかなり驚いている。
冗談のような話だがしっかりと現実である。自分でも言っていてどういうこっちゃとも思ったが、修正するのも面倒くさい。足はそもそも血だらけじゃなくて強く締め付けられすぎてて赤黒く変色しているし、こうやって立って歩いているだけで褒めて欲しいほどの痛みなのだ。
「……大丈夫じゃ、ないよな」
「いやいや、大丈夫だって桜。それこそ三人の方は何か収穫とかあった?」
俺はどちらかというと本来の目的を何も達成できていず、そのままトラブルに巻き込まれているので少し気まずい。
「俺の方も特に何もなかったな。ここがどこかもわかんねぇし、手詰まりだ」
「うーん、でもこのままみんなで仲良く餓死はちょっと嫌だなぁ」
「物騒だな、お前……」
現実的に考えて食料や飲料水もないし、あったとしても不気味すぎで口にしたくない。だからさっさと脱出して部屋で眠りにつきたいのが本音だ。疲れた。
「救助くるかなーとか思うけど、そもそも俺達がいなくなったことにも気づかれてないかもだよね」
「……そうか。オレ達はもともと裏山に行ってたから、そのまま帰ったと思われてたら明日まで気づかれないことも普通にあるか」
カバンが教室に残ってはいるものの、それだって先生が教室でそれに気づかなかったら始まらない。スマホはあるにはあるがなぜか「圏外」になっているので使えないし……詰んでるな、これ。
「……まあ流石に死にたくはないかな」
「冷静だなぁお前!!」
「こういうふうにでも考えないとパニックになるからなぁ」
仕方がないこと、なんて言いたくはない。こんな命の危機に晒されることが仕方がないことなら、俺は一体何をしてしまったというのか。どんな罪を犯そうと、それが誰かの命を脅かす理由になんてならないと、そう思う。
──そうでなくてはいけない。
頭に嫌な顔がよぎり、すぐに思考を切り替えようと頭を振る。
「……ってことは結局どうすればいいのかわからずじまいってこと?」
「そう、なっちまうよなぁ。でも早く脱出しなきゃいけないし……蒼のその怪我だってすぐに手当したほうが良いだろう?」
「そうだね……壊死、はしてないとは思うけど」
「してたら大変だろ!」
折れてはいないとも思うが、それでも適切な処置を受けないと後遺症が残りそうな見た目はしてる。だからさっさと学校に戻りたい気持ちは確かにあるのだ。
「問題がまだ残ってるんだけどなぁ」
「……あ、一つわかったことはあるぞ」
「え?」
桜が思い出したというように、ふと零した。確か桜は社務所の方に向かったはずだ。そこでわかることって言ったら……
「──この神社の名前」
「「「!」」」
名前。もしそれわかればこの神社がどんな場所にあるのかわかるんじゃないか? 地名だとか、祀っている神様だとかで神社がどこに位置するかはわかる。それがもしこの神社の名前に入っていたら、だが。
「社務所にはお守りとか矢とかあったんだよ。で、そこに書いてあったんだ」
「それで、名前って……」
「この神社の名前、それは──」
桜が口を開き、言葉を紡ごうとしている──その時に、大きな衝撃が入った。
「!? な、に──」
──その先は、言葉にできなかった。
まるで聞かせたくないと、そう言うように地面が揺れ、風が吹き、ざわめく。音なんて、俺達以外の誰もいないのに、けれども気配がうるさいとでも言うように頭がガンガンと鳴っていた。
バキンと、何かが割れた音がした。
『────ッ!』
「ぇ、なん、で」
目の前には、存在を喰らいつくさんとしようとする『怪異』の姿があった。
それと同時に青色の炎がその行く手を阻む。
「ここは大丈夫じゃ、なかったのかよ……!」
「いや、まて! 多分今の地震で結界が割れたんだ!」
「結界ぃ!?」
「割れて始めて気づいたが……この神社には、結界が張り巡らされてる!」
そんな桜の言葉も、耳に上手く入ってこない。
──頭が痛い。割れるように痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
「ぅ、え」
「……い! うごか…………ぶな……」
声が、聞こえた。まるでこの世に存在するあらゆる音を聞かされているかのようなこの耳に、一つ、声が。
誰の声かはわからない。けど、それに応じないと──呑まれてしまう。
────何に?
「あ──」
青い炎が守るように俺の前に現れて、砕かれた巨大な岩が風の刃と共に飛んでくる。それに応えて、すぐに逃げようとして──ブツンと、何かが切れた感触に襲われた。
「…………鎖、が」
感触の正体はすぐに分かる。けどもそれを伝える余裕なんてどこにもなかった。せめて目の前に迫る『怪異』から逃れなければ。
「死んで、たまる、かぁ……!」
こんなのに呑まれて終わりたくない。こんな最後なんて、絶対に嫌だ。死ぬのは嫌だ、怖い。まだ、生きたい。────あの人が目覚めるまでは、まだ。
「っ、あああ!」
喉から出たのは咆哮だった。生きたいと、そう願っていたからだろうか。体の感覚なんてなくて、ろくに動かない足を必死に動かして。
「──蒼!!」
そんな声が、聞こえた気がして。だからその声の方に手を伸ばしたら、確かな熱に握り返されて。それに俺は少しだけ、笑みを浮かべた気がして。
────────何かが、俺の心臓を貫いた。




