終わりを待つなら
「大変申し上げにくいのですが、あと1ヶ月生きられれば良い方でしょう」
頭のいいお医者さんが言うのだから、きっと間違いないのだろう。
僕は、20歳にして膵臓がんになった。
と同時に、少し嬉しかった。
いや、悲しかったのかもしれない。
あまり覚えていないけれど、これがアンビバレントというやつか。
思えば、自分の意思なんて、最初から存在していなかった気がする。
自分の生きやすさなんて二の次で、周囲を見て、空気を読んで意見を決める。必要なら道化を演じ、“いいやつ”にもなる。
そうやって生きてきた。仕方がない。そういう生き方しか、知らなかったんだ。
中学生の時、僕は好きでもない女の子と付き合っていた。
告白されたから。人前で、相手の友達に囲まれながら。
あんな状況で「ごめん」なんて言えるやつの方がどうかしてると思った。
高校では、学年で一番怖い先生が担任だった。
文化祭の実行委員を決める時、誰も手を挙げなかった。大変な役目なのはみんな知ってたから。
先生のイライラが教室に満ちたその時、僕は自然と手を挙げていた。いや、挙げさせられたような気もする。
そんなこんなで、神経のすり減らし方には慣れていた。
だからこそ、「自分本位に生きていい」という役割を与えてくれた膵臓がんには、少しだけ感謝したくなったのかもしれない。
再三言うけど、僕は理由がないと、意思を決められないからさ。
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さて、何をしよう。
僕に残された時間は、どうやら1ヶ月もない。しかも、満足に動けるのは1週間程度らしい。
なら、本気でその1週間の予定を立ててやろうじゃないか。
まずは生きた証を残すために、この文章を書いている。
こんな人間でも、何か残したくなるらしい。
昔の人間が壁画を描いた意味が、ようやくわかった気がする。
でもあまりここに時間を使うのももったいない。
今日からの7日間をざっくり考えてみた。
うーん、美味しいものを食べる?
……普通だな。
会いたい人に会う?
……そんな人、いないかもしれない。
どうせなら、もっと面白いことをしよう。
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ふと思いついた。
今ある僕の資産は、なんやかんやで1000万円。
これを全部、金(GOLD)に変える。そして、日本のどこかに埋める。
その上で、SNSで地図の断片を公開して、全国民に宝探しをしてもらう。
――ちょっと、面白いかも。
思い立ったらすぐ、某大手動画配信サービス企業の日本支部へプレゼンを持ち込んだ。
資料は薄汚れた手書きのスケッチブック。
だけど、話の内容は刺さった。
「僕はこの人生で、自分の意思なんて持てなかった。
でも、最後くらいは“自分の意思”で日本中を熱狂させたい。
金を埋めて、地図をSNSに投下する。その模様を、あんたたちが独占放映すればいい。
“リアル×デス×トレジャーハント”。僕の死後にバズるコンテンツはこれしかない」
幹部は、呆れたように笑った。
「バカバカしい……でも、面白い。もし本気でやるなら、独占放映権と引き換えに——2億出資しよう」
契約は即日で締結された。
金を埋める日は極秘で撮影され、場所は誰の目にも触れぬよう封印された。
SNSには、手書きの地図の一部と、メッセージだけが投下された。
「2億1000万円分の金を埋めた。
地図のヒントはこれだけ。
探すのは自由。掘るのも自由。命がけで来い。
ただし見つけたら、映像に出ることを了承したものとする。
これは僕の、最後の仕事だ。」
タグは #死に際の冒険家 #最後のトレジャー
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投稿は瞬く間にバズった。
テレビ、SNS、YouTube、TikTok——あらゆるメディアで「僕」の名が拡散された。
撮影やインタビュー、関係者との打ち合わせを重ねているうちに、あっという間に1週間が過ぎた。
もう、立っているのも限界に近い。
「満足に動けるのは1週間」って言葉、どうやら本当だったらしい。
それでも、胸には謎の達成感があった。
病室のベッドに横たわりながら、スマホで世間の様子を眺める。
まるで革命家気取りで。
「人間って、面白いな。
……まだ死にたくないかも」
自分でも驚くほど素直な言葉が、口からこぼれた。
死の間際になって、自分の本心を知ることになるとは。
そうか。僕は、死にたくなかったのか。
こういうことが、したかったんだ。
嬉しさなのか、悲しさなのか、よくわからない感情の中、僕は頬を濡らしながら、静かに笑っていた。
あとがき(代筆担当より)
彼が亡くなったのは、その10日後。
病室のベッドの上で、最期の瞬間までスマホの通知に目をやり、笑っていた。
それは、心の底からの笑顔だった。
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1年後――
オリジナルドキュメンタリー『最後の冒険家』は世界的なヒットとなり、視聴回数は1億回を超えた。
宝は、いまだ誰の手にも渡っていない。
けれど、人々は探し続けている。その姿を、世界が見守っている。
彼は死んだ。けれど、彼は死の間際に、自分の意思を見つけた。
その事実だけが、彼の命を少しだけ永遠にしていた。