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私はあなたに恋などしていない

作者: ヨルノソラ

 鏡に映る私の顔は、今日も完璧だった。


 薄紅色に染めた唇が上品な弧を描き、琥珀色の瞳は慎ましやかに伏せられている。髪は王宮で流行りの編み込み、ドレスは控えめながらも品のある淡い青。まさに「理想の王太子妃」といった仕上がりだ。


「レオナルド様……」


 私は鏡に向かって、艶っぽく彼の名前を呼んだ。


 王太子レオナルド・ヴァレンタイン。金髪碧眼の美男子で、剣術にも学問にも長けた理想的な王位継承者。民からも貴族からも愛されている。


 誰もが彼を称え、憧れ、未来の王として疑わなかった。

 けれど、私にとってレオナルドは、ただの王子ではない。


 あの夜、私のすべてを奪った王家の血を引く者。復讐相手だ。


 この国で最も愛される存在を、私はこの手で――堕とすと決めている。



 ディリヴィア侯爵家——それが私の本当の家名だった。


 父は誠実な廷臣で、母は慈悲深い貴婦人だった。兄は優秀な騎士で、私を溺愛してくれた。絵に描いたような幸せな家庭だった。


 しかし十五年前、ディリヴィア侯爵家は一夜にして滅んだ。罪状は国家反逆罪。

 国王グリフィスが自らの不正を隠蔽するために、我が家を生贄にしたのだ。父は処刑され、母は病死し、兄は行方不明となった。


 そして幼い私だけが、親戚の手によって辛うじて生き延びた。


 身分を偽り、没落貴族の娘リアナ・エルフェンとして。


 私は何度も自分自身に問うた。

 どうして私だけが生き残ってしまったのかと。


 あれから私は、微笑む術を覚えた。


 優雅に、慎ましく、愛らしく。

 すべては復讐を遂げるために。




 そして今、王宮で彼の隣に立つ――理想の王太子妃として。




 王宮の庭園。

 レオナルドは私を見つけると、その端正な顔に明るい笑みが浮かぶ。


「おはよう、リアナ。今日も綺麗だね」


「お褒めいただき光栄です」


 私は頬を薄く染めて俯く。彼の表情が更に優しくなるのが分かる。


「そんなに畏まらなくても良いよ。僕たちはもう婚約者なのだから」


 レオナルドの婚約者になったのは三ヶ月前のことだ。

 社交界にデビューしてから僅か半年での快挙だった。他の令嬢たちは嫉妬に狂い、貴族たちは私の出自を疑ったが、それも全て想定内。


 没落貴族の娘が、身の程を弁えながらも一途に王太子を慕う——美しい恋物語だと、皆が思っている。


「レオナルド様」


 私は彼の名を呼んで見上げる。その瞬間、彼の碧眼が熱を帯びるのを見逃さない。男なんて単純なものだ。


「何だい?」


「私、時々不安になるんです。私なんかが王太子妃になって良いのかって」


 もちろん本気で不安に思っているわけじゃない。

 彼の保護欲を刺激し、同時に自分の謙虚さをアピールする。


 案の定、レオナルドの表情が真剣になる。彼は私の手を取り、優しく握った。


「そんなことを言わないで。君は僕が選んだ人だ。誰よりも美しく、誰よりも心優しい。君以外に僕の妻になれる人なんていないよ」


 反吐が出そうなセリフだ。鳥肌が立ちそう。


 心の中で冷笑しながらも、私は目に涙を浮かべる。


「ありがとうございます、レオナルド様。あなたがそう言ってくださるなら、私、頑張ります!」


「リアナ……」


 彼が私を抱き寄せようとする。と、それを邪魔するように咳払いの音が響いた。

 振り返ると、王太子の側近であるアルベルト卿が立っている。


「失礼いたします、殿下。お時間です」


「あ、そうだった」


 レオナルドは残念そうに私から離れる。


「今日は政務会議があるんだ。またあとでね」


「はい、お仕事頑張ってください!」


 彼が去っていく後ろ姿を見送りながら、私は口元に微笑みを浮かべた。





 夜が更けてから、私は密かに王宮の廊下を歩いていた。誰にも気付かれぬよう、足音を殺して。


 目的地は、アルベルト卿の部屋だった。


 彼は王太子の側近でありながら、幾つかの不正に手を染めている。私はその証拠を既に握っていた。そして今夜は、その証拠を使って彼を私の駒にする予定だった。


 部屋の前に立つと、中から話し声が聞こえてくる。

 アルベルト卿と、もう一人——女性の声だった。


 扉にそっと耳を当てる。


「……王太子は本当にあの女に夢中ですね」


「仕方ない。リアナ嬢は美人だし、何より純真だ」


「でも所詮は没落貴族の娘でしょう?  夜の技ひとつ知らないくせに、殿下の寵愛を受けるなんて」


 ベッドが軋む音がした。私は眉をひそめる。

 この声は、エマ・ロベルーニ侯爵令嬢……。


 私が婚約者になる前の王太子妃最有力候補だった女性だ。


「相応しいかどうかは、王太子が決めることだからな」


「いいえ、私が決めさせてみせますわ。殿下には私の方が似合っているのですから」


 興味深い展開だった。エマはまだ諦めていないらしい。


 私は静かに扉から離れる。アルベルト卿を駒にするのは別日に改めよう。今夜の収穫は十分だった。エマの嫉妬も、全て私の計画に利用できる。


 自室に戻り、机の引き出しから小さな日記帳を取り出す。

 表紙には可愛らしい花の絵が描かれているが、中身は全く違った。


 そこには王宮の人々の秘密が、克明に記録してある。

 不倫関係、金銭問題、家族の恥部——あらゆる弱みが綴られている。


 私は新しいページを開き、今日の出来事を記録し始めた。


『レオナルド王太子、ますます私に心を奪われている様子。計画通り進行中。アルベルト卿とエマ・ロベルーニ侯爵令嬢の密会を確認。彼女はまだ王太子への執着を捨てていない。これも利用価値あり』


 ペンを置いて、私は椅子に背を預ける。


 窓の外の夜空を見上げた。

 月が美しく輝いている。まるで私の計画を祝福するかのように。


「まだ始まったばかりよ」


 小さく呟いて、私は日記帳を閉じた。


 復讐の第一段階は順調に進んでいる。

 王太子レオナルドも、国王グリフィスも、まだ何も気付いていない。


 私がディリヴィア侯爵家の生き残りだということも、彼らへの復讐のために近づいたということも。そして何より、私が愛など微塵も感じていないということも。


 全ては復讐のため。私の家族の無念を晴らすため。


 そのためなら、私はどんな役でも演じ続ける。

 純真無垢な恋する乙女でも、裏切られた悲劇のヒロインでも。


 明日もまた、完璧な演技で王太子を魅了してみせよう。

 そして彼を、深い深い罠の底へと誘い込んでいく。


 私の復讐劇は、まだ始まったばかりなのだから。





 一週間が過ぎた。


 私とレオナルドの仲は、傍目には順調そのものだった。毎日のように庭園で語らい、時には王宮の図書館で共に本を読み、夜には舞踏会で踊る。婚約者としての演技はつつがない。


 夜。私はアルベルト卿の私室にノックもなしに入った。

 彼は目を見開き、矢継ぎ早に口を開く。


「り、リアナ様、どうされました?」


 上品に微笑んでみせると、彼の顔は青ざめていた。

 昨夜、私が彼の不正の証拠を匿名で送りつけていたからだ。


「少しお話があるのですが」


「お話、ですか?」


 彼の額に汗が浮かんでいるのが分かる。私は更に微笑みを深くした。


「私、あなたの秘密、全部知っているんです」


「何のことでしょうか」


「とぼけても無駄ですよ。東領の税収の着服、商人からの賄賂、そして……エマ・ロベルーニ侯爵令嬢との密会」


 最後の言葉で、彼の膝が震えた。


「あなたがエマ様と不倫関係にあることも、彼女があなたを使って私を陥れようとしていることも、全部知っています」


「リアナ様、なにか誤解を……」


 私は彼に近づく。


「焦らないでください。私はあなたを敵に回したいわけじゃない。むしろ、味方になってほしいんです」


「味方……?」


「ええ。私の共犯者になってくださいませんか」


 私は彼の頬に軽く触れる。彼の身体が硬直するのを感じた。


「あなたは一体……」


 アルベルトは震え声で答えた。


「私の詮索はするつもりなら、相応の覚悟をしてくださいね♡」


 私は愛想たっぷりの笑顔を浮かべた。

 アルベルトは赤い瞳を左右に泳がせ、脂汗を滲ませていた。




 その夜、私は再びペンを取って日記に記録した。


『アルベルト卿を籠絡完了。レオナルド王太子の情報収集が加速する。エマ・ロベルーニは予想以上に愚か。彼女の嫉妬心を利用すれば、更に面白いことができそう』


 そして翌日の午後、私は社交界のお茶会に参加していた。

 表向きは貴婦人たちの和やかな集まりだったが、実際は情報交換の場だった。


「リアナ様、王太子殿下との生活はいかがですか?」


 ある伯爵夫人が話しかけてくる。


 私は幸せそうに微笑む。


「はい、毎日が夢のようです」


「うらやましいわ。でも大変なこともあるでしょう? 王太子妃になるのだから」


「そうですね。でも頑張ります!」


 エマ・ロベルーニが会話に加わってきた。


「ですがリアナ様、最近お疲れではありませんか? 顔色があまりよろしくないように見えますが」


「ご心配いただいて、ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。愛があれば、どんな困難も乗り越えられますから!」


 エマの表情が歪む。


「それに、私になにかあってもレオナルド様が私を守ってくださいますから」


「……そうでしょうね」


 エマは歯を食いしばって答えた。


 彼女はまだレオナルドを諦めていない。そして私を排除するために、何かを企んでいる。


 お茶会が終わった後、私は一人で王宮の庭園を歩いていた。夕陽が美しく、薔薇の花が香っている。


「リアナ」


 レオナルドの声だった。振り返ると、彼が心配そうな表情で立っている。


「大丈夫かい? 元気がないように見えるけれど」


「少々考え事をしていたんです」


 私は少し迷うような素振りを見せてから、小さく呟いた。


「私、本当にあなたにふさわしいのか心配で……」


「またそんなことを言って、君はもっと自信を持ったほうがいい」


 レオナルドは私の手を取る。


「でも、皆さんはどう思っているのでしょう。没落貴族の娘が王太子妃だなんて」


「他人のいうことなんて気にすることはない」


 彼の言葉は優しかった。だがその優しさが、私の復讐心を更に燃え上がらせる。


 この男も、結局は同じだ。父親と同じ王族の血を引いている。

 私の家族を破滅させた一族の一員。私の敵だ。


「レオナルド様……」


 私は上目遣いで色っぽく彼を見つめる。

 レオナルドは私を抱き寄せた。その腕の中で、私は完璧な恋人を演じ続けた。





 その夜、私は密かに王宮を歩き回っていた。

 今度の目標は、国王グリフィスの書斎。


 そこには、十五年前の事件に関する資料があるはずだった。ディリヴィア侯爵家を陥れた証拠が。


 書斎の扉は厳重に鍵がかかっていたが、アルベルトから手に入れた合鍵がある。


 静かに扉を開け、中に入る。月明かりだけを頼りに、棚の間を移動していく。


 そして、古い木箱の中に、十五年前の機密文書が眠っているのを見つけた。

 その中には、父の冤罪を証明する決定的な証拠があった。


 国王グリフィス自身が書いた指示書。ディリヴィア侯爵家を「反逆者として処理せよ」という命令書だった。そこには真の理由も記されていた——父が国王の不正を発見したからだと。


「やっと……やっと見つけた」


 小さく呟きながら、文書を懐に隠す。これで全ての準備が整った。


 復讐の第二段階の開始だった。


 自室に戻ると、私は鏡の前に座った。そこに映るのは、もう清楚な貴族令嬢ではなかった。復讐に燃える一人の女の姿だった。


「お父様、お母様、お兄様」


 私は鏡に向かって呟く。


「もう少しお待ちください。必ず仇を取ります」


 そして私は、最終段階の計画を練り始めた。


 私の微笑みが、鏡の中で妖しく光っていた。





 一ヶ月後、全ての駒が私の思い通りの位置に配置された。


 アルベルトは完全に私の言いなりになり、エマは嫉妬に狂って浅はかな行動を繰り返している。そして何より、レオナルドは私に心底惚れ込んでいた。


「リアナ、君と出会えて本当に良かった」


 庭園のベンチで、彼は私の手を握りながら呟いた。

 その瞳には純粋な愛情が宿っている。


「私もです、レオナルド様」


 私は頬を染めて答える。


「あなたと過ごす時間が、人生で一番幸せです」


「式の準備も順調に進んでいるね。来月には正式に夫婦になれる」


 レオナルドが嬉しそうに言う。


「はい、楽しみです!」


 残念ね、レオナルド。

 私の計画では、結婚式は行われない。その前に、全てが崩壊することになっているから。


 内心ではそんなことを考えながら、私は満面の笑みを浮かべた。



 夕食後、私はいつものように自室で日記を書いていた。


『明日、ついに最終段階を実行。エマ・ロベルーニは予想通り動いてくれるだろう。アルベルトも準備完了。全ての舞台は整った』


 ペンを置いて、私は深呼吸した。明日の夜、私は”偶然”レオナルドの裏切りを目撃することになる。もちろん、その裏切りは私が仕組んだものだけど。


 翌日の夕方、私はアルベルトと密会していた。


「準備はできた?」


「はい。王太子殿下には、東の離宮に保管された書類について相談があると伝えてあります。今夜九時に来ていただく予定です」


「エマは?」


「彼女には、“殿下が今夜、東の離宮にいる”とだけ伝えました。詳細は伏せましたが……あの性格なら、自分に会いに来たと勘違いするでしょう」


「なら、あとは私が“偶然”通りかかるだけね」


 私は満足そうに頷いた。全ては計画通りだった。


 そして時計が九時を指す少し前に、私は東の離宮へ向かった。心臓が高鳴っている。ついに復讐の核心に到達する時が来たのだ。


 離宮の近くまで来ると、中から話し声が聞こえてきた。


 レオナルドとエマの声だった。


「エマ?」


 レオナルドの困惑した声。


「殿下……私、どうしてもお話ししたいことがあったんです」


「話? なんだい?」


「私の気持ちです。殿下への、私の想いを」


 エマは私の思惑通りに動いている。順調すぎて、頬の筋力が緩んでしまう。


「エマ、君は何を言っているんだ。僕にはリアナがいる」


「で、ですが殿下、本当に彼女なんかでいいんですか? 没落貴族の娘を妻に迎えて!」


「そんなことを言うものじゃない」


 レオナルドの声に怒りが混じった。だがエマは止まらない。


「私は、私はずっとレオナルド様をお慕いしてきました。私のほうが殿下にふさわしいです。家柄も、教養も、なにもかも!」


「エマ、もうやめろ」


「お願いです! 私を見てください!」


 そして、予定通りのことが起きた。エマがレオナルドに抱きついたのだ。

 最近のエマは、周囲からも孤立しがちだった。王太子への未練が理性を失わせていたのは明らかだった。


 私はその瞬間を逃さない。扉を開けて、困惑混じりに口火を切る。


「レオナルド様……?」


 二人は驚いて振り返った。レオナルドの顔は青ざめ、エマは勝ち誇ったような表情を浮かべている。


「り、リアナ! 違う、これは違うんだ。誤解だ!」


 レオナルドが慌てて説明しようとするが、私は既に涙を流していた。もちろん、演技だけれど。


「やはり、私のような女よりもエマ様のような方の方が……」


 私は震え声で呟く。レオナルドの顔がより一層青くなった。

 これまでずっと私は、自分に自信がないことをアピールしてきた。


 ──私なんかが王太子妃になっていいのか、と。


 その積み重ねが今ようやく意味をなしてくる。


「リアナ、僕は何もしていない。僕はリアナのことが──!」


「でも……でも、こんなものを見てしまったら……!」


 私は嗚咽を漏らす。


「これは彼女が勝手に!」


「殿下」


 エマが口を挟む。


「もういいじゃありませんか。リアナ様にも真実を知ってもらいましょう」


「エマ、お前少し黙れ」


「殿下は私を愛していらっしゃる。ずっと前から」


「そんな……!」


 私は泣き崩れる演技を続ける。


「誤解なんだ、リアナ」


 レオナルドが私に近づこうとするが、私は後ずさりした。


「私に触らないで!」


 私の叫び声が離宮に響く。その時、足音が聞こえてきた。複数の人間がこちらに向かってくる音だった。


 アルベルトが他の貴族たちを連れてきたのだ。


 扉が開き、数人の重要な貴族たちが現れた。彼らは室内の光景を見て息を呑んだ。


 泣き崩れる婚約者と、狼狽する王太子と、勝ち誇る侯爵令嬢。


「これは一体……」


 老齢のバルフォード公爵が呟く。


「殿下、説明していただけますか」


 私は顔を覆って泣き続けた。

 被害者を演じながら、心の中では勝利を確信していた。


 この瞬間、レオナルドの名誉は地に落ちた。婚約者を裏切った不実な男として、王宮中の噂になるだろう。


 そして私は、悲劇のヒロインとして同情を集めることになる。


「リアナ、これは誤解なんだ。僕の話を聞いてくれ!」


 レオナルドが必死に弁解するが、もう遅かった。


 貴族たちの視線が、彼を糾弾している。


 私は涙に濡れた顔を上げて、か細い声で呟いた。


「もう……もうレオナルド様のことを信じられません!」


 その言葉で、全てが決まった。




 翌日、王宮は大騒ぎになった。

 王太子の不貞の噂が駆け巡り、私は「哀れな被害者」として扱われた。


 多くの貴婦人たちが私を慰めに来て、男性貴族たちはレオナルドを非難した。


「王太子が不実な男だったとは」


「リアナ様、お可哀想に」


「あんな男、王太子失格だ」


 私は部屋で静かに微笑んでいた。全てが思惑通りに進んでいる。


 夕方、私のもとに訪問者があった。レオナルド自身だった。


「リアナ、僕の話を聞いてくれ」


 彼の顔は憔悴しきっていた。一夜で老け込んだように見える。


「レオナルド様……」


 私は悲しそうに彼を見つめる。


「昨夜のことは誤解だ。僕はエマに何も感じていない。君だけを愛している」


「でもレオナルド様はエマ様と……」


「あれは罠だったんだ。僕は騙されたんだ」


 レオナルドが私の手を取る。その手は震えていた。


「リアナ、僕を信じてくれ。君なしでは生きていけない」


 一瞬、私の心に何かが生まれそうになった。だがすぐに消し去る。復讐こそが私の全てなのだから。


「ごめんなさい」


 私は彼の手を振り払う。


「もう信頼できません」


 レオナルドの顔が絶望に歪んだ。その表情を見て、私は深い満足感を覚えた。


 復讐の第三段階、完了だった。





 二日後、私は正式に婚約破棄を申し出た。


 王宮の謁見の間で、国王グリフィスと王太子レオナルド、そして主要な貴族たちが見守る中で。


「陛下」


 私は深々と頭を下げる。


「この度は、王太子殿下との婚約を破棄させていただきたく、参上いたしました」


 謁見の間がざわめいた。

 王太子妃候補が自ら婚約破棄を申し出るなど、前代未聞のことだ。


「リアナ嬢」


 国王グリフィスが重々しい声で言う。


「理由を聞かせてもらおうか」


「殿下の不貞を、この目で見てしまいました」


 私は顔を上げて、涙を浮かべながら答えた。

 再び、謁見の間がざわめく。レオナルドの顔は蒼白だった。


「それは誤解だ! 僕は不貞なんかしていない!」


 レオナルドが声を上げる。


「黙っていろ、レオナルド」


 国王の声は冷たかった。


「続けなさい、リアナ嬢」


「三日前の夜、東の離宮で殿下とエマ・ロベルーニ様が親密にしていらっしゃるのを目撃いたしました。多くの方々もその場に居合わせ、ご覧になっています」


 証人として呼ばれた貴族たちが頷く。彼らの証言は、私にとって強力な武器だった。


「このような不名誉に耐えることはできません。どうか、婚約の破棄をお許しください」


 国王の表情が厳しくなった。息子への失望が明らかに見て取れる。


「父上、これは誤解なんです! エマが勝手に! 僕の言い分を聞いてください!」


「黙っていろと言っただろう」


 国王が手を上げて制止する。


「リアナ嬢の申し出を受け入れる。婚約は破棄とする」


 レオナルドの顔が絶望に歪んだ。だが私の復讐は、まだ終わらない。


「ありがとうございます、陛下。それともう一つ、ご報告したいことがございます」


「何だ?」


「私の素性について、お話ししておかないとならないことがあるのです」


 謁見の間が静寂に包まれた。私はゆっくりと懐から古い文書を取り出す。


「私はこれまでリアナ・エルフェンと名乗ってきました。ですが本当の名前は、リアナ・ディリヴィアと申します」


 瞬間、国王の顔が青ざめた。


「ディリヴィア、だと……?」


「ええ、そうです。私はディリヴィア侯爵家の、生き残りです」


 謁見の間が騒然となった。ディリヴィア侯爵家の反逆事件は、王国史上最大のスキャンダルの一つだったからだ。


「そして」と、私は文書を掲げる。


「これは十五年前、陛下がお書きになった命令書です。私の父を冤罪で陥れるよう指示された、直筆の文書です」


 国王の顔が土気色になった。


「な、何を言い出しているのだ? リアナ嬢、もうよい下がれ」


「いえ下がりません」


 私は微笑む。


「こちらは陛下の書斎から持ち出したものです。筆跡鑑定も済んでおります」


 私は別の文書を取り出す。筆跡鑑定書だった。もちろん、偽造したものではない。


 王宮の記録管理局に所属する書記官に依頼したものだ。王命文書の筆跡に通じた専門家で、王家直轄の鑑定人でもある。


「父は国家に忠実な廷臣でした。ですが陛下の不正を発見してしまった。だから消されたのでしょう?」


 私の声が謁見の間に響く。貴族たちは息を呑んで聞いている。


「ディリヴィア侯爵家は反逆など犯していません。ただ、陛下の罪を隠蔽するために犠牲にされただけです」


 国王グリフィスが立ち上がった。その顔は怒りに歪んでいる。


「一体なんのつもりだ。まさか、貴様がレオナルドに近づいたのは……」


「ええ。最初からこの日のためです。王太子を愛したことなど、一度もありません」


 レオナルドが愕然とした表情で私を見つめている。


「それから」と、私は最後の切り札を取り出す。


「これらの文書は既に、近隣諸国の大使館にも送付済みです。明日には各国に知れ渡るでしょう」


 国王の顔が真っ青になった。外交問題に発展すれば、王家の存続すら危うくなる。


「貴様……!」


「陛下。お伝えしたいことは以上です。お望み通り下がらせていただきます」


 そして私は踵を返して、謁見の間を後にした。

 背後で国王の怒号と貴族たちの騒めきが響いているが、もう関係なかった。


 廊下を歩きながら、私は静かに微笑んだ。

 全てが終わった。復讐は完了し、私の使命は果たされたのだ。


 王宮の正門前で、私を呼び止める声が飛んできた。


「リアナ!」


 レオナルドの声だった。

 振り返ると、憔悴しきった顔がそこにあった。


「君は……君は本当に僕を愛したことはないのか?」


 彼の瞳には深い悲しみが宿っている。


「ええ、一度もありません」


「そうか。僕は完全に騙されていたんだな」


「はい」


「でも、僕の気持ちは本物だった。君を心から愛していた」


 その言葉に、一瞬、私の心が揺らいだ。だがすぐに打ち消す。


「それは残念でしたね」


 冷たく言い放って、私は踵を返そうとする。


 が、レオナルドが私の手を掴んできた。


「最後に一つだけ聞かせてくれ。復讐が終わった今、君は幸せなのか?」


 私は彼の手を振り払った。


「幸せになりたいからやったわけではありません。私はただ、家族の無念を晴したかっただけです」


 そして今度こそ踵を返した。

 レオナルドとの距離が遠ざかっていくのを感じながら、私は曇天を見つめた。


 復讐が終わって幸せ? 

 そんなわけない。こんなことしたってお父様もお母様もお兄様も帰ってこない。


 虚しいだけに決まってる。でもやるしかなかっただけだ。


 間もなく、私はこの国を出る。数日前から、信頼できる商人に出国の段取りを頼んでいた。証書、馬車、滞在先まで、すべて静かに整えてある。

 ディリヴィア侯爵家の名誉は回復され、グリフィス王とレオナルド王太子は失脚するだろう。


「お父様、お母様、お兄様、どうか安らかにお眠りください」


 そう呟いたあと、私は手の中の薄手のスカーフを見つめた。それは母の形見だった。何度も握りしめては泣いた夜のことを思い出す。


 あの夜から、ずっと走り続けてきた。


 愛する家族を奪われたあの日から、私は少女ではなくなった。涙も、微笑みも、すべて演技だった。けれど今、こうして復讐を終えたこの静寂の中にいると、胸にぽっかりと空いた何かが、そっと疼いた。


 ──幸せになりたいからやったわけではありません。


 レオナルドにそう言い切ったけれど、本当は幸せになりたかったんじゃないのか? 


 そう問いかける自分が、心のどこかにいる。


 でも私は振り返らない。

 ただ静かに、ひとり歩き出す。


 幸せではないけれど、不幸でもない場所へ。

 ──これが、私の選んだ終わり。そして、始まりなのだ。

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