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第5話:お互いの事情

「お酒、次は何がいいですか?」


 ヴィクターがメニューを渡してくる。


「外国のものがいいです! 飲んだことのないお酒に挑戦したいです」

「わかりました。じゃあ、名前で選んでみましょうかね。これとかどうですか? 『澄み切った湖水(こすい)に舞い降りる天使』ですって」


 アリシアは思わずふきだしてしまった。


「そんな銘柄のお酒があるんですか?」

「気になりません?」

「それ、飲んでみたいです!」


 即答したアリシアに頷き、ヴィクターが注文してくれる。

 注文したお酒はその名のとおり透き通った水色をしており、飲み口もすっきりしているのにまろやかで、アリシアたちを感嘆させた。


「名前負けしてないですね!」

「ええ。正直、ここまで美味しいとは思いませんでした」

「綺麗な水色……あ、ヴィクターさんの目の色ですね!」

「誉めすぎです」


 ヴィクターが照れくさそうに、だが嬉しそうに微笑んだ。

 その後も、アリシアたちは、聞いたこともない名前のお酒や食事を次々と楽しんだ。


 この場限りの関係という気楽さに、ついつい気持ちも緩む。

 アリシアは自然と身の上話をしていた。思えば、誰かに聞いてほしかったのかもしれない。


「はー、一人って気楽で最高ですね! 私、離婚したばかりで」

「えっ、そうなんですか? アリシアさんを手放すなんて馬鹿な奴ですね」


 お世辞とわかっていても嬉しい言葉だった。

 貴族の女性にとって離婚は恥とされることが多く、さげすむ者も少なくない。


「ありがとうございます」

「いや、本当ですって! 一緒にいて落ち着くし、楽しいし、それに好奇心旺盛なところがいい! 新しいもの、知らないものに難なく触れていく勇気があります」

「ヴィクターさんこそ、誉めすぎです」


 そういえば、こんな風に誉めてもらうのはいつぶりだろう。

 両親からは地味で面白みのない娘として扱われていたし、ケインはそもそもアリシアに深く関わろうとしなかった。


「ヴィクターさんはどうして今日この店に?」

「俺は――押しつけられた仕事に追われていて、ぱーーーっと美味しいもの食べて酔っ払いたいって思って来たんですよ!」


 お酒を五杯飲んだあたりから、ヴィクターの口がなめらかになってきた。

 ほのかに顔が赤く染まり、目が潤んでいる。

 酔いが回ってきたのだろう。


「ヴィクターさん、お酒はそのくらいで……」


 同じくらい飲んでいるが、アリシアはまだほんのり顔が火照ほてるくらいでそこまで酔いが回っていない。


(私ってお酒、強かったんだ……)


「もうね、面倒だし、しんどいし……俺の手におえないってなってしまって……」


 ヴィクターの口調がだんだんくだけてくる。


「で、それを愚痴ったら、妻をめとれって言うんですよ!」


 ヴィクターが酒の入ったグラスをあおる。


「もう二十五歳なのに結婚はおろか、恋人もいないとは何事かと責められ詰られ……」


 アリシアは慌てて瓶のお酒を自分のグラスについだ。これ以上、ヴィクターに飲ませてはいけない。彼の顔は真っ赤になってしまっている。


「結婚、いいじゃないですか。奥様が仕事を手伝ってくれるかもしれませんよ?」


 優秀な女主人になりそうな人がそばにいれば、きっと仕事も少しは楽になるだろう。


 だが、ヴィクターはブンブンと首を横に振った。


「でも、僕は好きでもない女性と結婚したくないんですよ!」

「……」


 ズキッと胸が痛んだ。

 まるで自分のことを言われた気がした。

 ヴィクターはアリシアの離婚の事情を知らない。だから、本音で話しているだけだ。

 そうわかっていても、込み上げてくるものがあった。


(愛のない書類上だけの白い結婚……そんなものに二年をついやした……)


 アリシアはぐっと拳を握った。


「すいません、お酒お代わりください!」


 もう自分も酔っ払ってしまいたい。

 そう思ったアリシアは、気になるお酒を次々と頼んだ。


「ヴィクターさんの言うとおり、好きな人と結婚するのが一番ですよ!」


 ぐいぐいとお酒を飲みながら、アリシアは言い放った。


「私だって、好きな人と結婚したかった!」

「だから、離婚したんですか?」


 ヴィクターはとろんとした目で肘をついている。

 それでもかろうじて、話の内容は理解しているようだ。

 アリシアは肉と野菜の薄皮包みをばりっと勢いよくかじった。


「正確には離婚されたんです。政略結婚で、私もそれなりに頑張ろうと思ったのに、相手は昔からの愛人がいて!」

「ひどいな、それ……」


「でしょう? でも、私からは離婚できなくて。向こうから言ってくれて、清々(せいせい)しました!」

「そうですよ! そんなクズ男、別れて正解ですよ!」


「だから、ヴィクターさんはちゃんと好きな人と結婚してくださいね! でないとお互い不幸だから……」

「いや、俺は気楽な独り身でいたいです。だって結婚したら、こんな夜遊びも自由にできないでしょ?」


 アリシアは大きく頷いた。


「ほんとそう! 私もずっと、一人で町歩きとかして、好きなお店に入りたかった! 自由最高!」


 アリシアがグラスを掲げると、ヴィクターもグラスを高く上げた。


「自由最高!!」


 二人はぐいぐいとお酒を飲み続けた。

 誰に何の文句も言われることなく、好きに振る舞える。


(私、ずっと窮屈だったんだ……)


 噂話があっという間に広がる貴族社会では、どこでも気を抜くことができなかった。

 いつも伯爵夫人としての立場を考えて振る舞わなくてはいけなかった。


(これからどうしよう……)

(のんびり一人で暮らしたいなあ……)

(まずは住む場所と仕事を探して……)


 お一人様を満喫している自分を想像していると、だんだん視界がぼやけてくる。


「あれ……? アリシアさん……大丈夫ですか……? 飲み過ぎ……ですよ」

「あなたに言われたくないです……顔真っ赤だし……目が半分閉じてますよ……」


 ヴィクターはうつらうつらと頭を揺らせている。そのたびに白銀の髪が揺れる。


(綺麗だな……)


 店内のロウソクの火がゆらめくたび、ヴィクターの髪の輪郭が金色を帯びてきらめく。

 ヴィクターが顔を上げたので、みとれていたアリシアはびくっとした。


(やだ、私ったらじろじろ不躾ぶしつけに見つめてしまったわ……)


「そろそろ出ますか……もう夜更けだし……送りますよ……宿はどこですか?」


 まったりした空気、とろんとしたヴィクターの無防備な表情とのんびりした口調に、急激に眠気が襲ってくる。


「……宿は……」


 そこからの記憶がアリシアにはない。

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