第36話:不穏
「アリシアからの手紙!? ようやくか!」
手紙を出したあと、今か今かと返事を待っていたケインは、ひったくるようにして侍女から手紙を奪い取った。
(きっと、戸惑っているに違いない。なんといっても王子の屋敷など、心細く肩身が狭いだろう)
(もしかしたら、戻ってきたいのかもしれない)
わくわくしながら封を開けたケインの目に、素っ気ない言葉が映った。
――そのとおり、私はヴィクター様の婚約者です。王子は私の事情もすべてご存知です。楽しく過ごしていますので、お気遣いなく。
ケインはわなわなと自分の手が震えていることに気付いた。
「ケイン様、こちらの書類も――」
話しかけてくる執事の声も耳に入らない。
(なんだ、これは?)
(本当にアリシアが王子の婚約者に?)
(あの石のようなつまらない、頑なな女が?)
だが、ケインは痛感せざるを得なかった。
二年の結婚生活で、まともに会話をしたのも数えるほど。
(俺は……アリシアのことを何も知らない)
(もしかしたら、アリシアには王子の心を動かすほどの魅力があったのでは?)
ヴィクター王子といえば、女性人気の高い社交的な人物だ。
その有能さゆえ、他国との外交を任されている。
(女など選び放題の王子が、わざわざ離婚した女と婚約するなんてよっぽどだ……)
(なぜだ、アリシアの何がそんなに!!)
ケインの心は嵐のように荒れ狂った。
「今年のクリスマスはどうなさいますか。パーティーを開かれるのであれば、使用人を臨時で雇う必要がありますが……」
「お祝い事の贈り物はどうなさいますか」
「領地の収穫ですが――」
執事の問いかけが耳障りでたまらない。
「うるさい! 適当にやっておけ! おまえに任せる!」
怒鳴りつけられた執事が目を丸くしている。
「ですが、どれもご当主様に決めていただく必要がありまして……」
「そんな面倒なこと、すべてアリシアに――」
そう言いかけて、ケインはハッとした。
もうアリシアはいない。
だから、領地や屋敷の采配をすべて自分が考えて決断しなければならないのだ。
(くそっ……)
ケインはイライラと執務室を出た。
(町に繰り出すか……酒でも飲まないとやってられない)
「あっ、ケイン!」
廊下を曲がったところで、ローラに見つかってしまった。
駆け寄ってくるローラを突き飛ばしたい衝動を必死で堪える。
「どこに行くの? ねえ、私欲しいドレスがあるんだけど、町に行かない?」
「……仕事がある」
なるべくそっとローラをどかせ、ケインは足早にその場を離れた。
「ねえ、ちょっと! ケイン!」
一人馬車に乗り込んだケインは舌打ちをこらえた。
「くそっ……!」
はっきりと気付いてしまった。
ローラとの恋は障害があったから燃えたのだ。
いつ引き離されるかわからない身分違いの恋。
それはアリシアとの政略結婚で更に燃え上がった。
正妻であるアリシアをこきおろすことが、二人の息抜きになった。
共通の敵の出現に、より絆は深まった――気がしていた。
だが、アリシアがいなくなり、なんの障害もなくなった瞬間、ローラとの恋はみるみるうちに色褪せた。
(おまえ、本当に平民と結婚する気か?)
友達の言葉が刺さる。
もちろん、結婚するつもりだし、表立って反対する者もいない。
だが、それは茨の道だ。
社交の場で、平民のローラはきっとうまく振る舞えない。
必然的にケインが後始末やフォローをさせられるだろう。
(子どもが生まれたら、ちゃんと貴族の子として育てられるだろうか?)
不安はつきない。
ケインはポケットの中の招待状を取り出した。
第六王子の婚約お披露目パーティーを盛大に執り行うらしい。
きっと第五王子のヴィクターも出席するだろう。そして、その婚約者であるアリシアも――。
ケインはぎゅっと封筒を握った。
(アリシア……おまえだけ幸せでいられると思うなよ)
(おまえのようなバツイチの女など、王子の妃にふさわしいわけがない)
(さっさと俺の元に帰ってきたら、復縁してやってもいい)
(女主人として伯爵家の実権を握れるのだ。悪くないだろう)
(そもそも、もう帰る場所もないのだから、王子に捨てられたら俺に泣きつくしかない)
ケビンは酷薄な笑みを浮かべた。
(婚約お披露目パーティーには、国王夫妻を含め王都の重鎮や主立った貴族が全員集まる)
(その場でおまえが王子にふさわしくないと、見せつけてやる!)




